1955/07/25 - 1955/08/10
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Berg Heilさん
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半世紀前の北アルプス、大学山岳部の記録。当時の山日記、山岳部報、そして記憶を思い出しながらの山岳紀行である。 当時の山岳部は1945年の敗戦から10年、ボツボツ世の中も落ち着きを取り戻し、大学山岳部の第一次黄金時代を迎えようとしていた。 小中学生の頃、ボーイスカウトでの野外生活にすっかりはまり、大学入学と同時に迷わず山岳部に入部、部員は30名以上を数えていた。
カメラを持っている者はごくわずか、カラー写真などもなく、したがって写真記録も断片的であり、合宿後写真を焼き増しして配布され、アルバムを作った。したがってカメラ無しの山行もあり、全ての写真記録はない。参加メンバー22名
表紙の写真は日本山岳会編集の「山日記:1959年版」の表紙のカバー。
※ 特殊な山岳用語や一般的でない山や谷の固有名詞が出てくるがご容赦願いたい。
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まず夏の合宿、これは新人の基礎的雪上と岩登りの訓練の為 剣岳の真砂沢に全員で一週間の合宿、同時に上級生は剣岳の岩壁の各ルートにアタック。
合宿後、4パーティーに編成、北アルプスを各ルートに分かれて約10日間かけて縦走する。これで新人は北アルプスの概要を把握する。
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大学4年間でトレースした北アルプスのルート。ゆうに300日以上は夏冬問わず山に入っている。ということはあまり勉強しなかった事になる。(当時使用の山日記から)
北アルプスで大学時代登り残した山は 水晶岳 赤牛岳 黒部五郎岳 餓鬼岳 西穂高岳(西穂は後に登攀) 仕事をやめてからこれらも登るつもりもカミサンの思わぬ大手術でカミサンの懇願もあり 山は諦め、独逸旅行に転換。 -
剣岳の合宿を終わり、小生のパーティーは5名編成、真砂沢のベースキャンプを撤収、池の平から阿曾原へ下る。そこから黒部川を遡る。ここからは「下の廊下(しものろうか)」と呼ばれる難所で、左岸の絶壁に丸太の桟道が「平の渡し」まで続く。
これは後立山連峰から黒部に落ちる棒小屋沢と剣岳から来る剣沢とが十字に合流する所、十字峡へのつり橋で眼下遥かに剣沢の急流。左が黒部本流、十字峡から剣沢を遡れば「幻の剣大滝」(ただし当時は道もなく、容易にいけるものではなかった。現在は??) -
「黒部下の廊下」の白竜峡と呼ばれる所。重いキスリングを背負い、慎重に進む。2本の丸太が太い針金で固定されている。
その日の目的地の「平の渡し」迄 他の登山者にはまったく出会わなかった。 -
白竜峡
この時 始めての山行で、3回生のリーダーに黙って従っていく。 -
白竜峡
まさにソロソロと進む。 -
写真右側に桟道が見える。上の岩に固定された針金が桟道を吊って支えているので、大きい荷物がつっかえないように岩と針金の間をくぐり抜けるのに苦労する。針金につっかえてバランスを崩し、黒部の急流に落ちれば冷たい水ともあいまって即座にアウト!!
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手前の線は手すりの針金、これだけでも狭い桟道を行くにはささやかな安心感がある。もちろん力は入れられないが。
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黒部下流を見る。われわれはこの桟道をたどってきた。
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岸壁にへばりつきながら。
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今日の目的地の「平の渡し」までは まだまだ。
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1955年(昭和30年)は未だ黒四ダムのできる前で、ようやく「平の小屋」に測量の人や大工が入っていた頃である。「平の渡し」の川原には温泉が湧いていて、川原を掘って湯船にしていた。 先輩が針の木岳のどてっ腹にトンネルを開け、大きなダムを作るのだと話していた。よくもマアこんな山奥にと驚いた記憶がある。翌1956年にはかなりの工事が行われていたから、最後の静かな黒部の山奥の雰囲気をを味わった事になる。
佐々成正(この字だったか?)も越中からザラ峠を越え、ここを渡って針の木岳に登り信州へ抜けたのはあまりにも有名。剣岳近くに「内蔵助平」という場所があり、成正の埋めた埋蔵金が埋まっているとの伝説があった。
石原裕次郎と三船敏郎主演の「黒部の太陽」はここが舞台。 -
黒部の渡渉
「平(だいら)」から更に遡り、赤牛岳を右手に見ながら 黒部と別れを告げ、東沢を遡る。ここから黒部上流は「上の廊下」と呼ばれる難所で 当時は遡行が不可能であった。更にこの奥には昔 鉱山があって上の廊下も行き来できたらしいが、 すでに廃鉱となり、廃道と化していた。 -
今ではこの付近は黒四ダムの底!!
思えば良き時代に行ったものだ。この白黒写真に青春の思い出がこもっている。
40Kgちかくある荷物の上に大鍋。これが18歳であった小生!! -
ここから「東沢」に入って行く。裏銀座の「東沢乗越(のっこし)」の稜線までは一日では行けない。「一の沢出合」で一泊。 この二日間 まったく他人と出会わなかった。
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だいぶ東沢を遡って稜線が見えてきた。この山奥の沢に「イワナ小屋」があって、イワナ釣りの猟師の滞在基地。 どこかの沢に釣りに出かけていたのか人気がなかった。
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やっと見えてきた稜線、左に「野口五郎岳」 鞍部が目指す「東沢乗越」 稜線へ出る少し手前からは素晴らしいお花畑で、高山植物の花が見事に咲き乱れていた。
稜線から「鷲羽岳」を超えて、各縦走パーティーの集結地「三俣蓮華岳」へ。
翌日 「双六池」「樅沢岳」を通り、「千丈沢乗越」から「千丈沢」を下り、「湯俣」に出て、高瀬川に沿って「葛温泉」へ。「河鹿荘」宿泊
当時の葛温泉はその後の台風に押し流される被害に会う前の、実にひなびた山の湯で 河鹿荘も素敵な和風の宿であった。
現在はこの千丈沢の登山道は廃道か?? -
縦走路から垣間見えた「槍ヶ岳」 初めてまじかに槍を見て感激。
この山行が最初で、4年間の山岳部生活が始まる。 -
まだ望遠レンズなどは一般には持てなかった時代、普通のカメラで雷鳥のちょっとしたアングルを。誰のカメラだったのかお見事のワンショット。
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