魅々さんのクチコミ(8ページ)全380件
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この記念碑は、県道732号湯本元箱根線の樫の木平の見晴しの良い所にあります。
投稿日 2013年06月10日
箱根旧街道 県道湯本元箱根線 道路完成記念碑 芦之湯・大平台・宮城野
総合評価:3.5
1604年(慶長9年)幕府は、それまでの東海道であった湯坂道(鎌倉古道)を廃止し、須雲川沿いのルート(箱根八里)を開通させ、これを東海道としました。その後、1680年(延宝8年)石畳を整備しました。
明治になって1885年(明治18年)明治国道2号に指定され、1960年(昭和35年)「神奈川県道732号線湯本元箱根線」になりました。
この記念碑は、県道732号湯本元箱根線の樫の木平の見晴しの良い所にあります。近くに見晴茶屋があります。
さて、この記念碑は非常に読みにくいのですが、表は「箱根旧街道 県道湯本元箱根線 道路完成記念碑」と読めました。
裏に回ると、さらに読み難いのですが、「関東大震災で被害を受けたが、地元の努力で復旧、昭和42年から改修工事が行われ、昭和46年(1971年)開通に至る」という意味をかろうじて読みとりました。
ということは、最初の県道の開通記念ではなく、改修完成記念碑ということになります。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
旧街道の甘酒茶屋と元箱根の中間、県道732号線と交差地点前後に綺麗な杉並木があります。
投稿日 2013年06月09日
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一般に「出山の鉄橋」と呼ばれていますが、「早川橋梁」と同じものです。
投稿日 2013年06月09日
総合評価:4.0
「出山の鉄橋」は早川に架かる鉄橋で、箱根登山電車の塔ノ沢駅−出山信号場間にあります。
「早川橋梁」ともよばれています。
深さ43m・幅60mという深い谷にかかっていて、箱根観光名所の1つになっています。
秋の紅葉時には、鉄橋上で数秒間の停車などの観光サービスが行なわれています。
当初はアーチ型のトラス構体を新造する予定でしたが、第一次世界大戦により資材の輸入が途絶したために、1888年(明治21年)に製造され、東海道本線の天竜川橋梁に架けられていたトラス構体の1つを鉄道院から払い下げを受け、転用したものだそうです。
しかし、払い下げのトラス構体を使用することから、架橋の工事直前に神奈川県知事から「箱根の玄関口である早川に、使い古しの橋を架けるのは景観を損ねる」という意見が出るなど、あまり評判はよくなかったので、後に改築するという条件で工事が開始されました。しかし、そのまま現在まで残っています。
1991年に「かながわの橋100選」に選ばれ、1999年には現存する唯一の錬鋼混合200ft桁として登録有形文化財に登録されています。- 旅行時期
- 2012年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
早川橋梁は早川に架かる鉄橋で、箱根登山電車の塔ノ沢駅−出山信号場間にあります。
投稿日 2013年06月08日
総合評価:4.0
早川橋梁は早川に架かる鉄橋で、箱根登山電車の塔ノ沢駅−出山信号場間にあります。
一般には「出山の鉄橋」とよばれています。
深さ43m・幅60mという深い谷にかかっていて、箱根観光名所の1つになっています。
秋の紅葉時には、鉄橋上で数秒間の停車などの観光サービスが行なわれています。
1915年から工事が始まり、深い谷に架橋するため、大規模な総木製の足場を組んで作業を行なわれました。完成は1917年で、翌日からは足場の解体にかかるというその夜、暴風雨により早川が氾濫し、足場は全て流失してしまいましたが、鉄橋本体には全く影響はなかったとのことです。
1991年に「かながわの橋100選」に選ばれ、1999年には現存する唯一の錬鋼混合200ft桁として登録有形文化財に登録されています。- 旅行時期
- 2012年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
小田原から箱根路をのぼる旅人が、急所 難所をあえいでたどりつき、一息つくのが権現坂です。
投稿日 2013年06月07日
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大平台のスイッチバックは、箱根登山電車の3箇所で行われるスイッチバックの中心箇所です。
投稿日 2013年06月07日
総合評価:4.0
箱根登山鉄道は、急峻な傾斜を登って行くために、3箇所でスイッチバックを行いながら、傾斜をジグザグに登って行きます。
箱根湯本から出発した場合は、塔ノ沢駅を過ぎると、「出山信号所」で第1回目のスイッチバックが行われます。この時、電車の進行方向がかわりますから、運転手と車掌さんが入れ替わります。しかし乗客は降りることが出来ません。
2回目は「大平台駅」で行われます。この時も運転手さん・車掌さんが入れ替わります。乗客もホームに降りることが出来ます。
3回目は大平台駅を過ぎて、「上大平台信号所」でおこなわれます。この時は乗客は降りることはできません。
大平台駅のスイッチバックをままじか見ることが唯一の駅です。- 旅行時期
- 2012年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
猿滑坂は「ことに危険、猿猴といえども、たやすく登りえず」といわれた難所です。
投稿日 2013年06月06日
総合評価:4.0
猿滑坂は、甘酒茶屋のある県道に出る手前の急な坂です。
案内板に「このあたりは、「猿滑坂」といって相模国風土記に「ことに危険、猿猴といえども、たやすく登りえず」と書かれていた」とありました。
また、案内板によりますと「このあたりは歴史的な街道に沿った遊歩道で、関東大震災や北伊豆地震などで、大半が崩壊、埋没しましたがが、残された一部を再現したと」書かれていました。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2013年06月06日
総合評価:4.0
守源寺は、箱根旧街道の畑宿一里塚の近くにありました。
境内の案内板には、
「守源寺は寛文元年(1661年)に乗善院日連上人によって建立された日蓮宗平賀本土寺末の寺です。
この寺は、たびたびの災害で本堂を失い、昭和五年豆相大地震の後、ようやく再建され、現在にいたっています。」
と書かれていました。
箱根七福神の大黒天もまつられていました。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
畑宿と箱根宿の中間付近にあり、箱根の関所を前にした休憩所として親しまれてきました。
投稿日 2013年05月11日
総合評価:4.5
畑宿と箱根宿の中間付近で、江戸時代は箱根の関所を前にした休憩所として親しまれていました。
現在での、箱根を歩くハイカーの休憩所として親しまれています。
忠臣蔵の芝居の神崎与五郎詫証文の舞台となる茶店であり、旅行経験のない江戸市民にも高い知名度を誇っていようです。
現在の建物は2009年に改装したもので、茅葺き屋根や土間など昔の雰囲気を持たせつつ、囲炉裏(いろり)や座敷などを増設する改修が行われました。
甘酒茶屋のとなりに、民家を改造した資料館があり、いろいろな展示がありました。
茶屋の近くに「親鸞聖人と笈ノ平」という案内板があり、
東北の強化を終えての岐路、4人の弟子と上人が、この地に来たとき、上人は弟子の二人に、これから立ち戻って教化してもらいたいと、師弟の悲しい別れをした場所と書いてありました。- 旅行時期
- 2013年05月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- サービス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 観光客向け度:
- 5.0
-
投稿日 2013年06月05日
総合評価:4.0
急な橿木坂の石段を登りきると、県道732号線沿いに、眺望の開けた小さな広場があります。
案内板には、「ここが樫の木平、下に見ゆるは畑の茶屋」と馬子唄にいたわれた見晴茶屋の跡がここです。「樫の木坂をこゆればくるしくてどんぐりほどの涙こぼるる」とうたわれた街道きっての急な坂道だった。」と、と書かれています。
ここには、今も見晴茶屋があり、大きな「箱根旧街道 県道湯本元箱根線 開通記念碑」や、小沢征爾さんの「あなたは今歌ってますか」の石碑もあります。- 旅行時期
- 2013年05月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
「橿の木の さかえをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの 涙こぼる」 とよまれたところです。
投稿日 2013年06月05日
総合評価:4.0
箱根旧街道の、西海子坂の階段を登ると県道に出ます。県道に沿って歩くと「橿の木坂バス手」があり、そのわきから、長い険しい「橿木坂」の階段が続きます。
案内板があり
「新編相模国風土記」には高く険しい崖の橿樹あり、故に名を得、とあります。
また、「東海道名所日記」には、けわしきこと。道中一番の難所なり。
おとこ、かくぞよみける。
「橿の木の さかえをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの 涙こぼる」
と書かれています。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
江戸時代、西海子坂は雨や雪のあとは大変な悪路になるので、竹を敷いていた所です。
投稿日 2013年06月05日
総合評価:4.0
箱根旧街道の畑宿一里塚を過ぎ、箱根新道をまたぐと、西海子坂(さいかちさか)の急坂になります。
ここに案内板があり、
「江戸幕府は延宝8年(1680年)、箱根道を石畳道に改修しました。
それ以前のこの道は、雨や雪のあとは大変な悪路となり、旅人はひざまで没する泥道を歩かねばならないため、竹を敷いていましたは、毎年竹を調達するために大変な労力と費用がかかっていました。」
と書かれていました。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
大澤坂の石畳は、江戸時代の苔むした石畳が一番良く残っている所です。
投稿日 2013年06月04日
総合評価:4.0
大澤坂の石畳は、箱根旧街道の割石坂を過ぎ、大澤川を渡ったところから始まります。
この坂の周辺は、江戸時代、ツツジが綺麗だったようです。
案内板には、この坂のあたりが、江戸時代の石畳が一番良く残っているところと書かれています。
苔むした石畳が、往時をしのばせてくれます。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
関東の教化を終えた親鸞聖人が、残って教化を続ける弟子と悲しい別れをした場所です。
投稿日 2013年05月11日
総合評価:4.0
「笈の平碑」は、甘酒茶屋、箱根旧街道資料館と並んでありましす。
「親鸞聖人と笈ノ平」という案内板があり、
東国の教化を終えての岐路、4人の弟子と上人が、この地に来たとき、上人は弟子の二人に、これから立ち戻って教化してもらいたいと、師弟の悲しい別れをした場所と書いてあります。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
江戸時代、箱根旧街道を旅した人々の当時の様子が良くわかる博物館です。
投稿日 2013年05月11日
総合評価:5.0
箱根旧街道資料館は甘酒茶屋のとなりのこ民家を改造した休憩所兼資料館です。
江戸時代、箱根旧街道を旅した人々の当時の様子が良くわかる博物館です。
腰付き弁当や、袖合羽[そでがっぱ]、山駕篭[やまかご]など江戸時代の旅の装束や道具などを展示している。
特に、甘酒茶屋の赤穂浪士討ち入りにまつわるエピソードを再現するコーナーは必見です。
赤穂浪士の神崎与五郎が甘酒茶屋で休憩中、馬喰に因縁をつけられたが、討ち入りを前に騒ぎは起こせず、詫証文を書いたというものです。
箱根八里のイラストパネルや江戸時代の旅用品などを紹介するコーナーもあります。所要15分。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
見晴茶屋は、旧東海道「樫の木平」の眺望のよいところにあります。
投稿日 2013年05月11日
総合評価:4.0
箱根旧街道石畳からは、急な石段があって、これの登ると樫の木平で、「見晴茶屋」があります。
県道からはそのまま入れます。
案内板には、「ここが樫の木平、下に見ゆるは畑の茶屋」と馬子唄にいたわれた見晴茶屋の跡がここです。
「樫の木坂をこゆればくるしくてどんぐりほどの涙こぼるる」とうたわれた街道きっての急な坂道だった。
と書かれたいます。- 旅行時期
- 2013年05月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 4.5
- 料理・味:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 観光客向け度:
- 4.0
-
須雲川は、大観山を水源として箱根湯本で早川に合流する本流と、二子山を源流とする支流からなっています
投稿日 2013年05月16日
総合評価:5.0
須雲川は、大観山(標高1015.2m)を水源として箱根湯本で早川に合流する本流と、二子山を源流とする支流などからなっています。総延長3.97kあります。
旧東海道(県道732号)は箱根湯本から畑宿付近までは須雲川に沿って造られていて、須雲川が流れる谷は箱根越えの要衝となっていました。
また箱根新道も須雲川に沿って通っています。
現在では、須雲川沿いの旧街道が整備され、須雲川自然探勝歩道となっています。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
早川は芦ノ湖の北端の湖尻水門からり流れ出た川が本流となり、箱根湯本で須雲川と合流します。
投稿日 2013年05月13日
総合評価:4.0
早川は箱根外輪山からの水が芦ノ湖に集まり、芦ノ湖北端の湖尻より流下する川が本流です。
湖尻には「湖尻水門」があって、芦ノ湖の水量を調節しています。
芦ノ湖から流れ出た本流は、箱根湯本あたりで須雲川と合流して、相模湾にそそいでいます。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2013年05月11日
-
現代社会から、江戸時代にタイムスリップできる、貴重な、楽しいハイキングコースです。
投稿日 2013年05月11日
総合評価:5.0
箱根を走る国道といえば、まず「国道1号線」です。ハイウエイでは「箱根ターンパイク」、「箱根新道」などがあります。
この他に、「箱根新道」と交差しながら、須雲川沿いにひっそりと走る「県道732号湯本元箱根線」があります。
この県道こそ、名にし負う「旧東海道」なのです。
江戸時代には、この道が日本の東西を結ぶ大動脈で、大名行列、武士、商人、大人も子供も、男も女も、駕籠に乗ったり、馬に乗ったり、歩いたりして通ったのでした。
箱根湯本から、バスで「須雲川」まで行き、そこから芦ノ湖湖畔の「元箱根港」まで歩きのがおすすめコースです。
現代社会から、江戸時代にタイムスリップできるハイキングコースです。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 5.0