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高橋掬太郎の歌碑

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高橋掬太郎の歌碑 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~18件(全18件中)

  • 銅像の近く

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/10(約3年前)
    • 0

    函館の護国神社坂の通り沿いにあります
    路面電車の宝来町が最寄り駅です
    すぐ近くに高田屋嘉兵衛の銅像もあります
    高橋掬...  続きを読む太郎は北海道根室生まれの作詞家で
    「酒は涙か溜息か」が大ヒット作です
    紫綬褒章や勲四等旭日小綬章などを授与されています  閉じる

    投稿日:2022/10/14

  • 函館市観光で立ち寄りました。高橋掬太郎の歌碑は、函館市電の宝来町電停すぐ近くにあります。函館護国神社に上って行く坂の入り口...  続きを読むの道路の中央分離帯に建っています。説明板によると、高橋掬太郎さんは、函館日日新聞社の社会部長兼学芸部長として活躍するかたわら、詩や小説、脚本などを手掛けていたそうで、「酒は涙かため息か・・・」の他、多数のヒット曲の作詞をされたそうです。  閉じる

    投稿日:2023/02/27

  • 護国神社坂を下っていく途中にありました。

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/07(約3年前)
    • 0

    護国神社坂を下っていく途中にありました。
    護国神社坂は、幅の広い大きな通りで、下っていく途中に大きな高田屋嘉兵衛の銅像が...  続きを読むありました。
    その先に、高橋掬太郎の歌碑がありました。
    夕方の六時前に行ったのですが、まだ、日が長い時期で明るかったです。
      閉じる

    投稿日:2022/08/02

  • 「酒は涙か」の作詞家

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    函館の市電、宝来町の駅のそば、グリーンベルトに歌碑があります。歌碑から西側を見ると、白い御影石の台座の上に、高田屋嘉兵衛の...  続きを読む像、その向こうに函館山という光景を見ることができます。昭和6年に函館の当時の繁華街「銀座通」をモデルにしたと言われている大ヒット曲「酒は涙か溜息か」の作詞家です。「ここに幸あり」など、どこかで聞かれた歌も多いのでは。  閉じる

    投稿日:2022/07/17

  • 昭和期に活躍した北海道生まれの作詞家

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    高橋掬太郎という人物は函館を訪問して初めて知ったのですが、昭和期に活躍した北海道生まれの作詞家ということです。その歌碑が、...  続きを読む市電通りから護国神社に至る県道675号線の中央分離帯にあります。刻まれた文字が読みにくいのは残念ですが、周囲を濃い緑に囲まれて、引き立っている印象がありました。  閉じる

    投稿日:2022/06/09

  • 宝来町電停すぐ

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/10(約4年前)
    • 0

    函館を訪れるまで、この人物を全く知らなかったのですが、調べたところ、昭和に活躍した作詞家とのことでした。さほど興味があった...  続きを読む訳ではありませんが、場所が宝来町電停すぐという、とても便利な立地でしたので、函館の街散策のついでに訪れました。  閉じる

    投稿日:2023/07/12

  • 名曲「酒は涙か溜息か」の作詞者なのよ

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/10(約4年前)
    • 0

    コロナの感染者は減少し緊急事態宣言も解除され、いよいよ行楽のシーズンとなり早々に函館までやってきました。歴史ある函館の街に...  続きを読むは多くの見どころがありますが、護国神社坂の市電沿いにこの「高橋掬太郎の歌碑」は建っています。
    「酒は涙か溜息か」の曲をご存知ですか。昭和6年(1931年)に古賀政男さんが作曲し藤山一郎さんが歌って大ヒットした昭和歌謡ですね。この曲の歌詞を作った方がこの「高橋掬太郎」さんで滞在していたここ函館で生まれた曲と言われています。ご存知の方は本当に少ないでしょうね。「啼くな小鳩よ」や「ここに幸あり」も大ヒット曲として歴史に残っていますね。昭和歌謡は心にジーンとくる曲ばかりです。You Tube などでお聴きくださいね。  閉じる

    投稿日:2021/12/04

  • 函館の夜景を見た後に、バスが混みあわないうちに帰ろうと思ったものの、時間が早かったのでロープゥエイ山麓駅で下車、そこから歩...  続きを読むいて、この歌碑に辿りつきました。
    写真を撮った時には、どんな人なのかも知らなかったのですが、調べてみると、大正11年に函館日日新聞社に入社し、社会部長兼学芸部長として活躍するかたわら、詩や小説、脚本などを手がけていた方なのだそうです。
      閉じる

    投稿日:2021/10/11

  • 歌碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/04(約5年前)
    • 0

    高田屋嘉兵衛像近くにあります。

    昭和初期に彼が作詞したレコードがとてもヒットしたのだそうです。現代人にとっては馴染み...  続きを読むのない人物だと思いますし、その曲を知らない人も多いと思います。

    私も初めて知りました。この歌碑をみたことを機にこの曲を聞いてみたいなと思いました。

    自筆の歌碑なので近くで見させてもらいました。だいぶ薄くなってしまっていて、近寄らないと分かりづらかったかなと思います。  閉じる

    投稿日:2021/06/04

  • 昭和期の作詞家

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/04(約5年前)
    • 0

    函館護国神社へ向かう坂道の途中にあります。

    昭和期の作詞家です。函館日日新聞社につとめていたときに作詞した「酒は涙か...  続きを読む溜息か」が大ヒットして、その後も数々の作詞を手掛けました。

    もともとは違う場所にあった石碑のようですが、この場所に移転され今に至る感じです。

    駐車場がないので徒歩での観光がおすすめかなと思います。  閉じる

    投稿日:2021/06/01

  • 高田屋嘉平衛の銅像の近く

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/08(約5年前)
    • 0

    函館市電の宝来停留所からすぐの場所の護国神社へと上る坂道の起点付近に高橋掬太郎の石碑はあります。ちょうど中央分離帯の緑地の...  続きを読む場所です。すぐ近くには高田屋嘉平衛の銅像もあります。高橋掬太郎といわれてもわかる人はいないと思われますが、「酒は涙か、、、」の歌は聞かれたとこがある人が多いと思います。その作詞をした人が高橋掬太郎です。こ石碑を見て初めて知ることになります。  閉じる

    投稿日:2020/08/04

  • 護国神社の坂を「電車通り」まで下りたところ

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/07(約5年前)
    • 0

    函館日日新聞社時代の高橋掬太郎が応募して戦前の大ヒットとなった「酒は涙か溜息か」を顕彰する歌碑。作者が函館出身であるかのよ...  続きを読むうに早トチリしがちではあるが、碑そのものは1961年に近くの温泉敷地内に有志が建てたものをこの場所に移したに過ぎないようだ。護国神社の坂は下っていくとグリーンベルトが防火帯になっており、こうした数々のモニュメントを配置するのに適しているということも忘れてはなるまい。
      閉じる

    投稿日:2020/07/20

  • あの有名な歌の歌碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/04(約8年前)
    • 0

    宝来町のカフェに行ったときにすぐ近くを通って見つけました。この地でこの歌碑を見るまでは、高橋掬太郎なる人物は全く知りません...  続きを読むでした。それでもこの歌碑の歌詞を見て、あ~とすぐにわかりました。氏が函館の新聞社でつとめながら、詩や小説などをてがけ、そうした状況下で生まれた歌詞とうことで、人の往来が多い港町で飲み屋さんもたくさんある函館らしく、ここから生まれたことが、何となく理解できます。石碑自体は特にすごい特徴があるわけではないですが、こうした歌碑があるのが函館らしいと思います。  閉じる

    投稿日:2018/04/21

  • 気が付かない人も多いような気がします

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/03(約9年前)
    • 0

    高橋掬太郎の歌碑は、宝来町電停すぐの護国神社坂の下。高田屋嘉兵衛の銅像のある中央分離帯の中にあります。

    説明板があっ...  続きを読むて、高橋掬太郎は函館日日新聞社の部長を務める傍ら、歌謡曲を作詞。函館の繁華街のイメージから作詞した「酒は涙か溜息か」のヒットなど3千曲以上の作品を残したと紹介されていました。

    碑文は、自身のものだそうで、ちょっと雰囲気はあるのですが、ただ、この歌碑自体が目立ちにくい。気が付かない人も多いような気がします。  閉じる

    投稿日:2017/05/11

  • 根室出身の作詞家

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/03(約10年前)
    • 0

    根室出身の、昭和期に活躍した作詞家、高橋掬太郎の歌碑がありました。
    市電宝来町で降りて2分くらいの場所で、護国神社坂の下...  続きを読むにかなり大きなサイズでありました。
    根室出身ですが、函館に縁が深かったということでこの場所に石碑が建ったようです。
      閉じる

    投稿日:2016/03/24

  • 高橋掬太郎の歌碑でございます

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/10(約10年前)
    • 0

    特典航空券で行く函館女一人旅でございます。
    高橋掬太郎歌碑でございます。
    護国神社坂を下りまして高田屋嘉兵衛の銅像の立...  続きを読むつ中央分離帯緑地にこちらの石碑もございました。
    緑地帯は公園として整備されたものではないのか石碑に近づく歩道などはございませんで、写真のみの撮影でございました。
      閉じる

    投稿日:2015/11/12

  • 「酒は涙かため息か……」は、函館生まれだった

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/06(約11年前)
    • 0

    市電「宝来町」下車。
    護国神社坂入り口にある。
    高田屋嘉兵の銅像と同じ広場の一角にある。
    古賀メロディーの「酒は涙か...  続きを読むため息か」は誰もが知っている昭和の名曲だが、歌詞が函館生まれだとは知らなかった。
    西条八十と思っていた。
    高橋掬太郎は、函館日日新聞の記者。
    社会部長と学芸部長を兼務していたと言うから、地元では有力な記者だった。
    コロンビアの歌詞募集の懸賞に応募して入選したのが、「酒は涙か……」だった。
    全国的な大ヒットとなった。
    当時から、新聞記者と、酒も、涙も、こころの憂さも、切っても切れない縁だったのだろう。  閉じる

    投稿日:2015/06/03

  • 名曲を作った作詞家だった。

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/05(約11年前)
    • 0

    函館の護国神社坂の下にこの碑がたっていた。

    近づかないと文字がよく読めないくらいだが、そばに案内板がったっていて、私...  続きを読むたちの世代ならよく知られている「酒は涙かため息か……」の記念碑と言うことが分かった。

    作詞者の名前に心当たりはなかったが後で調べたら他にも「ここに幸あり」や「泣くな小鳩よ」などすぐ口を出る有名な歌の作詞者でもあった。

    同時にこの地で新聞記者でもあった由。二足のわらじをこなした才ある人なのですね。

      閉じる

    投稿日:2015/06/21

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
高橋掬太郎の歌碑
住所
  • 北海道函館市宝来町9
アクセス
市電 「宝来町」電停 下車、徒歩2分
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
kazekozo さん

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