浅草寺
寺・神社・教会
4.53
浅草寺 クチコミ・アクセス・周辺情報
浅草 観光 満足度ランキング 2位
都内最古の寺で、本尊は聖観音菩薩です。元は天台宗に属していましたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となりました。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」や「浅草の観音様」の呼び名で、あらゆる階層から広く親しまれ、年間約三千万人もの参詣者が訪れて民衆信仰の中心地となっています。雷門の大提灯、仲見世が江戸情緒を伝えています。浅草名所七福神(大黒天)
ピックアップ クチコミ
クチコミ・評判 90ページ目
1781~1800件(全3845件中)
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私のお勧めポイントは…少し離れた所から見る屋根です。
- 5.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
- 0
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夜の浅草寺
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
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やっぱり行きたくなる
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
- 0
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浅草寺境内にあります
- 3.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
- 0
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いくつもの碑が立っています
- 3.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
- 0
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新奥山に眠っています
- 3.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
- 0
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ほおずき市
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
- 0
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ほおづき市
- 4.5
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
- 3
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いつも観光客でにぎわう
- 3.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
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夜間ライトアップは昼間の雰囲気と異なりお薦めです!
- 4.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 10
『浅草寺』は、山号を「金龍山(きんりゅうざん)」と号する寺院であり、628年(推古天皇36年)に宮戸川(現在の隅田川)の河... 続きを読む口である江戸浦で漁の最中に投網にかかった「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)」の尊像を草で作ったお堂に祀り、その後にこの土地の長であった「土師中知(はじのなかとも)」が私宅を寺に改めて「聖観音菩薩像」を奉安供養したことが創建とされ東京最古の寺院として知られてる「天台宗」に属した寺院でしたが、1950年(昭和25年)に独立して「聖観音宗(しょうかんのんしゅう)」の総本山となっています。
645年(大化元年)には、浅草の地を訪れた僧の「勝海上人(しょうかいしょうに)」が観音堂を建立し、夢告に従って「聖観音菩薩像」を絶対秘仏の本尊と定めています。
平安時代初期の857年(天安元年)に天台宗山門派の僧であり関東209寺、東北331寺余りを開山・再興したとされる「慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)」により、『浅草寺』絶対秘仏の本尊の身代わりとして人々が拝むための「前立観音菩薩」を謹刻され、これを機に『浅草寺』は「観音菩薩」の聖地として七堂伽藍に整備され、室町時代から安土桃山時代にかけては霊験あらたかな寺院として各地に『浅草寺』の名が知れ渡り多くの武将の崇敬を集めるまでに発展し、1590年(天正18年)に江戸に入府した「徳川家康」が祈願所に定めています。
長い歴史の中で幾度も被災と再建を繰り返された『浅草寺 本堂』は、1649年(慶安2年)に徳川幕府3代将軍「徳川家光」が願主となって再建された後、大きな被災を免れて1907年(明治40年)に「国宝」に指定されています。
その後、1923年(大正12年)の関東大震災でも倒壊を免れますが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失しています。
1958年(昭和33年)には、旧本堂の入母屋造りの大屋根の姿を基本とした鉄筋コンクリート造りによる現在の『浅草寺 本堂』が再建されています。
2010年(平成22年)に『浅草寺 本堂』屋根の本瓦葺きが安全強化のために軽量で耐久性に優れたチタン瓦(本瓦の1/3の重量)への葺き替え工事が行われていますが、伝統的な本瓦葺きと比較しても落ち着いた重厚感が伝わる寺社建築に違和感を覚えることは全くありません。
2015年(平成27年)から「江戸開府四百年」記念事業として『浅草寺 本堂』の他に「五重塔」、「雷門」、「宝蔵門」の夜間ライトアップが実施されています。
浅草を訪れた際は、必ず『浅草寺 本堂』を参拝していますが、今回はじめて昼間と夜間ライトアップされた『浅草寺』境内を見て廻りました。
昼間の観光客で賑わう『浅草寺』境内と夜間の人がまばらで昼間と夜間の全く雰囲気が異なる『浅草寺』境内の両方を見て廻り楽しかったです!
昼間の『浅草寺 本堂』は人込みで写真撮影も思うようにいきませんが、夜間ライトアップされた『浅草寺 本堂』は人もまばらで様々な構図での写真撮影できますので、お薦めします!
また、『浅草寺 本堂』では、「御宮殿御煤払・御宮殿開扉法要(ごくうでんおすすはらい・ごくうでんかいひほうよう)」により内陣中央にある「御宮殿」の煤払いと開扉法要が12月12日の17時から13日の正午まで非公開で古式に則り厳粛に営まれるそうです。
本堂の「御宮殿」内には、本尊の「聖観世音菩薩」(絶対秘仏)、「前立観音菩薩」などが奉安されており、絶対秘仏である本尊「聖観世音菩薩」の姿を参拝できませんが、「前立観音菩薩」については、12月13日の14時から年に一度の「御宮殿開扉法要」(およそ10分程度)が営まれます。
この間に限り一般信徒結縁のため再び「御宮殿」の扉が開かれ一般参拝者も像を拝することができます。
機会があれば「御宮殿開扉法要」に合わせて「前立観音菩薩」の参拝もしてみたいです!
閉じる投稿日:2018/08/25
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生まれ年十二支守り本尊・大黒天が祀られている朱印所です!
- 4.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 6
『影向堂(ようごうどう)』は、天台宗山門派の僧であり関東209寺、東北331寺余りを開山・再興したとされる「慈覚大師円仁(... 続きを読むじかくだいしえんにん)」の生誕1200年を記念して1994年(平成6年)に「浅草寺」境内の本堂西側に建立された歴史の浅い鉄筋コンクリート寄棟造り・錣(しころ)屋根本瓦葺のお堂です。
「慈覚大師円仁」は、東京最古の寺院として知られる創建628年(推古天皇36年)の「浅草寺」を平安時代初期の857年(天安元年)に訪れた際、「浅草寺」絶対秘仏の本尊「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)像」の身代わりとして人々が拝むための「前立観音菩薩像」を謹刻されたとされています。
お堂の名称である『影向』とは、神仏が姿かたちとなって現れることを意味しているそうです。
堂内は、外陣と内陣(畳敷き)に分かれていて、内陣の須弥壇中央に祀られている「観世音菩薩」の左右に「影向衆」(「観世音菩薩」の説法などを不断に協力される仏)と呼ばれる「生まれ年十二支守り本尊」として干支ごとの守り本尊八体である「千手観音」(子年)、虚空蔵菩薩」(丑寅年)、「文殊菩薩」(卯年)、「普賢菩薩」(辰巳年)、「勢至菩薩」(午年)、「大日如来」(未申年)、「不動明王」(酉年)、「阿弥陀如来」(戌亥年)が祀られており、外陣には「浅草名所(などころ)七福神」の「大黒天」が祀られています。『影向堂』内部は、「写真撮影禁止」となっています。
「浅草寺」を訪れた際は、いつも「雷門(風雷神門)」から本堂を参拝するだけでしたが、今回はわずかな時間でしたが「浅草寺」境内を散策して、初めて『影向堂』に立ち寄りました。
『影向堂』は、「浅草寺」の朱印所にもなっており多くの参拝者の出入りがありました。
ちなみに「浅草寺」の御朱印は、参拝証として本尊である「聖観音菩薩」と「浅草名所七福神」である「大黒天」の2種類あるそうです。
「浅草寺」境内の『影向堂』の一画には、都内最古といわれる歴史的な建造物がいくつかありますので、また浅草を訪れた際に立ち寄り『影向堂』堂内に祀られている仏像、『影向堂』周辺一画にある建造物などをじっくりと散策したいと思います。
閉じる投稿日:2018/08/12
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浅草観音と称され親しまれている東京最古の寺院です!
- 4.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 6
東京最古の寺院として知られる『浅草寺』(山号:金龍山)は、1949年(昭和24年)まで「天台宗」に属した寺院でしたが、19... 続きを読む50年(昭和25年)より「聖観音宗」の総本山となっています。
創建は、628年(推古天皇36年)に宮戸川(現在の隅田川)の河口である江戸浦で漁の最中に投網にかかった「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)」の尊像を草で作ったお堂に祀り、その後にこの土地の長であった「土師中知(はじのなかとも)」が私宅を寺に改めて「聖観音菩薩像」を奉安供養したことによるとされています。
645年(大化元年)には、浅草の地を訪れた僧の「勝海上人(しょうかいしょうに)」が観音堂を建立し、夢告に従って「聖観音菩薩像」を絶対秘仏の本尊と定めています。
平安時代初期の857年(天安元年)に天台宗山門派の僧で「瀧泉寺(目黒不動)」、「立石寺(山寺)」、松島の「瑞巌寺」など(関東209寺、東北331寺余り)を開山・再興したとされる「慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)」が、絶対秘仏の本尊の身代わりとして人々が拝むための「前立観音菩薩」を謹刻されたとされています。
これを機に『浅草寺』は、観音菩薩の聖地として発展し、七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、「雷門」、「仁王門(現・宝蔵門)」などが建立されたとされています。
平安時代末期の1180年(治承4年)には、平家追討の陣を進める「源頼朝」が勝利を祈願に参拝、室町時代(南北朝時代)の1352年(南朝:正平7年/北朝:観應3年)には、室町幕府初代将軍「足利尊氏」が参詣に訪れるなど、安土桃山時代にかけて霊験あらたかな寺として各地に『浅草寺』の名が知れ渡りさまざまな武将の崇敬を集め、1590年(天正18年)に江戸に入府した「徳川家康」が祈願所に定めています。
『浅草寺』は、長い歴史の中で幾度も被災と再建を繰り返しており、1649年(慶安2年)に江戸幕府3代将軍「徳川家光」が願主となって再建された本堂が1907年(明治40年)に「国宝」に指定され、1923年(大正12年)の関東大震災でも倒壊を免れますが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失しています。
現在の本堂は、鉄筋コンクリート造りで1958年(昭和33年)に旧本堂の入母屋造りの大屋根の姿を基本に再建されています。
また、2010年(平成22年)に本堂屋根の本瓦葺きが安全強化のために軽量のチタン瓦(本瓦の1/3の重量)への葺き替え工事が行われていますが、伝統的な本瓦葺きと比較しても落ち着いた重厚感が伝わる寺社建築に全く違和感を覚えることはありません。
『浅草寺』では、2015年(平成27年)から「江戸開府四百年」記念事業として「本堂」、「五重塔」、「雷門」、「宝蔵門」の夜間ライトアップが実施されています。
浅草を訪れた際は、必ず『浅草寺』を参拝していますが、今回はじめて昼間と夜間ライトアップされた『浅草寺』境内を見て廻りました。
昼間と夜間の『浅草寺』境内は、全く雰囲気が異なり楽しかったです!
機会があれば、また『浅草寺』境内の昼間と夜間の両方を見て廻りたいと思いますし、お薦めします!
また、本堂内陣中央にある「御宮殿」の中に内には、本尊の「聖観世音菩薩」(絶対秘仏)、「前立観音菩薩」などが奉安されているそうです。
本尊の「聖観世音菩薩」は絶対秘仏のため姿を参拝できませんが、「前立観音菩薩」については、「御宮殿御煤払・御宮殿開扉法要(ごくうでんおすすはらい・ごくうでんかいひほうよう)」により12月12日の17時から13日の正午まで、本尊を奉安する「御宮殿」の煤払いと開扉法要が古式に則り厳粛に営まれ、12月13日の14時には、一般信徒結縁のため再び「御宮殿」の扉が開かれ「御宮殿開扉法要」が営まれ、一般の信徒は年に一度のこの間に限り「前立観音菩薩」像を拝することができます。
機会があれば「御宮殿開扉法要」に合わせて参拝もしてみたいです! 閉じる投稿日:2018/03/21
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歌碑を見て「鳩ポッポ」と「鳩(ハトポッポ)」の歌について学ぶことができました!
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 7
『鳩ポッポ』は、1900年(明治33年)に童謡作詞家「東(ひがし)くめ」(1877年~1969年)が作詞、作曲家「瀧廉太郎... 続きを読む」(1879年~1903年)が作曲した童謡です。
この童謡『鳩ポッポ』は、「東くめ」の夫で東京女子師範学校助教授兼附属幼稚園批評係であった「東基吉」が中心となり、1901年(明治34年)に伴奏付きの幼児向けの唱歌集として日本で初めて刊行された「幼稚園唱歌」(全20曲)の中に第12曲として納められています。
「幼稚園唱歌」に納められている全20曲中、「お正月」などの12曲が作詞「東くめ」、作曲「瀧廉太郎」による童謡です。
童謡『鳩ポッポ』の歌詞は、”はとポッポ はとポッポ ポッポポッポと とんでこい お寺のやねから 下りてこい 豆をやるから 皆たべよ たべてもすぐに かえらずに ポッポポッポと 鳴いて遊べ”であり、”ポッポッポ 鳩ポッポ 豆がほしいか そらやるぞ みんなでなかよく 食べに来い”と歌われる1911年(明治44年)に当時の文部省が発行した国定教科書「尋常小学唱歌 第一学年用」の唱歌「鳩」(作詞・作曲ともに不祥)とは異なります。
ちなみに唱歌「鳩」は、1941年(昭和16年)の国民学校用の教科「ウタノホン」で曲名が「ハトポッポ」に変更されています。
『鳩ポッポの歌碑』は、浅草の観音さまとして親しまれる「浅草寺」境内に於て鳩とたわむれている子供らの愛らしい姿をそのまま歌によまれたものとして、雷門から仲見世通りを抜けて「宝蔵門」をくぐり「本堂」に向かって左手(西側)の「浅草寺」境内に1962年(昭和37年)に建立されています。
初めて『鳩ポッポの歌碑』を見たときは、”ポッポッポ 鳩ポッポ 豆がほしいか そらやるぞ”と歌われる「鳩(ハトポッポ)」の歌を連想してしまいました・・・
『鳩ポッポの歌碑』を知り、改めて「鳩ポッポ」と「鳩(ハトポッポ)」について学ぶことができました。
「浅草寺」を訪れた際は、また立ち寄りたいと思います。 閉じる投稿日:2017/12/30
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夜間の五重塔はライトアップにより輝いています!
- 4.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 6
628年(推古天皇36年)に創建の東京都内最古の寺院である「浅草寺」(山号:金龍山)境内の「塔」建立は、942年(天慶5年... 続きを読む)に建立した「三重塔」が始まりとされ、焼失を繰り返した後、1648年(慶安元年)に3代将軍「徳川家光」が『五重塔』とし再建しています。
1911年(明治44年)には、国宝に指定され、1923年(大正12年)の「関東大震災」でも倒壊することはありませんでしたが、1945年(昭和20年)の「東京大空襲」により焼失しています。
「東京大空襲」により焼失した『五重塔』は、現在の「浅草寺本堂」の東側となる「宝蔵門」脇の「観音前警備派出所」前に位置し、「旧五重塔跡」と刻まれた石碑が設置されています。
現存している『五重塔』は、1973年(昭和48年)に「浅草寺本堂」の西側となる「宝蔵門」脇に位置し、地上からの高さ53.32メートル(塔自体の高48.32メートル)の地下1階、地上2階、塔層5層、鉄筋コンクリート造・アルミ合金瓦葺きとして再建されています。
基壇内部には永代供養のための位牌を納めた霊牌殿などがあり、塔の最上層にはスリランカ・アヌラーダプラのイスルムニヤ寺院から招来した仏舎利(ぶっしゃり)が安置されています。
仏舎利とは、お釈迦さまの遺骨とされる傷つくことも砕けることもない白い玉のことだそうです。
2011年(平成23年)に発生した「東日本大震災」により、『五重塔』の最上部の宝珠が落下し、相輪の骨組である芯柱が曲がったことに加え、錺金物の老朽化などにより、2016年(平成28年)から、『五重塔』全体を仮設足場で囲い相輪・芯柱交換(耐震補強)工事、錺金物錆止措置工事、既存アルミ合金瓦からチタン瓦への葺き替え工事、外壁塗装および建具塗装の塗り替え工事などの大規模な改修工事が行われていました。
今回訪れた際は、高さ15メートルの相輪付け替え工事も終わっており、『五重塔』周囲の仮囲いの中に重機もありましたが、塔廻りの仮設足場は解体されていました。
「浅草寺」では、『五重塔』の屋根瓦葺き替えなどの大規模な改修工事に先立ち2007年(平成19年)に「宝蔵門」の屋根瓦をチタン瓦への葺き替え工事、2010年(平成22年)に「浅草寺本堂」の屋根瓦もチタン瓦への葺き替え工事が行われていますが、伝統的な本瓦葺きと比較しても落ち着いた重厚感が伝わる寺社建築に全く違和感を覚えることはありません。
また「浅草寺」では、2015年(平成27年)から「江戸開府四百年」記念事業として夜間ライトアップが実施されており、今回は初めて昼間の人で賑わっている『五重塔』と夜間のひっそりとしている『五重塔』の両方を見ることができました。
特に夜間の『五重塔』は、改修工事で奇麗になった建物がライトアップにより一層かがやいて見えました。
昼間と夜間の「浅草寺」境内は、全く雰囲気が異なり楽しかったです!
機会があれば、昼間と夜間の両方をまた見て廻りたいと思いますし、お薦めします!
閉じる投稿日:2017/11/25
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強い神社
- 4.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
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干支の仏様
- 3.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
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見どころをチェック
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
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昔のまま
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
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芸術的な屋根瓦
- 4.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
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ご利益のお礼
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
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