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浜離宮恩賜庭園

公園・植物園

浜離宮恩賜庭園 クチコミ・アクセス・周辺情報

汐留 観光 満足度ランキング 1位

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潮入の池と2つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは海水を導き潮の満ち引きによって池の趣を変えるもので、海辺の庭園によく用いられた様式です。昭和27年(1952)11月には周囲の水面を含め国の特別名勝および特別史跡に指定されました。春は菜の花や桜、秋は紅葉など四季折々の景色が楽しめます。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    高層ビル群と海と川に囲まれた都会のオアシスです。ここにいると都会の喧騒を忘れることができます。

    4.5

    「浜離宮恩賜庭園」の出入口は、「大手門口」の「浜離宮恩賜庭園サービスセンター」と「中の御門口」の「中の御門売札所」の二箇所...  続きを読むです。今回は、JR「新橋駅」の銀座口から「浜離宮恩賜庭園」を目指したので、「大手門口」から入場しました。JR「新橋駅」の銀座口を出て横断歩道を渡るとすぐ左手が都道405号(外堀通り)です。都道405号(外堀通り)を右折して330mほど進むと「旧新橋停車場鉄道歴史展示場」の先に歩道橋があります。銀座東八丁目歩道橋を上り道路の反対側に渡ります。「銀座東八丁目歩道橋」を降り、そのまま「首都高速八重洲橋線」沿いに300mほど直進すると信号があります。ここまで来ると左斜めに「浜離宮恩賜庭園」が見えてきます。横断歩道を渡り左方向に50mほど進むと「大手門橋」がありますので、それを渡り100mほど進むと「大手門口」の正門があり、その先に「浜離宮恩賜庭園サービスセンター」があり、入場券を購入します。 「浜離宮恩賜庭園」の出入口は、「大手門口」の「浜離宮恩賜庭園サービスセンター」と「中の御門口」の「中の御門売札所」の二箇所です。今回は、「大手門口」から入場しました。「浜離宮前踏切跡」から「首都高速八重洲橋線」沿いに100mほど直進すると信号があります。ここまで来ると左斜めに「浜離宮恩賜庭園」が見えてきます。横断歩道を渡り左方向に50mほど進むと「大手門橋」がありますので、それを渡り100mほど進むと「大手門口」の正門があり、その先に「浜離宮恩賜庭園サービスセンター」があり、入場券を購入します。 【「浜離宮恩賜庭園」のお薦め見学順路】 今回は、「浜離宮恩賜庭園サービスセンター」から時計回りの方向で「浜離宮恩賜庭園」を見学することにしました。 ①《三百年の松》⇒②《内堀》⇒③《お花畑》⇒④《ボタン園》⇒⑤《旧稲生神社》⇒⑥《梅林》⇒⑦《水上バス発着場》⇒⑧《灯台跡》⇒⑨《将軍お上がり場》⇒⑩《横堀水門》⇒⑪《「樋の口山」と「新樋の口山」》⇒⑫《汐見の御茶屋跡》⇒⑬《富士見山》⇒⑭《潮入の池》⇒⑮《観音堂跡》⇒⑯《馬場跡》⇒⑰《新銭座鴨場》⇒⑱《中島の御茶屋》⇒⑲《お伝い橋》⇒⑳《燕の御茶屋》⇒㉑《鷹の御茶屋》⇒㉒《松の御茶屋》⇒㉓《御亭山》⇒㉔《庚申堂鴨場》⇒㉕《休憩所》⇒㉖《芳梅亭》⇒㉗《明治天皇銀婚式記念可美真手命像》⇒㉘《延遼館跡》 「浜離宮恩賜庭園」の歴史と概要を紐解いてみると、まず、名称の変遷という観点に着目してみると、江戸時代には「甲府浜屋敷」、「浜御殿」と呼ばれ、明治時代には「浜離宮」と名称を変え、そして、終戦後に、現在の「浜離宮恩賜庭園」となっています。「浜離宮恩賜庭園」は、寛永年間までは、将軍家の鷹狩場で、辺り一面芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、4代将軍「徳川家綱」の弟で甲府宰相 の「松平綱重」です。承応3年(1654年)に、「松平綱重」は将軍から海を埋め立てて「甲府浜屋敷」と呼ばれる別邸を建造しました。その後、6代将軍「徳川家宣」のときに、「甲府浜屋敷」は、将軍家の別邸となり、名称も「浜御殿」と改められました。その後、「徳川家宣」(家宣) が6代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も「浜御殿」と改められました。以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、11代将軍「徳川家斉」のとき11代将軍「徳川家斉」のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。明治時代になると皇室の離宮となり、名称も「浜離宮」と改められました。そして、昭和20年(1945年)11月3日に、東京都に下賜され、「浜離宮恩賜庭園」となり、昭和21年(1946年)4月1日に一般に有料公開されるようになりました。 「浜離宮恩賜庭園」は、「潮入の池」と二つの「鴨場」をもつ江戸時代の代表的な「大名庭園」で、江戸時代の大名屋敷で数多く作庭された「池泉回遊式庭園」です。広大な池泉の周囲を回遊して鑑賞する形式の庭園で、小島、橋、飛び石、築山。茶亭などの特色が良く残されています。ちなみに、「潮入の池」とは、海水を導き、潮の満ち引きによって創り出される多様な景観の変化が望めるようになっているもので、海辺の大名庭園でよく用いられていた建築様式です。「旧芝離宮恩賜庭園」、「清澄庭園」、「旧安田庭園」なども昔は「潮入の池」でしたが、現在、実際に海水が出入りしているのは、「旧芝離宮恩賜庭園」だけです。「旧浜離宮庭園」は、四方を築地川、汐留川、東京湾で囲まれた約25万㎡の敷地面積を誇る広大な庭園です。また、「浜離宮恩賜庭園」は、国の文化財保護法に 基づき、昭和23年(1948年)12月には「国の名勝及び史跡」に、同27年(1952年)11月には周囲の水面を含め、「国の特別名勝及び特別史跡」に指定されました。ちなみに、「特別名勝」とは、国宝と同格で国から指定を受けている大変価値の高い景観のこと、「特別史跡」とは 国が文化財保護法で指定した史跡のうち、学術上の価値が特に高く、わが国の文化の象徴たるものです。 国宝(建築物、美術工芸品、文書などで使われる概念)と同格のものです。特に、「特別名勝」と「特別史跡」の二重指定を受けている日本庭園については、全国的に見ても9カ所程度で、都内には「浜離宮恩賜庭園」、「小石川後楽園」の2カ所、京都府に3カ所、岩手県、福井県、奈良県、広島県に各1カ所しかありません。 01_【「浜離宮恩賜庭園」の一口メモ】 ⑴ 所在地…〒104-0046 東京都中央区浜離宮庭園1-1 電話:03-3541-0200 ⑵ 開園時間…午前9時~午後5時 ※ 「大手門口」及び「中の御門口」の入園は午後4時30分まで ⑶ 休園日…年末・年始 ※ 12月29日~翌年1月1日まで ⑷ 入場料…①一般300円 ②65歳以上150円 ③小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料 ※ 小学生以下の場合は保護者の付添が必要 ⑸ 開園年月日…昭和21年(1946年)4月1日 ⑹ 開園面積…250,215.72㎡(平成30年4月1日現在) 02_【「浜離宮恩賜庭園」へのアクセス】 ⑴ 「大手門口へ」 ① JR「新橋駅」銀座口から徒歩15分950mほど ② 東京メトロ銀座線「新橋駅」1番出口から徒歩13分800mほど ③ 都営地下鉄浅草線「新橋駅」1A出口から徒歩11分700mほど ④ ゆりかもめ「汐留駅」東出口から徒歩7分450mほど ⑤ 都営地下鉄大江戸線「汐留駅」5番出口から徒歩7分450m ⑥ 都営地下鉄大江戸線「築地市場駅」A1出口から徒歩8分550mほど ⑵ 「中の門口へ」 ① 都営地下鉄大江戸線「汐留駅」10番出口から徒歩5分350mほど ② JR「浜松町駅」北口から徒歩15分1000mほど   閉じる

クチコミ・評判 41ページ目

801~820件(全1291件中)

  • 240年前から使われていました

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    庭園内に二か所残る鴨場の一つです。土手に挟まれた細い堀に作られた小屋の小覗から、餌につられてやってきたアヒルについてきた鴨...  続きを読むの様子を覗きながら、土手から鷹や網で鴨を捕獲する場所でした。1シーズンで3,000羽も捕まえていたそうです。今も堀の先にある池では鴨が気持ちよさそうに泳いでいますが、昔だったら鷹の餌食になっていたことでしょう。捕まえた鴨の心臓は鷹の餌になっていたそうです。鷹狩は昭和27年まで行われていました。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • 通用門として使われていました

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    浜離宮庭園に二つある門のうちの一つです。桝形をした大手門の石垣や大きさに比べると迫力はありませんが、門の左右には低めの石垣...  続きを読むが残り、江戸時代の名残を見ることができます。かつては通用門として利用されていました。現在この門を通り抜けると、左右には桜や松の木が植えられ、休憩できるベンチが備えられています。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • かつては富士山が見えたのかも

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    大手門から最も離れた所にある小さな丘です。20段ほどの階段を上ると、庭園内にある潮入の池を見下ろすことができます。春、御亭...  続きを読む山から見ると桜が美しい場所でもあります。庭園を造る際、池を作るために大きな穴を掘り、掘り起こした土で作った丘と推測されます。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • 倉庫が建っていました

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    内堀に囲まれた一角にあります。訪れた時は季節ではなかったため、花は全く見られませんでした。歴史的には江戸時代、倉庫が建ち並...  続きを読むんでいたところで、荷物を運んできた小舟を管理するための役所が置かれていました。今、その面影は全く見られません。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • 石垣が残っています

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    浜離宮恩賜庭園にある2つの出入り口の1つで、庭園のメインゲートになっています。門の両側には江戸時代に積まれた石垣の一部が残...  続きを読むっています。かつては高麗門や櫓が残っていましたが、関東大震災で崩れてしまい今は残っていません。一部に復元しようとする話もあるようですが、どうなることやら。復元したらば江戸時代の姿がよみがえると思うのですが。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • 家宣の時に植えられました

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    大手門を入ってすぐ左に植えられています。江戸時代、家宣の時代に植えられたクロマツで、男松とも呼ばれています。太い枝ぶりが大...  続きを読む変見事です。昭和にやってきた台風で松の上の部分が折れてしまいましたが、その分、横に広がって伸びています。隣には女松と呼ばれるアカマツも植えられています。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • キバナコスモスが残っていました

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    大手門から入って左に進んだところにあります。春には菜の花が、秋にはコスモスがきれいに咲きそろいます。訪れた時は、キバナコス...  続きを読むモスが少し残っている状態でした。お花畑の中には、明治時代に植えられたリュウゼツランの株も見られます。ボランティアの方の話では、都営庭園の中では最も広いお花畑だということでした。以前花が美しい時期に訪れたことがありましたが、とてもきれいでした。庭園近くにあるカレッタ汐留の最上階からもお花畑が見下ろせます。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • ボランティアガイドさんと回りました

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    都民の日に入園無料になった庭園を巡っていました。これまでも何回か訪れていますが、今回は初めてボランティアガイドさんの案内で...  続きを読む回ってきました。江戸時代から続く庭園の歴史、自然、日本に7つしかない特別名勝及び特別史跡の庭園である所以など、1時間以上かけて説明してもらいました。自分だけでは庭園散策で終わってしまいますが、貴重な話を聞くことができ、有意義な時間を過ごすことができました。  閉じる

    投稿日:2016/10/02

  • 浜離宮恩賜庭園は、将軍の鷹狩りの場や休憩所として、江戸時代中期に造営されました。
    江戸時代は、浜御殿と呼ばれていましたが...  続きを読む、江戸城の防衛や外国船への備えとしての側面もありました。
    明治維新後、明治政府の管理下に置かれ、浜離宮と名称を変え、外国賓客のための迎賓館としての役割に変わりました。
    創設当時の大名屋敷の庭園の構造を受け継ぎ、基本的に、潮入りの池を中心とする周回型の庭園として設計されていますが、将軍のための鷹狩りの鴨場もあります。
    池の周りには、4ケ所あまりの御茶屋が建てられていて、賓客をもてなす場もあります。
    地震や戦火により、焼・壊滅した施設もあり、戦後に復元された施設が少なからずあります。
    特別名勝及び特別史跡の両方の指定を受けている珍しい例の庭園です。
    都会の喧騒の中に、落ち着いた雰囲気の浜離宮恩賜庭園を訪れることにより、必ずや心が洗われるようなやすらぎの気持になるものと思います。
    ぜひとも、浜離宮恩賜庭園を訪れるようにお薦めします。
    きっと来て良かった、もっと早く来るべきだったと思われるでしょう。  閉じる

    投稿日:2016/10/26

  • 浜離宮恩賜庭園の中の御門は、浜離宮の西側の出入り口です。現在も利用できます。
    中の御門は、江戸時代初期から大正時代まで浜...  続きを読む離宮の西側の出入り口と使用されていました。
    表門として使用されていたこともあり、また通用門として使用されていたこともあり、時代により役割が変遷しました。
    大正12年(1923年)の関東大震災で、中の御門橋がなくなり、また昭和2年に橋台であった石垣が撤去されました。
    平成17年の中の御門の整備により、現在の姿になりました。
    中の門は、表門としての期間が永かった大手門に比し、地味な感じの門です。
    現在の中の御門を構造的に見ますと、枡形の複郭式の門であり、大手門と同じ形式であったと考えられます。
    中の御門は、土手や石垣がありますが、土手の厚さが薄く、土手の上の柵も簡単な矢来型のもので、全体的に簡素になっています。
    しかしながら、門の中間に広い広場があり、複郭式の枡形の門の構造は変わらず、江戸城の門と酷似しています。
    今回、大手門や中の御門を見る機会があり、江戸城の各御門や見附との比較ででき、有意義でした。
    浜離宮の中の御門を見られる方も、江戸城の御門を併せて見られることをお勧めします。
      閉じる

    投稿日:2016/10/25

  • 浜離宮恩賜庭園の野外卓広場は、野外の食卓にも利用できるテーブルがある広場です。
    野外卓広場は、延遼館跡の南側にあります。...  続きを読む
    中の御門から入園しても、入ってすぐの右手に、野外卓広場が広がっています。
    その名称のとおり、木製の野外卓やベンチが設置された広場です。
    ピクニック感覚で楽しめる一角となっています。
    広場内には松や楠など、さまざまな樹木が植えられ、芝生が広がっているので、子供連れの家族にとっては、再興の場所です。
    家族のみならず、親しい者同志の楽しい空間となっています。
    都会のビル群を避け、静かな環境の中で、野外卓を囲むのも楽しいと思います。
    ぜひ、お誘いあわせの上、野外卓広場を楽しまれると良いと思います。
    親しい人達の集まりとして、最高の広場です。  閉じる

    投稿日:2016/10/25

  • 浜離宮恩賜庭園の延遼館は、日本で初めて造られた洋風石造建築物です。
    明治12年に、外国要人の迎賓館として建てられましたが...  続きを読む、明治20年の地震で被害を受け、22年に取り壊されたそうです。
    その間、多くの外国からの賓客が、延遼館を利用しています。
    明治12年には、第18代アメリカ大統領の職を辞したグラント将軍夫妻一行が、世界周遊の途中で来日、約2ヶ月間にわたり逗留し、盛大な歓迎を受けたとの記述があります。
    それらは、内堀の傍の解説板に記されています。
    昔の絵地図を探して、確認したところ、かなり大規模な建物のようです。
    築地の海軍兵学校が記載されていますので、地震の被害を受ける前の明治10年代後半の絵地図のようです。
    現在は、跡地の案内板のみが、残されています。
    延遼館の跡地に佇み、華やかだったであろう延遼館を想像するとなんとなく侘しい感じがします。
    歴史の栄華とはかなさを感じることも有意義なものと考えられます。
    時間を見て、歴史の一端に耽るのも良いのではないでしょうか。  閉じる

    投稿日:2016/10/25

  • 浜離宮恩賜庭園の松の御茶屋は、潮入りの池の北側の岸辺に建てられています。
    松の茶屋は、11代将軍徳川家斉により建てられま...  続きを読むした。
    その後、戦災で焼失し、平成22年に復元されたとのことです。
    松の御茶屋は、潮入りの池の近くにあり、池の眺望に恵まれているので、将軍や来客に利用されることが多かったようです。
    この茶屋の特徴は、鷹狩りの装束のまま休息するために、土間を広くとり、土間の中央には囲炉裏があり、 自在かぎには茶釜がかけてあったそうです。
    今回、松の御茶屋を訪れることにより、松の御茶屋の由来を耳にすると、将軍の鷹狩りと潮入りの池と松の御茶屋のと密接な関係が見えてきます。
    江戸時代の文武の道と風流の道の融合について、思いを巡らすことができました。
    将軍家の浜御殿における過ごし方について、一端を理解することができ、大変有意義でした。再度、時間を取ってゆっくり見てみたいと思う松の御茶屋でした。  閉じる

    投稿日:2016/10/25

  • 浜離宮恩賜公園の庚申堂鴨場は、庭園内にある鴨狩りのための池です。
    浜離宮には、鴨狩のための鴨場が、庚申堂鴨場と新銭座鴨場...  続きを読むの2ケ所あります。
    鴨狩の方法としては、江戸時代は、鷹を使って鴨を捕獲する鷹狩りと、その後の二股の網を使って鴨を捕獲する又手狩りの2種類の方法がありました。
    いずれも、鴨等の水鳥を近くまでおびき寄せるため、気付かれないように隠れていることが必要になります。土手の陰、樹木の陰の他、小屋の陰に潜んで鴨等の近づくのを見張ります。
    このため、見張るための覗穴があります。
    今回、鴨場を見るための覗穴のある小屋を訪れ、鴨場を見ることができました。
    静かな鴨場の水面を、覗穴を通して観察していると江戸時代の鷹狩りを想像して、なんとなく不思議な思いになりました。
    庚申堂鴨場の池面は、淡緑色で神秘的な感じがします。自然の世界です。
    人間が造った御茶屋の雰囲気とは、趣が異なり、別世界にいるようです。
    時間があれば、人工的なものが無い自然に満ちた鴨場の雰囲気を味わうことも、意義あることと思われます。  閉じる

    投稿日:2016/10/25

  • 浜離宮恩賜公園の御亭山は、園内のほぼ中央にある小高い丘で、頂上からの眺望が最高です。
    御亭山は、潮入りの池の東側にあり、...  続きを読む頂上と周囲の平地部の標高差は、約3m程度の小高い丘です。
    約3mの標高差ですが、頂上からの眺望は、素晴らしいものがあります。
    浜離宮の庭園内の四周を見ることができます。
    御亭山の頂上に通ずる小路は、2本あり、いずれも石の階段になっています。
    頂上は、広くはありませんが、ベンチがありますので、腰を下ろして休憩をとることができます。
    今回、浜離宮の御亭山に登って、四周への眺望が素晴らしいことがわかりました。
    浜離宮の庭園の中で、必ず訪れるべきスポットの一つです。
    是非とも訪れることをお勧めします。
    できれば、最初に訪れ、庭園内の全般配置を理解して、その後、庭園内をゆっくり廻るのが良いと思っています。  閉じる

    投稿日:2016/10/24

  • 浜離宮恩賜公園の富士見山は、浜離宮の南東端にある小高い丘で、庭園内を望めます。
    江戸時代及び明治時代までは、名前のとおり...  続きを読む富士山が見えていたそうです。
    現在は、富士山を見ることは、周囲のビル群に遮られてできません。
    しかしながら、浜離宮庭園内は、一望に収めることができて、とても気持ちが良いです。
    玉石でできた階段を登りますと、すぐ頂上に登れます。
    頂上は、やや狭いですが腰を下ろして座ることができるベンチもあり、ゆっくりできます。
    西方向の潮入りの池から東方向の芝生の広がりまで、くまなく見ることができます。
    浜離宮に行かれたら、ぜひとも富士見山に登られ、素晴らしい眺望を楽しまれると良いと思います。
    富士見山の絶景は、今でも印象深く記憶に残っています。
    浜離宮におけるお薦めの場所です。  閉じる

    投稿日:2016/10/23

  • 浜離宮恩賜庭園のお伝い橋は、中島へのお伝い橋の他、横堀の海手お伝い橋もあります。
    浜離宮のお伝い橋とは、一般的に大泉水の...  続きを読む中島に架けられている橋を指している他、東側の横堀に架かっている海手お伝い橋もあります。
    中島の御茶屋は、江戸時代中期に、将軍がお茶を楽しむために建てらたそうですが、古い地図を見ますと、御茶屋に渡るためには、西側から渡っていたようです。また、北側に船着き場があり、船で渡っていたとの記述もあります。
    中島の南北方向に架かっているお伝い橋が、記載されている地図は、明治時代中期の地図です。
    古い地図を見ながら、江戸時代の賓客をもてなすための御茶屋とお伝い橋の様子を想像することは、楽しい思いを感じます。
    お伝い橋を渡りながら、遠く古き時代の絵巻物の世界に入り込んだような気持になります。
    お伝い橋は、ゆっくり思いをはせながら渡ると別の感激が沸いてくる場所です。  閉じる

    投稿日:2016/10/22

  • 浜離宮恩賜庭園の潮入りの池は、海水の満ち干により、趣が変わる池です。
    浜離宮は、大名屋敷であった関係上、一般的な大名屋敷...  続きを読むの例にもれず、中央に池があり、その周辺を巡る小路あります。
    潮入りの池は、海水を引き入れているため、周辺の景況が、潮の満ち干により変わります。
    大名屋敷のうち海水が入っている池は、築地の松平定信の欲恩園がありましたが、埋め立てられたため、現在残っているのは、浜離宮の潮入りの池のみになっています。
    浜離宮の説明と地図によれば、潮入りの池は浜離宮の南中央の大泉水とされる他、海岸沿いの南北に細い横堀も、潮入りの池とされています。
    今回、浜離宮の潮入りの池を訪れましたが、六義園や安田庭園よりも規模が大きく、周囲の御茶屋も立派で、びっくりしました。
    特に、橋により池の中まで、進むことができるのは、浜離宮の潮入りの池のみです。
    やはり、諸外国の賓客を迎える施設として活用されて来た理由がわかります。
    皆さんに紹介すべき趣のある池と言えます。
      閉じる

    投稿日:2016/10/22

  • 浜離宮の燕の御茶屋は、釘目隠しという建築上の飾りに燕の飾り具を使用しています。
    浜離宮恩賜庭園の潮入りの池のほとりに、燕...  続きを読むの御茶屋があります。
    燕の御茶屋の名称は、釘目隠しに燕の飾り具を使っていたことと、御茶屋の周りの燕子花にちなんでいるとのことです。
    燕の御茶屋は、歴代将軍が調度(生花・座敷飾)の観賞や菓子・すしなどの食事、和歌を詠むという接客の場として利用されていたそうです。
    外壁は漆喰壁、内壁は色壁、屋根は数寄屋風書院造りです。
    潮入りの池の周りの3軒の御茶屋の釘目隠しは、それぞれ、中島の御茶屋は鶴、松の御茶屋は、松ぼっくりと蝉、燕の御茶屋は燕と、別々になっているそうです。
    今回、初めて、釘目隠しという建築上の飾り具について知ることができ、かつ書院造りの建物に、それらが別々に使い分けられていることを理解できました。
    燕の御茶屋に来て、釘目隠しや日本書院造りの一端を聞くまでは、日本の伝統文化を理解できなかったでしょう。勉強になりました。  閉じる

    投稿日:2016/10/19

  • 浜離宮恩賜庭園内の芳梅亭は、鷹匠の官舎だったそうですが、現在は集会所になっています。
    芳梅亭は、明治時代に鷹師が生活した...  続きを読む官舎であり、その近くには、鷹匠の詰め所であった鷹匠溜りがあったそうです。
    鷹匠たちは、修行時代はそこで仲間の鷹匠たちと寝食を共にしていたそうです。
    現在は、3,600円で時間貸しが可能な施設になっていて、東京都公園管理協会から利用のお誘いがされています。
    芳梅亭は、庚申堂鴨場と新銭座鴨場や鴨場の中間地点にあり、鴨狩の鷹匠の官舎としては最適なのかもしれません。
    今回、芳梅亭を訪れ、浜離宮内全般の歴史や各施設の配置を目の当たりし、そして芳梅亭の従来からの経緯を耳にすると、芳梅亭の役割が理解できました。
    芳梅亭に来なかったら、芳梅亭も、単なる断片的な知識として、泡沫のように消えていたのかもしれません。大変有意義な芳梅亭訪問でした。  閉じる

    投稿日:2016/10/19

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
浜離宮恩賜庭園
住所
  • 東京都中央区浜離宮庭園1-1
電話番号
03-3541-0200
アクセス
新橋駅 徒歩 12分
汐留駅10番出口 徒歩 5分
予算
【料金】 大人: 300円
その他
バリアフリー設備: 障がい者用P○
バリアフリー設備: 車椅子貸出○
バリアフリー設備: 車椅子対応スロープ○
バリアフリー設備: 車椅子対応トイレ○
バリアフリー設備: 盲導犬の受け入れ○
バリアフリー設備: オムツ交換台○
バリアフリー設備: 割引○
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 公園・植物園
  1. 観光・遊ぶ
  2. 花見

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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