2017/09/24 - 2021/10/31
51位(同エリア2026件中)
+mo2さん
東京富士美術館の続き、貴重な18~19世紀の絵画が続きます。
常設展示室2~3の作品です。
※絵画コメントは東京富士美術館HPより参照しました。
令和元年10月5日、令和2年9月5日、令和3年10月31日作品追加
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
-
ノエル=ニコラ・コワペル「ヴィーナスの誕生」1732年頃
ギリシア・ローマ神話に登場する女神たちを、ロココ風の感性で優美に描き出した作品。トリトンが法螺貝を吹き鳴らして愛と美の女神の誕生を祝福し、海のニンフたちもその若く美しい姿を波間に漂わせ、この華やかなセレモニーに参加しています。愛を燃え立たせる松明や、美と芳香と棘でこの女神に擬せられるバラを持ったクピドたちがヴィーナスの頭上で飛び交っています。 -
ジャン=オノレ・フラゴナール「豊穣な恵み」1773-76年
一般的に「幸せな大家族」「子だくさんの幸せ」というタイトルで知られているこの楕円形の絵は、同じ絵柄のヴァージョンが本作の他に4点(ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵ほか)知られており、当時人気を集めた主題です。 -
ジャン=シメオン・シャルダン「デッサンの勉強」1748-53年頃
ジャン=シメオン・シャルダンは、18世紀フランスの静物画・風俗画家として最も有名な画家の一人。本作は、1753年のサロン出品作。緻密なマティエール、絵具の光沢、落ち着いた中間色の色調、影の部分にも感じられるような繊細な光の表現、思索的で重厚な人物のたたずまい、室内の静謐で瞑想的な空気など、シャルダンらしい魅力にあふれる小品。 -
ジャン=アントワーヌ・ヴァトー「アントワーヌ・ド・ラ・ロックの肖像」1718年頃
アントワーヌ・ド・ラ・ロックは、ヴァトーの友人で、戦争で片足を失ったのを機に、その文才を生かして雑誌『メルキュール・ド・フランス』誌の編集長やオペラの台本作家として活躍した人物。 -
フランソワ・ブーシェ「ヴィーナスの勝利」1745年頃
フランソワ・ブーシェは、ロココを代表するフランスの画家。多作家として知られ、生涯に1000点以上の絵画、200点の版画、約10000点の素描を制作し、またヴェルサイユ宮の装飾、タピスリーやセーヴル陶磁器のデザインのほか、オペラ座の舞台デザインをも手がけています。 -
「ヴィーナスの勝利(部分)」
このロココらしさにあふれた華麗な大作は、ブーシェの重要な作品のひとつに数えられます。本作において彼は、神話画に属する主題のなかで自らの最も得意とするヴィーナスの図像を扱い、美の女神が水中で誕生して陸に到着する姿を伸びやかに、屈託なく描いています。 -
フランソワ・ブーシェ「田園の奏楽」1743年
ロココを代表する画家ブーシェは、ポンパドゥール夫人の絵画教師を務め、1765年には首席宮廷画家に任命されています。ボーヴェのタピスリー工場と関わりをもち、1755年には王立ゴブラン織工場の長となったことでも分かるように、装飾の分野で才能を発揮し、絵画にもその装飾的手法を駆使して独自の装飾画の様式を完成させました。
彼は1742年頃から神話画に田園趣味を結びつけた小型の作品も制作するようになりました。それらは森や水辺の中に神話的人物を配し、休息や戯れをテーマにした牧歌的な雰囲気をもつ作品でした。 -
フランソワ・ブーシェ「田園の気晴らし」1743年
本作もこの時期の神話的田園画の見事な一例で、男女が憩う牧歌的情景が描かれています。羊飼いや農民の扮装をして田園の戯れを楽しむという娯楽が上流階級に流行したこととの関連も興味深い。 -
「田園の気晴らし(部分)」
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ジャン=バティスト・パテル「占い師」18世紀前半
パテルは同郷のジャン=アントワーヌ・ヴァトーの弟子で、その様式の模倣者でもありました。ここでは森を拓いた庭の一角で柱の前に集い、恋の語らいに興じる男女が描かれています。中央の女性が着ているのは18世紀前半に流行した「ローブ・ヴォラント」と呼ばれるドレスで、背中のひだが特徴的なこのドレスはヴァトーが多く作品に描いたことから「ヴァトー・プリーツ」とも称されています。 -
ジャン=マルク・ナティエ「ジョフラン夫人」1738年
モデルのジョフラン夫人(39歳)は、18世紀パリ社交界の著名な人物で、文学や芸術に造詣が深く、彼女が主宰するサロンには常に著名な哲学者や文学者、画家、彫刻家らが招かれていたそうです。
この肖像画で、ナティエはジョフラン夫人を非常に繊細なタッチで描いています。彼女の理知的な顔立ち、白絹のローブとバラ色の外套、左手下の書物などにより、画面全体に際だった気品と知性が漂っています。 -
ジャン=マルク・ナティエ「フェルテ=アンボー侯爵夫人」1740年
この肖像画は、手に仮装用の仮面を持ち、バラ色のリボンで縁どりされた白いドミノ(頭巾つきのガウン)を着て座っているジョフラン夫人の娘・フェルテ=アンボー侯爵夫人(1715ー1791)を描いたもの。母親のジョフラン夫人(1699ー1777)が「娘が25歳の時にナティエに彼女の肖像画を描いてもらった」と手帳に書きとめている。胸もとには真珠の縁飾りのある白絹製のローブものぞいています。 -
ジャン=マルク・ナティエ「ボーヴォー王女」1740年代
本作でナティエはパステルという画材の特色を最大に生かして描いています。
ナティエが得意とした優美に仕上げられたモデルの表情と、肌の微妙な色調の取り扱いは、パステルという画材によってますます繊細なタッチ、ニュアンスのわずかな違いをも感じさせる仕上がりとなって完成された域に到達しています。
貴婦人を描く肖像画家として並ぶもののない代表画家であったナティエは、本作においては、女性の肌がその肌理の美しさを保ちつつも複雑な色調の変化を見せる様子を表現することに成功しています。小品ながらその繊細な美しさが際立つ優品。 -
ジャック・アヴェとその工房「クロザ夫人の肖像」18世紀
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イアサント・リゴー「婦人の肖像」17世紀後半
ふくよかな初老の貴婦人。華やかさはないが、充実した内面の輝きが滲み出ていっます。ドレスのオレンジ色と外套の深い青が落ちついた補色のコントラストを生み出し、画面が地味な雰囲気に支配されないよう計算された色使いも見られます。レンブラントやヴァン・ダイクの影響を受けた作者の、内面描写に優れた写実的な表現力と画中に堂々と人物を位置づける構成力が本作には示されています。ルイ王朝の宮廷画家をつとめたリゴーの優品。 -
ニコラ・ド・ラルジリエール「若い婦人の肖像」17世紀末-18世紀前半
同世代の宮廷画家イアサント・リゴーが、王侯貴族の肖像画を手がけたのに対し、彼の好敵手であったラルジリエールは、役人や富裕な市民階級の人々の注文を受けて活躍しました。彼の肖像画はロココ風で、リゴーの男性的な美をもつ17世紀風の様式に比べると、明らかに新しい時代の到来を予告しています。本作は、褐色の色調で簡略化された背景に描かれ、優美で女性らしい雰囲気を醸し出すとともに、ショールの赤や唇と頬の紅の色彩が画面に華やかさと明るさを添えています。ラルジリエールらしい軽妙な女性肖像画です。 -
ジャン=バティスト・グルーズの工房「若い婦人の肖像」18世紀後半
右を向いた四分の三正面の若い婦人の胸像。楕円形の円窓の画面が女性らしい優しさを強調する形となっています。モデルは淡いピンクのパステル・トーンの服に身を包み、透明の紗のストライプ模様のサテンのスカーフを胸もとで結んでいます。紫と黄色の花のコサージュが見る者の目をひきます。仄かにロココ調の香りを残すものの、この無名の市井の婦人を平明に描いた肖像画は、グルーズの様式に属するもので、18世紀後半の彼の工房の作と考えられています。 -
ルイーズ・アメリ・ルグラン・ド・サン=トーバン「婦人の肖像」1828年
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アレッサンドル=エヴァリスト・フラゴナール「アンリ4世、宰相シュリー、愛妾ガブリエル・デストレ」19世紀
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エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「ユスーポフ公爵夫人」1797年
マリー・アントワネットに気に入られ王妃付の画家としてヴェルサイユ宮殿に迎えられたことでも有名な女流画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの作品。
モデルのタチアナ・ヴァシリエーナ・エンゲルハルト(1769?1841)は、軍人で政治家のG.A.ポチョムキン(1739?91)の姪。彼女はロシアの女帝エカチェリーナ2世(在位1762?96)の籠愛を受けていたといわれます。1791年に前夫が死亡したため、その2年後にロシアの大地主で元トリノ大使のニコラス・ボリショヴィッチ・ユスーポフ公爵と再婚しました。資産家であるこの二人が結ばれたことで、ユスーポフ公爵夫人はロシアで最も裕福な女性の一人となりました。芸術に対する鋭敏な感性に恵まれた彼女は、長年にわたって文学サロンを主宰し、そこには詩人のデルジャーヴィンやプーシキンなども通っていたといいます。 -
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの作品による「フランス王妃マリー=アントワネットの肖像」19世紀
マリー=アントワネットの母、マリア・テレジアは、ハプスブルグ家の当主として40年にわたりオーストリア・ハンガリーに君臨した女帝。彼女の第15子として、1755年11月2日誕生し、マリア・アントニア・ヨゼファと名付けられましたが、のちにフランス風にマリー=アントワネットと変えます。マリア・テレジアは、その生涯で16人の子を産んだ愛情深い母親だったが、中でも、末娘のマリー=アントワネットを一番可愛がっていたと言われています。そしてこの末娘のために、ヨーロッパで最も美しく強大な王国の王妃の座を確保するために、フランス王太子ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)と結婚させました。しかし、彼女の幸福は長くは続かず、フランス革命の勃発により国王や家族とともに幽閉され、1793年10月16日、コンコルド広場において、38歳の悲運の生涯を閉じることとなります。 -
エティエンヌ=モーリス・ファルコネ「アモール」18世紀
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フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス「ブルボン=ブラガンサ家の王子、ドン・セバスティアン・マリー・ガブリエル」1815-20年頃
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ルイ・ロラン・トランケス「夜会の後で」1774年
真ん中で楽器を奏でる女性は鮮やかな水色の「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」を身にまとい、イギリス趣味の影響で流行ったとされる花飾りのついた小さな帽子を被っています。男性はイギリスのフロックコートを模した「フラック」を着こなし、当時、髪粉が落ちないよう脇の下に挟むことが主流となった三角帽を抱えています。また「クラバット」と呼ばれるネクタイ状のスカーフや、音をさせながらベルトに吊したシャトレーン(帯飾り鎖)、ステッキといった男性の流行りのファッションアイテムをそつなく身につけています。衣装の明るい色彩や艶やかな質感の表現の見事さが目を引きますが、婦人たちはややうつろな表情をしており、夜会の後のくつろいだ雰囲気が本作の主要なテーマとなっています。 -
ユベール・ロベール「スフィンクス橋の眺め」1767年
ルーヴル美術館の初代館長としても有名なユベール・ロベールによる風景画。 -
ジャン=バティスト・ピルマン「岩の多い海岸の難破船」18世紀後半
ピルマンは、最初、画家であった祖父の弟子、ダニエル・サラバ(1666?1748)に習い、ヴァトーやブーシェに連なるロココ様式の風俗画を制作。その後、数年間、ゴブラン織り工場でテキスタイルの図案を手がけた後、ポルトガル、スペインの両国でロココ風絵画とシノワズリー装飾の分野で活躍しました。
ポルトガル王の専属画家の地位を断ったピルマンは、続いてロンドンで約10年間、風景画に取り組むと共に、幻想画を多く制作しています。1761年以降、広くヨーロッパ各国で活発に活動しました。
1775年以降、それまでの作品を特徴づけていたシノワズリー趣味が影を潜め、ダイナミックで劇的な自然描写への傾向が強まっていきます。本作品も、激しい雨と荒れ狂う海を舞台に、劇的な身振りの人物を点景として配置することで、圧倒的な自然の力を表現しており、ロココ風の繊細な美から距離をおいた造形感覚を感じさせる作品となっています。 -
フランソワ=アンリ・ミュラール「貴婦人の肖像」1810年頃
若くて魅力的な女が椅子に腰を下ろし、少し頭をかしげて、物憂げな、もの問いたげな表情をみせます。室内には家具や装飾はなく、青灰色の無地の背景がモデルを引き立てています。モデルが着る衣装は、薄手の白いコットンを素材としたハイウエストの「シュミーズ・ドレス」で、帝政期に流行ったものです。肩には防寒用として重宝されたショールを羽織り、さらに「メディチ風」と呼ばれる飾り襟が清楚な顔立ちを引き立てています。ドレスの袖口の孔雀の羽の眼のような刺繍も特徴的で、こうした衣装は1810年代のモードを象徴しています。珊瑚を使った髪飾りやネックレスも着こなしのアクセントとなっています。 -
オーギュスト・ロダン「接吻」原型1886年、鋳造1918年以前
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ジョシュア・レノルズ「少女と犬」1780年頃
ジョシュア・レノルズは、ロココ期のイギリスの画家でロイヤル・アカデミーの初代会長。 -
(左上)フランソワ・ジェラールの工房「ナポレオン1世」19世紀初頭
(左下)アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンの工房「戴冠衣装の皇帝ナポレオンの肖像」19世紀初頭
(右)フランソワ=アンリ・ミュラール「貴婦人の肖像」1810年頃 -
アントワーヌ=ジャン・グロの工房「第一執政ボナパルトの肖像」1800-1804年頃
執務机の前に座り、右手にペン、左手に発令文書を持った第一執政の軍服姿の若きナポレオン。 -
フランソワ・ジェラールの工房「ナポレオン1世」19世紀初頭
フランソワ・ジェラールは、18世紀以降、グロとともにヨーロッパの画壇において圧倒的な勢力を保ち続けたダヴィッド派の画家の一人。 -
アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンの工房「戴冠衣装の皇帝ナポレオンの肖像」19世紀初頭
ナポレオンの叔父ジョゼフ・フェシュ枢機卿が所有していた作品。堂々と胸を張り、遙かな未来を見据えるかのようなその視線や皇帝の威厳、何者も恐れない張りつめた意志などが見事に表現されています。 -
アンドレア・アッピアーニ「ルーヴル宮殿でアテナ像の前に立つナポレオン」1814年頃
右手にヨーロッパ大陸の地図を持ち、アテナ像(後の筆により「マケドニアのフィリッポスの息子アレクサンドロス」という文字が刻まれています)を見つめるナポレオン。ルーヴル宮殿は当時ナポレオン美術館と呼ばれ、イタリアやドイツをはじめとするヨーロッパ各地から美術品が集められました。「アポロンの間」と刻まれたアーチの奥には、ナポレオン没落後ヴァチカン宮殿に返還された《ベルヴェデーレのアポロン像》を見ることができます。本作はナポレオンが皇帝時代に制作された最後の肖像画と推測されます。 -
ピエトロ・ベンヴェヌーティ「月光と蝋燭の灯火で手紙を読む皇帝ナポレオン」1810年
ベンヴェヌーティはイタリア新古典主義の代表的画家。バロック絵画の影響を受けた彼の作品にはカラヴァッジォやラ・トゥールのような、光の明暗の対比によって立体感を出す手法が多用されます。本作が描かれた1810年前後は、スペイン戦争、ジョゼフィーヌとの離婚など、帝国にとっては斜陽の時期にあたります。蝋燭の火による明暗が、翳り始めた帝国の前途を模索するナポレオンの内面を描き出しているようです。 -
ロベール・ルフェーヴル「ジョゼフ・ボナパルトの肖像」1811年頃
肖像画の人物はナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルト。 -
ロベール・ルフェーヴル「カロリーヌ・ボナパルトの肖像」1813年
牧歌的な景色を背景にポーズをとるナポリ王妃。当時流行していた更紗製のショール、珊瑚の装身具、レースの襟といった細部まで描き込まれています。手にしているペンは「啓発された」貴婦人であることの象徴です。 -
ピエール=ポール・アモン「皇帝ナポレオン3世」1850年代
フランスの皇帝ナポレオン3世(在位:1852-70)を描いた肖像画。ナポレオン3世はオランダ王ルイ・ボナパルト(ナポレオン1世の弟)とナポレオン1世の義理の娘オルタンスの第三子で、ナポレオン1世の没後、彼の名声を利用して1852年に国民投票で帝位に就き、ナポレオン3世と称しました。即位の翌年、スペイン貴族の娘ウジェニーと結婚。ナポレオン3世の統治時代、フランスの工業生産は飛躍的に発展し、中でも1855年、67年に開催された万国博覧会に合わせ、セーヌ県知事のオスマン男爵に命じて実行した大改造計画により、パリを美しい近代都市へ生まれ変わらせるなど、多くの功績を残しました。 -
ピエール=ポール・アモン「皇后ウジェニー」1850年代
ナポレオン3世(在位:1852-70)の妻、皇后ウジェニーを描いた肖像画。スペイン貴族の家の娘として、スペインのグラナダに生まれる。幼い頃、パリのサクレ・クール寺院の修道院で教育を受けました。彼女の美貌はパリの社交界では有名で、数名の貴族から求婚されたが全て断っていたといいます。皇帝ナポレオン3世と即位の翌年に結婚。彼女はオートクチュールの創始者シャルル=フレデリック・ウォルトに宮廷の衣装を手がけさせ、パリの社交界のファッションリーダー的な存在となりました。本作では式典用の礼服に身を包んだウジェニーの姿が描かれています。こうした礼服にも当時の流行である「クリノリン・スタイル」の釣鐘状に広がったスカートが用いられているのが確認できます。 -
カール・ヤコプ・テオドール・ライボルト「女優の家族」1816年
この作品はライボルトがイタリア留学を終えてウィーンに戻ってまもなくの頃の作品。 -
テオドール・ジェリコー「突撃するナポレオン軍の将軍」1810年頃
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アントワーヌ=ジャン・グロ「騎兵隊将校ルイ=ウジェーヌ・デチュゴワヤン」1810年
新古典主義の代表的画家ダヴィッドの後継者アントワーヌ=ジャン・グロの作品。
フランス騎兵隊将校の制服を着用したルイ=ウジェーヌ・デチュゴワヤンは、スペイン王子ジョゼフ(ナポレオンの長兄)の護衛官。ナポレオンの時代には、皇帝の勇姿を描く戦争画や肖像画が多く描かれましたが、このようにナポレオン軍の将校や士官の肖像も動乱期の新しい絵画のテーマとなりました。 -
シャルル=ルイ・コルベ「青年ボナパルトの胸像」1798年
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ロベール・ルフェーヴル「ベシエール元帥夫人」1814年頃
ジョゼフ・ボナパルトの肖像からの3枚は大きな作品です。 -
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル「ユピテルとテティス」1807-25年頃
エクサン・プロヴァンスのグラネ美術館に同名の大きな作品があります。 -
(上)ジャック=ノエル=マリー・フレミー「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式[ジャック=ルイ・ダヴィッドの作品による]」1804-09年頃
ダヴィッドによるルーヴル美術館に所蔵されている作品は、非常に大きな作品ですがこちらの模写は小品。
(下)ルイ=レオポルド・ボワイ「歌手ガラの逮捕」18世紀後半-19世紀前半 -
シャルル=ルイ・コルベ「青年ボナパルトの胸像」1798年
ナポレオン・ボナパルトは、1796年にイタリア遠征軍司令官に任命され、イタリアに遠征。モンテノッテ、ミレシモ、デーゴ、ロナート、カスティリヨーネ、アルコレなどで勝利を収めました。本作は、実際に若き日のナポレオンをモデルに制作されたとされる貴重なもの。歴史上に颯爽と登場した若き英雄の姿を生き生きと捉えています。作者シャルル=ルイ・コルベはフランス王立絵画彫刻アカデミー会員。 -
皇后ジョゼフィーヌのティアラ
1040個にも及ぶ合計260カラットのダイヤモンドが眩しいティアラ東京富士美術館 美術館・博物館
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(左上)ウジェーヌ・ドラクロワ「オランのアラブ人」1834年
(左下)ウジェーヌ・ドラクロワ「手綱を持つチェルケス人」1858年頃
(右)テオドール・ジェリコー「風景の中の山羊と羊」1812-16年 -
ウジェーヌ・ドラクロワ「オランのアラブ人」1834年
1835年のサロン出品作。1832年前半の北アフリカ旅行は、彼の芸術形成にとって貴重な体験でした。本作の構図はこの旅行中に描いた画帖のスケッチから採られたことが指摘されています。ドラクロワはタンジールから地中海を東へと航行し、オラン、アルジェと寄港し、その土地の風俗を描いたのとおもわれます。オランは大きな港町で、カスバ(城砦)やモスクなど、異国情緒に富みます。本作と同一構図の鉛筆による習作がウィーンのアルベルティーナ版画素描館にあり、エッチングの版画(左右逆の絵柄)も知られています。 -
ウジェーヌ・ドラクロワ「手綱を持つチェルケス人」1858年頃
先日ルーブル美術館で代表作の《民衆を導く自由の女神》などをみてきたドラクロワの小さな作品。 -
ウジェーヌ・ドラクロワ「書斎のドン・キホーテ」1824年
ロマン主義の巨匠ドラクロワは、バイロンやユゴーなど同時代の文学や、ダンテ、シェークスピアなどのヨーロッパ各国の国民文学をとりわけ好んでいました。
本作の主題は、17世紀スペインの作家セルバンテスが書いた小説「ドン・キホーテ」の一場面。物語の主人公はラ・マンチャ県のある村の郷士。騎士物語を読み耽るあまり、ついには正気をなくして、自らをドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗り、隣村の百姓娘を姫君と思い込み、武勲を立てるために遍歴の騎士となって冒険に出るという物語です。
ここでは、本を広げた机の前で、椅子に座って夢想にふける人物がドン・キホーテです。その後ろには、彼の身を案じて書物を焼いてしまう村の司祭や床屋のニコラス親方、家政婦たちが困惑した姿で描かれています。
実際の「ドン・キホーテ」にはこのような場面は出てきませんが、騎士物語に影響されたドン・キホーテが旅に出てやがて自宅に担ぎ込まれるという、第1章から6章までの物語の冒頭部分を要約した形で描いたものです。 -
(上)ジャン・ルイ・エルネスト・メッソニエ「バラッド歌手」1853年
(下)ジャン=ジャック・エンネル「少女の横顔」19世紀 -
アルトゥーロ・リッチ「新しい家族の誕生」19世紀後半-20世紀前半
アルトゥーロ・リッチは、フィレンツェで生まれ、フィレンツェの美術アカデミーでティート・コンティに師事。風俗画を得意とし、特に18世紀の上流家庭の日常をテーマにした作品を多く手がけました。ドレスのシルクやサテンの質感を巧みに捉えた作品は、イタリア人だけでなく、イギリスやアメリカの収集家も魅了しました。鉄鋼で名声を得たアンドリュー・カーネギーも彼の作品を所有していたことで知られるます。 -
ジョルジュ・クロエガート「婦人像」制作年不詳
19世紀後半、女性を虜にしたジャポニスムの流行を感じさせる衝立を背後にくつろぐ女性。本作のモデル着衣を見る際、この上にドレスを羽織る前の姿であることを言及しなければなりません。画家が他に描いた作品の中には本作と同じドット柄のスカートにドレスを羽織った姿で描かれたものも存在します。その上で目に止まるのは鮮やかな黄色と細く締め上げられたウエストです。これはコルセット によるもので、バスル・スタイルからアール・ヌーヴォーの影響を受けて流行した「S字カーブスタイル」への過渡期に制作されたものを見られる。胸元やスカートのひだにあしらわれた植物の紋様にもアール・ヌーヴォーの影響を見ることができます。 -
ローレンス・アルマ=タデマ「古代ローマのスタジオ」1874年
オランダ出身のイギリスの画家ローレンス・アルマ=タデマの作品。 -
クロード・ガレとリュシアン=フランソワ・フシェール「ウーディノ元帥所有の置き時計「ホラティウス兄弟の誓い」1815年頃
ローマを救う闘いに臨み、父から剣を受け取ろうとするホラティウスの三兄弟。この置き時計は、ナポレオンの主席宮廷画家であったダヴィッドがこの場面を描いた有名な絵画を元にデザインされています。
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