bakanekoさんへのコメント一覧(5ページ)全69件
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成功者。
bakanekoさん、今晩は。
莊子は言う、猿のほとんどはその才能に差異は無い、しかし、居場所(梅、樟(楠木)、山桑)を見付ける事が出来た猿は、木の上で自由に行き来して、例え弓の名手と言えども射殺す事は出来なくなり、居場所を見付けた猿ほど、幸いな物は無いと。
引いて、猿(成功者)の、その居場所(梅、樟(楠木)、山桑)を意味してます。
ただし、山桑は虫が付くので庭園樹木には適さない。
梅の木が多いと言う事は、成功者として基盤を形成したと言う意味が込められてます。
(ぶっちゃけ言うと、プライド高い。笑)
楠木氏も帝から賜った名なので、帝の楠木(権威基盤)と為れとの意味が込められてます。
墨水。
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確認。
bakanakoさん、今晩は。
確認事項なんですが、葛井寺には「池」「泉」「井戸」の類は有りませんでしたか?。
是と藤の花で完璧なんですが。(笑)
墨水。
RE: 確認。
> bakanakoさん、今晩は。
> 確認事項なんですが、葛井寺には「池」「泉」「井戸」の類は有りませんでしたか?。
> 是と藤の花で完璧なんですが。(笑)
池は、入って右に非常に小さなものがあり真ん中に祠があったと記憶しています。祠を囲んで直径10mほどでしょうか。
井戸は、あったと思うのですが以前掲出の愚作動画 2分20秒くらいに井戸のようなものが見えます。 http://youtu.be/JX5OvIHtVvU
つらつら歴史を見るのに、このあたりはかつて日本の地中海気候と言われ、温暖で雨が少ないところでした。それゆえ弘法大師作といわれる溜池が多い土地柄で実はこの寺の傍にもあったようです。
http://academic3.plala.or.jp/fujinan/fujisi/kakuchi/mukasi_ima/mukasitoima.htm
ただ大阪人も軽薄になり、金になれば池を埋め立て土地に変える事が多く地形の大幅な変遷はあったようです。2015年05月03日14時20分 返信するRE: RE: 確認。
bakanakoさん、今晩は。
> 池は、入って右に非常に小さなものがあり真ん中に祠があったと記憶しています。祠を囲んで直径10mほどでしょうか。
おお〜っ、小さいですか。
益々、素晴らしい!。
祠も有るんですか、エクセレント!。(笑)
泉の畔に、委蛇(イダ)という精霊が居て、これを見る者は覇者に成れると。
委蛇は、紫の衣を着ている。
引いて、藤の花が有る社寺では、必ず藤と「池」「泉」「井戸」の類とワンセットです。
次回取り上げる時は、「泉」の類の写真を、何気なく入れといて下さい。(笑)
> つらつら歴史を見るのに、このあたりはかつて日本の地中海気候と言われ、温暖で雨が少ないところでした。それゆえ弘法大師作といわれる溜池が多い土地柄で実はこの寺の傍にもあったようです。
なるほど、勉強になります。
墨水。2015年05月03日22時07分 返信する -
別当。
bakanekoさん、今日は。
室町時代の興福寺別当は、大和国守護職を兼任していた大名格式。
(そんじゅうそこらの、別当職は違う。笑)
当時は、もっと凄かったんだろうなと、想像出来ますね。
竜蓋寺が国家隆盛を願った寺だったとすれば、創建当初の寺名は「隆願寺」だったかも。
墨水。
RE: 別当。
> bakanekoさん、今日は。
> 室町時代の興福寺別当は、大和国守護職を兼任していた大名格式。
> (そんじゅうそこらの、別当職は違う。笑)
> 当時は、もっと凄かったんだろうなと、想像出来ますね。
> 竜蓋寺が国家隆盛を願った寺だったとすれば、創建当初の寺名は「隆願寺」だったかも。
> 墨水。
>
いやいやなんとも、今で言うISみたいなものでしょうか。宗教は麻薬であるといったところ。織田信長が焼き討ちしまくったので、政教分離が進んだかにも思えます。ふとそんなことを思いました。家康はそんなことを思い近畿を細分化したのかもしれません。どうやらお話を聞くと焼き討ちの名人松永弾正が稀代の英雄のような気がします。飛躍しすぎでしょうか。深い話をありがとうございました。2015年04月30日22時23分 返信するRE: RE: 別当。
bakanekoさん、今晩は。
>織田信長が焼き討ちしまくったので、政教分離が進んだかにも思えます。
確かに、その通りですね。(笑)
足利幕府管領職の細川晴元は、一向宗門徒を使い主君である足利義維を攻め、ついでに興福寺を攻めさせてます。
(当時の寺院には、必ず僧兵が居たからね〜っ。)
此により細川晴元は、将軍足利義晴に寝返って細川宗家を嗣いだ。
最初に宗教を利用したのは、武家と言えます。
引っ込みが付かない一向宗は、畿内一円に勢力を張り、石山本願寺を本山とし、興福寺は末寺となる。
此の時点で、一向宗への対抗勢力は武家では居無くなった。
其処に現れたのが、織田信長。
片ッパシから焼き討ちにして行く事で、宗教勢力を政治の世界から追放した。
その後の豊臣秀吉も徳川家康も、一向宗と縁切りを宣言した寺院にのみ再興を許しています。
徳川幕府は、将軍直下の役職として寺社奉行を置いて、監視に怠りなくしていました。
江戸時代は、大名と言っても、1万石程度の大名が大半ですからね。
結果的に、細分化されてしまいます。(笑)
>どうやらお話を聞くと焼き討ちの名人松永弾正が稀代の英雄のような気がします。
そこに、飛びますか!。(笑)
墨水。2015年04月30日23時24分 返信する -
松明に、道びかてや、お水取り、歳月絶えなん、二月堂。
bakanekoさん、今晩は。
>じじばばにフラッシュ無撮影などできるはずもなく、大衆と寺側との戦いは続く。
状況を想像しつつ、笑ってしまいました。
提灯に袢纏が欲しいなら、檀家に成って役付に為れば着られるかと。(笑)
(写真、撮れなくなるけど。笑)
墨水。RE: 松明に、道びかてや、お水取り、歳月絶えなん、二月堂。
> bakanekoさん、今晩は。
> >じじばばにフラッシュ無撮影などできるはずもなく、大衆と寺側との戦いは続く。
>
> 状況を想像しつつ、笑ってしまいました。
>
> 提灯に袢纏が欲しいなら、檀家に成って役付に為れば着られるかと。(笑)
> (写真、撮れなくなるけど。笑)
> 墨水。
こんばんわ。大衆と寺側との戦いはなかなかの見物です。ぴりぴりした寺とどうにも設定できないじじばば。最後は周りが取り成す。日本の美です。2015年03月26日20時45分 返信する -
大阪を見させて貰いました。
bakanekoさん、今晩は。
「神奈川に抜かれた。」には、笑ってしまいました。
大阪は「文楽の街」ですから、文楽は一段と冴え渡りますよね。
坂田師匠は、大阪の顔ですから外せませんね。(鉄板!。)
関東でも「坂田師匠の歌は禁止。」でした。(笑)
東京人には、大阪の南と北が感覚的に判りません。(笑)
大阪人にとっては、神奈川よりも大阪を鼻で笑う京都人の方が「カチン」と来るのでは?。
それでは「おきばりやす。」
墨水。
RE: 大阪を見させて貰いました。
こんばんわ。いつもありがとうございます。大阪の人間は、頭の中は東京1番大阪2番の幻影がありますが、実態は神奈川、中京以下かも知れません。それだけ冷静に現状を見るのが出来ないだけです。ラテンと一緒で明るいが考えない。ということでしょうか。
そちらでもあほの坂田の歌が禁止とは感動です。全国区だったのですね。
北は乗車列も守り、ルールがありますが南はそんなことは少ないです。行儀が良いのかよそよそしいのかわかりません。
京都人もかつて都だったというだけで、観光客相手で儲けるだけなので日光に毛が生えたぐらい。文化遺産は多くありますが、今ひとつです。
本年もよろしくお願い致します。2015年01月12日21時14分 返信する



