山中温泉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
二世帯同居を始めて4年目の夏休みになり、当時5歳と3歳の孫たちも8歳と6歳になったので、6歳の子の誕生パーティーも兼ねて、加賀山中温泉へ2泊3日のドライブ旅行です。<br />今年は新春から家族の1人がコロナに感染して最悪のスタートでしたが、最近ではほとんどマスクをつけることもなくなり久しぶりの解放感溢れる外出になりましたが、今度は37度とか38度とかの酷暑で熱中症が心配になる事態になり、なかなか平穏なシーズンとはいきません。そんな中で今回のスケジュールは外出を控えめにして温泉三昧を増やし、1日だけプールと遊園地で遊ぶことにしましたが、我々年寄組は酷暑の中プールでもなく、ペット連れは入場できないこともあって、近場の加賀温泉郷巡りを別行動ですることにしました。<br />おかげで、北陸地方の歴史を知ることになり、東大寺大仏を建立した行基に始まるという「加賀温泉郷」と、江戸後期から活躍した「北前船」と、加賀藩主前田家の庇護を受けた「那谷寺」は新発見で、中でも庭園好きにはたまらない小堀遠州、中根金作という新旧名だたる作庭家が手掛けた庭園と、「北前船主」が大富豪の力で作った御屋敷庭園に出会えたのは予想もしなかった出来事で大満足です。<br />二世帯旅行で必ずしも全員で同一行動をする必要もなく、こういうやり方もありだなと思った旅行でしたが、一つ残念だったことは、せっかくペット連れokのホテルに泊まって遊びに来たのに、殆どのところでペット連れの規制があって入れないことで、最近は軽井沢や箱根、伊豆、関西では淡路島などはペットokの施設、レストランが増えましたが、まだまだ北陸地方などは少ないので、店の一角だけでもペットokにするとかちょっとでも考えてもらうと、せっかくの観光資源がうまく活かせて地方活性化にもつながるのではないかと思った次第です。

二世帯家族4年目の夏休み・加賀山中温泉旅

31いいね!

2023/08/06 - 2023/08/08

73位(同エリア326件中)

旅行記グループ 二世帯家族

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Bach

Bachさん

二世帯同居を始めて4年目の夏休みになり、当時5歳と3歳の孫たちも8歳と6歳になったので、6歳の子の誕生パーティーも兼ねて、加賀山中温泉へ2泊3日のドライブ旅行です。
今年は新春から家族の1人がコロナに感染して最悪のスタートでしたが、最近ではほとんどマスクをつけることもなくなり久しぶりの解放感溢れる外出になりましたが、今度は37度とか38度とかの酷暑で熱中症が心配になる事態になり、なかなか平穏なシーズンとはいきません。そんな中で今回のスケジュールは外出を控えめにして温泉三昧を増やし、1日だけプールと遊園地で遊ぶことにしましたが、我々年寄組は酷暑の中プールでもなく、ペット連れは入場できないこともあって、近場の加賀温泉郷巡りを別行動ですることにしました。
おかげで、北陸地方の歴史を知ることになり、東大寺大仏を建立した行基に始まるという「加賀温泉郷」と、江戸後期から活躍した「北前船」と、加賀藩主前田家の庇護を受けた「那谷寺」は新発見で、中でも庭園好きにはたまらない小堀遠州、中根金作という新旧名だたる作庭家が手掛けた庭園と、「北前船主」が大富豪の力で作った御屋敷庭園に出会えたのは予想もしなかった出来事で大満足です。
二世帯旅行で必ずしも全員で同一行動をする必要もなく、こういうやり方もありだなと思った旅行でしたが、一つ残念だったことは、せっかくペット連れokのホテルに泊まって遊びに来たのに、殆どのところでペット連れの規制があって入れないことで、最近は軽井沢や箱根、伊豆、関西では淡路島などはペットokの施設、レストランが増えましたが、まだまだ北陸地方などは少ないので、店の一角だけでもペットokにするとかちょっとでも考えてもらうと、せっかくの観光資源がうまく活かせて地方活性化にもつながるのではないかと思った次第です。

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  • (行程)1日目:11:00京都~250km15:30加賀山中温泉、2日目:芝政ワールド、加賀温泉郷、3日目:11:00山中温泉~30km12:00永平寺~200km17:00京都<br />

    (行程)1日目:11:00京都~250km15:30加賀山中温泉、2日目:芝政ワールド、加賀温泉郷、3日目:11:00山中温泉~30km12:00永平寺~200km17:00京都

  • 13:00名神高速道路「黒丸パーキングエリア」でランチ休憩<br />黒丸チャンポンが美味しい!

    13:00名神高速道路「黒丸パーキングエリア」でランチ休憩
    黒丸チャンポンが美味しい!

  • 最近はどこのパーキングエリアでも「ドッグラン」があるから助かる!

    最近はどこのパーキングエリアでも「ドッグラン」があるから助かる!

  • 15:30ホテルに到着

    15:30ホテルに到着

  • 3LDK、90㎡、台所、ランドリー付なので有難い!

    3LDK、90㎡、台所、ランドリー付なので有難い!

  • 早速、温泉でゆっくり!

    早速、温泉でゆっくり!

  • 今日の晩御飯は、加賀駅前の人気寿司店「太平」を18:00予約

    今日の晩御飯は、加賀駅前の人気寿司店「太平」を18:00予約

  • 富山、石川、福井の回転寿司のレベルは凄い! 北陸の地元の新鮮なネタは勿論、職人が握ってくれる本格的な回らない回転寿司で、大手回転寿司チェーン店とは比較にならない!

    富山、石川、福井の回転寿司のレベルは凄い! 北陸の地元の新鮮なネタは勿論、職人が握ってくれる本格的な回らない回転寿司で、大手回転寿司チェーン店とは比較にならない!

  • カウンター、掘りごたつ、個室もあり、子連れには有難い!

    カウンター、掘りごたつ、個室もあり、子連れには有難い!

  • 値段はそれなりで、130円のタマゴもあるが、700円のあわび、生うに、900円の大とろやのど黒、甲箱がになど高級ネタもリーズナブルな価格で安心して食べられる!

    値段はそれなりで、130円のタマゴもあるが、700円のあわび、生うに、900円の大とろやのど黒、甲箱がになど高級ネタもリーズナブルな価格で安心して食べられる!

  • まぐろ好きの孫たちは「まぐろ三昧」連発!<br />今日は「ザンマイ」という単語を知ってしまった!

    まぐろ好きの孫たちは「まぐろ三昧」連発!
    今日は「ザンマイ」という単語を知ってしまった!

  • 普段は遠慮する甘えび、生うに、白魚など新鮮で美味し過ぎ!

    普段は遠慮する甘えび、生うに、白魚など新鮮で美味し過ぎ!

  • 中でも牡蠣好きにとって本日のハイライトは「岩牡蛎」1,300円、牡蠣フライ770円!

    中でも牡蠣好きにとって本日のハイライトは「岩牡蛎」1,300円、牡蠣フライ770円!

  • 後の勘定が怖かったが、孫たちもたらふく食べて大満足!

    後の勘定が怖かったが、孫たちもたらふく食べて大満足!

  • デザート付きで、又来たい!

    デザート付きで、又来たい!

  • ホテルに帰ると留守番の愛犬が待ち受ける!

    ホテルに帰ると留守番の愛犬が待ち受ける!

  • 早速ホテル備え付けのゲームを借りてきて遊ぶ!

    早速ホテル備え付けのゲームを借りてきて遊ぶ!

  • ゲーム機もしっかり家から持ってきて今日はやり放題!

    ゲーム機もしっかり家から持ってきて今日はやり放題!

  • 和室で明日持っていくテントの確認!

    和室で明日持っていくテントの確認!

  • しこたま遊んでから又2回目の温泉に入り就寝

    しこたま遊んでから又2回目の温泉に入り就寝

  • 今日は合宿気分!

    今日は合宿気分!

  • (2日目)早朝ドッグランで愛犬と遊ぶ、カブトムシも探したが見つからず!

    (2日目)早朝ドッグランで愛犬と遊ぶ、カブトムシも探したが見つからず!

  • 朝食はコーヒーを沸かして牛乳、ジュースと昨日買ったパン、卵、ハム、ソーセージ、サラダなど

    朝食はコーヒーを沸かして牛乳、ジュースと昨日買ったパン、卵、ハム、ソーセージ、サラダなど

  • 子供たちは30km離れた「芝政ワールド」のプールで1日中遊ぶ、<br />が、ペットは入れないので年寄り組2人は別行動で、加賀温泉郷を巡ることに

    子供たちは30km離れた「芝政ワールド」のプールで1日中遊ぶ、
    が、ペットは入れないので年寄り組2人は別行動で、加賀温泉郷を巡ることに

  • 車がないので困ったが、幸い「キャンバス」という1日乗り放題の地元のバスがあったので、ペットも乗れることを確認して「加賀周遊」!

    車がないので困ったが、幸い「キャンバス」という1日乗り放題の地元のバスがあったので、ペットも乗れることを確認して「加賀周遊」!

  • 沢山は周れないので、「那谷寺」と「北前船」と「片山津温泉」に絞ってバスの時刻表を探索、たまたま同乗した年配のご婦人が一人だけだったので声をかけると、埼玉から家族と来たが子供たちはプールに行ったので単独行動をしているとのこと、全く同じような人がいて笑った!

    沢山は周れないので、「那谷寺」と「北前船」と「片山津温泉」に絞ってバスの時刻表を探索、たまたま同乗した年配のご婦人が一人だけだったので声をかけると、埼玉から家族と来たが子供たちはプールに行ったので単独行動をしているとのこと、全く同じような人がいて笑った!

  • 9:11「山中温泉」出発~9:37「那谷寺」拝観<br />「那谷寺」は、「白山」を崇拝し自然に敬意をはらう「自然智」の教えを今に伝える白山信仰の寺で、奈良時代に白山を開山し山岳信仰の祖とされた泰澄大師により創建され、その後江戸時代に加賀藩主・前田利常(としつね)が再建した、泰澄(たいちょう)は開山の翌年に粟津温泉も発見している *白山(はくさん)は、石川県と岐阜県にまたがる標高2,702mの活火山で、富士山、立山とともに日本三霊山の一つ

    9:11「山中温泉」出発~9:37「那谷寺」拝観
    「那谷寺」は、「白山」を崇拝し自然に敬意をはらう「自然智」の教えを今に伝える白山信仰の寺で、奈良時代に白山を開山し山岳信仰の祖とされた泰澄大師により創建され、その後江戸時代に加賀藩主・前田利常(としつね)が再建した、泰澄(たいちょう)は開山の翌年に粟津温泉も発見している *白山(はくさん)は、石川県と岐阜県にまたがる標高2,702mの活火山で、富士山、立山とともに日本三霊山の一つ

  • 「那谷寺」は、奇岩、奇石に囲まれた「本堂」「三重塔」「護摩堂」「鐘楼」「書院」「庫裡」などの重要文化財と、同じく奇岩、奇石を取り入れた特徴的な名勝庭園があり、今回の目的は小堀遠州のもと作庭された「書院庭園」と、中根金作復元の「琉美園」の2つの庭園と、松尾芭蕉が立ち寄ったという「奇岩遊仙境」*「那谷寺」は、西国三十三観音の1番「那智」と33番「谷汲」(岐阜たにぐみ)の山号から命名

    「那谷寺」は、奇岩、奇石に囲まれた「本堂」「三重塔」「護摩堂」「鐘楼」「書院」「庫裡」などの重要文化財と、同じく奇岩、奇石を取り入れた特徴的な名勝庭園があり、今回の目的は小堀遠州のもと作庭された「書院庭園」と、中根金作復元の「琉美園」の2つの庭園と、松尾芭蕉が立ち寄ったという「奇岩遊仙境」*「那谷寺」は、西国三十三観音の1番「那智」と33番「谷汲」(岐阜たにぐみ)の山号から命名

  • 「那谷寺」の見所は、神仏習合の白山信仰の寺のため、壮大な岩壁の景観の中に朱色の鳥居や稲荷社がいたるところに点在していることで、太古の海底噴火の跡だと言われる巨大な岩にいくつもの穴がある「奇岩遊仙境」の景観は松尾芭蕉が立ち寄り句を詠んでいたことから「おくのほそ道の風景地」として日本国指定名勝に指定されている 「石山の石より白し秋の風」<br />

    「那谷寺」の見所は、神仏習合の白山信仰の寺のため、壮大な岩壁の景観の中に朱色の鳥居や稲荷社がいたるところに点在していることで、太古の海底噴火の跡だと言われる巨大な岩にいくつもの穴がある「奇岩遊仙境」の景観は松尾芭蕉が立ち寄り句を詠んでいたことから「おくのほそ道の風景地」として日本国指定名勝に指定されている 「石山の石より白し秋の風」

  • 山門を抜けると数百年を経た樹林と苔生した境内に、これもいかにも古そうな江戸期の石灯篭が立ち並び、まさに霊験あらたかな古寺の雰囲気が漂う *杉並木は加賀藩主前田利常公が植樹したという江戸時代のもの

    山門を抜けると数百年を経た樹林と苔生した境内に、これもいかにも古そうな江戸期の石灯篭が立ち並び、まさに霊験あらたかな古寺の雰囲気が漂う *杉並木は加賀藩主前田利常公が植樹したという江戸時代のもの

  • 「金堂華王殿」(こんどうけおうでん)<br />本尊の十一面千手観世音菩薩をお祀りし、平成2年(1990年)の再建で鎌倉時代の和様建築様式、総桧造り、十一面千手観音は木曽檜の寄せ木つくりで7.8m、那谷寺の法会は全てここで行われる

    「金堂華王殿」(こんどうけおうでん)
    本尊の十一面千手観世音菩薩をお祀りし、平成2年(1990年)の再建で鎌倉時代の和様建築様式、総桧造り、十一面千手観音は木曽檜の寄せ木つくりで7.8m、那谷寺の法会は全てここで行われる

  • 「普門閣」<br />昭和に代々庄屋役を務めた豪農の邸宅を移築した古民家を「宝物殿」としており、仏教美術品や加賀藩前田家ゆかりの茶道具、寺の祭器具など所蔵

    「普門閣」
    昭和に代々庄屋役を務めた豪農の邸宅を移築した古民家を「宝物殿」としており、仏教美術品や加賀藩前田家ゆかりの茶道具、寺の祭器具など所蔵

  • 左手が「書院」と枯山水庭園「書院庭園」(庫裏庭園)、右手が池泉回遊式庭園「琉美園」<br />

    左手が「書院」と枯山水庭園「書院庭園」(庫裏庭園)、右手が池泉回遊式庭園「琉美園」

  • 「書院」<br />江戸時代、小松に隠居していた三代目加賀藩主・前田利常公が那谷寺の荒廃を嘆き再建を決意し、この書院に実際に住まい再建の指揮を執られたという、武家書院造りで玄関の土天井は珍しい

    「書院」
    江戸時代、小松に隠居していた三代目加賀藩主・前田利常公が那谷寺の荒廃を嘆き再建を決意し、この書院に実際に住まい再建の指揮を執られたという、武家書院造りで玄関の土天井は珍しい

  • 加賀藩第3代藩主の名残が伺える

    加賀藩第3代藩主の名残が伺える

  • 庭園は「書院」北側、「庫裏」(くり)東側にあるので「庫裏庭園」と呼ばれ、「小堀遠州」の指導を受けて加賀藩の作庭奉行「分部卜斉」(わけべぼくさい)により作庭されたもので、石川県の中では最も古い庭園

    庭園は「書院」北側、「庫裏」(くり)東側にあるので「庫裏庭園」と呼ばれ、「小堀遠州」の指導を受けて加賀藩の作庭奉行「分部卜斉」(わけべぼくさい)により作庭されたもので、石川県の中では最も古い庭園

  • 飛び石と苔の美しい枯山水になっているが、桂離宮や仙洞御所、金地院など手掛けた小堀遠州風ではなくきわめて質素な枯山水に見える

    飛び石と苔の美しい枯山水になっているが、桂離宮や仙洞御所、金地院など手掛けた小堀遠州風ではなくきわめて質素な枯山水に見える

  • 後で気づいたが、椎(しい)の木の巨木の下に「三尊石」、園路側に自然石を組み合わせた私好みの「石灯籠」とその間にも小さな「三尊石」がある

    後で気づいたが、椎(しい)の木の巨木の下に「三尊石」、園路側に自然石を組み合わせた私好みの「石灯籠」とその間にも小さな「三尊石」がある

  • 椎の木の下の「三尊石」:中央に背の高い「中尊石」、左右に主石より低い「脇侍石」(きょうじせき)

    椎の木の下の「三尊石」:中央に背の高い「中尊石」、左右に主石より低い「脇侍石」(きょうじせき)

  • 書院越しに庫裏(くり)、その奥に茶室「如是庵」(にょぜあん)

    書院越しに庫裏(くり)、その奥に茶室「如是庵」(にょぜあん)

  • 園路に沿って橋を渡ると枯山水から池泉回遊式庭園の「琉美園」へつながる

    園路に沿って橋を渡ると枯山水から池泉回遊式庭園の「琉美園」へつながる

  • 「琉美園」(りゅうびえん)<br />釈迦生誕の地・ルンビニ園に因んで命名された、江戸前期(1640)に作庭されたが、その後荒廃し、昭和55年(1980)に「昭和の小堀遠州」と言われ、足立美術館を作庭した「中根金作」により、東側に新たな庭園を加えて復元された

    「琉美園」(りゅうびえん)
    釈迦生誕の地・ルンビニ園に因んで命名された、江戸前期(1640)に作庭されたが、その後荒廃し、昭和55年(1980)に「昭和の小堀遠州」と言われ、足立美術館を作庭した「中根金作」により、東側に新たな庭園を加えて復元された

  • いきなり現れた岸壁に圧倒される! 江戸時代に作られた当初はこの岸壁から滝が流れていたというから想像すると凄すぎる!

    いきなり現れた岸壁に圧倒される! 江戸時代に作られた当初はこの岸壁から滝が流れていたというから想像すると凄すぎる!

  • 自然石の岩面が3つに分かれていることから阿弥陀三尊にたとえられ「三尊石」(さんぞんせき)と名付けられ、江戸前期1640年にこの三尊石より滝を落とした庭園が作られたが荒廃した後、昭和55年(1980)に「中根金作」により復元された

    自然石の岩面が3つに分かれていることから阿弥陀三尊にたとえられ「三尊石」(さんぞんせき)と名付けられ、江戸前期1640年にこの三尊石より滝を落とした庭園が作られたが荒廃した後、昭和55年(1980)に「中根金作」により復元された

  • おそらく日本最大の「三尊石」! <br />現在も雨が降ると滝が流れる光景が見えるという! 

    おそらく日本最大の「三尊石」! 
    現在も雨が降ると滝が流れる光景が見えるという! 

  • 奥にある茶室「了了庵」(りょうりょうあん)へ向かう 

    奥にある茶室「了了庵」(りょうりょうあん)へ向かう 

  • 苔は少し焼けているが、苔と白砂と飛び石の組み合わせが美しい! また季節により水芭蕉や石楠花、紫陽花、ツツジなどが綺麗な彩りをみせてくれるというから期待できる!

    苔は少し焼けているが、苔と白砂と飛び石の組み合わせが美しい! また季節により水芭蕉や石楠花、紫陽花、ツツジなどが綺麗な彩りをみせてくれるというから期待できる!

  • 比較的新しそうな茶室「了了庵」(りょうりょうあん)*「了了」とは、物事が明らかなさま、理解が速いさま、とある

    比較的新しそうな茶室「了了庵」(りょうりょうあん)*「了了」とは、物事が明らかなさま、理解が速いさま、とある

  • 緩やかに流れる小川に「唐笠」の一休み所と「岬灯篭」が、涼やかな雰囲気を醸し出す!

    緩やかに流れる小川に「唐笠」の一休み所と「岬灯篭」が、涼やかな雰囲気を醸し出す!

  • 岩窟の中に琵琶を持つ「弁才天」は、「水の神様」で、水の流れは常に囁くような音を響かせることから「音楽の女神」、技芸文芸などの「才能の女神」とも言われる

    岩窟の中に琵琶を持つ「弁才天」は、「水の神様」で、水の流れは常に囁くような音を響かせることから「音楽の女神」、技芸文芸などの「才能の女神」とも言われる

  • 左手の岩窟トンネルから「普門閣・宝物館」に出るのも面白い!

    左手の岩窟トンネルから「普門閣・宝物館」に出るのも面白い!

  • トンネルの中にも「水子供養堂」

    トンネルの中にも「水子供養堂」

  • 参道に出て「奇岩遊仙境」へ

    参道に出て「奇岩遊仙境」へ

  • 「鐘楼」(しょうろう)

    「鐘楼」(しょうろう)

  • 和様建築で袴腰の上部まで石造りは全国でも珍しいという

    和様建築で袴腰の上部まで石造りは全国でも珍しいという

  • 参道に戻るとここにも「美しい池泉庭園」! 浮島の苔生した「石」と「灯篭」と「祠(ほこら)」と「鳥居」と「老木」の取り合わせが素晴らしい!

    参道に戻るとここにも「美しい池泉庭園」! 浮島の苔生した「石」と「灯篭」と「祠(ほこら)」と「鳥居」と「老木」の取り合わせが素晴らしい!

  • 池を見ると「蓮花」と「鯉」が彩を添える!

    池を見ると「蓮花」と「鯉」が彩を添える!

  • 境内美化を護る「護美小僧」と言うらしい

    境内美化を護る「護美小僧」と言うらしい

  • 上を見ると「ギョロ目」のような不気味な岩壁が現れてビックリ!<br />

    上を見ると「ギョロ目」のような不気味な岩壁が現れてビックリ!

  • 「奇岩遊仙境」(きがんゆうせんきょう)<br />海底噴火の跡が永い年月の間に風と波に洗われて形成されたという奇岩霊石にいくつもの岩窟があり、「観音浄土浮陀落山」(ふだらくせん:観音菩薩が降臨するとされるインドにある伝説上の山)を思わせる、自然を通して宇宙を拝みながら、素朴に生きようと望む自然智(じねんち:自然に悟りを開いた智)を呼び起こす景観で、松尾芭蕉も立ち寄ったことから「おくのほそ道の風景地」として国名勝に指定された<br /><br />

    「奇岩遊仙境」(きがんゆうせんきょう)
    海底噴火の跡が永い年月の間に風と波に洗われて形成されたという奇岩霊石にいくつもの岩窟があり、「観音浄土浮陀落山」(ふだらくせん:観音菩薩が降臨するとされるインドにある伝説上の山)を思わせる、自然を通して宇宙を拝みながら、素朴に生きようと望む自然智(じねんち:自然に悟りを開いた智)を呼び起こす景観で、松尾芭蕉も立ち寄ったことから「おくのほそ道の風景地」として国名勝に指定された

  • 洞窟を「祠」(ほこら)として仏像を安置している!<br />昔から奇岩巨石は神が宿ると云われて信仰の対象になっており、那谷寺も泰澄禅師が岩山の洞窟に千手観音を安置したのが始まりとされる

    洞窟を「祠」(ほこら)として仏像を安置している!
    昔から奇岩巨石は神が宿ると云われて信仰の対象になっており、那谷寺も泰澄禅師が岩山の洞窟に千手観音を安置したのが始まりとされる

  • 奇岩山の中腹には朱色の鳥居も!<br />那谷寺は自然を大切にする寺で、金銀珠玉で飾られた「極楽浄土」でなく、素朴な生き方を望む人々にとっての「極楽浄土」を理想とするという、奥が深い!

    奇岩山の中腹には朱色の鳥居も!
    那谷寺は自然を大切にする寺で、金銀珠玉で飾られた「極楽浄土」でなく、素朴な生き方を望む人々にとっての「極楽浄土」を理想とするという、奥が深い!

  • 「中門」を抜けて奇岩遊仙境から本殿へ向かう

    「中門」を抜けて奇岩遊仙境から本殿へ向かう

  • 中門を抜けた右側に「毘沙門天さま」<br />上杉謙信の化身とも言われる戦いの神様、四天王の「多聞天」と同一人物で仏様が説法をする道場を守りながら説法を耳に傾ける四天王のリーダー格、右手に持つ宝棒(ほうぼう)で邪鬼を追い払い、左手に仏舎利(ぶっしゃり)が納められた宝塔(ほうとう)を持ち豊かさを授ける、注目は足元のユーモラスとも見える邪鬼(じゃき・天邪鬼)

    中門を抜けた右側に「毘沙門天さま」
    上杉謙信の化身とも言われる戦いの神様、四天王の「多聞天」と同一人物で仏様が説法をする道場を守りながら説法を耳に傾ける四天王のリーダー格、右手に持つ宝棒(ほうぼう)で邪鬼を追い払い、左手に仏舎利(ぶっしゃり)が納められた宝塔(ほうとう)を持ち豊かさを授ける、注目は足元のユーモラスとも見える邪鬼(じゃき・天邪鬼)

  • 左側に「不動明王の霊水」閼伽水(あかみず:仏前に供える水)<br />古来より涸れることなくこんこんと湧き続ける霊水で、念珠や指輪などに願いを念じながら霊水をかけると不動明王の加護を受けられる

    左側に「不動明王の霊水」閼伽水(あかみず:仏前に供える水)
    古来より涸れることなくこんこんと湧き続ける霊水で、念珠や指輪などに願いを念じながら霊水をかけると不動明王の加護を受けられる

  • 「稲荷社」<br />奇岩遊仙境の上に建つ「稲荷社」に向かう参道だが現在立ち入り禁止<br />明治時代の神仏分離令で多くの寺(仏教)と神社(神道)が分けられたが、那谷寺は奇跡的に残り今も神仏習合の理想郷を表現している

    「稲荷社」
    奇岩遊仙境の上に建つ「稲荷社」に向かう参道だが現在立ち入り禁止
    明治時代の神仏分離令で多くの寺(仏教)と神社(神道)が分けられたが、那谷寺は奇跡的に残り今も神仏習合の理想郷を表現している

  • 那谷寺本堂「大悲閣」(だいひかく)<br />入り口には「狛犬」、さらに「拝殿」正面には「しめ縄」があり神仏習合が残っている、那谷寺本堂はいわゆる「洞窟寺」で、この境内でも最も大きな岩窟の中に屋根も軒先もない「本殿」が建ち、その前に岩屋の高さまで京都の清水寺の舞台と同じ懸崖造り(けんがいづくり)の「拝殿」が建ち、拝殿と本殿の間に唐破風の「唐門」がある、この3つを総称して観世音菩薩の大慈悲心から「大悲閣」と呼ばれる<br />

    那谷寺本堂「大悲閣」(だいひかく)
    入り口には「狛犬」、さらに「拝殿」正面には「しめ縄」があり神仏習合が残っている、那谷寺本堂はいわゆる「洞窟寺」で、この境内でも最も大きな岩窟の中に屋根も軒先もない「本殿」が建ち、その前に岩屋の高さまで京都の清水寺の舞台と同じ懸崖造り(けんがいづくり)の「拝殿」が建ち、拝殿と本殿の間に唐破風の「唐門」がある、この3つを総称して観世音菩薩の大慈悲心から「大悲閣」と呼ばれる

  • 「現在、本殿欄間保護に伴い試験体による温湿度測定を行っています 東京文化財研究所」 *「東京文化財研究所」は独立行政法人国立文化財機構で、日本及び東洋の美術、無形文化遺産、文化財の保存と修復技術について基礎研究を行い、博物館や美術館などからの要請に応じて技術指導や調査を行なう

    「現在、本殿欄間保護に伴い試験体による温湿度測定を行っています 東京文化財研究所」 *「東京文化財研究所」は独立行政法人国立文化財機構で、日本及び東洋の美術、無形文化遺産、文化財の保存と修復技術について基礎研究を行い、博物館や美術館などからの要請に応じて技術指導や調査を行なう

  • 階段側面から上がり正面に回って入る「拝殿」は、石造りの鬼瓦・棟瓦の屋根で四方欄間すべて極彩色鳥の透彫りが際立つ、本殿前の岩窟入口の「唐門」は向唐門(むかいからもん:唐破風を持つ門)、木の薄板を幾重にも重ねる柿葺で前方に屋根を傾斜させている、「本殿」は岩窟内にあるため屋根も軒先もなく、内部に本尊千手観音を安置する向唐破風付の厨子がある<br />

    階段側面から上がり正面に回って入る「拝殿」は、石造りの鬼瓦・棟瓦の屋根で四方欄間すべて極彩色鳥の透彫りが際立つ、本殿前の岩窟入口の「唐門」は向唐門(むかいからもん:唐破風を持つ門)、木の薄板を幾重にも重ねる柿葺で前方に屋根を傾斜させている、「本殿」は岩窟内にあるため屋根も軒先もなく、内部に本尊千手観音を安置する向唐破風付の厨子がある

  • 岩窟は母親の胎内とみて古い時代より「胎内くぐり」の聖地とされ、母の胎内をくぐり抜けることにより、新たに生まれ変わり、罪が浄められると信じられた<br /><br />

    岩窟は母親の胎内とみて古い時代より「胎内くぐり」の聖地とされ、母の胎内をくぐり抜けることにより、新たに生まれ変わり、罪が浄められると信じられた

  • 「胎内くぐり」から、「大池」「三重塔」へと出る

    「胎内くぐり」から、「大池」「三重塔」へと出る

  • 「大池」<br />約30年前にここから多くの遺跡が発見され、約650年前の南北朝、戦国時代にかけて焼かれてしまった那谷寺の足跡が解明された

    「大池」
    約30年前にここから多くの遺跡が発見され、約650年前の南北朝、戦国時代にかけて焼かれてしまった那谷寺の足跡が解明された

  • 「三重塔」<br />徳川家綱の生誕祝に前田利常が建立したものと伝えられており、鎌倉時代の胎蔵界大日如来が安置されている、相輪の先端までの高さが11.5メートルと小さく仏塔の文化財の中で最も小さいと言われているが、一層目が高く相輪が長いので安定感がある

    「三重塔」
    徳川家綱の生誕祝に前田利常が建立したものと伝えられており、鎌倉時代の胎蔵界大日如来が安置されている、相輪の先端までの高さが11.5メートルと小さく仏塔の文化財の中で最も小さいと言われているが、一層目が高く相輪が長いので安定感がある

  • 展望台に至る「楓月橋」<br />ここから奇岩遊仙境を一望できるが、今回はバスの時間がありここで断念、庭園中心に拝観したので時間切れ、次は紅葉の時期にきてみたい!

    展望台に至る「楓月橋」
    ここから奇岩遊仙境を一望できるが、今回はバスの時間がありここで断念、庭園中心に拝観したので時間切れ、次は紅葉の時期にきてみたい!

  • 「キャンバス」で10:37那谷寺~11:13加賀駅に到着

    「キャンバス」で10:37那谷寺~11:13加賀駅に到着

  • 「JR加賀駅」は今新幹線開通に向け工事真っ最中、北陸新幹線・金沢―敦賀間125kmは2024年春に開通予定、これで東京から敦賀まで580kmを3時間弱で結ぶ、敦賀から大阪まではまだ未定だが、これが完成すると東京・大阪700kmを4時間弱で結ぶことになる *大阪まではもめていたが「小浜・京都ルート」が有力で、敦賀、小浜、京都、京田辺、新大阪のルートになりそう

    「JR加賀駅」は今新幹線開通に向け工事真っ最中、北陸新幹線・金沢―敦賀間125kmは2024年春に開通予定、これで東京から敦賀まで580kmを3時間弱で結ぶ、敦賀から大阪まではまだ未定だが、これが完成すると東京・大阪700kmを4時間弱で結ぶことになる *大阪まではもめていたが「小浜・京都ルート」が有力で、敦賀、小浜、京都、京田辺、新大阪のルートになりそう

  • 11:31加賀駅~11:55北前舟へ

    11:31加賀駅~11:55北前舟へ

  • 「北前船屋敷・蔵六園」に到着<br />石川県加賀市「北前船の船主集落」として「加賀橋立伝統的建造物群保存地区」に指定される

    「北前船屋敷・蔵六園」に到着
    石川県加賀市「北前船の船主集落」として「加賀橋立伝統的建造物群保存地区」に指定される

  • 「北前船主屋敷蔵六園」(きたまえせんしゅやしきぞうろくえん)国指定登録有形文化財<br />江戸時代から明治にかけて日本海の舟運として活躍し、京・大坂と北陸を結んだ北前船の船主であった酒谷家の屋敷

    「北前船主屋敷蔵六園」(きたまえせんしゅやしきぞうろくえん)国指定登録有形文化財
    江戸時代から明治にかけて日本海の舟運として活躍し、京・大坂と北陸を結んだ北前船の船主であった酒谷家の屋敷

  • 1000坪の敷地に建坪300坪の総漆塗りの屋敷で、加賀大聖寺藩主を接待する奥座敷もある

    1000坪の敷地に建坪300坪の総漆塗りの屋敷で、加賀大聖寺藩主を接待する奥座敷もある

  • 豪華な屋敷の部屋には、数多くの古美術品が所狭しと展示されており、いかにも高価そうな古伊万里、古九谷、山中漆器や年代物の屏風など、値札もついていて販売もするという

    豪華な屋敷の部屋には、数多くの古美術品が所狭しと展示されており、いかにも高価そうな古伊万里、古九谷、山中漆器や年代物の屏風など、値札もついていて販売もするという

  • ここで庭園を見るのは予想外で意外だったが、これも「北前船」によってもたらされた莫大な富によるもので、平安の時代から「庭園」は貴族や大名、豪族などが贅の極みを顕示してきた側面もある

    ここで庭園を見るのは予想外で意外だったが、これも「北前船」によってもたらされた莫大な富によるもので、平安の時代から「庭園」は貴族や大名、豪族などが贅の極みを顕示してきた側面もある

  • 石橋や石灯篭など何でもありの雑然とした感じもするが、ポイントは「北前船」を使って全国から蒐集された多数の種類の石で、能登の滝石、福浦石、佐渡紅石、三国石、京の鞍馬石、丹波石、出雲石、伊予石、紀州石、彦根の虎石などあるらしいが、よく分からない

    石橋や石灯篭など何でもありの雑然とした感じもするが、ポイントは「北前船」を使って全国から蒐集された多数の種類の石で、能登の滝石、福浦石、佐渡紅石、三国石、京の鞍馬石、丹波石、出雲石、伊予石、紀州石、彦根の虎石などあるらしいが、よく分からない

  • この屋敷の「蔵六園」(ぞうろくえん)とは庭園の名前で、大聖寺藩主・前田利鬯(まえだとしか)が庭園の瀧石の自然石があまりにも亀に似ていることから命名された *蔵六とは亀のことで、4本の足と頭・尾の6つを甲羅の内側にしまい込むのでそう言われる

    この屋敷の「蔵六園」(ぞうろくえん)とは庭園の名前で、大聖寺藩主・前田利鬯(まえだとしか)が庭園の瀧石の自然石があまりにも亀に似ていることから命名された *蔵六とは亀のことで、4本の足と頭・尾の6つを甲羅の内側にしまい込むのでそう言われる

  • 加賀大聖寺藩の第14代藩主前田利鬯(まえだとしか)1841-1920は、加賀金沢藩主前田斉泰(なりやす)の7男で、和歌、茶道、能など文化の普及に尽くし、酒谷家にも訪問されていたという

    加賀大聖寺藩の第14代藩主前田利鬯(まえだとしか)1841-1920は、加賀金沢藩主前田斉泰(なりやす)の7男で、和歌、茶道、能など文化の普及に尽くし、酒谷家にも訪問されていたという

  • 大聖寺藩主が訪問したという奥座敷

    大聖寺藩主が訪問したという奥座敷

  • 奥座敷から見る庭園

    奥座敷から見る庭園

  • 「北前船」は、江戸から明治にかけて大阪から北海道まで日本海を往復して、各寄港地で売買を繰り返す「買積み廻船」で、日本海の荒波に命がけで立ち向かう一方、一航海で千両(6,000万円~1億円)稼ぐ「千石船」ともいわれるほど莫大な利益をあげ、当時橋立村は日本一の富豪村とも言われていたという

    「北前船」は、江戸から明治にかけて大阪から北海道まで日本海を往復して、各寄港地で売買を繰り返す「買積み廻船」で、日本海の荒波に命がけで立ち向かう一方、一航海で千両(6,000万円~1億円)稼ぐ「千石船」ともいわれるほど莫大な利益をあげ、当時橋立村は日本一の富豪村とも言われていたという

  • 「北前」とは、上方では日本海沿岸の北国方面を呼んでおり、北国の物資を運んでくるから「北前船」と呼ばれた

    「北前」とは、上方では日本海沿岸の北国方面を呼んでおり、北国の物資を運んでくるから「北前船」と呼ばれた

  • 「船乗りの1年」<br />(3月)徒歩で大阪へ、船の修理、酒、木綿など積み荷の買い付け、(4月)大阪出帆、中国、四国の港に寄港し、塩、紙、タバコ、砂糖など買積む、日本海に周り境の鉄、小浜・敦賀の縄むしろを買う、塩屋・橋立で半日碇泊、上陸して家族と別れを惜しむ、以後福浦、輪島、佐渡、新潟、深浦を経て(6月)函館、江差、松前、小樽に着き、荷物を問屋で売払い、鯨、数の子、昆布等買込む、(10月までに)瀬戸内に入るよう出発、瀬戸内各港で売周り(11月)大阪着、(年末)徒歩で郷里に帰る、次の出発まで山中、山代、粟津で入湯 *橋立には大きな船の停泊できる港がないので船は大阪に置いていた

    「船乗りの1年」
    (3月)徒歩で大阪へ、船の修理、酒、木綿など積み荷の買い付け、(4月)大阪出帆、中国、四国の港に寄港し、塩、紙、タバコ、砂糖など買積む、日本海に周り境の鉄、小浜・敦賀の縄むしろを買う、塩屋・橋立で半日碇泊、上陸して家族と別れを惜しむ、以後福浦、輪島、佐渡、新潟、深浦を経て(6月)函館、江差、松前、小樽に着き、荷物を問屋で売払い、鯨、数の子、昆布等買込む、(10月までに)瀬戸内に入るよう出発、瀬戸内各港で売周り(11月)大阪着、(年末)徒歩で郷里に帰る、次の出発まで山中、山代、粟津で入湯 *橋立には大きな船の停泊できる港がないので船は大阪に置いていた

  • 北前船の船主の子孫の多くは今日、神戸、大阪などで倉庫、金融、北洋漁業、地主、汽船、保険などの方面で活躍している。特に明治29年に日本海上保険会社が設立されたが創立7名中4名は北前船主(現日本火災海上保険株式会社)

    北前船の船主の子孫の多くは今日、神戸、大阪などで倉庫、金融、北洋漁業、地主、汽船、保険などの方面で活躍している。特に明治29年に日本海上保険会社が設立されたが創立7名中4名は北前船主(現日本火災海上保険株式会社)

  • 頑丈そうな金庫蔵には高価そうな古美術品がびっしり

    頑丈そうな金庫蔵には高価そうな古美術品がびっしり

  • どういう管理をしているのか興味があるが、この財産管理は大変そう!

    どういう管理をしているのか興味があるが、この財産管理は大変そう!

  • 全部売り物

    全部売り物

  • 最後に御主人から説明を受けた「真艫石」(まともいし)<br />船の船首を「舳先」(へさき)、船尾を「艫」(とも)という、この艫から舳先に向けて追い風を真っ直ぐに受けて帆走することを「真艫走り」といい、船乗りたちは「まともな風が吹いてきた」と希望に湧いた、「正当であること、正しく向かうこと、真面目なことを『まとも』という」が、昔の船方ことばに由来する

    最後に御主人から説明を受けた「真艫石」(まともいし)
    船の船首を「舳先」(へさき)、船尾を「艫」(とも)という、この艫から舳先に向けて追い風を真っ直ぐに受けて帆走することを「真艫走り」といい、船乗りたちは「まともな風が吹いてきた」と希望に湧いた、「正当であること、正しく向かうこと、真面目なことを『まとも』という」が、昔の船方ことばに由来する

  • 近所にももう1軒「北前舟の里資料館」<br />1876年(明治9年)築の酒谷長兵衛という北前船船主の屋敷跡で、酒谷氏は全盛期に6隻の北前船を所有し巨額の富を築いた

    近所にももう1軒「北前舟の里資料館」
    1876年(明治9年)築の酒谷長兵衛という北前船船主の屋敷跡で、酒谷氏は全盛期に6隻の北前船を所有し巨額の富を築いた

  • 「北前船主の誕生」について<br />江戸中期、幕府は東北の米を江戸へ送るため東周りと西周りを整備したが、比較的安全な西周りが主要なルートになり、これが更に北海道まで延び、それまで近江商人が北陸の船乗りを雇って商売していたがやがて自前で船主になってやり出したのが「北前船」 *「北前船」以前は、敦賀で船から積み荷を降ろし積み替えて馬など陸路で琵琶湖まで運び再び船に積み替え淀川経由で大阪に入るルートで、積み替えにかかるコストよりも大回りでも積み替えなしの方が安く大量の物資を運べた *西周りが主要になったのは、津軽海峡を抜ける東周り側は経済の発達した町があまりなかったことと、北へ向かう黒潮の流れに逆らって走らなければならないため航海が困難で、西廻りのほうが荷物を安く運ぶことができたから

    「北前船主の誕生」について
    江戸中期、幕府は東北の米を江戸へ送るため東周りと西周りを整備したが、比較的安全な西周りが主要なルートになり、これが更に北海道まで延び、それまで近江商人が北陸の船乗りを雇って商売していたがやがて自前で船主になってやり出したのが「北前船」 *「北前船」以前は、敦賀で船から積み荷を降ろし積み替えて馬など陸路で琵琶湖まで運び再び船に積み替え淀川経由で大阪に入るルートで、積み替えにかかるコストよりも大回りでも積み替えなしの方が安く大量の物資を運べた *西周りが主要になったのは、津軽海峡を抜ける東周り側は経済の発達した町があまりなかったことと、北へ向かう黒潮の流れに逆らって走らなければならないため航海が困難で、西廻りのほうが荷物を安く運ぶことができたから

  • 「大日本金満家一覧」明治31年(1898)の全国高額所得者番付表<br />筆頭に渋沢栄一、三井家らが名を連ねる中、前頭に加賀北前船主の名前がある、当時の年収は医者が800円、有名呉服屋400円だったが、北前船主は2,650円~2,230と群を抜いていた *「五大船主」と言われているのは、広海二三郎(大聖寺瀬越)、大家七平(大聖寺瀬越)、浜中八三郎(大聖寺塩屋)、右近権左衛門(越前河野)、馬場道久(富山岩瀬)

    「大日本金満家一覧」明治31年(1898)の全国高額所得者番付表
    筆頭に渋沢栄一、三井家らが名を連ねる中、前頭に加賀北前船主の名前がある、当時の年収は医者が800円、有名呉服屋400円だったが、北前船主は2,650円~2,230と群を抜いていた *「五大船主」と言われているのは、広海二三郎(大聖寺瀬越)、大家七平(大聖寺瀬越)、浜中八三郎(大聖寺塩屋)、右近権左衛門(越前河野)、馬場道久(富山岩瀬)

  • 「北前船の功績と衰え」<br />江戸後期から明治まで100年にわたり活躍した北前船は、地元の財力として貢献したばかりでなく、全国の寄港地の繫栄と食や芸能、衣料、工芸、建造物など経済・文化と多岐に亘り貢献したが、明治20~30年代になると鉄道の発達や電信の普及により北前船は次第に衰え、それまでの資金を元手に外国航路の開拓や小樽函館を中心とした倉庫業など、新たな事業へ転身した、今でも小樽運河沿いに加賀の船主が建てた倉庫がある

    「北前船の功績と衰え」
    江戸後期から明治まで100年にわたり活躍した北前船は、地元の財力として貢献したばかりでなく、全国の寄港地の繫栄と食や芸能、衣料、工芸、建造物など経済・文化と多岐に亘り貢献したが、明治20~30年代になると鉄道の発達や電信の普及により北前船は次第に衰え、それまでの資金を元手に外国航路の開拓や小樽函館を中心とした倉庫業など、新たな事業へ転身した、今でも小樽運河沿いに加賀の船主が建てた倉庫がある

  • 敷地面積1,000坪に「オエ」と呼ばれる30畳の大広間はじめ、17の部屋がある母屋と土蔵・物置からなり、全国から運ばれてきた8寸角24cmの欅の柱、松の巨木を使った梁、漆を塗った秋田杉の一枚戸などからは当時の豪勢な暮らしぶりがうかがえる、先ほどの「蔵六園」は分家だという、庭園もあるが普通の庭園で特に見るものはない

    敷地面積1,000坪に「オエ」と呼ばれる30畳の大広間はじめ、17の部屋がある母屋と土蔵・物置からなり、全国から運ばれてきた8寸角24cmの欅の柱、松の巨木を使った梁、漆を塗った秋田杉の一枚戸などからは当時の豪勢な暮らしぶりがうかがえる、先ほどの「蔵六園」は分家だという、庭園もあるが普通の庭園で特に見るものはない

  • 「船模型」<br />新造船の際、船大工から20分の1スケールの模型が船主に贈られたという

    「船模型」
    新造船の際、船大工から20分の1スケールの模型が船主に贈られたという

  • 「船仏壇」(冬仏壇と夏仏壇)<br />舟主が航海で留守の間は向かって右の小さい夏仏壇を使用し、戻る冬には向かって左の大きい冬仏壇を使用する、酒谷家の仏壇は三国仏壇で加賀市の指定文化財になっているという立派なもの

    「船仏壇」(冬仏壇と夏仏壇)
    舟主が航海で留守の間は向かって右の小さい夏仏壇を使用し、戻る冬には向かって左の大きい冬仏壇を使用する、酒谷家の仏壇は三国仏壇で加賀市の指定文化財になっているという立派なもの

  • 「船箪笥」(ふなだんす)<br />北前船に欠かせない船の中などで使用され、海中に投げ出された時に浮くような設計になっている

    「船箪笥」(ふなだんす)
    北前船に欠かせない船の中などで使用され、海中に投げ出された時に浮くような設計になっている

  • 「和磁石」(正針、逆針)と「磁気コンパス」<br />正針は陸地の物標を調べ、逆針は目盛の北南を船の船首と船尾に合わせて固定し船の進行方向を示すという日本独特のもので、逆針磁石は「船磁石」とも呼ばれた、「磁気コンパス」はいわゆる羅針盤で、航行中の船首方向の方位を知る

    「和磁石」(正針、逆針)と「磁気コンパス」
    正針は陸地の物標を調べ、逆針は目盛の北南を船の船首と船尾に合わせて固定し船の進行方向を示すという日本独特のもので、逆針磁石は「船磁石」とも呼ばれた、「磁気コンパス」はいわゆる羅針盤で、航行中の船首方向の方位を知る

  • 「遠眼鏡」(とおめがね)<br />元はオランダ製だが、日本では筒を和紙で貼り重ね漆を塗り金で模様を入れている

    「遠眼鏡」(とおめがね)
    元はオランダ製だが、日本では筒を和紙で貼り重ね漆を塗り金で模様を入れている

  • 「船往来」(通行証明書)<br />船の所有者、住所、乗組員の数、キリシタンでない証明書など、これがないと商売できない

    「船往来」(通行証明書)
    船の所有者、住所、乗組員の数、キリシタンでない証明書など、これがないと商売できない

  • 「状箱」<br />重要なものを入れる箱

    「状箱」
    重要なものを入れる箱

  • 「北前船の利益と船乗りの給与」<br />一度の航海で1,000両~2,000両(1億円)あったといわれ、儲けの殆どは北海道の海産物(上り荷)で、下り60両に対し上りは2,180両、コスト200両で2,000両の利益になったが、売れ残りや海難事故のリスクもあった、「船乗りの給与」は船頭が100両(1,000万円)、船乗りは船主の利益の5~10%を配分するから100万円程度

    「北前船の利益と船乗りの給与」
    一度の航海で1,000両~2,000両(1億円)あったといわれ、儲けの殆どは北海道の海産物(上り荷)で、下り60両に対し上りは2,180両、コスト200両で2,000両の利益になったが、売れ残りや海難事故のリスクもあった、「船乗りの給与」は船頭が100両(1,000万円)、船乗りは船主の利益の5~10%を配分するから100万円程度

  • 「多発した海難事故」<br />舟は大波を被ると容易に水が入り大量の荷積みで安定性に欠くので、嵐になればまず積み荷を海へ投げ捨て錨を下ろし、帆柱を切り倒しあとは神様に祈るだけで、ハイリスク、ハイリターン

    「多発した海難事故」
    舟は大波を被ると容易に水が入り大量の荷積みで安定性に欠くので、嵐になればまず積み荷を海へ投げ捨て錨を下ろし、帆柱を切り倒しあとは神様に祈るだけで、ハイリスク、ハイリターン

  • 「北前船の積み荷」<br />大坂から北海道へ向かう「下り荷」は大阪の木綿、古着、たばこ、油、酒、瀬戸内の塩、砂糖、ロウソク、紙、石材、中国地方の竹、鉄、米、北陸地方の米、石材、新潟の米、酒、稲わら製品など北海道で喜ばれる生活用品、逆の「上り荷」は殆ど海産物で特にニシンは綿や菜種栽培の肥料として重宝され仕入れ値の5~10倍で売れ、昆布も全国に運ばれ昆布出汁の食文化が広まった<br />

    「北前船の積み荷」
    大坂から北海道へ向かう「下り荷」は大阪の木綿、古着、たばこ、油、酒、瀬戸内の塩、砂糖、ロウソク、紙、石材、中国地方の竹、鉄、米、北陸地方の米、石材、新潟の米、酒、稲わら製品など北海道で喜ばれる生活用品、逆の「上り荷」は殆ど海産物で特にニシンは綿や菜種栽培の肥料として重宝され仕入れ値の5~10倍で売れ、昆布も全国に運ばれ昆布出汁の食文化が広まった

  • 「北前船主の生活用品」<br />巨万の富を築いた船主家では邸宅の建材や家具、仏壇などに最高級の資材を使い、衣服や櫛、髪飾りなど小物類にいたるまで良質の品が使われた

    「北前船主の生活用品」
    巨万の富を築いた船主家では邸宅の建材や家具、仏壇などに最高級の資材を使い、衣服や櫛、髪飾りなど小物類にいたるまで良質の品が使われた

  • 「加賀橋立」(はしだて)には江戸期1796年には船主34名と船頭8名が住んでおり、次第に北前船に関わる人々が居住する集落へ発展し、大聖寺藩に多額の献金をし、藩の財政を支えたため侍格を与えられる者もいた、明治以降はその財を利用し金融業や北洋漁業などでも成功し公共施設の建設など社会貢献も果たした<br />

    「加賀橋立」(はしだて)には江戸期1796年には船主34名と船頭8名が住んでおり、次第に北前船に関わる人々が居住する集落へ発展し、大聖寺藩に多額の献金をし、藩の財政を支えたため侍格を与えられる者もいた、明治以降はその財を利用し金融業や北洋漁業などでも成功し公共施設の建設など社会貢献も果たした

  • 「加賀橋立」は全盛期には100隻の北前船がここを拠点に北海道から瀬戸内海まで往来していた「商人として栄えた町」なので、他の「漁村」とは全く異なる雰囲気だが、海沿いを歩くと新鮮な海鮮料理の店、冬には「加能ガニ」(大きいズワイガニのオス)もありグルメ好きにはたまらない

    「加賀橋立」は全盛期には100隻の北前船がここを拠点に北海道から瀬戸内海まで往来していた「商人として栄えた町」なので、他の「漁村」とは全く異なる雰囲気だが、海沿いを歩くと新鮮な海鮮料理の店、冬には「加能ガニ」(大きいズワイガニのオス)もありグルメ好きにはたまらない

  • ここで海鮮丼ランチの予定だったが、どこも「ペットはダメ」、観光地を目指すならもっとペットに優しくして欲しい!

    ここで海鮮丼ランチの予定だったが、どこも「ペットはダメ」、観光地を目指すならもっとペットに優しくして欲しい!

  • 13:38橋立漁港~13:52片山津温泉<br />やっと喫茶店を見つけ、半ばゴリ押しでペット同伴で入れてもらいランチ休憩!<br />

    13:38橋立漁港~13:52片山津温泉
    やっと喫茶店を見つけ、半ばゴリ押しでペット同伴で入れてもらいランチ休憩!

  • 片山津温泉のシンボル「柴山潟湖畔」(しばやまがたこ)<br />日本海かなと思ったが湖だった! 古くは日本海に通じていて海側に砂丘が発達して切り離された「海跡湖」(かいせきこ)が、水害解消のため干拓され一部残った潟湖(せきこ)で、昔から水中に温泉が湧くことは知られていたが埋立てによって温泉街がつくられた、今は淡水湖

    片山津温泉のシンボル「柴山潟湖畔」(しばやまがたこ)
    日本海かなと思ったが湖だった! 古くは日本海に通じていて海側に砂丘が発達して切り離された「海跡湖」(かいせきこ)が、水害解消のため干拓され一部残った潟湖(せきこ)で、昔から水中に温泉が湧くことは知られていたが埋立てによって温泉街がつくられた、今は淡水湖

  • 「片山津温泉」(かたやまづおんせん)<br />江戸時代に加賀藩二代藩主が柴山潟に鷹狩りに訪れた際、水面に水鳥が群れていたことから湖底の温泉を発見したと伝えられる

    「片山津温泉」(かたやまづおんせん)
    江戸時代に加賀藩二代藩主が柴山潟に鷹狩りに訪れた際、水面に水鳥が群れていたことから湖底の温泉を発見したと伝えられる

  • 片山津温泉「総湯」(そうゆ)<br />「総湯」は北陸地方だけに使われる言い方で、温泉地にある旅館の外の共同浴場のこと、山代温泉には「古総湯」もあるが、これは明治時代にあった総湯を再現したもの、入湯量は現在490円

    片山津温泉「総湯」(そうゆ)
    「総湯」は北陸地方だけに使われる言い方で、温泉地にある旅館の外の共同浴場のこと、山代温泉には「古総湯」もあるが、これは明治時代にあった総湯を再現したもの、入湯量は現在490円

  • 「加賀温泉郷」には各温泉地に「総湯」があるが、それぞれの特徴は、<br />「片山津温泉」は、霊峰白山を望む柴山潟の湖畔にあり、泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉で、保温効果があって湯冷めしにくく冷え性に効能がある<br />「山中温泉」は、緑の多い豊かな自然に溶け込み、泉質はナトリウム・カルシウム、硫酸塩泉で、美肌の湯と言われ整腸効果の効能がある<br />「山代温泉」は、神仏の魂が宿る寺社に囲まれ、泉質はナトリウム・カルシウム、硫酸塩・塩化物泉、源泉は飲めるほどミネラルたっぷりで、貧血や便秘などに効能がある<br />「粟津温泉」は、北陸最古の温泉、泉質はナトリウム硫酸塩泉で、血管拡張作用に優れ血行を良くし神経痛、高血圧症、動脈硬化症筋肉痛、痔疾や、新陳代謝を促進し全身の細胞活性化の効能がある

    「加賀温泉郷」には各温泉地に「総湯」があるが、それぞれの特徴は、
    「片山津温泉」は、霊峰白山を望む柴山潟の湖畔にあり、泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉で、保温効果があって湯冷めしにくく冷え性に効能がある
    「山中温泉」は、緑の多い豊かな自然に溶け込み、泉質はナトリウム・カルシウム、硫酸塩泉で、美肌の湯と言われ整腸効果の効能がある
    「山代温泉」は、神仏の魂が宿る寺社に囲まれ、泉質はナトリウム・カルシウム、硫酸塩・塩化物泉、源泉は飲めるほどミネラルたっぷりで、貧血や便秘などに効能がある
    「粟津温泉」は、北陸最古の温泉、泉質はナトリウム硫酸塩泉で、血管拡張作用に優れ血行を良くし神経痛、高血圧症、動脈硬化症筋肉痛、痔疾や、新陳代謝を促進し全身の細胞活性化の効能がある

  • 「浮御堂」(愛称うきうき弁天)<br />片山津温泉の発展に感謝の証として建てられ、温泉伝説の竜神様と弁財天様が祀られており、浮桟橋で結ばれて歩いて渡ることができる

    「浮御堂」(愛称うきうき弁天)
    片山津温泉の発展に感謝の証として建てられ、温泉伝説の竜神様と弁財天様が祀られており、浮桟橋で結ばれて歩いて渡ることができる

  • 「片山津温泉・配湯所」<br />この周辺の宿や温泉施設に温泉を配湯し、守護神・薬師如来が祀られている

    「片山津温泉・配湯所」
    この周辺の宿や温泉施設に温泉を配湯し、守護神・薬師如来が祀られている

  • 「砂走公園の足湯」でバス待ち

    「砂走公園の足湯」でバス待ち

  • 15:09片山津温泉~15:21加賀駅<br />再び加賀駅に戻るが、この大仏は否が応でも目につき昔から気になってしょうがない! これは高さ73mの「加賀大観音」で、1987年のバブル真っただ中に不動産で儲けた地元のお金持ちが作りバブル崩壊後も残っていて、現在は宗教法人が「大観音加賀寺」の名で運営され、黄金の大梵鐘や加賀三十三間堂の594体の千手観音菩薩などお釈迦さまの生涯がわかるテーマパークになっているらしい、が今回はパス

    15:09片山津温泉~15:21加賀駅
    再び加賀駅に戻るが、この大仏は否が応でも目につき昔から気になってしょうがない! これは高さ73mの「加賀大観音」で、1987年のバブル真っただ中に不動産で儲けた地元のお金持ちが作りバブル崩壊後も残っていて、現在は宗教法人が「大観音加賀寺」の名で運営され、黄金の大梵鐘や加賀三十三間堂の594体の千手観音菩薩などお釈迦さまの生涯がわかるテーマパークになっているらしい、が今回はパス

  • 15:28加賀駅~山中温泉16:18

    15:28加賀駅~山中温泉16:18

  • ホテルに帰って温泉の後、食事

    ホテルに帰って温泉の後、食事

  • 今日のディナーは我家自慢のシェフ手作りの「飛騨牛のローストビーフ」とパスタ

    今日のディナーは我家自慢のシェフ手作りの「飛騨牛のローストビーフ」とパスタ

  • ワインは頂きものだが、北海道余市平川ファームの「L&#39;AUBE 2016」<br />フランス本場仕込みのソムリエが、北海道余市に広がる丘陵地の恵まれた南斜面でブドウを栽培し、肥沃な土壌とこの土地ならではの風土を活かして作った本格的ワイン、3万円弱らしい

    ワインは頂きものだが、北海道余市平川ファームの「L'AUBE 2016」
    フランス本場仕込みのソムリエが、北海道余市に広がる丘陵地の恵まれた南斜面でブドウを栽培し、肥沃な土壌とこの土地ならではの風土を活かして作った本格的ワイン、3万円弱らしい

  • 今回のメインイベントは、孫の6歳の誕生日パーティ<br />バースデーケーキは近くのケーキ屋さんで調達、プレゼントはご希望のファミコン「マリオカート8 デラックス」とお兄ちゃんからポケモン「フシギダネ」

    今回のメインイベントは、孫の6歳の誕生日パーティ
    バースデーケーキは近くのケーキ屋さんで調達、プレゼントはご希望のファミコン「マリオカート8 デラックス」とお兄ちゃんからポケモン「フシギダネ」

  • 早速マリオカートに夢中、今日は特別にやり放題!

    早速マリオカートに夢中、今日は特別にやり放題!

  • (3日目)朝食は昨日買ってきたパン屋さんのパンとハム、ベーコン、サラダ、スープ、コーヒー、ジュース

    (3日目)朝食は昨日買ってきたパン屋さんのパンとハム、ベーコン、サラダ、スープ、コーヒー、ジュース

  • 最後の朝風呂に入って、11:00ホテルを出発~30km12:00永平寺

    最後の朝風呂に入って、11:00ホテルを出発~30km12:00永平寺

  • 「永平寺」(えいへいじ)<br />道元禅師が鎌倉時代の1244年に開創した禅の修行道場で曹洞宗大本山、現在も全国から多くの「雲水」と飛ばれる修行僧が厳しい修行の日々を送っているという *「雲水」(うんすい)は、雲が定めなく行き水が流れてやまないように一か所にとどまらない自由な人のことで、行方を定めず諸国を行脚する修行の僧

    「永平寺」(えいへいじ)
    道元禅師が鎌倉時代の1244年に開創した禅の修行道場で曹洞宗大本山、現在も全国から多くの「雲水」と飛ばれる修行僧が厳しい修行の日々を送っているという *「雲水」(うんすい)は、雲が定めなく行き水が流れてやまないように一か所にとどまらない自由な人のことで、行方を定めず諸国を行脚する修行の僧

  • ペットは入れず、過去に何回か来たので今回はパス

    ペットは入れず、過去に何回か来たので今回はパス

  • 参道の苔や、樹齢700年といわれる貫禄ある老杉木立だけでも見どころがある

    参道の苔や、樹齢700年といわれる貫禄ある老杉木立だけでも見どころがある

  • 境内の大杉の樹木調査中

    境内の大杉の樹木調査中

  • ここに来た目的はランチの「永平寺そば」<br />福井の蕎麦と言えば、辛味大根で食べる「越前そば」だが、その中に「永平寺そば」もはいるらしく、メニューには「越前そば三昧」とか「おろしそば」などある *「越前そば」の特徴は、実だけでなく殻もすべて含めて挽くので、黒っぽい色合いでそばの香りと風味が強く、つなぎに小麦粉でなく強力粉を使うので歯ごたえがある硬い食感がある

    ここに来た目的はランチの「永平寺そば」
    福井の蕎麦と言えば、辛味大根で食べる「越前そば」だが、その中に「永平寺そば」もはいるらしく、メニューには「越前そば三昧」とか「おろしそば」などある *「越前そば」の特徴は、実だけでなく殻もすべて含めて挽くので、黒っぽい色合いでそばの香りと風味が強く、つなぎに小麦粉でなく強力粉を使うので歯ごたえがある硬い食感がある

  • 「越前そば三昧」(天ぷらそば、おろしそば、とろろそば)を注文

    「越前そば三昧」(天ぷらそば、おろしそば、とろろそば)を注文

  • 福井のもう一つのソウルフード「ソースかつ丼とおろしそば」も注文

    福井のもう一つのソウルフード「ソースかつ丼とおろしそば」も注文

  • 13:30永平寺を出発~15:00途中のパーキングエリアで休憩

    13:30永平寺を出発~15:00途中のパーキングエリアで休憩

  • 15:30~17:00高速道路渋滞に巻き込まれて京都到着

    15:30~17:00高速道路渋滞に巻き込まれて京都到着

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