2026/04/29 - 2026/04/29
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スネフェルさん
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東武伊勢崎線に乗って何気なく窓の外を眺めていると、”徳川発祥の地”という碑文が目に入り、気になってその駅で降りてみました。
群馬と徳川の縁って何>と思って調べてみると、松平氏の「経歴詐称」の根拠になったのが、ここ世良田だったんですね。
松平氏は清和源氏の末裔と称することで、征夷大将軍に任命された、とは聞いていた話ですが、元々の系譜は平氏だったはず。どこから「貴種」を引っ張ってきて源氏に系譜を繋いだ、という話は昔聞いたことがあったのですが、この世良田の「得川」から引っ張ってきたとは知りませんでした。
武家社会において、「新田氏」の血筋は「貴種」ですが、この世良田は新田氏の地、新田荘です。
武家社会において、これ以上、説得力のある血筋はなかったことでしょう。
いち土豪んびしぎなかった松平が源氏を名乗れるくらいです。
家系の改竄が頻繁に行われていた証左を現在に伝える地とも言えるでしょう。
とはいえ、「発祥の地」として幕府が多大なる保護をしていたのは確かのようです。
「東照宮」まであるのですから!
東照宮の境内には新田氏の墓や得川氏の墓もあり、徳川=得川=新田とつないで印象付ける様に、これでもか!と仕立てがなされています。
神官の出であることがはっきりしている織田家や、百姓あがりの豊臣では残されていない「舞台装置」です。
徳川の統治は偏執狂的というか、日常の細かい処まで統制をしている印象がありますが、自らの正当性をこれでもか!と主張する舞台装置を作り、カネをかけていた、というのは「根拠が薄弱」な故なのでしょうね。
ちなみに、世良田の東照宮には日光例幣使が参拝していた様です。
例幣使は京都からまっすぐ日光に行っていたと思っていたのですが、世良田にも寄っていたんですね。
例幣使に任じられると人財産稼げる、と公家は喜んだらしいですが、旅路は長く、その間も色々やることがあり、大変だったのですね
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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照射してきた東武伊勢崎線の電車
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駅名標。
世良田、という無人駅 -
世良田駅は島式ホーム。
交換駅になっているようで、上り電車と下り電車の同時発車が見られます -
世良田駅の駅舎。
シンプル、というより簡素な駅舎。
これでも400人以上の利用がある駅のようです -
駅前の観光案内図。
結構な見どころが点在しています -
例の碑文も見に行きました。
street viewではボロボロでしたが、塗りなおしたようです。 -
さて、東照宮を目指します。
道の左右には田んぼが広がります。
なんてこの無い風景ではありますが、米=富の時代が長かったので、ここがあ豊かな土地であったことは想像できます。 -
道の左右には田んぼが広がります。
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最初の目的地、八坂神社に到着。
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参道は残念ながら工事中。
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八坂神社の縁起。
新田氏代々の崇拝社だったようです。
ここで出てくるのが世良田氏。
世良田政義の娘が皇子の妻になっており、その子がここ、八坂神社の神主になったこともあり、かの織田信長にも崇拝したあのだとか。
新田氏ブランド、おそるべし! -
八坂神社の本殿
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おそらく舞台
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奉納献額を収めた堂のようです
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奉納献額の説明文
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切り株がありました
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かつてのご神木、熊杉とのこと。
切り株には「神」が座るのだとか。
初めて知りました。
だから切り株でも神社に残されているのですね。 -
神輿を収めたお堂
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永寿大明神
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琴平社
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縁結びの神の社
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様々な神々の社
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出羽三山社
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白蛇弁天社
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八坂神社を後にするとすぐに、重厚な建物が。
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かつての村役場だったようです
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途中で見かけたお地蔵様
美容院の脇にあるためか、ちょっとおしゃれ -
八坂神社の南側の参道
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東照宮に向かいます。
途中で歩道が細くなります。
田舎ではよくある
「寸土たりとも渡さねぇ!」
と叫ぶ、俺様ジャイアンの家が右手の家の家主のようです。 -
って思ったら、飲食店?
こんな、因業じじいみたいな人が客商売やっているの?
しかも
「通り抜け禁止」
とか。
いや、通り抜けられたくなければあ、道路の拡幅に応じれよ?
こういう「公」の精神が欠落した人がコミュニティ、ひいては日本の社会を壊すんですよね。 -
東照宮エリアに到着。
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長楽寺の総門
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なかに入ると、寺というより庭園の雰囲気
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立派なもんだな、と思っていたら勅使門でした。
基本的には勅使一行しか使えない門です。
日光東照宮に行く前に勅使がここにも寄ったのでしょうか。 -
勅使門の説明文
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勅使門から伸びる道。
まっすぐ先には三仏堂
手前の太鼓状の盛り上がりは太鼓橋 -
歴史公園の地図
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太鼓橋は渡月橋と言うようです
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三仏堂
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忠霊碑
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三仏堂の学は禅密顕
意味は・・・分かりません(笑) -
三仏堂と太鼓門の説明文
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三仏堂の碑
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裏手に回ります。
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太鼓門
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太鼓門を進むと徳川義季公累代墓があります
”徳川”となっていますが、新田義重の四男で、新田郡得川郷を領有していたので、”得川”を称していたようです。
徳川家康が清和源氏を僭称する際に松平氏の遠祖とみなした人物ですね
要するに、捏造した系譜上の徳川のご先祖様。 -
徳川義季公累代墓は小山の上
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徳川義季公累代墓
この字型に配置されています -
宝塔があるようですが、どれかわかりませんでした
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新田義貞の顕彰塔
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新田義貞の顕彰塔
村人の篤志で立てたみたいです -
名前の残らなかった新田義貞の従臣まで慰霊しているのがポイント。
歴史の波に飲み込まれた名もなき人々に思いを馳せることは、後世に生きる我々にとって大事なことだと思います。 -
石があります
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牛石というそうです。
この上に座って祈ると願いが叶うとか。 -
柵で囲まれた竹
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逆竹、というそうです。
枯れては新しく生える、を繰り返すらしい。 -
開山堂まできました
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開山堂の碑
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開山堂の額は開山堂
まんまでした -
左のお地蔵さんのお顔がなんとも柔和
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新田家累代の墓もありました
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開山堂の奥に向かいます。
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新田岩松家の墓エリア。
入れませんでした -
さて、隣の東照宮へ向かいます。
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鬼除日枝社
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東照宮の地図
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門は残念ながら修復中
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本殿も修復中
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鳥居
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観光客が来るのでしょうか・・・
クオリティの低い写真スポット・・・ -
徳川氏発祥の地をアピール
世良田東照宮は日光東照宮と比べて、どの程度の格だったのでしょう・・・ -
隣接する新田荘歴史資料館にやってきました
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微妙にくたびれた表示
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内部でちょっと気になったのが、新田義貞の足跡。
最期は福井だったんですね。
遠くまで行ったんだなぁ・・・ -
新田氏の系譜。
「徳川」は新田家3代から分かれたようです。
「足利」は新田家2代から分かれているので、確かに「徳川」は名門ですね -
古墳時代の展示もあったのですが、気になったのがコレ。
あまり見ませんが、いい味出してました -
出口には「千姫を大河ドラマに!」という署名運動をやってました。
何故に千姫?と思っていたら、縁切り寺と縁があるようで、この地に縁があるようです。
こののち、向かいましたが、別旅行記にて -
新田義貞像がありました
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