2000/10/06 - 2000/10/13
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旅人のくまさんさん
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<2000年10月7日(土)>
ローマのホテルは、郊外のリージェント・ホテルでした。2泊なので、到着した前の晩に荷物を少し整理し、翌朝の市内観光に備えていました。
今日から毎日、前日に約束された時間にモーニングコールの電話が入る事になりましたが、その1時間以上前には起床していましたので、寝過ごしの安心料でした。別々の部屋をとられた毛受さんは、それよりも早く起きだされていましたので、尚更の事でした。
<ホテル付近>
今朝も朝食の時間より1時間以上前に支度ができたましので、ホテル付近を散歩することとしました。毛受さんもご一緒です。ホテルの近辺は、郊外の住宅地といった趣で、閑静な地域でした。
時計では6時台ですが、サマータイムの関係で、実際にはそれより1時間早い時間です。薄暗いといった感じで、途中見かけた露天でも、一杯のライトを灯していました。少し驚いた光景では、歩道上のガソリンスタンドです。幅1m位のスペースに、極めてコンパクトなスタンドが設えてありました。無人で運営されているようです。
個人住宅や、集合住宅でもセキュリティは厳しいらしく、ぴったり閉ざした門の脇には、電子式の呼び出しか開錠装置のようなものが、例外なくセットしてありました。
<バチカン市国>
午前中の市内観光は、最初の目的地がバチカン市国、サン・ピエトロ寺院でした。カソリックの総本山とあって、壮大な規模です。2000年、ミレニアムの行事の最中とあって、人出も多くありました。教会といっても「人混みではスリに気を付けるよう」再度注意を促され、荷物の持ち方にも神経を配りました。
教会へと続く前庭は聖ペテロ広場と呼ばれ、半円形の回廊で囲まれています。解説書では、ベルニーニの傑作とありました。その回廊の上には聖人像が隙間無く並び、更に正面入り口に繋がる直線部分の回廊へと続いています。この広場には30万人を収容できるというので、その規模に驚かされます。
『バルコニーから法王が姿を見せられます』
と、現地ガイドさんから聞きました。そのバルコニーの窓の位置も決まっているようです。現地ガイドさんは、
『今日は、法王がこの寺院に滞在されているようです』
と解説されました。しかし、そんなに簡単に姿を拝見できるはずはありません。寺院の中はナトリウムランプのようなものでライトアップされていて、撮影には
『Vサインを出したり、不謹慎なポーズでなければ、自由です』
と教えて貰いましたので、要所、要所で記念撮影したり、祭壇を写したりしました。
<コロッセオ>
解説書から少し引用します。ベスパシアヌス帝(在位69〜79年)の時に起工し、ティトウス帝の80年に完成したといいます。日本でいえば、ヒミコの時代を更に200年弱遡る事になります。
『その後、幾度かの大地震に見舞われて、昔のままの姿を4階部分までとどめている箇所は僅かです』
この部分は、現地でのガイドさんの説明です。写真にも収めました。有料でしたから、希望者だけが入場しました。その頃は快晴で上着を脱ぎたくなるような陽気でした。まさか、この日、雷雨に合うとは全く予想できませんでした。
紀元1世紀に、これほどの規模の競技場が造られたことは驚きに値しますが、実見して一層その思いが強くなりました。ここで、もう一度解説書を引用します。
『一説によると、7万3千人を収容できた」
とあります。更にその規模を
『外周527m、高さ約50m、楕円形の長径188m、短径156m』
と解説していました。急な階段を2階部分まで登りましたが、その1階分を登るのに骨が折れました。2階から見下ろす中央部分には、通路のようなものが設えてありました。しかし、立ち入る事はできませんでした。その下は地下室部分になっていて、修復か、発掘作業が行われているようでした。
上り口を良く覚えていなかったので、帰りは出口を探すのに、少し苦労しました。
<雷雨>
パスタの店で昼食を摂っているうちに雷雨となり、その内に雷鳴が聞こえるようになりました。地下の店なので、落雷地点までの距離を測ることはできませんが、相当に近い気配がしました。もし、電光を見ることができたら、雷鳴までの時間を計り、1秒当たり300mを掛けてやれば概算できます。5秒であれば、1.5km、10秒であれば3kmといった具合です。ただし、ゴロゴロとハッキリしない音や、10秒を超える場合などは余り正確ではありません。
パスタの店を出る頃が一番激しく雨が降り、雷鳴が鳴り、電光が光っていました。
『30分もすれば小止みになりますよ』
と周りの方には説明しておきましたが、暫く店先で雨宿りしていたものの、三々五々に雨中に飛び出して自由観光の時間になりました。
<市内自由観光>
昼食を摂ったパスタの店先に最後まで残ったのは、金沢から見えた歯医者のご夫妻と私だけになってしまいましたが、大分小止みになりましたので、出かけることにしました。一旦は、毛受さんや渡辺さんとも逸(はぐ)れてしまいました。
しかし、行き先は、免税店のある三越デパートであることが分かっていましたので、あせる事もありませんでした。後でお聞きした事ですが、先に店を出た人たちも、余りの土砂降りに途中で雨宿りをされていたそうです。
バリ島旅行の時にも経験しましたが、雨が降ると傘売りが大勢繰り出してきました。ここでは、インド系の方が多いように見受けました。ミラノでも傘売りを見かけましたので、どうやら天候が変わりやすいのかも知れません。その傘は折り畳み式で、値段も高くはないようでした。お土産代わりに買われた人もいました。私は、リュックには必ず軽い傘を持参する事に決めています。
三越デパートで毛受さん、渡辺さんや他のメンバーの方とも落ち合う事ができました。渡辺さんは逸れた私を探しに戻られたようで、申し訳ないことをしてしまいました。デパートの免税店を覗く前に、渡辺さんに教えてもらった店で両替をしました。毛受さんもご一緒です。その店は、三越のすぐ近くでした。まだ少し雨がぱらついていました。両替店は、結構あちこちにあるようなので、取敢えず2万円だけを両替しました。
<スペイン広場、トレビの泉>
自由行動といっても、まだ渡辺さんに頼っていたようです。スペイン広場で解散してからは、それぞれ本当の自由行動になりました。ただし、その前に一寸したハプニングの前兆がありました。荷物をお土産店に預けてから散策に出かけたためです。
少し遅れたために説明を聞きそびれ、「荷物はホテルに届けてもらえる」と都合よく解釈してしまいました。幸いこのハプニングは、ホテルに戻って気が付き、またまた、渡辺さんにお世話になってしまいました。ホテルからそのお土産店に電話を入れて貰ったら、ぎりぎりセーフで、最後に土産店に戻られたT自動車にお勤めのご夫婦に、ホテルまで荷物を届けて戴けることになりました。最初はタクシーで取りに戻ろうかと毛受さんと相談していたところでした。ただただ、感謝です。
ところで、話は戻ります。スペイン広場を出発してトレビの泉に向かいましたが、結構難しく、中々たどり着けませんでした。適当に方向と距離感だけで向かったためです。市内散策を兼ねていましたので、「見つかればよし、見つからなければそれもよし」といったところもありました。それでも、トレビの泉らしい景色が見えてきた時には、「やった」という感じでした。
結論から言えば、トレビの泉にたどり着いてラッキーでした。単に有名な場所というだけではなく、十分に価値がある彫刻群に眼を奪われました。その時は雨もすっかり上がっていました。
<ディナーショー>
オプションでカンツォーネを聴くディナーショーがありましたので、毛受さんと一緒に申し込みました。
案内してくれたのは母親が日本人という、若い女性の現地ガイドさんでした。一旦戻ったホテルからバスで出かけました。運転手さんは、このガイドさんに一時の休みも無く話しずくめでした。これが、イタリア式の女性に対する普通のサービス精神かと感心しました。早口に聞こえるイタリア語なので、全く内容は分かりません。世間話程度でしょうが、残念ながらゆっくり話されても、全く分かりません。
ディナーショーは階段を下りた地下の店でセットされていました。現地ガイドさんを出迎えてくれた店の人は、親しく挨拶を交わしていました。いつも利用されているために、顔見知りなのでしょう。
その日の客は我々日本人のグループと、アメリカから来たという団体でした。そちらの方が大勢で、既に席に着いていました。細長いテーブルには紅い蝋燭が灯され、準備は整っていました。ワインが飲み放題とあって、金沢から見えた歯医者のご夫婦、名東区の建築事務所を経営されているご夫婦、T自動車のご夫婦等と十分にディナーを堪能する事ができました。フルボトルを1本半か、それ以上飲んだかも知れません。
ショ−はソプラノの方の司会で進められ、皮切りはフニクリフニクラでした。日本では「赤い火を吐くあの山へ登ろう、登ろう」の翻訳歌詞で知られる、あの歌です。その後の曲も「帰れソレントへ」「オーソレミオ」等、日本でもおなじみのイタリア民謡が相次ぎました。
ソリストのそれぞれの方が見せ所を作っていました。中々の実力者揃いとお見受けしました。帰りには自分のCD出版も宣伝されていました。殊に一番若いと思われるテノールの背の高い人は、声量、演技力ともに将来の活躍が期待できる人ではないかと、勝手に素人判断してみました。バリトンの人は、少し声量等で迫力不足に感じました。
ディナーショーの終わりには、アメリカ人グループの女性全員に花束が渡されました。此処でもイタリア人らしい憎い演出を見せられました。しかし、我々のグループの女性達には花束が渡されませんでした。
後で、その理由を聞いてみましたら、「セットの値段の違いです」と、あっさりしていました。いずれにしても、十分に満足のいくディナーショーで、ローマの夜を大いに楽しむ事ができました。
ローマ市内観光の途中にて
古都ローマ尚その下に古き街礎石見せたり赤きその石
気の長き国の民かな警音を発すること無き街の静けさ
バチカン市国において
大戦の終りて過し半世紀イタリアは沸く今ミレニアム
戦に始まり終えるこの世紀神のみぞ知る次の世紀は
昼食を摂ったローマ市内のピザの店にて
イタリアのワインに酔し昼下りピザの店にて雷雨過ぐ待つ
昼食の後のローマ市内自由観光にて
雷雨来て逃惑しも暫は雨宿して時を待つらん
聖職の人は連立ち街角の石の畳は雨に濡れおり
聖職の衣の裾を目で追つそぞろに歩く異国の路なり
トレビの泉にて
雨止みて迷いて着きぬトレビなる泉に立し白き群像
肌白き大理の像の雨に濡れ眼に眩しくも暫し見惚れぬ
スペイン広場近くにて
石畳歩き疲れて珈琲のスペイン広場に近きその店
夜、カンツォーネの店で
日本の母を持たる彼の国の若きガイドは髪を染おり
イタリアの若きガイドに導れディナーの夜の歌に酔けり
カンツォーネ聴つつ異国の夜は更ぬ地下に潜し奥深き店
蝋燭の明りの卓に整列し宴はすすみ炎揺たり
芯少し残るパスタを噛しめてホワイトワイン絡め飲下す
カンツォーネ皮切りの歌火の国をフニクリフニクラ共に歌いぬ
蝋燭の光に写す横顔のディナーの友はアメリカの人
赤き薔薇女性の客に皆渡しイタリア式のショーは終りぬ
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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翌日、毛受さんとホテル付近の早朝散歩を楽しみました。夏時間で行動したせいか、は未だ薄暗かった6時台でした。中央が泊まったリージェントホテルです。
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散歩の途中で見つけた石組みの民家の壁です。旅行のはじめでは、ことに色んなことに興味が湧いてきます。その度にカメラです。
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これは集合住宅入り口のセキュリティシステムです。個人住宅でも多く見かけました。多分、必要不可欠なシステムなのでしょう。
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早朝から開いていた路上の小さな店です。新聞などを売っていました。すぐ横には、小さなガソリンスタンドも開いていました。
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左上の青い看板に緑の文字でスーパーと書かれています。中には入りませんでしたが、スーパーもあるようです。
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泊まったホテル近くにあった別のホテルです。前日、このロータリーでバスがUターンしたので記憶がありました。
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中層階の集合住宅のようです。ガードした敷地の中にヤシ科の植物が茂っていました。
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ホテル近くの住宅です。その1階に三菱の看板がありました。多分三菱電機のことでしょう。看板の店は、電器店のようでした。
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集合住宅の民家のベランダです。ベゴニアなどが飾ってありました。下の階からは蔓草が伸びています。
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これも散歩の途中での撮影です。なんだか怪しげな装飾をした軽自動車を見かけました。落書きはこの国のお得意のことのようです。
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私の旅の友、オールドパーです。名古屋を飛び立つ時に調達しました。一番好きなスコッチウイスキーの1つです。
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ホテルの自室で見たテレビです。日本の漫画アニメをイタリア語で吹き替え放送していました。最初は少し違和感がありました。
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路上でのゴミ回収状況です。リックで大きな収集ボックスを動かしていました。かなり不効率な作業のように見受けました。
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暫くはバスの中からの撮影です。ガラス窓越ですから、鮮明庭写りませんが、ローマ市街の雰囲気だけをお伝えします。
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ホテルの入口付近のようです。バスが斜めに停まって、進路が塞がれてしまいました。こちらの運転手さんは、気にかける風でもありませんでした。
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中層階の年代もののビルが並びます。こちらでは、下町商店街と言った感じでしょうか。中央の茶色の建物には、ペンションの文字があります。
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遺跡のような雰囲気の一角です。しかし、レンガの壁が地階まで続いていますから、比較的新しい建物かも知れません。
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バスから眺めた市街の景色です。どの建物も落ち着いた色でした。派手な看板も見当たりませんでした。
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ローマの古い城壁のようです。走っているバスの中からですから、少しピンボケになりました。
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アーチ型の大きな門が開いた建物です。古い時代の建物の一部が残されたもののようです。
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遺蹟発掘か、単なる工事中の現場なのかは分かりませんでした。ローマ市内のどこを掘っても遺蹟が出てくるのような気がします。
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公園に生えた松の木です。レスピーギの交響詩、「ローマの松」を連想しました。「ローマの噴水」、「ローマの祭」とこの曲を合わせて「ローマ三部作」と呼ばれています。
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一番前の座席に座りましたので、フロントからの写真も撮れました。前方中央にサンピエトロ寺院が見えてきました。
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近くにバスを停めて、ここからは歩いてサン・ピエトロ寺院の見学です。
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前庭を取り囲む長い建物です。その建物の上に並んだ像は、カトリックの聖人達です。
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サンピエトロ寺院の遠景です。ミレニアム行事の準備と最中でした。観光客で混み合っていました。
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同じ場所での記念撮影です。今回ご一緒に旅行をさせて戴いた毛受さんです。「ヨーロッパは各地回ったが、イタリアは初めて」との事でした。
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屋上にずらりと並んだ聖人像に近づいての撮影です。この写真だけでも、普通のレベルの教会ではないことが、容易に窺い知れます。
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ミレニアム行事のために広場を埋め尽くした椅子席です。圧倒的な数に驚かされます。
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屋上の聖人像とは、少し雰囲気が違った像です。台座に「PIVS・??・P・M」の文字が記されていました。
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