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武市瑞山寓居跡

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武市瑞山寓居跡 クチコミ・アクセス・周辺情報

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  • 満足度の高いクチコミ

    京都での滞在地

    4.0

    幕末のヒーローで土佐藩士である武市瑞山(半平太)が京都で滞在した場所の跡です。 何気なく、高瀬舟を目指して歩いていたら目...  続きを読むに入りました。 京都の滞在地もこのように伝えられていることに、幕末に欠かせなかった人物であることを改めて感じます。  閉じる

クチコミ・評判 2ページ目

21~30件(全31件中)

  • 月形半平太もこの地で暮らした

    • 2.0
    • 旅行時期:2017/05(約9年前)
    • 0

    武市瑞山よりも月形半平太の名の方が通りがいい。
    木屋町通りのビルの片隅にちりめん洋服屋の発祥の地の碑と並んで小さな石碑が...  続きを読むある。
    幕末の勤王の志士と明治の文明開化の波に乗った洋服屋の碑が並列している。
    幕末から明治にかけて、時代が激変、住人も顔ぶれも激変した証。
    興味深い。  閉じる

    投稿日:2017/06/12

  • 坂本龍馬の遠縁

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/08(約9年前)
    • 0

    武市半平太は坂本龍馬の遠縁にあたる人物で、尊皇攘夷への情熱をもって土佐勤王党を率いた人物です。
    ただ、1865年には切腹...  続きを読むを命じられ、亡くなったようです…
    ちなみに寓居とは仮住まいのことのようですが、そんな碑まであることに少々驚きです。  閉じる

    投稿日:2017/06/24

  • 武市半平太

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約10年前)
    • 0

    三条から木屋町通りを少し上がったところに「武市瑞山先生寓居之跡」が「ちりめん洋服発祥の地」という碑と並んで建っています。そ...  続きを読むばには「吉村寅太郎寓居之跡」の碑も。

    武市瑞山は「武市半平太」のほうがなじみのある名前。土佐藩郷士で、土佐勤王党を起こした人。この場所には、宿舎としていた料亭「四国屋丹虎」のあった場所だそうです。  閉じる

    投稿日:2015/11/09

  • ちりめん洋服発祥の地碑と並んで

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/08(約10年前)
    • 0

    京都 御池通りから木屋町通りを北に行って100m程行った東側に「武市瑞山先生寓居之跡」碑が「ちりめん洋服発祥の地」碑と二つ...  続きを読む並んで建っています。
    武市瑞山と言うより武市半平太と言った方が通りが良いのではないでしょうか?土佐勤王党を結成した幕末の志士の一人です。
    木屋町通り沿いは幕末史に関わる史跡が多いですが、これもその一つです。  閉じる

    投稿日:2015/10/22

  • 通称「武市半平太」の寓居跡の石碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/05(約11年前)
    • 0

    武市瑞山(1829~65)の通称は半平太で、
    武市半平太(たけち はんぺいた)と呼称されることも多いです。
    坂本龍馬と...  続きを読む同じく土佐藩郷士で、
    江戸に学び尊王攘夷を志し土佐勤王党を結成しました。

    藩内の主流であった公武合体派を退けて、藩論を尊王攘夷に導きました。
    文久二年(1862年)に、山内容堂に従って上洛し、
    この地に住んで応接役として各藩士と交わりました。
    翌年には京都留守居役となりますが、
    8月18日の政変以後、尊王攘夷派は弾圧されて9月に土佐で投獄されました。
    慶応元年(1865年)に、切腹を命じられました。

    また、この地は「ちりめん洋服発祥の地」碑も建っています。
      閉じる

    投稿日:2015/05/13

  • 武市半平太の京都での拠点

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 0

    一か所に武市瑞山寓居跡と、吉村寅太郎寓居跡、そして、ちりめん洋服発祥の地、この三つの石碑が立っています。武市半平太は京都で...  続きを読む尊王攘夷活動を行い、この住居にもいろいろな人々が入れ替わり立ち替わり訪れたのでしょうね。今は石碑しかありませんが、その石碑から昔のことを想像するのも一興です。  閉じる

    投稿日:2015/04/02

  • 土佐勤皇党の盟主

    • 2.0
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 0

    京都の高瀬川を散策し三条通を通りこしたところに、吉村寅太郎寓居跡、武市端山先生の碑があった、小生はこの両名全く知らない、現...  続きを読む地にある説明板によると、土佐藩士で坂本龍馬、中岡慎太郎などで土佐勤皇党を結成した人物と記されていた、武市端山の寓居があったのでここにあったとされている、武市半平太と呼ばれいた人物  閉じる

    投稿日:2015/03/20

  • 土佐勤王党のリーダー

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    武市瑞山寓居跡は、木屋町の中ほど。同じ土佐藩出身の吉村寅太郎寓居跡も隣りです。
    ちなみに、武市瑞山は、土佐勤王党のリーダ...  続きを読むー。どちらかといえば、佐幕派の土佐藩にあって、一時は尊王攘夷に藩論をまとめることに成功しました。しかし、8月18日の政変で長州藩が京都を追われると失脚。山内容堂から切腹を命じられています。   閉じる

    投稿日:2015/02/18

  • 武市半平太、春雨じゃ濡れて行こう、で

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/10(約11年前)
    • 0

    京都の高瀬川を通り、三条通を通りこしたところに、武市瑞山寓居跡と、ちりめん洋服発祥の地、二つの石碑が立っています。誠に今は...  続きを読む石碑があるのみですが、武市は尊王攘夷活動を行なったわけで、この住居にはいろいろな人々の出入りがあったことに思いをはせるのみです  閉じる

    投稿日:2015/06/18

  • 武市半平太の京都での仮住まい

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/01(約13年前)
    • 1

    土佐勤王党を率いた武市半平太が京都で仮住まいした料亭「四国屋(丹虎)」の跡と言われます。現在は料亭「金茶寮」になっており、...  続きを読む鴨川に面した部屋からは東山のすばらしい景色が見えます。ここから池田屋とは100mほども離れていません。  閉じる

    投稿日:2015/12/06

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基本情報(地図・住所)

施設名
武市瑞山寓居跡
住所
  • 京都市中京区木屋町通三条上る東側
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
たびたび さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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