大井玄洞翁の胸像
名所・史跡
3.32
クチコミ・評判
1~20件(全31件中)
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見逃せない観光アトラクション
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- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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今まで知らなかった人物について学び楽しめました!
- 3.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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『大井玄洞(おおいげんどう)翁の胸像』は、「目白通り(都道8号)」の「江戸川橋」交差点から「江戸川公園前」交差点までの南北... 続きを読む区間を東西に流れる荒川水系の一級河川「神田川」に架かる「江戸川橋」の袂(北西側)を起点に「神田川」に沿って左岸側(北側)部分を「神田川」上流方向(西側)に向かっておよそ500メートルにわたり整備されている文京区立「江戸川公園」内の「目白通り」側一画となる東京メトロ・有楽町線「江戸川橋駅」1a出入口から徒歩1分程度(およそ100メートル)の場所に設置されています。
ちなみに『大井玄洞』は、徳川幕府・第13代将軍「徳川家定」の時代となる江戸時代末期の1855年(安政元年)に加賀藩の儒学者であり医師の子として生まれ、加賀藩の藩校である「明倫堂」で儒学などの学問や「道済館」で英語を学んでいます。
明治維新後の1869年(明治2年)から1873年(明治6年)まで「大学南校(現:東京大学)」に入学しドイツ語を学び、「大学南校」を卒業後は「大学区医学校(現:東京大学医学部)」でドイツ語の通訳をはじめドイツ語の薬学などに関する専門書の翻訳活動をおこない、1880年(明治13年)から1885年(明治18年)まで一旦ふるさとに戻り「金沢医学校製薬学科(現:金沢大学薬学類)」で薬局長ならびに内務省主管の金沢医術開業試験委員を兼務したのちの1886年(明治19年)に9か月程度となるドイツ短期留学をしています。
帰国直後から1900年(明治33年)まで陸軍薬剤官として陸軍病院薬剤課長心得、陸軍軍医学校教官を務め、師団軍医部として「日清戦争」に出征、凱旋後に陸軍薬局方編纂委員、予備役などを務めています。
陸軍を退役したのちは、東京市小石川区(現:文京区)に居住し衛生材料(ガーゼ・脱脂綿など)関連の商いをするかたわら当時の小石川区会議員を務め、さらに1907年(明治40年)から1928年(昭和3年)までは当時の東京府会議員を務めたのちの1930年(昭和5年)に逝去し75年の生涯に幕を閉じています。
『大井玄洞翁の胸像』の建立まで経緯については、『大井玄洞』が陸軍を退役してから小石川区に在住して議員を務めていた時代にたびたび洪水をおこしていた「神田川」において特に1910年(明治43年)に発生した大水害を機に治水工事の重要性を感じていた『大井玄洞』の尽力により、1913年(大正2年)に「神田川」護岸改修工事が着手され、6年後の1919年(大正8年)に護岸改修工事の完了とあわせて「江戸川公園」が整備されています。
この「神田川」治水事業に尽力した『大井玄洞』の功績を称えて永くその徳を伝える目的で1928年(昭和3年)に胸像が「江戸川公園」内に建立されています。
今回は、「江戸川橋」周辺エリアを訪れた際に「江戸川公園」内を通り『大井玄洞翁の胸像』の存在に目が止まりましたが、今まで『大井玄洞』に関する知識が全くありませんでした。
『大井玄洞翁の胸像』の存在に気が付き胸像自体は地味なものでこれといって見応えがあるわけではありませんでしたが、今まで知識のなかった『大井玄洞』という人物について学ぶきっかけになり色々と調べることで楽しむことができました。 閉じる投稿日:2021/09/30
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神田川の治水事業に貢献した人
- 3.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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神田川の治水事業に功績のあった人物
- 3.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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髭顔
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- 旅行時期:2021/01(約5年前)
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目立つ
- 4.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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江戸川公園の中にあります。
- 3.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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江戸川公園に入って直ぐあるので、簡単に見つけられます。
- 4.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
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大井玄洞
- 3.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
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江戸川公園を訪問するなら必見です。
- 3.5
- 旅行時期:2019/05(約7年前)
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江戸川公園の入口に建つ神田川治水事業の偉人
- 3.5
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
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2つの人生を送った様な方でした。
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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専門外の功績が称えられて・・・
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
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大井玄洞は、薬剤の権威でしたが、東京府議会議員となり、神田川の治水に尽力しました。
- 3.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
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大井玄洞は、薬剤の権威でしたが、東京府議会議員となり、神田川の治水に尽力しました。
薬剤の分野で活躍した後、区会議員から... 続きを読む東京府会議員となり、当時、たびたび洪水をおこしていた神田川の治水に尽力するようになりました。
大正2年(1913年)に、神田川の護岸工事に着手、大正8年(1919年)に、完成にいたりました。
それらの功績により、胸像が神田川の北岸に置かれています。
畑違いの分野で、住民の生活の安寧を図るという慣れない仕事に、悩んだことも想像に難くありません。
平均寿命の短い当時、60歳前後の年齢で、それらの艱難辛苦を克服し、立派な業績を上げたことに敬意を表したいと思います。
大変なことばかりだったと思います。その努力を評価させて頂きたいと思います。
目立たない場所に置かれた胸像ですが、訪れる価値が大だと思います。
お勧めの場所だと推奨させてもらいます。 閉じる投稿日:2018/10/18
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治水
- 4.0
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
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神田川の治水事業の功績を称え建てられた胸像です
- 4.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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文京区関口2丁目の神田川北側沿いの東西に細長い区立江戸川公園内にある胸像で、東 (地下鉄・江戸川橋駅) 側から入ると綺麗... 続きを読むなトイレの左手奥の通路沿いに、神田川に向いて建ててあり説明板もあります。
その説明板には、「大井玄洞の胸像」とともに「神田上水」と「江戸川の桜 (かつての挿絵付)」についても記してありとても役立ちます。
「大井玄洞の胸像」のところを見ると、概要だが
かつて江戸川と呼ばれていた神田川は、たびたび洪水をおこし、沿岸の人々にとって治水事業は、永年の願いだった。
大井玄洞 (1855~1930) は人々の願いをかなえるため、大正2年 (1913) から6年掛け護岸工事を完成させた。
人々は、この治水事業の功績を称え、昭和3年 (1928) ここに玄洞の銅像を建てた。
とのこと。
今の神田川を見ると、説明板に載っているかつての挿絵とは全く違っているが、先人たちの種々の尽力により桜はあるが洪水のない神田川になっていることが分かります。
江戸川公園を訪ねた折は、かつての神田川の様子なども分かるので説明板とともにこの胸像をご覧になることをお勧めします。 閉じる投稿日:2018/08/03
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江戸川公園の一角にあります
- 3.5
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 34
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江戸川公園の入口にあります
- 3.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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神田川の治水工事に尽力
- 3.5
- 旅行時期:2018/01(約8年前)
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神田川の治水工事に貢献しました
- 3.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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