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魅々さんのクチコミ(7ページ)全380件

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  • 「竹橋」の名前の由来は、初めは竹で編んだ橋が架かっていたからと伝えられています。

    投稿日 2013年07月21日

    竹橋 神田・神保町

    総合評価:4.0

    竹橋の名前の由来は、初めは竹で編んだ橋が架かっていたからと伝えられています。

    江戸時代には、江戸城の竹橋御門がありましたが、すでに撤去されています。

    現在の橋は、平成5年(1993)3月に補修されました。長さ51.05m、幅22.8mのコンクリ−ト橋です。

    二二六事件の写真にこの橋が写っています。




    旅行時期
    2013年07月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    4.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 江戸時代には、この橋の前に江戸城の外郭門が築造され、「一橋御門」と命名されていました。

    投稿日 2013年07月20日

    一ツ橋 神田・神保町

    総合評価:3.0

    白山通りのお濠の手前、日本橋川に架かる橋です。橋の上には首都高速道路が走っています。

    この橋の名前は、この付近の町名の由来にもなっています。

    江戸時代初期の1606年(慶長11年)以降、この橋の前に江戸城の外郭門が築造され、「一橋御門」と命名されていました。

    8代将軍徳川吉宗は、子の宗尹に一橋門内に屋敷を与えて一橋家を創設、のち御三卿の一つに数えられました。


    江戸幕府終焉後の1873年(明治6年)になって一橋御門は撤去されました。

    旅行時期
    2013年07月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 共立女子学園の講堂で、白山通りを挟んで、学士会館の向かい側にあり、歴史の重みを感じる風格のある建物です。

    投稿日 2013年07月20日

    共立講堂 神田・神保町

    総合評価:4.0

    共立講堂は共立女子学園の講堂で、白山通りを挟んで、学士会館の向かい側にあります。
    歴史の重みを感じる風格のある建物です。

    共立学園は、1886年(明治19年)女子に専門職を授けその経済的自立を図るために、共立女子職業学校として設立されました。
    現在、女子中学・高校、女子短大、女子大があり、知名度の高い伝統的な女子の学校です。

    数年前に、NHKの3年がかりの歳末ドラマで「坂の上の雲」がありました。
    このドラマで、菅野美穂さんが演じた正岡子規の妹の正岡律さんは、兄の子規が亡くなると家督を相続し、翌年に共立女子職業学校に入学、卒業後は母校の事務員を経て和裁の教師となられました。



    旅行時期
    2013年07月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 東京外国語大学と一橋大学は、もとは一つであってここにありました!!

    投稿日 2013年07月20日

    東京外国語学校発祥の地 神田・神保町

    総合評価:3.0

    如水会館のと隣りは「学術総合センター」になっていて、この敷地に「東京外国語学校発祥の地」の石碑があります。

    石碑には「東京外国語大学の起源は安政1(1857)年に創設された蕃書調所までさかのぼるが、直接の前身である東京外国語学校が開設されたのは明治6(1873)年この地においてであった」と書かれていました。

    一方、一橋大学は、1875年東京銀座尾張町に商法講習所を開設されたから始まり、1884年 農商務省の直轄となり、東京商業学校に改称されました。
    その後、1885年 文部省の直轄となり、東京外国語学校と合併してこの記念碑のある神田一ツ橋に移転してきました。

    東京外国語大学と一橋大学の源流は一つであって、ここにあったようです。

    旅行時期
    2013年07月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 京都にある同志社を設立された新嶋襄先生が天保14年お生まれになった地です。

    投稿日 2013年07月20日

    新島襄誕生地跡 神田・神保町

    総合評価:4.0

    学士会館の横に、「新島襄先生生誕記念の碑」とその説明板があります。

    新嶋襄先生は、京都にキリスト教精神にも基づく同志社を建てたれた大先生です。

    というより、今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公の八重さんの将来の旦那さんになる方で、八重さんとの出会いがいつになるか、心待ちにしています。

    石碑には「天保十四年一月十四日 新嶋襄先生生誕之地」と書かれています。
    この石碑は新嶋襄先生生誕百年を記念して建てられました。

    石碑の横の説明板は、同志社創立九十周年を記念して作られたもので、新嶋襄先生は1841年(天保14年)上州安中藩主板倉伊予の守の江戸藩邸に誕生せられたと書かれ、函館から脱国してアメリカにわたり、1874年(明治7年)に帰国し、京都にキリスト教系の同志社を設立された過程が書かれたいます。

    旅行時期
    2013年07月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • わが国で、明治10年(1877年)最初に大学が作られた場所です。

    投稿日 2013年07月20日

    我が国の大学発祥地(東京大学発祥の地) 神田・神保町

    総合評価:3.0

    学士会館の玄関脇に、「東京大学発祥の地」と彫られた石碑があります。

    石碑の横に大きな説明板があって、この地に明治10年(1877年)に東京大学が創立され時から、明治18年(1885年)本郷に至るまでにいきさつや、その後、東京大学が帝国大学になる過程、他の京都帝国大学などできてゆく様子、さらに学士会の結成などが詳しく書かれていました。

    詳しくは、写真を拡大してご覧ください。

    旅行時期
    2013年07月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 東京大学発祥の地に建てられている国立七大学の同窓会館で、国の登録有形文化財です。

    投稿日 2013年07月20日

    学士会館 神田・神保町

    総合評価:4.0

    現在の「学士会館」の建物は関東大震災後、昭和3年(1928年)に建てられたものです。
    学士会事務局以外に現在、会議室、結婚披露宴会場、ホテル、レストランなどとして利用されています。
    学士会とは、旧7帝国大学や現在の国立7大学の同窓生の会です。

    玄関の半円大アーチや、スクラッチタイル張りの外観、窓のデザインなど、なかなか趣がありますね。
    設計は東京駅の構造設計などを担当した佐野利器さんと帝国ホテルの設計を担当した高橋貞太郎さんです。
    平成15年に国の登録有形文化財に登録されました。

    学士会館の玄関脇に、写真の「東京大学発祥の地」と彫られた石碑があります。

    また、学士会館の横に、「新島襄先生生誕記念の碑」とその説明板もあります。




    旅行時期
    2013年07月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    5.0

  • お濠に枝が垂れ下がった桜並木が続き、桜のシーズンには多くの人で、賑わいます。

    投稿日 2013年06月19日

    千鳥ケ淵緑道 市ヶ谷

    総合評価:5.0

    千鳥ヶ淵緑道は、靖国神社」の」近くの「九段坂公園」から、千鳥ヶ淵の西側に沿って、半蔵門の「千鳥ヶ淵公園」まで、延びています。

    沿道には、千鳥ヶ淵戦没者墓苑、英国大使館などもあります。

    お濠に枝が垂れ下がった桜並木が続き、桜のシーズンには多くの人で、賑わいます。

    旅行時期
    2013年06月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 九段坂は江戸時代、坂の多い江戸の中でも、坂が霞んで見える程長かったようです。

    投稿日 2013年06月19日

    九段坂 神田・神保町

    総合評価:4.0

    写真は、九段坂公園にあった大きな金属プレートの拡大です。

    江戸時代の「飯田町 中坂 九段坂」の図です。

    説明文には

    「坂の多い東京の中でも、九段の坂は霞んで見える程長かった」というかつての九段坂は、また現在とは比較にならぬほど勾配がきつかったという。

    関東大震災後、坂の頂上を市ヶ谷寄りに移して傾斜をゆるくする工事が行われ、市電(都電)が坂の中央に設置された。

    現在は、靖国通りの一部として車の往来が激しい。

    ・・・・・

    と書いてありました。


    旅行時期
    2013年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 高燈篭の灯は、品川沖の船ばかりではなく、遠く房総からも望見されたといいます。

    投稿日 2013年06月19日

    高燈篭 市ヶ谷

    総合評価:4.0

    高燈篭は、靖国神社の近くの「九段坂公園」にあります。

    公園の案内プレートには

    「・・・・・・
    坂下の田安門近くには、常燈明台(正式には高燈籠)という燈台がある。

    かつては坂上の靖国神社前にあった燈台の灯は、品川沖の船ばかりではなく、遠く房総からも望見されたという。」

    と書かれていました。

    旅行時期
    2013年06月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 戊辰戦争の時に、新政府軍が歌った「トコトンヤレ節」(「宮さん宮さん・・・・」)は、彼の作詞といわれています。

    投稿日 2013年06月19日

    品川弥二郎像 市ヶ谷

    総合評価:3.0

    「品川弥二郎像」は、九段坂公園にある二つの銅像の一つです。もう一つはもう一つはです。

    台座には横書きで右から「子爵品川彌二郎卿像」と書かれています。

    長州藩出身の方で、討幕に参加した後、新政府では軍人としてではなく、政治に活躍されたようです。

    戊辰戦争の際、新政府軍が歌った「トコトンヤレ節」(「宮さん宮さん・・・・」)は、彼の作詞といわれています。 




    旅行時期
    2013年06月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 東日本大震災で、死亡事故が起きましたが、日本の戦中、戦後を物語る貴重な建物です。(営業停止中)

    投稿日 2013年06月19日

    九段会館 神田・神保町

    総合評価:3.0

    九段会館は、旧称「軍人会館」といい、1934年(昭和9年)軍の予備役・後備役の訓練、宿泊などを目的に建設されました。二・二六事件では戒厳司令部も置かれました。

    太平洋戦争後は日本遺族会が運営し、ホールやレストラン、宿泊施設などを備え、結婚式、各種公演、会議、試写会などに使用されていました。

    2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災で、天井の一部が崩落し、死亡事故が発生し、日本遺族会は会館の営業を終了し、建物を国に返還することを決定しました。

    しかし、以上のような戦時を物語る歴史的な建物であり、取り壊しや、建て替えが出来ず、そのまま放置されています。



    旅行時期
    2013年06月
    アクセス:
    5.0

  • 九段坂公園は、九段坂にある小さな公園で、高燈篭 、大山巌像 、品川弥二郎像 があります。

    投稿日 2013年06月19日

    九段坂公園 市ヶ谷

    総合評価:3.0

    「九段坂公園」は、靖国神社を出て、千鳥ヶ淵に向かうために靖国通りを横切ると、塔里靖国神社と千鳥ヶ淵に挟まれた小さな公園です。

    ここには、金属に彫られら「飯田町 中坂 九段坂」の図を挟んで、高燈篭 、馬に乗った「元帥陸軍大将 大山巌公像」、「子爵品川彌二郎卿像」があります。


    旅行時期
    2013年06月
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 毎年、桜の頃になると、お濠に垂れ下がる見事な桜を見る人々でごった返しますね。

    投稿日 2013年06月19日

    千鳥ケ淵 市ヶ谷

    総合評価:5.0

    旧江戸城の内濠の一部です。

    田安門から半蔵門にかけての内濠は、チドリが羽根を広げた形に似ていることから名がついたといわれています。

    西側は千鳥ヶ淵水上公園で、1898年(明治31)に当時の駐日英国公使アーネスト・サトーが植樹したのに始まる桜並木が美しく、北の丸側の石垣は天然記念物ヒカリゴケの生育地としてゆうめいです。

    公園の西側に無名戦没者柱を祀る国立の「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」があります。

    旅行時期
    2013年06月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0

  • 「千鳥ヶ淵戦没墓苑」は、国立の日本版「無名戦士の墓」です。

    投稿日 2013年06月18日

    千鳥ヶ淵戦没者墓苑 市ヶ谷

    総合評価:4.0

    「千鳥ケ淵戦没者墓苑」は、身元不明の戦没者の遺骨を埋葬するため、昭和34年(1959年)国によって建設された墓苑です。

    今から約68年前の大戦では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開され、海外地域の戦場 で多くの方々が戦没されました。

    戦後、たくさんの遺骨が日本に持ち帰られましたが、遺族に渡すことが出来なかったものを納めるために、この墓苑が出来ました。

    この墓苑は、いわば「無名戦士の墓」とでもいうべきものです。

    現在、35万8260柱(平成25年5月現在)の遺骨がこの墓苑に奉安されています。

    旅行時期
    2013年06月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 箱根湯本から出発した電車の三回目(最後)のスイッチバックを行う所です。

    投稿日 2013年06月18日

    上大平台信号所 芦之湯・大平台・宮城野

    総合評価:4.0

    箱根湯本を出発した電車は、1回目にスイッチバックを出山信号所で行い、2回目のスイッチバックを大平台駅で行います。そして3回目最後のスイッチバックを上大平台信号所で行います。

    現在の鉄道では、電車や機関車の力が大きいため、スイッチバックを行うことはほとんどありませ。

    スイッチバックは、昔の電車や機関車の力が弱かった時代の遺物(?)と言えるもので、テツキチにとっては、たまらないものですね。

    旅行時期
    2012年09月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 箱根湯本から出発した場合は、第1回目のスイッチバックが行われる所です。

    投稿日 2013年06月18日

    出山信号所 芦之湯・大平台・宮城野

    総合評価:4.0

    箱根登山電車は、急峻な傾斜を登って行くために、3箇所でスイッチバックを行いながら、傾斜をジグザグに登って行きます。

    箱根湯本から出発した場合は、塔ノ沢駅を過ぎ、早川橋梁を通過すると、「出山信号所」で第1回目のスイッチバックが行われます。この時、電車の進行方向がかわりますから、運転手と車掌さんが入れ替わります。しかし乗客は降りることが出来ません。

    スイッチバックした後は、「大平台駅」に向かい、ここで第2回目のスイッチバックが行われます。この時も運転手さん・車掌さんが入れ替わります。乗客もホームに降りることが出来ます。

    スイッチバックの線路の構造を見るのは、この時まで待ちましょう。

    旅行時期
    2013年06月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 県道732号湯本元箱根線の七曲りは西海子坂から見晴茶屋まで急カーブの連続です。

    投稿日 2013年06月11日

    七曲り 芦之湯・大平台・宮城野

    総合評価:4.0

    箱根旧街道ウオークは、畑宿を過ぎ、箱根新道をまたぐと西海子坂の急坂です。これを登りきると県道723号線の「七曲り」をしばらく歩きます。

    やがて、県道に「橿の木坂」のバス停があり、その脇からかつて箱根越えの最難関とうたわれた「橿の木坂」の急階段が始まります。

    ここから、甘酒茶屋まで、県道の七曲り歩きと、県道沿いの階段や旧街道の石畳歩きを繰り返します。

    県道は歩きなが見ても、急カーブの連続ですから、車を運転する人は細心の注意が必要だと思います。

    旅行時期
    2013年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 興福院は、もともとは箱根の山中で行き倒れになった人々を供養するお寺でした。

    投稿日 2013年06月11日

    興福院 元箱根・芦ノ湖周辺

    総合評価:4.0

    興福院は現在、曹洞宗のお寺で、芦ノ湖の賽の河原や古仏群や湯坂道沿いの精進池周辺の古仏群などを管理しています。
    このお寺はもともと箱根の山中で行き倒れになった人々を供養するお寺で、関所破りをしたお玉を供養する御玉観音もこのお寺が管理しています。

    ここには箱根七福神のひとつ、布袋尊があります

    5月、手水場の藤の花が見事でした。

    旅行時期
    2013年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    3.0

  • 箱根旧街道の樫の木平に「貴方は 今 歌ってますか 小澤征爾」と刻んだ石碑があります。

    投稿日 2013年06月10日

    小澤征爾「貴方は今歌ってますか」の碑 芦之湯・大平台・宮城野

    総合評価:4.0

    箱根旧街道、現在の県道732号湯本元箱根線沿いの樫の木平の見晴の良いところに「貴方は今歌ってますか 小澤征爾」と刻んだ碑があります。

    この石碑は「箱根八里記念碑」の一つです。

    「箱根八里記念碑」は、8人の現代一流の文化人の方々の揮毫を、箱根旧街道の要所に建て、かつての大街道としての役割から散策の道としての“箱根八里”の復活を願って作られました。

    これらの記念碑には、
    井上靖氏 「北斗闌干」を始め
    司馬遼太郎氏「幾億の跫音が坂に積もり 吐く息が谷を埋める 我が箱根にこそ」。
    東山魁夷氏 「青山 緑水」
    小澤征爾氏 「貴方は 今 歌ってますか」
    大岡信氏 「森の谺を背に この道をいく 次なる道に出会う為」
    芹沢光次良氏 「箱根路や 往時をもとめ登りしに 未来の展けて たのしかりけり」
    等、そうそうたる方々の記念碑があるようです。

    そうして、ようやくこの石碑に込められた、小澤先生の意図がわかりました!!

    「この素晴らしい樫の木平からの景色を見て、貴方は 今 歌を口ずさんでいますか?」と、問いかけておられるのでしょう・・・・
    小澤先生もきっとこの景色を見て、歌を口ずさまれたのでしょうね。

    旅行時期
    2013年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.0

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