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ひめゆり学徒が学徒看護隊要員として動員されていました。~南風原陸軍病院壕群第20号~

  • 5.0
  • 旅行時期:2016/03(約10年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

知念・玉城・八重瀬 クチコミ:60件

元々は熊本で編成された第32軍の陸軍野戦病院が、那覇市内で活動していたものの十・十空襲で焼け出され、南風原国民学校校舎に移転してきました。第32軍野戦築城部隊の指導のもと現在の壕群がある一帯に約30もの横穴壕が掘られ、米軍の艦砲射撃が始まった3月下旬に南風原国民学校から各壕へと移動し、南風原陸軍病院としての歴史が始まります。広池文吉病院長以下軍医、看護婦、衛生兵約350名に加えて3月24日にはひめゆり学徒222名が引率教師18名に引き連れられて来院、学徒看護要員として動員されます。

4月1日の米軍上陸後激増した外傷患者に対応するために診療科の編成が行われ、第一外科(元外科)・第二外科(元内科)・第三外科(元伝染病科)へと改められます。この改編と配属が後々学徒の犠牲者数を大きく左右することになることは、その当時わからなかったこととは言え、無情な運命を感じずにはいられません。そして5月下旬軍司令部より南部への撤退命令が出たため、南風原病院も撤退することになります。ここで重症患者には青酸カリや手榴弾が渡され、自決を強要されたとの証言もあります。また置き去りにされた重症患者の中には、撤退する部隊を追うように這って壕を出た者もいたそうですが、砲弾が飛び交う中泥まみれになって途中でこと切れたものも多々いたそうです。

戦争が終わり病院としての役割を終えたこの南風原陸軍病院壕ですが、南風原町により平成2(1990)年第二次世界大戦の戦跡として初めて文化財に指定されました。その後平成19(2007)年には壕の中でも保存状況が良かった第20号と第24号が一般に公開されました。しかし残念ながら公開による壕内部を取り巻く環境の変化は想像以上に大きく、24号は土砂の流入により閉鎖。20号でも火炎放射器の跡である焼け焦げた壕内部のはく離や患者が刻んだとされる文字のはく離の危険性など、その処置のため公開当時の様子が見学できないところもあります。ポリウレタンで補強などもされているものの公開を始めて8年の月日で変わってしまったことは、戦争の傷跡を残す場所を体験できる?体験学習?の場を提供してもらえることのありがたさを感じると同時にそのギャップに心が痛むところもあります。

その現状を目の当たりにしながら入壕体験をさせて頂き、ガイドさんが語ってくれた「可能な限り公開したい」という言葉の重みを改めて感じました。入壕体験は予約制で一組20分程です。その時間には?短過ぎる?とも思いましたが、壕保全の考えからそのようになっていることをし知り、納得しました。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
那覇空港から車で30分程です。
人混みの少なさ:
5.0
訪れた時はひとりでした。
バリアフリー:
3.0
入壕は無理だと思います。
見ごたえ:
5.0
黒く焼けた壁面に言葉を失いました。

クチコミ投稿日:2016/03/11

いいね!:7

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