2026/03/23 - 2026/03/23
363位(同エリア714件中)
Bachさん
二世帯家族恒例の春休み旅行は、同居の娘家族が友達家族とキャンプに行くことになって、年寄り組はそこまでの付き合いは出来ないので、孫二人と近場の小旅行に行くことにします。
コースは、最近のニュースで知った、世界遺産の「堺古墳群」を気球に乗って空から見るという「おおさか堺バルーン」と、孫たちが最近興味を覚えだした信長、秀吉の戦国時代を象徴する「大阪城」を巡る「なにわ観光」コースです。
「大阪城」は、久しぶり、孫たちも始めての訪問で、戦国時代から徳川、明治にいたる歴史について、「堺古墳群」は、人生初の気球体験で、奈良飛鳥よりも昔の古墳時代の歴史について、孫たちとのコミュニケーションを深めながらの勉強になって、新しい発見がたくさんあり、有意義な1日になりました。
ところが、せっかくの「堺古墳バルーン搭乗記」」が、思惑通りにならず、5分前までは飛んでいたのに、急に風速条件が厳しくなって、「不搭乗記」になってしまうということになり、楽しみも半減になってしまいましたが、最後は、孫たちの希望通り、回転寿司で大好きなマグロとサーモンとデザートも満腹に食べ、大満足の孫二人とジジババの1日旅行でした。
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3.21~22 は、孫たちは友達家族と琵琶湖キャンプ
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1年に2、3回はキャンプに行くが、年寄り二人は、テントで寝るのは希望ではないので不参加
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翌日3.23は、年寄り二人と孫二人で「おおさか堺バルーン」へ
9:00京都~(電車)~10:00大阪城~(電車)~13:00堺古墳バルーン~15:00堺市役所~17:00京都 -
10:00 大阪城公園駅
最近、孫二人は織田、豊臣戦国時代に興味があるので、午前中は、まだ行ったことのない「大阪城」へ -
大阪城「天守閣」へ
「大阪城」は、姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられているが、江戸時代までは「坂」の字で、明治以降は「坂」が(土に反(かえ)る=死)ことから縁起が悪いので「阪」に変わり、豊臣・徳川時代は「大坂城」、明治以降は「大阪城」と使い分けている -
「大阪城ホール」からの大坂城
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「外堀」からの大坂城
大坂城の堀は、本丸を囲む「内堀」と、外側の二の丸・三の丸を囲む「外堀」から成る二重構造で、外堀の幅は最大150m、外周3.5kmで、12周でフルマラソンの約42kmになる -
「青屋門」(あおやもん)を入る
かつてこの周辺に「青屋町」(あおやちょう)という町屋が存在したことからの命名(青屋は、染物屋) -
「内堀」からの大坂城
外堀、内堀共に「水堀」だが、一部南側だけは「空堀」(からほり)で、幅は外堀より狭く40m~75m、外周は2km、巨大な花崗岩の石垣は壮大で、高さは内堀32m、外堀30mあり、その上に城郭が建っている -
「天守閣」へ
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内堀にかかる「極楽橋」
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「極楽橋」(ごくらくばし)
1583年に豊臣秀吉築城の際に「本丸」と「二の丸」とを結ぶ「内堀」に架けられ、1615年大坂夏の陣で落城した後も、徳川幕府により新しい大阪城とともに架け替えられ、1868年の戊辰戦争でまた焼失してしまったが、その後、昭和6年(1931)に市民の寄付金により3代目の天守閣が再建され、後の昭和40年(1965)に、「極楽橋」も江戸時代に描かれた絵図を模して架け替えられた。 *「極楽」は、仏教で安楽の世界をさすことから、戦国時代にこの地にあった浄土真宗本願寺派の本山「大坂(石山)本願寺」由来の命名と思われる -
「極楽橋」から天守閣へ
「極楽橋」は、1596年中国皇帝が秀吉を日本国王として認証するために派遣した使節団を迎えるために改修され、完成して2年後の1598年に秀吉が没し、1600年には橋を崩して京都東山の豊国廟(とよくにびょう)に移築され、その後1602年に近江の国「竹生島」(ちくぶしま)に移築されたと伝わる -
「大坂図屏風」に描かれた極楽橋
「極楽橋」は、楼閣を備え、極彩色の装飾で飾られた特別な屋根付き廊下橋で、当時日本にいた宣教師フロイスも「木造で総漆塗、金箔や宝石を散りばめ、彫刻で絵を描いた極彩色の橋で、小櫓(こやぐら)が太陽の光を浴びると素晴らしい輝きを放つ」と絶賛していたが、2006年にオーストリアから、エッゲンベルク城に展示されていた「豊臣期大坂図屏風」の確認の依頼があり、調査の結果、唐門が竹生島にある唐破風(からはふ)様式の唐門であることが確認されたという *この屏風がオーストリアに渡ったのは1600年代で、昨年の関西万博2025のオーストリア館で展示されていた -
(2016/11/26撮影)「竹生島」(ちくぶじま)訪問時の写真
2016年に「琵琶湖一周260km」を13日で歩いた際に、「竹生島」に上陸した時の写真で、「豊臣ゆかりの遺構」があるとは聞いていたが、ここまでの認識はなかった -
(2016/11/26撮影)「竹生島」(ちくぶじま)の歴史
古来より神の住む島として敬われ、459年産土神(うぶすながみ)の浅井比売命(あざいひめのみこと)を祀る「都久夫須麻(つくぶすま)神社」(現在の竹生島神社)が創建され、奈良時代の724年に聖武天皇の勅命で行基上人が「宝厳寺」を創建し、天皇の行幸や伝教大師、弘法大師の修行に続き、戦国時代には数々の武将から信仰を集め、特に北近江を支配した「浅井氏」は「氏神の島」として深い信仰を寄せ、その後、長浜城を築いた豊臣家にも保護され、明治の神仏分離令でも、信者の強い要望で廃寺は免れ両方とも残った -
(2016/11/26撮影)「豊臣ゆかりの遺構」は工事中
「竹生島」には、秀吉から寄贈された建物や書状など安土桃山時代の国宝や重要文化財が数多くあるが、2016年訪問当時は2013~2018年までの修復工事、真っ最中で、残念ながら写真でしか見れなかった -
(2016/11/26撮影)「都久夫須麻神社」(竹生島神社)復興
1558年「竹生島」の火災で社殿・伽藍が焼失し、1598年秀吉没後の1602年に豊臣秀頼が荒廃していた竹生島に「竹生島神社本殿」「舟廊下」「唐門と観音堂」を移築して復興したが、実際は秀頼は7歳なので、母の浅井三姉妹である茶々(淀殿)の影響で、それが家康の妻の寧々に伝わって実現したものと思われ、信長の妹・市と浅井長政の結婚から始まる、複雑な歴史の流れが見えて面白い -
(2016/11/26撮影)「竹生島神社本殿」(国宝)
伏見桃山城にあった勅使殿(ちょくしでん)「日暮御殿」(ひぐらしごてん)の一部を移築した建物で、狩野永徳光信の天井画や黒漆塗りの桂に金蒔絵など桃山時代を代表する優雅できらびやかな装飾が施されている -
(2016/11/26撮影)「舟廊下」(重要文化財)
秀吉の御座船「日本丸」の部材を利用したと言われる屋根付きの廊下で、本殿と観音堂を結ぶ渡り廊下 -
(琵琶湖汽船HPより)「唐門」(国宝)
千手観音像を安置している「観音堂」(重要文化財)に入る入り口で、共に1598年秀吉没後、1600年に京都東山の豊国廟(とよくにびょう)に移設され、1602年再移築されたと伝わり、2020年完成の大規模修復により、本来の豪華絢爛な桃山様式の彩色によみがえり、豊臣期大阪城の唯一の建築遺構となっている -
「大坂城御座船」(ござぶね)
「御座船」は、江戸時代に天皇、将軍、大名などが乗る屋形船で、「豊臣期大坂図屏風」に描かれていた「鳳凰丸」を参考に再現し、大坂城内堀を20分で周回する、1,800円 -
「山里丸」(やまざとまる)から天守閣へ
「山里丸」は、秀吉が茶室を設けて要人をもてなしたり、風雅を楽しんだ「里山」のような空間だったが、大坂夏の陣で秀頼と淀殿が自害した悲劇の地となった場所で、戦時中は陸軍の関連施設が集中していたため何度も攻撃され、天守閣付近の石垣にも爆撃被害跡が見られる -
今年は大河ドラマ「豊臣兄弟」で秀吉、秀長ブーム
「大坂城」は、1580年信長が石山本願寺を平定し、1582年本能寺の変の後、1583年秀吉が跡地に築城開始、1585年本丸、1588年二の丸、1596年三の丸、極楽橋が完成(秀吉は1585年関白、1586年聚楽第建設、1592年伏見城築城、1598年死去)、1603年家康江戸幕府開く、1615年大坂夏の陣で落城、1620~29年徳川2代目・秀忠が徳川大坂城建築、(江戸城は1590年家康入城から3代にかけて1636年江戸城拡張完成)、1665年落雷で天守焼失、1868年戊辰戦争勃発で焼失、1931年(昭和6年)鉄筋コンクリート大阪城完成、1995~97年平成の大改修 -
「豊臣大坂城と徳川大坂城」
大坂城のある地は、飛鳥時代に「難波宮」があり、そこに1496年蓮如上人が建立した「石山本願寺」があった所で、ここに天下人になった秀吉が1585年全国統一の本拠地として築城した、完成に15年要し現在の4~5倍という広大な規模だったが、1598年秀吉が死去し徳川の時代になると、徳川幕府の天下統治を確立するために、豊臣家の権力の象徴であった大坂城の痕跡を完全に払拭し、その残骸を完全に地中に埋め、その上にさらに高い本丸や石垣を築き、豊臣大坂城は物理的にも歴史的にも地中に眠る存在となった *「難波宮」(なにわのみや)は、645年の大化の改新後に孝徳天皇(596-654)が飛鳥の地からこの地に遷都し、この時から日本という国号と元号の使用が始まったとされる、その後667年には近江大津宮へ遷都され、694年には藤原京へと遷ってゆくが、奈良時代の744年にも、聖武天皇(701-756)が1年だけここを首都と定めたことがある -
「二つの大坂城の比較」
昭和34年と59年(1984)の調査で、現在の地表面の1m下に秀吉や秀頼が歩いた地面があり、さらにその下から石垣が発見され、この部分30mが全て盛土で埋まっていることが明らかとなり、大規模な盛土と石垣の積み上げ、堀の掘り下げが行われ、天守閣も40mから58mになり、地表からの高さは70mから88mに18mも高くなったと推定される。 *築城を担当したのは、豊臣が「黒田官兵衛」(1546-1604)、徳川が「藤堂高虎」(1556-1630)で、熊本城、名古屋城の「加藤清正」(1562-1611)と共に「三大築城名人」と言われ、官兵衛は中津城、福岡城、名護屋城、姫路城、高松城、広島城など、高虎は今治城、宇和島城、伊賀上野城、江戸城、二条城など -
「現在の大坂城」
天守閣は少し低くなって55mだが、昭和6年(1931)に再建され、平成9年(1997)に大改修した鉄筋コンクリート製で、昭和以降に各地で建てられた復興天守の第一号となる、5層8階建で5階までエレベーター付き、外観は「大坂夏の陣図屏風」を基に設計し、4層までは徳川時代風の白漆喰壁、5層目は豊臣時代風の黒にし、鶴の蒔絵と金箔の虎、天守閣には金鯱がいる *天守閣の高さは、大阪城55m、名古屋城36m、島原城33m、熊本城32.5m、姫路城31.5m -
「金箔の虎」
狩野山楽の伏虎図(ふっこず)をもとに、日本画家の竹内栖鳳(たけうちせいほう1864-1942)が下絵を描き、鋳刻家の大國壽郎(おおくにじゅろう1856-1934)が原型を製作した、この虎は1935年に創設された大阪野球倶楽部「阪神タイガース」の愛称の由来と言われている -
「鶴の蒔絵」
黒漆地に白い鶴(白鷺)が飛翔する姿は、豊臣時代の豪華な装飾を再現している -
「天守閣の金鯱鉾」(きんのしゃちほこ)
鯱(しゃち)は、頭が虎で鋭い背びれを持ち尾が反り返った魚の姿をした空想上の海獣で、火除けのまじないとして城郭建築に使われ、最初は信長の安土城、金にしたのは大坂城ともいわれるが、有名なのは名古屋城 -
「3代にわたる大坂城天守」
大坂城の天守は、豊臣秀吉の初代天守(1585年から30年間、権力誇示)、江戸幕府の二代天守(1620年から45年間、西日本統治)、昭和の三代天守( 1931年から現在まで95年間、歴史継承)という、時代ごとの異なる目的と意匠を持って建て替えられてきた、ということをあらためて認識出来た -
「大阪城公園駅」から「堺古墳」へ
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13:00 JR阪和線「百舌鳥(もず)駅」到着
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世界遺産「百舌鳥古墳群エリア」(もずこふんぐん)
3世紀から7世紀の古墳時代では、王様や豪族が亡くなると大きな墓を造り、全国に16万基以上はあるといわれるが、中でもこのエリアは、当時大陸に向かう航路の発着点で、政治・文化の中心地であったため、多くの古墳が築造され、長さ500mの前方後円墳から20m台の墳墓まで23基の古墳が存在し、羽曳野・藤井寺の古市エリア26基とあわせて、2019年に世界文化遺産に登録された -
早速、駅前で気球(堺バルーン)を発見!
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「仁徳天皇御陵」石柱
百舌鳥駅周辺には、日本最大と言われる「仁徳天皇陵古墳」があり、世界でもエジプトのクフ王ピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並び「世界三大墳墓」の1つに数えられるが、周りを囲む三重の濠も含めると、南北840m、東西650m、面積は甲子園球場の12個分、外周は約3kmで一周すると1時間かかる -
「長塚古墳」(ながつかこふん)
「仁徳天皇御陵」の周囲には、近親者や従者を葬ったとされる「陪塚」(ばいちょう)と呼ばれる小さな古墳が12基あるが、この「長塚古墳」は、長さ106mのしっかりした前方後円墳であることから独立古墳とされる -
13:10 ランチ「古墳カレー」
バルーン予約の14:30までに時間があるので、メディアでも紹介されていた「花茶碗」で食事、民家の一部を食堂にしたアットホームな店で、2007年にオープンして、古墳カレーを考案し、2011年には商標登録までして、地域を盛り上げていたが、2019年に世界遺産登録されると「古墳カレー」目当てのお客さんが増えて、更に昨年2025年10月から「古墳バルーン」が始まったので、行列が出来るほどだという -
メニューは古墳カレーのみで、「古墳カレー」「古墳カレースパ」(各1,200円)「古墳オムカレー」(1,300円)「古墳チーズカレー」「古墳の森カレー」「古墳ちゃんカレー」「古墳スープカレー」(各1,500円)「気球カレー」(1,800円)、辛さ:1辛、2辛、3辛
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「古墳カレー」
名物はカレーだけでなく、店主の話し好きのおばちゃんで、古墳カレーの出来た経緯や竹田恒泰が来店した話とか、聞かなくてもいろいろとしゃべってくれる、そして注文してまず出てきたのが、陶芸好きな店主の手作りだという前方後円墳の形をした器と、古墳を掘るスコップの形をしたスプーンとフォーク -
蓋を開けると、中にはご飯、この場合はパスタの塊が出てくる
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これにカレールーをかけると「古墳カレースパ」の出来上がり、カボチャは鳥居、ブロッコリーは森、卵は日本の心を表しているという
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孫二人は、「カレースパ」と「オムカレー」
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年寄り二人は、基本の「古墳カレー」
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今日の二つ目の目的を達成して、いよいよ「古墳バルーン」へ
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5分くらい歩いて「大仙公園」へ
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「大仙公園」(だいせんこうえん)
世界遺産「百舌鳥古墳群」の中心地で、大仙陵古墳とも呼ばれる「仁徳天皇陵古墳」のすぐ近くにあり、江戸時代の新田(田畑)のため池だった「ドラ池」(どらいけ: 池の形が銅鑼(どら)に似ている)を中心に市民広場として1977年開園 *「大仙陵古墳」は、大きな山のような御陵からの命名 -
池の周囲には様々な種類の桜が植えられており、今咲いているのは、早咲きの「タイリョウ桜」(大漁桜)という種類らしい *「タイリョウ桜」は、静岡県熱海市網代で生まれた、大島桜と寒桜の交配種で、桜鯛に似た淡いピンクの花き、潮風に強いという
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気球の見える「古墳バルーン」乗り場へ
古墳は地上から見ると、ただの小高い森にしか見えないから、巨大な古墳の全貌を見るには、空から見るしかない -
「バルーン乗り場」
正式名は「おおさか堺バルーン」で、昨年2025年10月に開業、仁徳天皇陵を始めとした世界遺産「百舌鳥古市古墳群」を上空100mから一望し、天気が良ければ、大阪湾から遠く淡路島までのパノラマ景観を楽しむことができるという *背景の白いタワーは、戦没者・戦災物故者の慰霊と恒久平和を祈念する「堺市平和塔」で、高さ60m、地上15階建て相当だが、内には入れない -
「搭乗料金」
ゴンドラには最高30人乗れるが、大体15人前後で運行、1回15分程度で、料金はWeb割引で、4,000円(子供2,800円) -
受付に行ったら、「ガーーン!」突然飛行中止!!
つい5分前には飛んでいたのに、受付で知らされたのは、「突然中止になりました」! -
気球に乗るための二つの関門「事前の予約と当日の天候」
気球に乗るためには二つの関門があり、「事前の予約」は春休みで難しい中でも何とか予約出来たが、「天候」は運営側の発表で前日18:00と当日10:00で「運行可」になっていたので、安心して現地に来たところ、最後の関門で強風のため「運行中止」という最悪のケースになってしまった! -
気球は「飛行条件が厳しい」
人生初の「気球体験」が出来ると期待してきたが、実は何年か昔にもトルコ「カッパドキア」で乗り損ねた体験があって、ここでも運行確率は80%くらいと聞いていたが、カッパドキアの「熱気球」よりも、ここの「ヘリウムガス気球」は、さらに風に弱いらしく、一応「地上30m地点で風速8m/s」が条件だが、3~4m/sでも風に煽られやすく、さらに「係留型」のため、アンカー(重し)が浮き上がったり、ロープが切れたりする恐れがあり、運行条件は特に厳しくしているという -
「気球の種類」
気球には「熱気球」と「ガス気球」の2種類あり(風任せな乗り物で、プロペラと尾翼で操縦するのは「飛行船」)、日本では熱気球が主流で、ガス気球は広告用や気象観測用などあるが、堺の「ガス気球」は日本唯一の常設ガス気球事業、「熱気球」は膨らませた風船の空気をバーナーで温めたり、熱気を抜くなどして上下降し、「ガス気球」は空気より軽いヘリウムや水素を風船に充填して上昇し、係留したロープで昇降する、「ガス気球」の方が風の条件は厳しいが、「熱気球」は昼間は熱上昇風が発生するので早朝や夕方に限定される -
運営は、アウトドア施設運営企業「アドバンス(株)」
従来は、佐賀や長野、亀岡などのバルーンフェスタのように、イベントでの「熱気球」が知られていたが、最近は「観光バルーン」に注目が集まっているようで、その先駆的事例になる「堺バルーン」を運営しているのは、アウトドアやキャンプ場を運営する企業で、ワイヤー管理や天候判断などスキー場の運営ノウハウが活かせる、というから納得 -
「気球の大きさと安全面」
気球は直径23mの多きさで、風船が損傷してもガスが抜けることはない、ガスは不燃性で火災のリスクはない、真ん中の穴を通してワイヤーロープで地上のアンカーと繋がれているが、ロープが切れてもパイロットが手動操作で安全に着陸する、操作員は気球内と地上に1名ずつ、気球はフランス製 -
「ガス気球の操縦」
空気より軽い水素やヘリウムを充填する風船「球皮」と、人を載せる「ゴンドラ」、浮力を調整する「バラスト」(重り)、ガスを抜いて浮力を下げて下降する「ガスバルブ」からなり、バラストの砂を落として浮力を上げたり、ガス排気ロープを引いて下降したり、バラストとガスの量で上下の制御をする、操縦には日本気球連盟のライセンスが必要 -
「ゴンドラ」と風船「球皮」の連結部分
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「ゴンドラ」と地上の「アンカー」を結ぶワイヤーロープ
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自然には逆らえず、虚しく記念写真でお茶を濁すしかない
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何となく乗った気分になる写真
スタッフの方が、申し訳なさそうに何枚も写真を撮ってくれた -
(朝日新聞記事より)こういう写真が欲しかった!
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仕方ないので「堺市役所展望ロビー」へ
少し離れているが、南海線「堺東」駅に移動 -
15:00「堺市役所21階展望ロビー」
地上約80mの高さから、仁徳天皇陵古墳や、あべのハルカス、生駒・金剛山、六甲山、関西国際空港まで見渡せる -
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群(古代日本の墳墓群)」の全景が見れる
古墳群は、大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがっており、 堺市に23基、左手の羽曳野・藤井寺市に26基の古墳が存在する -
背景の葛城山、金剛山の向こうは奈良・樫原、中央のこんもりした山は「百舌鳥古墳群」で、左手前から「永山古墳」「ニサンザイ古墳」「仁徳天皇陵古墳」「丸保山古墳」「御廟山古墳」「いたすけ古墳」、右手奥は泉北ニュータウン方面
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先程行ってきた「大仙公園バルーン乗場」辺りのジオラマ
「古墳の形」は多様で、最も有名なのは「前方後円墳」であるが、全体の8割は「円墳」で、他に四角形の「方墳」、「帆立貝形古墳」(前方後円墳の前方が小さい)、「上円下方墳」(上部が丸く下部が四角)、「八角墳」などがある、特に「前方後円墳」は日本独自で、ヤマト政権の支配力を表す象徴 -
バルーンと「仁徳天皇陵古墳」
「仁徳天皇」(290-399)は、桓武天皇から続く第16代、応神天皇(おうじんてんのう)の子で、飛鳥時代より以前に「難波宮」に都を定め広大な田地の開発などのインフラ整備など民に寄り添った善政を行い、聖帝(ひじりのみかど)と讃えられた、 *「応神天皇古墳」は古市エリアにある -
「仁徳天皇陵古墳」実物写真(COPY)
「仁徳天皇陵古墳」の内部には、後円部に天皇が眠る石棺、前方部に竪穴式石室があり、明治時代1872年の調査で金銅装の甲冑や刀剣、ガラス製の器など出土された、また墳丘や濠からは埴輪や須恵器の瓶も発見されている、2000年近い昔の墓や須恵器などが今頃発見されるとは、凄い!ロマンがある -
最後は、大好きな回転寿司で、大好きなマグロとサーモンとデザートも満腹に食べて、大満足!
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