2024/11/23 - 2024/11/24
276位(同エリア788件中)
Bachさん
二世帯家族の恒例の旅行で、今回初めて晩秋に「城崎温泉」への1泊2日の温泉旅をしました、
平安の昔から、京の都の「御食国」(みけつくに)として食の宝庫となっている「但馬国」(たじまのくに)は、朝鮮半島からの玄関口でもあり、室町時代には山名氏一族が栄え、江戸時代には北前船の寄港地としても栄えた痕跡があり、その中でも皿そばしか知らなかった「出石」は、その歴史の中心となる地域で、城下町の風情が残る「但馬の小京都」はもっと世間にアピールしてもらいたいところです。
今回は、コウノトリが生息するほどの豊かな自然を満喫し、京都で唯一の海水浴場「久美浜夕日ヶ浦」から「天橋立」にかけての素晴らしい景観も見ながら、日本海側ならではの海産物や地元の新鮮な食材を使った料理も味わえて、終盤には子供たちも空中スカイサイクル自転車まで楽しめて、大満足の小旅行になりました。
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行程(1日目)10:00京都~京都縦貫自動車道、国道、県道140km14:00出石~30km18:00城崎温泉(泊) (2日目)11:30城崎~20km12:30夕陽ヶ浦~13:30ランチ~30km15:30天橋立~京都縦貫自動車道100km19:00京都
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10:00 京都出発
二世帯家族 6人+ポメラニアン1匹 -
14:00 出石到着
渋滞に巻き込まれ、途中空腹をごまかしながら、やっと出石に到着 -
「出石」は皿そばと時計台のイメージしかなかったが、数十年昔に来た時よりも、出石城を中心とした観光に力を入れているようで、観光客が多い
「出石」の地名は、古代但馬国のものと見られる祭祀具の中に、この地を開拓した天日槍(あめのひぼこ)の宝物「出石小刀」が見つかったことに由来し、縄文時代からこの辺りの中心地であった -
紅葉は京都市内よりも見ごろ!
「但馬(たじま)の国」は、古来朝鮮半島に近いことから文化・経済の表玄関で、新羅の王子・天日槍(あめのひぼこ)が妻を追って日本に渡りこの地に安住し「出石神社」に祀られており、その子孫である田道間守(たじまもり)が地名の由来とされる、また新羅系渡来氏族の秦(はた)氏が日本に来たのもこのルートであったといわれ、平安時代には「渤海人」(ぼっかいじん;北朝鮮からロシア沿海州に及ぶ広大な領域を誇ったツングース民族や高句麗人から成る古代国家)も漂着し大陸との関係が続いた -
「出石城」(いずしじょう)
室町時代には、但馬を含めた山陰地方は「山名一族」が支配し、出石神社付近の「此隅山城」(このすみやま)を居城としたが、信長軍の秀吉の侵攻を受け「有子山城」(ありこやま)に移ったが落城し山名氏も滅亡した、その後江戸時代に入り、1604年城の中心部を山上の有子山城から麓に移して「出石城」を築き、城下町も整備され、出石の町並みが形成された、出石城には天守がなく「隅櫓」(すみやぐら)が主な防御施設で、昭和43年(1968)東隅櫓と西隅櫓が復元された *「隅櫓」は、城の敷地内に曲輪(くるわ)の石塁や土塁の隅角に建てられる櫓(やぐら)で、敵の監視や防備の役割をかね備える -
出石城の背後にそびえる「有子山」(ありこやま)は標高321m
「山名一族」は清和源氏の家系で、源頼朝、足利尊氏に従い室町幕府では四職家の1つとして優遇され、全国の6分の1にあたる山陰地方の11カ国を支配するほどの勢力を誇り、山名宗全は応仁の乱で西軍の大将となったが、その後は衰退の一途をたどり、明治には但馬国村岡藩藩主となり、藩知事に転じて華族となっている *「四職家」(ししきけ)は、室町幕府の侍所の長官である所司を代々務めた4家で、山名氏・京極氏・一色氏・赤松氏 -
「紅葉と四季桜」のコラボも見ごろ!
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「城下町出石」
出石は但馬文化発祥の地として古事記、日本書紀にもその名があり、中世には山名宗全一族の本拠地として200年間繁栄を誇り、近世は5万8千石の城下町として但馬地区で繁栄を極め、その文化遺産、町並み、山河の佇まいは但馬の小京都と言われる、見どころは、「出石城跡」「宗鏡寺(沢庵寺)」「出石神社」「家老屋敷」「辰鼓楼」「桂小五郎潜伏遺蹟」「茅葺の武家長屋」「出石焼」「ちりめん」など -
「辰鼓楼」(しんころう)
廃墟となった出石城三の丸大手門石垣を利用して、明治4年(1871)に建設された。「辰」は時間、「鼓楼」は太鼓を叩くやぐらを意味する。高さ13m、内部4階建て構造、かつて城下町の人々は寺院の鐘で時刻を知ったが、明治時代に入り、これに替わるものとして竣工した。明治14年(1881)に開業医師、池口忠恕(ちゅうじょ)が大時計を寄付してから時計台となった。池口は大時計を寄付するにあたり、青年2人を東京に派遣して、時計作りの研修・製作をさせたと言われる(現在の時計は電気式)。同じ明治14年に時計が設置された札幌の時計台とともに、日本最古の時計台として親しまれている。 -
(2021年6月11日朝日新聞記事)
辰鼓楼は明治政府による廃藩置県前の明治4年に建てられ、昭和、平成と大改修があり、時計は現在4代目にあたる。時計の寄贈は81年だったことは確かだが、この年の何月何日に時計が動き出したかは「長年、謎」で、札幌市時計台の81年の8月12日よりも先か後か、問題になり出石観光協会は辰鼓楼本体の創建150周年事業として「時計が動き出した日」調査プロジェクトを発足し、地元の資料から9月8日であったことが判明し、「日本最古とされる札幌市時計台に27日及ばず」という結果を、地元のNPO法人但馬國出石観光協会が発表した。逆にこれが、出石の生真面目さを際立たせる記事で話題になった! -
「城下町」は出石城を中心に武家屋敷、内堀、町家が外側に向けて置かれ、さらにその外側に下級武家屋敷が配されていて、「辰鼓楼」(しんころう)の立つあたりが、内町と呼ばれる出石城の三の丸跡で、家老など藩士の屋敷が並んだ。城下町には町家や神社、酒蔵、旧郡役所だった近代洋風建築の出石明治館などさまざまな時代の面影を残す
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「辰鼓楼」を過ぎると名物の「出石そば」店が並ぶ
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「出石皿そば」
名物の「皿そば」は、300年の伝統を持つ歴史の古い蕎麦で、出石焼の小皿で出されるのが特徴、岩手のわんこそば、新潟のへぎそば、山口の瓦そばなどと並び風流がある -
「出石皿そば」の由来
宝永3年(1706)に信州上田から国替えになった千石氏により伝来したとされる。在来の出石そばに信州の手法を加え、出石焼の白磁の小皿を使い、特色ある現在の出石手打ち皿そばの様式が生まれた。特色はそばの実を丸引きした自然な色合いと香り、練達した手作り、出石の里の特出した恵まれた清水が、淡白で素朴、又風雅な味を作り出し、他に類のない程の完成度の高いそばで、三タテ「挽きたて」「打ちたて」「茹きたて」により、一層生かされている -
城下町に蕎麦屋が40店ほど建ち並ぶ
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「コウノトリ」のオブジェもある
「コウノトリ」は、世界でも希少な鳥で日本では特別天然記念物に指定されており、国内では一度絶滅したが、豊岡市では長い年月をかけて取り組んだ繁殖、野生復帰計画が実を結び、今では当たり前のように見かける存在になり、2022年には28羽の巣立ちを確認し、現在300羽を超え、コウノトリにとって棲みやすい豊かな自然が守られていることを証明している -
「黒いそばと白いそば」皿そば輝山(きざん)
蕎麦の色の白と黒の違いは、そば粉の種類の違いで、製粉の際そばの実の中心部が白く、外側が黒くなり、一番白いのは更科そば、黒いのは殻も含めて挽く田舎そばで、更科はのど越し滑らかだが香りは弱く、田舎は香りは強いがのどごしザラザラ -
蕎麦以外にも黒豆枝豆、しいたけ、ししゆず(鬼ゆず)など珍しい野菜も目を惹く
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信州から伝来した1706創業の老舗もあるらしいが、目星をつけた「近又」(きんまた)は、(HPによると)慶長年間(篠山築城の頃)に近江の国より移住し開業した旅籠に、明治元年桂小五郎がお菊と泊まったことから「近又」の屋号を残すとある(現在は三代目)、人気店らしく行列が出来ていたので、周りを散策
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町はずれまで散策して、大通りから一筋入ったところにある比較的空いた店を発見「桂」
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「出石そば」の特徴
① 出石焼の小皿に盛ること ② 5枚1組を1人前とすること ③ 薬味と卵と自然薯(じねんじょ)を添えること の3点で、特に生卵を入れるのが特徴、すき焼きを生卵で食べるのも好き好きあるが、通常ざるそばを卵で食べるのは珍しい -
「出石そば」の食べ方
一皿目は塩で、二皿目はつゆだけで、三皿目はねぎ、わさびを入れて、四皿目はとろろを入れて、五皿目は卵を入れて、一皿ずつ味変で食べ、追加は一皿から、食べ終えたらおちょこにそば湯を注ぎ飲み干す -
表の看板にあった「卵かけご飯」は、豊岡市で有名な「但熊」(たんくま)という西垣養鶏場直営の卵かけご飯専門店の卵らしい
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「出石そば」は初めて姫路駅前で食べてから大好物になり、つい最近京都市内で唯一の専門店を発見して食べたが、やはり本場の味には叶わない、蕎麦の新鮮さと、打ちたて、挽きたて、茹きたてと、何よりも「水」のミネラル(カルシウム、マグネシウム、カリウム、ナトリウム)は現地でしか味わえない
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小4の孫はそば嫌いのハズだが、美味しいと言って9皿も食べたのには皆ビックリ! 40~50枚食べる人も珍しくないというが、昨年10月、4年ぶりに新そば祭りのそば食い大会があって、最高記録は153枚だったらしい
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腹ごなしに散策すると、「桂小五郎潜居跡」を発見!
大久保利通や西郷隆盛と並ぶ維新三傑の一人「桂小五郎」(木戸孝允)は、1864年池田屋事件、禁門(蛤御門)の変で長州藩が敗れ京都を追われた際に、出石出身の商人の助けにより、1864年出石に潜入し、この地にあった「広江屋」という荒物屋(畳表・むしろ・竹籠などの小売)を営んだ、この2年後1866年に薩長同盟を締結し新政府を成立した -
「咲楽屋」(さくらや)旧浅井家住宅
赤茶の土壁と戸や柱に塗られた赤いベンガラ(酸化鉄顔料)が印象的で、出格子と呼ばれる縦に細い部材を使った窓のおおいが美しい。この町家は明治時代に建てられ、城下町出石の典型的建築様式で平成25年に保存修理され、1階を喫茶、2階をギャラリーとして活用している -
「出石資料館」
明治の豪商・福富家の旧邸を改装して作られ、藩政の史料や甲冑など出石藩ゆかりの史料を展示している -
「酒蔵」
ノスタルジックな土壁が特徴的な建物は、270年以上前に作られた酒蔵で、この地域は寒暖差が激しいので、壁を厚くして気温の変化をなだらかにし、また湿気が多いので水分を土壁が吸収し、火災にも強くしており、通常の2倍以上の6層塗りして壁の厚さは約40㎝で壁を塗るだけで2~3年かかり、現在も瓶詰めと貯蔵のために使っているという -
「出石酒造」
江戸中期1708年創業の老舗の酒蔵で、1706年に出石藩主松平氏と信州上田藩の仙谷氏のお国替えの際、仙谷氏が「酒を献上せよ」と命じたという史実が残っているという -
職住一体の町家の雰囲気たっぷりの、趣のある母屋で14代目社長さんと奥様が色々説明してくれる
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「楽々鶴」(ささづる)
代表銘柄は、近くにある「楽々浦」(ささうら)という地名と、出石城主仙谷公の別荘の名前「楽々園」(らくらくえん)からの命名で、「鶴」はこの地域であ「コウノトリ」のこと、いろいろ説明を聞いていたら四合瓶2本を買ってしまった -
「祇園社」もある
相殿(あいどの)に、織物の神様・呉服(くれはとり)が祀られている -
16:00 「出石」を後にする
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18:00「城崎温泉ホテル」に到着
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部屋の前はプール
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ドッグランも完備
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温泉入浴後、早速ゲームを借りて来て対戦!
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テレビゲームも囲碁将棋もやり放題!
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今夜の食事は、皆んな大好きお寿司と
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自慢の飛騨牛ローストビーフ
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(2日目)翌朝朝食
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途中で買った地元人気ベーカリーのパン
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出発ギリギリまでゲームに夢中!
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11:30 城崎~12:30久美浜・夕陽ヶ浦
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久美浜・浜詰海岸「夕日の丘」
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「夕日ヶ浦」は、温泉とカニが有名で、旅館や民宿が建ち並び夏は海水浴、冬はカニ料理で賑わう
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「カニ」の種類
タラバガニ、毛ガニ、花咲ガニは北海道でしか食べれないが、「ズワイガニ」は鳥取~京都~福井の山陰地方で水揚げされ、出回っているカニは殆どオスのズワイガニで総称して「松葉ガニ」と呼ぶ、メスは産卵のために栄養を蓄え成長が止まるのに対しオスは成長を続けるので大きく、地方によってブランド化されて、福井県では「越前ガニ」、石川県では「加能ガニ」、京都では「間人(たいざ)ガニ」、兵庫では「柴山ガニ」などとと呼ぶ、また「紅ズワイガニ」は、ズワイガニが1匹10,000円~に対し、3,000円~と安いが、味や品質の問題よりも流通量が多いため、又希少なカニとして人気のある「セイコガニ」は、ズワイガニのメスで、身がぎっしり詰まっている松葉ガニに対して小ぶりだが、卵をたっぷり持っており身よりも卵と蟹味噌を楽しみご飯に乗せて食べるのは地元でも年間60日しか食べれない正に旬の食材で、「香箱ガニ」「親ガニ」「コッペガニ」などとも呼ばれる -
「サーフィン」ポイントとしても有名で、多くのサーファーで賑わう
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「夕日にブランコ」
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下の孫は、初めての海に大はしゃぎ!
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「ガンダムマンホール」
バンダイナムコグループの「GANDAMガンダムマンホールプロジェクト」が、2022年から全国19自治体で寄付設置している *昨年末に行った鹿児島指宿市の「ポケモンマンホール」は全国に300枚以上設置されている -
13:30 ランチ「うさぎ屋」
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丹後街道の民家をそのまま活用した鄙びた雰囲気が良い
「丹後街道」は越前敦賀から若狭を横断して舞鶴、宮津に至る街道で、途中の小浜からは京の都へ通じる「鯖街道」があり、古代から朝廷の食を支える「御食国」(みけつくに)だった -
パエリアやアクアパッツアなど地元の海鮮、野菜を使ったイタリアンが中心
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「牡蠣のアヒージョ」とサラダセット、これに自家製パンと大根スープがつく、ビュッフェ形式のサラダは、地元の野菜以外にも新鮮な刺身やハムなど種類も量も多く、これだけでお腹いっぱいになる
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「八鹿豚のハンバーグ」と「クリームコロッケ」 *八鹿豚(ようかぶた)は養父市のブランド豚)
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「アサリのパスタ」
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「あおりイカのパスタ」
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「カキのパスタ」
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15:30「天橋立」到着
「文珠水道」(天橋立運河)から「廻旋橋」方面 -
(京都府HPより)「天橋立」は、宮津湾の海流によって運ばれた砂が、天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流とぶつかって堆積したことにより全長約3.2キロメートルの砂洲が形成され、江戸時代中期ごろに完成した、約5,000~8,000本ある松は、人の手により植林されたものではなく大部分が自然発生的に生えたもの
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「廻旋橋」から「天橋立観光船乗場」
「廻旋橋」は、船が通るたびに中央から橋が90度旋回する、大正12年から人力で動かしていたが、昭和35年から電動式になった、以前、ここから「伊根港」まで観光船に乗ったことがある -
「智恩寺」(ちおんじ)
平安時代の808年、平城天皇の勅願寺として創建され、「智恵の文殊」と呼ばれ、奈良桜井市の安倍文殊院、山形大聖寺亀岡文殊とともに日本三文殊のひとつとされる *「文殊」の由来は、日本国土創成時に、この地で暴れていた悪龍を鎮めるために中国の五台山から智恵第一の仏様である文殊菩薩をお迎えし、悪龍を教化され善龍にしたことから -
「文殊荘」松露亭
江戸時代の1690年、「3人寄れば文殊の智恵」で有名な智恵の仏様「文殊菩薩」を祀る智恩寺文殊堂の前で「お茶屋」を始めて以来、宿屋や料亭に拡大して現在13代に至る、与謝野鉄幹・晶子夫妻を始め、野口雨情、林芙美子、山口瞳、藤本義一などの定宿として利用され、1981年当時国鉄のフルムーン旅行で上原謙、高峰三枝子のCMの舞台となり話題になった -
「天橋立ビューランド」
北側の「笠松公園」には何回か行ったことがあるが、南側の「ビューランド」は初めて -
「笠松公園」とほぼ同様、山頂130mまで、ケーブルカーで約4分、リフトで6分
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「股のぞき」は定番
「股のぞき」は明治時代には始まっており、傘松公園からは、龍が天に昇るかのように見える「昇龍観」(しょうりゅうかん)に対し、ビューランドからは、龍が降臨するかのように見える「飛龍観」(ひりゅうかん)と呼ばれる -
虹も出た!「飛龍観」(ひりゅうかん)
まさに「天橋立」は天への架け橋で、風土記によると、イザナギ、イザナミの神が天への昇降に使った橋だった -
「天橋立ビューランド」360度のパノラマ風景
「ビューランド」は昭和45年(1970)オープンし、かつてはジェットコースターがあったが2011年に廃止になり、「飛龍観回廊」としてリニューアルオープンした、他にも観覧車や「サイクルカー」があって、まさに空中飛行のような気分を味わえる -
天橋立を堪能して帰路へ
京都縦貫自動車道で渋滞もなく、19:00京都到着
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