2025/04/25 - 2025/05/04
316位(同エリア324件中)
RiEさん
旅行3日目(4月27日)、前編。
島根県旅行のメイン目的地である石見銀山に向かうため、今日は太田へ。
2007年世界遺産に登録されたアジア初の鉱山遺跡である“石見銀山“は車両侵入制限を行っているので、石見銀山遺跡とその文化的景観に指定されているエリアへは石見銀山世界遺産センター前の駐車場に車を停めてバスを利用する必要があり、観光客を過剰に受け入れ過ぎない取り組みが行われているお陰で、“大森銀山重要伝統的建造物群保存地区”で暮らす人々の生活圏はいい意味で観光地化され過ぎていない。
石見銀山の龍源寺間歩へと続く大森の町並みは「大森銀山重要伝統的建造物群保存地区」に選定されており、エリア内には銀山経営などで栄えた有力商家で重要文化財指定されている“熊谷家住宅“や、銀山附役人を歴代世襲した“旧河島家住宅”など、繁栄当時の面影を垣間見ることが出来る。
石見銀山龍源寺間歩と、大森銀山重要伝統的建造物群保存地区を散策する前編がスタート。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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GW前週の日曜日とはいえ、石見銀山世界遺産センター前の駐車場が埋まると予定が崩れてしまうため8:45にHOTELを出発し、無料区間山陰道を走行して仁摩・石見銀山JCで降りた。
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大森銀山重要伝統的建造物群保存地区を調べてみるとカフェや蕎麦屋は幾つかあるけど、いい意味で観光地化され過ぎていないため飲食店は少ないし、ランチ難民になる可能性があるので“道の駅 ごいせ仁摩”で持ち歩けるランチを探しに来たところ、端にあるイベントステージで準備中で浜田の【石見神楽 細谷社中】と描かれた幕が掲げてあった。
帰路にも立ち寄ったところ、迫力ある舞台を少し鑑賞できた(後編に続く)。道の駅 ごいせ仁摩 道の駅
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2022年1月にオープンしたばかりなので建物は新しい。
名称にも入っている「ごいせ」とは方言で「いらっしゃいませ」と言う意味を指す。
朝出て夕方に帰りその日の魚が市場に並ぶ希少な漁法:一日漁で水揚げされた新鮮な鮮魚や、地産の野菜・果物をはじめ、銘菓などの土産コーナーも充実していた。 -
大田の特産品の大あなごだったのを思い出し、ランチ難民対策に限定の穴子おにぎりを購入。
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9:40に“石見銀山世界遺産センター”に到着。
建物内を見学しようとしたらセンター前のバス停に専用バスが到着していたので慌てて乗り込む。石見銀山世界遺産センター 美術館・博物館
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9:50に出発したバスはよくある市バス型でSuicaにも対応していた。
運賃は大人1人:240円で、9:58に大森代官所跡前のバス停で下車。 -
“城上神社”は大森の氏神にあたり、鳥居左奥には御神木らしき木が木陰を作る。
城上神社 寺・神社・教会
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石段を上がると右側は芝が一面を埋め尽くしているけど何もなく、サンサンと強い日差しが降り注いでいた。
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現在の社殿は1812年に再建されたもので拝殿は唐・和様の二重向拝で、屋根が重層で入母屋造り様式をしている。
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拝殿は靴を脱げば内覧可能で、格天井には三瓶山麓の絵師:梶谷円隣斎守休氏によって描かれた極彩色の鳴き竜が睨みを利かせていた。
ここに立ち寄る観光客は少ないらしく私たちの独占状態で、真下で手を打って龍を何度か鳴かせてみようとしたけど全然響かず拍子抜け。 -
格天井の格間は再建に関与した銀山や大森町の役人らの家紋が描かれている。
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城山神社を起点に散策をスタート。
大森エリアで観光客に許されているのは徒歩 or レンタル自転車のみだけど、カメラ2台抱えて自転車は乗れないので頑張って歩くことにした。
かつて銀を採掘していた坑道跡:龍源寺間歩に繋がる大森の町並みには、現在も暮らしが根付いていてノスタルジック。 -
しばらく歩いていくと、漆喰塗りの土塀でが途切れた間から立派な邸宅が姿を現した。
重要文化財熊谷家住宅 名所・史跡
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その先には五月人形が道路に向けて飾られていて…
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鉱山業や酒造業とともに、代官所の掛屋・郷宿・御用達など大森町の町年寄を務め石見銀山御領で最も有力な商家だった“重要文化財 熊谷家住宅”の入口暖簾が見える。
1801年に建てられた熊谷家住宅は1998年に重要文化財に指定され、主屋と5棟の土蔵を5年かけて保存修理して幕末から明治初年の姿に復元された。 -
土間に足を踏み入れると、太い松の梁組と大空間に圧倒される。
入館料は大人:600円でキャッシュレスにも対応。 -
簀の子前で靴を脱いで中に入ると、入口正面に見える<勘定場>を外から見学。
箪笥の上には大黒様と恵比須様の像が飾られていた。 -
<玄関>
虎の絵の背後には屏風が立てられており、屏風前には先程道路から見た五月人形が飾られている。 -
床の間には、澄ました表情の猫らしき陶器の置物が鎮座していた。
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<奥の間>
熊谷家住宅で最も重要な応接空間で中庭に面して8畳の奥の間・6畳・6畳の3間続きになっている。
この場所は大名家の役人の接待や寄合など公的な場として使用されていたとのこと。
熊谷家住宅は30部屋もの部屋数を有しており、各部屋にはナンバーが振られているので順番に従って自由に見て回る。 -
<北道具蔵>
奥の間右側畳み式通路に位置し、岩に乗った孔雀が板戸に描かれていて… -
<小蔵>
向かい合う板戸には歩き回る孔雀が描かれていた。 -
ここは小蔵裏側の部屋だけど、一旦奥の間を通る必要があり直接行くことができない。
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障子を開けて縁側に出ると、最初に白壁の間から見えたスペースに出た。
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縁側から続く廊下は壁が墨色に塗られて薄暗く、賓客用厠を通ると畳敷きの小部屋が見える。
ここは脱衣所の役割を果たしていたようで茣蓙が敷かれていた。 -
<賓客用湯殿>
丸い風呂桶に合わせて簀の子がカットしてあり、ジャストフィット。
洗い場前には御簾が掛けられ、外から見えない配慮がされている。 -
厠前の廊下はこんな雰囲気で、日中でも明かりがないと真っ暗。
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順路に従って移動すると複数の狭い部屋や右側に階段が見えた。
でも正面突き当りまで真っすぐ進み、もう1つの階段を左に曲がる。 -
<居間・地下蔵>
本来は畳で隠されているけど部屋中央に柵が設けられて可視化できるようになっており、説明によると約1.6m×3.4m・畳から床面までは約2.5mある。 -
1872年の家系図によるとこの部屋は居間と呼ばれていたそうで、代官所から重要な物品を預かるため設けられたと伝わる。
火災に備えた耐火金庫的な役割と考えられ、出入りは梯子を必要とした。
ガラス越しに覗いてみると思ったよりも大きくて深い。 -
その正面には1段高い場所に右に神棚・左に仏壇が置かれていた。
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<茶室>
茶室を曲がると… -
<蔵前座敷>
2間続きになっているけど、右側の部屋は光が入らず薄暗い。 -
蔵前座敷から左に伸びる畳廊下を進むと、両開きの大きな扉が見えた。
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<衣装蔵>
1階部分は熊谷家の歴史や石見銀山と俳諧についての展示。 -
小さな階段を上がって2階へ。
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2階についてすぐ写真右端にいる猫のぬいぐるみが遠目だと妙にリアルで「猫がいる!」と驚いたけど、後からきた夫も同じく驚いていた。
ガラス棚内には帯や布団セットが展示してある。 -
壁際のトルソーに並べられた着物はとても小さく、私が横に並んでも肩位置がずいぶん低いから着用していた人は135-140cmくらいのイメージ。
着物の持ち主は1991年までこの屋敷に住んでいた第16代目当主の妻:ヒサ子氏だそう。 -
蔵前座敷を通り過ぎて突き当りまで進むと廊下があり、奥にまた部屋が見えたので行ってみる。
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<東道具蔵>
雪降る地域だから、各蔵は宅内からアクセスできるようになっている。 -
中は江戸時代の早い段階から行われていた熊谷家の酒造業に関する展示。
もともとこの地で行われていた酒造業は1965年に企業合同して大田町で営業することになり、その4年後に廃業したため熊谷酒造で使用されていた道具類はほとんど残されておらず、同時期に近くで営業していた酒造業から譲り受けた道具が展示されていた。 -
2階に向かうと、幕府や藩の要人・同業者など来客が多い熊谷家ならではの飲食道具が並べられていた。
それに加えて冠婚葬祭も自宅で執り行ったので膨大な量が用意されており、最低でも20人前、物によっては50-100人前の飲食具が揃えられており、その一部を鑑賞できる。 -
ガラス戸に面した廊下を進むと…
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<台所>
入ってすぐの棚には四角い盆が積み重ねられている。 -
この台所は修繕の際に幕末-明治初年の姿に復原され主屋から土間続きになっている。
天井の太い梁組や大小10基のかまど、蒸籠・ザル・まな板など日常的に使われてきた道具が展示されていて、忙しなく食事準備をする使用人たちの姿が頭に浮かんだ。 -
台所奥にある小部屋を覗いてみる。
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<女中部屋>
3-4枚畳が並べられた狭い空間に畳んだ布団が置かれ、壁に貼られたブロマイドが哀愁を漂わせていた。 -
少し戻って2階に続く階段を上がる。
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ガラス窓際は1段高くなった板張りになっていて腰掛けることができ、私は立ったままで平気だけど身長160cm越えると頭打ちそうな高さしかなかった。
窓の外に視線を移すと、敷地内の蔵や似たような赤茶けた瓦の家が並んでいた。 -
引いた位置から見るとこんな感じ。
修繕時に幕末-明治初年の姿に復原された10畳・9畳・8畳・8畳・6畳・6畳からな る広い座敷になっていて、郷宿(江戸時代に村の世話役や農民が公用で城下町または陣屋などへ行った際の定宿)に使われたと考えられている。 -
奥は板の間なのに畳1畳分がくり抜かれ、もう1つの階段が造られていた。
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板の間の奥の部屋は1991年までこの屋敷に住んでいた第16代目当主の妻:ヒサ子氏の嫁入り道具が展示されていて、入口から覗けるようになっていた。
この家で暮らした最後の住人だったこともあり、大正末期の嫁入り道具がたくさん残されていて貴重な資料を今に伝える。 -
外からの光が入らない部屋は4月末でも底冷えしてた熊谷家住宅から出ると、日向は汗ばむような陽気だった。
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扉が閉まっていたのでガラス越しに覗いたここは、大正末期から昭和初期の面影を残す理容館アラタ。
保存・維持が行われた店内には、当時荒田さんが使用していた椅子・理容道具・什器が展示され、開館していれば中も見学できたそうで残念。 -
観世音寺は岩盤の上に建立されており、石段を上がった入口に置かれた一畑薬師は鉱山で目を傷めた人の祈願所だったそう。
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GW前週の日曜なので混雑覚悟していたけど、思ったより人が少ない。
龍源寺間歩からの帰路に乗車したカートドライバーによると、今年のGWは観光客が分散しているらしく、予想よりも少ないから珍しいくらい空いているそう。大森の町並み 名所・史跡
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明治時代の洋風建築の面影を残すかつての裁判所“旧大森区裁判所(町並み交流センター)“。
町並み交流センター 美術館・博物館
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昔の小学校のような雰囲気があり入館は無料、スリッパに履き替えてから中に入る。
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ここは1890年に開所して1945年初めまで使われていた裁判所で、現在は町並み交流センターとして活用され、銀山や大森の町の歴史を紹介したり、町並み保存の資料が展示されていた。
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ガラス窓越しに昔の法廷の様子を復元したジオラマ展示も見られ、1段下がった場所から眉間にしわを寄せる弁護士の表情がリアルだった。
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代々銀山奉行附きの役人を務めた旧家で、地役人の総括役である組頭まで昇進した“代官所地役人 旧河島家”。
代官所地役人旧河島家 名所・史跡
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旧熊谷家住宅のチケットを見せると相互優待で100円引きになり、入館料は大人200円でキャッシュレス対応だった。
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<式台>
上級武士の暮らしを伝える唯一公開している武家屋敷にあたり、配置や間取りにその特徴をよく残している。
町並みの大半を焼失した1800年の大火後に再建されて、1825年までの間に増築されたそう。 -
一直線に伸びる土間の右側は、式台がある玄関・中ノ間座敷・奥ノ間座敷が3間続きになっていて見渡せた。
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玄関隣は次ノ間があり、腰かけられるちょっと高めの板張りがあった。
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土間の突き当りは台所。
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振り返ると、次ノ間向かいの土間に梯子が伸びていて実際に上がることができた。
踏板幅20cmもない階段を昇っていくと… -
<土間上二階>
家財道具が集められた倉庫のような部屋があった。
箪笥など運び入れるのが大変そうな家具もあるけど、きちんと整頓されていたのでスッキリして見える。 -
土間上二階から土間を見下ろしたところ。
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<次ノ間>
板張りになっていてここから宅内に上がれるようになっており、壁際にはガラス張りの食器棚がある。 -
<中ノ間>
膳が並べられていたので食事風景が想像できた。 -
<納戸>
次ノ間奥は今まで見た中で1番広さがあり、鏡台など女性の身支度品が並べられてて生活空間だったことが分かる。
納戸と中ノ間の間座敷には歩幅一歩分の板の間が設けられ、行き来できるようになっていた。 -
<奥ノ間座敷>
接客用の座敷は庭に面しているので明るい。 -
道路から見ると平屋に見えるけど実は2階があり、納戸に戻って隠し階段から上がれるようになっていた。
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<納戸上つし二階>
障子を締め切った部屋に甲冑や武具が展示されていて、旧熊谷家住宅に比べるとどの部屋もコンパクトだった。
この後は大森の町歩き後編で、3つの石窟に500体の羅漢像を収めた“五百羅漢 羅漢寺“を訪ねてから、緩やかな坂道を2.3km歩いた場所にある“龍源寺間歩“に向かう。
続きは04へ。
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