大田・石見銀山旅行記(ブログ) 一覧に戻る
3月22日<br />朝食にご当地メニューの「赤天」が出ていて嬉しかったです。味噌汁もいい出汁が出ていて、ほのかに甘みもあって美味しかったです。朝食後はチェックアウトして石見銀山に向かいました。<br /><br />「大森代官所跡」の駐車場に車を停め、「ぎんざんカート」500円で「龍源寺間歩入口」まで行きました。「ぎんざんカート」は「龍源寺間歩入口」まで3キロほどの上り坂を運んでくれるだけでなく、大森地区の見所なども解説しながら進んでくれたので予習になってとても良かったです。6人の定員制で、席が埋まってしまうと途中乗車は難しそうだったので、「大森代官所跡」から乗って良かったです。「大森代官所跡」は石見銀山の「心臓部」だった場所だということです。江戸時代、石見銀山は徳川幕府が直接支配する「天領」で、その支配の拠点として置かれたのがこの代官所だということです。銀の採掘量の管理、精錬された銀地金の検品、銀山周辺の治安維持、そして年貢の徴収など、政治・経済・司法のすべてをここで行っていたそうで、現在は、「石見銀山資料館」になっていました。「龍源寺間歩入口」で「ぎんざんカート」を降り、チケット売り場でチケット500円を買い、DVD解説を見てから見学に向かいました。「ぐるっと30分、じっくり60分」だということでした。間歩(坑道)や精錬所の跡が残る山道を登っていくと、「龍源寺間歩」の入り口にチケットの確認所がありました。銀のレプリカも置いてあり記念写真が撮れました。そして「間歩」に入りました。石見銀山には600以上の間歩(坑道)がある中、唯一通年公開されているのが「龍源寺間歩」で、江戸時代初めに開かれ、多くの銀を算出した「五大間歩」の一つであるといいます。間歩は、タガネと槌だけで掘り進められた「手掘り坑道」で、壁面には無数のノミ跡が残っていました。途中は、わずかな銀の鉱脈を逃さず追いかけ、枝分かれして掘り進んだ「ひおい坑」や、坑道内に溜まった水を抜いたり、空気を循環させるために垂直に掘られた「竪坑」も見ることができました。出口付近には絵付きの説明書きがたくさん設置されていて、当時の間歩での作業の様子が詳しく説明されていました。<br /><br />間歩の出口を出ると、すぐ近くに「佐毘賣山神社(さひめやまじんじゃ)」がありました。鉱山の守護神「金山彦命(かなやまひこのみこと)」を守護神として古くから信仰されてきた非常に重要な神社で、地元では「山神(さんじん)さん」の愛称で親しまれているそうです。銀の鉱床の真上に神社を建てて神様を祀っていて、「拝殿くぐり抜け」ができました。「拝殿くぐり抜け」をすると、神聖な鉱脈のすぐそばを通って神様に近づくことができるようになっていました。<br /><br />「佐毘賣山神社」から坂を下ると、目の前に「高橋家」がありました。鉱山で働く労働者のとりまとめ役を務めた石見銀山の山師・高橋氏の住宅でした。中を見ることはできませんでしたが、立派な建物で、経済力の高さを示していました。<br /><br />推古天皇の時代に建てられた「清水寺(せいすいじ)」に立ち寄りました。格天井は格子の一つ一つに、銀山開発に深く関わった代官や役人、有力な商人たちの色鮮やかな家紋や文様が描かれていました。自分たちの繁栄や安全を祈願して寄進したものだそうです。寄進された多くの石仏も安置されていました。<br /><br />「清水谷製錬所跡」は石見銀山が明治時代に近代化を図った歴史を物語る、巨大な要塞のような石造りの遺跡です。莫大な費用をかけて完成させたものの、銀の質が低下していたことや、最新の製錬技術と石見の鉱石の相性が合わなかったことなどが原因で、わずか1年半ほどで操業を停止してしまったそうで、段々畑のような巨大な石垣だけが残っていました。<br /><br />「清水谷製錬所跡」から「大森の町並み」まで下り、「羅漢寺」を目指しました。拝観料は500円でした。本堂をお参りした後、開運吉祥弁財天でお札を洗い、通りの向かいにある「五百羅漢」へ行きました。石窟の前を流れる川には「三火の橋」という美しいアーチの3つの石橋で、俗世と聖域が分けられていました。石段を上ると、岩山をくり抜いた石窟に羅漢像が並んでいました。お堂の内部は撮影禁止でしたが、18世紀中頃、代官や銀山で働く人々、近隣の住民たちが25年という長い歳月をかけて寄進したものだということでした。五百羅漢遺跡の中央に座する本尊・釈迦如来とその脇仏(普賢菩薩、文殊菩薩)は堂外なので写真を撮ることもできました。参拝を済ませて、最後に、お茶やご飯が美味しくなるという、手水鉢に注がれている湧き水をいただいて帰りました。<br /><br />「大森の町並み」は世界遺産・石見銀山において「政治・経済の中枢」としての役割を担っていた町並みで、江戸時代の面影が色濃く残る静かな家並みが残っていました。銀山で働く人々や商人の家が建ち並び、この地の繁栄を支えていたということです。通りの家々の1階部分には、美しい格子が並んでいて、外からは中が見えにくく、中からは外の様子がよくわかるというプライバシー保護と、採光・通風を両立させているのだそうです。<br /><br />「大森の町並み」のほぼ中心に「町並み交流センター」がありました。明治23年に建てられた「松江地方裁判所 大森区裁判所」だった建物で内部には、裁判官や検事、書記が座る席などが配置され、明治時代の法廷が一部復元されていました。<br /><br />「町並み交流センター」の向かいに「観世音寺」がありました。巨大な岩山を背負うように建てられていて、石段を上り境内の崖ぎわに立つと、歩いてきた赤い石州瓦の町並みが一望できました。「ぎんざんカート」で教えてもらった人気の写真撮影のスポットでした。<br /><br />「重要文化財熊谷家住宅」は石見銀山で最大級の商家で、経営者の繁栄を象徴する「建造物」と、して世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つになっています。入館料は600円でした。大戸から中に入ると、熊谷家が商売を行っていた店のスペースになっていました。「勘定場」では「掛屋」という銀貨の重さを量り、検査する仕事をしていたようで、江戸時代のお金の仕組みを学ぶことができました。靴を脱いで上がると、格式高い座敷が並んでいました。熊谷家住宅で最も重要な応接空間「奥の間」、「北道具蔵」、「小蔵」、「厠」と「湯殿」、「地下蔵」、「仏間」、「茶室」、「蔵前座敷」がありました。上階には「衣装蔵」もあり、再び下に降りると、「銀貨」に関する展示や、「酒蔵」の展示もありました。熊谷家は幕府の「御用商人」として、銀山に必要な物資を集める役割を担っていたため、酒の原料となる米などの調達ルートを握っていて酒造りもやっていたそうです。居室の右手側には、巨大な土間が広がっていて、台所には現役の「三連かまど」が香ばしい煙の匂いが漂わせていました。二階が主屋になっていて、使用人たちの寝床や物置として使われていた空間だということで、ここからは、1階の通り土間を上から見下ろすことができるようになっていました。第20代当主、故・熊谷ヒサ子さんの嫁入り道具も展示されていました。<br /><br />石見銀山から車で10分くらい走ると「道の駅 ごいせ仁摩」がありました。4周年記念祭をやっていて、ちょうど「岩見神楽」の公演を見ることができました。「岩見神楽」は石見地方に古くから伝わる伝統芸能で、その年の豊作や豊漁を祈願し神々に捧げる歌や踊りのことをいうそうです。スタンプ台のところに「人気商品ランキング」が貼ってあったので、卵が決めての「ネッカプリン」の「あさひプリン」195円と、「クラシックプリン」230円、「森井商店」の「焼きのどぐろ」540円を買いました。<br /><br />大森の町並みから北西へ約7km、日本海に面した小さな入江が「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つ「鞆ケ浦」でした。両側を切り立った岩山に挟まれた、細長く奥深い「へ」の字型の入江になっているこの地形が日本海の荒波を遮る防波堤の役割を果たし、<br />当時の小さな木造船(北前船など)が安全に停泊できる「天然の良港」となったそうです。16世紀前半、採掘された銀は、険しい「鞆ヶ浦道」を通ってこの港へ運ばれ、博多を経由して中国やヨーロッパなど世界中へと輸出され、 逆に、銀山で暮らす大量の人々の生活を支えるための米や塩、衣服などの物資も、この港から運び込まれたそうです。湾口に「鵜の島」がひっそりと浮かび、島の頂上には「厳島神社(鵜島厳島神社)」が鎮座し、この港の守り神として大切にされてきたそうですが、島へと架かっている橋は橋脚の老朽化・腐食が進んでいるため、「通行禁止」になっていました。<br /><br />鞆ヶ浦から「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つ「温泉津沖泊」までは、車で15分ほどでした、鞆ヶ浦が銀山開発「初期」の港だったのに対し、沖泊は16世紀後半の銀山最盛期にメインポートとして大活躍した港だということです。港のすぐ手前に恵比須神社がありました。「崖にへばりつく」独特な境内は沖泊において、当時の姿をそのまま今に残す唯一の歴史的建造物だそうで、「沖の海から見つけ出されたという自然石」がご神体で、海上安全や漁業、そして港の神様なのだそうです。<br /><br />「温泉津温泉」は銀山で富を築いた人々や、船乗りたちの湯治場として、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つに登録されています。温泉街には大正から昭和初期にタイムスリップしたかのような街並みが残っていました。<br /><br />「温泉津温泉」には「元湯」、「薬師湯」といった歴史ある公衆浴場があり、どちらも「完全源泉かけ流し」の濃厚な温泉だということで、今回は「薬師湯」に入ってみました。料金は1人600円で、本館の「貸切湯」は40分で1人1000円ということでした。その場で17時の予約をして、貸切で入浴しました。貸し切りなので自由に写真も撮れて良かったです。温度は44℃とやや高めですが入れない温度ではなく、pH6.3のほぼ中性ですが、かなり塩味の強い食塩泉で、とても濃厚な感じのする泉質のいい温泉でした。<br /><br />温泉津では「寛ぎの宿 輝雲荘」の「古民家 法泉長屋」に宿泊しました。1泊素泊まりで13200円でした。和室の部屋には大きな冷蔵庫やキッチンまでついていたので長期滞在や、自炊するなら便利そうでした。ウォッシュレット付きの独立したトイレや、洗面台も綺麗でした。Wi-Fiが繋がりにくかったのと、マットレスがなく、敷布団だけで身体が痛かったのを除けば居心地は良かったです。部屋にお風呂もついていましたが、輝雲荘の温泉に入れるので使いませんでした。輝雲荘の温泉は「薬師湯」よりちょっとうすい感じがしましたが、泉質は良かったです。<br /><br />「港の食堂KAN」で夕食をいただきました。名前から定食屋さんかと思いましたが、夜は席料330円かつワンドリンクオーダー制だということで、これだけで1人1000円は必要でした。とりあえず「芋焼酎」580円と「自家製ジンジャーハイボール」680円を注文し、「KANの漁師めし定食(並)」2200円と「大粒カキフライ定食」1700円の「ごはん大盛」+110円、「のどぐろ(煮)」2000円を注文しました。お通しは「イワシの丸干し」でした。肝まで美味しかったです。「のどぐろ(煮)」はやや小ぶりでしたがトロトロで美味しかったです。「大粒カキフライ定食」は大粒のカキフライが5粒ものっていてこれも美味しかったです。「KANの漁師めし定食(並)」は溶いた卵に出汁醤油を入れて、その中に薬味と刺身を入れてから、ご飯にのせて食べるというものでしたが、お刺身の量が控えめなので、これなら普通のお刺身定食でいいのではないかなと思いました。いずれにせよ夜だと結構割高になるので、ランチで行くくらいでいいかと思いました。

山陰紀行2026年03月②(「石見銀山遺跡とその文化的景観」編)

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2025/03/22 - 2025/03/22

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旅行記グループ 山陰紀行2026年03月

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まめ夫婦

まめ夫婦さん

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3月22日
朝食にご当地メニューの「赤天」が出ていて嬉しかったです。味噌汁もいい出汁が出ていて、ほのかに甘みもあって美味しかったです。朝食後はチェックアウトして石見銀山に向かいました。

「大森代官所跡」の駐車場に車を停め、「ぎんざんカート」500円で「龍源寺間歩入口」まで行きました。「ぎんざんカート」は「龍源寺間歩入口」まで3キロほどの上り坂を運んでくれるだけでなく、大森地区の見所なども解説しながら進んでくれたので予習になってとても良かったです。6人の定員制で、席が埋まってしまうと途中乗車は難しそうだったので、「大森代官所跡」から乗って良かったです。「大森代官所跡」は石見銀山の「心臓部」だった場所だということです。江戸時代、石見銀山は徳川幕府が直接支配する「天領」で、その支配の拠点として置かれたのがこの代官所だということです。銀の採掘量の管理、精錬された銀地金の検品、銀山周辺の治安維持、そして年貢の徴収など、政治・経済・司法のすべてをここで行っていたそうで、現在は、「石見銀山資料館」になっていました。「龍源寺間歩入口」で「ぎんざんカート」を降り、チケット売り場でチケット500円を買い、DVD解説を見てから見学に向かいました。「ぐるっと30分、じっくり60分」だということでした。間歩(坑道)や精錬所の跡が残る山道を登っていくと、「龍源寺間歩」の入り口にチケットの確認所がありました。銀のレプリカも置いてあり記念写真が撮れました。そして「間歩」に入りました。石見銀山には600以上の間歩(坑道)がある中、唯一通年公開されているのが「龍源寺間歩」で、江戸時代初めに開かれ、多くの銀を算出した「五大間歩」の一つであるといいます。間歩は、タガネと槌だけで掘り進められた「手掘り坑道」で、壁面には無数のノミ跡が残っていました。途中は、わずかな銀の鉱脈を逃さず追いかけ、枝分かれして掘り進んだ「ひおい坑」や、坑道内に溜まった水を抜いたり、空気を循環させるために垂直に掘られた「竪坑」も見ることができました。出口付近には絵付きの説明書きがたくさん設置されていて、当時の間歩での作業の様子が詳しく説明されていました。

間歩の出口を出ると、すぐ近くに「佐毘賣山神社(さひめやまじんじゃ)」がありました。鉱山の守護神「金山彦命(かなやまひこのみこと)」を守護神として古くから信仰されてきた非常に重要な神社で、地元では「山神(さんじん)さん」の愛称で親しまれているそうです。銀の鉱床の真上に神社を建てて神様を祀っていて、「拝殿くぐり抜け」ができました。「拝殿くぐり抜け」をすると、神聖な鉱脈のすぐそばを通って神様に近づくことができるようになっていました。

「佐毘賣山神社」から坂を下ると、目の前に「高橋家」がありました。鉱山で働く労働者のとりまとめ役を務めた石見銀山の山師・高橋氏の住宅でした。中を見ることはできませんでしたが、立派な建物で、経済力の高さを示していました。

推古天皇の時代に建てられた「清水寺(せいすいじ)」に立ち寄りました。格天井は格子の一つ一つに、銀山開発に深く関わった代官や役人、有力な商人たちの色鮮やかな家紋や文様が描かれていました。自分たちの繁栄や安全を祈願して寄進したものだそうです。寄進された多くの石仏も安置されていました。

「清水谷製錬所跡」は石見銀山が明治時代に近代化を図った歴史を物語る、巨大な要塞のような石造りの遺跡です。莫大な費用をかけて完成させたものの、銀の質が低下していたことや、最新の製錬技術と石見の鉱石の相性が合わなかったことなどが原因で、わずか1年半ほどで操業を停止してしまったそうで、段々畑のような巨大な石垣だけが残っていました。

「清水谷製錬所跡」から「大森の町並み」まで下り、「羅漢寺」を目指しました。拝観料は500円でした。本堂をお参りした後、開運吉祥弁財天でお札を洗い、通りの向かいにある「五百羅漢」へ行きました。石窟の前を流れる川には「三火の橋」という美しいアーチの3つの石橋で、俗世と聖域が分けられていました。石段を上ると、岩山をくり抜いた石窟に羅漢像が並んでいました。お堂の内部は撮影禁止でしたが、18世紀中頃、代官や銀山で働く人々、近隣の住民たちが25年という長い歳月をかけて寄進したものだということでした。五百羅漢遺跡の中央に座する本尊・釈迦如来とその脇仏(普賢菩薩、文殊菩薩)は堂外なので写真を撮ることもできました。参拝を済ませて、最後に、お茶やご飯が美味しくなるという、手水鉢に注がれている湧き水をいただいて帰りました。

「大森の町並み」は世界遺産・石見銀山において「政治・経済の中枢」としての役割を担っていた町並みで、江戸時代の面影が色濃く残る静かな家並みが残っていました。銀山で働く人々や商人の家が建ち並び、この地の繁栄を支えていたということです。通りの家々の1階部分には、美しい格子が並んでいて、外からは中が見えにくく、中からは外の様子がよくわかるというプライバシー保護と、採光・通風を両立させているのだそうです。

「大森の町並み」のほぼ中心に「町並み交流センター」がありました。明治23年に建てられた「松江地方裁判所 大森区裁判所」だった建物で内部には、裁判官や検事、書記が座る席などが配置され、明治時代の法廷が一部復元されていました。

「町並み交流センター」の向かいに「観世音寺」がありました。巨大な岩山を背負うように建てられていて、石段を上り境内の崖ぎわに立つと、歩いてきた赤い石州瓦の町並みが一望できました。「ぎんざんカート」で教えてもらった人気の写真撮影のスポットでした。

「重要文化財熊谷家住宅」は石見銀山で最大級の商家で、経営者の繁栄を象徴する「建造物」と、して世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つになっています。入館料は600円でした。大戸から中に入ると、熊谷家が商売を行っていた店のスペースになっていました。「勘定場」では「掛屋」という銀貨の重さを量り、検査する仕事をしていたようで、江戸時代のお金の仕組みを学ぶことができました。靴を脱いで上がると、格式高い座敷が並んでいました。熊谷家住宅で最も重要な応接空間「奥の間」、「北道具蔵」、「小蔵」、「厠」と「湯殿」、「地下蔵」、「仏間」、「茶室」、「蔵前座敷」がありました。上階には「衣装蔵」もあり、再び下に降りると、「銀貨」に関する展示や、「酒蔵」の展示もありました。熊谷家は幕府の「御用商人」として、銀山に必要な物資を集める役割を担っていたため、酒の原料となる米などの調達ルートを握っていて酒造りもやっていたそうです。居室の右手側には、巨大な土間が広がっていて、台所には現役の「三連かまど」が香ばしい煙の匂いが漂わせていました。二階が主屋になっていて、使用人たちの寝床や物置として使われていた空間だということで、ここからは、1階の通り土間を上から見下ろすことができるようになっていました。第20代当主、故・熊谷ヒサ子さんの嫁入り道具も展示されていました。

石見銀山から車で10分くらい走ると「道の駅 ごいせ仁摩」がありました。4周年記念祭をやっていて、ちょうど「岩見神楽」の公演を見ることができました。「岩見神楽」は石見地方に古くから伝わる伝統芸能で、その年の豊作や豊漁を祈願し神々に捧げる歌や踊りのことをいうそうです。スタンプ台のところに「人気商品ランキング」が貼ってあったので、卵が決めての「ネッカプリン」の「あさひプリン」195円と、「クラシックプリン」230円、「森井商店」の「焼きのどぐろ」540円を買いました。

大森の町並みから北西へ約7km、日本海に面した小さな入江が「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つ「鞆ケ浦」でした。両側を切り立った岩山に挟まれた、細長く奥深い「へ」の字型の入江になっているこの地形が日本海の荒波を遮る防波堤の役割を果たし、
当時の小さな木造船(北前船など)が安全に停泊できる「天然の良港」となったそうです。16世紀前半、採掘された銀は、険しい「鞆ヶ浦道」を通ってこの港へ運ばれ、博多を経由して中国やヨーロッパなど世界中へと輸出され、 逆に、銀山で暮らす大量の人々の生活を支えるための米や塩、衣服などの物資も、この港から運び込まれたそうです。湾口に「鵜の島」がひっそりと浮かび、島の頂上には「厳島神社(鵜島厳島神社)」が鎮座し、この港の守り神として大切にされてきたそうですが、島へと架かっている橋は橋脚の老朽化・腐食が進んでいるため、「通行禁止」になっていました。

鞆ヶ浦から「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つ「温泉津沖泊」までは、車で15分ほどでした、鞆ヶ浦が銀山開発「初期」の港だったのに対し、沖泊は16世紀後半の銀山最盛期にメインポートとして大活躍した港だということです。港のすぐ手前に恵比須神社がありました。「崖にへばりつく」独特な境内は沖泊において、当時の姿をそのまま今に残す唯一の歴史的建造物だそうで、「沖の海から見つけ出されたという自然石」がご神体で、海上安全や漁業、そして港の神様なのだそうです。

「温泉津温泉」は銀山で富を築いた人々や、船乗りたちの湯治場として、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つに登録されています。温泉街には大正から昭和初期にタイムスリップしたかのような街並みが残っていました。

「温泉津温泉」には「元湯」、「薬師湯」といった歴史ある公衆浴場があり、どちらも「完全源泉かけ流し」の濃厚な温泉だということで、今回は「薬師湯」に入ってみました。料金は1人600円で、本館の「貸切湯」は40分で1人1000円ということでした。その場で17時の予約をして、貸切で入浴しました。貸し切りなので自由に写真も撮れて良かったです。温度は44℃とやや高めですが入れない温度ではなく、pH6.3のほぼ中性ですが、かなり塩味の強い食塩泉で、とても濃厚な感じのする泉質のいい温泉でした。

温泉津では「寛ぎの宿 輝雲荘」の「古民家 法泉長屋」に宿泊しました。1泊素泊まりで13200円でした。和室の部屋には大きな冷蔵庫やキッチンまでついていたので長期滞在や、自炊するなら便利そうでした。ウォッシュレット付きの独立したトイレや、洗面台も綺麗でした。Wi-Fiが繋がりにくかったのと、マットレスがなく、敷布団だけで身体が痛かったのを除けば居心地は良かったです。部屋にお風呂もついていましたが、輝雲荘の温泉に入れるので使いませんでした。輝雲荘の温泉は「薬師湯」よりちょっとうすい感じがしましたが、泉質は良かったです。

「港の食堂KAN」で夕食をいただきました。名前から定食屋さんかと思いましたが、夜は席料330円かつワンドリンクオーダー制だということで、これだけで1人1000円は必要でした。とりあえず「芋焼酎」580円と「自家製ジンジャーハイボール」680円を注文し、「KANの漁師めし定食(並)」2200円と「大粒カキフライ定食」1700円の「ごはん大盛」+110円、「のどぐろ(煮)」2000円を注文しました。お通しは「イワシの丸干し」でした。肝まで美味しかったです。「のどぐろ(煮)」はやや小ぶりでしたがトロトロで美味しかったです。「大粒カキフライ定食」は大粒のカキフライが5粒ものっていてこれも美味しかったです。「KANの漁師めし定食(並)」は溶いた卵に出汁醤油を入れて、その中に薬味と刺身を入れてから、ご飯にのせて食べるというものでしたが、お刺身の量が控えめなので、これなら普通のお刺身定食でいいのではないかなと思いました。いずれにせよ夜だと結構割高になるので、ランチで行くくらいでいいかと思いました。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
自家用車 徒歩
  • 3月22日<br />朝食にご当地メニューの「赤天」が出ていて嬉しかったです。味噌汁もいい出汁が出ていて、ほのかに甘みもあって美味しかったです。朝食後はチェックアウトして石見銀山に向かいました。

    3月22日
    朝食にご当地メニューの「赤天」が出ていて嬉しかったです。味噌汁もいい出汁が出ていて、ほのかに甘みもあって美味しかったです。朝食後はチェックアウトして石見銀山に向かいました。

    東横イン浜田駅北口 宿・ホテル

  • 「大森代官所跡」の駐車場に車を停め、

    「大森代官所跡」の駐車場に車を停め、

    石見銀山 名所・史跡

  • 「ぎんざんカート」500円で「龍源寺間歩入口」まで行きました。

    「ぎんざんカート」500円で「龍源寺間歩入口」まで行きました。

    ぎんざんカート 乗り物

  • 「ぎんざんカート」は「龍源寺間歩入口」まで3キロほどの上り坂を運んでくれるだけでなく、大森地区の見所なども解説しながら進んでくれたので予習になってとても良かったです。

    「ぎんざんカート」は「龍源寺間歩入口」まで3キロほどの上り坂を運んでくれるだけでなく、大森地区の見所なども解説しながら進んでくれたので予習になってとても良かったです。

  • 6人の定員制で、席が埋まってしまうと途中乗車は難しそうだったので、「大森代官所跡」から乗って良かったです。

    6人の定員制で、席が埋まってしまうと途中乗車は難しそうだったので、「大森代官所跡」から乗って良かったです。

  • 「大森代官所跡」は石見銀山の「心臓部」だった場所だということです。江戸時代、石見銀山は徳川幕府が直接支配する「天領」で、その支配の拠点として置かれたのがこの代官所だということです。銀の採掘量の管理、精錬された銀地金の検品、銀山周辺の治安維持、そして年貢の徴収など、政治・経済・司法のすべてをここで行っていたそうで、現在は、「石見銀山資料館」になっていました。

    「大森代官所跡」は石見銀山の「心臓部」だった場所だということです。江戸時代、石見銀山は徳川幕府が直接支配する「天領」で、その支配の拠点として置かれたのがこの代官所だということです。銀の採掘量の管理、精錬された銀地金の検品、銀山周辺の治安維持、そして年貢の徴収など、政治・経済・司法のすべてをここで行っていたそうで、現在は、「石見銀山資料館」になっていました。

    石見銀山資料館 美術館・博物館

  • 「龍源寺間歩入口」で「ぎんざんカート」を降り、チケット売り場でチケット500円を買い、DVD解説を見てから見学に向かいました。「ぐるっと30分、じっくり60分」だということでした。

    「龍源寺間歩入口」で「ぎんざんカート」を降り、チケット売り場でチケット500円を買い、DVD解説を見てから見学に向かいました。「ぐるっと30分、じっくり60分」だということでした。

    龍源寺間歩 名所・史跡

  • 間歩(坑道)や精錬所の跡が残る

    間歩(坑道)や精錬所の跡が残る

  • 山道を登っていくと、

    山道を登っていくと、

  • 「龍源寺間歩」の入り口にチケットの確認所がありました。銀のレプリカも置いてあり記念写真が撮れました。

    「龍源寺間歩」の入り口にチケットの確認所がありました。銀のレプリカも置いてあり記念写真が撮れました。

  • そして「間歩」に入りました。

    そして「間歩」に入りました。

  • 石見銀山には600以上の間歩(坑道)がある中、唯一通年公開されているのが「龍源寺間歩」で、江戸時代初めに開かれ、多くの銀を算出した「五大間歩」の一つであるといいます。

    石見銀山には600以上の間歩(坑道)がある中、唯一通年公開されているのが「龍源寺間歩」で、江戸時代初めに開かれ、多くの銀を算出した「五大間歩」の一つであるといいます。

  • 間歩は、タガネと槌だけで掘り進められた「手掘り坑道」で、壁面には無数のノミ跡が残っていました。

    間歩は、タガネと槌だけで掘り進められた「手掘り坑道」で、壁面には無数のノミ跡が残っていました。

  • 途中は、わずかな銀の鉱脈を逃さず追いかけ、枝分かれして掘り進んだ「ひおい坑」や、坑道内に溜まった水を抜いたり、空気を循環させるために垂直に掘られた「竪坑」も見ることができました。

    途中は、わずかな銀の鉱脈を逃さず追いかけ、枝分かれして掘り進んだ「ひおい坑」や、坑道内に溜まった水を抜いたり、空気を循環させるために垂直に掘られた「竪坑」も見ることができました。

  • 出口付近には絵付きの説明書きがたくさん設置されていて、当時の間歩での作業の様子が詳しく説明されていました。

    出口付近には絵付きの説明書きがたくさん設置されていて、当時の間歩での作業の様子が詳しく説明されていました。

  • 間歩の出口を出ると、すぐ近くに「佐毘賣山神社(さひめやまじんじゃ)」がありました。

    間歩の出口を出ると、すぐ近くに「佐毘賣山神社(さひめやまじんじゃ)」がありました。

    佐毘売山神社 寺・神社・教会

  • 鉱山の守護神「金山彦命(かなやまひこのみこと)」を守護神として古くから信仰されてきた非常に重要な神社で、

    鉱山の守護神「金山彦命(かなやまひこのみこと)」を守護神として古くから信仰されてきた非常に重要な神社で、

  • 地元では「山神(さんじん)さん」の愛称で親しまれているそうです。

    地元では「山神(さんじん)さん」の愛称で親しまれているそうです。

  • 銀の鉱床の真上に神社を建てて神様を祀っていて、「拝殿くぐり抜け」ができました。

    銀の鉱床の真上に神社を建てて神様を祀っていて、「拝殿くぐり抜け」ができました。

  • 「拝殿くぐり抜け」をすると、

    「拝殿くぐり抜け」をすると、

  • 神聖な鉱脈のすぐそばを通って

    神聖な鉱脈のすぐそばを通って

  • 神様に近づくことができるようになっていました。

    神様に近づくことができるようになっていました。

  • 「佐毘賣山神社」から坂を下ると、目の前に「高橋家」がありました。鉱山で働く労働者のとりまとめ役を務めた石見銀山の山師・高橋氏の住宅でした。中を見ることはできませんでしたが、立派な建物で、経済力の高さを示していました。

    「佐毘賣山神社」から坂を下ると、目の前に「高橋家」がありました。鉱山で働く労働者のとりまとめ役を務めた石見銀山の山師・高橋氏の住宅でした。中を見ることはできませんでしたが、立派な建物で、経済力の高さを示していました。

    高橋家 名所・史跡

  • 「龍源寺間歩」を見た後、佐毘賣山神社の真下(境内地)を貫通している坑道「新切間歩」や、

    「龍源寺間歩」を見た後、佐毘賣山神社の真下(境内地)を貫通している坑道「新切間歩」や、

    新切間歩 名所・史跡

  • 推古天皇の時代に建てられた「清水寺(せいすいじ)」に

    推古天皇の時代に建てられた「清水寺(せいすいじ)」に

    清水寺 名所・史跡

  • 立ち寄りました。

    立ち寄りました。

  • 格天井は格子の一つ一つに、銀山開発に深く関わった代官や役人、有力な商人たちの色鮮やかな家紋や文様が描かれていました。自分たちの繁栄や安全を祈願して寄進したものだそうです。

    格天井は格子の一つ一つに、銀山開発に深く関わった代官や役人、有力な商人たちの色鮮やかな家紋や文様が描かれていました。自分たちの繁栄や安全を祈願して寄進したものだそうです。

  • 寄進された多くの石仏も安置されていました。

    寄進された多くの石仏も安置されていました。

  • 「清水谷製錬所跡」は石見銀山が明治時代に近代化を図った歴史を物語る、巨大な要塞のような石造りの遺跡です。

    「清水谷製錬所跡」は石見銀山が明治時代に近代化を図った歴史を物語る、巨大な要塞のような石造りの遺跡です。

    清水谷製錬所跡 名所・史跡

  • 莫大な費用をかけて完成させたものの、

    莫大な費用をかけて完成させたものの、

  • 銀の質が低下していたことや、最新の製錬技術と石見の鉱石の相性が合わなかったことなどが原因で、

    銀の質が低下していたことや、最新の製錬技術と石見の鉱石の相性が合わなかったことなどが原因で、

  • わずか1年半ほどで操業を停止してしまったそうで、

    わずか1年半ほどで操業を停止してしまったそうで、

  • 段々畑のような巨大な石垣だけが残っていました。

    段々畑のような巨大な石垣だけが残っていました。

  • 「清水谷製錬所跡」から「大森の町並み」まで下り、

    「清水谷製錬所跡」から「大森の町並み」まで下り、

    大森の町並み 名所・史跡

  • 「羅漢寺」を目指しました。

    「羅漢寺」を目指しました。

  • 拝観料は500円でした。

    拝観料は500円でした。

    羅漢寺 寺・神社・教会

  • 本堂をお参りした後、

    本堂をお参りした後、

  • 開運吉祥弁財天で

    開運吉祥弁財天で

  • お札を洗い、

    お札を洗い、

  • 通りの向かいにある「五百羅漢」へ行きました。

    通りの向かいにある「五百羅漢」へ行きました。

  • 石窟の前を流れる川には「三火の橋」という美しいアーチの3つの石橋で、俗世と聖域が分けられていました。

    石窟の前を流れる川には「三火の橋」という美しいアーチの3つの石橋で、俗世と聖域が分けられていました。

  • 石段を上ると、

    石段を上ると、

  • 岩山をくり抜いた石窟に

    岩山をくり抜いた石窟に

  • 羅漢像が並んでいました。お堂の内部は撮影禁止でしたが、18世紀中頃、代官や銀山で働く人々、近隣の住民たちが25年という長い歳月をかけて寄進したものだということでした。

    羅漢像が並んでいました。お堂の内部は撮影禁止でしたが、18世紀中頃、代官や銀山で働く人々、近隣の住民たちが25年という長い歳月をかけて寄進したものだということでした。

  • 五百羅漢遺跡の中央に座する本尊・釈迦如来とその脇仏(普賢菩薩、文殊菩薩)は堂外なので写真を撮ることもできました。

    五百羅漢遺跡の中央に座する本尊・釈迦如来とその脇仏(普賢菩薩、文殊菩薩)は堂外なので写真を撮ることもできました。

  • 参拝を済ませて、

    参拝を済ませて、

  • 最後に、お茶やご飯が美味しくなるという、

    最後に、お茶やご飯が美味しくなるという、

  • 手水鉢に注がれている湧き水をいただいて帰りました。

    手水鉢に注がれている湧き水をいただいて帰りました。

  • 「大森の町並み」は世界遺産・石見銀山において「政治・経済の中枢」としての役割を担っていた町並みで、

    「大森の町並み」は世界遺産・石見銀山において「政治・経済の中枢」としての役割を担っていた町並みで、

    大森の町並み 名所・史跡

  • 江戸時代の面影が色濃く残る静かな家並みが

    江戸時代の面影が色濃く残る静かな家並みが

  • 残っていました。

    残っていました。

  • 銀山で働く人々や

    銀山で働く人々や

  • 商人の家が建ち並び、

    商人の家が建ち並び、

  • この地の繁栄を支えていたということです。

    この地の繁栄を支えていたということです。

  • 通りの家々の1階部分には、美しい格子が並んでいて、

    通りの家々の1階部分には、美しい格子が並んでいて、

  • 外からは中が見えにくく、中からは外の様子がよくわかるというプライバシー保護と、採光・通風を両立させているのだそうです。

    外からは中が見えにくく、中からは外の様子がよくわかるというプライバシー保護と、採光・通風を両立させているのだそうです。

  • 「大森の町並み」のほぼ中心に「町並み交流センター」がありました。

    「大森の町並み」のほぼ中心に「町並み交流センター」がありました。

    町並み交流センター 美術館・博物館

  • 明治23年に建てられた「松江地方裁判所 大森区裁判所」だった建物で

    明治23年に建てられた「松江地方裁判所 大森区裁判所」だった建物で

  • 内部には、裁判官や検事、書記が座る席などが配置され、明治時代の法廷が一部復元されていました。

    内部には、裁判官や検事、書記が座る席などが配置され、明治時代の法廷が一部復元されていました。

  • 「町並み交流センター」の向かいに「観世音寺」がありました。

    「町並み交流センター」の向かいに「観世音寺」がありました。

    観世音寺 寺・神社・教会

  • 巨大な岩山を背負うように建てられていて、石段を上り境内の崖ぎわに立つと、

    巨大な岩山を背負うように建てられていて、石段を上り境内の崖ぎわに立つと、

  • 歩いてきた赤い石州瓦の町並みが一望できました。

    歩いてきた赤い石州瓦の町並みが一望できました。

  • 「ぎんざんカート」で教えてもらった人気の写真撮影のスポットでした。

    「ぎんざんカート」で教えてもらった人気の写真撮影のスポットでした。

  • 「重要文化財熊谷家住宅」は石見銀山で最大級の商家で、経営者の繁栄を象徴する「建造物」と、して世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つになっています。入館料は600円でした。

    「重要文化財熊谷家住宅」は石見銀山で最大級の商家で、経営者の繁栄を象徴する「建造物」と、して世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つになっています。入館料は600円でした。

    重要文化財熊谷家住宅 名所・史跡

  • 大戸から中に入ると、熊谷家が商売を行っていた店のスペースになっていました。

    大戸から中に入ると、熊谷家が商売を行っていた店のスペースになっていました。

  • 「勘定場」では「掛屋」という銀貨の重さを量り、検査する仕事をしていたようで、

    「勘定場」では「掛屋」という銀貨の重さを量り、検査する仕事をしていたようで、

  • 江戸時代のお金の仕組みを学ぶことができました。

    江戸時代のお金の仕組みを学ぶことができました。

  • 靴を脱いで上がると、格式高い座敷が並んでいました。<br />

    靴を脱いで上がると、格式高い座敷が並んでいました。

  • 熊谷家住宅で最も重要な応接空間「奥の間」、

    熊谷家住宅で最も重要な応接空間「奥の間」、

  • 「北道具蔵」、

    「北道具蔵」、

  • 「小蔵」、

    「小蔵」、

  • 「厠」と

    「厠」と

  • 「湯殿」、

    「湯殿」、

  • 「地下蔵」、

    「地下蔵」、

  • 「仏間」、

    「仏間」、

  • 「茶室」、

    「茶室」、

  • 「蔵前座敷」がありました。

    「蔵前座敷」がありました。

  • 上階には

    上階には

  • 「衣装蔵」もあり、

    「衣装蔵」もあり、

  • 再び下に降りると、

    再び下に降りると、

  • 「銀貨」に関する展示や、

    「銀貨」に関する展示や、

  • 「酒蔵」の展示もありました。

    「酒蔵」の展示もありました。

  • 熊谷家は幕府の「御用商人」として、銀山に必要な物資を集める役割を担っていたため、酒の原料となる米などの調達ルートを握っていて酒造りもやっていたそうです。

    熊谷家は幕府の「御用商人」として、銀山に必要な物資を集める役割を担っていたため、酒の原料となる米などの調達ルートを握っていて酒造りもやっていたそうです。

  • 居室の右手側には、巨大な土間が広がっていて、台所には現役の「三連かまど」が香ばしい煙の匂いが漂わせていました。

    居室の右手側には、巨大な土間が広がっていて、台所には現役の「三連かまど」が香ばしい煙の匂いが漂わせていました。

  • 二階が主屋になっていて、

    二階が主屋になっていて、

  • 使用人たちの寝床や物置として使われていた空間だということで、

    使用人たちの寝床や物置として使われていた空間だということで、

  • ここからは、1階の通り土間を上から見下ろすことができるようになっていました。

    ここからは、1階の通り土間を上から見下ろすことができるようになっていました。

  • 第20代当主、故・熊谷ヒサ子さんの嫁入り道具も展示されていました。

    第20代当主、故・熊谷ヒサ子さんの嫁入り道具も展示されていました。

  • 「宮ノ前地区」をちょっと見て出発しました。

    「宮ノ前地区」をちょっと見て出発しました。

  • 石見銀山から車で10分くらい走ると「道の駅 ごいせ仁摩」がありました。

    石見銀山から車で10分くらい走ると「道の駅 ごいせ仁摩」がありました。

    道の駅 ごいせ仁摩 道の駅

  • 4周年記念祭をやっていて、

    4周年記念祭をやっていて、

  • ちょうど「岩見神楽」の公演を見ることができました。

    ちょうど「岩見神楽」の公演を見ることができました。

  • 「岩見神楽」は石見地方に古くから伝わる伝統芸能で、

    「岩見神楽」は石見地方に古くから伝わる伝統芸能で、

  • その年の豊作や豊漁を祈願し神々に捧げる歌や踊りのことをいうそうです。

    その年の豊作や豊漁を祈願し神々に捧げる歌や踊りのことをいうそうです。

  • スタンプ台のところに「人気商品ランキング」が貼ってあったので、

    スタンプ台のところに「人気商品ランキング」が貼ってあったので、

  • 卵が決めての「ネッカプリン」の

    卵が決めての「ネッカプリン」の

  • 「あさひプリン」195円と、「クラシックプリン」230円、

    「あさひプリン」195円と、「クラシックプリン」230円、

  • 「森井商店」の「焼きのどぐろ」540円を買いました。

    「森井商店」の「焼きのどぐろ」540円を買いました。

  • 大森の町並みから北西へ約7km、日本海に面した小さな入江が「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つ「鞆ケ浦」でした。<br />

    大森の町並みから北西へ約7km、日本海に面した小さな入江が「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つ「鞆ケ浦」でした。

    鞆ケ浦 名所・史跡

  • 両側を切り立った岩山に挟まれた、細長く奥深い「へ」の字型の入江になっているこの地形が日本海の荒波を遮る防波堤の役割を果たし、

    両側を切り立った岩山に挟まれた、細長く奥深い「へ」の字型の入江になっているこの地形が日本海の荒波を遮る防波堤の役割を果たし、

  • 当時の小さな木造船(北前船など)が安全に停泊できる「天然の良港」となったそうです。

    当時の小さな木造船(北前船など)が安全に停泊できる「天然の良港」となったそうです。

  • 16世紀前半、採掘された銀は、険しい「鞆ヶ浦道」を通ってこの港へ運ばれ、博多を経由して中国やヨーロッパなど世界中へと輸出され、 逆に、銀山で暮らす大量の人々の生活を支えるための米や塩、衣服などの物資も、この港から運び込まれたそうです。

    16世紀前半、採掘された銀は、険しい「鞆ヶ浦道」を通ってこの港へ運ばれ、博多を経由して中国やヨーロッパなど世界中へと輸出され、 逆に、銀山で暮らす大量の人々の生活を支えるための米や塩、衣服などの物資も、この港から運び込まれたそうです。

  • 湾口に「鵜の島」がひっそりと浮かび、島の頂上には「厳島神社(鵜島厳島神社)」が鎮座し、この港の守り神として大切にされてきたそうですが、<br /><br />

    湾口に「鵜の島」がひっそりと浮かび、島の頂上には「厳島神社(鵜島厳島神社)」が鎮座し、この港の守り神として大切にされてきたそうですが、

  • 島へと架かっている橋は橋脚の老朽化・腐食が進んでいるため、「通行禁止」になっていました。<br />

    島へと架かっている橋は橋脚の老朽化・腐食が進んでいるため、「通行禁止」になっていました。

  • 鞆ヶ浦から「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つ「温泉津沖泊」までは、車で15分ほどでした、

    鞆ヶ浦から「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つ「温泉津沖泊」までは、車で15分ほどでした、

    温泉津沖泊 名所・史跡

  • 鞆ヶ浦が銀山開発「初期」の港だったのに対し、

    鞆ヶ浦が銀山開発「初期」の港だったのに対し、

  • 沖泊は16世紀後半の銀山最盛期にメインポートとして大活躍した港だということです。

    沖泊は16世紀後半の銀山最盛期にメインポートとして大活躍した港だということです。

  • 港のすぐ手前に恵比須神社がありました。

    港のすぐ手前に恵比須神社がありました。

    恵比寿神社 寺・神社・教会

  • 「崖にへばりつく」独特な境内は沖泊において、当時の姿をそのまま今に残す唯一の歴史的建造物だそうで、

    「崖にへばりつく」独特な境内は沖泊において、当時の姿をそのまま今に残す唯一の歴史的建造物だそうで、

  • 「沖の海から見つけ出されたという自然石」がご神体で、海上安全や漁業、そして港の神様なのだそうです。

    「沖の海から見つけ出されたという自然石」がご神体で、海上安全や漁業、そして港の神様なのだそうです。

  • 「温泉津温泉」は銀山で富を築いた人々や、船乗りたちの湯治場として、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つに登録されています。

    「温泉津温泉」は銀山で富を築いた人々や、船乗りたちの湯治場として、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成施設の一つに登録されています。

  • 温泉街には大正から昭和初期にタイムスリップしたかのような街並みが残っていました。

    温泉街には大正から昭和初期にタイムスリップしたかのような街並みが残っていました。

    温泉津温泉 温泉

  • 「温泉津温泉」には「元湯」、

    「温泉津温泉」には「元湯」、

  • 「薬師湯」といった歴史ある公衆浴場があり、どちらも「完全源泉かけ流し」の濃厚な温泉だということで、

    「薬師湯」といった歴史ある公衆浴場があり、どちらも「完全源泉かけ流し」の濃厚な温泉だということで、

    薬師湯 温泉

  • 今回は「薬師湯」に入ってみました。

    今回は「薬師湯」に入ってみました。

  • 料金は1人600円で、本館の「貸切湯」は40分で1人1000円ということでした。その場で17時の予約をして、貸切で入浴しました。

    料金は1人600円で、本館の「貸切湯」は40分で1人1000円ということでした。その場で17時の予約をして、貸切で入浴しました。

  • 貸し切りなので自由に写真も撮れて良かったです。

    貸し切りなので自由に写真も撮れて良かったです。

  • 温度は44℃とやや高めですが入れない温度ではなく、pH6.3のほぼ中性ですが、かなり塩味の強い食塩泉で、とても濃厚な感じのする泉質のいい温泉でした。

    温度は44℃とやや高めですが入れない温度ではなく、pH6.3のほぼ中性ですが、かなり塩味の強い食塩泉で、とても濃厚な感じのする泉質のいい温泉でした。

  • 温泉津では「寛ぎの宿 輝雲荘」の「古民家 法泉長屋」に宿泊しました。1泊素泊まりで13200円でした。<br />

    温泉津では「寛ぎの宿 輝雲荘」の「古民家 法泉長屋」に宿泊しました。1泊素泊まりで13200円でした。

    寛ぎの宿 輝雲荘 宿・ホテル

  • 和室の部屋には

    和室の部屋には

  • 大きな冷蔵庫や

    大きな冷蔵庫や

  • キッチンまでついていたので長期滞在や、自炊するなら便利そうでした。

    キッチンまでついていたので長期滞在や、自炊するなら便利そうでした。

  • ウォッシュレット付きの独立したトイレや、

    ウォッシュレット付きの独立したトイレや、

  • 洗面台も綺麗でした。Wi-Fiが繋がりにくかったのと、マットレスがなく、敷布団だけで身体が痛かったのを除けば居心地は良かったです。

    洗面台も綺麗でした。Wi-Fiが繋がりにくかったのと、マットレスがなく、敷布団だけで身体が痛かったのを除けば居心地は良かったです。

  • 部屋にお風呂もついていましたが、

    部屋にお風呂もついていましたが、

  • 輝雲荘の温泉に入れるので使いませんでした。輝雲荘の温泉は「薬師湯」よりちょっとうすい感じがしましたが、泉質は良かったです。

    輝雲荘の温泉に入れるので使いませんでした。輝雲荘の温泉は「薬師湯」よりちょっとうすい感じがしましたが、泉質は良かったです。

  • 「港の食堂KAN」で夕食をいただきました。

    「港の食堂KAN」で夕食をいただきました。

    港の食堂KAN グルメ・レストラン

  • 名前から定食屋さんかと思いましたが、夜は席料330円かつワンドリンクオーダー制だということで、これだけで1人1000円は必要でした。

    名前から定食屋さんかと思いましたが、夜は席料330円かつワンドリンクオーダー制だということで、これだけで1人1000円は必要でした。

  • とりあえず「芋焼酎」580円と「自家製ジンジャーハイボール」680円を注文し、

    とりあえず「芋焼酎」580円と「自家製ジンジャーハイボール」680円を注文し、

  • 「KANの漁師めし定食(並)」2200円と「大粒カキフライ定食」1700円の「ごはん大盛」+110円、

    「KANの漁師めし定食(並)」2200円と「大粒カキフライ定食」1700円の「ごはん大盛」+110円、

  • 「のどぐろ(煮)」2000円を注文しました。

    「のどぐろ(煮)」2000円を注文しました。

  • お通しは「イワシの丸干し」でした。肝まで美味しかったです。

    お通しは「イワシの丸干し」でした。肝まで美味しかったです。

  • 「のどぐろ(煮)」はやや小ぶりでしたがトロトロで美味しかったです。

    「のどぐろ(煮)」はやや小ぶりでしたがトロトロで美味しかったです。

  • 「大粒カキフライ定食」は

    「大粒カキフライ定食」は

  • 大粒のカキフライが5粒ものっていてこれも美味しかったです。

    大粒のカキフライが5粒ものっていてこれも美味しかったです。

  • 「KANの漁師めし定食(並)」は溶いた卵に出汁醤油を入れて、その中に薬味と刺身を入れてから、ご飯にのせて食べるというものでしたが、お刺身の量が控えめなので、これなら普通のお刺身定食でいいのではないかなと思いました。いずれにせよ夜だと結構割高になるので、ランチで行くくらいでいいかと思いました。

    「KANの漁師めし定食(並)」は溶いた卵に出汁醤油を入れて、その中に薬味と刺身を入れてから、ご飯にのせて食べるというものでしたが、お刺身の量が控えめなので、これなら普通のお刺身定食でいいのではないかなと思いました。いずれにせよ夜だと結構割高になるので、ランチで行くくらいでいいかと思いました。

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