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稲むらの火の館

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浜口梧陵旧邸

  • 3.5
  • 旅行時期:2013/09(約12年前)
bluejaysさん

by bluejaysさん(男性)

湯浅・広川 クチコミ:3件

浜口梧陵は醤油発祥の地湯浅に生まれ、12歳でヤマサ醤油の浜口本家の養子となった。梧陵は雅号で、字は公輿、諱は成則である。ヤマサの当主となってからは、7代浜口儀兵衛を名乗った。

若くして江戸で学び、開国論者となった彼は、海外留学を志すがかなわず、郷里広村に戻り、耐久舎を創設して人材の育成に当たった。
1854年の安政南海地震のとき、大量の藁に火をつけて安全な高台への避難路を示し、村人たちを津波から救う。小泉八雲による小説“A Living God”と、中井常蔵によるその訳書「稲むらの火」は、これに基づいている。1858年、私財を投じて広村堤防を築いた。
西洋種痘所が焼失すると、梧陵は1859年、種痘所再開のため300両を寄付している。
1868年には、商人でありながら紀州藩勘定奉行に任命され、後には藩校教授や大参事を歴任するなど、藩政改革に尽力した。1871年には、初代駅逓頭(郵政大臣)に就任。1880年、和歌山県議会議長となる。
1885年には、かつての夢だった海外渡航を果たすが、ニューヨークで病死した。

「稲むらの火」はかつて国定教科書に掲載されたが、事実と異なる創作があり、戦後になって姿を消した。いっぽう小泉八雲によって、浜口梧陵の事績は広く海外に知れ渡った。
2004年のスマトラ島沖地震とその津波による被害から、浜口梧陵は再び注目されるようになる。2005年に開催されたASEAN緊急首脳会議で、シンガポールのシェンロン首相に「日本では教科書に『稲むらの火』という話があって、子供のときから津波対策を教えているというのは本当か」と尋ねられた小泉首相は、戦後世代なのでこれを知らなかった。現在は「稲むらの火の館」の入口に、小泉元首相の揮毫による石碑が立てられている。「稲むらの火」は2011年度より、再び小学校教科書に掲載されている。

浜口梧陵旧邸は現在、博物館「稲むらの火の館」となっている。なおこの地を彼の生家とするのは、誤りである。

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
2.0
コストパフォーマンス:
2.5
人混みの少なさ:
3.5
展示内容:
2.5

クチコミ投稿日:2015/03/25

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