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ゴロカからハイランドハイウェイを通り、レエまでやって来た。マッドマンは見れなかったけど、いい出会いがあった。<br />次はラバウル。敗れはしたが、日本軍が連合国軍との戦いで拠点とした地。多くの先人達が亡くなった地。無事慰霊ができました。<br /><br />ラバウル小唄<br />https://www.google.com/url?sa=t&amp;source=web&amp;rct=j&amp;opi=89978449&amp;url=https://www.youtube.com/watch%3Fv%3DB_YWPf7LGhM%26pp%3D0gcJCf8Ao7VqN5tD&amp;ved=2ahUKEwjE0fOu99qPAxU-rlYBHa16ANoQ78AJegQIEhAB&amp;sqi=2&amp;usg=AOvVaw1ceGOXVfl9mpWnqRlWQYdo

2025夏の太平洋諸国周遊の旅3 パプアニューギニア編2

47いいね!

2025/07/27 - 2025/07/29

2位(同エリア23件中)

旅行記グループ 2025夏 太平洋諸国周遊の旅

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195

kasekunさん

ゴロカからハイランドハイウェイを通り、レエまでやって来た。マッドマンは見れなかったけど、いい出会いがあった。
次はラバウル。敗れはしたが、日本軍が連合国軍との戦いで拠点とした地。多くの先人達が亡くなった地。無事慰霊ができました。

ラバウル小唄
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://www.youtube.com/watch%3Fv%3DB_YWPf7LGhM%26pp%3D0gcJCf8Ao7VqN5tD&ved=2ahUKEwjE0fOu99qPAxU-rlYBHa16ANoQ78AJegQIEhAB&sqi=2&usg=AOvVaw1ceGOXVfl9mpWnqRlWQYdo

  • 前回からの続き、、、<br />日付は7月27日...レエからラバウル(ココポ)にむ向け出発。

    前回からの続き、、、
    日付は7月27日...レエからラバウル(ココポ)にむ向け出発。

  • 陸地が見えてきたので、いよいよ念願のラバウルか!と思ってました。

    陸地が見えてきたので、いよいよ念願のラバウルか!と思ってました。

  • 当時の航空隊員もきっと眺めていただろう風景、、、感慨深く眺めていました。

    当時の航空隊員もきっと眺めていただろう風景、、、感慨深く眺めていました。

  • いよいよ到着か?

    いよいよ到着か?

  • さあ、あと少し!

    さあ、あと少し!

  • 山が見える!

    山が見える!

  • 着陸!

    着陸!

  • とうとうラバウルに!、、、と、勇んで降りたってみたら、、、<br />あれ?空港名がラバウルじゃない!???ここはどこ?あわててマッブスミー起動して確認したら、、、、違った!ここはラバウル空港じゃなく、まだずっと南にある別の町だった、、、。航空券買う時、間違えたか?と思い、eチケット見たら、、、<br />ここはラバウル行きの寄港地Hoskins Airport。慌てん坊の自分です。

    とうとうラバウルに!、、、と、勇んで降りたってみたら、、、
    あれ?空港名がラバウルじゃない!???ここはどこ?あわててマッブスミー起動して確認したら、、、、違った!ここはラバウル空港じゃなく、まだずっと南にある別の町だった、、、。航空券買う時、間違えたか?と思い、eチケット見たら、、、
    ここはラバウル行きの寄港地Hoskins Airport。慌てん坊の自分です。

  • あわてて、再度飛行機に戻る、、、。グッバイ言って降りてきたのに、、、ちと恥ずかしかった、、、。

    あわてて、再度飛行機に戻る、、、。グッバイ言って降りてきたのに、、、ちと恥ずかしかった、、、。

  • 再度、、、。

    再度、、、。

  • この風景こそ、当時の航空隊員が幾度となく見た風景!

    この風景こそ、当時の航空隊員が幾度となく見た風景!

  • いよいよ着陸!<br />いいお天気で何よりです。

    いよいよ着陸!
    いいお天気で何よりです。

  • ここが正真正銘のラバウル空港!ただし現在の、、、。Tokua Airport (Rabaul)

    ここが正真正銘のラバウル空港!ただし現在の、、、。Tokua Airport (Rabaul)

  • とうとう到着しました。

    とうとう到着しました。

  • あの飛行機でレエからきました。<br />

    あの飛行機でレエからきました。

  • ラバウルの空港内、、、。水木しげるの世界、、、。

    ラバウルの空港内、、、。水木しげるの世界、、、。

  • さて、空港からココポまで、どうしよう?実はあんまり調べてなく、今夜から2泊する宿はブッキングコムで予約したTaklam Lodge。ここから15キロ。

    さて、空港からココポまで、どうしよう?実はあんまり調べてなく、今夜から2泊する宿はブッキングコムで予約したTaklam Lodge。ここから15キロ。

  • んー、で、最悪歩きかな?と、ちょっと歩きだしたら、おばさん乗客を乗せたワゴン車がとまっていた。<br />ラッキー!と思って乗り込んだ。、、おばさんたちもあと1人分の席を作ってくれた、、、いざ出発!と思っていたら、ちょうど通りかかった車が、、、。<br />なんだか知らないけど、あっちの車に乗って!と、、、。<br />で、この車の助手席に、、、。

    んー、で、最悪歩きかな?と、ちょっと歩きだしたら、おばさん乗客を乗せたワゴン車がとまっていた。
    ラッキー!と思って乗り込んだ。、、おばさんたちもあと1人分の席を作ってくれた、、、いざ出発!と思っていたら、ちょうど通りかかった車が、、、。
    なんだか知らないけど、あっちの車に乗って!と、、、。
    で、この車の助手席に、、、。

  • これはタクシー??<br />よく分からんまま乗ったけど、、、。

    これはタクシー??
    よく分からんまま乗ったけど、、、。

  • 空港から15キロの道のり、、、。

    空港から15キロの道のり、、、。

  • 今夜の宿、Taklam Lodgeに到着!いくらですか?とドライバーに尋ねたら、、、<br />お金はいらないって!<br />タクシーじゃなく、ヒッチハイクしたみたい、、、。ありがたいありがたい!<br />いやー、パプアニューギニアの人、親切ですね。なんかケンさんに会ってからラッキーが続いています!<br /><br />もしかして、娘さんから頂いたビルムのお陰かも?

    今夜の宿、Taklam Lodgeに到着!いくらですか?とドライバーに尋ねたら、、、
    お金はいらないって!
    タクシーじゃなく、ヒッチハイクしたみたい、、、。ありがたいありがたい!
    いやー、パプアニューギニアの人、親切ですね。なんかケンさんに会ってからラッキーが続いています!

    もしかして、娘さんから頂いたビルムのお陰かも?

  • タクラムロッジ、、、1泊1万6000円程。ちょっと奮発しちゃいました。

    タクラムロッジ、、、1泊1万6000円程。ちょっと奮発しちゃいました。

  • この日は特に予定なし。タクラムロッジで明日のツアーを予約しようと考えてました。で、ホテルにラバウルツアーのことを尋ねたら、、、。今日は担当者がおらず、別の○○リゾートで尋ねてくれと、、、。<br /><br />、、、まあいいか、なんとでもなりそうだな、、、

    この日は特に予定なし。タクラムロッジで明日のツアーを予約しようと考えてました。で、ホテルにラバウルツアーのことを尋ねたら、、、。今日は担当者がおらず、別の○○リゾートで尋ねてくれと、、、。

    、、、まあいいか、なんとでもなりそうだな、、、

  • で、ココボブラブラ散策に、、、。まだそんなにパプアニューギニアを散策していないので、、、。

    で、ココボブラブラ散策に、、、。まだそんなにパプアニューギニアを散策していないので、、、。

  • マッブスミー頼りに、観光ポイント散策です!ここはそれほど警戒しなくても良さそうな感じ、、、。写真にはないが、出会った子供達がなんだか道案内してくれている、、、

    マッブスミー頼りに、観光ポイント散策です!ここはそれほど警戒しなくても良さそうな感じ、、、。写真にはないが、出会った子供達がなんだか道案内してくれている、、、

  • ここは?既に忘れてる、、、なんだ?あれは?<br /><br />※この画像は、パプアニューギニアのニューブリテン島にあるラバウル戦没者慰霊碑です。<br />ラバウルは、第二次世界大戦中に日本軍の拠点となり、激しい戦闘が行われた場所です。<br />慰霊碑は、戦争で亡くなった人々の魂を慰めるために建てられました。<br />ラバウルには、この慰霊碑の他に、オーストラリアやイギリス連邦の兵士が埋葬されているラバウル(ビタパカ)戦没者墓地もあります。<br />山本五十六連合艦隊司令長官も、この地域の上空で戦死しました。<br /><br />ハングルで書かれてました。

    ここは?既に忘れてる、、、なんだ?あれは?

    ※この画像は、パプアニューギニアのニューブリテン島にあるラバウル戦没者慰霊碑です。
    ラバウルは、第二次世界大戦中に日本軍の拠点となり、激しい戦闘が行われた場所です。
    慰霊碑は、戦争で亡くなった人々の魂を慰めるために建てられました。
    ラバウルには、この慰霊碑の他に、オーストラリアやイギリス連邦の兵士が埋葬されているラバウル(ビタパカ)戦没者墓地もあります。
    山本五十六連合艦隊司令長官も、この地域の上空で戦死しました。

    ハングルで書かれてました。

  • ここは、、町の教会、、、。

    ここは、、町の教会、、、。

  • ちゃんと入っていいか許可をもらって入ってます。

    ちゃんと入っていいか許可をもらって入ってます。

  • けっこう歩いて(空港方面)、海に到着!ホテルに向かう時、車がたくさん止まっていて、気になって来てみました。

    けっこう歩いて(空港方面)、海に到着!ホテルに向かう時、車がたくさん止まっていて、気になって来てみました。

  • ラバウル(ココポ)の風景、、、。

    ラバウル(ココポ)の風景、、、。

  • いい感じです!

    いい感じです!

  • あの向こうに見えるのがラバウル?のはず!

    あの向こうに見えるのがラバウル?のはず!

  • 泳いでいます!

    泳いでいます!

  • 子供達がはしゃぎまわっています!

    子供達がはしゃぎまわっています!

  • 気持ち良さそうです!

    気持ち良さそうです!

  • ソロモン諸島に行った時は自分も混ざって泳ぎましたが、ここはパプアニューギニア。ちょっとだけ警戒心が働いてしまいます。

    ソロモン諸島に行った時は自分も混ざって泳ぎましたが、ここはパプアニューギニア。ちょっとだけ警戒心が働いてしまいます。

  • それにしても平和です!

    それにしても平和です!

  • ここが、80年前は激戦地だったなんて、、、

    ここが、80年前は激戦地だったなんて、、、

  • たぶんここが人々の憩いの場所。ビーチの前にはちょっとした出店も出ていました。

    たぶんここが人々の憩いの場所。ビーチの前にはちょっとした出店も出ていました。

  • ココナッツが売られてたので、購入!たしか2キナ?美味しいけど、ドミニカ共和国の冷たいやつには負けるな。<br />もちろん、飲み干したあとには、カットしてもらい、果肉も完食!この蓋の部分使って果肉を削ぎ落としながら食べる、、、。ガーナで覚えました。けっこう腹も満たされる、、、。

    ココナッツが売られてたので、購入!たしか2キナ?美味しいけど、ドミニカ共和国の冷たいやつには負けるな。
    もちろん、飲み干したあとには、カットしてもらい、果肉も完食!この蓋の部分使って果肉を削ぎ落としながら食べる、、、。ガーナで覚えました。けっこう腹も満たされる、、、。

  • 大きな船も停泊してました。海上警備艇?

    大きな船も停泊してました。海上警備艇?

  • いい具合にサンセット!

    いい具合にサンセット!

  • そろそろホテルヘまたてくてく戻ります、、、ラバウルの人達、それほどアジア人を気にしていないような、、、。これはきっと中国人のお陰かな?と思ってしまう昨今です!アフリカでも、ここ太平洋諸国でも、どこにでも彼らはいます。パプアニューギニアの人々にとってアジア人は見慣れた存在になっているのかもしれません。

    そろそろホテルヘまたてくてく戻ります、、、ラバウルの人達、それほどアジア人を気にしていないような、、、。これはきっと中国人のお陰かな?と思ってしまう昨今です!アフリカでも、ここ太平洋諸国でも、どこにでも彼らはいます。パプアニューギニアの人々にとってアジア人は見慣れた存在になっているのかもしれません。

  • 今晩の夕飯。

    今晩の夕飯。

  • 安全のため、ホテルで夕飯くったけど、高いです!たしか60キナほど、、、。でも、クレカで払うと気にならず、、、

    安全のため、ホテルで夕飯くったけど、高いです!たしか60キナほど、、、。でも、クレカで払うと気にならず、、、

  • 日付は7月28日.、、、。明日の早朝、ポートモレスビーに出立するのでラバウル観光はこの日が最後。<br />朝飯くった後、ラバウルツアーをホテルの方に聞いてみたら、ツアーリストのファイルを見せてくれた。で、そこにあったジャパニーズトレックツアー(沈没船見に行く簡単なダイビング、その後戦跡見学)に参加したい旨伝えたのだが、既に集合時刻は過ぎていた。一応、スタッフの方、問い合わせてくれたが、今日はもうダメだとのこと。、、、<br /><br />もう自力で行くしかない。<br />

    日付は7月28日.、、、。明日の早朝、ポートモレスビーに出立するのでラバウル観光はこの日が最後。
    朝飯くった後、ラバウルツアーをホテルの方に聞いてみたら、ツアーリストのファイルを見せてくれた。で、そこにあったジャパニーズトレックツアー(沈没船見に行く簡単なダイビング、その後戦跡見学)に参加したい旨伝えたのだが、既に集合時刻は過ぎていた。一応、スタッフの方、問い合わせてくれたが、今日はもうダメだとのこと。、、、

    もう自力で行くしかない。

  • で、まずはココポミュージアムヘ、マッブスミー頼りにてくてくてくてく、、、。歩いてる地元の方に聞いてみたら、今日は閉まってる!とのこと。でも門が少し開いてたので入ってみました。

    で、まずはココポミュージアムヘ、マッブスミー頼りにてくてくてくてく、、、。歩いてる地元の方に聞いてみたら、今日は閉まってる!とのこと。でも門が少し開いてたので入ってみました。

  • 入れてラッキー!けっこう観光名所、行ったはいいが閉まってることが多いんで、、、。

    入れてラッキー!けっこう観光名所、行ったはいいが閉まってることが多いんで、、、。

  • ここにはラバウルの戦いで遺棄された日本軍の武器などが展示されている。

    ここにはラバウルの戦いで遺棄された日本軍の武器などが展示されている。

  • ガダルカナルでも色々見てきたが、あそこよりはまだ整備されてる、、、ガダルカナルはもう野晒し状態、、、せっかくの観光資源なのに、、、。

    ガダルカナルでも色々見てきたが、あそこよりはまだ整備されてる、、、ガダルカナルはもう野晒し状態、、、せっかくの観光資源なのに、、、。

  • そうそう、これをまずは見たかった!

    そうそう、これをまずは見たかった!

  • 80年前の戦争。40年前にここに来たならば、きっと自分は、、なんちゅう馬鹿げた戦争を日本人はやったんじゃ!と思ったにちがいない。

    80年前の戦争。40年前にここに来たならば、きっと自分は、、なんちゅう馬鹿げた戦争を日本人はやったんじゃ!と思ったにちがいない。

  • その頃は、何も考えてなかったから。

    その頃は、何も考えてなかったから。

  • 日本人は朝鮮半島を略奪し、満州も中国から奪い、はたまた、中国全土も、、、南京では中国人を大虐殺し、、、、。真実だと思っていた。そして東南アジアの国々までも侵略し、ミャンマー、インドまで、、、。さらには太平洋諸国までも手を伸ばし、現地の方々を苦しめ、、、。だが、正義の連合国軍の反撃にあい、レエは奪還され、ガダルカナルでは全滅、、、自業自得だと思っていた。それでも日本は戦いを止めず、最後には特攻隊、自爆作戦、、、。そして原爆投下で多くの日本人が死んで、ようやく戦争は終わった。連合国は正義の味方で、日本は悪、、、そう思っていた。水戸黄門の時代劇みたいに、、、。

    日本人は朝鮮半島を略奪し、満州も中国から奪い、はたまた、中国全土も、、、南京では中国人を大虐殺し、、、、。真実だと思っていた。そして東南アジアの国々までも侵略し、ミャンマー、インドまで、、、。さらには太平洋諸国までも手を伸ばし、現地の方々を苦しめ、、、。だが、正義の連合国軍の反撃にあい、レエは奪還され、ガダルカナルでは全滅、、、自業自得だと思っていた。それでも日本は戦いを止めず、最後には特攻隊、自爆作戦、、、。そして原爆投下で多くの日本人が死んで、ようやく戦争は終わった。連合国は正義の味方で、日本は悪、、、そう思っていた。水戸黄門の時代劇みたいに、、、。

  • 初の海外旅行で南京を訪れた時には、なんだか罪の意識で、駅に降りたはいいものの、早々にたち去った。

    初の海外旅行で南京を訪れた時には、なんだか罪の意識で、駅に降りたはいいものの、早々にたち去った。

  • 日本はなんてひどい戦争をしたのだ、、、そう思っていた。お国のために、大勢の人が死んだなんて、、、日の丸なんていらない、君が代なんて卒業式で歌う必要があるのか?(そんなに過激思想ではないけど、どちらかといえば否定的)<br /><br />これが40年前の自分。そしてそれが常識ある知識人の普通の考えだと思っていた。

    日本はなんてひどい戦争をしたのだ、、、そう思っていた。お国のために、大勢の人が死んだなんて、、、日の丸なんていらない、君が代なんて卒業式で歌う必要があるのか?(そんなに過激思想ではないけど、どちらかといえば否定的)

    これが40年前の自分。そしてそれが常識ある知識人の普通の考えだと思っていた。

  • でも、あることがきっかけで考えるようたなった。<br /><br />本当に日本は他国を侵略するために戦争をしたのか?

    でも、あることがきっかけで考えるようたなった。

    本当に日本は他国を侵略するために戦争をしたのか?

  • ドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいたというものの、実質、日本は独力で中国国民党、イギリス、オーストラリア、オランダ、アメリカ、最後はソビエト相手に戦った。世界史上、これだけの大国と同時期に戦争した国は日本しかない。しかも1854年結んだ欧米諸国との不平等条約がやっと改正されたのは1911年。そして30年後、この大戦争が起きた。

    ドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいたというものの、実質、日本は独力で中国国民党、イギリス、オーストラリア、オランダ、アメリカ、最後はソビエト相手に戦った。世界史上、これだけの大国と同時期に戦争した国は日本しかない。しかも1854年結んだ欧米諸国との不平等条約がやっと改正されたのは1911年。そして30年後、この大戦争が起きた。

  • 先の大戦については、まだ戦後80年しか経ていなく、まだまだ日本人にとってはタブーの領域。負けた日本は悪、勝った連合国は正義の味方。若輩の自分がこう思っていたように考える人もいれば、いやいや、日本は敗れはしたが、西欧植民地支配の世界に立ち向かっていった戦争なんだとの考えも出て来た。歴史修正だと批判はされるけど、、、。

    先の大戦については、まだ戦後80年しか経ていなく、まだまだ日本人にとってはタブーの領域。負けた日本は悪、勝った連合国は正義の味方。若輩の自分がこう思っていたように考える人もいれば、いやいや、日本は敗れはしたが、西欧植民地支配の世界に立ち向かっていった戦争なんだとの考えも出て来た。歴史修正だと批判はされるけど、、、。

  • たぶん生きてる間にこの戦争の歴史的評価か下されることはないと思うが、40年前とは変わってきていることは事実だ。40年前は日本は悪者、連合国軍は正義の味方という水戸黄門史観が主流だったと思う。

    たぶん生きてる間にこの戦争の歴史的評価か下されることはないと思うが、40年前とは変わってきていることは事実だ。40年前は日本は悪者、連合国軍は正義の味方という水戸黄門史観が主流だったと思う。

  • ただ、若い自分が誤解してたのは、<br />・日本軍はマレーシア、シンガポール、ブルネイ、香港、フィリピン、インドネシア、パプアニューギニア、ミャンマーを侵攻、、、と思っていたのだが、、、<br />→→→<br /><br />当時、これらの国家は存在していなく、<br />◎日本軍は英領マラヤ、英領香港、米領フィリピン、英領北ボルネオ、英保護国サラワク王国、蘭領東インド、英領インド帝国、オーストラリア委任統治領のパプアニューギニア、この地のイギリス軍、アメリカ軍、オランダ軍と戦ったのだ。全て欧米の植民地だった。<br /><br />なぜこんな簡単なことが、わからんかったのか?当時の教育は小学校、中学校、高校と日本の歴史を習うが、この戦争以前の歴史は詳しく習うけど、教科書後半になると、時間もなくなり、「教科書よんでおけよ!」でいつも終わっていた。さらに近現代史は難しい。きっと先生も詳しくは知らなかったのだろうと今は思う。<br />

    ただ、若い自分が誤解してたのは、
    ・日本軍はマレーシア、シンガポール、ブルネイ、香港、フィリピン、インドネシア、パプアニューギニア、ミャンマーを侵攻、、、と思っていたのだが、、、
    →→→

    当時、これらの国家は存在していなく、
    ◎日本軍は英領マラヤ、英領香港、米領フィリピン、英領北ボルネオ、英保護国サラワク王国、蘭領東インド、英領インド帝国、オーストラリア委任統治領のパプアニューギニア、この地のイギリス軍、アメリカ軍、オランダ軍と戦ったのだ。全て欧米の植民地だった。

    なぜこんな簡単なことが、わからんかったのか?当時の教育は小学校、中学校、高校と日本の歴史を習うが、この戦争以前の歴史は詳しく習うけど、教科書後半になると、時間もなくなり、「教科書よんでおけよ!」でいつも終わっていた。さらに近現代史は難しい。きっと先生も詳しくは知らなかったのだろうと今は思う。

  • 今は教える立場となり、どうこの戦争を子供たちに教えたらいいのか悩む所ではあるが、、、子供の頃自分自身が誤解していたこの事実は、しっかり教えるように心がけている。

    今は教える立場となり、どうこの戦争を子供たちに教えたらいいのか悩む所ではあるが、、、子供の頃自分自身が誤解していたこの事実は、しっかり教えるように心がけている。

  • 、、、と、外に展示されてる旧日本軍の残骸を写真に撮ってたら、、、入場料たしか10キナ、、、。閉まってると聞いてたので、外観だけか!と思ってたら、ちゃんと開館してました、、、。

    、、、と、外に展示されてる旧日本軍の残骸を写真に撮ってたら、、、入場料たしか10キナ、、、。閉まってると聞いてたので、外観だけか!と思ってたら、ちゃんと開館してました、、、。

  • 2階にどうぞ!<br />資料館もあった。<br />これは降伏文書とその時の写真。<br /><br />「1945年9月6日、今村均大将と草鹿任一中将が、ラバウルに停泊したオーストラリア軍艦艇に赴き降伏文書に調印。同年9月10日、オーストラリア軍がラバウルに進駐した。その後、ラバウルには連合国側の手で収容所が建設された。」<br />、、、ウィキより

    2階にどうぞ!
    資料館もあった。
    これは降伏文書とその時の写真。

    「1945年9月6日、今村均大将と草鹿任一中将が、ラバウルに停泊したオーストラリア軍艦艇に赴き降伏文書に調印。同年9月10日、オーストラリア軍がラバウルに進駐した。その後、ラバウルには連合国側の手で収容所が建設された。」
    、、、ウィキより

  • 零戦、、、<br />「零式艦上戦闘機は、1936年に大日本帝国海軍に制式採用された九六式艦上戦闘機の後継機として開発され、日中戦争から太平洋戦争にかけて戦場で活躍した。<br /><br />最大約3,300キロメートルの長大な航続距離(増槽タンク装備時・巡航のみ)、翼内に対爆撃機用の20ミリ固定機銃2門、機首部分に7.7ミリ固定機関銃2門を装備した重武装、格闘戦を重視した優れた運動性能、そして空力的洗練と防弾装備をなくし軽量化を徹底追求した機体設計は1000馬力級の「栄」エンジンの性能を極限まで引き出すに至り、一躍世界の戦闘機の頂点に立った。<br /><br />大戦中期以降は、アメリカ陸海軍の対零戦戦法の確立、F4UコルセアやF6Fヘルキャットなど新鋭戦闘機の投入で劣勢となったが、後継機である十七試艦上戦闘機「烈風」の開発が大幅に遅れたことにより、終戦まで日本海軍航空隊の主力戦闘機だった。<br /><br />大戦末期には、戦闘爆撃機や特攻機としても改造され使用された。<br /><br />開発元は三菱重工業。三菱に加え中島飛行機でもライセンス生産が行われており、総生産数の6割以上は中島製である。生産数は日本の戦闘機では最多の1万機以上。「ウィキ」より

    零戦、、、
    「零式艦上戦闘機は、1936年に大日本帝国海軍に制式採用された九六式艦上戦闘機の後継機として開発され、日中戦争から太平洋戦争にかけて戦場で活躍した。

    最大約3,300キロメートルの長大な航続距離(増槽タンク装備時・巡航のみ)、翼内に対爆撃機用の20ミリ固定機銃2門、機首部分に7.7ミリ固定機関銃2門を装備した重武装、格闘戦を重視した優れた運動性能、そして空力的洗練と防弾装備をなくし軽量化を徹底追求した機体設計は1000馬力級の「栄」エンジンの性能を極限まで引き出すに至り、一躍世界の戦闘機の頂点に立った。

    大戦中期以降は、アメリカ陸海軍の対零戦戦法の確立、F4UコルセアやF6Fヘルキャットなど新鋭戦闘機の投入で劣勢となったが、後継機である十七試艦上戦闘機「烈風」の開発が大幅に遅れたことにより、終戦まで日本海軍航空隊の主力戦闘機だった。

    大戦末期には、戦闘爆撃機や特攻機としても改造され使用された。

    開発元は三菱重工業。三菱に加え中島飛行機でもライセンス生産が行われており、総生産数の6割以上は中島製である。生産数は日本の戦闘機では最多の1万機以上。「ウィキ」より

  • ラバウルの地図。<br />「1910年にドイツが建設した街である。第一次世界大戦までドイツの統治下にあったが、1914年9月、オーストラリア軍が占領。その後オーストラリアにより統治される。<br /><br />第二次世界大戦中の1942年1月23日には、オーストラリア軍とイギリス軍と戦った末に日本軍が占領し、1942年11月20日着任した今村均陸軍大将などの指揮によって、東南方面への一大拠点が築かれる。ラバウル航空隊の基地があり、連合軍側からは「ラバウル要塞」と呼ばれた。<br /><br />日本軍の占領後は、陸海軍合わせて9万余の大軍が配置された。日本軍は豊富な兵力と自給自足体制による食料の確保、そして堅固な要塞を築き上げていた。なお、イギリス軍やオーストラリア軍、アメリカ軍など連合軍が1943年の夏以降に日本に対し反攻に出た時、ラバウルは補給線を切断され後方に取り残されている(飛び石作戦)。<br /><br />その後も駐留していた日本軍は度重なる連合国軍による攻撃に耐えつつ、兵力を温存し洞窟陣地に篭もり武器を自作するなどし、食料や日用品の自給自足体制まで整え「籠城」を行った。当時南東方面艦隊参謀長であった草鹿龍之介は、仮に連合国軍が大兵力で攻め寄せてきたとしても10万以上の大出血を強いたであろうと語っている。<br /><br />これをみた連合軍は、反攻にあたり頑強な抵抗が予想されるラバウルを占領せず包囲するにとどめた結果、1945年8月の終戦まで日本が占領し、日本軍のオーストラリアへの空襲などに使われた。」ウィキより<br />

    ラバウルの地図。
    「1910年にドイツが建設した街である。第一次世界大戦までドイツの統治下にあったが、1914年9月、オーストラリア軍が占領。その後オーストラリアにより統治される。

    第二次世界大戦中の1942年1月23日には、オーストラリア軍とイギリス軍と戦った末に日本軍が占領し、1942年11月20日着任した今村均陸軍大将などの指揮によって、東南方面への一大拠点が築かれる。ラバウル航空隊の基地があり、連合軍側からは「ラバウル要塞」と呼ばれた。

    日本軍の占領後は、陸海軍合わせて9万余の大軍が配置された。日本軍は豊富な兵力と自給自足体制による食料の確保、そして堅固な要塞を築き上げていた。なお、イギリス軍やオーストラリア軍、アメリカ軍など連合軍が1943年の夏以降に日本に対し反攻に出た時、ラバウルは補給線を切断され後方に取り残されている(飛び石作戦)。

    その後も駐留していた日本軍は度重なる連合国軍による攻撃に耐えつつ、兵力を温存し洞窟陣地に篭もり武器を自作するなどし、食料や日用品の自給自足体制まで整え「籠城」を行った。当時南東方面艦隊参謀長であった草鹿龍之介は、仮に連合国軍が大兵力で攻め寄せてきたとしても10万以上の大出血を強いたであろうと語っている。

    これをみた連合軍は、反攻にあたり頑強な抵抗が予想されるラバウルを占領せず包囲するにとどめた結果、1945年8月の終戦まで日本が占領し、日本軍のオーストラリアへの空襲などに使われた。」ウィキより

  • この資料館、日本語解説あり、、、どなたかが訪れる日本人のために作成してくれたらしい。<br /><br />※自分も実は任国ガーナを去る時、よく訪れていたガーナの城塞全ての英語解説を日本語に翻訳した文書を、JICAの方と一緒に各城塞に直接渡しに行ったんです。日本人観光客が来たら見せてあげて下さいと、、、。で、思い出し、この4トラのガーナを訪れた人に聞いてみたら、、、残念!、、、捨てられたかな?

    この資料館、日本語解説あり、、、どなたかが訪れる日本人のために作成してくれたらしい。

    ※自分も実は任国ガーナを去る時、よく訪れていたガーナの城塞全ての英語解説を日本語に翻訳した文書を、JICAの方と一緒に各城塞に直接渡しに行ったんです。日本人観光客が来たら見せてあげて下さいと、、、。で、思い出し、この4トラのガーナを訪れた人に聞いてみたら、、、残念!、、、捨てられたかな?

  • 資料館、、、けっこう整理されてました。

    資料館、、、けっこう整理されてました。

  • 管理人に感謝です。

    管理人に感謝です。

  • まだ見てなかった所も、、、

    まだ見てなかった所も、、、

  • 朽ちてはいますが、この地で日本軍が戦った証拠。

    朽ちてはいますが、この地で日本軍が戦った証拠。

  • 忘れないために、、、<br /><br />※若い同僚に、パプアニューギニアで何してきたんですか?と聞かれ、、、、ラバウルに行ってきたんだよ!と答えると、、、ラバウル???、、、知らないらしい。これが現実です。

    忘れないために、、、

    ※若い同僚に、パプアニューギニアで何してきたんですか?と聞かれ、、、、ラバウルに行ってきたんだよ!と答えると、、、ラバウル???、、、知らないらしい。これが現実です。

  • このミュージアムには記帳ノートがありまして、覗いて見たら、直近では日本人女性も、、、

    このミュージアムには記帳ノートがありまして、覗いて見たら、直近では日本人女性も、、、

  • 「ようやくここに訪ずれることができました、、、」と記帳されてました、、、。想像するに、お父さんか親族の方が、この地で戦死をされたのかな?なかなか来れないこのラバウルまで1人で慰霊に来られたのかもしれません。そんな想像をしてしまいました。<br /><br />自分もペンを管理人さんから借りて記帳しました。そしてこの写真の子に、「ありがとう!」ペンを返しました。

    「ようやくここに訪ずれることができました、、、」と記帳されてました、、、。想像するに、お父さんか親族の方が、この地で戦死をされたのかな?なかなか来れないこのラバウルまで1人で慰霊に来られたのかもしれません。そんな想像をしてしまいました。

    自分もペンを管理人さんから借りて記帳しました。そしてこの写真の子に、「ありがとう!」ペンを返しました。

  • ここ見れてホントよかったです。ますます日本軍の戦い、知りたくなっちゃいました。

    ここ見れてホントよかったです。ますます日本軍の戦い、知りたくなっちゃいました。

  • で、さあラバウルに行こうと、バス停行こうとしたら、、、タクシーの運ちゃんが声をかけてきた。<br /><br />ラバウルまでタクシーで行ったらいくらかかるんだろう?試しに聞いてみることに、、、。<br />「ラバウルの日本人慰霊碑が見たいんだけど、往復いくら?」<br />「150に150.、往復300キナだ!」と、、、。日本円にしたら11000円程。、、、ということでタクシー貸し切り観光へ。ツアー参加なら30000円は取られたので、(結局、すったもんだあり、寄り道しながら行ったので400キナになりましたが満足満足!ラバウル観光14000円なり)

    で、さあラバウルに行こうと、バス停行こうとしたら、、、タクシーの運ちゃんが声をかけてきた。

    ラバウルまでタクシーで行ったらいくらかかるんだろう?試しに聞いてみることに、、、。
    「ラバウルの日本人慰霊碑が見たいんだけど、往復いくら?」
    「150に150.、往復300キナだ!」と、、、。日本円にしたら11000円程。、、、ということでタクシー貸し切り観光へ。ツアー参加なら30000円は取られたので、(結局、すったもんだあり、寄り道しながら行ったので400キナになりましたが満足満足!ラバウル観光14000円なり)

  • ココポからラバウルまでは、山道経由で40キロ。海岸経由で30キロ程。<br />運ちゃん、行きは遠回りの山道経由で、、、。?不思議に思ってたら、帰りの海岸経由でわかった。海岸経由は道が完全舗装されてなかった。

    ココポからラバウルまでは、山道経由で40キロ。海岸経由で30キロ程。
    運ちゃん、行きは遠回りの山道経由で、、、。?不思議に思ってたら、帰りの海岸経由でわかった。海岸経由は道が完全舗装されてなかった。

  • で、ラバウル到着!<br /><br />「ラバウル市は、南北14km、東西8kmのBlanche湾(ラバウルカルデラ)を囲む火山群の北西端にある。<br /><br />536年の噴火が世界中の気象を変え、過去2000年で最悪の気候をもたらしたという説がある。535年のクラカタウ火山(インドネシア)の爆発も原因であるという説や、彗星衝突説もあり、はっきりしていない。<br /><br />1878年の爆発でブルカン火山が形成された。<br /><br />1937年のオーストラリア領の時、2つの山が同時噴火し507人が死亡した。オーストラリアはニューギニア地区の中心をラバウルに置いていたが、ラエに移動させた。<br /><br />1941年12月の日本とオーストラリア間の開戦当時に小噴火を繰り返していたタブルブル火山(Tavurvur、日本名は「花吹山」)は、1942年6月に噴火が終わった。<br /><br />1994年、近郊のタブルブル火山(Tavurvur Volcano)とブルカン火山(Vulcan Crater、日本名は西吹山)の同時噴火によって5m以上の降灰が市街を襲い大きな打撃を受けている。住民は近郊の山林に避難し、ラバウル空港は放棄され、南東に20km離れたココポの町に新空港と政府機関が移転した。ラバウル付近では各国の援助で再建が進むものの、旧市街は降灰に埋もれ放棄されたままである。」ウィキより<br />

    で、ラバウル到着!

    「ラバウル市は、南北14km、東西8kmのBlanche湾(ラバウルカルデラ)を囲む火山群の北西端にある。

    536年の噴火が世界中の気象を変え、過去2000年で最悪の気候をもたらしたという説がある。535年のクラカタウ火山(インドネシア)の爆発も原因であるという説や、彗星衝突説もあり、はっきりしていない。

    1878年の爆発でブルカン火山が形成された。

    1937年のオーストラリア領の時、2つの山が同時噴火し507人が死亡した。オーストラリアはニューギニア地区の中心をラバウルに置いていたが、ラエに移動させた。

    1941年12月の日本とオーストラリア間の開戦当時に小噴火を繰り返していたタブルブル火山(Tavurvur、日本名は「花吹山」)は、1942年6月に噴火が終わった。

    1994年、近郊のタブルブル火山(Tavurvur Volcano)とブルカン火山(Vulcan Crater、日本名は西吹山)の同時噴火によって5m以上の降灰が市街を襲い大きな打撃を受けている。住民は近郊の山林に避難し、ラバウル空港は放棄され、南東に20km離れたココポの町に新空港と政府機関が移転した。ラバウル付近では各国の援助で再建が進むものの、旧市街は降灰に埋もれ放棄されたままである。」ウィキより

  • ラバウル街中、、、

    ラバウル街中、、、

  • で、この旅一番の目的達成!<br />ラバウル南太平洋戦没者慰霊の碑。

    で、この旅一番の目的達成!
    ラバウル南太平洋戦没者慰霊の碑。

  • パプアニューギニア・ビスマルク諸島、ニューブリテン島に位置し、ラバウル市街を見下ろす小高い山の中腹に建つ「南太平洋戦没者の碑」。<br />ラバウルのみならず、20万人の南東方面の全戦没者に捧げられた慰霊碑であり、1980年に戦没の霊を弔い、悲劇を繰り返さないことを念じて、日本政府や戦友会が地元の人達との協力によって建立された。<br />碑という名前が付いているが、建物に近い構築物である。上屋天井面には、南太平洋の地図が描かれている。地図のラバウルの地点には丸い穴が開けられており、この穴は「大地に眠る死者とそこを訪れる生者との邂逅の場」意味している。上屋の方向は、はるか日本の方向を望んでいる。」<br />

    パプアニューギニア・ビスマルク諸島、ニューブリテン島に位置し、ラバウル市街を見下ろす小高い山の中腹に建つ「南太平洋戦没者の碑」。
    ラバウルのみならず、20万人の南東方面の全戦没者に捧げられた慰霊碑であり、1980年に戦没の霊を弔い、悲劇を繰り返さないことを念じて、日本政府や戦友会が地元の人達との協力によって建立された。
    碑という名前が付いているが、建物に近い構築物である。上屋天井面には、南太平洋の地図が描かれている。地図のラバウルの地点には丸い穴が開けられており、この穴は「大地に眠る死者とそこを訪れる生者との邂逅の場」意味している。上屋の方向は、はるか日本の方向を望んでいる。」

  • 「碑文には<br /><br />「さきの大戦において南太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび平和への思いをこめてこの碑を建立する」とある。」

    「碑文には

    「さきの大戦において南太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび平和への思いをこめてこの碑を建立する」とある。」

  • 再度復習、、、「ラバウルの戦い」ウィキより<br />「大日本帝国海軍の主要基地であるカロリン諸島のトラック諸島に近い故に、ニューブリテン島のラバウルとニューアイルランド島のカビエンは重要な拠点とみなされており、特に第四艦隊司令長官井上成美海軍中将は太平洋戦争開戦前からラバウル攻略の必要性を各方面に訴えていた。 1942年(昭和17年)1月中旬以降、日本海軍の南洋部隊(指揮官井上成美第四艦隊司令長官)は、南雲機動部隊(指揮官南雲忠一第一航空艦隊司令長官)の支援を受け、第十九戦隊司令官志摩清英海軍少将をラバウル攻略の指揮官に任命して攻撃を開始する。日本陸軍の南海支隊(指揮官堀井富太郎陸軍少将)が、攻略部隊の主力であった。1月23日、南海支隊と海軍陸戦隊の攻撃によりラバウルとカビエンは陥落、オーストラリア軍は抵抗少なく降伏した。<br /><br />ラバウルの港を占領した後、日本軍はこの港を大規模な基地とし、また航空基地を整備した。日本軍はラバウルを拠点にニューギニア本島に進出し、更にはポートモレスビーやオーストラリア大陸を目指した。」

    再度復習、、、「ラバウルの戦い」ウィキより
    「大日本帝国海軍の主要基地であるカロリン諸島のトラック諸島に近い故に、ニューブリテン島のラバウルとニューアイルランド島のカビエンは重要な拠点とみなされており、特に第四艦隊司令長官井上成美海軍中将は太平洋戦争開戦前からラバウル攻略の必要性を各方面に訴えていた。 1942年(昭和17年)1月中旬以降、日本海軍の南洋部隊(指揮官井上成美第四艦隊司令長官)は、南雲機動部隊(指揮官南雲忠一第一航空艦隊司令長官)の支援を受け、第十九戦隊司令官志摩清英海軍少将をラバウル攻略の指揮官に任命して攻撃を開始する。日本陸軍の南海支隊(指揮官堀井富太郎陸軍少将)が、攻略部隊の主力であった。1月23日、南海支隊と海軍陸戦隊の攻撃によりラバウルとカビエンは陥落、オーストラリア軍は抵抗少なく降伏した。

    ラバウルの港を占領した後、日本軍はこの港を大規模な基地とし、また航空基地を整備した。日本軍はラバウルを拠点にニューギニア本島に進出し、更にはポートモレスビーやオーストラリア大陸を目指した。」

  • その後、、、<br />「1月24日午後5時15分、大本営はラバウルとカビエンの占領を発表し、その意義を解説した(大本営発表)。ラバウルとカビエンを占領した日本軍は、ただちに航空基地の設営作業に入る。ラバウル占領直後より、日本軍はポートモレスビー方面から飛来する大型陸上機や飛行艇の夜間来襲に悩まされ、すぐに航空戦力を整備する必要があった。 1月25日、横浜海軍航空隊の九七式飛行艇8機が進出して哨戒任務に従事した。1月27日、第五航空戦隊は九六式艦上戦闘機18機をカビエンに空輸し、これらは順次ラバウルに進出した。日本軍はアメリカとオーストラリア間の連絡路遮断を企図して1月29日にポートモレスビー攻略を下令、南洋部隊と南海支隊は3月~4月にかけてパプアニューギニアやツラギ諸島を攻略すべく作戦準備を進めた(ポートモレスビー作戦)。 また南洋部隊電令作第六号をもってビスマルク諸島方面軍攻略部隊(指揮官志摩少将)は解散、新編の第八根拠地隊(23日ラバウル上陸、26日司令部業務開始)を基幹とするビスマルク諸島方面部隊(指揮官は第八根拠地隊司令官金澤正夫海軍少将)が新編され、同方面の防備警戒に従事することになった。志摩少将の第十九戦隊など、各隊・各艦は順次トラック泊地に引き上げた。支援部隊の第六戦隊も、30日にラバウルに入港して燃料を補給したあと、同港を去った。<br /><br />一方、連合軍側の民間人数人とオーストラリア軍ニューギニア方面司令部の士官数人はニューギニア本島からニューブリテン島に対しての非公式な救出作戦を立案し、3月から5月にかけて450人の兵士と市民が海路救出された。日本軍は即座にラバウル飛行場が受けた損傷を修復し、ラバウルはニューギニアにおける日本軍の最大の基地となり、この地域の防衛の要となった。日本軍のラバウル基地の掌握後、日本軍による基地再建を阻止すべくオーストラリア軍は3月にラバウル空襲を試みた。アメリカ軍は空母レキシントンを基幹とする機動部隊を派遣してラバウル奇襲を試みたが、2月20日にラバウル基地より発進した一式陸上攻撃機に迎撃される。陸攻多数を撃墜したが、奇襲意図の暴露により撤退した(ニューギニア沖海戦)。 一部の雲雀部隊の兵士はニューブリテンとニューアイルランドで島内住民と連携しつつ残存し、日本軍に対してゲリラ作戦を行い、オーストラリア側に日本軍の出港情報を供給するコースト・ウォッチャーズとして活躍した。<br /><br />捕虜となった1000人のオーストラリア軍兵士のうちおよそ160人は、2月4日頃トルとワイタバロの4つの独房で虐殺された。この虐殺を逃れた6人の生存者は後に裁判の喚問において、虐殺の状況について鮮明に語った。オーストラリア政府は、 捕虜となった兵士はトルプランテーションの近くのジャングルに小集団で連れ込まれ、日本軍兵士によって銃剣で虐殺されたと断定した。また、この場所の近くのワイタバロプランテーションでもオーストラリア兵の捕虜は射殺されたとしている。連合国は後にこれらの虐殺の責任を第144歩兵連隊の指揮官であった楠瀬正雄に求めたが、1946年下旬に彼は食を断って命を落とし裁判の場に出ることはなかった。少なくとも800人の兵士や200人の民間人のオーストラリア人などの捕虜は、1942年の7月1日にもんてびでお丸でラバウルから日本へと向かう途中、アメリカ軍の潜水艦スタージョンによって撃沈され命を落とした。<br /><br />1943年の11月下旬に、ハルゼー提督麾下の航空母艦サラトガとプリンストンなどの部隊によるラバウル空襲でラバウルの日本海軍が一掃されて以降、「大日本帝国軍の大型戦闘艦は一切ラバウルに現れることはなかった。」とされる。1943年12月、アメリカ海兵隊がニューブリテン島西部グロスター岬に上陸し、その後連合国軍はカートホイール作戦などニューブリテン戦線を行い日本軍の動きを徐々に制限していった。1944年の11月、オーストラリア軍第五師団の先行部隊がラバウルの南岸のジャキンオット湾に上陸し、ニューブリテン島にオーストラリア軍が帰還することとなった。その後、島の周囲にオーストラリア軍の数部隊が上陸し、数部隊が北進してワイド湾とオープン湾の間のガゼル半島の基地を横切るラインを確保した。 この後、オーストラリア軍はラバウル周辺の日本軍主力を分断・包囲すべく軍を動かしている。<br /><br />1945年8月15日、ポツダム宣言を受け入れ日本が降伏した際、ラバウルになお69000人の兵士が残留していた。」

    その後、、、
    「1月24日午後5時15分、大本営はラバウルとカビエンの占領を発表し、その意義を解説した(大本営発表)。ラバウルとカビエンを占領した日本軍は、ただちに航空基地の設営作業に入る。ラバウル占領直後より、日本軍はポートモレスビー方面から飛来する大型陸上機や飛行艇の夜間来襲に悩まされ、すぐに航空戦力を整備する必要があった。 1月25日、横浜海軍航空隊の九七式飛行艇8機が進出して哨戒任務に従事した。1月27日、第五航空戦隊は九六式艦上戦闘機18機をカビエンに空輸し、これらは順次ラバウルに進出した。日本軍はアメリカとオーストラリア間の連絡路遮断を企図して1月29日にポートモレスビー攻略を下令、南洋部隊と南海支隊は3月~4月にかけてパプアニューギニアやツラギ諸島を攻略すべく作戦準備を進めた(ポートモレスビー作戦)。 また南洋部隊電令作第六号をもってビスマルク諸島方面軍攻略部隊(指揮官志摩少将)は解散、新編の第八根拠地隊(23日ラバウル上陸、26日司令部業務開始)を基幹とするビスマルク諸島方面部隊(指揮官は第八根拠地隊司令官金澤正夫海軍少将)が新編され、同方面の防備警戒に従事することになった。志摩少将の第十九戦隊など、各隊・各艦は順次トラック泊地に引き上げた。支援部隊の第六戦隊も、30日にラバウルに入港して燃料を補給したあと、同港を去った。

    一方、連合軍側の民間人数人とオーストラリア軍ニューギニア方面司令部の士官数人はニューギニア本島からニューブリテン島に対しての非公式な救出作戦を立案し、3月から5月にかけて450人の兵士と市民が海路救出された。日本軍は即座にラバウル飛行場が受けた損傷を修復し、ラバウルはニューギニアにおける日本軍の最大の基地となり、この地域の防衛の要となった。日本軍のラバウル基地の掌握後、日本軍による基地再建を阻止すべくオーストラリア軍は3月にラバウル空襲を試みた。アメリカ軍は空母レキシントンを基幹とする機動部隊を派遣してラバウル奇襲を試みたが、2月20日にラバウル基地より発進した一式陸上攻撃機に迎撃される。陸攻多数を撃墜したが、奇襲意図の暴露により撤退した(ニューギニア沖海戦)。 一部の雲雀部隊の兵士はニューブリテンとニューアイルランドで島内住民と連携しつつ残存し、日本軍に対してゲリラ作戦を行い、オーストラリア側に日本軍の出港情報を供給するコースト・ウォッチャーズとして活躍した。

    捕虜となった1000人のオーストラリア軍兵士のうちおよそ160人は、2月4日頃トルとワイタバロの4つの独房で虐殺された。この虐殺を逃れた6人の生存者は後に裁判の喚問において、虐殺の状況について鮮明に語った。オーストラリア政府は、 捕虜となった兵士はトルプランテーションの近くのジャングルに小集団で連れ込まれ、日本軍兵士によって銃剣で虐殺されたと断定した。また、この場所の近くのワイタバロプランテーションでもオーストラリア兵の捕虜は射殺されたとしている。連合国は後にこれらの虐殺の責任を第144歩兵連隊の指揮官であった楠瀬正雄に求めたが、1946年下旬に彼は食を断って命を落とし裁判の場に出ることはなかった。少なくとも800人の兵士や200人の民間人のオーストラリア人などの捕虜は、1942年の7月1日にもんてびでお丸でラバウルから日本へと向かう途中、アメリカ軍の潜水艦スタージョンによって撃沈され命を落とした。

    1943年の11月下旬に、ハルゼー提督麾下の航空母艦サラトガとプリンストンなどの部隊によるラバウル空襲でラバウルの日本海軍が一掃されて以降、「大日本帝国軍の大型戦闘艦は一切ラバウルに現れることはなかった。」とされる。1943年12月、アメリカ海兵隊がニューブリテン島西部グロスター岬に上陸し、その後連合国軍はカートホイール作戦などニューブリテン戦線を行い日本軍の動きを徐々に制限していった。1944年の11月、オーストラリア軍第五師団の先行部隊がラバウルの南岸のジャキンオット湾に上陸し、ニューブリテン島にオーストラリア軍が帰還することとなった。その後、島の周囲にオーストラリア軍の数部隊が上陸し、数部隊が北進してワイド湾とオープン湾の間のガゼル半島の基地を横切るラインを確保した。 この後、オーストラリア軍はラバウル周辺の日本軍主力を分断・包囲すべく軍を動かしている。

    1945年8月15日、ポツダム宣言を受け入れ日本が降伏した際、ラバウルになお69000人の兵士が残留していた。」

  • 捕虜への虐殺、、、この後オーストラリアのカウラを訪れるわけですが、、、<br />当時の日本兵と連合国軍の兵士の「捕虜」への認識は違ったものだったと思うわけです。<br /><br />「恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」有名な戦陣訓の一節ですが、、、実際、捕虜となった彼らは死を選ぶわけです。<br /><br />なにかこの違いが多くの悲劇を生んだように思えてなりません。

    捕虜への虐殺、、、この後オーストラリアのカウラを訪れるわけですが、、、
    当時の日本兵と連合国軍の兵士の「捕虜」への認識は違ったものだったと思うわけです。

    「恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」有名な戦陣訓の一節ですが、、、実際、捕虜となった彼らは死を選ぶわけです。

    なにかこの違いが多くの悲劇を生んだように思えてなりません。

  • <br />いずれにしても、この戦争で多くの日本人が、人々が亡くなったわけです。馬鹿げた戦争で無駄死にだったのか?と問われれば、けしてそうではない、と言いたいですね。なんてたって自分、日本人ですから、、、。


    いずれにしても、この戦争で多くの日本人が、人々が亡くなったわけです。馬鹿げた戦争で無駄死にだったのか?と問われれば、けしてそうではない、と言いたいですね。なんてたって自分、日本人ですから、、、。

  • 多くの方が亡くなられたラバウル、、、ちゃんと慰霊してきました。

    多くの方が亡くなられたラバウル、、、ちゃんと慰霊してきました。

  • 次に訪れたのは、、、<br />連合艦隊司令長官山本五十六さんが最期の夜を過ごしたといいわれている場所、山本バンカー!

    次に訪れたのは、、、
    連合艦隊司令長官山本五十六さんが最期の夜を過ごしたといいわれている場所、山本バンカー!

  • といっても調べた所、都市伝説らしいが、、、。地元の方は信じてるらしいが、、。

    といっても調べた所、都市伝説らしいが、、、。地元の方は信じてるらしいが、、。

  • 入れるものだと思って期待してたら、、、

    入れるものだと思って期待してたら、、、

  • 扉に鍵がかかって入れず。なんかどこかのホテルへ電話してねみたいな案内板があったけど、、、。

    扉に鍵がかかって入れず。なんかどこかのホテルへ電話してねみたいな案内板があったけど、、、。

  • まあ、入っても何もないと思うんで入り口で我慢します。

    まあ、入っても何もないと思うんで入り口で我慢します。

  • 周りにはこんな残骸も展示されてました。

    周りにはこんな残骸も展示されてました。

  • 今ネットで調べたら、向かえにあった○○クラブ、小さなミュージアムだったとは、、、。<br />事前に調べていくべきでした。

    今ネットで調べたら、向かえにあった○○クラブ、小さなミュージアムだったとは、、、。
    事前に調べていくべきでした。

  • 次は、、、<br />Montevideo Maru Memorial<br /><br />「モンテビデオ丸は、大阪商船会社が南米への太平洋横断サービス向けに建造した3隻の船のうちの1隻である。総登録トン数7,267トン のこの船は、長崎の三菱造船化工機会社で建造され、1926年に進水した。[全長130メートル、全幅17メートルの本船は、2基の三菱スルザー6ST60 6気筒ディーゼル機関を搭載し、合計3,400キロワット(4,600馬力)を出力し、14.5ノット(26.9 km/h)の速度を実現した。[戦前、本船は旅客船および貨物船として運航され、主に日本とブラジルの間を日本人移民を運んでいた。<br /><br /><br />

    次は、、、
    Montevideo Maru Memorial

    「モンテビデオ丸は、大阪商船会社が南米への太平洋横断サービス向けに建造した3隻の船のうちの1隻である。総登録トン数7,267トン のこの船は、長崎の三菱造船化工機会社で建造され、1926年に進水した。[全長130メートル、全幅17メートルの本船は、2基の三菱スルザー6ST60 6気筒ディーゼル機関を搭載し、合計3,400キロワット(4,600馬力)を出力し、14.5ノット(26.9 km/h)の速度を実現した。[戦前、本船は旅客船および貨物船として運航され、主に日本とブラジルの間を日本人移民を運んでいた。


  • 「1942年1月から2月にかけてラバウルが日本軍に陥落してから約4か月後の1942年6月22日、1,054名の捕虜(ほとんどがオーストラリア人で、おそらくニュージーランド人もいた)がラバウル港からモンテビデオ丸に乗船した。モンテビデオ丸は護衛なしで中国の海南島に向かっていたが、 1942年6月30日、フィリピン北部の海岸付近でアメリカの潜水艦 USS スタージョンに発見された。

    「1942年1月から2月にかけてラバウルが日本軍に陥落してから約4か月後の1942年6月22日、1,054名の捕虜(ほとんどがオーストラリア人で、おそらくニュージーランド人もいた)がラバウル港からモンテビデオ丸に乗船した。モンテビデオ丸は護衛なしで中国の海南島に向かっていたが、 1942年6月30日、フィリピン北部の海岸付近でアメリカの潜水艦 USS スタージョンに発見された。

  • 「スタージョンは追跡したが、目標が時速17ノット(31 km/h)で移動していたため射撃できなかった。モンテビデオ丸は、2隻の護衛駆逐艦との予定された合流を容易にするため、真夜中に約12ノット(22 km/h)まで減速した。この 船が連合国の捕虜と民間人を乗せていることを知らなかったスタージョンは、1942年7月1日の夜明け前にモンテビデオ丸に4本の魚雷を発射した。少なくとも1本の魚雷が命中し、船は浸水し、11分後に沈没した。」<br /><br />自分の地元にも、三船殉難事件という出来事がある。ただ、こっちは明らかに民間人をねらったソ連軍潜水艦からの攻撃。<br />「三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)は、第二次世界大戦終戦後の1945年(昭和20年)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの疎開者を主体とする日本の緊急疎開船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦(L-12号・L-19号)からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件を指す。死者1,558人、行方不明150人とされる。三船遭難事件とも呼ばれる。」

    「スタージョンは追跡したが、目標が時速17ノット(31 km/h)で移動していたため射撃できなかった。モンテビデオ丸は、2隻の護衛駆逐艦との予定された合流を容易にするため、真夜中に約12ノット(22 km/h)まで減速した。この 船が連合国の捕虜と民間人を乗せていることを知らなかったスタージョンは、1942年7月1日の夜明け前にモンテビデオ丸に4本の魚雷を発射した。少なくとも1本の魚雷が命中し、船は浸水し、11分後に沈没した。」

    自分の地元にも、三船殉難事件という出来事がある。ただ、こっちは明らかに民間人をねらったソ連軍潜水艦からの攻撃。
    「三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)は、第二次世界大戦終戦後の1945年(昭和20年)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの疎開者を主体とする日本の緊急疎開船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦(L-12号・L-19号)からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件を指す。死者1,558人、行方不明150人とされる。三船遭難事件とも呼ばれる。」

  • 次は火山に、、、マッブスミーに表示されてる観光名所回ってます。

    次は火山に、、、マッブスミーに表示されてる観光名所回ってます。

  • 入場料5キナ?払って入場!

    入場料5キナ?払って入場!

  • ポルカーノが見えてきました。

    ポルカーノが見えてきました。

  • 着いたら、ホットスプリングとの表示が、、、。知らんかった、、、ラバウルに温泉があるなんて、、、。他の人の旅行記、直前に見ておくべきですね。

    着いたら、ホットスプリングとの表示が、、、。知らんかった、、、ラバウルに温泉があるなんて、、、。他の人の旅行記、直前に見ておくべきですね。

  • 温泉、、、手を入れてみたら、、、あちち!<br />神津島の温泉みたいな熱さ!

    温泉、、、手を入れてみたら、、、あちち!
    神津島の温泉みたいな熱さ!

  • 時間がないので入浴せず。神津島と同じく海水近くで入るみたい、、、

    時間がないので入浴せず。神津島と同じく海水近くで入るみたい、、、

  • ボルケーノへの道、、、

    ボルケーノへの道、、、

  • てくてく行ったら、運ちゃんもついてきた。山に登る?とも考えたが、運ちゃん、「時間がないので、、、」断念!<br />

    てくてく行ったら、運ちゃんもついてきた。山に登る?とも考えたが、運ちゃん、「時間がないので、、、」断念!

  • 運ちゃんがいうには、登る人もいるらしい。

    運ちゃんがいうには、登る人もいるらしい。

  • 名残惜しいが、、、

    名残惜しいが、、、

  • 地元の人はあんまり入らないのかなあ?<br /><br />来客者目当てに、ちょっとしたお土産屋もありました。

    地元の人はあんまり入らないのかなあ?

    来客者目当てに、ちょっとしたお土産屋もありました。

  • このタクシーでまわっています。

    このタクシーでまわっています。

  • 右側にいるのが、運ちゃん!

    右側にいるのが、運ちゃん!

  • ラバウル最後は、展望台(Lookout Volcano Observatory)!

    ラバウル最後は、展望台(Lookout Volcano Observatory)!

  • 港にびったりの地形、、、

    港にびったりの地形、、、

  • ラバウルです。

    ラバウルです。

  • ここで80年前、日本軍と連合国軍が攻防を繰り広げていたのです。

    ここで80年前、日本軍と連合国軍が攻防を繰り広げていたのです。

  • この展望台に向かう時、??と思ってたのが、道の脇に無数にあった穴。何で?<br />帰りに、運ちゃんが教えてくれました。<br />

    この展望台に向かう時、??と思ってたのが、道の脇に無数にあった穴。何で?
    帰りに、運ちゃんが教えてくれました。

  • 日本軍が作ったバンカーなんだとか。たくさんあります。連合国軍の飛び石作戦でラバウルはうちすてられましたが、その間、きっと日本軍は要塞化をはかったのでしょう。

    日本軍が作ったバンカーなんだとか。たくさんあります。連合国軍の飛び石作戦でラバウルはうちすてられましたが、その間、きっと日本軍は要塞化をはかったのでしょう。

  • 運ちゃん、気を効かせてくれたのか、「(ココポまでの)帰りは海沿いを走ります?」もちろん、プリーズ!<br /><br />で、見つけたのがここ!ジャパニーズなんとかっていう案内看板を見つけ、行きますか?と聞いてくる運ちゃん。初めこそそんなに話したわけじゃないけど、日本軍の戦跡あちこち回ってるうちに、なんとなく気心が通じてる感じ、、、<br />

    運ちゃん、気を効かせてくれたのか、「(ココポまでの)帰りは海沿いを走ります?」もちろん、プリーズ!

    で、見つけたのがここ!ジャパニーズなんとかっていう案内看板を見つけ、行きますか?と聞いてくる運ちゃん。初めこそそんなに話したわけじゃないけど、日本軍の戦跡あちこち回ってるうちに、なんとなく気心が通じてる感じ、、、

  • 今調べたら、きっとここがラバウルツアーで行くあそこでしょうね。

    今調べたら、きっとここがラバウルツアーで行くあそこでしょうね。

  • 終戦まで一応日本軍の占領下にあったラバウル、、、こんな物までまだ残ってるんですね。

    終戦まで一応日本軍の占領下にあったラバウル、、、こんな物までまだ残ってるんですね。

  • ここが入り口。見終わって出てきたら、若者が入場料徴収しにきました。(いくらだったかは忘れちゃいました。)<br />(そういえば、ソロモン諸島でも地元の人が管理し、来客からお金徴収してた、、、座礁船見に行ったらそこでも、、、管理してるとは思えないけど、それで暮らしてるんだっていう話を聞くと、、、)<br /><br />ちゃんと管理してることに感謝しなきゃならない。

    ここが入り口。見終わって出てきたら、若者が入場料徴収しにきました。(いくらだったかは忘れちゃいました。)
    (そういえば、ソロモン諸島でも地元の人が管理し、来客からお金徴収してた、、、座礁船見に行ったらそこでも、、、管理してるとは思えないけど、それで暮らしてるんだっていう話を聞くと、、、)

    ちゃんと管理してることに感謝しなきゃならない。

  • 帰りの道沿いにも日本軍のバンカーはたくさん!

    帰りの道沿いにも日本軍のバンカーはたくさん!

  • これ!

    これ!

  • これも!

    これも!

  • これも、、、

    これも、、、

  • ラバウルはバンカーの町でした。

    ラバウルはバンカーの町でした。

  • ということで、ココポに戻り、銀行に寄ってもらいました。支払いのキナが足りなく、オーストラリアドルを換金しようと銀行へ、、、。でも時間がかかる、、、さんざん待って、「今日は出来ない!」、、、。<br />ATMでおろそうにも自分のカードではおろせない状態。運ちゃんに悪いなあと思いながら、時間ばかりが過ぎ、結局、無理言ってオーストラリアドルを受け取ってもらいました。300キナ→400キナ分。<br />あちこち寄ってもらったし、時間もかかったし、チップ代も込めて、、、。運ちゃんサンキューでした。<br /><br />ラバウル観光は、節約するなら、地元のタクシーで回るのもいいかも。<br /><br />写真は昼兼夕飯、、、パプアニューギニアで安く食べるならこれがいいかも。ビーフオンザライス!

    ということで、ココポに戻り、銀行に寄ってもらいました。支払いのキナが足りなく、オーストラリアドルを換金しようと銀行へ、、、。でも時間がかかる、、、さんざん待って、「今日は出来ない!」、、、。
    ATMでおろそうにも自分のカードではおろせない状態。運ちゃんに悪いなあと思いながら、時間ばかりが過ぎ、結局、無理言ってオーストラリアドルを受け取ってもらいました。300キナ→400キナ分。
    あちこち寄ってもらったし、時間もかかったし、チップ代も込めて、、、。運ちゃんサンキューでした。

    ラバウル観光は、節約するなら、地元のタクシーで回るのもいいかも。

    写真は昼兼夕飯、、、パプアニューギニアで安く食べるならこれがいいかも。ビーフオンザライス!

  • さて、まだ時間があったのでまたまたココポ散策、、、海へ、、、

    さて、まだ時間があったのでまたまたココポ散策、、、海へ、、、

  • ここでもヤマハの船外機が活躍してる!

    ここでもヤマハの船外機が活躍してる!

  • バナナとバナナの花!<br />この写真は子供たちに見せるため。

    バナナとバナナの花!
    この写真は子供たちに見せるため。

  • ココポのマーケットにやって来ました。

    ココポのマーケットにやって来ました。

  • <br />


  • ビートルナッツ!パプアニューギニア人には欠かせないものですね。1つ1キナ!

    ビートルナッツ!パプアニューギニア人には欠かせないものですね。1つ1キナ!

  • ???<br />これが何だかわかりますか?<br />自分、最初、海藻かなと思ってました。聞いてみると、、、<br /><br />タバコでした。ケンさんが吸ってた新聞紙に巻いてたタバコ、これだったんです。<br />

    ???
    これが何だかわかりますか?
    自分、最初、海藻かなと思ってました。聞いてみると、、、

    タバコでした。ケンさんが吸ってた新聞紙に巻いてたタバコ、これだったんです。

  • メイド・イン・パプアニューギニアのコーラ!

    メイド・イン・パプアニューギニアのコーラ!

  • 今日もタクラムロッジに、、、

    今日もタクラムロッジに、、、

  • 日付は7月29日。早朝の出立なんで空港までの15キロ歩いて行こうと4時起き。チェックアウトしていざ!と思ってたら門に鍵が、、、。門番起こし、開けてくれと頼んだら、、、<br />??どこへ行く?<br />空港へ!<br />!なんだって!空港?危険だ!ホテルの送迎(10ドル)で行きなさい。、、、とのこと。<br /><br />ラバウル、危険な目にもあってないし、昼間はぶらぶら歩けたし、、、と思ってたけど、暗闇では危険なようです。地元の方が言うんだから間違いなし。<br /><br />ということで、ホテルに送迎頼んで空港に。(でも結果、ただ乗りしちゃいました。料金徴収しにこなかったので。乗客たくさんいたんで忘れちゃったのかな?)

    日付は7月29日。早朝の出立なんで空港までの15キロ歩いて行こうと4時起き。チェックアウトしていざ!と思ってたら門に鍵が、、、。門番起こし、開けてくれと頼んだら、、、
    ??どこへ行く?
    空港へ!
    !なんだって!空港?危険だ!ホテルの送迎(10ドル)で行きなさい。、、、とのこと。

    ラバウル、危険な目にもあってないし、昼間はぶらぶら歩けたし、、、と思ってたけど、暗闇では危険なようです。地元の方が言うんだから間違いなし。

    ということで、ホテルに送迎頼んで空港に。(でも結果、ただ乗りしちゃいました。料金徴収しにこなかったので。乗客たくさんいたんで忘れちゃったのかな?)

  • 最後のラバウル!天気にも恵まれ何よりでした。

    最後のラバウル!天気にも恵まれ何よりでした。

  • この飛行機で、、、ポートモレスビーへ。

    この飛行機で、、、ポートモレスビーへ。

  • ラバウル旅行、振り返ってみます。<br /><br />・空港からはココポまで、乗り合いバスがある。自分はただで乗せてもらったけど。<br />・ココポミュージアムは初日に行ったらいいかも。自分、ブッキングコムでココポの宿を予約したけど、ラバウルのホテルの方が安い。<br />・ココポからラバウルへは乗り合いバスがある。<br />・ココポ、ラバウル、昼間ならぶらぶら歩ける。<br />・ラバウル観光ならマッブスミー見て、歩いて観光できる。町から温泉までは片道8キロ。<br /><br />→ということで、自分がもしラバウル観光するなら、、、<br />◉1日目<br />・朝、ポートモレスビ発ー→トクア空港着<br />・トクア空港→ココポ(乗り合いバス、あるいはヒッチ)<br />・ココポミュージアム、マーケット観光<br />・ココポ→ラバウル(乗り合いバス)<br />・ラバウル宿泊(9000円)<br />◉2日目<br />・マッブスミーでラバウル観光(タクシー、あるいは徒歩で)<br />・ラバウル宿泊(9000円)<br />◉3日目<br />・朝、ラバウル→トクア空港(タクシー)<br />・トクア空港→ポートモレスビー<br />・ポートモレスビー観光<br />・夕、ポートモレスビー→ケアンズ<br />・ケアンズ宿泊<br />こんな感じ、、、参考になれば幸いです。

    ラバウル旅行、振り返ってみます。

    ・空港からはココポまで、乗り合いバスがある。自分はただで乗せてもらったけど。
    ・ココポミュージアムは初日に行ったらいいかも。自分、ブッキングコムでココポの宿を予約したけど、ラバウルのホテルの方が安い。
    ・ココポからラバウルへは乗り合いバスがある。
    ・ココポ、ラバウル、昼間ならぶらぶら歩ける。
    ・ラバウル観光ならマッブスミー見て、歩いて観光できる。町から温泉までは片道8キロ。

    →ということで、自分がもしラバウル観光するなら、、、
    ◉1日目
    ・朝、ポートモレスビ発ー→トクア空港着
    ・トクア空港→ココポ(乗り合いバス、あるいはヒッチ)
    ・ココポミュージアム、マーケット観光
    ・ココポ→ラバウル(乗り合いバス)
    ・ラバウル宿泊(9000円)
    ◉2日目
    ・マッブスミーでラバウル観光(タクシー、あるいは徒歩で)
    ・ラバウル宿泊(9000円)
    ◉3日目
    ・朝、ラバウル→トクア空港(タクシー)
    ・トクア空港→ポートモレスビー
    ・ポートモレスビー観光
    ・夕、ポートモレスビー→ケアンズ
    ・ケアンズ宿泊
    こんな感じ、、、参考になれば幸いです。

  • ラバウル航空隊<br />「赤道近く南緯4度にあるラバウルは、大型艦船が停泊できる天然の良港を備え第一次世界大戦の後も委任統治府が置かれ、この地域における要衝であった。大戦前に海外留学経験のある古い海軍士官らからはラボールと呼ばれていた。 ウィリアム・ハルゼー(アメリカ軍)は息子が米空母のラバウル空襲の際戦死するのではないか不安だったと戦後の回想録に書かれている。ラバウルでの戦死率の高さから、アメリカ軍搭乗員からはラバウルはドラゴンジョーズ(竜の顎)と恐れられた。これはラバウルの地形が竜の顎のような入り組んだ湾であることと同時に、侵攻すれば大損害を被ることを指していた。ラバウル航空隊の戦果については、空戦で頻繁に発生する誤認や重複の影響もあり、戦果の過大報告も起こっている。<br /><br />戦後に胸襟を開き直接対談した日米軍要人たちの回想レビューでは、米国側にとって熱帯多雨のソロモン戦線で有利だったのはレーダーしかなく、陰惨で前途の見込みが判断つかない精神的、肉体的に苦しい戦争で、太平洋戦線での各局面では情報収集と判断に非常に苦労していた。航空戦も峠をこえる時期までは機数・技量・性能も伯仲していたので、連合軍側も損害は非常に大きく何度も挫折寸前だった。しかし、日本軍側はガダルカナル争奪戦、ソロモン争奪戦で航空兵力、駆逐艦兵力を多く喪失した。後期には米軍側と日本軍側との海軍航空隊の人員・機材の優勢と劣勢が逆転した。連合軍側は搭乗員たち、機材の戦闘機空戦能力が優勢になった。日本側は教官の欠乏、訓練期間短縮、訓練用燃料不足のために新規搭乗員たちの技量は低下した。洋上を高速で自在に移動する点のような攻撃目標の艦隊を、飛行隊を組み海上を遠距離飛行して発見捕捉し攻撃作戦していた航空技量を持つ日本側搭乗員たちは殆どいなくなった。日本陸軍の第8方面軍(司令官今村均大将)が要塞化し集中堅持守備する各地要衝に対し、連合軍側は空白の密林地帯に巨大な土木機械力で大航空基地を1週間で建設して孤立化させていった。双方のバランスが崩れ、日本軍側は海と空を防衛する海上航空兵力を実質的に失い、連合軍側にとっては激戦の沖縄戦を迎えるまでは追撃戦になった。<br /><br />熱帯風土病に繰り返し罹患することにより現地住民の寿命は短かった。疫病媒介昆虫の蚊殺虫剤DDTが世界に普及する以前の時代、悪性種類のマラリア原虫による重度の熱帯マラリア、強いウイルスの悪性デング熱があり、予防薬キニーネの常用と治療薬アテブリンの備えは必須、傷口は熱帯性潰瘍にかかりやすく、熱帯アメーバ赤痢を予防するため水は飲料用に煮沸が必要であった。気候は地形(山の上側と平地側)によって暮らしやすさが大きく異なり、熱帯の夜の暑さは湿気を含んだ毛布とともに健康を害する元となっていた。搭乗員・基地員の3割は病気にかかり深刻な戦力問題および保健衛生問題となっていた。また降伏後、マラリアの予防薬、治療薬をオーストラリア軍に取り上げられたため、ラバウル将兵にマラリア・デング熱で死ぬものが戦後になって多かったことが知られている。この海域では、南太平洋と北太平洋から貿易風が常に吹き寄せ、上昇気流到達する成層圏高度も高いため、上昇気流によって積乱雲が飛行機の飛び越えられない10,000m以上の高空まで数時間で急激に発達、悪天候となり搭乗員たちの航空作戦遂行をしばしば妨げた。」ウィキより

    ラバウル航空隊
    「赤道近く南緯4度にあるラバウルは、大型艦船が停泊できる天然の良港を備え第一次世界大戦の後も委任統治府が置かれ、この地域における要衝であった。大戦前に海外留学経験のある古い海軍士官らからはラボールと呼ばれていた。 ウィリアム・ハルゼー(アメリカ軍)は息子が米空母のラバウル空襲の際戦死するのではないか不安だったと戦後の回想録に書かれている。ラバウルでの戦死率の高さから、アメリカ軍搭乗員からはラバウルはドラゴンジョーズ(竜の顎)と恐れられた。これはラバウルの地形が竜の顎のような入り組んだ湾であることと同時に、侵攻すれば大損害を被ることを指していた。ラバウル航空隊の戦果については、空戦で頻繁に発生する誤認や重複の影響もあり、戦果の過大報告も起こっている。

    戦後に胸襟を開き直接対談した日米軍要人たちの回想レビューでは、米国側にとって熱帯多雨のソロモン戦線で有利だったのはレーダーしかなく、陰惨で前途の見込みが判断つかない精神的、肉体的に苦しい戦争で、太平洋戦線での各局面では情報収集と判断に非常に苦労していた。航空戦も峠をこえる時期までは機数・技量・性能も伯仲していたので、連合軍側も損害は非常に大きく何度も挫折寸前だった。しかし、日本軍側はガダルカナル争奪戦、ソロモン争奪戦で航空兵力、駆逐艦兵力を多く喪失した。後期には米軍側と日本軍側との海軍航空隊の人員・機材の優勢と劣勢が逆転した。連合軍側は搭乗員たち、機材の戦闘機空戦能力が優勢になった。日本側は教官の欠乏、訓練期間短縮、訓練用燃料不足のために新規搭乗員たちの技量は低下した。洋上を高速で自在に移動する点のような攻撃目標の艦隊を、飛行隊を組み海上を遠距離飛行して発見捕捉し攻撃作戦していた航空技量を持つ日本側搭乗員たちは殆どいなくなった。日本陸軍の第8方面軍(司令官今村均大将)が要塞化し集中堅持守備する各地要衝に対し、連合軍側は空白の密林地帯に巨大な土木機械力で大航空基地を1週間で建設して孤立化させていった。双方のバランスが崩れ、日本軍側は海と空を防衛する海上航空兵力を実質的に失い、連合軍側にとっては激戦の沖縄戦を迎えるまでは追撃戦になった。

    熱帯風土病に繰り返し罹患することにより現地住民の寿命は短かった。疫病媒介昆虫の蚊殺虫剤DDTが世界に普及する以前の時代、悪性種類のマラリア原虫による重度の熱帯マラリア、強いウイルスの悪性デング熱があり、予防薬キニーネの常用と治療薬アテブリンの備えは必須、傷口は熱帯性潰瘍にかかりやすく、熱帯アメーバ赤痢を予防するため水は飲料用に煮沸が必要であった。気候は地形(山の上側と平地側)によって暮らしやすさが大きく異なり、熱帯の夜の暑さは湿気を含んだ毛布とともに健康を害する元となっていた。搭乗員・基地員の3割は病気にかかり深刻な戦力問題および保健衛生問題となっていた。また降伏後、マラリアの予防薬、治療薬をオーストラリア軍に取り上げられたため、ラバウル将兵にマラリア・デング熱で死ぬものが戦後になって多かったことが知られている。この海域では、南太平洋と北太平洋から貿易風が常に吹き寄せ、上昇気流到達する成層圏高度も高いため、上昇気流によって積乱雲が飛行機の飛び越えられない10,000m以上の高空まで数時間で急激に発達、悪天候となり搭乗員たちの航空作戦遂行をしばしば妨げた。」ウィキより

  • ラバウル航空隊員、マラリアにも悩まされていたようです。自分も1度ガーナで罹患した。死ぬかと思った。特効薬キニーネ飲んで、副作用で聴力失い、このままずっと音のない世界かと思うと不安で不安でたまらなかった。

    ラバウル航空隊員、マラリアにも悩まされていたようです。自分も1度ガーナで罹患した。死ぬかと思った。特効薬キニーネ飲んで、副作用で聴力失い、このままずっと音のない世界かと思うと不安で不安でたまらなかった。

  • 当時のラバウル航空隊員、こんな風景を見ていたんでしょうね。

    当時のラバウル航空隊員、こんな風景を見ていたんでしょうね。

  • ポートモレスビーの空港に到着!また戻ってきました。<br />よく見たら、この空港、日本語だらけ。不思議です。

    ポートモレスビーの空港に到着!また戻ってきました。
    よく見たら、この空港、日本語だらけ。不思議です。

  • 本日はこんなお出迎えも、、、。<br /><br />ラバウルからケアンズまでは片道4万円。せっかくですので首都ポートモレスビーも見たく、この旅程にしました。ポートモレスビーの宿はベラボーに高く、ちょうどこの航空券が朝ポートモレスビー着、夕方ポートモレスビー発、夜ケアンズ着だったので購入したわけです。

    本日はこんなお出迎えも、、、。

    ラバウルからケアンズまでは片道4万円。せっかくですので首都ポートモレスビーも見たく、この旅程にしました。ポートモレスビーの宿はベラボーに高く、ちょうどこの航空券が朝ポートモレスビー着、夕方ポートモレスビー発、夜ケアンズ着だったので購入したわけです。

  • でも、何するかは何も考えておらず、、、。マッブスミー見て決めました。旅行会社の半日ツアーなるものもあるけど、たっけーよ!<br /><br />で、Nature Parkに行って、パプアニューギニアの植物、動物見て来ようと、、、国鳥の極楽鳥も、、、空港からも近いようですし、、、。(片道8.5キロ)てくてくてくてく、、、<br />そしたら、いつものごとくタクシーから声かけられ、、、いくら?一応聞いてみたら、、、30キナ、、、たっけーよ!じゃあ20キナ!たっけーよ!歩き始めたら、、わかった10キナ!、、、とのことなので、タクシー乗車です。<br /><br />運ちゃんがいうにはNature Parkは2つあるらしく、どっち?と、、、。近い方!大学に近い方!

    でも、何するかは何も考えておらず、、、。マッブスミー見て決めました。旅行会社の半日ツアーなるものもあるけど、たっけーよ!

    で、Nature Parkに行って、パプアニューギニアの植物、動物見て来ようと、、、国鳥の極楽鳥も、、、空港からも近いようですし、、、。(片道8.5キロ)てくてくてくてく、、、
    そしたら、いつものごとくタクシーから声かけられ、、、いくら?一応聞いてみたら、、、30キナ、、、たっけーよ!じゃあ20キナ!たっけーよ!歩き始めたら、、わかった10キナ!、、、とのことなので、タクシー乗車です。

    運ちゃんがいうにはNature Parkは2つあるらしく、どっち?と、、、。近い方!大学に近い方!

  • 到着!でもこの運ちゃん、10キナ渡すと、やっぱり50キナ!だと、、、ふざけるな!怒ったふりして、、結局20キナで妥協、、、。パプアニューギニア、いい印象があったのですが、都会ではそうもいかないようです。<br />まあ、日本のタクシーだとこのくらい取られるか、、、

    到着!でもこの運ちゃん、10キナ渡すと、やっぱり50キナ!だと、、、ふざけるな!怒ったふりして、、結局20キナで妥協、、、。パプアニューギニア、いい印象があったのですが、都会ではそうもいかないようです。
    まあ、日本のタクシーだとこのくらい取られるか、、、

  • しばし、園内の写真を、、、。

    しばし、園内の写真を、、、。

  • 極楽鳥はどれ?

    極楽鳥はどれ?

  • なんか違うなあ、、、

    なんか違うなあ、、、

  • これでもないなあ、、、

    これでもないなあ、、、

  • これ?<br />違うな。

    これ?
    違うな。

  • 不思議な実。

    不思議な実。

  • これか?

    これか?

  • 面白い植物、、、

    面白い植物、、、

  • これはコウモリだな。

    これはコウモリだな。

  • 以上、Nature Parkでした。

    以上、Nature Parkでした。

  • で、ぶらぶら空港までもどります。<br /><br />※この通りでこの旅初めてのパプアニューギニアをぶらぶら歩いてる外国人(白人)見ました。留学生かも?

    で、ぶらぶら空港までもどります。

    ※この通りでこの旅初めてのパプアニューギニアをぶらぶら歩いてる外国人(白人)見ました。留学生かも?

  • たしかここは大学の敷地。

    たしかここは大学の敷地。

  • こんな道をぶらぶら、、、

    こんな道をぶらぶら、、、

  • ?

  • 途中、お腹がすいたので昼飯!

    途中、お腹がすいたので昼飯!

  • ガソリンスタンドとなりにあったファミリーレストランみたいな所で、、、。<br /><br />いつものビーフオンザライス! うまい!<br />お店のお兄さん、見慣れないおかしなお客(自分)にも、笑顔で対応! それもあってか美味しくかんじられたのかもしれない。<br />マスター、thank you !

    ガソリンスタンドとなりにあったファミリーレストランみたいな所で、、、。

    いつものビーフオンザライス! うまい!
    お店のお兄さん、見慣れないおかしなお客(自分)にも、笑顔で対応! それもあってか美味しくかんじられたのかもしれない。
    マスター、thank you !

  • このレストランです。

    このレストランです。

  • さて、またまたぶらぶら再開。

    さて、またまたぶらぶら再開。

  • ここはきっと、、、

    ここはきっと、、、

  • そうそう、歩道歩いていたら、地元の人に声かけられた。??何言ってるかはわからんかったけど、こっちこっちと、、、。後で考えると、、、歩道でも車道に近い方は歩くな!ってことかなと。何も考えず歩いてたので、、、車からの強盗に気をつけろと、教えてくれたのかもしれない。

    そうそう、歩道歩いていたら、地元の人に声かけられた。??何言ってるかはわからんかったけど、こっちこっちと、、、。後で考えると、、、歩道でも車道に近い方は歩くな!ってことかなと。何も考えず歩いてたので、、、車からの強盗に気をつけろと、教えてくれたのかもしれない。

  • 町中通って、

    町中通って、

  • 空港へ、、、。<br />たぶん、ケンさんの娘さんからいただいたビルムが守ってくれたのでしょう。

    空港へ、、、。
    たぶん、ケンさんの娘さんからいただいたビルムが守ってくれたのでしょう。

  • この飛行機でオーストラリアのケアンズへ。<br />さらば、パプアニューギニア!また再訪あるかも?

    この飛行機でオーストラリアのケアンズへ。
    さらば、パプアニューギニア!また再訪あるかも?

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この旅行記へのコメント (2)

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  • トゥーバーズさん 2025/09/17 09:16:06
    ビルムに反応しました
    kasekunさま、こんにちは!
    フォローしておりますトゥーバーズです。
    私たち以外に最近PNGの旅行記もあまりお見かけしないので旅行記嬉しく拝見していたのですが、オーストラリアの2でビルムが登場したので…きっかけにこちらに。
    ビルム便利で可愛くていいですよね。私気に入って2つ持っています。私たちが最初に行った頃はまだそんなに注目されていなくて、扱いも少ない代わりに安かったんですが、二度目に行った時には価格高騰!すっかり高級お土産になっていました。PNG独特の色使いの妙と手作り感が好きなのですが、敷居が高くなってしまって残念でした。プレゼントで頂けたなんて凄いです。いいな~と思って拝見しています。
    ラエがポートモレスビー攻略の起点なのは知っていましたが、治安も最悪なエリアと聞いていたので伺っていません。確か、ポートモレスビー攻略戦はトレックツアーもあるんですよ。ココダトレイル(https://www.escapetrekkingadventures.com.au/location/png/kokoda-track-tours/#1693884993127-f079fa33-c86e)っていって、オーストラリアの観光客向けにですので、完全に迎撃側の視点からのツアーですけど、フラットにこれもまた興味深いですし、kasekunさまの旅行記もとても興味深かったです。
    極楽鳥をまだ素敵な写真にできていないので、また行くと思うのですが、いつになることかと思いながら拝見しました。

    kasekunさん からの返信 2025/09/17 19:32:13
    Re: ビルムに反応しました
    トゥーバーズさん、コメントありがとうございます!ビルムに反応いただき、とても嬉しいです!ビルム、便利ですよね!この頂いたビルムでいったい何人に声かけられたことか!
    ケンさんの娘さんにプレゼントされた時、ケンさんが「これでレエを忘れない!」と言ってくれたんですが、本当に何度も何度も「レエ!」って!忘れられない地名となりました。

    危険なパプアニューギニアをぶらぶらできたのも、ナウルに行けたことも、お守りとなって自分を守ってくれたんだ、と思う訳です。

    パプアニューギニア、調べたら東日本大震災で義援金第16位。金額だけみるのもなんですが、シンガポールよりも、オーストラリアよりも日本のこと考えてくれたんだなあと思うと、もっと日本人が訪れられるようになればいいなあと思うわけです。けして裕福な国じゃないけど、そう思うわけです。

    トゥーバーズさんの夫婦仲良く旅してるのをいつも羨ましく思って旅行記みています。いいですね。自分もやっと相棒できた!と喜んでた時期もあったんです。、、、極楽鳥、、また見れればいいですね。自分もきっと再訪すると思っています。
    今後とも宜しくお願いします!

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