2026/05/19 - 2026/05/19
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この旅行記のスケジュール
2026/05/19
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電車での移動
大阪難波から堺東駅へ(南海高野線準急で所要15分)
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徒歩での移動
堺東駅から堺市役所21階層展望ロビーへ(所要10分)
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徒歩での移動
堺市役所21階層展望ロビーから祥雲寺へ(所要5分)
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徒歩での移動
祥雲寺から与謝野晶子生家跡へ(所要10分)
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徒歩での移動
与謝野晶子生家跡から千利休屋敷址(所要5分)
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徒歩での移動
千利休屋敷址から大安寺・南宗寺へ(所要20分)
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徒歩での移動
南宗寺から南海電軌阪堺線御陵前駅へ(所要5分)
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電車での移動
御陵前駅から天王寺駅前駅へ(南海電軌阪堺線で所要30分)
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この旅行記スケジュールを元に
実家がある大阪市までは数えきれないほどの回数出かけていますが、中世に「黄金の街」と呼ばれたお隣の堺にはまだ行ったことがないので行ってみました。また大阪に残るただ一つの路面電車、南海電軌阪堺線にも乗ってみるのも楽しみに出かけました。往路は南海高野線で堺東駅で下車しました。駅から近い堺市役所21階にある高層館展望ロビーに上がり、大仙古墳(仁徳天皇陵)や大阪府を一望しました。その後は南海電軌阪堺線宿院駅から南側、御陵前駅にかけての間にある史跡をぶらぶらと歩きました。あいにくこの日は5月なのに真夏並みの気温でしたから、堺市内にある史跡のうち、南側半分だけにとどめました。
※表紙の写真は堺市役所高層館展望室から撮影した大仙古墳です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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南海高野線の大阪難波駅から乗車し堺東駅で下車し、駅から5分ほど歩いて、堺市役所の高層館に向かいました。
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高層館1階ロビーを入るとエアコンが効いていて気持ちよいです。ふと見るとロビーにあるからくり時計のお迎えがありました。定時になるとこの写真のように時計の文字盤が両側に分かれて、その間からからくり人形が出て来ます。思わず見とれてしまいました。
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堺市役所高層館21階ロビーにエレベーターで上がると、世界遺産に指定されている百舌鳥・古市古墳群の資料が見られます。この世界遺産の代表的古墳である大仙古墳だけで前方口縁部だけで南北483mもあります。その大きさに圧倒されました。
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堺市役所高層館21階ロビーから南東を見ると、大仙古墳が見られます。この古墳は後円部が高さ35.8mある小高い丘ですから、近くに行っても大きな森のようです。観光客用の気球に乗って上空から見るかしか方法はないと思います。
堺市役所21階展望ロビー 名所・史跡
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さらに南東のずうっと奥の方に目をやると、大和葛城山959mや金剛山1125mが望めます。大和葛城山はツツジがきれいに咲く山として知られ、金剛山は大阪府民に人気の高い山で年中登山客が絶えません。
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展望室から北を見ると、あべのハルカスや大阪城、大阪市内にある高層ビルの展望が得られます。
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堺市役所から南海電軌阪堺線の宿院駅の方に15分ほど歩くと祥雲寺があります。江戸時代初期に大徳寺住職だった沢庵和尚が開基し、堺の豪商だった谷正安が創建したお寺です。
祥雲寺 寺・神社・教会
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祥雲寺の創建などにかかわる説明もありました。
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お寺の中に入ってみると、大徳寺の庭園に似た平庭式枯山水庭園があります。土塀の近くには石組があり、その手前にある広い白砂を敷き詰めてあるところは江戸時代初期の枯山水庭園に共通したものです。
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南海電軌阪堺線の宿院駅の交差点です。阪堺線が走る旧紀州街道と東西2㎞にわたりフェニックスが植えられたフェニックス通りと呼ばれる大通りが交わっています。そのそばには一対の大きな石灯籠があります。江戸時代末期に建てられ、台座の部分には「左海」「たばこ」「包丁鍛冶」と彫られています。「左海」は堺から紀州街道を上ると、左側に海があることから「左海」という名前を付けたということです。
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宿院交差点を渡っていると、南海電軌阪堺線の新しいタイプの電車が停車していました。ぜひこの電車に乗ってみたいと思っていたので、天王寺駅前駅にに戻るときにはもう少し南側にある御陵前駅から利用する予定です。
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宿院交差点から北に進むと与謝野晶子の生家跡があります。祥雲寺から徒歩5分ほどです。「みだれ髪」を書いた情熱の歌人です。「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑があります。
与謝野晶子生家跡 名所・史跡
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与謝野晶子の生家跡から5分ほど歩くことになりますが、南海電軌阪堺線が走る旧紀州街道の1本西の通りにあるのが千利休屋敷址です。外側から見ると、質素な感じの門と塀が残されているだけです。
千利休屋敷跡 名所・史跡
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千利休屋敷址内に入ってみました。若いころから武野紹鴎などから茶の湯を学び、わび茶の世界を確立した千利休らしく井戸が残されているのみです。豊臣秀吉に茶頭として仕え、京都北野での大茶会を取り仕切るなどしましたが、後に秀吉の怒りに触れ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であることはよく知られています。残されている井戸は椿の炭を底に沈めていたことから椿の井戸と言われ、屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いたものです。
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千利休屋敷址から約20分歩いて大安寺にやって来ました。室町時代の創建だそうですが、江戸時代になって堺の豪商、納屋助左衛門が、自宅を本堂として寄進し再興しました。
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大安寺の門をくぐり、声をかけてもどなたもおられないようなので、庭先だけを見学して隣の南宗寺に向かいました。豪商納屋助左衛門の自宅だったので、その襖絵を拝見できると期待していたのに残念でした。後で調べると狩野永徳の26羽の鶴や枝添えの松の絵があるそうです。
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続いて大安寺と隣り合わせにある南宗寺です。堺で最大の禅道場として有名なお寺です。武野紹鴎、千利休が禅の精神を学び、茶道を完成したことでも知られています。
南宗寺 寺・神社・教会
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安土桃山時代に畿内一の実力者となった河内国飯盛山城主三好長慶が父元長の菩提を弔うために大林宗套に開山を依頼し、南宗庵をもとにして南宗寺を創建したそうです。
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南宗寺についての説明です。安土桃山時代に三好長慶が父三好元長の菩提を弔うために大林宗套に開山を依頼し、南宗庵をもとにして南宗寺ました。しかしその数年後、住職であった沢庵宗彭が現在の地で再興したお寺です。現存する仏殿、山門などは17世紀半ばに整備されたものであるという歴史があります。
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南宗寺の広い境内にある武野紹鴎の墓です。堺の商人の子として生まれ、村田珠光に茶の湯を学び、茶聖として名が知られています。また、わび茶を完成した千利休の師として知られる茶人です。
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大坂夏の陣で南宗寺は消失しますが、約30年後に南宗寺境内に建てられた楼門で、甘露門と呼ばれています。この楼門は2階建てにもかかわらず。1階に屋根がないのが特徴です。国の重要文化財に指定されています。
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