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<2000年10月10日(火)><br />  <br /> 素晴らしいフィレンチェの街に未だ未練は残るものの、今日は次の目的地、ベネチアへの移動です。フィレンチェから東寄りの方向へ向かって、更に北上です。ピサの町がリグニア海に面していたのに対し、こちらは同じ地中海に繋がってはいるものの、アドリア海に面しています。フィレンチェからは275キロの距離が有り、途中、他の街に立ち寄る事も無く、一路ベネチアへと向かいました。<br /> <br /><これもイタリア式?><br /> ベネチアでのホテルは、島の方ではなく、ベネチア郊外のメストレ町、「ボローニャ・エ・スタッチオーネ」と言う名でした。ベネチアへの途中なので、先にホテルに荷物を降ろすことになりました。この荷物を下ろす時に一悶着ありました。<br /> ホテルの前でバス2台に挟まれて、バックも前進もできず、乗用車が動けなくなってしまったことに起因します。我々のバスより、後に着けたバスの運転手さんと、この乗用車の持ち主が激しい言い争いになり、怒った乗用車の運転手さんがバスの番号を控えて、会社への抗議する姿勢を見せていました。荷物降しを一時中断し、バスを後退させればよいだけの事ですが、バスの運転手さんは頑として、その素振りも見せませんでした。ホテル前の一般車の駐停車禁止場所かどうか知れませんが、日本人では、中々理解できない双方の言い争いでした。<br /> 実は、帰りの機内で、私自身がこのようなイタリア人の気質に遭遇しました。土産物売りのワゴンで通路を2箇所とも塞ぎ、あと1、2mバックしてもらえれば私は座席に戻れたのに、10分近くそのような状態で待たされました。複数の人が、私が待っているのを分かっていながら、全く気にとめる風はありませんでした。もし、日本人のシュチュワーデスだったら、気が付いた人が、必ずワゴンを脇によけるとか、1、2m程一旦は動かしてくれるとか、何らかのアクションを起こしてくれたはずです。この時のホテルの前での事を思い出しましたので、私も気長く待ちました。ほかにも私と同じように待たれた人がいました。今でも、このイタリア人の論理、行動が良く理解できないでいます。<br /><br /><ベネチア、サンマルコ寺院><br /> 限りなく沈みゆく町ベネチアは、正確には島でなく、アドリア海の内海に浮かぶラグーナ(干潟)がその始まりです。現地ガイドさんにもお聞きしましたが、改めてガイドブックで調べました。「ゲルマン民族の脅威にさらされた本土のアドリア海沿岸の住民が、ラグーナに避難を繰り返していたが、ロンバルト族に追われて、7世紀になって本格的に移住し始めた」と、解説してありました。<br /> その後、「海上技術を駆使して繁栄を誇り、14世紀にはその頂点に達した。しかし、19世紀目前の1797年、ナポレオンの入城によって、約1000年のベネチア共和国の幕を閉じた」と続けられていました。その栄華を誇るような建物群で、今も満たされています。<br /> 桟橋からサンマルコ寺院前の広場までは、海に平行に歩きました。少し距離がありましたが、露店や古い建物群を右手に見ながらなので、市内散策を兼ねてまし。たどり着いたサンマルコ広場には1mほどの高さの桟敷が架けられていました。先に到着された添乗員の方の話の又聞きでは、<br /> 『2日ほど前は、膝の辺りまでサンマルコ広場は満潮に満たされていました』 <br /> と、お聞きしました。桟敷が置いてあった理由が、実感できました。寺院の中の床も濡れていて、海水が浸入した跡が残っていました。所々にはタイルの上に古いカーペットも敷いてありましたが、凸凹になっていて、建物への影響も出ているようでした。<br /> 現地ガイドさんの話によりますと<br /> 『ベネチアの産業振興のために、工場誘致をし、地下水を大量にくみ上げたのが、地盤沈下の原因です』<br /> と、少し悲しそうな表情で説明されていました。最近、古書店で見つけた「沈みゆくベネチア」を日本人写真家が写した豪華本がありました。10年以上前の出版で、定価の半額の値札がついていたものの、2500円ほどだったので、買うのはとりあえずさし控えました。<br /> 地盤沈下は、随分前から心配されているようにも思えるし、急速に工業化が進んだ近年の問題であるのかも知れません。地球温暖化の影響が真っ先に現れる地域である事は疑いありません。<br /> これだけの文化遺産を蓄えた島ですから、イザと言った時の疎開策も検討されているのではないでしょうか。もし、疎開できたとしてもほんの一部に過ぎないでしょうし、建物の大部分や、天井画、壁画の類も大きな困難が横たわっているように思えます。<br /> 島の構造から、オランダのように、堤防で防ぐ事はできないようです。何よりも地球温暖化問題が顕在化してきたら、それどころではない深刻さが予想され、もっと気にかかる事柄です。<br /><br /><ドゥカーレ宮><br /> サンマルコ寺院に隣接しているこの建物は、共和国時代の行政、裁判所などが置かれた権力の中枢部分です。建物自体がゴシック様式の傑作とされていますが、壁画、天井画なども見応えがありました。ティントレット達の大規模な絵画の傑作は、保存状態も申し分ありません。絵画類は写真が撮れないのが残念でした。<br /> 裁判所の見学が終わった後は、そのまま監獄への通路も見る事ができます。その途中で、水路に架かった溜息橋を通る事になります。<br /> ゴンドラでカンツォーネ聞きながらこの運河を回遊するオプショナルツアーを申し込んでいましたが、生憎の雨模様で、おまけに冷え込んできましたので、毛受さんと相談してキャンセルする事にしました。<br /> この件では、またまた渡辺さんにお世話になってしまいました。内緒の話を書いてしまっては渡辺さんに申し訳ありませんので、仕舞っておく事にします。そのお礼は、ミラノの最終日、最後の晩餐でお返しする事にしました。<br /><br /><イカ墨スパゲッティ><br /> 昼食はサンマルコ広場から小路を中に入ったパスタの店でした。イカ墨スパゲッティが名物です。階段を上った2階にセットしてありました。他にも日本人観光客が大勢テーブルについていました。このお店も、どうやらJTBさんの御用達らしいようです。<br /> ここでも当然ながらワインを頼みました。イカ墨スパゲッティと合いそうな、ロゼのワインを選びました。ワインとミネラルウォータはそれ程値段が違いません。この島の物価が高くても、ワインは必需品なので、値段が抑えてあるのではないかと、都合のいいように解釈しました。<br /> そのワインはハーフボトルを更に小さくしたサイズでしたから、お替わりを頼みました。手元のワインブックによりますと、北イタリアのベネチア辺りは「沖積土壌のために、酸味が少なく、軽いタイプのワイン」と解説してありました。海産物が主体と思われるこの地方には、うってつけのワインなのかも知れません。<br /> この店で飲んだロゼワインにはLose di Verona 199 Rosse da table de Veneto とラベルに書いてありました。書き写し間違い等を適当に修正しますと、1999年物のベローナ地方、ベネトの卓上ロゼワインと言ったところでしょうか。所謂、ハウスワインクラスのものをビン詰にしたようなものです。<br /> 少しだけ残念だったのは、スパゲッティが茹ですぎだった事です。イカ墨にも濃淡が甚だしく、味が薄かったと嘆いていた人もありました。その話を聞いて、大勢の観光客に一斉に出すのだから、多少はやむを得ないかと諦めました。 <br /> <br /><ベネチアングラス><br /> 今回の旅行で、買い物はできるだけ抑えましたが、1つだけ買いそびれてしまって後悔しているものがあります。それが、ベネチアングラスです。殊に、赤色をしたワイングラスを買い求めて置けばよかったと悔やんでいます。安物のワインでも、グラスが少しはカバーしてくれるのではないかとも思ってみました。それ程魅力的な赤色をしていましたし、<br /> 『赤色の製品は、輸出には出していません、全部国内販売です』<br /> との店員さんの言葉も気にかかりました。<br /> 今回のツアーで、ベネチアングラスの工房まで見学させて貰いましたが、その時に欲しいと思ったワイングラスがありました。グラスを大理石のようなものに叩いて実演してくれましたが、割れ難い丈夫な性質を持っているようです。その性質は、成形した後に常温で冷却するのではなく、丁寧に冷却炉に入れて焼鈍する事により得られるもののようです。綺麗なだけのベネチアングラスではないことを、この時初めて知りました。<br /> <br /><ベネチアの物価><br /> 海に面したと言うより、海の中の町なので、海産物が特産なのは、容易に理解できます。しかし、物価が特別に高い理由は良く理解できませんでした。観光が主な収入源の町にとって、やむをえない結果だったのか、それとも別な理由なのでしょいうか。<br /> 今年の5月、韓国の離れ小島、鬱陵島(ウルルンド)へ旅行した時、此処も物価が高かった記憶があります。その理由は、現地のタクシー運転主兼ガイドさんの話によりますと、<br /> 『漁業も農業も知れています。観光だけの離れ島ですから、全員の雇用を確保するため、全体に物価が高くなっています』<br /> 『早朝から道路を掃き清めている人が沢山いますが、この人たちの生活費も、もとは観光収入です』<br /> と言った説明でした。ウルルンドほどは孤立していないベネチアは、同じような条件ではないのかも知れませんが、観光を維持するために多くに費用を必要としているのではないかと推測してみました。<br /> 集合まで時間がありましたので、広場に面した喫茶店で、生演奏を聞きながら珈琲を飲みました。割高でしたが、これは場所代だと最初からガイドさんに説明を聞いていました。Mさんにご馳走になりました。 <br /> <br /><br />  フィレンツェからベネチアへ向かう車中にて<br /> 灰色の雲は四海を覆たり東の空に茜雲あり<br /><br />  ベネチアにて<br /> 水上に浮沈をかけて果しなく鬩ぎ合いつつ秋陽落たり <br /><br /> サンマルコ寺院の広場潮満て膝に達するその跡見たり <br /><br /> 喫水の船縁近く迫りたる巨艦に似たりベネチアの街

2000秋、イタリア旅行記(9):10月10日ベネチア

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2000年10月10日(火)>

 素晴らしいフィレンチェの街に未だ未練は残るものの、今日は次の目的地、ベネチアへの移動です。フィレンチェから東寄りの方向へ向かって、更に北上です。ピサの町がリグニア海に面していたのに対し、こちらは同じ地中海に繋がってはいるものの、アドリア海に面しています。フィレンチェからは275キロの距離が有り、途中、他の街に立ち寄る事も無く、一路ベネチアへと向かいました。

<これもイタリア式?>
 ベネチアでのホテルは、島の方ではなく、ベネチア郊外のメストレ町、「ボローニャ・エ・スタッチオーネ」と言う名でした。ベネチアへの途中なので、先にホテルに荷物を降ろすことになりました。この荷物を下ろす時に一悶着ありました。
 ホテルの前でバス2台に挟まれて、バックも前進もできず、乗用車が動けなくなってしまったことに起因します。我々のバスより、後に着けたバスの運転手さんと、この乗用車の持ち主が激しい言い争いになり、怒った乗用車の運転手さんがバスの番号を控えて、会社への抗議する姿勢を見せていました。荷物降しを一時中断し、バスを後退させればよいだけの事ですが、バスの運転手さんは頑として、その素振りも見せませんでした。ホテル前の一般車の駐停車禁止場所かどうか知れませんが、日本人では、中々理解できない双方の言い争いでした。
 実は、帰りの機内で、私自身がこのようなイタリア人の気質に遭遇しました。土産物売りのワゴンで通路を2箇所とも塞ぎ、あと1、2mバックしてもらえれば私は座席に戻れたのに、10分近くそのような状態で待たされました。複数の人が、私が待っているのを分かっていながら、全く気にとめる風はありませんでした。もし、日本人のシュチュワーデスだったら、気が付いた人が、必ずワゴンを脇によけるとか、1、2m程一旦は動かしてくれるとか、何らかのアクションを起こしてくれたはずです。この時のホテルの前での事を思い出しましたので、私も気長く待ちました。ほかにも私と同じように待たれた人がいました。今でも、このイタリア人の論理、行動が良く理解できないでいます。

<ベネチア、サンマルコ寺院>
 限りなく沈みゆく町ベネチアは、正確には島でなく、アドリア海の内海に浮かぶラグーナ(干潟)がその始まりです。現地ガイドさんにもお聞きしましたが、改めてガイドブックで調べました。「ゲルマン民族の脅威にさらされた本土のアドリア海沿岸の住民が、ラグーナに避難を繰り返していたが、ロンバルト族に追われて、7世紀になって本格的に移住し始めた」と、解説してありました。
 その後、「海上技術を駆使して繁栄を誇り、14世紀にはその頂点に達した。しかし、19世紀目前の1797年、ナポレオンの入城によって、約1000年のベネチア共和国の幕を閉じた」と続けられていました。その栄華を誇るような建物群で、今も満たされています。
 桟橋からサンマルコ寺院前の広場までは、海に平行に歩きました。少し距離がありましたが、露店や古い建物群を右手に見ながらなので、市内散策を兼ねてまし。たどり着いたサンマルコ広場には1mほどの高さの桟敷が架けられていました。先に到着された添乗員の方の話の又聞きでは、
 『2日ほど前は、膝の辺りまでサンマルコ広場は満潮に満たされていました』 
 と、お聞きしました。桟敷が置いてあった理由が、実感できました。寺院の中の床も濡れていて、海水が浸入した跡が残っていました。所々にはタイルの上に古いカーペットも敷いてありましたが、凸凹になっていて、建物への影響も出ているようでした。
 現地ガイドさんの話によりますと
 『ベネチアの産業振興のために、工場誘致をし、地下水を大量にくみ上げたのが、地盤沈下の原因です』
 と、少し悲しそうな表情で説明されていました。最近、古書店で見つけた「沈みゆくベネチア」を日本人写真家が写した豪華本がありました。10年以上前の出版で、定価の半額の値札がついていたものの、2500円ほどだったので、買うのはとりあえずさし控えました。
 地盤沈下は、随分前から心配されているようにも思えるし、急速に工業化が進んだ近年の問題であるのかも知れません。地球温暖化の影響が真っ先に現れる地域である事は疑いありません。
 これだけの文化遺産を蓄えた島ですから、イザと言った時の疎開策も検討されているのではないでしょうか。もし、疎開できたとしてもほんの一部に過ぎないでしょうし、建物の大部分や、天井画、壁画の類も大きな困難が横たわっているように思えます。
 島の構造から、オランダのように、堤防で防ぐ事はできないようです。何よりも地球温暖化問題が顕在化してきたら、それどころではない深刻さが予想され、もっと気にかかる事柄です。

<ドゥカーレ宮>
 サンマルコ寺院に隣接しているこの建物は、共和国時代の行政、裁判所などが置かれた権力の中枢部分です。建物自体がゴシック様式の傑作とされていますが、壁画、天井画なども見応えがありました。ティントレット達の大規模な絵画の傑作は、保存状態も申し分ありません。絵画類は写真が撮れないのが残念でした。
 裁判所の見学が終わった後は、そのまま監獄への通路も見る事ができます。その途中で、水路に架かった溜息橋を通る事になります。
 ゴンドラでカンツォーネ聞きながらこの運河を回遊するオプショナルツアーを申し込んでいましたが、生憎の雨模様で、おまけに冷え込んできましたので、毛受さんと相談してキャンセルする事にしました。
 この件では、またまた渡辺さんにお世話になってしまいました。内緒の話を書いてしまっては渡辺さんに申し訳ありませんので、仕舞っておく事にします。そのお礼は、ミラノの最終日、最後の晩餐でお返しする事にしました。

<イカ墨スパゲッティ>
 昼食はサンマルコ広場から小路を中に入ったパスタの店でした。イカ墨スパゲッティが名物です。階段を上った2階にセットしてありました。他にも日本人観光客が大勢テーブルについていました。このお店も、どうやらJTBさんの御用達らしいようです。
 ここでも当然ながらワインを頼みました。イカ墨スパゲッティと合いそうな、ロゼのワインを選びました。ワインとミネラルウォータはそれ程値段が違いません。この島の物価が高くても、ワインは必需品なので、値段が抑えてあるのではないかと、都合のいいように解釈しました。
 そのワインはハーフボトルを更に小さくしたサイズでしたから、お替わりを頼みました。手元のワインブックによりますと、北イタリアのベネチア辺りは「沖積土壌のために、酸味が少なく、軽いタイプのワイン」と解説してありました。海産物が主体と思われるこの地方には、うってつけのワインなのかも知れません。
 この店で飲んだロゼワインにはLose di Verona 199 Rosse da table de Veneto とラベルに書いてありました。書き写し間違い等を適当に修正しますと、1999年物のベローナ地方、ベネトの卓上ロゼワインと言ったところでしょうか。所謂、ハウスワインクラスのものをビン詰にしたようなものです。
 少しだけ残念だったのは、スパゲッティが茹ですぎだった事です。イカ墨にも濃淡が甚だしく、味が薄かったと嘆いていた人もありました。その話を聞いて、大勢の観光客に一斉に出すのだから、多少はやむを得ないかと諦めました。

<ベネチアングラス>
 今回の旅行で、買い物はできるだけ抑えましたが、1つだけ買いそびれてしまって後悔しているものがあります。それが、ベネチアングラスです。殊に、赤色をしたワイングラスを買い求めて置けばよかったと悔やんでいます。安物のワインでも、グラスが少しはカバーしてくれるのではないかとも思ってみました。それ程魅力的な赤色をしていましたし、
 『赤色の製品は、輸出には出していません、全部国内販売です』
 との店員さんの言葉も気にかかりました。
 今回のツアーで、ベネチアングラスの工房まで見学させて貰いましたが、その時に欲しいと思ったワイングラスがありました。グラスを大理石のようなものに叩いて実演してくれましたが、割れ難い丈夫な性質を持っているようです。その性質は、成形した後に常温で冷却するのではなく、丁寧に冷却炉に入れて焼鈍する事により得られるもののようです。綺麗なだけのベネチアングラスではないことを、この時初めて知りました。

<ベネチアの物価>
 海に面したと言うより、海の中の町なので、海産物が特産なのは、容易に理解できます。しかし、物価が特別に高い理由は良く理解できませんでした。観光が主な収入源の町にとって、やむをえない結果だったのか、それとも別な理由なのでしょいうか。
 今年の5月、韓国の離れ小島、鬱陵島(ウルルンド)へ旅行した時、此処も物価が高かった記憶があります。その理由は、現地のタクシー運転主兼ガイドさんの話によりますと、
 『漁業も農業も知れています。観光だけの離れ島ですから、全員の雇用を確保するため、全体に物価が高くなっています』
 『早朝から道路を掃き清めている人が沢山いますが、この人たちの生活費も、もとは観光収入です』
 と言った説明でした。ウルルンドほどは孤立していないベネチアは、同じような条件ではないのかも知れませんが、観光を維持するために多くに費用を必要としているのではないかと推測してみました。
 集合まで時間がありましたので、広場に面した喫茶店で、生演奏を聞きながら珈琲を飲みました。割高でしたが、これは場所代だと最初からガイドさんに説明を聞いていました。Mさんにご馳走になりました。 


  フィレンツェからベネチアへ向かう車中にて
 灰色の雲は四海を覆たり東の空に茜雲あり

  ベネチアにて
 水上に浮沈をかけて果しなく鬩ぎ合いつつ秋陽落たり

 サンマルコ寺院の広場潮満て膝に達するその跡見たり

 喫水の船縁近く迫りたる巨艦に似たりベネチアの街

同行者
その他
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 暫くフェリーで進むと、やっとベネチアの町が見えてきました。水平線に少しだけ陸が顔を出していました。巨艦と言った感じです。

    暫くフェリーで進むと、やっとベネチアの町が見えてきました。水平線に少しだけ陸が顔を出していました。巨艦と言った感じです。

  • フェリーから眺めたベネチアの街です。上陸が間近かになりました。中世にはヴェネツィア共和国の首都として盛えた都市です。英語読みがベニスです。

    フェリーから眺めたベネチアの街です。上陸が間近かになりました。中世にはヴェネツィア共和国の首都として盛えた都市です。英語読みがベニスです。

  • 遠くに見えた建物が、段々と大きく見えてきました。沈み行く都市が実感できるような光景です。

    遠くに見えた建物が、段々と大きく見えてきました。沈み行く都市が実感できるような光景です。

  • 桟橋には、多くの木の杭が立っていました。天候が思わしくなく、かなり冷え込んできました。

    桟橋には、多くの木の杭が立っていました。天候が思わしくなく、かなり冷え込んできました。

  • 島に上陸して、早速の記念撮影です。残念ながら天候は更に下り坂になりました。綺麗な写真は、なかなか撮れません。

    島に上陸して、早速の記念撮影です。残念ながら天候は更に下り坂になりました。綺麗な写真は、なかなか撮れません。

  • 私も港をバックに、毛受さんに撮って貰いました。逆光なのが、丁度都合がいいようです。

    私も港をバックに、毛受さんに撮って貰いました。逆光なのが、丁度都合がいいようです。

  • 波止場からサンマルコ寺院へは歩いての移動です。ゴンドラは交通手段として使われていますが、車は不要のようです。

    波止場からサンマルコ寺院へは歩いての移動です。ゴンドラは交通手段として使われていますが、車は不要のようです。

  • 露天の店の周りは沢山の花で飾られていました。写真でメニューを紹介しているのは、各国からの観光客が多いせいでしょう。

    露天の店の周りは沢山の花で飾られていました。写真でメニューを紹介しているのは、各国からの観光客が多いせいでしょう。

  • 帰りの集合場所の目印になったブロンズ像です。サンマルコ広場の南端、海には近いものの、桟橋までは少し距離があります。

    帰りの集合場所の目印になったブロンズ像です。サンマルコ広場の南端、海には近いものの、桟橋までは少し距離があります。

  • ベニスの町並みです。島の中にもヨーロピアンスタイルの宿があるようです。「アドリア海の女王」、「水の都」あるいは「アドリア海の真珠」等と呼ばれた栄光の都市です。

    ベニスの町並みです。島の中にもヨーロピアンスタイルの宿があるようです。「アドリア海の女王」、「水の都」あるいは「アドリア海の真珠」等と呼ばれた栄光の都市です。

  • 町でのスナップです。手前が現地ガイドさん、マイク持参です。よその団体の現地ガイドさんだったかも知れません。何かと混み合ってきました。

    町でのスナップです。手前が現地ガイドさん、マイク持参です。よその団体の現地ガイドさんだったかも知れません。何かと混み合ってきました。

  • 立派な建築だらけで、それぞれに見とれていては、先に進めなくなります。その街も、やがて水没の運命にあるようです。

    立派な建築だらけで、それぞれに見とれていては、先に進めなくなります。その街も、やがて水没の運命にあるようです。

  • サンマルコ広場は、2日ほど前、膝まで浸水したそうです。その時のために、高さ1m程の桟敷が広場にセットしてありました。

    サンマルコ広場は、2日ほど前、膝まで浸水したそうです。その時のために、高さ1m程の桟敷が広場にセットしてありました。

  • 寺院の入口のアーチ部分に描かれた宗教画です。金箔を散りばめ、かつての栄光を偲ばせる豪華な作りです。

    寺院の入口のアーチ部分に描かれた宗教画です。金箔を散りばめ、かつての栄光を偲ばせる豪華な作りです。

  • 鳩使いのオネエサンです。餌を貰えそうな人の周りに鳩が集まってきました。

    鳩使いのオネエサンです。餌を貰えそうな人の周りに鳩が集まってきました。

  • この建物もまた、尖塔だらけです。ステンドグラスのようなものも見えていますので、教会なのでしょう。後ろのドームはサンマルコ寺院なので、その続きかもしれません。

    この建物もまた、尖塔だらけです。ステンドグラスのようなものも見えていますので、教会なのでしょう。後ろのドームはサンマルコ寺院なので、その続きかもしれません。

  • 右手の建物の様式は、ロマネスク風なのでしょうか、建築様式に疎いので、良く分かりません。とにかく、街中が、歴史的建造物の集まりといった趣でした。

    右手の建物の様式は、ロマネスク風なのでしょうか、建築様式に疎いので、良く分かりません。とにかく、街中が、歴史的建造物の集まりといった趣でした。

  • アーチ型の入口のアップと、その傍らにあった彫刻です。棍棒みたいなものを振りかざした、髭が生えた人物像です。

    アーチ型の入口のアップと、その傍らにあった彫刻です。棍棒みたいなものを振りかざした、髭が生えた人物像です。

  • 見事な天井部分の装飾です。幾何学模様と、蔓草をデフォルメしたような文様が組み合わさっているようです。

    見事な天井部分の装飾です。幾何学模様と、蔓草をデフォルメしたような文様が組み合わさっているようです。

  • 自由時間の時に撮った写真です。ドゥカレ宮の正面の階段です。現地ガイドさんの案内で見た絵画類は、本当に素晴らしものばかりでした。

    自由時間の時に撮った写真です。ドゥカレ宮の正面の階段です。現地ガイドさんの案内で見た絵画類は、本当に素晴らしものばかりでした。

  • こんどは毛受サンに階段ォ中央に立っていただいての記念撮影です。ついでに両脇の女性の方も撮ってしまいました。

    こんどは毛受サンに階段ォ中央に立っていただいての記念撮影です。ついでに両脇の女性の方も撮ってしまいました。

  • この鮮やかな彩色の入り口の装飾は、サンマルコ寺院です。自由時間になってから、改めて撮影しました。

    この鮮やかな彩色の入り口の装飾は、サンマルコ寺院です。自由時間になってから、改めて撮影しました。

  • 別の入口の上の装飾絵です。中央の人がキリストのようです。斜めからの撮影になってしましました。

    別の入口の上の装飾絵です。中央の人がキリストのようです。斜めからの撮影になってしましました。

  • ゴンドラはこの橋の下を潜って行きます。予約していましたが、生憎の天気なので、風邪が心配で、乗船を見合わせました。<br /><br />

    ゴンドラはこの橋の下を潜って行きます。予約していましたが、生憎の天気なので、風邪が心配で、乗船を見合わせました。

  • ベネチアングラスの工場見学です。ガラス製品の製作実演も見せて頂きました。鉄棒の先に熱されたガラスの塊があります。

    ベネチアングラスの工場見学です。ガラス製品の製作実演も見せて頂きました。鉄棒の先に熱されたガラスの塊があります。

  • 床のタイルの張り方が面白くてカメラが向きました。大きさが違う3種類のタイルが、好き勝手な方角に敷き詰められていました。

    床のタイルの張り方が面白くてカメラが向きました。大きさが違う3種類のタイルが、好き勝手な方角に敷き詰められていました。

  • ベネチアングラスの説明に聞き入る女性の皆さんの目つきは真剣そのものです。確かに素晴らしいガラス細工であり、本当のところ、私もワイングラスには心惹かれました。

    ベネチアングラスの説明に聞き入る女性の皆さんの目つきは真剣そのものです。確かに素晴らしいガラス細工であり、本当のところ、私もワイングラスには心惹かれました。

  • 待ち合わせ時間に少し余裕がありましたので、広場に面した喫茶店で珈琲を飲みました。その喫茶店で寛がれる毛受さんです。

    待ち合わせ時間に少し余裕がありましたので、広場に面した喫茶店で珈琲を飲みました。その喫茶店で寛がれる毛受さんです。

  • 外が寒くなっていましたので、暖かいコーヒーが何よりでした。値段は高いですが、弦楽の生演奏付でした。いい雰囲気のお店です。

    外が寒くなっていましたので、暖かいコーヒーが何よりでした。値段は高いですが、弦楽の生演奏付でした。いい雰囲気のお店です。

  • ヴェネチアの見学を終って、フェリーで出発した波止場まで戻ってきました。そこから宿泊のホテルまでは、いつものバスでの移動です。すっかり日が暮れました。

    ヴェネチアの見学を終って、フェリーで出発した波止場まで戻ってきました。そこから宿泊のホテルまでは、いつものバスでの移動です。すっかり日が暮れました。

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