中島治平旧宅跡
名所・史跡
3.21
クチコミ・評判
1~4件(全4件中)
-
科学で維新を!
- 3.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
梅屋七兵衛旧宅から西に2筋ほど行ったところに中島治平旧宅跡がありました。旧宅跡ですが生家跡でもあった様です。駐車場の横に門... 続きを読むだけがありました。中島治平は1823年(文政6年)に、朝鮮通詞の中嶋正貞の長男として誕生しています。治平は多才だった様で、朝鮮語や漢学、画才を学んだ後、黒船来航後は長崎へ行き、外国人医師にコレラの予防法を学んだり、技師から化学や蒸気機関学、製鉄などを学びます。帰藩後は科学による維新を唱え、鉄工局の開設を建白します。ガラス製造所見合役、製鉄所の設立、1866年(慶応2年)には舎密(化学)局を設立しますが、同年末、夢半ばで病死しています。享年44歳でした。 閉じる
投稿日:2021/08/02
-
150年を経ての、日の目でしょう。
- 3.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
浜崎の町屋からはちょっと外れたところに中島治平旧宅跡がありました。駐車場の前に門だけが残っている前に石碑がありました。この... 続きを読む門は旧宅のものなのでしょうか?それにしては近代風ですが・・・。ところで、笠山半島に椿群生林を見に行ったときに、笠山の道の途中に「萩ガラス工房」がありましたが、萩のガラスの種は中島治平が撒いたものです。治平は長崎に留学して広範な科学・化学の知識を得ます。その中の1つがガラスで、1860年(万延元年)に、萩の南園にガラス製造所を設けました。高杉晋作はそこで作られた10面カットのグラスを愛用していたと伝わっています。治平が病で亡くなったり、幕末の混乱でガラス製造は絶えてしまいました。萩ガラス工房は1992年(平成4年)に起業し、晋作のグラスの復刻も目標の1つだったとのです。 閉じる
投稿日:2021/06/22
-
長崎へ
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
-
-
幕末の文化人にして発明家の中島治平旧宅跡はひっそりとしていました
- 3.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
- 0
1件目~4件目を表示(全4件中)
基本情報(地図・住所)
このスポットに関するQ&A(0件)
中島治平旧宅跡について質問してみよう!
萩に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
旅好者さん
-
リラクマさん
-
ももちゃんさん
-
風待人さん