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東鴻臚館跡

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東鴻臚館跡 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11358629

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施設情報

施設名
東鴻臚館跡
住所
  • 京都府京都市下京区西新屋敷揚屋町
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
海猿 さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(30件)

京都駅周辺 観光 満足度ランキング 52位
3.33
アクセス:
3.23
JR丹波口からあるいて5~10分 by 関西が好きさん
人混みの少なさ:
3.84
ちらっと人にでくわす程度の道にある by 関西が好きさん
バリアフリー:
3.20
道が整えられてるし誰でも問題なし by 関西が好きさん
見ごたえ:
3.07
  • 平安時代には平安京、難波、筑紫の三カ所に外国からの施設を接待する施設がありました。そのうち、平安京の鴻臚館は渤海国からの使...  続きを読む節をもてなし、音楽を奏でたり、詩会などが催されていたようです。もともと、朱雀大路をはさんで左右に鴻臚館があったそうですが、のちにこちらの場所に移されたそうです。渤海国は927年に滅亡し、その後鴻臚館も消滅してしまいます。今は角屋の建物の近くに、石碑と説明板が残るのみです。  閉じる

    投稿日:2023/10/27

  • 島原にあった昔の迎賓館

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/10(約8ヶ月前)
    • 0

    平安時代、京都には外国からの賓客をもてなす鴻臚館(こうろかん)と呼ばれる施設がありました。島原の西端に当時の揚屋であった角...  続きを読む屋もてなしの文化美術館があり、その角屋の北側に東鴻臚館の跡地を示す石碑が立っています。  閉じる

    投稿日:2023/10/08

  • 島原に残る東鴻臚館址

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/04(約1年前)
    • 0

    日本最古の公許花街として発展してきた島原。島原の西端に当時の揚屋であった角屋もてなしの文化美術館があります。この角屋の北側...  続きを読むに東鴻臚館の跡地を示す石碑が立っています。鴻臚館は、外国使節を接待するための施設で、平安京の羅城門北側に朱雀大路を挟んで東西に鴻臚館が建てられていたそうです。  閉じる

    投稿日:2023/05/04

  • 今は石標がたてられています。

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/10(約2年前)
    • 0

    この東鴻臚館跡は島原の一角で角屋の北側の小径の奥にあります。JR嵯峨野線梅小路京都西駅から北に5分強の場所にあります。この...  続きを読む東鴻臚館は平安京の渤海国の接待用のものです。渤海国が滅亡し使者が来なくなるとともにこの東鴻臚館も役目がなくなったのです。今は石標がこの館の存在と渤海国との交流が伝えています。  閉じる

    投稿日:2023/01/09

  • 外国使節を接待するための施設跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/09(約2年前)
    • 0

    「鴻臚館」とは外国使節を接待するための施設ということです。平安京においては、羅城門の北側に朱雀大路をはさんで東西鴻臚館が建...  続きを読むてられ、その後、9世紀の初めに移転した東鴻臚館の跡を記す石碑が島原地区の一画にあります。石碑の背後には板塀があり、京都の歴史を感じさせる光景でした。  閉じる

    投稿日:2022/11/19

  • かつては渤海国の賓客をもてなした施設

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/10(約3年前)
    • 0

    東鴻臚館跡は、JR丹波口駅から南へ徒歩5分くらいの場所にあります。島原にある角屋の隣、路地の突き当りに石碑と詳しい説明板が...  続きを読むありました。平安時代には渤海国から使節をもてなす迎賓館として使用されたところです。但しどんな建物だったのかはよくわかりません。私は初めて日本と渤海国と交流があったことを知りました。旧跡めぐりをしていると、知らない歴史を知ることができてとても勉強になります。東鴻臚館跡は、道がL字に曲がる角なので見つけやすかったです。  閉じる

    投稿日:2022/03/02

  • 京都という町の歴史を感じました。

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/09(約3年前)
    • 0

    この周辺の街歩きをしているときに、石碑が建っていました。
    小さかったのですが、印象に残っています。
    写真を撮って、帰宅...  続きを読む後調べてみました。
    平安京の時代に造られた外国使節を接待するための施設がここにあったという事を示す石碑でした。
    京都という町の歴史を感じました。  閉じる

    投稿日:2022/03/16

  • 時は平安時代に遡る

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/08(約3年前)
    • 0

    東鴻臚館(ひがしこうろかん)址

    かつての京都の花街・島原に、そっと石碑が立っています。

    その石碑によると、時は...  続きを読む平安時代、京の都を南北に貫く朱雀大路の左右に、二つの鴻臚館が設けられていたそうで、渤海国(ぼっかいこく)の使節をもてなす場として利用されたそうです。

    俳人・与謝蕪村が 後に詠んだ歌も、石碑に記されています。
      閉じる

    投稿日:2022/01/23

  • 外国の迎賓館跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/01(約3年前)
    • 0

     島原大門の真正面に跡地の石碑がある。現地の説明版によると、鴻臚館は外国使節を接待するための施設で、平安京では朱雀大路をは...  続きを読むさんで東西に鴻臚館が建てられた。主に渤海国からの賓客をもてなしたとされるが、同国が10世紀に滅亡したのに伴い、この館も自然となくなった。遊郭としての島原が誕生したのははるか時代を下って江戸時代だが、人々をもてなす施設が偶然にも同じ場所にできたのは、土地が潜在的に持つ力のようなものを感じる。  閉じる

    投稿日:2021/02/28

  • かつての外交施設があった場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/01(約3年前)
    • 0

    島原住吉神社から南へ移動するとこの石碑が立っていた。ちょうど曲がり角あたりにある。鴻臚館っていうかつての外交施設の跡地で、...  続きを読む渤海国(今でいう中国、北朝鮮あたり)の使徒を招くための施設。音楽や舞踊を楽しんでいたとのこと。近くに角屋の看板も貼られていた。角屋もてなしの文化美術館もすぐそこにあるからついでに見ていくといい感じ。人通りも少ないからゆっくり見れる。
      閉じる

    投稿日:2021/01/01

  • 島原を散策した際に角屋の次に「東鴻臚館跡」を訪問しました。裏通り然とした通りの木の塀の前に小さな石碑が二つ並んでいます。道...  続きを読むがL字に曲がる角にあるので見つけやすいと思います。人通りも少ないのでのんびり見学できます。  閉じる

    投稿日:2022/01/06

  • 島原付近がそうです

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/10(約4年前)
    • 0

    新撰組隊士が利用した花街の島原が東鴻ろ館跡になります。時の政府は、渤海国の使節を大いに歓待しました。島原にもてなしの文化が...  続きを読むここに華開いたということです。その東鴻ろ館跡は、島原のランドマークの角屋前に立っています。島原の歴史そのものですね。石碑の説明も興味深いです。  閉じる

    投稿日:2021/09/04

  • 島原地区をさらりと観光したときに、西門跡の近くの曲がり角にありました。
    平安京の昔に、外国の使者をもてなした施設とのこと...  続きを読む。島原の遊郭ができるずっと前のことですね。
    このあたりは昔、京のメインストリートの朱雀大路があったところ。なので迎賓館的施設をつくるくらい京の中心だった、ということでしょう。今はぽつりと建った石碑と看板のみ。それも与謝野蕪村の俳句の方がメインのような。歴史を感じさせるささやかな史跡でした。  閉じる

    投稿日:2021/03/22

  • 平安の迎賓館跡!

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/09(約4年前)
    • 1

    島原角家の北の角に東鴻臚館跡の石碑が建っています。
    鴻臚館跡とは平安京のときに設けられた外国使節の迎賓館でした。
    平安...  続きを読む時代は南北の大通り朱雀大路を挟んで七条以北に東西二つの鴻臚館が建てられていたそうです。
    京都の歴史を感じることができ昔の都を思うことができました。   閉じる

    投稿日:2020/09/11

  • 京都歴史探訪

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/06(約4年前)
    • 1

    京都を代表する花街「島原」の角屋の壁沿いに建つ石碑。外国使節を接待するための施設で平安京の羅城門北側に朱雀大路を挟んで東西...  続きを読むに鴻臚館が建てられ弘仁年間(810~24)
    七条北のこの付近に移転したようでその跡碑だけが残っています。当時は渤海国の賓客を接待したそうですが同国の滅亡により衰微したとの事。蕪村の句が刻まれた寂しい石碑です。  閉じる

    投稿日:2020/07/09

  • かつての外交の舞台も今は昔

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/11(約5年前)
    • 0

    島原の急遊郭跡に石碑だけが残っている。 
    鴻臚館は,外国使節を接待するための施設。
    平安京では,羅城門北側に朱雀大路を...  続きを読むはさんで左右に東西鴻臚館が建てられたのが始まり。
    時が移り、その役割も使命も薄れ、10世紀前半には、その役を終えたとされる。
      閉じる

    投稿日:2020/05/01

  • いにしえの外交を物語る石柱。

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/11(約5年前)
    • 0

    京都のかつての花街「島原」
    そこにはいくつかの古い建物や門などが残されており、歴史散歩の場所として」訪ねてみた。
    その...  続きを読む折、「角屋」の北側の道沿いにこの跡を示す石碑が立っているのを見つけた。

    鴻臚館とは平安時代に設置された外交や海外交易の為の施設の由。

    この石碑には由来の他、与謝野蕪村の鴻臚館を詠んだ句も記されていた。
      閉じる

    投稿日:2019/12/04

  • 昔の町並

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/02(約5年前)
    • 0

    JR丹波口駅から水族館に向かって歩く途中、史跡があるとのことで立ち寄りました。卸売市場の近くでしたが、ここに来ると急に町並...  続きを読むみが変わります。平安時代のものだそうです。ごく一部分だけですが、京都らしい写真を撮れる場所ですね。  閉じる

    投稿日:2019/02/10

  • 平安時代の迎賓館跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/10(約6年前)
    • 0

    「東鴻臚館跡碑」は、島原にある角屋の隣、路地の突き当りに石碑と案内板があります。平安時代に渤海施設の迎賓館として使用された...  続きを読むところです。どんな建物だったのかはよくわかりませんが立派な案内板なので、重要な役割を持っていた場所なのかなと想像しています。  閉じる

    投稿日:2018/10/31

  • 島原付近にあった平安時代の施設

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/08(約6年前)
    • 0

    「跡」というだけあって、石碑が建っているだけですが、島原の付近が平安時代、渤海国の使節をもてなす場所だったというのは初めて...  続きを読む知りました。平安時代の歴史の一端に触れる思いでしたが、土の下には鴻臚館の遺跡が今も眠っているのかもしれませんね。鴻臚館を歌った蕪村の俳句も石碑に刻まれていました。  閉じる

    投稿日:2020/07/02

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