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黄金森公園

公園・植物園

知念・玉城・八重瀬

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黄金森公園 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11342335

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施設情報

施設名
黄金森公園
住所
  • 沖縄県島尻郡南風原町喜屋武
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 公園・植物園
登録者
はまちゃん さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(13件)

知念・玉城・八重瀬 観光 満足度ランキング 49位
3.3
アクセス:
3.82
南風原文化センターから歩いてすぐ。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
人混みの少なさ:
4.41
誰とも出会っていません。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
バリアフリー:
3.08
足場はあまり良くありません。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
見ごたえ:
3.95
色々な意味で歴史に想いを馳せました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
  • 沖縄戦のときの病院だったところです

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/02(約3年前)
    • 0

    南風原町の黄金森一帯は沖縄戦のときに陸軍病院の壕のあったところです。
    壕の中にベッドや手術場所などが置かれました。
    ...  続きを読む名なひめゆり部隊もここで最初兵士の治療などにあたっていたようです。
    壕の中の様子は近くの「南風原文化センター」に再現されています。  閉じる

    投稿日:2021/03/17

  • ガイドさんが付いて丁寧に案内してくれる

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/09(約5年前)
    • 0

    米軍の沖縄上陸で、急遽この付近に20本以上の地下壕を掘って移転した病院。
    20号以外は、ほぼ埋まってしまい跡地に看板が立...  続きを読むつのみ。
    残った20号だけガイドさんについて見学可能(要予約)。
    掘削はツルハシを使ったオール手彫りで壁にツルハシのスジが残ってて切ない。  閉じる

    投稿日:2019/10/27

  • きわめてシンプルなおもろまちにある公園広場

    • 2.0
    • 旅行時期:2018/10(約6年前)
    • 0

    那覇中環状線からまっすぐな遊歩道で繋がっています。トイレ位で最小限の施設があるだけであまり日光を遮る物はありませんが園内は...  続きを読む整備されていています。天気の良い日などはジョギングコースとして最適だと思います。  閉じる

    投稿日:2019/09/26

  • 沖縄で地上戦が行われた昭和戦争をめぐる旅をした際に立ち寄ったのがここ「沖縄陸軍病院 南風原壕群20号」。ここには、ヘルメッ...  続きを読むトをかぶって、濠の中を案内してもらいました。しっかりと落盤を警戒した見学体制になっていました。かつて、日本軍はせまっていた”沖縄戦”に備え、この地に、沖縄陸軍病院壕を作り上げました。ここには、医者、軍医、看護婦、衛生兵とその後、名前が知られるようになった”ひめゆり学徒”らがここで傷病兵の治療などにあたったとのこと。当時の悲惨な状況を思い起こすことができますよ。  閉じる

    投稿日:2017/03/27

  • 元々は熊本で編成された第32軍の陸軍野戦病院が、那覇市内で活動していたものの十・十空襲で焼け出され、南風原国民学校校舎に移...  続きを読む転してきました。第32軍野戦築城部隊の指導のもと現在の壕群がある一帯に約30もの横穴壕が掘られ、米軍の艦砲射撃が始まった3月下旬に南風原国民学校から各壕へと移動し、南風原陸軍病院としての歴史が始まります。広池文吉病院長以下軍医、看護婦、衛生兵約350名に加えて3月24日にはひめゆり学徒222名が引率教師18名に引き連れられて来院、学徒看護要員として動員されます。

    4月1日の米軍上陸後激増した外傷患者に対応するために診療科の編成が行われ、第一外科(元外科)・第二外科(元内科)・第三外科(元伝染病科)へと改められます。この改編と配属が後々学徒の犠牲者数を大きく左右することになることは、その当時わからなかったこととは言え、無情な運命を感じずにはいられません。そして5月下旬軍司令部より南部への撤退命令が出たため、南風原病院も撤退することになります。ここで重症患者には青酸カリや手榴弾が渡され、自決を強要されたとの証言もあります。また置き去りにされた重症患者の中には、撤退する部隊を追うように這って壕を出た者もいたそうですが、砲弾が飛び交う中泥まみれになって途中でこと切れたものも多々いたそうです。

    戦争が終わり病院としての役割を終えたこの南風原陸軍病院壕ですが、南風原町により平成2(1990)年第二次世界大戦の戦跡として初めて文化財に指定されました。その後平成19(2007)年には壕の中でも保存状況が良かった第20号と第24号が一般に公開されました。しかし残念ながら公開による壕内部を取り巻く環境の変化は想像以上に大きく、24号は土砂の流入により閉鎖。20号でも火炎放射器の跡である焼け焦げた壕内部のはく離や患者が刻んだとされる文字のはく離の危険性など、その処置のため公開当時の様子が見学できないところもあります。ポリウレタンで補強などもされているものの公開を始めて8年の月日で変わってしまったことは、戦争の傷跡を残す場所を体験できる?体験学習?の場を提供してもらえることのありがたさを感じると同時にそのギャップに心が痛むところもあります。

    その現状を目の当たりにしながら入壕体験をさせて頂き、ガイドさんが語ってくれた「可能な限り公開したい」という言葉の重みを改めて感じました。入壕体験は予約制で一組20分程です。その時間には?短過ぎる?とも思いましたが、壕保全の考えからそのようになっていることをし知り、納得しました。  閉じる

    投稿日:2016/03/11

  • 黄金森(くがにむい)公園、南風原町立の陸上競技場や野球場があるこの場所は、今から70余年前第32軍直轄の沖縄陸軍病院南風原...  続きを読む壕群がありました。ひめゆり学徒が従軍していた場所のひとつですが、平成21(2009)年にその壕群のひとつである第20号が一般に開放されています。しかし一般公開することによって起こった環境の変化は、壕の状態を急速に劣化を進めることとなり、補修を重ねながら今日に至っています。

    壕内見学の際にガイドさんが仰っていた『可能な限り見て頂きたい』との思いのもと、見学できるありがたみを感じました。またひめゆり学徒が命がけで?飯?を運んだ?飯上げの道?は、少し手は加わっているものの往時を偲ぶ貴重な歴史遺産として体験できる貴重な場所になっています。

    運動競技場でもあり、夜景スポットとしても知られている場所ではあるものの、やはりここへ来たなら外せない戦跡巡りは忘れてはならないことではないでしょうか。  閉じる

    投稿日:2016/08/21

  • 黄金森の一角で南風原文化センターから沖縄陸軍病院址と悲風の丘を抜けると?飯上げの道?の表示が見えてきます。

    陸軍病院...  続きを読む南風原壕群が稼働していた数ヶ月の間、学徒看護隊として従軍していた沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒から構成されたひめゆり学徒が、病院壕からこの坂を超えて、集落の井戸まで行って飯を炊き運んでいました。砲弾の飛び交う中でのこの行動は、言うまでもなく命懸けの行為であり、この最中に砲弾に当たり犠牲となった学徒もいたことが記録されています。

    そこまでいかなくても足場の悪い梅雨時期の地道であれば、当然足場は悪くただ運ぶだけでもバランスをとるのが難しい場所では、足を滑らせて飯をひっくり返したことも結構あったようです。

    時代の流れと一言でいうのもなんですが、この急速に那覇のベットタウン化した南風原の街ゆえ、すべての戦跡を残すことは不可能であると判断されているところがあります。南風原文化センターから井戸につながる道は整地が決まっており、また飯上げの道も足場の悪さゆえ?遊歩道?が整備され天候関係なしに歩くことができるようになっています。

    この南風原一帯の戦跡保存は方針が少し変わっており、そのまま残すのではなくその雰囲気を?見せるもの?にして見学して貰おうという意図が見えます。勿論そのことによってより多くの見学者に来て貰えれば、戦跡を知って貰う意図は叶うのかも知れません。しかしその反面今の整地された道を往時のものと錯覚し、内面が見えないままこの場を立ち去るものも多く出てくることを寄寓します。

    そのままの姿で残すことが難しければ、少なくとも?整地した旨?を明記し、誤解を招かないようにしなければならないのでは…、そう思ったのは私だけではないのではないでしょうか。  閉じる

    投稿日:2016/07/29

  • 南風原町3つの字にまたがる黄金森。ここに沖縄戦末期に沖縄守備第32軍直轄である南風原陸軍病院壕が作られました。那覇市街に置...  続きを読むかれていた沖縄陸軍病院は、昭和19(1944)年10月10日の十・十空襲で焼け出され、南風原国民学校(現:南風原小学校)に移動してきました。その後米軍の上陸前に黄金森一帯に30とも40ともいわれる病院壕を掘り、そこへと入ることとなります。院長の広池文吉軍医中佐以下軍医・看護婦・衛生兵など300余名の体制でしたが、その後昭和20)(1945)年3月23日に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒から構成された?ひめゆり学徒隊?が加わります。

    しかし戦況の悪化により、5月下旬には沖縄守備第32軍司令部が南部へと撤退を決定し、それに同行する形で陸軍病院も南部へと撤退命令が出されます。その際学徒や兵士(主には防衛隊員)に肩を借りて移動するも重症患者で移動が困難だった兵士は取り残され、処置という名目で薬物注射や手榴弾によって自決を遂げるなどしたそうです。なかには隊の後を追うように、這いつくばって追いかけた者もいたようですが、砲弾の嵐の中泥にまみれてそのままこと切れたものがほとんどだったようです。

    約2ヶ月の南風原陸軍病院壕としての機能でしたが、沖縄島中部戦線に於ける負傷者が日々運ばれ、寝る間もなく治療にあたったひめゆり学徒の話は知る人も多いと思います。しかしその中陸軍病院内で戦死した兵士他医療スタッフ2,200余名のことが語られることはあまりないようです。その犠牲者を慰霊するために昭和41(1966)年3月に建立された?悲風の丘?の碑、元内閣総理大臣佐藤栄作氏の揮毫によるものですがプロバガンダ的な解釈をされる方も多いと聞きます。

    思想論は抜きにして?悲風の丘?建立50年が経ち、付近一帯の様子が目まぐるしく変わっている事実があります。陸軍南風原病院第2外科壕第20号の一般開放、付近一帯の整地等運動公園の開設も含めて利用者向けの便宜的なものは、正直その戦跡そのものの保存とは少し意図が違うもののように思えてなりません。悲風の丘の碑の脇に建立されている沖縄陸軍病院壕址の碑に関しても、建立当時は病院壕の解放がされておらず、付近一帯の戦跡だという意味で建立されたもののように思えます。

    一昔前黄金森一帯の陸軍病院壕址他飯上げの道を含め、?けもの道?と評されているものが多いのですが、現在ではそれ程ひどいものには思えない事実があります。確かに飯上げの道は地道であり、降雨の後は足場が悪くなるため迂回する遊歩道を利用して下さいとの注意書きがありました。そのような現実的な背景を考えると、現地点に病院壕址の碑や悲風の丘の碑を据え置く必要もないようにも思えます。付近一帯で多くの戦死者が出たのは事実ですが、その多くは病院壕の中で亡くなっていることは間違いのないことであり、ならば壕の近くに建立するのが理に適っているのではないか…そう思えてなりません。

    一般開放された第2外科壕第20号は開放から9年が経ち経年劣化が進んでいます。同時期に開放された24号は土砂の流入で3年間で閉鎖されており、20号もいつまで開放できるのかわからないと聞きました。砂岩質の壕内は決して頑丈というものではなく、表面から剥離して行く特徴があります。そのため一般開放をすることによって人の出入りが激しくなり、従来の湿気が高すぎるという印象も減りつつあるようです。ウレタンで補強されたりして痛々しい姿を目にすることにはなりますが、将来的に閉鎖の可能性があるのであれば、その遺構に新たに作るのではなく現存の慰霊碑を移設することが必要ではないかと思います。

    通路が変わったこともあるのか建立地の位置がずれており、南風原文化センター近くの建立地は、飯上げの道付近となっているようです。年々変わる黄金森一帯、その経過を自分の目で見て行きたいと改めて思います。  閉じる

    投稿日:2016/07/20

  • 深さ20mくらいの掘った壕です。

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/06(約9年前)
    • 0

    案内してくれる人が必要で、予約が必要です。しかし、ガイド料は取られません。周辺地域から壕の中まで30分以上かけて説明してく...  続きを読むれます。壕の中は暗く、当時の状況がうかがい知れます。戦況が悪くなるとアブチラガマへ移動したそうで、ほんのちょっとだけしかつかわれなかったみたいですが、とっても貴重な遺跡です。  閉じる

    投稿日:2017/04/09

  • 胸が熱くなりました

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/04(約10年前)
    • 1

    南風原町文化センターの奥に「南風原陸軍病院壕」があります。 20号壕をはじめとする壕群は、南風原町の文化財に指定されていて...  続きを読む、壕の保全のために入り口は閉ざされていてます。
    入壕に際して、料金大人300円を支払うと、ヘルメットや懐中電灯を貸してくれて平和ガイドさんが扉を開けて案内してくれます。
    壕の中は真っ暗で天井が低く、とても狭い空間で湿っていています。平和ガイドさんが、米軍が火炎放射器で攻撃した跡や、壕内から発見された医薬品のビンなど壕の特徴と共に、この狭い壕に、大量の傷病兵や看護婦・衛生兵などがつめこまれていたことや、麻酔のないままの手術や手足の切断なども日常的におこなわれていたことなどを説明してくれました。
    この様な悪い環境の中で、命を落とされた方々やご苦労された方々のことを思うと胸が熱くなりました。  閉じる

    投稿日:2014/04/16

  • 陸軍病院壕などがあった場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/04(約11年前)
    • 1

    「黄金森公園」は、県道86号線の“喜屋武”の信号の北側にあります。南風原町の喜屋武、宮平、兼城の三ケ字にまたがる広い公園で...  続きを読むす。広い駐車場がいくつかあります。ここは、遊具などはなく、陸上競技場と史跡のみですが、小高い丘にあるため、眺めは素晴らしく週末になると陸上競技場で野球をする子どもたちやウォーキングをする人たちであふれています。第二次大戦中に陸軍病院壕などがあった場所で、受付所の近くには石碑や鐘がありました。この黄金森の丘だけで壕が30以上もあるそうです。

      閉じる

    投稿日:2013/05/14

  • 戦跡とレクリエーション

    • 3.5
    • 旅行時期:2010/09(約14年前)
    • 1

    「黄金森」と書いて「くがにむい」と読みます。
    この丘陵地帯の北側斜面と南側斜面はまさに「陰」と「陽」。
    立派なスポーツ...  続きを読む公園の北側に対し、南側は全く違う顔です。
    「悲風の丘」という慰霊碑をはじめ、南風原陸軍病院壕跡の洞窟が数えきれないほどあります。
    北側にも19号~22号と呼ばれる壕がありますが、その中で唯一「第20号」と呼ばれる壕のみが公開されています。
    第20号病院壕への入場は予約が必要ですが、ガイド付きで案内してもらえます。(入場料\100)
    しかし、公開に際して安全のために塗り固められた壁と通路からは、止むを得ない措置とは言え、当時の悲惨さは伝わりにくく、糸数壕のような切迫感は感じられません。
      閉じる

    投稿日:2013/05/14

  • 明るい運動公園の裏手には

    • 4.0
    • 旅行時期:2009/10(約15年前)
    • 1

    南風原十字路から県道5号を東風平へと下る途中、左手に小高い丘が見え、「悲風の丘入口」と書かれた看板があります。「黄金森」と...  続きを読む呼ばれるこの一帯が南風原陸軍病院壕及び関連史跡がある場所です。
    丘陵の反対側は明るいスポーツ公園になっています。

    ●悲風の丘
    入口の看板付近に車を停め、丘を登っていくと、「悲風の丘」の碑が立っています。
    この碑は1966年に佐藤栄作元首相によって建立されたものであり、これ以降、英霊顕彰の名の下、戦時の事実が美談へとすり替えられてゆくことになりました。
    碑自体は、訪れる人も少ないのか、周囲は荒れ放題で供花もありません。遺族に親しまれている場所ではないようです。

    ●南風原陸軍病院壕趾
    「悲風の丘」の碑に隠れるように立つ「南風原陸軍病院壕趾」の碑。
    1953年南風原村によって建立されました。「重傷患者二千余名自決の地」と碑文にありますが、自決とは名ばかりの「死の強要」の忌まわしき記念碑とも言えるでしょう。  閉じる

    投稿日:2013/05/20

1件目~13件目を表示(全13件中)

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