![<2000年10月8日(日)><br /><br /> ローマでの2日間だけの短い滞在を終えました。今日は古い教会があるアッシジを経て、花の大聖堂のあるフィレンチェに向かう事になりました。早い時刻の出発ですが、早い事は全く苦になりません。しかし、早く起きだしたものの、付近の散歩も昨日済ましていましたので、少し時間を持て余しました。<br /> ホテルでの朝食は昨日と同じでしたが、これもフレンチブレックファーストの説明を聞いていましたので、問題ありません。むしろ、品数が多いと喜ぶメンバーの人もいました。私も美味しい珈琲とパンがあれば、全く問題がありません。噛みしめると味がある固いパンは、十分に美味しいものです。毛受さんも、同じように美味しいと言われていました。むしろ甘い味がするクロワッサンより、私は固いパンのほうが好きです。<br /> バスに乗り込む前に時間がありましたので、付近で写真を撮りました。雨は上がったものの、深い霧が出て、途中の交通渋滞が少し危ぶまれました。<br /> <br /><アッシジへ><br /> アッシジはローマからは北東というよりは、ほとんど真北の方向に当たります。高速度道路か自動車専用道路かは良く分からない道を、北へ向かってひた走りました。<br /> 深い霧はやがて薄れてきましたが、小高い峠を越える場所に差し掛かると、霧は、また深くなりました。行き交う車はすべてヘッドライトを灯していたものの、これは霧のためだけではないようです。日本でいえば、単車が危険防止に灯すライトの役割のようでした。車は、小型車が圧倒的に多く、都会では、駐車場の確保が難しいためではないかと思われました。<br /> 2時間ほど走ったところで、お手洗い休憩が取られました。こじんまりしたドライブインか、お土産店のようなところでした。普通は有料のお手洗いですが、無料でした。その分、各人が買い物をしたようです。私は、生ハムが美味しそうだったので、ビールと一緒に買い込みました。<br /> この時間になると霧も晴れ、好天となりました。<br /><br /><アッシジ><br /> 最初にアッシジの聖フランチェスコ教会をバスの中から目にした時は、一瞬、近代式の白亜のホテルかと見紛いました。山の中腹から上部に掛けて、堂々たる建物が威容を誇っていました。全体に冷え込んできたためか、海抜が上がったために、冷え込んできたためかは、判断できませんでしたが、少し肌寒さを感じるようになってきました。ローマでのコロッセオ見学の時の暑さとは比べようが無い気候に感じました。<br /> アッシジの教会とその教徒は、過去に大きな迫害を受けた歴史を持っているようです。その迫害の歴史が質素な法衣(ほうえ)に反映されているようでした。教会の中庭で写真を撮らせてもらった説教師のような方は、麻の生地のような薄黄色の法衣に、なんと素足でした。<br /> 入場した一番下の教会が下院、その直ぐ上が上院であると、現地ガイドさんの説明をお聞きしました。壁画は仏教の場合と同じように、縁起絵です。キリストの生誕から苦難の一生を題材としていました。釈迦の出生、出家、悟り、涅槃などと類似です。言葉より、絵画による視覚の訴えが、古今東西、最も効果がある布教の手段であるようです。近代的な記憶術でも欠く事ができない手法です。<br /> その絵画は、遠近法が稚拙な時代のものでしょうか、遠近感と質感に乏しい作品群でした。それ程古い時代の作品と言うことで、絵の価値が高い可能性もあります。しかし、解説書を調べてみる気にはなりませんでした。しかし、上院から更に上り詰めた教会の作品はイタリアの芸術レベルを十分に感じさせる作品でした。付録に治めた写真の中では、私が勝手に「奥の院」と呼んでいる写真です。<br /> <br /><オルガン、ステンドグラス><br /> 絵画は感銘する程ものではありませんでしたが、上院の雰囲気そのものは、荘厳さが漂っていました。一番奥まったところは塔になっているらしく、高い位置にはステンドグラスの色彩が、実に鮮でした。<br /> そのステンドグラスを前方に見上げる位置に長椅子がありましたので、暫く見とれながら、オルガンの演奏に聞き入りました。パイプオルガンではなく、チェンバロ風でした。そのオルガンの演奏の合間に牧師さんが聖書の一節と思われる朗読をされていました。薄暗闇に眼が慣れてきますと、喪章をつけた複数の方が見えてきました。個人的なミサが行われていたのかも知れません。<br /><br /><坂の上><br /> ブロンズの噴水がある広場に集まる約束で、1時間ほどの自由時間になりました。それで、石畳の坂道を一番上の塔まで登ることにしました。石畳の道は結構急な上り坂になっていて、時々車がやって来ましたので、道を譲りました。狭い道でした。<br /> 登り詰めたところに案内看板が有り、その地図を見ますと、そのまま一般道路と繋がっていて、少し拍子抜けがしました。先ほどからの車は、その一般道路との間を行き交っていたようです。駐車場の辺りからは、有料のエスカレータで此処まで登って来られるようです。高い塔をバックに記念写真を撮った後、早々に噴水広場まで戻る事にしました。<br /> <br /><オリーブ畑と葡萄畑><br /> アッシジ付近はオリーブと葡萄畑が延々と続いていました。イタリアの中でも特産地の一つになっているようです。 <br /> 渡辺さんが車中で説明してくれたところによりますと、オリーブは黄色と緑色に2分され、それぞれに風味が異なるようです。この地方は、緑のオリーブオイルが特産だと聞いた記憶がありますが、メモをしなかったので、確かではありません。<br /> オリーブは、大木というより潅木に近い木です。銀色をした葉が天を向き、誠にユニークな装いをしています。その葉の下には、びっしりと実を付けていました。その実は、ほとんどが未だ緑色をしていましたが、少し黄色がかってきたものも散見されました。<br /> 葡萄畑の作り方も特徴がありました。日本だと天井に這わせるような葡萄棚が多いようですが、こちらでは柵に這わせるような作り方が大多数でした。この地方では、日本にもたくさん輸入されているキャンティ用の葡萄が多く栽培されているようです。編んだ籠に収まった、ずんぐりしたキャンティは日本円換算で6、700円で売っていました。安いものの、さっぱりとして口当たりが良いライトボディのワインです。少しクラスが上のキャンティ・クラシコはまずまずの味でした。イタリアワインは、フランスワインと同様に、平均して辛口が多いので、私のお気に入りです。<br /> 昼食はアッシジで摂りました。寺院のすぐ近くのレストランです。大きな木のテーブルの周りを同じ木のベンチが取り囲んでいました。固いパンとソーセージ、野菜サラダなどがそのテーブルに並びました。白のフルボトルを頼みましたが、他にも赤のフルボトルを頼まれた方がいましたので、交換して飲み比べてみました。ソースのかかったソーセージは、やや軽めの赤ワインの方に良く合いました。<br /> <br /><フィレンチェ、ミケランジェロ広場><br /> アッシジからフィレンチェまでは約190kmです。今度は半島を北西に向かってひた走りました。<br /> フィレンチェに到着すると、最初にミケランジェロ広場まで車で登りました。此処からですとフィレンチェの街が一望に眺めることができます。丘へ向かう道路に接したところは、高級住宅街になっていました。鬱蒼とした木々に囲まれた中に、十分な年代を経たと思われる建物が散在していました。<br /> 岡の上は結構広い広場になっていて、整備も良く行き届いていました。その真中に堂々たるダビテの象が立っていました。この像はレプリカですが、ミケランジェロの傑作の一つなので、この広場のシンボルになっているようでした。<br /> 快晴の広場には露天や、写生画を描いては販売しているグループが一角を占めたりしていました。画学生ではない歳に達したと思われる女性の描かれた水彩画が気に入りましたので、2枚買い求めました。1枚千円相当なので、安い買物です。一枚は夕暮れのアルノ川、もう一枚がドゥオモの遠景でした。<br /> <br /><フィレンチェでの夕食><br /> 今晩の夕食はツアーには付いていませんので、Mさんと一緒にレストランを探しました。予め渡辺さんが教えてくれたお勧めの店から選択することとしました。それぞれ地図にも記してあるし、近い距離にあるお店でした。<br /> 最初に「北京」の看板のある中国料理店屋、その他にも駅前広場近くの店を覗いてみましたが、余りしっくり来なかったので、中央駅の西側のレストランまで足を伸ばす事にしました。イ・クワットロ・アミーチと言う、覚えにくい名前の店でした。10名ほどの方は、この店を予約されていました。大勢ですと予約が難しいので、毛受さんと自由行動を選んでいました。その店に向かう途中、渡辺さんとすれ違いましたが、頼まれた予約の帰りだったようです。後でお聞きした話ですと、10名余りでも満席だったので、その店の紹介で、姉妹店の方に替えられたようです。<br /> 時間が早かったせいか、小さなテーブルは空いていて、OKサインが出ました。早速メニューを見せて貰いました。なんと、日本語でも説明が書いてありました。いつもJT*さんが使われているためなのでしょうか?当方は、イタリア語はぜんぜんだめなものの、片言の英語で意思が通じるお店なので、助かりました。<br /> 前菜は注文する前に直ぐに出てきました。メニューの指差しだけでの注文では、味気ないので、ボンゴレ、シーフードリゾット、ワインは最初にハウスワインの白を注文しました。料理もワインも美味しく、少し食べ過ぎのディナーになりました。<br /> <br /><br /> アッシジへ向かう高速道にて<br /> 朝霧の牧草の丘降り立ちぬ淡き色して新緑のごと<br /><br /> 車皆ライト灯してアッシジへ山を越行く朝霧の道<br /><br /> アッシジの教会にて<br /> アッシジの山の上なる教会のオルガン聴て椅子に座すなり<br /><br /> 奥深きステンドグラスの正面に向いて流る時は静かに<br /><br /> 静なる人の歩はオルガンの通奏低音奏でる如し <br /><br /> オルガンの止みし間に間に説教の静な声はエコーとなりぬ<br /><br /> 教会に喪章を着けし人等居てモノフォニーの音天に昇りぬ<br /><br /> 縁起絵の所々に崩れ落ち白き煉瓦の素地を見せたり<br /><br /> 銀色の葉を空へ向けオリーブの実の色着きし山の斜面に](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/16/80/650x_10168026.jpg?updated_at=1283060238)
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<2000年10月8日(日)>
ローマでの2日間だけの短い滞在を終えました。今日は古い教会があるアッシジを経て、花の大聖堂のあるフィレンチェに向かう事になりました。早い時刻の出発ですが、早い事は全く苦になりません。しかし、早く起きだしたものの、付近の散歩も昨日済ましていましたので、少し時間を持て余しました。
ホテルでの朝食は昨日と同じでしたが、これもフレンチブレックファーストの説明を聞いていましたので、問題ありません。むしろ、品数が多いと喜ぶメンバーの人もいました。私も美味しい珈琲とパンがあれば、全く問題がありません。噛みしめると味がある固いパンは、十分に美味しいものです。毛受さんも、同じように美味しいと言われていました。むしろ甘い味がするクロワッサンより、私は固いパンのほうが好きです。
バスに乗り込む前に時間がありましたので、付近で写真を撮りました。雨は上がったものの、深い霧が出て、途中の交通渋滞が少し危ぶまれました。
<アッシジへ>
アッシジはローマからは北東というよりは、ほとんど真北の方向に当たります。高速度道路か自動車専用道路かは良く分からない道を、北へ向かってひた走りました。
深い霧はやがて薄れてきましたが、小高い峠を越える場所に差し掛かると、霧は、また深くなりました。行き交う車はすべてヘッドライトを灯していたものの、これは霧のためだけではないようです。日本でいえば、単車が危険防止に灯すライトの役割のようでした。車は、小型車が圧倒的に多く、都会では、駐車場の確保が難しいためではないかと思われました。
2時間ほど走ったところで、お手洗い休憩が取られました。こじんまりしたドライブインか、お土産店のようなところでした。普通は有料のお手洗いですが、無料でした。その分、各人が買い物をしたようです。私は、生ハムが美味しそうだったので、ビールと一緒に買い込みました。
この時間になると霧も晴れ、好天となりました。
<アッシジ>
最初にアッシジの聖フランチェスコ教会をバスの中から目にした時は、一瞬、近代式の白亜のホテルかと見紛いました。山の中腹から上部に掛けて、堂々たる建物が威容を誇っていました。全体に冷え込んできたためか、海抜が上がったために、冷え込んできたためかは、判断できませんでしたが、少し肌寒さを感じるようになってきました。ローマでのコロッセオ見学の時の暑さとは比べようが無い気候に感じました。
アッシジの教会とその教徒は、過去に大きな迫害を受けた歴史を持っているようです。その迫害の歴史が質素な法衣(ほうえ)に反映されているようでした。教会の中庭で写真を撮らせてもらった説教師のような方は、麻の生地のような薄黄色の法衣に、なんと素足でした。
入場した一番下の教会が下院、その直ぐ上が上院であると、現地ガイドさんの説明をお聞きしました。壁画は仏教の場合と同じように、縁起絵です。キリストの生誕から苦難の一生を題材としていました。釈迦の出生、出家、悟り、涅槃などと類似です。言葉より、絵画による視覚の訴えが、古今東西、最も効果がある布教の手段であるようです。近代的な記憶術でも欠く事ができない手法です。
その絵画は、遠近法が稚拙な時代のものでしょうか、遠近感と質感に乏しい作品群でした。それ程古い時代の作品と言うことで、絵の価値が高い可能性もあります。しかし、解説書を調べてみる気にはなりませんでした。しかし、上院から更に上り詰めた教会の作品はイタリアの芸術レベルを十分に感じさせる作品でした。付録に治めた写真の中では、私が勝手に「奥の院」と呼んでいる写真です。
<オルガン、ステンドグラス>
絵画は感銘する程ものではありませんでしたが、上院の雰囲気そのものは、荘厳さが漂っていました。一番奥まったところは塔になっているらしく、高い位置にはステンドグラスの色彩が、実に鮮でした。
そのステンドグラスを前方に見上げる位置に長椅子がありましたので、暫く見とれながら、オルガンの演奏に聞き入りました。パイプオルガンではなく、チェンバロ風でした。そのオルガンの演奏の合間に牧師さんが聖書の一節と思われる朗読をされていました。薄暗闇に眼が慣れてきますと、喪章をつけた複数の方が見えてきました。個人的なミサが行われていたのかも知れません。
<坂の上>
ブロンズの噴水がある広場に集まる約束で、1時間ほどの自由時間になりました。それで、石畳の坂道を一番上の塔まで登ることにしました。石畳の道は結構急な上り坂になっていて、時々車がやって来ましたので、道を譲りました。狭い道でした。
登り詰めたところに案内看板が有り、その地図を見ますと、そのまま一般道路と繋がっていて、少し拍子抜けがしました。先ほどからの車は、その一般道路との間を行き交っていたようです。駐車場の辺りからは、有料のエスカレータで此処まで登って来られるようです。高い塔をバックに記念写真を撮った後、早々に噴水広場まで戻る事にしました。
<オリーブ畑と葡萄畑>
アッシジ付近はオリーブと葡萄畑が延々と続いていました。イタリアの中でも特産地の一つになっているようです。
渡辺さんが車中で説明してくれたところによりますと、オリーブは黄色と緑色に2分され、それぞれに風味が異なるようです。この地方は、緑のオリーブオイルが特産だと聞いた記憶がありますが、メモをしなかったので、確かではありません。
オリーブは、大木というより潅木に近い木です。銀色をした葉が天を向き、誠にユニークな装いをしています。その葉の下には、びっしりと実を付けていました。その実は、ほとんどが未だ緑色をしていましたが、少し黄色がかってきたものも散見されました。
葡萄畑の作り方も特徴がありました。日本だと天井に這わせるような葡萄棚が多いようですが、こちらでは柵に這わせるような作り方が大多数でした。この地方では、日本にもたくさん輸入されているキャンティ用の葡萄が多く栽培されているようです。編んだ籠に収まった、ずんぐりしたキャンティは日本円換算で6、700円で売っていました。安いものの、さっぱりとして口当たりが良いライトボディのワインです。少しクラスが上のキャンティ・クラシコはまずまずの味でした。イタリアワインは、フランスワインと同様に、平均して辛口が多いので、私のお気に入りです。
昼食はアッシジで摂りました。寺院のすぐ近くのレストランです。大きな木のテーブルの周りを同じ木のベンチが取り囲んでいました。固いパンとソーセージ、野菜サラダなどがそのテーブルに並びました。白のフルボトルを頼みましたが、他にも赤のフルボトルを頼まれた方がいましたので、交換して飲み比べてみました。ソースのかかったソーセージは、やや軽めの赤ワインの方に良く合いました。
<フィレンチェ、ミケランジェロ広場>
アッシジからフィレンチェまでは約190kmです。今度は半島を北西に向かってひた走りました。
フィレンチェに到着すると、最初にミケランジェロ広場まで車で登りました。此処からですとフィレンチェの街が一望に眺めることができます。丘へ向かう道路に接したところは、高級住宅街になっていました。鬱蒼とした木々に囲まれた中に、十分な年代を経たと思われる建物が散在していました。
岡の上は結構広い広場になっていて、整備も良く行き届いていました。その真中に堂々たるダビテの象が立っていました。この像はレプリカですが、ミケランジェロの傑作の一つなので、この広場のシンボルになっているようでした。
快晴の広場には露天や、写生画を描いては販売しているグループが一角を占めたりしていました。画学生ではない歳に達したと思われる女性の描かれた水彩画が気に入りましたので、2枚買い求めました。1枚千円相当なので、安い買物です。一枚は夕暮れのアルノ川、もう一枚がドゥオモの遠景でした。
<フィレンチェでの夕食>
今晩の夕食はツアーには付いていませんので、Mさんと一緒にレストランを探しました。予め渡辺さんが教えてくれたお勧めの店から選択することとしました。それぞれ地図にも記してあるし、近い距離にあるお店でした。
最初に「北京」の看板のある中国料理店屋、その他にも駅前広場近くの店を覗いてみましたが、余りしっくり来なかったので、中央駅の西側のレストランまで足を伸ばす事にしました。イ・クワットロ・アミーチと言う、覚えにくい名前の店でした。10名ほどの方は、この店を予約されていました。大勢ですと予約が難しいので、毛受さんと自由行動を選んでいました。その店に向かう途中、渡辺さんとすれ違いましたが、頼まれた予約の帰りだったようです。後でお聞きした話ですと、10名余りでも満席だったので、その店の紹介で、姉妹店の方に替えられたようです。
時間が早かったせいか、小さなテーブルは空いていて、OKサインが出ました。早速メニューを見せて貰いました。なんと、日本語でも説明が書いてありました。いつもJT*さんが使われているためなのでしょうか?当方は、イタリア語はぜんぜんだめなものの、片言の英語で意思が通じるお店なので、助かりました。
前菜は注文する前に直ぐに出てきました。メニューの指差しだけでの注文では、味気ないので、ボンゴレ、シーフードリゾット、ワインは最初にハウスワインの白を注文しました。料理もワインも美味しく、少し食べ過ぎのディナーになりました。
アッシジへ向かう高速道にて
朝霧の牧草の丘降り立ちぬ淡き色して新緑のごと
車皆ライト灯してアッシジへ山を越行く朝霧の道
アッシジの教会にて
アッシジの山の上なる教会のオルガン聴て椅子に座すなり
奥深きステンドグラスの正面に向いて流る時は静かに
静なる人の歩はオルガンの通奏低音奏でる如し
オルガンの止みし間に間に説教の静な声はエコーとなりぬ
教会に喪章を着けし人等居てモノフォニーの音天に昇りぬ
縁起絵の所々に崩れ落ち白き煉瓦の素地を見せたり
銀色の葉を空へ向けオリーブの実の色着きし山の斜面に
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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翌朝ホテルの近くに劇場のような建物がありましたので、近寄って撮影しました。朝の内は、濃霧がたちこめていました。
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これもローマのホテル近くでのスナップです。この看板に記載されたような通りの名称で、番地が特定できるようです。
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ローマからアッシジへ向かう高速道路です。山越えでは濃霧で視界が悪くなったりしました。
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休憩に立ち寄ったお土産店で見つけた白粉花(おしろいばな)です。こういった日本でもお馴染みの花に出会いますと、ぐっと親近感を覚えます。
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休憩に立ち寄ったお土産店の電気の引込み柱です。高速道路を横断して低圧引込線が張られていました。低圧といっても、電圧は200Vより高いのかも知れません。
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お土産店のプランターでは、大輪のガーベラやペチュニアも咲いていました。日本でもお馴染みの草花です。
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高速道から写した集落です。起伏の多い畑が続く中、小高い所に集落がありました。何となく、中世を思わせる風景でした。
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右手正面に見えてきたアッシジの聖フランチェスコ教会です。白く勇壮な建物は、知らなければ近代ホテルと間違えそうです。
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アッシジの聖フランチェスコ教会です。ここでバスを降りて、歩くことになりました。イタリアをかなり北上しましたので、少し肌寒くなってきました。
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上院から奥の院を見上げた方向にあった中庭です。芝生に白い壁がよく似合っていました。下院、上院は現地ガイドさんの説明で聞きましたが、「奥の院」は勝手に私が名付けました。
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左前方は、目印を掲げて、ツアーの皆さんを先導する渡辺さんです。境内は、大勢の観光客で賑わっていました。
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上院から、下院を越しての遠景です。のどかな農村風景が展開されていました。
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広場のこの噴水のところに集合する約束で、解散しました。小一時間の自由行動になりました。
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広場から奥の院への道は、古色蒼然とした建物の中を潜るようにして、石畳が続いていました。少しきつい上り坂でした。
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石畳を上り詰めたところにあった案内看板です。上り詰めたところが一般道に接し、車が往来していたので少しがっかりしました。
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門前町のような通路脇のお土産店の店先です。可愛らしい人形類が並べられていました。特産品のピノキオも沢山見かけました。
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アッシジの寺院からバス停まで降りていく途中で撮ったオリーブ畑の写真です。銀色がかった葉の下には、びっしりと実を付けていました。
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バス停に降りていく最後の階段のところで撮ったピラカンサの実です。色着いているのを見ると、朝晩は相当に冷え込んできたのかも知れません。
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下院の入り口付近の光景です。混み合っていて、早々に退出しました。
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下院から上院を見上げたところです。上院へは、右手に伸びる階段を上って行けます。
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上院の入り口付近です。中央に花文様の素晴らしいステンドグラスがありました。縁起絵のような宗教画がありましたが、遠近感の乏しい感じでした。遠近法が発達していない時代の作品かも知れません。
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上院の中庭で聖書を朗読していた修道士さんです。衣装はこの宗派独特のもののようです。素足の姿にも、この宗派の伝統があるようです。
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中庭に展示してあったミニチュアの寺院模型です。どこの寺院かを現地ガイドさんに聞いたような気がしますが、失念しました。
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自由時間の後の、待ち合わせ場所の広場の噴水です。自由時間では、毛受さんと奥の院まで登る事にしました。
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坂道を上り詰めた所にあった高い塔です。修復作業のための足場が組んでありました。
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待ち合わせ場所の広場から、奥の院まではかなりきつい石畳の坂道が続いていました。道の両側の1階には、お土産店が並んでいました。
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上院の宗教を題材にした壁画類は、十分な年代を思わせるものの、稚拙さが目立ちました。しかし、奥の院の絵画は立派な作品が多くありました。これもその一つです。
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石畳の坂道を登りきったところでの記念撮影です。鐘楼のような高い塔がありました。その奥には一般道路があり、更にその奥には建物が見えました。
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隣のテーブルに日本人客が着かれましたので、マスターと一緒に記念撮影です。注文は、片言の英語で十分に通じましたし、日本語メニューもありました。
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頼まなくても前菜が出てきました。他にはシーフードパスタと、メインディッシュはシーフードのリゾットを頼みました。一寸ばかり、量が多過ぎました。
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