2025/04/04 - 2025/04/04
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ちちぼーさん
この旅行記のスケジュール
2026/04/04
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江戸時代、象が長崎へ到着して江戸に向かう道に興味を持ちました。
午前中に出島から長崎街道をスタートして、長崎街道を歩いたシーボルトの宅跡で
昼食を食べた後、午後は西の箱根と呼ばれた難所の1つ日見峠を越えることにします。
実際は長崎街道の一番の難所は福岡県の冷水峠らしいのですが、日見峠は江戸からだと最後の峠になるので
油断しないようにという意味もあったのかもしれません。
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シーボルト宅跡で昼食を食べて、街道を歩き始めます。
シーボルト宅跡 名所・史跡
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長崎四国88ヵ所の77番のお寺ですね。
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中川八幡神社
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ここは道が直角にまがる食違
中山道などでは鍵の手と呼ぶところと同じ意味? -
途中歩いていると長崎街道がなくなってしまい、歩くのは新長崎街道になります。
私たちが歩いていたら、住民の方がやって来て「長崎街道をふさぐことになってしまうので反対運動もしたんですけど、力及ばずでした。」
と話されていました。 -
路面電車の蛍茶屋停留所の先が、車庫になっていました。
蛍茶屋電停 駅
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実際の蛍茶屋は停留所からちょっと離れた静かなところ。
昭和初期までは蛍茶屋という料亭があり明治の後半までは蛍が乱舞していたという。 -
五街道ほどメジャーではない長崎街道ですが、時々案内がありました。
あまり案内も多くはないし、ガイドブックもあまりなく、五街道ほど歩くのは簡単ではないかもしれませんが、迷うこともあるけど、道案内は助かります。 -
まだ峠ではないけど、さすが坂の街長崎だと感じます。
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青銅塔
亨保6年に大災害がありその犠牲者のための供養塔だそうです。 -
聖母の騎士高等学校
さすがキリスト教徒の多い長崎。
アニメの主人公が通う学校のようなカッコいい校名ですが、キリスト教の地長崎では違和感ないんでしょうね。 -
この後、夫の血糖値が下がっているのにブドウ糖をホテルに忘れたというので、捕食購入のためにバスに乗って戻ることに。
いつも2人ともお菓子いろいろ持ち歩いているのに、なんでこんな時に限ってお菓子持っていないんだろうね。 -
蛍茶屋までもどって、コンビニでお菓子買ってバスで妙相寺道まで戻ります。
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本河内低部水源地公園
この場所は、まだセメントが国産化される前で、コンクリートのダムを造る技術がなかった頃、土を盛り立てて日本初の水道用ダムを造ったところだそうです。 -
細い道を歩き
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歩道橋を渡り
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ここは新茶屋跡。
藤棚もあり道の下には当時の石畳が残っているそうです。
ほとんど個人のお庭のようなところで、洗車中の住民の方の足が写っています。
その横に見えるのって、藤の木だよね? -
さらに上っていきます。
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日見峠の案内が並んでいます。
1つわかりやすいのがあればいいんだけどね。 -
進むとこちらも新茶屋跡。
日見峠は東側中腹に1軒、頂上に一軒、西側中腹に2軒の茶屋があって旅人たちは茶屋で休憩しながら険しい峠を越していきました。
西側を歩いているので、2軒とも新茶屋と呼ばれていたのでしょうか?
スマホもない時代、新茶屋で待ち合わせって言ったら、会えないんじゃないの? -
コンクリート製の石畳みたいな登り道を歩きます。
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なかなかいい眺め。
でも、わざわざ飛行機で来ても秩父と似た風景だなあって思っちゃったりして。
それは今、秩父の札所の旅行記を並行して書いているから? -
地震石神神社の鳥居
地震石神は「ないふりいそのかみ」と読むそうです。 -
ちょっと1人でお参りしました。
名前の由来が気になったので、調べたら日本書紀に推古天皇7年の大地震後、諸国に「地震神(なゐのかみ)」を祀らせたという記述があるそうです。
でもこちらは、実際の地震災害よりも古代信仰の名残ではないかとのこと。 -
上から眺めるといい感じです。
先ほど1つ目の新茶屋跡のあたりが見えています。 -
石段のぼるのは危険と長崎街道を歩いていた人の旅行記を拝見すると書かれているものもありましたが、上るのは問題なかったけど下るのはちょっと怖い。
そして、夫を待たせていたので石段を下りましたが、横に進めば長崎街道でした・・・ -
夫と一緒に登っていきます。
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もしかして、ここが峠?
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そういえば、長崎街道を歩いている人の旅行記も日見峠には柵があったなあ!
もう、ここからは下りになるのね。
確かに、ちょっときつかったけど気合入りすぎてたかも。
一番大変だったのは地震石神神社の下りの石段だったかな。 -
番号札がぶら下がっていて「なんじゃこりゃ?」って思ったけど
長崎街道松並復元実行委員会となっている。
これから、松の木を植えるのかしら? -
日見峠関番所跡
1863年に島原藩に設置・管理され明治維新までの4年間、長崎に出入りする人々を監視していました。
横に案内板があったからわかるけど、もう読めなくなっています。 -
松並復元実行委員会の番号札が木に付いているので長崎街道だということが分かって安心して歩けます。
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長崎街道の松並木というと北九州が有名だそうですが、この辺りも松並木があったようです。
最近松が枯れるということが全国的に問題になっているような気がしますが、こちらの松も枯れている木が結構ありました。
もしかしたら、柵についていた番号札は枯れてしまった松の木なのかもしれません。 -
切通しに出てきました。
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ここは明治新道になります。
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説明によると明治新道は人力車や馬車という当時の交通手段に対応するために、日見峠を110尺(33m)切り下げて、整備されました。
工事費を回収するために通行料を徴収しました。
これが日本初の有料道路だそうです。 -
茶色いのが明治新道。
以前の長崎街道は赤い道だけど、現在は通れないので迂回路の緑を歩きました。
ってことは、昔の日見峠は今とは別のところでもっときつかったのかな。 -
明治新道に合流すると桜が咲いている穏やかな道になりました。
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地蔵菩薩
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長崎街道の案内があるのでそれに従って下っていきます。
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芒塚句碑
芒塚はすすきづかと読みます
芭蕉の門人である向井去来の句碑があります。 -
梨子の木茶屋跡石碑
今は石碑だけですが、日見峠に登る中腹にあった茶屋で、江戸時代は日見地区の踏み絵はここと養国寺で行われたようです。 -
向こうに見えるのは新日見トンネル
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こちらにあるのは大正時代に作られた日見トンネルです。
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梨子の木茶屋公園は桜がきれいでした
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長崎街道 常夜燈
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歯痛(はつつき)観音(岩這薬師堂)
観音像は片手を頬にあてており、あたかも歯が痛いのを押さえているように見えます。
この観音像に願いをかけると歯の痛みが治るといわれています。 -
日見の宿の碑
ようやく長崎街道を歩き始めて初めての宿場に到着しました。
長崎街道には25の宿場があります。 -
ちょっと疲れた時だったので、この坂がつらかった。
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腹切坂
その名の由来はいろいろあって
・江戸時代熊本の細川藩の家臣が日見の豪士つづれ組の高名を聞き剣術の試合をしたが敗れてしまった。面目を失ったその武士はここで腹を切ってしまった。
・山の中腹に道をつくるために切り開いているから腹切りという説もあります。
この日はここからバスに乗って戻ることにしました。 -
バスで日見トンネルを通過します。
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中華街でバスを降ります。
長崎新地中華街 名所・史跡
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中華街に来たのは唐人屋敷跡に来たかったから
私たちの長崎街道は出島からスタートしましたが、ベトナムから長崎に連れてこられた象は江戸へ行くまで出島ではなく唐人屋敷で過ごしました。
その間、雌の1頭は死んでしまったので、江戸へ行ったのは雄の1頭でした。 -
文化財として現在残っているのは、こちらの建物。
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こちらは土神堂
土神を祀ったお堂です。
土神様は「福徳正神」とも呼ばれ、土地や家を守り、豊作、金儲け、治病の神様として、中国古来から民間で広く信仰されてきた神様なんだそう。
そして、江戸時代こちらの前の広場で象が飼われたのではないかということですが、史実としてのこってはいないようです。土神堂 名所・史跡
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今は象ではなくにゃんこがいます。
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ちょっと中華っぽい雰囲気の道を歩き
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蔵の資料館
こちらには唐人屋敷の歴史などが展示されていました。 -
130年続くお店とネットには出ていたけど、営業しているのかな?
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天后堂
南京地方の人々が、航海安全を祈願し、海の女神で天后聖母とも呼ばれる媽祖さまを祀ったのが起源天后堂 名所・史跡
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こちらでしょうか?
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ここにもにゃんこ
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観音堂
福建省出身の唐船主によって建立されたと考えられています。
入り口のアーチは同時のものだと言われています。観音堂 名所・史跡
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福建会館
江戸後期で、ここに聖人堂というお堂がありその跡地に、明治元年(1868年)に福建省南部出身の貿易商たちの会所「八閩はちびん会館」が建設されました。その後明治30年(1897年)に建物を全面的に改築し、「福建会館」と改称しましたが、原爆により倒壊してしまいました。福建会館 名所・史跡
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建物の前には桜が咲いていました。
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バスガイドさんのおすすめの1つがニッキー・アースティンのトルコライス
シャッターがちょうど開くところ?と思って近寄りましたが、
この日は休業日でした。ニッキー・アースティン 浜町店 グルメ・レストラン
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ホテルの近くに戻って、長崎港という名のお店で夕飯をいただきました。
いくらとサーモンの海の親子丼。
歩いておなかが空いたこともあり、おいしくいただきました。
この日歩いたのは41743歩
長崎に到着してから3日目。ようやく、念願の長崎街道をスタートすることができました。海鮮市場長崎港 長崎駅前店 グルメ・レストラン
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この旅行記へのコメント (6)
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- aoitomoさん 2026/05/31 21:50:06
- 長崎街道の面白さに気づきましたよ
- ちちぼーさん こんばんは~
いまだにちちぼーさんが長崎に訪れた本当の目的が
長崎街道歩きということに驚いているわけですが、
一方でちちぼーさんご夫婦だからこそと納得します。
しかしながら自分が長崎街道をまだよく理解できていないと思い
長崎街道情報をネットで調べてました。
やはりシーボルトや吉田松陰が日見峠越えをしたということで有名なんですね~
そんなシーボルトの宅跡で昼食を食べるのも納得です。
五街道のようにメジャーではない長崎街道でも色々案内があるのにも驚きました。
関所跡や旧道、石碑もしっかり残っていたり、
新道の歴史まで丁寧に拾っているちちぼーさんもナイスです。
日見峠越えもいい感じの景観が楽しめて、
大変ではあるものの、楽しめていますね~
地震石神神社の石段も軽々上り下りしているので
ちちぼーさんの辞書には大変の文字は無さそうです。( ´艸`)
私も長崎の中華街はちゃんぽんと角煮まんじゅうを食べるために立ち寄りましたが、
唐人屋敷跡とか全然頭に入っていませんでした。(;´∀`)
長崎街道は『シュガーロード』と言われるだけに歩きながら美味しいお菓子を買えそうなイメージもありましたが、街中ばかり歩くわけではないのでそうでもないんですね。
続きも楽しみにしています!
aoitomo
- ちちぼーさん からの返信 2026/06/03 18:38:05
- RE: 長崎街道の面白さに気づきましたよ
- aoitomoさん、こんにちは。
長崎はまだ行っていないところも多くありますが、それでも複数回行っているので
今回は長崎街道をメインにするつもりでした。
でも、夫は初めてなので観光も含めたらなかなか街道歩きができなくなりました。
長崎は鎖国時代も海外に開かれた場所でしたので、
長崎街道は象だけでなくいろいろな人も歩いた道になりました。
当時は舗装もされておらず、もっと歩くのは大変だったと思いますが
1日に歩く距離は30~40㎞と言われています。
当時の人は健脚だったのだなあと思います。
しかも便利な靴もない時代なのに。
私がウォーキングを始めたのは、東日本大震災の経験から職場から歩いて帰りたいと
思ったことでした。
あれから15年たって体力の衰えを感じています。
一年前の旅行記ですが、行った時は唐人屋敷で象が飼われていたということは調べていましたが、
唐人屋敷でも土神堂で飼われていたというのは、最近調べました。
あまりAIを使ったことがありませんでしたが、aoitomoさんがAIを上手に使ってらっしゃるのを知り
私も聞いてみた次第です。
aoitomoさんに感謝です。
「シュガーロード」と言われるだけあり、各所に名物の和菓子がありますが、
現代の味覚に合わないものもあるのか、老舗もちょっと前を通ると寂しい感じでした。
応援したい気持ちもあるのですが、歩いているとここで休憩したくないと思ってしまうこともあり、
各所によることがなかなかできずにいました。
ちちぼー
- aoitomoさん からの返信 2026/06/04 00:53:33
- Re: 長崎街道の面白さに気づきましたよ
- シーボルトさんとや吉田松陰さんに長崎街道のの思い出を聞いてみました。
よろしければ、覗いてみてください。( ´艸`)
シーボルトさん
https://writening.net/page?2Lz6ms
吉田松陰さん
https://writening.net/page?vNZQQv
- ちちぼーさん からの返信 2026/06/06 23:39:57
- RE: Re: 長崎街道の面白さに気づきましたよ
- > シーボルトさんとや吉田松陰さんに長崎街道のの思い出を聞いてみました。
こんなことができちゃうaoitomoさん、すごいですね。
お二人とも日見峠、印象が強かったのですね。
なんだかうれしくなりました。
ありがとうございます。
ちちぼー
-
- willyさん 2026/05/29 12:46:52
- いよいよスタートですね
- ちちぼーさん
こんにちは。ワクワクしながら第1話拝見しました。
地元と言ってもいいくらいなのに全く知らない世界が展開していくので興味津々です。
この先どんな風景が続くのかとても楽しみです。
4月の頭ということですが、やっぱり中山道紀と比べるとお写真の光が白いと感じます。いいお天気でスタートなによりでした!
ところで先日やっと秩父札所数か所お参りしてきました。全然知らずに行った法性寺の奥の院で大変な目にあいました。。。
willy
- ちちぼーさん からの返信 2026/05/30 22:46:02
- RE: いよいよスタートですね
- willyさん、こんにちは。
長崎街道を歩くつもりで行った長崎でしたが、夫が初長崎だったので
観光重視になってしまいました。
こんなところを海外から来た象が歩かされたかと思うと大変だっただろうなあと思います。
道はよくないところもありましたが、歩いていて楽しいところでした。
中山道、和田峠あたりまではお天気に恵まれていたのですがなぜか途中から雨女炸裂になってしまいました。
今回の長崎は、お天気に恵まれてよかったです。
秩父札所歩かれたのですね。
さすがwillyさん体調がよくなくても法性寺の奥の院まで行かれたのですね。
何があったのか心配ですが、私は怖くて泣きそうになったので
さすがです。
ちちぼー
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