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川越藩は、江戸時代を通じて、たぶん武蔵国では一番勢いのあった藩。<br />酒井家に始まり、春日局の堀田家、松平家、柳沢家、秋元家は、譜代格でいずれも老中を出していますし、その後の越前松平家はばりばりの親藩です。なおかつ、徳川幕府の幕閣として政治的に安定しているだけではなく、新河岸川の整備によって、江戸への物流でも大いに賑わった街。現在の蔵造りの街並みもその繁栄の証です。<br />そして、長い歴史を持つ上方に対して、川越をはじめとする江戸周辺でも徐々に経済や文化で力をつけていたことが、明治維新後の日本の発展に大きく資することになったのです。<br />いろんな情報を総合するとまあこんなところなんですが、いずれにしても、今回も歩け歩けの旅の始まりです。

小江戸川越の街歩き~蔵造りの街並みを中心に川越城に寺町、B級グルメを訪ねます~

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2014/01/19 - 2014/01/19

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たびたび

たびたびさん

川越藩は、江戸時代を通じて、たぶん武蔵国では一番勢いのあった藩。
酒井家に始まり、春日局の堀田家、松平家、柳沢家、秋元家は、譜代格でいずれも老中を出していますし、その後の越前松平家はばりばりの親藩です。なおかつ、徳川幕府の幕閣として政治的に安定しているだけではなく、新河岸川の整備によって、江戸への物流でも大いに賑わった街。現在の蔵造りの街並みもその繁栄の証です。
そして、長い歴史を持つ上方に対して、川越をはじめとする江戸周辺でも徐々に経済や文化で力をつけていたことが、明治維新後の日本の発展に大きく資することになったのです。
いろんな情報を総合するとまあこんなところなんですが、いずれにしても、今回も歩け歩けの旅の始まりです。

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  • 本川越駅に到着して、蔵通りまで行く途中。小さなおだんご屋さん伊勢屋がありました。

    本川越駅に到着して、蔵通りまで行く途中。小さなおだんご屋さん伊勢屋がありました。

  • もう開いているのかいないのか。分からない感じでしたが、声を掛けると、奥からおばちゃんが出てきて、すぐ焼けますからとそそくさと焼いてくれました。みたらしと迷ったのですが、醤油味を勧められてそれにしました。みたらしに比べると、たぶん、かなりシンプルな味わい。シンプル過ぎて、これだと何本もは食べられないかもしれません。

    もう開いているのかいないのか。分からない感じでしたが、声を掛けると、奥からおばちゃんが出てきて、すぐ焼けますからとそそくさと焼いてくれました。みたらしと迷ったのですが、醤油味を勧められてそれにしました。みたらしに比べると、たぶん、かなりシンプルな味わい。シンプル過ぎて、これだと何本もは食べられないかもしれません。

  • ここが蔵造りの街の入口。<br />ところで、川越では、明治26年に大火があり、街の大半は焼失してしまいます。

    イチオシ

    ここが蔵造りの街の入口。
    ところで、川越では、明治26年に大火があり、街の大半は焼失してしまいます。

  • 火事を恐れた街の復興は店を火に強い蔵造りとすること。また、当時、東京銀座のメインストリートも蔵造りになっていたそうで、それを真似たという面もあるそうですが。。<br />

    イチオシ

    火事を恐れた街の復興は店を火に強い蔵造りとすること。また、当時、東京銀座のメインストリートも蔵造りになっていたそうで、それを真似たという面もあるそうですが。。

  • 仲町から札の辻までの通り沿いには、30数棟の蔵造りの商家があって、見事な街並みとなっています。<br />中には、こうした石造りの建物もありますが、これも通りの雰囲気には、しっかりなじんでいるでしょう。

    仲町から札の辻までの通り沿いには、30数棟の蔵造りの商家があって、見事な街並みとなっています。
    中には、こうした石造りの建物もありますが、これも通りの雰囲気には、しっかりなじんでいるでしょう。

  • 菓匠右門は、川越の蔵造りの町並みを歩き始めてすぐ。

    菓匠右門は、川越の蔵造りの町並みを歩き始めてすぐ。

  • 「寒い季節にほかほかのまんじゅういかがですか」の声につられて、「いも恋」という饅頭をいただきました。これって、サツマイモの切ったのを挟んであって、熊本のいきなりだんごと同じですね。しばらくポケットに入れて歩きましたが、ずいぶんあったかくて、けっこう助かりました。

    「寒い季節にほかほかのまんじゅういかがですか」の声につられて、「いも恋」という饅頭をいただきました。これって、サツマイモの切ったのを挟んであって、熊本のいきなりだんごと同じですね。しばらくポケットに入れて歩きましたが、ずいぶんあったかくて、けっこう助かりました。

  • 亀屋 (本店)は、その向かい。創業は、天明3年(1783年)。

    亀屋 (本店)は、その向かい。創業は、天明3年(1783年)。

  • 代々、川越藩の御用菓子司に命じられ、後には、京都嵯峨御所より「亀屋河内大掾藤原嘉永」の資格も。隣りにある財団法人山崎美術館もここの経営です。<br />

    イチオシ

    代々、川越藩の御用菓子司に命じられ、後には、京都嵯峨御所より「亀屋河内大掾藤原嘉永」の資格も。隣りにある財団法人山崎美術館もここの経営です。

  • 豆大福をいただきましたが、ぽっちゃり柔らかい大福でした。

    豆大福をいただきましたが、ぽっちゃり柔らかい大福でした。

  • そして、山崎美術館へもお邪魔します。<br />代々山崎家に伝わる美術品のコレクションを展示しているのですが、目玉は、何んといっても川越出身で川越藩お抱えの絵師として活躍した橋本雅邦の作品。気楽に筆を走らせた小品から屏風の大作まで。一番奥に展示されていた鷺を描いた屏風は、鬼気迫る筆使いが圧巻でした。地元で見ると感慨もひとしおです。

    そして、山崎美術館へもお邪魔します。
    代々山崎家に伝わる美術品のコレクションを展示しているのですが、目玉は、何んといっても川越出身で川越藩お抱えの絵師として活躍した橋本雅邦の作品。気楽に筆を走らせた小品から屏風の大作まで。一番奥に展示されていた鷺を描いた屏風は、鬼気迫る筆使いが圧巻でした。地元で見ると感慨もひとしおです。

  • 川越商工会議所は、川越市内の仲町。明治33年、伊藤長三郎ほか17名の発起人によって創立された埼玉県では最初の会議所です。<br />ただ、現在の建物は、昭和3年に武州銀行川越支店として建築されたもの。設計者は東京銀座の資生堂本社や高島屋日本橋店を設計した前田健二郎です。

    川越商工会議所は、川越市内の仲町。明治33年、伊藤長三郎ほか17名の発起人によって創立された埼玉県では最初の会議所です。
    ただ、現在の建物は、昭和3年に武州銀行川越支店として建築されたもの。設計者は東京銀座の資生堂本社や高島屋日本橋店を設計した前田健二郎です。

  • 同じ一角にある仲町観光案内所。観光案内所ではあるのですが、この建物自体が蔵造りの建物で、

    同じ一角にある仲町観光案内所。観光案内所ではあるのですが、この建物自体が蔵造りの建物で、

  • 中の座敷には吊るし雛などが飾られたり、古い金庫が置かれたりしていて、この建物自体が観光スポットのようになっています。

    中の座敷には吊るし雛などが飾られたり、古い金庫が置かれたりしていて、この建物自体が観光スポットのようになっています。

  • 茶陶苑は、仲町観光案内所の並びにある亀屋山崎茶店というお茶屋さん。本家の和菓子の亀屋から明治になって分家したと言うことです。お店の構えは立派ではあるのですが、それだけではないはず。脇に煉瓦のアーチの門があって、これを入ってみると、庭を配した母屋の横の駐車場。<br />カフェやギャラリーもあるようですが、気配は感じられず。9時過ぎではあったのですが、オープンするのが遅いんでしょうか。結局、よく分からなかった施設です

    茶陶苑は、仲町観光案内所の並びにある亀屋山崎茶店というお茶屋さん。本家の和菓子の亀屋から明治になって分家したと言うことです。お店の構えは立派ではあるのですが、それだけではないはず。脇に煉瓦のアーチの門があって、これを入ってみると、庭を配した母屋の横の駐車場。
    カフェやギャラリーもあるようですが、気配は感じられず。9時過ぎではあったのですが、オープンするのが遅いんでしょうか。結局、よく分からなかった施設です

  • 法善寺は、川越の蔵造りの街に戻って。<br />ただ、入ろうと思ったら、観光お断りのような看板。しかし、ここには、「虫食い奴の墓」というのがあります。虫食い奴というのは、一日も欠かさず酒を飲んでいた大酒飲みのお墓。槍持ちの奴(やっこ)さんだったので、虫食い奴。酒の肴に虫も食べるという悪食の人だったということです。

    法善寺は、川越の蔵造りの街に戻って。
    ただ、入ろうと思ったら、観光お断りのような看板。しかし、ここには、「虫食い奴の墓」というのがあります。虫食い奴というのは、一日も欠かさず酒を飲んでいた大酒飲みのお墓。槍持ちの奴(やっこ)さんだったので、虫食い奴。酒の肴に虫も食べるという悪食の人だったということです。

  • 今日は、とてもいい天気。日を受けて、見事な街並みがとてもきれいです。<br />しかし、この街並みも、実は少しカーブしているんです。江戸時代の街は、防衛のためにまっすぐな道は作らなかったんですね。

    イチオシ

    今日は、とてもいい天気。日を受けて、見事な街並みがとてもきれいです。
    しかし、この街並みも、実は少しカーブしているんです。江戸時代の街は、防衛のためにまっすぐな道は作らなかったんですね。

  • 川越には「くらづくり本舗」のお店がいくつかあるのですが、訪ねたのは蔵造りの街通りの中ほどにあるお店です。

    川越には「くらづくり本舗」のお店がいくつかあるのですが、訪ねたのは蔵造りの街通りの中ほどにあるお店です。

  • 「明治20年粟大福」をいただきました。お店の人によると、お店はこの粟大福で大きくなったんだそうで、これが堂々たる看板商品なんですね。<br />なるほど、すっきりした甘さに粒々を少し残したような粟の感触がとってもいいです。確かにこれは銘菓だと思います。

    イチオシ

    「明治20年粟大福」をいただきました。お店の人によると、お店はこの粟大福で大きくなったんだそうで、これが堂々たる看板商品なんですね。
    なるほど、すっきりした甘さに粒々を少し残したような粟の感触がとってもいいです。確かにこれは銘菓だと思います。

  • 亀屋栄泉も、一番街の蔵通りの中ほど。芋菓子のお店です。いわゆる芋けんぴをとっても、品数がとても豊富。芋は近隣の特産物だったことで、その芋を使ったお菓子作りが始まったようです。老舗のようですが、ちゃんと地元に貢献した歴史を持っています。

    亀屋栄泉も、一番街の蔵通りの中ほど。芋菓子のお店です。いわゆる芋けんぴをとっても、品数がとても豊富。芋は近隣の特産物だったことで、その芋を使ったお菓子作りが始まったようです。老舗のようですが、ちゃんと地元に貢献した歴史を持っています。

  • お店の二階に芋菓子の歴史館というのがありまして。<br />

    お店の二階に芋菓子の歴史館というのがありまして。

  • 売り場の脇に二階に上がる小さな階段を上がった屋根裏部屋のようなスペースです。

    売り場の脇に二階に上がる小さな階段を上がった屋根裏部屋のようなスペースです。

  • お菓子作りに使った道具類や宣伝の資材など、レトロな世界を味わえます。

    お菓子作りに使った道具類や宣伝の資材など、レトロな世界を味わえます。

  • 蔵造りの街並みから寺町の方に曲がると、風情のある裏道の正面に長喜院の山門が見えました。<br />長喜院は、鎌倉時代後期の創建。観光のお寺ではないようで、境内をざっと見させてもらっただけです。お手洗いがあって、拝借しました。

    蔵造りの街並みから寺町の方に曲がると、風情のある裏道の正面に長喜院の山門が見えました。
    長喜院は、鎌倉時代後期の創建。観光のお寺ではないようで、境内をざっと見させてもらっただけです。お手洗いがあって、拝借しました。

  • 雪塚稲荷神社は、長喜院の山門脇にある小さな神社。江戸時代の後期、辺りの町民が一匹の白狐を打ち殺すという事件が起きたのですが、その祟りを静めるために建てられたという神社。今では商売繁盛の神社です。

    雪塚稲荷神社は、長喜院の山門脇にある小さな神社。江戸時代の後期、辺りの町民が一匹の白狐を打ち殺すという事件が起きたのですが、その祟りを静めるために建てられたという神社。今では商売繁盛の神社です。

  • さらに進むと養寿院。平安時代の末期から南北朝時代にかけて武蔵国で勢力を誇った河越氏の当主、河越経重が鎌倉時代の中ごろに創建した古刹。徳川家康の関東入国の際には、家康から御朱印十石を賜ったりもしています。<br />

    さらに進むと養寿院。平安時代の末期から南北朝時代にかけて武蔵国で勢力を誇った河越氏の当主、河越経重が鎌倉時代の中ごろに創建した古刹。徳川家康の関東入国の際には、家康から御朱印十石を賜ったりもしています。

  • なお、河越氏が京都東山新日吉山王社に寄進した文応元年(1260年)銘の銅鐘があり、国の重要文化財とされています。

    なお、河越氏が京都東山新日吉山王社に寄進した文応元年(1260年)銘の銅鐘があり、国の重要文化財とされています。

  • この辺りは、寺町通り。大きなお寺がいくつかあります。<br />行傳寺は、室町時代、地元の豪族上田氏の庇護によって創建された日蓮宗の寺。

    この辺りは、寺町通り。大きなお寺がいくつかあります。
    行傳寺は、室町時代、地元の豪族上田氏の庇護によって創建された日蓮宗の寺。

  • 見所は、本堂。文化9年(1812年)に建てられてたもので埼玉県内屈指のヒノキ造り建築。向拝の龍や鳥などの彫物は、川越祭の山車にも同様のデザインが使われるということです。

    見所は、本堂。文化9年(1812年)に建てられてたもので埼玉県内屈指のヒノキ造り建築。向拝の龍や鳥などの彫物は、川越祭の山車にも同様のデザインが使われるということです。

  • こちらは、醸ん楽座。「かもんらくざ」と読むようです。<br />白漆喰の店蔵には、松本醤油商店の醤油や、小江戸鏡山酒造の酒といった醸造の商品に加えて、煎餅、団子、硝子などの職人の作った商品が置かれています。

    こちらは、醸ん楽座。「かもんらくざ」と読むようです。
    白漆喰の店蔵には、松本醤油商店の醤油や、小江戸鏡山酒造の酒といった醸造の商品に加えて、煎餅、団子、硝子などの職人の作った商品が置かれています。

  • 店内は、モロミのようないい匂いがしていました。

    店内は、モロミのようないい匂いがしていました。

  • まめ屋は、川越の蔵造りの街並みの入口。大きな構えのお店です。名物は、きなこまめ。店頭では店員さんが楊枝に刺した豆を差し出して試食させてくれます。

    まめ屋は、川越の蔵造りの街並みの入口。大きな構えのお店です。名物は、きなこまめ。店頭では店員さんが楊枝に刺した豆を差し出して試食させてくれます。

  • ただ、中に入ると、同じような系統の豆があって、それがすごい種類です。どれも試食が出来て、優しい味わいが印象に残りました。

    ただ、中に入ると、同じような系統の豆があって、それがすごい種類です。どれも試食が出来て、優しい味わいが印象に残りました。

  • 川越観光のメインストリートは、江戸時代から明治の蔵造りの街並みが残る「川越一番街」。一方で、この大正浪漫夢通りも、かつては「銀座商店街」といって、大正から昭和初期にかけては「埼玉県随一の商店街」と呼ばれた歴史ある商店街です。戦に備えて緩やかにカーブした通りには、今でもレトロな店舗が30軒余り並んでいます。

    川越観光のメインストリートは、江戸時代から明治の蔵造りの街並みが残る「川越一番街」。一方で、この大正浪漫夢通りも、かつては「銀座商店街」といって、大正から昭和初期にかけては「埼玉県随一の商店街」と呼ばれた歴史ある商店街です。戦に備えて緩やかにカーブした通りには、今でもレトロな店舗が30軒余り並んでいます。

  • いせやは、大正ロマン夢通りにある和菓子屋さん。お店は古風ですが、中は新しいお店のようにピカピカです。

    いせやは、大正ロマン夢通りにある和菓子屋さん。お店は古風ですが、中は新しいお店のようにピカピカです。

  • 入るとショーケースに無駄なく色とりどりの和菓子が並んでいまして、いただいたのは草餅。口がきちんとは締めてなくて、餡子をお餅で緩く挟んだ感じなんですが、もっちりしていい感じ。お店が整理整頓してあると、やっぱり味も違いますの典型です。

    入るとショーケースに無駄なく色とりどりの和菓子が並んでいまして、いただいたのは草餅。口がきちんとは締めてなくて、餡子をお餅で緩く挟んだ感じなんですが、もっちりしていい感じ。お店が整理整頓してあると、やっぱり味も違いますの典型です。

  • 川越熊野神社は、この日、毎月第3日曜日の銭洗弁天の縁日でした。

    川越熊野神社は、この日、毎月第3日曜日の銭洗弁天の縁日でした。

  • 境内にある舞台では、

    境内にある舞台では、

  • 獅子舞が始まりました。

    獅子舞が始まりました。

  • 体を震わせて、ちょっと神経質そうな動きから始まって、

    体を震わせて、ちょっと神経質そうな動きから始まって、

  • 大胆に

    大胆に

  • 体を伸ばしたり

    体を伸ばしたり

  • ひねったり。

    ひねったり。

  • 足技も駆使して、

    足技も駆使して、

  • すねたような、おどけたような。

    すねたような、おどけたような。

  • と、今度は赤い玉が気になったよう。猫みたいな仕草も見せてくれます。<br />お囃子の笛・太鼓に合わせて、獅子は自由自在に姿勢を変えて、まさに変幻自在。なかなか芸達者な獅子舞でした。

    イチオシ

    と、今度は赤い玉が気になったよう。猫みたいな仕草も見せてくれます。
    お囃子の笛・太鼓に合わせて、獅子は自由自在に姿勢を変えて、まさに変幻自在。なかなか芸達者な獅子舞でした。

  • と、次に登場はひょっとこです。

    と、次に登場はひょっとこです。

  • ひょっとこは、おでこにこぶがあって、独特です。<br /><br />

    ひょっとこは、おでこにこぶがあって、独特です。

  • それでいて、手の動きや足の動きは軽妙で、<br />

    それでいて、手の動きや足の動きは軽妙で、

  • ちょっと人を食ったような動きです。<br />

    ちょっと人を食ったような動きです。

  • よどみのない

    イチオシ

    よどみのない

  • 見事な舞で、

    見事な舞で、

  • 妙技とでも言うべき

    妙技とでも言うべき

  • 仕草は

    仕草は

  • とても印象的。真打登場といったところでしょう。

    とても印象的。真打登場といったところでしょう。

  • 以前、まつり会館で見たのともちょっと違って

    以前、まつり会館で見たのともちょっと違って

  • 踊り手毎に、それぞれ自分のバージョンがあるようですね。<br />ちなみに、まつり会館の時は、始めにこぶを手で隠して出てきて、なんかもじもじしているなあと思ったら、実はおでこにこぶがあってびっくりといった設定でした。女性の踊り手だったと思いますが、これも強烈な印象でしたね。

    イチオシ

    踊り手毎に、それぞれ自分のバージョンがあるようですね。
    ちなみに、まつり会館の時は、始めにこぶを手で隠して出てきて、なんかもじもじしているなあと思ったら、実はおでこにこぶがあってびっくりといった設定でした。女性の踊り手だったと思いますが、これも強烈な印象でしたね。

  • 最後は二人が少しからんで、終了です。

    最後は二人が少しからんで、終了です。

  • 終わった後は、見物人の頭を噛んで、無病息災を祈ります。<br />ガチ、ガチ、ガチ。ありがとうございました。

    終わった後は、見物人の頭を噛んで、無病息災を祈ります。
    ガチ、ガチ、ガチ。ありがとうございました。

  • さてと、再び街歩きです。<br />川越には、芋菓子のお店がいくつもあるのですが、こちらの平本屋は「つぼやき」という焼きいものお店。

    さてと、再び街歩きです。
    川越には、芋菓子のお店がいくつもあるのですが、こちらの平本屋は「つぼやき」という焼きいものお店。

  • 紅あずまの芋を独特の窯でふっくらこんがり焼きあげたもの。皮もそのまま食べれるからねと言われた通り、丸ごとかぶりつきました。皮の焦げた味がアクセントになって、なるほどうまいです。一本\150と値段もびっくりの安さです。

    紅あずまの芋を独特の窯でふっくらこんがり焼きあげたもの。皮もそのまま食べれるからねと言われた通り、丸ごとかぶりつきました。皮の焦げた味がアクセントになって、なるほどうまいです。一本\150と値段もびっくりの安さです。

  • 川越は和菓子のお店が多いのですが、一角にけっこう大きな店舗を構えるのが、洋菓子のポタジェ。

    川越は和菓子のお店が多いのですが、一角にけっこう大きな店舗を構えるのが、洋菓子のポタジェ。

  • シュークリームをいただきました。見た目はビッグサイズでそれなりにインパクトがあったのですが、味の方はまあ普通でしょう。生クリームとカスタードクリームのどっちを強調するのか、迷っているような味わいだと思いました。

    シュークリームをいただきました。見た目はビッグサイズでそれなりにインパクトがあったのですが、味の方はまあ普通でしょう。生クリームとカスタードクリームのどっちを強調するのか、迷っているような味わいだと思いました。

  • またしても芋のお菓子発見。この隆清堂は、芋けんぴです。しょうがを絡めたタイプをお土産にしました。

    またしても芋のお菓子発見。この隆清堂は、芋けんぴです。しょうがを絡めたタイプをお土産にしました。

  • で、帰って袋を開けて食べ始めると、これが止まらないおいしさ。甘いのにしょうがの香りが加わって絶妙。やっぱりちゃんと積み重ねたものがある。そんな味わいです。

    で、帰って袋を開けて食べ始めると、これが止まらないおいしさ。甘いのにしょうがの香りが加わって絶妙。やっぱりちゃんと積み重ねたものがある。そんな味わいです。

  • こちらは銀生堂ですか。<br />芋けんぴとか、スライスしたタイプとか、芋のお菓子がたくさんあったので、

    こちらは銀生堂ですか。
    芋けんぴとか、スライスしたタイプとか、芋のお菓子がたくさんあったので、

  • ここでは「むらさき芋羊羹」をいただきました。ちょっと失礼ですが、さびれたような店構えだったので、あまり期待はしていませんでした。

    ここでは「むらさき芋羊羹」をいただきました。ちょっと失礼ですが、さびれたような店構えだったので、あまり期待はしていませんでした。

  • しかし、包みを開けて、出てきた洋館は透明感のある白い羊羹で、とってもきれい。少しかじると、芋の香りはしますが、ほどよい控えめな感じで、これは上品な味わいです。いいじゃないですかあ。微妙に、銘菓の雰囲気がありました。

    しかし、包みを開けて、出てきた洋館は透明感のある白い羊羹で、とってもきれい。少しかじると、芋の香りはしますが、ほどよい控えめな感じで、これは上品な味わいです。いいじゃないですかあ。微妙に、銘菓の雰囲気がありました。

  • 成田山川越別院は、「お不動様」と親しまれる成田山新勝寺の末寺。江戸の末期に、石川照温上人によって、廃寺であった本行院を再興して開創されました。有名なのは、毎月28日の蚤の市。境内にはたくさんの出店が出るようです。

    成田山川越別院は、「お不動様」と親しまれる成田山新勝寺の末寺。江戸の末期に、石川照温上人によって、廃寺であった本行院を再興して開創されました。有名なのは、毎月28日の蚤の市。境内にはたくさんの出店が出るようです。

  • 川越歴史博物館は、成田山川越別院の向かい側。

    川越歴史博物館は、成田山川越別院の向かい側。

  • 館内は、三階まで。古道具屋から引っ張ってきたような印象もないことはないのですが、川越城や川越藩のゆかりの品を親子3代で集めたというコレクションです。

    館内は、三階まで。古道具屋から引っ張ってきたような印象もないことはないのですが、川越城や川越藩のゆかりの品を親子3代で集めたというコレクションです。

  • 信長の兜だとか、とても本物とは思えませんが、いずれにしても玉石混交なので、こちらにそれなりの知識がないと鑑賞は難しいかもしれません。

    信長の兜だとか、とても本物とは思えませんが、いずれにしても玉石混交なので、こちらにそれなりの知識がないと鑑賞は難しいかもしれません。

  • 喜多院の方にやってきました。花はまだですが、桜と多宝塔。青空に映えてきれいです。

    イチオシ

    喜多院の方にやってきました。花はまだですが、桜と多宝塔。青空に映えてきれいです。

  • こちらは本堂。ちなみに、上野の寛永寺の本堂は、喜多院から移築したもの。あの本堂は、元はここにあったんでしょうか。

    こちらは本堂。ちなみに、上野の寛永寺の本堂は、喜多院から移築したもの。あの本堂は、元はここにあったんでしょうか。

  • 五百羅漢も拝見。<br />この五百羅漢は、天明2年から志誠という人物が中心となって建立したもの。天明の飢饉が数年にわたって続き、世の中は不穏な時代に入ったちょうどその時。石仏は比較的端正な印象なのですが、平穏な生活を願う気持ちがより強くなった時期であることを思うと、感慨深いものがありますね。

    五百羅漢も拝見。
    この五百羅漢は、天明2年から志誠という人物が中心となって建立したもの。天明の飢饉が数年にわたって続き、世の中は不穏な時代に入ったちょうどその時。石仏は比較的端正な印象なのですが、平穏な生活を願う気持ちがより強くなった時期であることを思うと、感慨深いものがありますね。

  • 日枝神社は、喜多院の門を出てすぐ。もともと喜多院の境内にあったようですが、道路を作る工事のため、大正時代にここに移転したとのこと。<br />それでもそばにあるのは、喜多院の鎮守として、平安時代初期に、坂本の日吉大社を勧請したもの。東京赤坂の日枝神社は、後に、この川越日枝神社から分祀したものだそうです

    日枝神社は、喜多院の門を出てすぐ。もともと喜多院の境内にあったようですが、道路を作る工事のため、大正時代にここに移転したとのこと。
    それでもそばにあるのは、喜多院の鎮守として、平安時代初期に、坂本の日吉大社を勧請したもの。東京赤坂の日枝神社は、後に、この川越日枝神社から分祀したものだそうです

  • やきそばのみどりやは、ふるぼっけた小さなお店なのですが、入ると奥の小さなスペースにお客さんがぎっしり。焼きそばを食べるお客さんで、ぎゅうぎゅう状態でした。あれれ、人気のお店なんですね。

    やきそばのみどりやは、ふるぼっけた小さなお店なのですが、入ると奥の小さなスペースにお客さんがぎっしり。焼きそばを食べるお客さんで、ぎゅうぎゅう状態でした。あれれ、人気のお店なんですね。

  • 壁には、テレビ局のスタッフの書いた色紙もいくつか飾ってあります。<br />

    壁には、テレビ局のスタッフの書いた色紙もいくつか飾ってあります。

  • それでは私もいただきましょうといただいた焼きそばは、ソースの味に特徴がある。酢をいれたようなきつい酸味がそばと独特の相性です。ちょっとしたことなんでしょうが、確かにインパクトのある味わいです。

    それでは私もいただきましょうといただいた焼きそばは、ソースの味に特徴がある。酢をいれたようなきつい酸味がそばと独特の相性です。ちょっとしたことなんでしょうが、確かにインパクトのある味わいです。

  • 富士見櫓跡は、川越城本丸御殿のほど近くの高台。富士見櫓というのは、川越城一の高さを誇った建物で、天守閣の代わりとして、見張りや防戦の足場として使われていたのだそうです。川越城は、明治維新以降、取り壊されて、現存する遺構は少なく、富士見櫓跡は数少ない遺構の一つだそうです。

    富士見櫓跡は、川越城本丸御殿のほど近くの高台。富士見櫓というのは、川越城一の高さを誇った建物で、天守閣の代わりとして、見張りや防戦の足場として使われていたのだそうです。川越城は、明治維新以降、取り壊されて、現存する遺構は少なく、富士見櫓跡は数少ない遺構の一つだそうです。

  • 三芳野という名前は、昔の川越の地名のようです。童歌「通りゃんせ」というのは、この神社の参道が舞台というのは、面白いですね。<br />現在の社殿は、江戸の初め頃、川越藩主酒井忠勝が3代将軍徳川家光の命を受けて造営したもの。天海大僧正を導師として遷宮式が行われ、以後、喜多院、仙波東照宮とともに江戸幕府の直営社となりました。

    三芳野という名前は、昔の川越の地名のようです。童歌「通りゃんせ」というのは、この神社の参道が舞台というのは、面白いですね。
    現在の社殿は、江戸の初め頃、川越藩主酒井忠勝が3代将軍徳川家光の命を受けて造営したもの。天海大僧正を導師として遷宮式が行われ、以後、喜多院、仙波東照宮とともに江戸幕府の直営社となりました。

  • 小峰商店は、三芳野神社の境内にある小さな食堂。駄菓子を売ったりもしていますが、お店の片隅で食堂もやっています。<br />ここでもやきそばをやっていたので、では、せっかくなので食べ比べと行きますか。みどりやほどではありませんが、こちらもお客さんがポツポツ。やっぱり人気があるようですし。。<br />

    小峰商店は、三芳野神社の境内にある小さな食堂。駄菓子を売ったりもしていますが、お店の片隅で食堂もやっています。
    ここでもやきそばをやっていたので、では、せっかくなので食べ比べと行きますか。みどりやほどではありませんが、こちらもお客さんがポツポツ。やっぱり人気があるようですし。。

  • ソース味の効いたちょっと太めの焼きそば。具もほとんど入っていないので、まさにB級なんですが、並250円ととにかく激安。申し訳ないような値段です。

    ソース味の効いたちょっと太めの焼きそば。具もほとんど入っていないので、まさにB級なんですが、並250円ととにかく激安。申し訳ないような値段です。

  • 本丸御殿は、すぐ近く。<br />しばらく工事中だったのですが、修復が完了しました。<br />

    本丸御殿は、すぐ近く。
    しばらく工事中だったのですが、修復が完了しました。

  • 御殿は、焼失後の再建で、江戸末期のもの。藩主、松平斉典の17万石に相応しい入母屋造りの、豪壮な大唐破風と霧除けのついた大玄関を備えています。ボランティアガイドさんによれば、本丸御殿大広間はここの他には高知城にしか現存しない貴重なものだということでした。

    御殿は、焼失後の再建で、江戸末期のもの。藩主、松平斉典の17万石に相応しい入母屋造りの、豪壮な大唐破風と霧除けのついた大玄関を備えています。ボランティアガイドさんによれば、本丸御殿大広間はここの他には高知城にしか現存しない貴重なものだということでした。

  • こちらは、奥の重臣控えどころ。

    こちらは、奥の重臣控えどころ。

  • 川越藩は、幕末に江戸湾の警備を仰せつかりますが、世は黒船が来航し、攘夷か開港か、世の中は騒々しい時代。結局は攘夷の実力もないので、矢面に出されてもどうにもならない。思案の面々です。

    川越藩は、幕末に江戸湾の警備を仰せつかりますが、世は黒船が来航し、攘夷か開港か、世の中は騒々しい時代。結局は攘夷の実力もないので、矢面に出されてもどうにもならない。思案の面々です。

  • 城の守りなど、何の役にも立ちません。欲しいのは、ちゃんとした大砲だったでしょう。

    城の守りなど、何の役にも立ちません。欲しいのは、ちゃんとした大砲だったでしょう。

  • 次は、隣りの川越市立博物館。<br />ここでは、係りの人による博物館の館内展示の案内があって、それを聞きました。

    次は、隣りの川越市立博物館。
    ここでは、係りの人による博物館の館内展示の案内があって、それを聞きました。

  • 川越の蔵の街の成り立ちや歴史をジョークを交えて説明してくれるし、

    川越の蔵の街の成り立ちや歴史をジョークを交えて説明してくれるし、

  • 大火の後の復興の中で蔵造りの建物が生まれたことや天海上人と喜多院、川越の関係なども、興味深いものでした。

    大火の後の復興の中で蔵造りの建物が生まれたことや天海上人と喜多院、川越の関係なども、興味深いものでした。

  • 高等数学の絵馬に、

    高等数学の絵馬に、

  • 川越の賑わいを再現したジオラマ。

    川越の賑わいを再現したジオラマ。

  • こちらは、限られた敷地に蔵を立てるやぐらを組んだ技術です。

    こちらは、限られた敷地に蔵を立てるやぐらを組んだ技術です。

  • そして、太田道灌のコーナーも。文武両道の鏡とされる道灌は、今でも本当に人気があります。

    そして、太田道灌のコーナーも。文武両道の鏡とされる道灌は、今でも本当に人気があります。

  • 川越市立美術館は、川越市立博物館と同じ敷地内。常設展と相原求一朗記念室を見ました。相原求一朗は、川越市出身の洋画家で、冬の北海道の詩情を描く洋画家の第一人者と言われた人。ただ、おとなしい印象の絵なので、その世界に浸るにはちょっと時間がかかると思います。

    川越市立美術館は、川越市立博物館と同じ敷地内。常設展と相原求一朗記念室を見ました。相原求一朗は、川越市出身の洋画家で、冬の北海道の詩情を描く洋画家の第一人者と言われた人。ただ、おとなしい印象の絵なので、その世界に浸るにはちょっと時間がかかると思います。

  • 川越菓舗道灌は、川越市美術館から市役所に向かって戻る途中にありました。看板商品は、道灌まんじゅう。川越で人気の道灌の名前を冠したまんじゅうを売るのはやっぱりそれなりの自信がないと出来ないでしょう。<br />

    川越菓舗道灌は、川越市美術館から市役所に向かって戻る途中にありました。看板商品は、道灌まんじゅう。川越で人気の道灌の名前を冠したまんじゅうを売るのはやっぱりそれなりの自信がないと出来ないでしょう。

  • 柔らかな上用まんじゅうなんですが、玄米粉を使っているのでやや野趣がある。ちょっと印象に残る味わいです。

    柔らかな上用まんじゅうなんですが、玄米粉を使っているのでやや野趣がある。ちょっと印象に残る味わいです。

  • 川越城中ノ門堀跡は、旧城内に残る唯一の堀跡を整備・復元したもの。攻める側からの堀への斜面は緩やかなのですが、守る側の斜面は急。攻めやすいとみて近づくと、守る側から手痛い反撃を食ってしまうという実戦的な構造です。

    川越城中ノ門堀跡は、旧城内に残る唯一の堀跡を整備・復元したもの。攻める側からの堀への斜面は緩やかなのですが、守る側の斜面は急。攻めやすいとみて近づくと、守る側から手痛い反撃を食ってしまうという実戦的な構造です。

  • 氷川神社は、太田道灌の頃から、川越の総鎮守とされ、歴代川越藩主にも崇敬を受けた神社。関東三大まつりで、国の重要無形民俗文化財の川越祭りは、この氷川神社の例大祭です。<br />

    氷川神社は、太田道灌の頃から、川越の総鎮守とされ、歴代川越藩主にも崇敬を受けた神社。関東三大まつりで、国の重要無形民俗文化財の川越祭りは、この氷川神社の例大祭です。

  • ほー、これは金魚のおみくじですか。面白いですね。

    ほー、これは金魚のおみくじですか。面白いですね。

  • そして、もう一つの見所は、大鳥居。木造では日本有数の大きさ。扁額は勝海舟が記したものです。

    そして、もう一つの見所は、大鳥居。木造では日本有数の大きさ。扁額は勝海舟が記したものです。

  • ヤオコー川越美術館は、スーパーマーケットチェーンストアのヤオコーが、同社の創業120周年の記念事業として、本社を置く川越市に開館した美術館。<br />洋画家・三栖右嗣(みすゆうじ)の作品が圧巻です。作風は、現代リアリズムというかスーパーリアリズム。リアルさを徹底して、対象の真実を探究するといった一直線の姿勢がちょっと感動的です。

    ヤオコー川越美術館は、スーパーマーケットチェーンストアのヤオコーが、同社の創業120周年の記念事業として、本社を置く川越市に開館した美術館。
    洋画家・三栖右嗣(みすゆうじ)の作品が圧巻です。作風は、現代リアリズムというかスーパーリアリズム。リアルさを徹底して、対象の真実を探究するといった一直線の姿勢がちょっと感動的です。

  • 川越は、江戸時代末期から明治時代初めにかけて、江戸への舟運で隆盛した街。川越藩主松平信綱が、本川に大規模な改修工事を実施。沿岸に川越五河岸を整備したことから、川の名も「新河岸川」と呼ばれるようになったということです。<br />今は、その役割を終え、辺りは桜の名所として知られます

    川越は、江戸時代末期から明治時代初めにかけて、江戸への舟運で隆盛した街。川越藩主松平信綱が、本川に大規模な改修工事を実施。沿岸に川越五河岸を整備したことから、川の名も「新河岸川」と呼ばれるようになったということです。
    今は、その役割を終え、辺りは桜の名所として知られます

  • 太田道灌像は、川越市役所の敷地、角にたっています。<br />服装は、鷹狩りをする狩装束。頭には綾藺笠(あやいがさ)をかぶり、右手には、山吹の小枝。農家で蓑を借りようとした道灌に、「七重八重 花は咲けども山吹の みの(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき」という古い和歌でみののないことを答えた娘の逸話を伝えています。

    太田道灌像は、川越市役所の敷地、角にたっています。
    服装は、鷹狩りをする狩装束。頭には綾藺笠(あやいがさ)をかぶり、右手には、山吹の小枝。農家で蓑を借りようとした道灌に、「七重八重 花は咲けども山吹の みの(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき」という古い和歌でみののないことを答えた娘の逸話を伝えています。

  • ル・ソレイユは、川越市役所のはす向かいにある小さなパン屋さん。しかし、外観も雰囲気があって、それぞれのパンもちょっとこだわり系のような美しさがあります。

    ル・ソレイユは、川越市役所のはす向かいにある小さなパン屋さん。しかし、外観も雰囲気があって、それぞれのパンもちょっとこだわり系のような美しさがあります。

  • フルーツをいっぱい乗せたパイをいただきましたが、クリームもうまいし、きちんとした味わい。

    フルーツをいっぱい乗せたパイをいただきましたが、クリームもうまいし、きちんとした味わい。

  • 大沢家住宅は、明治26年の川越大火の焼失を免れた川越最古の蔵造り店舗。それまでは、店舗を蔵造りとするという考え方はなかったよう。しかし、たまたまこの店だけが蔵造りとなっていたため、焼失を逃れたことで、再建は蔵造りの店舗がスタンダードになったということです。<br />今はお土産物屋さんですが、国の重要文化財の指定を受けています。

    大沢家住宅は、明治26年の川越大火の焼失を免れた川越最古の蔵造り店舗。それまでは、店舗を蔵造りとするという考え方はなかったよう。しかし、たまたまこの店だけが蔵造りとなっていたため、焼失を逃れたことで、再建は蔵造りの店舗がスタンダードになったということです。
    今はお土産物屋さんですが、国の重要文化財の指定を受けています。

  • 小江戸巡回バスは、川越の観光スポットを巡回するバス。蔵造りの街並みの最寄りの駅は本川越駅ですが、さらに川越城本丸御殿や川越市立博物館・美術館、氷川神社までは歩くとなるとけっこうな距離。始めから使うことは考えなくてもいいのですが、駅でいたら乗るという感じで利用するのがお勧めです。

    小江戸巡回バスは、川越の観光スポットを巡回するバス。蔵造りの街並みの最寄りの駅は本川越駅ですが、さらに川越城本丸御殿や川越市立博物館・美術館、氷川神社までは歩くとなるとけっこうな距離。始めから使うことは考えなくてもいいのですが、駅でいたら乗るという感じで利用するのがお勧めです。

  • 川越市蔵造り資料館は、明治26年の川越大火の直後に建てられた建物。煙草卸問屋だった小山文造が建てた「万文」を博物館に改装したもの。<br />昭和47年、この建物が売却され取り壊しの動きが出ると、保存を求める市民運動が起きますが、行政の認識の低さを改めさせるきっかけとなった出来事だったようです。<br />ただし、内部は撮影禁止でした。

    川越市蔵造り資料館は、明治26年の川越大火の直後に建てられた建物。煙草卸問屋だった小山文造が建てた「万文」を博物館に改装したもの。
    昭和47年、この建物が売却され取り壊しの動きが出ると、保存を求める市民運動が起きますが、行政の認識の低さを改めさせるきっかけとなった出来事だったようです。
    ただし、内部は撮影禁止でした。

  • 駄菓子横丁の方にもぶらぶら。

    駄菓子横丁の方にもぶらぶら。

  • 六塚稲荷神社は、菓子屋横丁の道路を挟んだ向かい側。小高い場所に建っています。室町時代、太田道真という人物が、この場所にあった6つの塚を崩した代わりに、6つの稲荷社を建造。その後、6つ社を1つにまとめて祀ったというのがいわれです。

    六塚稲荷神社は、菓子屋横丁の道路を挟んだ向かい側。小高い場所に建っています。室町時代、太田道真という人物が、この場所にあった6つの塚を崩した代わりに、6つの稲荷社を建造。その後、6つ社を1つにまとめて祀ったというのがいわれです。

  • 見立寺は、小田原北条氏の重臣で川越の城将、大道寺政繁が開いた寺。小江戸川越七福神のうち、布袋尊を祀る寺で、

    見立寺は、小田原北条氏の重臣で川越の城将、大道寺政繁が開いた寺。小江戸川越七福神のうち、布袋尊を祀る寺で、

  • 本堂をのぞくと、小さな布袋像が見えました。両手を上に上げて、ちょっと変わった姿です。<br />境内には、赤穂浪士、矢頭右衛門七の妹の墓もあります。<br />

    本堂をのぞくと、小さな布袋像が見えました。両手を上に上げて、ちょっと変わった姿です。
    境内には、赤穂浪士、矢頭右衛門七の妹の墓もあります。

  • 稲葉屋本舗は、菓子屋横丁の入口。大通り沿いにあるお店です。店先には、お菓子のほかに、いろんな食品も豊富に並んでいます。

    稲葉屋本舗は、菓子屋横丁の入口。大通り沿いにあるお店です。店先には、お菓子のほかに、いろんな食品も豊富に並んでいます。

  • ただ、芋のお菓子だけじゃなくて、うどんや葛などどの商品にも川越名物と書いてあって、なんか混乱してしまいました。蒸かした芋の饅頭がお勧めでしょう。

    ただ、芋のお菓子だけじゃなくて、うどんや葛などどの商品にも川越名物と書いてあって、なんか混乱してしまいました。蒸かした芋の饅頭がお勧めでしょう。

  • 札の辻は、川越城下町の中心として、高札場があった場所。蔵造りの街並みと川越市役所前の道が交差する十字路ですが、江戸時代は、街の防衛のために、通りの作り方には工夫があって、川越の宿で十字路があったのは、ここだけのようです。

    札の辻は、川越城下町の中心として、高札場があった場所。蔵造りの街並みと川越市役所前の道が交差する十字路ですが、江戸時代は、街の防衛のために、通りの作り方には工夫があって、川越の宿で十字路があったのは、ここだけのようです。

  • 広済寺は、北条氏康が関東管領の上杉憲政、扇谷上杉氏の上杉朝定、古河公方の足利晴氏という3者連合軍を破った河越夜戦の2年後。川越城代になった大道寺駿河守政繁が建立した寺。<br />境内には、三芳野名勝図会の作者、中島孝昌の墓があります。また、「あごなし地蔵」や「しわぶきばば」といった石仏もあるようですが、これはちょっと分かりませんでした。

    広済寺は、北条氏康が関東管領の上杉憲政、扇谷上杉氏の上杉朝定、古河公方の足利晴氏という3者連合軍を破った河越夜戦の2年後。川越城代になった大道寺駿河守政繁が建立した寺。
    境内には、三芳野名勝図会の作者、中島孝昌の墓があります。また、「あごなし地蔵」や「しわぶきばば」といった石仏もあるようですが、これはちょっと分かりませんでした。

  • 東明寺は、蔵造りの街並みからさらに奥の方に進んだところ。一遍上人が開基したという時宗の古刹です。境内には、これが最後に見たかった河越夜戦の碑。<br />河越夜戦は、小田原の北条氏が武蔵国に進出するのを決定づけた戦い。北条氏康は、圧倒的な数に勝る関東管領の上杉憲政、扇谷上杉家の上杉朝定、古河公方の足利晴氏の3者連合軍を激戦の後に破りました。8万の大軍を8千の兵で破った戦いは、日本三大奇襲の一つと呼ばれています。<br />律令制度の時代には、武蔵国の中心は府中だったのですが、この辺りから川越の重要性が高まったのかもしれません。<br />以上で、川越はおしまいです。

    東明寺は、蔵造りの街並みからさらに奥の方に進んだところ。一遍上人が開基したという時宗の古刹です。境内には、これが最後に見たかった河越夜戦の碑。
    河越夜戦は、小田原の北条氏が武蔵国に進出するのを決定づけた戦い。北条氏康は、圧倒的な数に勝る関東管領の上杉憲政、扇谷上杉家の上杉朝定、古河公方の足利晴氏の3者連合軍を激戦の後に破りました。8万の大軍を8千の兵で破った戦いは、日本三大奇襲の一つと呼ばれています。
    律令制度の時代には、武蔵国の中心は府中だったのですが、この辺りから川越の重要性が高まったのかもしれません。
    以上で、川越はおしまいです。

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