2009/12/30 - 2010/08/28
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ドクターキムルさん
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北鎌倉界隈には平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明に係わる石や石碑がある。
山ノ内八雲神社には「安倍晴明石」がある。安倍晴明が厄除けのために置いた石で、もとは山ノ内道の十王堂橋あたりの道の真ん中に埋まっていたが、戦後になって進駐軍がブルドーザーで掘り起こしてしまい、山ノ内の人たちが八雲神社境内に手厚く移したと伝わる。この石を知らずに踏めば足が丈夫になり、知っていて踏めばびっこになると伝えられ、「びっこ石」とも呼ばれる。また、十王堂橋の傍には「清明井戸」もあったとされる。
JR北鎌倉駅から建長寺に向かう途中の横須賀線の踏切を渡ったところに「安倍晴明大神」(明治39年(1906年)銘)の石碑がある。この碑の辺りに安倍晴明の屋敷があったともいわれている。
建長寺の鎮守神であった第六天社の鳥居左後方にも「安倍晴明大神」の石碑が建てられている。
治承4年(1180年)、鎌倉入りした源頼朝が当座の住居とした家屋には、山ノ内にあった正暦年中(990年?995年)に建てられ、安部清明が護符を打ち付けたためにずっと火災を免れていた首藤兼道邸が移築されたと「吾妻鑑」にある。
鎌倉で陰陽師が登場するのは、元仁元年12月26日(1225年2月5日)に「四角四境」の鬼気祭や、嘉禎元年12月20日(1236年1月29日)の4代将軍藤原頼経の疱瘡治癒の祈祷などが「吾妻鑑」に見られる。ただし、四角四境祭は、3代将軍源実朝の頃から記録にあるようだ。また、弘安10年(1287年)に安倍晴宗が鎌倉の陰陽寮の長官となっている。
源頼朝が鎌倉入りする以前に安倍晴明が辺境の地の鎌倉に来たというのは信憑性が低いと思われるが、鎌倉幕府が開かれると陰陽師が活躍し、安倍晴明伝説が残っているのであろう。
(表紙写真は山ノ内八雲神社の安倍晴明石)
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