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高松殿址

名所・史跡

二条・烏丸・河原町

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高松殿址 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11332308

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施設情報

施設名
高松殿址
住所
  • 京都市中京区姉小路通釜座東入北側(高松神明社前)
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
はまちゃん さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(16件)

二条・烏丸・河原町 観光 満足度ランキング 155位
3.32
アクセス:
3.58
地下鉄「烏丸御池」・「二条城前」駅の中間点、御池通りの1本南側の姉小路通り沿い by T04さん
人混みの少なさ:
4.00
周辺も含めてどなたの姿もないほど、静かな生活道路沿いにありました by T04さん
バリアフリー:
3.75
見ごたえ:
3.25
街角の鳥居、社殿も小ぢんまりしており、資格的な見応えは大したことありませんが、歴史を少し知っていると、色々な舞台になったことが分かります by T04さん
  • 光源氏のモデル?

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/03(約1年前)
    • 0

     醍醐天皇の第十子で臣籍降下した源高明の屋敷跡。高明は順調に栄達の道を歩み右大臣にまで上り詰めるが、安和の変で太宰府に左遷...  続きを読むされる。現地には石碑だけでなく高松神明神社があり、小ぶりだが境内はにぎやかだ。行列が練り歩く絵や神社のいわれ、真田幸村ゆかりのお地蔵さんなどバラエティーに富んでいる。高明の説明板もあるが、光源氏のモデルの一人に想定されている、とあった。  閉じる

    投稿日:2023/05/28

  • あまり印象に残らない史跡でした

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/09(約2年前)
    • 0

    烏丸通りから姉小路通りを西へ200メートルほど進んだところにある高松神明神社の前に「高松殿址」と記された高札があります。そ...  続きを読むの記述によると、高松殿とは醍醐天皇の皇子の邸宅だった場所ということです。正直、あまりピンとこない史跡だと思いました。  閉じる

    投稿日:2022/11/19

  • 平安時代の政治の舞台

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/09(約2年前)
    • 0

    姉小路通にある高松神明神社は、高松殿の鎮守の社として祀られていました。
    鳥居の側に「高松殿址」の石碑が建っています。
    ...  続きを読む醍醐天皇の皇子西宮左大臣と呼ばれた源高明(たかあきら)の邸宅跡、とあります。
    久寿2年(1155)に後白河天皇は、高松殿で即位してここを里内裏とし、政務を執ったので高松内裏ともいわれました。
    平治元年(1159)の平治の乱で御所は焼失しますが、高松明神は現在も高松神明社として残っています。
    平安時代の政治の重要な舞台だったんですね。
       閉じる

    投稿日:2022/11/11

  • 数々の歴史の舞台

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/09(約2年前)
    • 0

    姉小路通釜座通を東へ入ってすぐのところに「高松明神神社」があります。鳥居の脇に「高松殿跡」の碑と説明板がありました。高松殿...  続きを読むは、醍醐天皇の息子源高明の邸宅跡です。娘の明子(高松殿)が受け継ぐ。その後、後白河天皇がこの地で即位しました。保元の乱では後白河陣営の本拠地となり源義朝や平清盛らの軍勢がここに参集して、白河の地へ攻め込んだことはあまりにも有名です。平治の乱で全焼しましたが、鎮守社の高松神社だけは現在も「高松神明神社」として残っています。  閉じる

    投稿日:2022/09/22

  • 高松殿址は,地下鉄「烏丸御池」から徒歩5分くらいの高松神明社 鳥居傍に石碑がありました。高松殿は、平安京左京三条三坊三町に...  続きを読むあった邸宅です。源高明(914~82)に始まり,高明の娘で道長妻となった明子が伝領し、高松殿と称されました。その後嘉保2(1095)年白河上皇(1053~1129)の院御所となったが,その所有者は院近臣の藤原顕季でした。康和5(1103)年宗仁親王(鳥羽天皇)の誕生に際し,一連の祝儀が当殿で挙行され,長じて鳥羽上皇(1103~56)の院御所となりました。久寿2(1155)年後白河法皇(1127~92)はこの地で位につき,以降里内裏となりました。保元の乱(1156)では,天皇方の拠点となり、源義朝(1123~60)や平清盛(1118~81)が参集しました。平治元(1159)年に焼失しています。   閉じる

    投稿日:2022/01/04

  • 院政で有名な後白河法皇の内裏があった辺り

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/12(約3年前)
    • 0

    そもそもは10世紀の醍醐天皇の皇子の邸宅があった場所。一旦焼失の後、平安末期の源平対立期には院政で有名な後白河法皇の内裏と...  続きを読むなった場所でもあります。応仁の乱以降も都では戦乱が繰り返されており、平安期の史跡は多くが埋もれて失われてますが、こちらは鎮守社高松明神が高松神明社として残っているおかげで、少しは往時を偲ぶことができるかもしれません。  閉じる

    投稿日:2021/03/02

  • 神社もありました

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/12(約3年前)
    • 0

    高松殿の旧跡にある高松神明神社です。ここは真田幸村ゆかりの神社でもあると看板が出ていましたので参拝させていただきました。境...  続きを読む内はそこまで広くはないですがなんか空気もすんでいたし、天気もよかったので気持ちよかったです  閉じる

    投稿日:2020/12/09

  • 石碑が残るだけです

    • 5.0
    • 旅行時期:2020/06(約4年前)
    • 0

    高松殿は、醍醐天皇の皇子で西宮左大臣と呼ばれた源高明によって造営された邸宅です。現在は説明板と石碑が残るのみです。しかも高...  続きを読む松神神社の鳥居の根元にひっそりと立っているので、ほとんどの人が神社の石碑と思うでしょう。とても影の薄い存在です。  閉じる

    投稿日:2021/02/12

  • 高松神明神社は御殿の守護社!

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/03(約4年前)
    • 0

    二条城の周辺をぶらぶらしています。この「高松殿址」は姉小路通釜座を東へ北側にある高松神明神社の前に駒札とともに石碑が建って...  続きを読むいます。
    高松殿とは醍醐天皇皇子の源高明の御殿として造営されされ娘の明子の住いでもあったとのことです、石碑はそれを示すものです。
    ちなみに高松神明神社は伊勢から天照大神を勧請し高松殿の鎮守の社として祭った社とされています。
    やはり関係がありました。合わせて見学してください。
      閉じる

    投稿日:2020/03/18

  • 歴史的な場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/01(約4年前)
    • 0

    烏丸御池駅から西南方向に少し歩いたところに高松神明社があります。白い鳥居が印象的です。その鳥居の左横に高松殿址の碑がありま...  続きを読むす。
    源高明(914~982年)の邸内に祀られていた鎮守社高松明神が始まりといわれています。平安時代中期、高明の末娘明子が藤原道長と一緒になり、この地に住み高松殿と称された。
    保元の乱(1156年)では後白河天皇の本拠地となり、(後白河天皇はここで即位)
    その後、平治の乱(1159年)で高松殿は焼失し、今は神明社のみ残っています。今は静かな街中にとけこんでいます。  閉じる

    投稿日:2020/07/21

  • 高松神明神社

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/01(約4年前)
    • 0

    姉小路通りを烏丸通りから西へぶらぶら歩いていると、白い鳥居の神社があった。京町家と同じくらいの間口なので、大したことはない...  続きを読むだろうと思って入ってみると、何の何の歴史のある由緒正しき神社ではないか。しかもここには高松殿があったとか。  閉じる

    投稿日:2020/01/29

  • 白い鳥居が目立つ

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/09(約5年前)
    • 0

    二条城からほど近い御池通から一本入った姉小路通り沿いにある、醍醐天皇の皇子源高明の御殿だったところです。その後高明の娘で藤...  続きを読む原道長の妻になった明子の邸宅となり、高松殿となりました。現在は高松神明神社になっていて、白い鳥居が目立って見えます。  閉じる

    投稿日:2020/05/08

  • 後白河天皇の本拠地跡

    • 2.5
    • 旅行時期:2019/08(約5年前)
    • 0

    新町通りと釜座通りの間、姉小路沿いに高松神明神社があります。その鳥居の左側に高松殿址の石碑が立てられています。高松殿は醍醐...  続きを読む天皇の皇子、源高明の邸宅で、その後、後白河天皇の本拠地となった所です。高松神明神社は高松殿の社として祀られいたそうです。
    この時代の歴史には詳しくないので、史実のあった場所で見学すると勉強になりました。  閉じる

    投稿日:2019/11/07

  • 元々は源高明の邸宅、安和の変で勉強した人ですね。焼失した後に鳥羽上皇の命によって新造され、後白河天皇が当地で即位。保元の乱...  続きを読むでは後白河天皇の本拠地となって源義朝や平清盛の勢力などが参集など、駒札に書いてあることの一部だけでも「凄い!」と思わせる場所です。さらに真田幸村がらみの「神明地蔵尊」もお祀りされていました。恐るべし京都!です。  閉じる

    投稿日:2019/03/13

  • 高松殿址は、高松神明社の入口、鳥居横に石碑があります。
    ちなみに、高松殿は、平安時代の邸宅。源高明に始まり、高明の娘で道...  続きを読む長の妻となった明子が受け継ぎ高松殿と称されたもの。
    その後、白河上皇や鳥羽上皇の院御所となったり、保元の乱では天皇の内裏で清盛らもここに集まったり。数々の歴史の重要な舞台となったすごい邸宅です。  閉じる

    投稿日:2017/08/02

  • 保元の乱の舞台ともなった場所です

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/06(約10年前)
    • 0

    姉小路通沿い、釜座(かまんざ)東入にあり、入口に鳥居があって現代的な意味では小さな神社(高松神明神社)のような風情の場所で...  続きを読むすが、ここは歴史的にはあの平清盛や後白河法皇が関わった保元の乱の舞台となった場所としても知られています。その後、平治の乱の際に当時の御殿は焼失したとされています。  閉じる

    投稿日:2015/06/06

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