1982/04 - 1989/05
15213位(同エリア23030件中)
唐辛子婆さん
4月のソンクラン(水かけ祭り)とならぶタイの2大祭りロイカトン。
11月(陰暦12月)の満月の夜、蓮の花びらをかたどったカトン灯にローソクとお線香とコインを乗せて川に流します。水の精霊に感謝を捧げたり、罪や汚れを水に流して魂を清めるのだそうです。
地方ではミス・ロイカトンがパレードしたり人が乗れるほど大きいカトンに電飾ピカピカ。花火も打ち上げられるそうです。中でも古都スコータイのお祭りはたくさんのカトンが池に浮かべられてため息がでるほどきれいだそうでホテルや良い見物席は半年前から予約でいっぱいとか。
はじめての年は何も知らなかったので
薦められるままオリエンタル・ホテルのディナークルーズにしてみました。
ところがチャオプラヤ河は広くて大きくて川面を渡る風が強いのです。
舟からカトンを浮かべてもすぐにローソクの灯が消えたり岸辺の方まで流されちゃったりで幻想的な雰囲気なんてほとんど味わえないうちに終わってしまいました。
むしろ田舎の小さい小川や運河で流した方がゆっくり楽しめるそうです。でも小さい子供連れで夜に川に行くのもなんだか危なさそうなので2年目からはアパートのプールサイドでロイカトン・パーティを楽しみました。
★Thailand 古き良きおもひで 15編のサイトマップ & More
http://4travel.jp/traveler/tougarashibaba/album/10424847/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
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-
昔はみんなバナナの葉を折りたたんで作っていたらしいです。
表紙の写真にひとつ緑色のが写ってますね。でもシブい自然素材が好きな唐辛子婆もこればかりはクレープペーパーに軍配をあげます。あかりが花びらから透けてみえてと~っても幻想的だから。 -
花火を怖がって
-
泣いちゃった。
さてこんなちっちゃかった娘も日本人学校に入るまでに成長し私たちはソイ・トンロー(小路番号55)に引っ越しました。日本人学校は郊外にあり前のアパートはスクールバスのルートの関係で通学に1時間以上かかるのです。郊外と言ってもそれほどの遠さではないけれどもなにせ交通渋滞がひどいので。
治安と管理が良く小規模で清潔なプール付きを探すうちソイ・トンローのアパート数件のマネジメントをしているソムチットと知り合いました。
彼女の発言の過激なことと言ったら!
「ホントは日本人には貸したくない。日本人は揚げ物をするからキッチンが油脂汚れする。メイドに甘いから掃除が行き届かない。」
こ・こんな差別を受けやうとは!
確かに欧米人はオブンを使う料理が多いので油煙が上がりにくいし、メイドにも厳しい。タイ人はもっと厳しくて「一時帰国する時に日本人はメイドにも里帰りさせたりして超甘!タイ人だったら普段できない大掃除とかをやらせて決して怠けさせたりしない。」
そしてある日我が家を突如訪問してうちの中をジロジロ眺めたんですよ、暮らしぶりチェックに!幸いなことに私はシンプルな暮らしでキッチンも油汚れしてなかったので合格!
それからはソムチットが信頼してくれて引っ越しの契約はトントン進み家の修理なども手早くしてくれました。彼女の大工のこき使いようがすごい。金切り声をあげて自分も一緒に金づちをふるうのです。 -
引っ越した先のアパートには日本人のほかフィンランド人、ハンガリー人、ミャンマー人などの子供がいてロイカトンの時はみんなで一緒にカトンを作りました。
カトンは出来合いも売ってますが作成キットもそれに劣らずたくさんの種類があります。発砲スチロールの円形の台に蓮の花びらの形をしたクレープペーパーを貼りつけていきます。花びらを派手に開かせたり全部内側に閉じさせたり色をかえたり腕とセンスの見せどころです。 -
日本人の子は浴衣を着てみんなで線香花火を楽しんでから
-
いよいよローソクに灯をともします。赤いアヒルもいます。
-
風が吹くとカトンが傾いた拍子に花びらにろうそくの灯が燃え移って炎上することも。
-
ミャンマー人のMちゃんは娘を妹のようにかわいがってくれて
-
小さくなった民族衣装をくれました。
-
このアパートには週1回タイ人の水泳の先生がやってきました。
子供全員が習っていたんですけどそのスパルタぶりったら!
それぞれの練習が終わると子供たちはクタクタなのにいつも競泳っ!
プールサイドのママたちは否が応でも熱狂っ!
ゴールに着くと先生が「はいお口あ~ん」氷砂糖を放り込む。
まるで水族館のアザラシか何かのようでした^^。 -
ハロウィン
欲張って買い物かごいっぱいにキャンディをもらう魂胆の娘。 -
ルンピニ公園で。
この写真を撮った頃はまだ小さかったのでどこに行くのも連れて行っていましたけど娘が日本人小学校に入って自由時間ができてから私はほっつき歩きに邁進しました。
スクムビット通りからオリエンタルホテルのあるニューロードまで歩いて行ったこともあります。暑いのでさすがに疲れてルンピニ公園のベンチに座って昼寝しました。
帰宅して夫に報告したら「ベンチで寝るのだけはしてくれるなよ。」
帰りは疲れてトゥクトゥクに乗りました。バスよりも早いからです。
でも結構なスピードでカーブを曲がるので手すりに必死で捕まっていなければならずさすがの私も二度としないと思います。
カーブで放り出された日本人の主婦もいたと聞きました。 -
デンマーク人のピアノの先生。
彼が帰国後ブルガリア人のおばあちゃん先生が跡を継いでくれました。
当時娘はクレイダーマンが大好きでした。
クレイダーマンがバンコクに来ることになった時、私たちはそれを内緒にしていました。ホテルでのディナーショウはそれなりのお値段でしたし何よりも小1の子供連れで行く人はいないだろうと思って。そうしたら日本人学校の担任の先生が「行ってきたよ。よかった~!」
帰宅してからの娘の怒り様ったら^^。 -
そうそう、2歳になってすぐに入った幼稚園は何の事情だったか忘れましたけど日本人のみんなが辞めることになりほかの子は日本語の私立幼稚園、娘は英語のトゥインクルスター幼稚園へと転園しました。
(日本人学校付属幼稚園に入る前のことです)
いずれ日本人学校のない都市に赴任することもありそうなので英語を身につけさせておきたかったのです。 -
前の幼稚園では園長先生が日本語も英語も話せて、どの先生もわからなければゆっくりと繰り返しとってもやさしく接してくれましたがこの幼稚園は違ってました。
担任のマリア先生は容赦なくマシンガンのやうにしゃべる。
そして「ぶたれた~!」と泣いて言いつけたら「誰にぶたれたの?その子をぶん殴り返しておいでっ!」
このスパルタの方針には理由がありました。
この幼稚園に入った子は「ISB(インターナショナルスクールオブバンコク)を目指します。当時バンコクで自前の学校を持っていたのは日本、フランスなどごくごく限られた国だけでした。それで外国人のほとんどの子供はISBに入るしかないのです。そしてなんといっても英米豪ネイティブに立ち向かうにはマシンガン並みの英会話力が必要です。英語と強靭な精神が必須! -
前の幼稚園で英語クラスに入っていたので簡単な言葉はわかるにしても
はじめのうちは「今日は何したの?」のアンサーが「おやつ食べた。」ばっかりでした。
そのうちに「ママ〇〇ってどういう意味?」と聞いてくるようになり。
でもそれが動詞なのか名詞なのか判断できないのでどういう場面で使われたか根掘り葉掘り聞きだすのがひと仕事!
本人も大変だったと思うのに一度も行きたくないといったことはなく卒園するころには絵本も読めるようになっていました。 -
お別れの日は民族衣装(浴衣)でご挨拶。
-
日本人学校に入ったら英語を忘れてしまうのは困るのでJ先生に家庭教師をお願いしました。
ウェールズ人に習っていると言ったらほかの英国人がびっくりして
「え~~~っ!やめといたほうがいいんじゃない?こんなカンジで喋るでしょ?(・・・確かに)訛りついちゃうよ~~!」
でもそれまでにいろんな国の人の訛りを聞いていたので気にしないことにしました。英語には違いないんだし世界中の人がアナウンサーみたいな話し方をしているわけではない。
それよりも誠実で適切な教え方の方が重要です。娘に教えているうちに日本語には単数複数の区別がないと知ってその部分を気をつけて教えてくれたり。アイルランドの素朴なホタテ貝売りの歌を教えてくれたり。 -
J先生が紹介してくれたスコットランド人の先生。
マッチ箱でキッチンやタンスやこまごまとおままごとセットを作って遊びながら教えてくれました。先生が一時帰国中はシンガポール人の学生を紹介してくれて娘の英語の勉強は続けることができました。
そのシンガポール人の男の子は娘にラジオのコマーシャルの仕事を持ってきてくれました。
「国際電話が簡単にかけられるようになって外国にいるパパとおしゃべりできてうれしい!」という内容です。放送局での収録はセリフ棒読みから感情こめて言えるようになるまでに時間がかかりましたけど娘は私が驚くほど辛抱強く繰り返してました。 -
ギャラをいっぱいもらえたので次の日銀行に娘の口座を作りに行きました。
-
7年の滞在を終えてインドネシアに転勤することになりアパートの人たちが思い出深いプールサイドでお別れパーティを開いてくれました。
右端のフィンランド人の女性は長いこと微笑みの国タイに住んでいたので自分にも微笑みが身についていたのですが一時帰国した時に健康診断でドクターに会った時にニコっとしたら「えっ?自分の顔に何かついてるのかな?」という顔をされたんですって。
「フィンランド人は知らない人にニコっとなんてしないのよ。」 -
やっとのことで引っ越しの船便を発送した後メイドの「オンちゃん」の家にも行きました。
オンちゃん一家はお母さんのイットさん、娘のオンちゃんと夫と男の子の4人家族です。イットさんはイサーン(東北の農村部)出身で道端おかず売りをしてたのですが日本人家庭に雇われ日本語も覚えて優秀なメイドさんになりました。
オンちゃんが結婚して出産することになった時イットさんはまだ現役のメイドでした。それで一家はイサーンで農業をしていたイットさんの姉にバンコクに出てきてもらいました。イットさんそっくりの住み込みの家政婦!
その赤ちゃんもこんなに大きくなり幼稚園に入ってイットさんも現役を引退していました。お別れの品をあげると涙をボロボロこぼしてすっかりおばあちゃんになっちゃって。現役時代のしゃきっとした姿しか知らなかったのでちょっとショックでした。 -
40年前のバンコクは現在の日本と違ってすでに女性の社会進出率が90%以上でした。高学歴の女性がばんばん高い地位で働いている。現在でも日本で銀行の支店長が女性なの何人いるでせうか?
仕事をしてない女性は「よっぽど体か頭が弱いのよ。」と言われていました。日本人と結婚したタイ女性がこぼしていましたよ。夫が働かせてくれないから仕方なく主婦だけしているけど大学時代の友人からは「大学出たのにアヤさん(メイド)してるの~?」と言われるんですって。
女性がこんなに気楽に働けるのは朝昼晩のご飯を買って食べることができるから。朝は屋台でおかゆとか食べて出勤したらオフィスのそばの屋台でランチ食べて家のそばで夕ご飯買って帰る。
キッチンのない家庭も多いので油で汚れたキッチンの掃除も必要ない。就学前の子供は祖父母が面倒みるのが当たり前。
でもね、全員が働くことのひずみもあったやうな。
例えば結婚しているメイドさんは月一回お休みをもらって避妊の注射を打ちに行く。日本ではまだ許可されてない強い薬だったのではないかしら?
それに三食買って食べるには朝暗いうちからとか夜遅くなってからも屋台の仕込みをする人たちがいたるところにいるっていうことですよね。で、その人たちが栄養や農薬残留度を吟味しているかというと・・・。おいしければ売れる。安ければ売れる。バンコク料理は脂っこくて糖分が多い(ので太りやすい)。屋台のから揚げのバッタを食べて亡くなった人がいるのです。残留農薬のおかげで。
それでも全食買い食い生活が非難されない生活は羨ましい。
日本では朝ごはん作ってこそ母親、お弁当作ってこそ母親。ポテトサラダ作ってこそ母親!←まったくねえ、作りたい人だけ作ればいいんじゃないの?
唐辛子婆は女性全員が働かなくちゃいけないと思っているわけではありませんが働く女性の負担がもう少し少なくなるといいなと思います。
孫の通っていたモスクワの幼稚園は朝昼夕の食事(おやつも)つきでしたよ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 目黒警部さん 2006/05/09 06:35:48
- ローイ クラトン
- 唐辛子婆さん おはようございます。
20年以上前のタイの写真楽しませていただいています。
ローイ クラトンの日、恋人達は2人で河へクラトンを流しに行くそうですが、ロマンチックな夜を楽しんでいますね。
日本でも京都で灯篭流しをしていますが、イベントになっているような気がします。
タイでもスコータイとかバンコクではイベント化しているようですが、田舎ではまだまだ風情のあるローイクラトンの夜が見れそうです。
私はこの日のイベントの、ミスコンの方が興味ります(笑)
変り種では、未亡人のミスコンなんても、あるようです。
- 唐辛子婆さん からの返信 2006/05/10 21:58:05
- RE: ローイ クラトン
- 目黒警部さん、こんばんは、
さすがタイ語がお読みになれる警部、ローイ・クラトンですね。
私もどちらにしようかと迷ってほかの方のサイトをみてみたらロイカトンのほうが多かったのでした。
ローイ・クラトンのページみてくださってありがとうございます。
夫がリタイヤしたら田舎の川で心ゆくまで楽しみたいと思っています。
ところで目黒警部さんもいずれまた何箇所かを時間をかけて移動したい、というようなことをどこかで書いていらっしゃいましたね。そして一番お好きなのはナコンパノムだとか。
私はメコン河方面は不案内で、ノンカイとナコンパノムの区別もつかないんですが・・・。何が目黒警部さんをそんなにひきつけるのでしょう?
〜唐辛子婆〜
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