2025/10/04 - 2025/10/04
84位(同エリア2027件中)
+mo2さん
東京富士美術館のコレクション展「ヨーロッパ絵画 美の400年」が10月4日から始まったので、開幕日に行ってきました。こちらは、常設展「西洋絵画 ルネサンスから20世紀まで」です。
※作品の解説はHPを参照しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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常設展の方はほとんど人がいなく空いていました。
東京富士美術館 美術館・博物館
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まずは、「タヴォラ・ドーリア」の特別展示です。レオナルド・ダ・ヴィンチの未完の大壁画計画《アンギアーリの戦い》は、今も多くの謎と痕跡を残しています。同壁画はイタリア・ルネサンス美術の歴史の中でも、最も野心的な装飾計画のひとつとされています。シニョリーア宮殿(現パラッツォ・ヴェッキオ)を舞台にレオナルドとミケランジェロが戦闘画において競演したエピソードは大変有名ですが、レオナルドの壁画と同じ広間に描かれるはずだった《カッシナの戦い》についてもミケランジェロの原寸大下絵に基づく模写によって知ることができるのみで、その計画の全貌はいまだ明らかにされていません。レオナルドはこの壁画を完成させることができませんでしたが、部分的に描かれた壁画はその後、半世紀以上のあいだ人々の見るところとなりました。しかしその壁画は、最終的に1560年代にジョルジョ・ヴァザーリの新たな壁画装飾によって覆われてしまいました。それでもレオナルドの作品は、激烈な戦闘場面を描く絵画表現の新しい基準を確立し、その後に続く世代の芸術家たちに大きな影響を与えることとなったそうです。
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作者不詳(レオナルド・ダ・ヴィンチに基づく)
「タヴォラ・ドーリア」(《アンギアーリの戦い》の軍旗争奪場面)
16世紀前半
レオナルドが描いた壁画「アンギアーリの戦い」を知る最良の手掛がかりとされる16世紀の油彩画《タヴォラ・ドーリア》の複製 -
「タヴォラ・ドーリア」の立体復元彫刻
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ジョヴァンニ・ベッリーニ「行政長官の肖像」1507年頃
「聖母の画家」と呼ばれたヴェネツィア派の巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニは、「聖母子」を主題として、大画面の祭壇画から家庭における礼拝用の小品にいたるまで宗教画を数多く描きました。その一方で本作のような肖像画も少なからず描いています。これらの肖像画は、特定のモデルがいる人物画でありながら、同時にヴェネツィアの当時の雰囲気を反映し、彼が所属する社会や時代背景をもよく伝えています。その点で肖像画のもつ本質的な意義と特質を備えているといえます。 本作は、黒い帽子と濃紺のダマスク織りの上衣を身につけ、官職にあることを示す赤い綬を佩びて正装する行政長官の肖像画で、斜め右側から捉えた「四分の三正面」の胸像として描かれています。ベッリーニは、おそらく1480年代にはハンス・メムリンクなどの作品を知り、空あるいは無地を背景に胸の高さで切り取った胸像形式を自らのものとし、古典的な静謐さをもつ美しい小品を生み出しました。1501年頃に描かれた《統領レオナルド・ロレダーノ》(ロンドン、ナショナルギャラリー)をはじめとする男性の肖像画などはその典型です。この絵はそれからなお数年を経た時期の作品で、ベッリーニの祭壇画芸術の到達点ともいうべき《サン・ザッカリーア祭壇画》を完成させた直後にあたります。 この頃デューラーがある手紙の中で「きわめて高齢だが、・・・ヴェネツィアで唯一最高の画家はベッリーニだ」と綴っているように、75歳を超えてなお若々しい巨匠の健筆ぶりを伝える佳品といえます。 -
ルーカス・クラナーハ (父) 「ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ豪胆公の肖像」1533年
クラーナハはアルトドルファーらと並ぶドナウ派の巨匠で、1505年にザクセン選帝侯フリードリヒ賢侯に招かれてヴィッテンベルクの宮廷画家となり、肖像画や祭壇画を制作しています。3代にわたるザクセン選帝侯に仕え絵を描きましたが、ここに描かれたのはクラーナハが最後まで忠誠を誓った3代目のヨハン・フリードリヒ豪胆公(在位1532?47年)の若き日の気力に満ちた肖像です。作者の高い写実の技術、深い心理描写など、鋭い眼によって、モデルの男性的で特異な風貌や豪放な性格がよく映し出されています。この右向きの半身像は、もと二連式絵画(ディプティク)の左側の一部分であったと思われます。 -
アルブレヒト・アルトドルファー「山岳風景」1530年
「山岳風景」と呼ばれる本作が実在の風景かどうかは確定されていませんが、おそらくアルプスの風景をもとに構想されたものと思われます。遠景の山脈や青白くかすんだ靄の中には、城郭都市らしき建造物が描き込まれています。また、目を凝らしてみると、近景の木々の間にも城郭や家々、教会などが点在しているのが分かります。本作では連なる山脈と谷間を描いた壮大な風景のなかに、人々の営みを感じさせる建物がじつに細かい筆遣いよって描き込まれており、鑑賞者を絵画世界に引き込む効果を与えています。 -
ヤン・ブリューゲル(父)「市場に赴く農民のいる風景」1598年
作者は16世紀フランドルの大画家であるピーテル・ブリューゲル(父)の次男で、4歳年上の兄ピーテル・ブリューゲル(子)とともに、偉大な父の絵画世界を引き継ぎ、次世代に展開しました。父の芸術上の遺産を継いだとはいえ、父はヤンが2歳の時に逝去しているので、父から直接に技術を学ぶということはありませんでした。兄が得意とした「記述的」ともいえる形式的な父の模倣に対し、ヤンは個性的で豊かな作品を描き、そのきめの細かい滑らかな画面から「ビロードのブリューゲル」とも呼ばれます。ルーベンスと親交があり、二人の共同制作も残されています。 ブリュッセルに生まれたヤンは、生涯をアントウェルペンで過ごしましたが、1590年代の前半はイタリアに滞在し、ローマでフェデリゴ・ボッロメーオ枢機卿の庇護を受けました。1595年には枢機卿とともにミラノに移りましたが、翌1596年になってようやくアントウェルペンに戻り、この地で画家として大成功を収めることとなります。 本作はこのアントウェルペン時代初期にあたる1590年代後半の様式を垣間見せる小品のひとつ。イヴォンヌ・ティエリによれば、この同じバージョンが他に3点存在するといいいます(1600年制作のハノーヴァー美術館蔵の作品、1601年制作の個人蔵の作品、1603年制作のウィーン美術史美術館蔵の作品)。本作はこれらの中ではいちばん最初の作品であるということになります。 収穫物を市場へ運ぶ途中、峠の大きな樹木の下で休息する農民の一群。このように小さく、はっきりとした人物を近景左手に配し、遠景右手の眼下に広がる町並みをぼんやりとして青味がかった色調の空気遠近法で俯瞰的に描いた構図は、作者の最も成功した風景画のスタイルでした。 -
ピーテル・ブリューゲル(子)「雪中の狩人」17世紀
いうまでもなくこの絵は、16世紀フランドルの大画家である作者の父の有名な作品(ウィーン美術史美術館蔵)の模作です。作者は同時代の愛好家の求めに応じて、父の作品のコピーや、ヴァリエーションの制作を行い、希少な父の絵画様式を広めることに貢献しました。一方、オリジナル作品では、子鬼やグロテスクな人物などが登場する風俗画を描いたために「地獄のブリューゲル」と呼ばれています。 本作を具体的に父の作品と比較してゆくと、異なっている点がかなり多いことがわかります。このことは父の作品が117×162cmという大型の画面に対し、この絵が小型の画面に描かれており、画面上の制約があったことも理由の一つでしょう。父の作品には「季節画」連作の1点として〈冬〉を表わすモチーフが丁寧に描き込まれていたものが、この絵では簡略化され、それらはほとんど形式的な描写に留まっています。 父の絵では、近景に狩人が3人、犬が14匹、看板のある居酒屋の前で豚の毛焼き(12月の風物詩で屠殺直後の加工処理。焚き火ではない)をする人物が5人、まっすぐ伸びた潅木が狩人の進行方向に4本、中景にスケート、コルヴェン(一種のゴルフ)、カーリング、独楽回し、三脚椅子を使ったそり滑りなど、冬の遊戯に興じる子どもたち、遠景に南斜面の雪が溶け、岩肌を見せる尖った山々が刻明に描写されていますが、この絵では、狩人が5人、犬が11匹、看板のない居酒屋の前の人物が3人、幹の曲がった大きな潅木が狩人の左右に2本、氷上で遊ぶ子どもたちの動作はやっと判別できる程度で、遠くの山々に至っては白と淡い水色のタッチだけの省略形となっています。 また色彩の点でも父の絵が東洋の水墨画のように限られた色でモノトーンの色感を見せているのに対し、この絵では狩人の服の赤や中・遠景の水色が目立ち、全体に色彩感を増しています。 この景色が特定の場所を描いたものかどうかについては、ジュネーヴ湖の東端からの眺望とする説や、インスブルック近郊の村の景観とする説が過去に提唱されましたが、むしろブリューゲル絵画の特徴である〈合成された世界風景〉と捉えるのが妥当でしょう。いずれにせよ、当時の冬の典型的な風俗をパノラミックな視覚世界に仕立てて描いたこの作品には、四季折々の生活への愛着、子どもの遊戯に関する愛情、大自然に対する畏敬の念など、ブリューゲルの豊かな感性の数々を垣間見ることができます。 -
イチオシ
ピーテル・ブリューゲル(子)「農民の結婚式」1630年
本作はいうまでもなく、作者の父親による同題の有名な作品(ウィーン美術史美術館蔵)の模作です。ピーテル(子)が描いたこの作品の模写は5点存在するといいます。そのうち3点は原作に忠実な室内の情景で、本図を含む2点が戸外の情景に変更されています。画面の面積も半分以下に縮小されています。 彼が複数の模作を自由に描くことができたのは、父の作品の数が少ない上に、後世になっても人気の高かった父の作品の需要に応える意味もあったと考えられています。 さて本図では、原作と同じように、画面右手の前景に、戸板で作ったと思われる配膳盤に、オランダ語でヴライと呼ばれるフランドル地方特有のプディングの皿を載せて運ぶ二人の男が描かれています。緑色の幕の下で、髪を長くのばし、冠を被り、黒の礼服に身を包んで坐る若い女性が花嫁です。その他の女性たちは白い頭巾のようなもので髪を覆い隠しています。花嫁の両側の婦人は母親と姑で、花嫁の左隣りに坐る3人の男は、花嫁側から順番に、父親かあるいは公証人、フランシスコ派の修道士、村の領主か村長または判事、と推定されます。反対側には二人のバグパイプ奏者が立っていて、赤い服の男のほうはご馳走に見とれて吹くことを忘れています。さて、花婿はどこにいるのでしょうか。当時の慣習では、花婿は客人をもてなす役割があったといわれ、そうだとすると、画面右手でヴライを手に取りテーブルに配っている茶色の服の男性か、画面左手隅でジョッキにビールを注いでいる黒い服の男性ということになります。更にここには描かれてはおらず、もうすぐ姿を現すところだという説もあります。 ジョッキにビールを注ぐ若者の姿は、キリスト教美術の主題である「カナの婚宴」を想起させます。婚宴の途中の酒注ぎという要素からはたしかに「カナの婚宴」の葡萄酒の寓意が隠されていますが、この絵の中に描かれる飲み物はやはりビールなのでしょう。 また一説では、ビールを注ぐ男とその傍らでヴライの皿を舐める子どもは親子で、「この親にしてこの子あり」またはオランダの諺「瓶は最初に入れた物のにおいがつく」(子どものとき身についたものは変わらない)という意味の寓意との解釈もあります。 背景の色づいた木の葉は季節が秋になったことを示しています。フランドルの農民にとって、収穫の後の季節は婚礼の季節でした。 -
テオドール・ファン・テュルデン「ヘラクレスとオンファレ」17世紀
この絵の主題は、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスのエピソードによります。友人を殺した罪を償うため、リディアの女王オンファレに奴隷として売られたヘラクレスは、後に女王の恋人となります。そして、女王の寵愛により、自らを苦しめた狂気を克服したヘラクレスが穏やかな日々を過ごしたというギリシア神話に取材したもの。この二人を主題としたものには、お互いが持ち物を交換している場面とオンファレに恋をしたパンがヘラクレスに蹴り出される寝室の二つのパターンがありますがこの作品は前者の場面です。 画面では女官たちが見守る中、中央に座るヘラクレスを傍らのオンファレが愛撫しています。女王オンファレはヘラクレスのライオン狩りを象徴するライオンの毛皮と棍棒を持ち、一方のヘラクレスは女性の役割を象徴する糸巻棒を持ち糸を紡いでいます。本来の持物を入れ替えることにより、女性による男性の支配を表したこのような図像は、この時代に好んで描かれた主題の一つ。 作者のテュルデンは、オランダに生まれ、フランドルを代表する画家の一人。版画やタピスリーの下絵なども手がけており、ルーベンスの弟子・協力者として活躍しています。 -
フランス・フランケン(子)「饗宴」17世紀
16世紀から17世紀にかけて活躍したフランドルの画家一族として知られるフランケン一族の中で、最も有名かつ重要な画家がフランス・フランケン(子)です。人物が多数登場する鮮やかな色調の小画面の作品を描き、その代表作はヨーロッパ各地の美術館に収蔵されています。絵が所狭しと並べられた陳列室を描く「画廊画」の創始者の一人で、このジャンルの第一人者ヤン・ブリューゲルにも影響を与えました。祭壇画も描きましたが、精緻で優美な画風の小品の分野で本領を発揮し、歴史画、神話画、寓意画を得意としました。また、17世紀フランドルで独自に流行した貴重品キャビネットの装飾のための小絵画にも豊かな才能を見せました。
本作では、屋外で酒宴に興じる古代風の人物が描かれていますが、この構図に大変よく似た同画家の作品が他にあります。フランスのレンヌ美術館にある《シモン家の饗宴》(1637年)がそれで、背景の舞台装置は異なるものの、テーブルを囲む人物の構成に共通するところが多い。崖を穿った洞穴の向こうに、緑なす風景がかすかに見えます。このような遠近を示す空間設定で、手前の宴席では、身ぶりの異なるさまざまな人物が、赤、青、黄を中心に限られた色彩を効果的に使いながら、巧みに描きわけられています。小品でありながら、全体を大きな物語画のように見せる作者の典型的な作例といえます。 -
イチオシ
ペーテル・パウル・ルーベンス「コンスタンティヌスの結婚」1622年
ルーベンスはフランス国王ルイ13世の母の生涯をテーマとした油彩画の契約のため1622年初頭にパリに赴きます。しかしパリから戻るとすぐに新しい仕事である《コンスタンティヌス大帝の生涯》をテーマとした大きなタペストリー連作にも取りかかりました。 本作品は、そのシリーズの最初の下絵です。ルーベンスは装飾的な大作に取り組む際には当初のスケッチと仕上げのみを手掛け、ほとんどを助手に任せました。その意味でも本作のような油彩画による下絵はルーベンス芸術の重要な側面を担っているといえます。 ここには2組の結婚式の模様が描かれています。1組はローマ皇帝コンスタンティヌス1世[大帝]とファウスタ、もう1組はコンスタンティヌスの妹コンスタンティアとローマ皇帝リキニウスです。しかし、実際には、これらの結婚式はそれぞれ307年と313年に行われました。 ルーベンスがこれらの別々の結婚式を同一の場面に描いたのは、1614年の重要な2組の結婚式の意義を古代の英雄の事績と重ね合わせて象徴させるためでした。それはフランス国王ルイ13世とオーストリア王女アンヌ・ドートリッシュの結婚式と、スペイン国王フェリペ4世とフランス王女エリザベトの結婚式です。このように古代の人物と当代(ここでは17世紀)の人物とを取り合わせたりすることは、絵画の表現手法としてよく行われました。 画面には、男女の彫刻を背景に小祭壇が置かれ、古代風の装飾が強調されます。画面の中央では2人の子どもがこの神聖な場面に活気を与えています。1人はアウロス(古代ギリシアのオーボエ系のダブルリード楽器)を吹き、1人はたいまつを手に持っています。この子どもたちは、結婚する2組の人物を結ぶ役割を果たしています。左隅には、生贄の牛が見える。 本作のように下絵として描かれた油彩画においては、画家の構想・アイデアが実に巧みに素早い筆さばきで画面に描き留められており、ルーベンスの偉大な素描画家としての才能をつぶさに見ることができます。躍動的で伸びやかな筆致、手早いながらも表情や衣服に光の流れを与えるほんのりとした色調、重ね合わせられた複雑な要素をまとめあげる構成の巧みさ。フランドル最大の巨匠の熟練した技術は、生き生きとした躍動感、感情をも画面に描き出しています。 -
カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)「ローマ、ナヴォーナ広場」1750-51年頃
本作は、当時ローマの有名な観光地として知られていた2つの広場を対で描いた2作のうちの1点です。(もう一方の絵は「クィリナーレ宮殿の広場」を描いた作品で、同じく東京富士美術館の所蔵)ナヴォーナ広場は、古代ローマ時代に競技場を造ったのが始まりで、8世紀頃には広場となったようです。噴水を配した壮大な空間はバロック時代の「都市を一種の劇場と見なす」思考が窺えますが、広場では折しも街頭演劇の最中で、まさしく広場の「劇場性」を象徴するかのような多重の意味をもつ描写となっています。 -
カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)「ローマ、クィリナーレ宮殿の広場」1750-51年頃
本作は、カナレットが活躍した18世紀に有名なローマの観光地として知られていたクィリナーレ宮殿の広場とナヴォーナ広場という2つの広場を対で描いた作品の内の1点。本作の画面中央に描かれたクィリナーレ宮殿の正面には、馬車や人々の散策する広場を挟んで、双子座の由来ともなるギリシア神話の双子の神カストルとポリュデウケスの2つの巨像が壮大な宮殿に向いてそびえ立ちます。この宮殿は現在大統領官邸として使用されています。 -
ヨースト=コルネリス・ドローホスロート「オランダの村の風景」17世紀
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コルネリス・デ・ヘーム「果物のある静物」1665-70年
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シャルル・コルネリス・ド・ホーホ「廃墟の風景と人物」17世紀
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ピーテル・バウツとアドリアーン・フランスゾーン・ボウデヴェインス「イタリア風の風景」制作年不詳
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アレクサンデル・ケイリンクス「メルクリウスとアルゴスのいる風景」17世紀
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エリアス・ニコラス・ピケノイ「婦人の肖像」17世紀
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ヤコプ・デ・ウィト「夏」1728年
上部がアーチ状の特殊な形状をしたカンヴァスに描かれた本作は、発注主が飾ろうとした建物の壁面の形を物語っています。《夏》とのタイトルから、本作が四季を描いた連作のうちの1点ということが容易に想像されますが、他の作品の存在は明らかでありません。描かれた人物のうち三人の女性は、そのうちの一人が大きな花籠を持っていることから三美神(タレイア、エウプロシュネ、アグライアとされ、それぞれ「花」「喜び」「優美」を表している)であると想像されます。また右側の男性は先端に松かさがつけられた特殊な杖テュルソスを手にしていることから、バッカスの従者のサテュロスとみられます。三美神、サテュロスともに自然の豊穣な実りの化身です。また、三美神のうちの右側の女神の足元に置かれた小麦の穂束、中央の女神が手にする籠からあふれ出るように描かれた林檎や葡萄、西瓜などの果物や野菜が、収穫期である夏の季節を象徴しています。ウィトはこのような寓意的な主題の神話画を数多く手がけた画家であり、本作はその典型例ともいえます。眉間をやや広めにとった顔立ちも彼の女性描写の特徴を端的に示しています。中央の女神の足元に「D.WIT.J 1728」との署名と年記も見られます。 -
フランソワ・クルーエの工房「若い騎士の肖像」1560年
耳飾りを付け、赤い羽根飾りの付いたベレット帽をかぶっている男性の肖像です。全体の色感としては、落ち着いた緑と赤の補色関係をよそに、格調高い黒が優位を占めています。形ばかりに生やした髭や少年っぽい口許は、顔の骨格の繊細さと相まって、宮廷的な気品とともに、ひ弱そうな印象をも与えています。クルーエは、フランス・ルネサンスの香気あふれる感性と卓抜な描写力で、憂愁に満ちた若い騎士の内面を見事に表現しています。 -
フランソワ・クルーエの工房「フランス国王アンリ2世」1553-59年頃
アンリ2世(1519?59)は、父フランソワ1世のあとを受けて1547年に王位につきました。父の政策を引き継ぎ、イタリアの支配権をめぐって、ハプスブルク家を相手にイタリア戦争を続けましたが、1559年和約を結びました。芸術の面では、外国人芸術家の主導によるフォンテーヌブロー派を育成した前王のあと、イタリア・ルネサンスを指向するフランス独自の典雅な様式を育んでいます。これはアンリ2世様式と呼ばれ、絵画ではクルーエ父子が大きな役割を担いました。 フランソワ・クルーエは、父であるジャン・クルーエのもとで修行し、父の死後、その跡を継いで1541年に宮廷画家となっています。本作のように、精緻で端麗な描写の肖像画を残しました。 -
イアサント・リゴー「ジャン=オクターヴ・ド・ヴィラール侯爵」1715年頃
モデルの男性は、大きな袖の折り返しが特徴的な「ジュストコール」といわれる上着をまとい、白の髪粉を振り、整えられた髪を背中に垂らしています。この男性は、軍人であり外交官であった兄のクロード=ルイ=エクトール・ド・ヴィラールとともに、リゴーに肖像画を描かせています。リゴーは、モデルの外見のみならず、高貴な身のこなしや表情に富んだ仕草によって、その人物の内面に迫ることを試みましたが、本作の男性の気品に満ちた誇らしげな表情からもその絵画的特徴を窺うことができます。 -
ジャック・アヴェとその工房「クロザ夫人の肖像」18世紀
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エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「ユスーポフ公爵夫人」1797年
モデルのタチアナ・ヴァシリエーナ・エンゲルハルト(1769?1841)は、軍人で政治家のG.A.ポチョムキン(1739?91)の姪です。彼女はロシアの女帝エカチェリーナ2世(在位1762?96)の籠愛を受けていたといわれます。1791年に前夫が死亡したため、その2年後にロシアの大地主で元トリノ大使のニコラス・ボリショヴィッチ・ユスーポフ公爵と再婚しました。資産家であるこの二人が結ばれたことで、ユスーポフ公爵夫人はロシアで最も裕福な女性の一人となりました。芸術に対する鋭敏な感性に恵まれた彼女は、長年にわたって文学サロンを主宰し、そこには詩人のデルジャーヴィンやプーシキンなども通っていたといいます。 作者のヴィジェ=ルブランは18世紀のフランスで最も名をなした美貌の女流画家で、ヴェルサイユの宮廷で王妃マリー・アントワネット付きの宮廷画家として活躍しました。1789年に勃発したフランス革命の後は、その余波を逃れて、ロシアをはじめ欧州の各地を遍歴し、その地で絵を描き続けました。ロシアに滞在していた1795年から1801年の間には、ロシアにおける最も大切なパトロンの一族であったユスーポフ家から多数の肖像画の注文を受けました。 公爵夫人の肖像画は、本作以外にも、1790年にナポリで(ジャックマール・アンドレ美術館蔵)、1796年にサンクト・ペテルブルクで(ルーヴル美術館蔵)と2回描いていますが、本作は彼女のロシア滞在中の作品群のうちでも傑作といわれているものの一つです。この絵は、同世代の新古典主義の画家ジャック・ルイ・ダヴィッドの厳粛で質朴な女性像よりは、ダヴィッドの師で一世代前のロココ的な画家ジョゼフ=マリー・ヴィアン(1716?1809)の作品に共通点があるように思われます。 この絵では、美しい貴婦人がバラ園の中で、大理石の台座によりかかるようにして腰を下ろし、手に持った花の冠にリボンを編み込んでいます。幾つかのピンクのバラが結び付けられた透明なカーチフが、彼女のブロンドの巻き毛に編み込まれています。薄い紗のような下衣に、胸まであるシースを身につけています。古典的な模様が縁どられているマントの暖かみのある赤とドレスの白がほどよい対照となっています。輪郭線の柔らかさ、絵画的な効果、明るく刺激的な色調、牧歌的な背景などは、この繊細で魅力あふれる肖像画が、「古典的」というよりは「ロココ調」であることを物語っています。 -
ニコラ・ミニャール「リナルドとアルミーダ」1650年代半ば
リナルドとアルミーダは、16世紀末頃にイタリアの詩人タッソーによって書かれた叙事詩『解放されたエルサレム』に登場する恋人たちです。物語の舞台は、第1回十字軍がエルサレム奪回をめざして進む11世紀末。十字軍の勇士リナルドの活躍に、十字軍を壊滅するよう命を受けた美しい魔女アルミーダが挑戦します。ところが彼女の憎しみは間もなく愛に変わり、二人は運命的な恋に落ちてしまいます。 この物語は17世紀から18世紀にかけてイタリアやフランスの画家に好まれた主題で、ミニャールと同時代のヴァン・ダイクやプッサン等も描いています。この絵では幸福の島に憩う恋人たちがクピドとともに大きく描かれており、リナルドはアルミーダの瞳の中に、アルミーダはリナルドが差し出した鏡の中に、それぞれ愛に燃える自分自身を見い出す場面です。背後ではアルミーダの愛の魔法にかかった戦友を救出しようとやってきた騎士二人が草むらから顔を覗かせています。このあと物語は、自らの使命を果たすべく愛を捨て、恋人のもとを去ろうとするリナルドに、アルミーダが呪いをかける場面へと展開します。 作者のニコラ・ミニャールは、画家ピエール・ミニャールの兄で、「アヴィニヨンのミニャール」とも呼ばれました。国王ルイ14世の宮廷画家となり、貴族社会の中で高い評価を受けて、貴族たちを最良の顧客としました。 -
イアサント・リゴー「婦人の肖像」17世紀後半
ふくよかな初老の貴婦人。華やかさはないが、充実した内面の輝きが滲み出ています。ドレスのオレンジ色と外套の深い青が落ちついた補色のコントラストを生み出し、画面が地味な雰囲気に支配されないよう計算された色使いも見られます。レンブラントやヴァン・ダイクの影響を受けた作者の、内面描写に優れた写実的な表現力と画中に堂々と人物を位置づける構成力が本作には示されています。ルイ王朝の宮廷画家をつとめたリゴーの優品。 -
ニコラ・ド・ラルジリエール「若い婦人の肖像」17世紀末-18世紀前半
同世代の宮廷画家イアサント・リゴーが王侯貴族の肖像画を手がけたのに対し、ラルジリエールは役人や富裕な市民階級の人々からの注文を受けて仕事をしました。本作で描かれた女性もそうした富裕層の一人であったと考えられます。褐色の色調で簡略化された背景に、ショールの赤や唇と頬の紅の色彩が華やかさを添えています。本作のような軽妙な女性肖像画のもつ優美で女性らしい雰囲気は、ロココ絵画の到来を予告しています。彼女のドレスは、17世紀末頃に流行していたローブと見られ、同じく当時流行していました、額に巻き毛を遊ばせる特徴的な髪型をしています。 -
フランソワ・ブーシェ「田園の気晴らし」1743年
18世紀のフランスでは、太陽王と呼ばれたルイ14世の厳格で権威主義的な治世が終わり、ルイ15世の自由で開放的な時代の雰囲気へと移り変わっていきます。それは美術の分野においても、「ロココ」という豊かな装飾性と優美で典雅な感覚の美術様式を生み出しました。ブーシェはそのロココの精神を最も体現した画家といわれ、本作のような、牧歌的な風景のなかに男女を描いた「牧歌的田園画」は彼の得意分野でした。 こちらに背を向けて座っている男の右手には紐が握られているが、それは画面右奥に仕掛けられた小鳥を捕まえる網につながっています。しかしながら男は傍らの女に気を取られているようで、網の近くでは胸の赤いヒワやコマドリなどの小鳥が自由に戯れています。これらの鳥はヨーロッパでは伝統的にキリスト教に関連して描かれる鳥であり、ルネサンス期のラファエロが描いた《ヒワの聖母》などが有名ですが、その際の聖母は、慈愛を象徴する赤色と、真実を象徴する青色の衣を着用して表されます。本作は宗教画ではないが、ヒワなどの小鳥や赤と青の衣装など、キリスト教の伝統的なイメージをさりげなく取り入れることによって、鑑賞者が親近感を持つように仕向けられているのかもしれません。 本作は、羊飼いの青年と若い女の、田園での甘い語らいを描いた、ブーシェの《田園の奏楽》(東京富士美術館所蔵)と対をなす作品として描かれたものです。 -
ジャン=バティスト・パテル「占い師」18世紀前半
パテルは同郷のジャン=アントワーヌ・ヴァトーの弟子で、その様式の模倣者でした。師ヴァトーは、雅宴画の分野で名を馳せました。ここでは森を拓いた庭の一角で柱の前に集い、恋の語らいに興じる男女が描かれています。中央の女性が着ているのは18世紀前半に流行した「ローブ・ヴォラント」と呼ばれるドレスで、背中のひだが特徴的なこのドレスはヴァトーが多く作品に描いたことから「ヴァトー・プリーツ」とも称されます。右手遠景には一群の男女が憩い、塔のある家も見えます。この構図はヴァトーの《合奏》(シャルロッテンブルク宮殿蔵)や《生の魅惑》(ウォレス・コレクション蔵)を想起させますが、人物の配置や背景の描写には舞台とその書き割りのような平板な印象も否めません。 -
クロード・ジョゼフ・ヴェルネ(1714-1789)の追随者「海港の様々な労働、日没」18世紀
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ジャン=バティスト・ピルマン「岩の多い海岸の難破船」18世紀後半
ピルマンは、最初、画家であった祖父の弟子、ダニエル・サラバ(1666?1748)に習い、ヴァトーやブーシェに連なるロココ様式の風俗画を制作。その後、数年間、ゴブラン織り工場でテキスタイルの図案を手がけた後、ポルトガル、スペインの両国でロココ風絵画とシノワズリー装飾の分野で活躍しました。 ポルトガル王の専属画家の地位を断ったピルマンは、続いてロンドンで約10年間、風景画に取り組むと共に、幻想画を多く制作しています。1761年以降、広くヨーロッパ各国で活発に活動しました。 1775年以降、それまでの作品を特徴づけていたシノワズリー趣味が影を潜め、ダイナミックで劇的な自然描写への傾向が強まっていきます。本作品も、激しい雨と荒れ狂う海を舞台に、劇的な身振りの人物を点景として配置することで、圧倒的な自然の力を表現しており、ロココ風の繊細な美から距離をおいた造形感覚を感じさせる作品となっています。 ピルマンの2番目の妻アン・アランを含む多くの版画家が彼の作品の版画化に取り組み、1767年と72年には、それぞれ130点と120点から成る版画集も出版されています。 -
ジャンボローニャの作品による「サビニの女の掠奪」17世紀末-18世紀初
本作は、1579-83年に制作されたジャンボローニャによる大理石像の原作《サビニの女たちの掠奪》に基づく作品。同作はフィレンツェのシニョリーア広場に面する通称「ランツィの回廊」に現在も設置されています。原作では女性を抱きかかえる男性の下にもう一人男性の姿があります。「サビニの女たち」の主題はローマ建国時の神話に由来し、ローマの建国者であるロムルスが女性不足に陥った祖国のため、近隣のサビニに住む女性たちを祭りを装って誘い捕えたことに対して、サビニ人たちが逆襲したという場面を表したもの。狂乱の中で女性を逃すまいとする男性の姿を描きます。螺旋状に渦を巻き、複雑に絡み合う男女の姿態に、ルネサンス後期のマニエリスムの典型を見ることができます。 -
ジャン=バティスト・ルモワーヌ(子)「少女胸像」1746年
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ルイ14世様式「木製蝶人物文様装飾箪笥」18世紀
ルイ14世は芸術的な政策を全て首席画家シャルル・ル・ブランに任せていたましが、中には王に直接、提案・製作を許されていた直属の家具職人がおり、ルーヴル宮殿を住まいとしていたアンドレ・シャルル・ブールはその一人でした。彼の施した「ブール象嵌」は鼈甲に薬品に付けたえんじ色の地を使った後、真鍮などの板を重ね合わせて同型にくり抜き、番の型を組み合わせた装飾を用いたもので、当時流行となりました。本作にもその「ブール象嵌」の技法が使われています。また本作のように引き出しの両側が前に突き出たようなタイプの箪笥は、ルイ13世時代の枢機卿ジュール・マザランの名をとり、「マザリン・タイプ」とも呼ばれます。全体に鮮やかなえんじ色が特徴的で、天板には蝶や植物文様に加え、クピドや曲芸師などの思わせる人物が表されています。また三段に組まれた引き出しの正面部分の中央には、バッカスと思われる人物の顔があしらわれており、左右には蝶や人物の顔と植物を組み合わせたような文様の装飾が見られるが、描かれた人物の顔はそれぞれ違う表情を見せており、職人の細やかな作意が感じられる。これらの製図の原案は宮廷の装飾デザイナーであったジャン・べランによるものと見られ、彼は当時のブールの住まいのすぐ近くに寄宿し、多くの図案をブールのために提供していた。家具の裏側を見ても機械を使用した形跡は見られず、職人が一つ一つ手作りで製作していた18世紀当時を偲ばせます。豪奢さと重厚さを併せ持ったその洗練された佇まいはルイ14世の威光を感じさせます。 -
シャルル・ヴォアザン「青銅製怪獣人物文様掛時計」18世紀
ルイ14世の死後、若きルイ15世をルイ14世の甥にあたるオルレアン公フィリップが摂政(レジャン)として支えた時代の様式を「レジャンス様式」といい、ルイ14世の重苦しい雰囲気を幾分払拭した軽快さが見られます。本作はその同時代に活躍した時計職人シャルル・ヴォアザンによる壁掛け時計です。ヴォアザンはルイ14世が没する直前の1710年にマスターを習得しており、その後、多くの時計を手がけました。時計の文字盤の下には貝の上に座るクピドが装飾され、左右両側には当時の定番のモティーフの一つでもあった竜がこちらに向かって咆哮する姿があしらわれています。文字盤の上には太陽王にふさわしく後光に包まれた神々しいルイ14 世の顔が配され、死後も彼の権威が持続していたことを窺わせます。ルイ14世時代は時計も角ばった重厚感のあるものが多く見られましたが、本作では流動性や躍動感を感じさせるデザインが見られ、ロココ時代へ向かう兆候とも感じられます。竜の肌には細かな点を打ち、硬い肌の質感を表現するなど、細部への工夫もなされています。 -
ウスタッシュ・ル・シュウール周辺の画家「廃墟の中でもたれかかっている女性像」17世紀
本作の主題と作者の決定については異論が多い。主題については、ギリシア神話『アエネイス』に登場する、アイネイアスとの恋に破れたカルタゴの女王ディドであるとか、『ポリフィルス狂恋夢』に登場する廃墟のなかに座るポーリア等と推測されていますが、描かれた人物像は明らかにフランソワ・ペリエの『Icones et Segmenta』(1645年)の口絵に着想を得たと考えられています。その口絵には、異民族の侵略をうけて破壊されたローマの廃墟のなかで、壊れた円柱に囲まれて横たわるウィクトリア(勝利の女神)に、ミネルヴァ(戦いの女神)が手を差し伸べる場面が描かれています。本作は、もともとニコラ・プッサン作とされ、のちにウスタッシュ・ル・シュウール作とされました。近年、ピエール・ローゼンベールはジャン・ル・メールの作品の一部であると推測しています。本作のプッサン風の様式は、確かに、ル・シュウールの手とは異なるものによることを示しています。 -
ルイ15世様式「執務室用装飾家具」19世紀後半
ジャン=バティスト・デュテルトル「置時計」18世紀(ルイ15世時代)他 -
アレッサンドル=エヴァリスト・フラゴナール「アンリ4世、宰相シュリー、愛妾ガブリエル・デストレ」1819年頃
ブルボン朝初代の国王アンリ4世と愛妾ガブリエル・デストレ、そしてアンリ4世が信頼を寄せていた宰相シュリーを描いています。本作では、アンリ4世はシュリーを従者として扱うガブリエル・デストレの言動に憤慨し、シュリーに手を置いて彼を擁護しています。王はガブリエルに「あなたのような愛人は10人見つけられるが、彼のような従者は一人しか見つからないだろう」と咎めています。ガブリエルは胸に片手を当てて座り、王の言葉に深く自尊心を傷つけられ、今にも気を失いそうです。本作には、拒絶というテーマが描かれています。フラゴナールは、王の身振りや、高いレースの飾り襟によって王の顔の表情をより尊大に表現し、ガブリエルを打ちのめす彼の辛辣さを巧みに表現している。茫然自失したガブリエルの姿は低い位置に置かれており、演劇的な描写となっています。 1814年のブルボン家の復権に伴い、アンリ4世(1553-1610年)の肖像は特に人気を博しました。本作は、フラゴナールが1819年のサロンに出品した『シュリーとガブリエル・デストレ』(パリ、個人蔵)の習作であると考えられています(この作品は後に『ガブリエル・デストレ』、『シュリー』、『アンリ4世』と、それぞれの肖像画として分割された)。また、本作とごくわずかに異なるもう一つのバージョンも存在します(所在不明)。 -
ジャン=アントワーヌ・ヴァトー「アントワーヌ・ド・ラ・ロックの肖像」1718年頃
アントワーヌ・ド・ラ・ロックは、ヴァトーの友人で、戦争で片足を失ったのを機に、その文才を生かして雑誌『メルキュール・ド・フランス』誌の編集長やオペラの台本作家として活躍した人物。 彼の傍らにある楽器や書物は、彼のこの第二の人生を連想させます。また、画面右側に描かれたミューズやファウヌスによって、寓意的・神話的な雰囲気が生まれています。友人の肖像であると同時に神話画的な雰囲気も併せ持つユニークな作品。田園牧歌趣味をロココ的に発展させ、雅宴画のジャンルを開いたヴァトーの確かな腕が光る名作。 -
ジャン=シメオン・シャルダン「デッサンの勉強」1748-53年頃
1753年のサロン出品作。緻密なマティエール、絵具の光沢、落ち着いた中間色の色調、影の部分にも感じられるような繊細な光の表現、思索的で重厚な人物のたたずまい、室内の静謐で瞑想的な空気など、シャルダンらしい魅力にあふれる小品。 彼の約40年間にわたる作画活動は3つの時代に区分されますが、その中間期にあたる時代が「風俗画の時代」(1730年代から1750年代初め)です。シャルダンの「静物画」は、華麗で女性的な優美さを好んだ宮廷では人気がなく、一部の目利きや画家、収集家に支持されるのみでしたが、この「風俗画」の顧客層には外国の有力な諸侯も名を連ねるようになりました。この時期の最も代表的な作品としては、《独楽を回す少年》《食前の祈り》(ともにルーヴル美術館蔵)などがあります。 シャルダンは、スウェーデンのルイーズ・ウルリック王妃のために1749年、《デッサンの勉強》と《良き教育》の2点を贈りました。このうち先に完成したのは《デッサンの勉強》の方で、1748年のサロンに出品されました。その数年後、彼は再びこの1対の絵と同じ構図をもつ2対目のヴァリエーションを描いています。こちらの2点は、著名な収集家アンジュ=ローラン・ラ・リヴ・ド・ジュリのために制作され、1753年のサロンに出品されましたが、このうちの1枚が本作です。 本作は、1770年の競売でリヴ・ド・ジュリの許を離れ、あるスウェーデン人の手に渡りました。以来その末裔によって長らく秘蔵されていましたが、1979年の大規模な〈シャルダン展〉に出品され、人々の前に再び姿を現わしたのです。このとき、対をなす《デッサンの勉強》と《良き教育》の額縁には非常に珍しい特徴がありました。作者の名前である〈シャルダン〉の文字が、明らかに18世紀のものと分かる黒く美しい書体で記されていたのです。 今日、世界の美術館で行われているような「額縁に作者名のプレートを付ける」というような習慣は当時なかったので、最初の所有者であったリヴ・ド・ジュリが施したこのような処置は、博物館学的にみても先駆的な作業であったと評価されます。なお、この秘蔵コレクションの中に含まれていた本作と対をなす《良き教育》の方は、現在テキサスのヒューストン美術館に収蔵されています。 -
ジャン=オノレ・フラゴナール「豊穣な恵み」1773-76年
一般的に「幸せな大家族」「子だくさんの幸せ」というタイトルで知られているこの楕円形の絵は、同じ絵柄のヴァージョンが本作の他に4点(ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵ほか)知られており、当時人気を集めた主題です。 画面の中央に白いブラウス、赤いスカートの若い母親が幼子を抱いて坐り、その周りで年長の子どもたちが遊ぶ。左手の窓の外では父親がロバと一緒に家の中をのぞいている。母親の背後には、召使いの女とその子であろうか、シルエットのように寄り添って描かれている。家畜の犬とロバもまるで家族のようで、人物は自由なポーズと視線をとりながら、親しげな感じで互いに深く結びついている様子が見て取れます。しかし、部屋の上方をみると、古代イタリアの廃墟のようであり、この家族の団欒とはおよそ不釣り合いな、古くて大きな石造りの空間です。右手の台(羊の頭と花絆を象った飾りが施されているので古い祭壇であろうか。とすれば、この建物は神殿である)の上には玉葱と肉の塊が置かれ、金属製の深鍋のような容器も見えます。 質素な生活だが子宝に恵まれて幸せな家族───。幻想的な建築物を背景に描かれた若い両親と子どもたち───。この絵には、さらに目には見えないいくつかの事実が隠されています。ひとつは、この家族像は18世紀フランスで活躍した思想家ルソーの「家庭は社会の基本であり、家族愛は道徳の根本」という思想を絵に描いた「理想の家族像」であるということ。もうひとつは、フラゴナール自身が幸福な家庭生活に恵まれ、当時流行した官能的なロココ風の絵のみならず、こうした素朴な絵にも才能を発揮することができたこと。そして更にもうひとつ、この絵は、「聖母子像」「聖家族」「羊飼いの礼拝」といった伝統的なキリスト教絵画のテーマを、当時の人物、当世風の主題にリメイクした作品である、ということです。これはフラゴナールが単に風俗画家なのではなく、宗教画家としても優れた知識と技術を持っていたことの証明でもあります。赤と青の着衣に身を包み、幼子を抱く若い女性像は、伝統的に聖母マリアと幼児キリストを表わすもので、「絵画の伝統を継承しつつ、自由で新しい18世紀の精神をも体現する」フラゴナールらしい作品といえます。
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