2025/08/08 - 2025/08/09
4位(同エリア7件中)
kasekunさん
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ナウル共和国、、、なかなか行けない所。なぜなら太平洋の小さな島国の中で唯一VISAが必要な国だから、、、。ホテル予約がなかなか取れないから、、、。
皆さんの旅行記読んで、出発前には取ろうと思ってたけど、忙しさも相まってなかなか着手できなかった、、、、すると、怠け者の自分、なんとかなるんじゃないかと、、、。
結果、なんとかなりました。クチコミにも投稿しましたが、
①ホテル事情は改善され、ネットで簡単に予約できる。
②ナウル行きの搭乗時、ナウルのVISAを確認されるが、VISAがなくてもボーディングパスはゲットできる。
➂入国時、1泊2日くらいなら、出国の航空チケットを見せればトランジット扱い?となり、入国印を押してくれる。
自分の場合、ブリスベン→ナウル(翌日早朝到着)、ナウル(次の日夕方)→フィジー(深夜到着)で、VISA無しで入国印ゲット!1泊2日のナウル滞在。
ナウル、、、楽しかったですね。日本軍の戦跡見るには満足満足!ついでに1周てくてくてくてく、、、。航空事情もホテル事情も以前より改善され、もう入国難しい国ではないと感じました。
追記、、、
https://news.yahoo.co.jp/articles/86aa540d3bc58147474fe6c12738670526111046
なかなかやるなあナウル共和国!がんばれナウル共和国!
https://www.sankei.com/article/20250725-G4OWFEVO5RJS3CN4BD75GUZAUA/
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日付は8月8日、早朝、、、ブリスベンからのナウル航空便はフィジーを経由し無事ナウル国際空港に到着。まずは第一関門突破!
⭐VISA無しでボーディングパスをもらってナウルまで来られるか、、、 -
続いて第二関門!
⭐アライバルでナウルVISAをゲットできるか、、、
ペンを持ってないので、入国カードが書けなかった。空港にならあるだろうと思ってたらなかった。空港スタッフに貸してくれと頼んでも、誰も持っておらず、、、。仕方がない、同じ便で来た乗客の誰かから借りようとするも、みんな足早にイミグレへ、、、。そんな中、最後の1人がペンを貸してくれた。(くれた)
急いで入国カードに諸々記入するものの、時間がかかり、イミグレには誰一人いなくなってしまった。
やっと書き終わったが、今度はトイレへ、、、我慢できなかった。、、、用をたしてからイミグレに行くと、入国係官さえ、いなくなっていた。もう乗客はいないと思ったのだろう。
誰かいないかとしばらくたたずんでいると、空港スタッフが気付いてくれ、入国係官を呼んでくれた。
VISA持ってないんですけど、ここで取れますか?恐る恐る聞いてみた。すると、係官、何日滞在するんだ?と、、、。1日のみ、明日の夜、フィジーに行く、と答えたら、出国のチケット、どこのホテルに泊まるのかだけ確認し、入国印をポンとパスポートに、、、。
、、、ということで、VISA代50ドルも払わず、VISA無しで入国できました。 -
んー、1泊ならトランジット扱いとなるのか、係官がめんどくさがったのか、はたまたジャパンパスポートの効力なのかは断定できませんが、ボーディングパスをVISA無しでゲットできたことから考えると、今はそんなに入国には厳しくはないようです。あくまで入国を判断するのは入国係官ですので、、、。
(ナウル旅行考えてる人のいい情報となれば幸いです。)
※、、、気になって少し調べてみました。すると、、、わかったかも、、、。
https://justice.gov.nr/announcement/
ここに、こんなお知らせが、、、
司法・国境管理長官の演説
2025年5月16日
7. Those of you who have already been in this country on various types of visas, you will now no longer require that. You have the freedom to earn your own living, be freely employed and contribute towards national development under the right to fair labour practices.
7. これまで様々な種類のビザでこの国に滞在してきた皆さんは、今後はビザの取得が不要になります。公正な労働慣行の権利に基づき、自力で生計を立て、自由に就労し、国の発展に貢献する自由があります。
国家危機に陥ったナウル、やっと方針転換したのでは?(2025.5.16以降)旅行者もVISA不要となったのでは?そうでないと、ナウル航空チェックインでVISA持ってない自分を乗せるなんてありえません。
どうなんでしょうね。ここで在フィジー日本大使館(ナウル兼務)がちゃんと働いてくれればすぐわかることなのに、、、残念ながら中国人には10年VISA発行するのに、日本人の大事な情報には全く働かない外務省です。、、、とほほ、、、。 -
何はともあれ、心配してたナウル入国果たせて何よりです。
※後日、ナウルVISAゲットしこれからナウルに行く日本人旅行者に会うわけですが、その方によれば、そんなにVISAゲットも面倒ではないらしいです。アプリを使って送金するらしいです。
※ナウルの次に訪れるツバル。外務省の海外安全情報ではツバル訪問もVISA必須となってるけど、実際にはツバルVISAは必要なし。?不思議です。外務省って本当に仕事してるんでしょうか?
※穿った見方をすれば、、、日本人はだまされやすい。例えばイスラエルとヨルダンの国境アレンビー橋、、、ずーっとヨルダンVISAが必要と日本人旅行者の間では信じられてきました。だから日本人旅行者は大抵、ヨルダンVISAがいらないヨルダン→イスラエルでした。昔の情報から。でも、実際行ったら、不要でした。(実際、自分ヨルダンVISA持ってなくても、通りました。)例えば、ドミニカ共和国とハイチとの国境、、、大使館は国境は閉ざされてるとの情報は流すけど、再開の情報は流さない。(実際行ったら、国境は開いてました。)
50ドルのナウルVISA代、、、たぶん日本人はナウルに行くにはVISAが必要なんだとずーっと思ってることでしょう。そして、入国係官へメールし、50ドル振り込むことでしょう。それは実は入国係官の懐へ、、、。そんなことはないとは思いますが、先のボーダーコントロールのアナウンス、そして自分は実際VISA無しで入国できたわけですので、、、あり得る可能性は否定できないと思うわけです。 -
さて、ナウル旅の始まりです、、、。とにかく入国できたので、ナウル旅楽しみます!航空券はばか高いですから、、、。
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まずはこの近くにあるJapanese WWII guns and bunkerへ、、、。てくてくてくてく、、、。朝からてくてく。
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こんな道を通って、、、
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ごみを乗り越え、、、
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スクラップのある所を曲がって、、、(マップスミーに載ってます、、、)
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進んで行くと、、、
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ありました!旧日本軍の大砲!
※画像に写っているのは、ナウル共和国に残る太平洋戦争時の「10年式12糎(センチ)高角砲」の砲台跡です。
この高角砲は、ナウルの高台にある評議平地区の畑地に、ほぼ原形をとどめた状態で残存しています。
太平洋戦争中、ナウルは日本の委任統治領であり、この高角砲は本土防衛線の一部として設置されました。
このような状態で残る高角砲は貴重であり、ナウル共和国政府観光局は案内板設置の協議を進めています。
ナウルには軍隊が存在しないため、国防はオーストラリアに依存しています。
ナウルは日本の委任統治領? 本当に?あやしい!そんなの初めて聞いたけど、、、 -
AI に聞いてみました。
「いいえ、ナウルは日本の委任統治領ではありませんでした。ナウルは第一次世界大戦後にオーストラリア・ニュージーランド・英国の共同国際連盟委任統治領となりました。その後、太平洋戦争中に日本に占領されましたが、委任統治領ではありません。」
やっばり!
正しくは
※太平洋戦争中、ナウルは日本の占領下にあり、この高角砲は本土防衛線の一部として設置されました。 -
※これは、日本軍がナウルを占領していた時期(1942年8月26日~1945年9月13日)に設置されたものです。
日本軍は、ナウル島のリン鉱資源を利用し、同地域の軍事防衛を強化する目的で要塞化を進めました。
連合国軍の「飛び石作戦」により、ナウル島は回避され、日本軍守備隊は実質的に孤立しました。
このような戦争遺構は、ナウルの豊かな歴史の一端を物語っており、観光スポットの一つにもなっています。
なるほどそうでしたか!連合国軍の飛び石作戦でナウルでの戦いは避けられたようです。ラバウルのように、日本軍は終戦までナウルを占領下に置いてたんですね。 -
背後から、、、
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まさに要塞ですね、、、。
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ラバウルでは見られなかった実際に置かれた大砲!要塞、、、こんな所に、、、。これなら、連合国軍も被害を避けるため、捨て置いたんでしょうね。
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もう1枚!もう興奮してます。この旅で実際に置かれた姿見たの初めてですから、、、
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辺りはこんなジャングル、、、。
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戻ります!
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ジャングル通って、、、(でもこの先はまだまだこんなもんじゃなかった、、、)
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? ここは? 思い出せず、、、
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ただ単にシャッター押しちゃただけ?
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??、、、
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けっこう暑いです。いや、すんごく暑いです。
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なんたって赤道直下ですから、、、。(赤道の南 42km)
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※この画像は、ナウル共和国のブアダ地区にある歓迎看板を示しています。
看板には「Welcome to Buada Etañin Katsimor」と書かれています。
ブアダはナウル共和国の14の行政区画の1つで、国の南西部に位置しています。
「Etañin Katsimor」は、ブアダ地区内の特定の場所やコミュニティを指している可能性があります。
看板の背景には、熱帯の植生が見られ、ナウルの自然環境を示唆しています。
ナウルではこの地区ごとの看板多数あり、、、
曇ってるのは、自分の汗で、、、あっついよー! -
お次はJapanese WWII Prisonへ、、、。マップスミー見て回ってます、、、が、道がわからず、、、ここか?ここから入るのか?
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そうでした!、、日本軍の刑務所、、、
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牢獄かな?
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※画像は、植物に覆われた廃墟のような場所を示しています。
これは、自然に侵食され、ツタや根に覆われた廃墟の建物の入り口のように見えます。
特に、ガジュマルのような木の気根が建物の構造に絡みつき、独特の雰囲気を醸し出しています。
手前には階段があり、かつては人が出入りしていたことがうかがえます。
周囲の茂みや落ち葉から、長らく手入れがされていないことが分かります。 -
今はタコノキ(蛸の木)が、、、未来にはアンコール遺跡のようになる?
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※画像に写っているのは、ナウル共和国にある「ジャンクヤード」と呼ばれる場所の、第二次世界大戦中に日本軍が建設した防空壕または掩蔽壕の入り口と考えられます。
ナウルは太平洋南西部に位置する島国で、ミクロネシアに属します。
第二次世界大戦中、ナウルは日本軍に占領され、多くの防御施設が建設されました。
画像のようなコンクリート製の構造物は、当時の日本軍が使用していた防空壕や物資の保管庫として利用されていた可能性があります。 -
※画像に写っているコンクリート製の入口と、周囲の岩や木の根に覆われた様子は、太平洋戦争中に掘られた旧日本軍の陣地壕や防空壕の特徴と一致します。
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さらに奥の方にあるJapanese WWII Gun目指します、、、。
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※この画像は、ナウル共和国のリン鉱石採掘跡地である、通称「ピナクル(Pinnacles)」と呼ばれる地形を示しています。
ピナクルは、リン鉱石の採掘によって削り取られた土地に残された石灰岩の柱状の地形です。
ナウルの中央部はかつてリン鉱石の台地でしたが、採掘によってこのような独特の景観が形成されました。
この地域には、採掘後も植物が自生しており、自然の回復力も見て取れます。
なるほど!この大砲が置かれた地はリン鉱石採掘地だったんですね。何で日本軍はこんな所に大砲を設置したのか、やっとわかりました。 -
目指すはまだ先!それにしても暑いです!水持って来なかったこと、後悔してます、、、。
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ようやく見えてきました。
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これですね。
この画像は、南太平洋の島国ナウル共和国に残る、第二次世界大戦中の旧日本軍の戦争遺跡の一部であると考えられます。
これは、旧日本軍がナウルを占領していた際に設置された対空砲の残骸である可能性が高いです。
ナウルは、第二次世界大戦中の1942年から1945年まで日本に占領されていました。
この対空砲は、ナウルに豊富に存在したリン鉱石の採掘施設やその他の重要拠点を守るために設置されたと考えられます。
現在、これらの戦争遺跡は、ナウルの歴史を物語る重要な観光資源の一つとなっています。
やっばり!思った通り! -
※この画像は、ナウル共和国のコマンドリッジに残る第二次世界大戦時の旧日本軍の高射砲です。
この場所に関する追加情報は以下の通りです。
場所と歴史的背景: コマンドリッジはナウル共和国の最高地点であり、太平洋戦争中に日本軍が占領し、要塞化しました。
戦争遺跡の現状: コマンドリッジには、写真のような錆びた高射砲やトーチカ(バンカー)などの戦争遺跡が多数残されており、一部には日本語の文字もかすかに確認できます。
観光: これらの戦争遺跡は、ナウルを訪れる人々にとって歴史的な見どころの一つとなっています。
保存状態: 高射砲などは緑に囲まれ、一部は良好な状態を保っているものの、全体的には放置された状態であり、保存への意識は低いとされています。
→ラバウルのように、後世のためにも、ちゃんと保存してほしいですね。 いずれ日本人はナウルのことなど知らない世代になってしまう。ラバウルさえ、若い方は知らないというのに、、、。 -
※観光地が少ないナウルにおいて、歴史的な価値と独特の景観を兼ね備えた貴重なスポットとして知られています。リン鉱石採掘地「トップサイド」にも隣接しており、自然と人工の採掘跡が混在した風景が見られます。
→たしかに、、、AI 、なかなかいい提案しますよね。VISA無し、そしてこれをウリに観光促進すれば、日本人はきっともっと訪れると思う、、、。 -
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ん?あっちにも何かある、、、
※画像に写るような岩がちな地形は、リン鉱石の採掘によって形成されたものです。
さて、ここからが大変だった、、、よせばいいのに、好奇心が、、、。 -
あっちに行って行き止まり、、、こっちに行って行き止まり、、、迷路に入り混んじゃった、、、。
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なんとか接近に成功!ここも日本軍の遺構、、、。
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、、、とかやってるうちに、子供心に火がつき、1人探検隊に!
よし、北にあるナウルの山、Command Ridgeまでいくぞ!、、、標高70m...(マップスミーではそこへの道は表示なし)
「コマンド・リッジは、ナウル南西部にある丘。同国の最高地点で、標高は65メートル(70メートルとする場合もある)。アイウォ地区とブアダ地区の境界付近に位置し、コマンド・リッジの東にはブアダ礁湖(英語版)がある。」ウィキより -
何かここでも発見!
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自然に還る構造物: 複数の錆びた太いパイプまたは柱のようなものが、周囲の植物に囲まれ、自然に同化しつつある様子がうかがえます 。
廃墟の風景: かつて人間活動があった場所が放棄され、時間の経過とともに自然が侵食している「廃墟」の典型的な光景です 。
歴史的または産業的遺物: これらの構造物は、古い工場、鉱山、またはその他の産業施設の残骸である可能性がありますが、具体的な用途は特定できません 。
植物の生命力: 構造物の周りや上部には様々な種類の植物が生い茂っており、特に右側には大きな葉を持つ木(おそらくモモタマナ属の植物)が見られます 。これは自然の強い生命力を感じさせます 。
いったい何かはわからんけど、探検隊にとっては大発見! -
すごいのみーつけた! 穴だ、この下に日本軍がかくれてたんだ!
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んー、入ってみようと試みるも、うまくいかず、、、。諦めました、、、
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この道なきルートには所々には何か目印みたいな、椅子やこんなドラム缶などが置かれてました。
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大きな岩に行く手をはばまれたり、上ったり、下ったり、、、
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日本軍の残骸をみつけたり、、、
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木の枝にひっかかったり、、、
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それはそれは汗だく、息ハーハー、遭難したら誰も助けに来ないな、、、なんて考えたり、、、
連合国軍がなぜナウルを捨て置いたのか、ここ歩いて初めてわかりました。要塞化したここを落とすのは至難の技、、、。隠れてる日本兵に、、、。それがわかってたのでしょう。 -
ようやくCommand Ridgeを制覇!通信塔に到着!
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※この画像は、2024年12月16日にナウル共和国で正式に開設された「太平洋初のStarlinkコミュニティゲートウェイ」を記念する銘板です。
イベント: 太平洋初のStarlinkコミュニティゲートウェイの正式開設。
日付: 2024年12月17日。
場所: ナウルのコマンド・リッジ。
開設者: ナウル共和国のデイビッド・W・R・アデアン大統領と、国営企業Cenpac Corporationのジッキー・エオ会長。
意義: このゲートウェイは、ナウルにおけるデジタルアクセスを大幅に向上させ、イノベーションを促進し、地域全体の社会経済的発展に貢献することが期待されています。
このゲートウェイは、StarlinkとCenpac Corporationとの合意により実現され、高速インターネット接続を提供することで、ナウルのデジタルインフラに変革をもたらす「画期的なマイルストーン」とされています。
写真だけでは伝わらないと思うけど、この大きな道に出られてホント生き返りました。脱出できず、ここで息耐えるのか、何度もそう思っちゃいました。人間、がんばれるものです。 -
ばかな探検隊は終わったけど、水が飲みたい、、、。少し脱水状態です。
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それでも、脇道にある日本軍の戦跡の写真は撮りました、、、。
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お、これは?、、、と行ってみたら、、、
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ただの小屋でした、、、
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いやー、もうくたくたでしたが、人里に行かねば、、、
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スボンもひっかかった枝で破れちゃいました。
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?
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マップスミーによれば、人里へ出る近道もあるらしいけど、どんな道なのかわからないので、遠回りになるけど、この道通って行きます、、、
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それにしても暑い!行く手を阻む障害物、、、。早く水が飲みてー!腹も減ってます。
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、、、で、人がいる所に着きました。お姉さんが日陰でカップラーメンを食べてました。
すぐさま
マダム!ギブミー ウォーター!
お姉さんのベットボトルの水をもらって、ごくごく!
生き返りました。 -
どうやらここは学校、、、。お姉さんの側で椅子に座り休ませてもらいました。もうホントくたくたです。ジャングルをかき分けかき分け進むしんどさ、実感しました。しかも暑い中、、、。
日本兵はパプアニューギニア、ガダルカナルで、重い荷物を背負って夜もジャングルを行軍、、、マラリアにやられ、暑さや飢餓に悩まされ、自分よりももっとしんどかった、、、。別に体験しようなどと思って探検したわけじゃないけど、わかった気がしました。
、、、休んでても、いててて! 足、腕、体のあちこちがつって、激痛が走ります。、、、そんな姿を見てなのか、お姉さん、家の中に入って、、、 -
どうぞ!、、、と。
冷たいリンゴでした。今、冷蔵庫から出してきたようなしゃっこいリンゴでした。
ムシャブリつきました。 -
お姉さんが仏様に思えました。
この写真は、お姉さんにお願いして撮らせてもらった写真です。仏様にどことなく似ていませんか?
ナウルの方にはとっても好印象! -
ちょうどお昼時、子供たちは給食を食べ始めました。
制服に、給食、、(給食は、ご飯におかずが少しのってるお弁当とペットボトルの水のようです。)
※思い出しました。ガーナに派遣された頃、ちょうどガーナでも給食が始まりまして、、、。(全部の学校ではなく、一部の学校のみ)、そこで出されてたのはトマトソースがかけられたご飯。子供たち、ずらーっと並んで自分の番を今か今かと待っていました。ナウルでは水も貰えるようです。 -
写真撮っていい?
笑顔でこたえてくれました! -
自分、日本の小学校の教員やってるんですが、学校見せてもらっていいですか? ヘッドマスターらしき方に許可をもらって、、、。
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教室の中、
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掲示物、
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撮らせてもらいました。
ガーナよりもずーっときれいな学校でした。そりゃそうでしょうね。以前は税金も取らない裕福なお国でしたから。 -
子供たち見てたら、無性に腹がすいてきました。
お姉さんに、近場の飯が食える所を教えてもらって、、、 -
マダム、サンキュー、ベリーマッチ!
ここはニボク幼稚園(小学校低学年の学校)でした。 -
? AI に聞いたら、
※画像の記念碑は、白く塗られた独特の形状をしており、周囲には庭園のようなスペースが設けられています。このような慰霊碑は、戦没者の魂を慰め、平和を願う目的で建立されることが多いです。 -
※この画像に写っている建物は、ナウルにあるニボク会衆派教会 (Nibok Congregational Church) です。
ナウルのニボク地区に位置しています。
白い外壁と高い尖塔が特徴的な教会です。
青い空と白い雲を背景に、南国の雰囲気が感じられます -
※画像は、白いハトが描かれた看板で、「Ata amin bwini」という文字が書かれています。この言葉は、タンザニアで話されているスワヒリ語で「平和をください」という意味です。看板の背景には緑豊かな植物が見え、平和と自然を象徴するデザインとなっています。これは、平和を願うメッセージを発信する公共広告であると考えられます。
??なぜにスワヒリ語なんでしょう? -
レストラン、見つけました!
メニューは、、、
スイートコーンスープ
チキンヌードルスープ
ポークヌードルスープ
ビーフヌードルスープ
フィッシュヌードルスープ
シーフードヌードルスープ
海藻卵スープ
ワンタンスープ
チップス
チキン餃子
カレーチャーハン
ラムライス
マッシュルームビーフライス
卵ライス
チキンライス
ポークライス
ビーフライス
フィッシュライス
カラーポークライス
ハムエッグライス
ウォレットライス
チャーハン
カレーチキンライス
カレーポークライス
トマトミートライス
マッシュルームビーフライス
マッシュルームチキンライス
フライドヌードル(ビーフ)
フライドヌードル(チキン)
フライドヌードル(ポーク)
フライドヌードル(フィッシュ)
フライドヌードル(シーフード)
シーフードライス
シーフードチャーハン
チキンギブレット
クモインサイド
スイート&サワー
スイートマヨネーズ
オニオンキャベツビーフライス -
腹が減りすぎて、、、うめー!
何を頼んだかは忘れちゃいました。ボークライスかも? ナウルの飯は日本人好みかも? -
戦跡見たし、飯も食ったし、あとはぶらぶら宿探し、、、。ブッキングコムで予約したんですが、その宿がマップスミーには載ってない。最近できた宿かも?。グーグルマップでだいたいの場所を確認し、探したわけなのです、、、。
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※画像に写っている建物は**ナウル・カレッジ(Nauru College)**です。
ナウル・カレッジは、ナウル共和国にある教育機関です。
ナウル共和国は、太平洋に位置する小さな島国で、かつてはリン鉱石の輸出で豊かな国でしたが、資源枯渇後は経済的に厳しい状況にあります。 -
※ナウル・カレッジは、南太平洋大学(University of the South Pacific, USP)のナウルキャンパスとして機能しています。
南太平洋大学は、オセアニアの12の島嶼国家群が共同で設立した公立大学であり、フィジーに本部を置いています。 -
屋外のバスケットボールコート、、、。
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港、、、意外に近代的!
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※画像に写っているのは、リン鉱石の積み出し施設があるナウル共和国の海岸です。
ナウル共和国は、太平洋南西部に位置する島国で、世界で3番目に小さな国連加盟国です。
かつてはリン鉱石の輸出によって栄え、画像のような積み出し施設がその経済を支えていました。
しかし、リン鉱石の枯渇と海外資産の喪失により、1990年代後半から経済が破綻状態に陥りました。
国土面積は21平方キロメートルで、東京都品川区とほぼ同じ大きさです。
島の大部分はリン鉱石採掘跡地が占め、石灰柱(ピナクル)が並ぶ独特の景観が見られます。 -
?これは?カニさんですね。
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ナウルの海、、、
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ナウルの港、、、
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※この画像は「SHALOSH PENTECOSTAL CHURCH」という名前の教会を示しています。
シャロシュ・ペンテコスタル教会は、質素な外観の建物です。
外壁は白く塗られていますが、風化や劣化が見られます。
窓には格子が取り付けられており、扉も木製で古びた印象です。
ペンテコスタル教会は、聖霊の働きを重視するプロテスタントの教派です。 -
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疲れましたので休憩、そしてコーヒータイム!
お店でこれが売られてました。たぶん、これがナウル国民のいつも飲んでるやつ、、、1オーストラリアドル! -
※画像は、廃墟となった公園のように見えます。
黄色い枠と滑り台のような遊具が見えますが、全体的に荒れており、草が生い茂っています。
まさにその通り! -
意外にもテニスコートあり!
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ん?
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こんな所にナウル共和国の国旗発見!
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で、今夜の宿発見!
宿は、、、
GoodWorks Accommodation, Yangor
1泊16000円程、、、。海の方に別棟があり、今夜はそちらの方に、、、。きれいな部屋で、ネットもサクサク、、、荷物も置かせてくれ、空港送迎あり! -
で、近場のレストランにて今夜の夕食!
前の客が頼んでたやつを、、、。普通に食える!日本人の口にあいますね、 -
日付は8月9日。朝、宿の方へ支払いし、荷物を預けぶらぶら島内1周!夕方6時に宿に戻れば、空港まで送ってくれるって!
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さあ、歩きます!天気もすこぶる良し!荷物預けて身軽なので足も軽快に進む!
写真は昨日も見たThe Nauru College! -
豚さんも元気そうです!
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北に向かって1周します!
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ナウルのお墓、、、
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※画像は「WELCOME TO UABOE」と書かれた看板を示しています。これは、ナウルのウアボエ地区への歓迎を示す標識と考えられます。
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ナウルのビーチ!いい感じ!
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故郷の島の白浜海岸みたい!
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カニさん発見!
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石めくらなくても見つけられました!
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※画像は、太平洋南西部に位置するナウル共和国の標識で、「KEEP NAURU CLEAN(ナウルをきれいに保とう)」と書かれています。この標識は、ナウル島を訪れる人々や住民に対し、環境保全と清潔さを呼びかけるものです。
日本はナウル共和国の独立以来、友好的な関係を築き、国づくりや気候変動対策に協力しています -
昨日は荷物背負って歩いてたので、しんどかったみたい!
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横断歩道もちゃんとあるみたい! でも信号機ってあったかな?
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教会みっけ! ナウル国民はやっぱりキリスト教信者が多いのかな?
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入ってみました、、、。
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※セイクレッド・ハート・カレッジ(Sacred Heart College)**です。
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島の北端、Ewa Lodge前のビーチ、、、
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腹が減ったんで、朝飯兼昼飯のチャーハン!
ここら辺には白人観光客が多いなあ。 -
大きなスーパーマーケット!
オーストラリア産のオレンジ2つも買って、、、 -
きれい、、、ナウルにもこんな所があったんだ!
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日本軍のバンカー(トーチカ(防御陣地))みっけ!
※「トーチカ」は、ロシア語で「点」や「地点」を意味する言葉で、軍事的に使われる場合は、コンクリートなどで作られた小型の防御陣地を指します。日本では「特火点(とっかてん)」と訳され、機関銃や砲などを備えて敵の侵攻を防ぐ目的で造られました。英語では「ピルボックス」と呼ばれ、太平洋戦争中、旧日本軍によって本土防衛のために多く造られました。
トーチカってロシア語だったんだ! -
青い空、、道はまっすぐ続いてます、、、
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汚い足ですみません、、、。ナウルは暑いんで半ズボンで歩き回ったら、日に焼けてしまいました。
海の水は生ぬるい、、、 -
KEEP CLEAN!
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また少し休憩!
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※この画像は、ナウルのアニバレ港の様子を捉えたものです。
アニバレ港は、ナウルの東海岸に位置する人工港です。
港内は比較的穏やかで、鮮やかなターコイズブルーの海水が特徴的です。
港の入り口には防波堤があり、外洋からの波を防いでいます。
周辺には岩場や海岸線が広がり、自然豊かな景観が楽しめます。
やっと半分まできました。。 -
※この画像に写っているのは、ナウルのアニバレ湾の小さな港にある十字架の記念碑です。この十字架は、アニバレの危険な海岸で命を落としたすべての人々を追悼するために建てられました。
詳細情報:
場所: ナウル、アニバレ湾の小さな港。
目的: 厳しい海岸線で命を落とした人々を追悼する記念碑。
特徴: 海岸沿いに石造りの大きな十字架が据えられています。 -
地元の子供たちが飛び込んで遊んでいました。
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※この画像は、太平洋に浮かぶ島国、ナウル共和国の海岸線を示していると考えられます。
ナウルは世界で3番目に小さいミニ国家で、その面積は東京都品川区とほぼ同じです。
かつてはリン鉱石の採掘で栄えましたが、枯渇により経済状況が悪化しました。
近年では、銚子電鉄の駅名愛称に「ナウル共和国」が採用されるなど、日本との交流も活発です。
政府観光局はSNSで積極的に情報発信しており、特にX(旧Twitter)では約55万人のフォロワーを抱える人気ぶりです。
島内では、ボートでの釣りやクルージング、ブアダラグーン周辺の散歩、海水浴などが楽しめます。 -
てくてくてくてく、、、
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てくてくてくてく、、、
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※この画像は、ナウル共和国東海岸にあるアニバレ湾(Anibare Bay)のビーチである可能性が高いです。
アニバレ湾のビーチは、ナウルで最も美しいビーチの一つとされており、白い砂浜とコバルトブルーの海が特徴です。
地元の人々にも人気があり、海水浴やピクニックを楽しむ場所として親しまれています。
ナウル島はミクロネシア地域に属する島国で、観光資源は限られていますが、このビーチは貴重な自然に触れ合える場所として知られています。
画像に写る荒々しい海岸線は、ナウルのサンゴ礁が発達していないため、多くの場所で波が荒いという特徴と一致しています。
ナウルの「Naoero」という国名の由来は、「私はビーチに行く」を意味する現地の言葉「a-nuau-a-a-ororo」を縮めたものとされています。
へー、わたしはビーチに行く、、、ナウルはそういう意味だったのか!AI .なかなかためになりますね、、、。 -
ここらで休憩、、、オレンジがうますぎる!
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崩れたバンカー?
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バンカーの破片?
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※この画像は、太平洋諸島で見られる第二次世界大戦時代のコンクリート構造物、おそらくトーチカや防御施設の一部である可能性が高いです
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いよいよ日本から持って行ったタバコがきれ、現地のたばこ買ってみました!
AIによれば、、、メイドインフィジーか?それともインド?
※フィジー政府による健康警告が表示されています。
「NA VAKATAVAKO E VESUKA NA NODA BULA」(喫煙は私たちの命を奪う)というフィジー語の警告文と、「A I VAKARO MAI NA TABACAKACAKA NI BULA」(保健省からの警告)が記載されています。
「धूम्रपान का जल्द आदी होना सम्भव है」(喫煙はすぐに中毒になる可能性があります)というヒンディー語の警告文も記載されています。 -
ザ・ビーチ!
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空港方面にやってきました。
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WELCOME2NAURU!
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※この画像は、南太平洋に位置するナウル共和国の美しいビーチを示しています。
白い砂浜が広がり、ヤシの木々が立ち並び、熱帯のビーチの雰囲気を醸し出しています。
透き通ったターコイズブルーの海には、波打ち際に岩が点在しており、自然のままの景観が特徴です。
沖には穏やかな波が打ち寄せ、リラックスした雰囲気が漂っています。
このタイプのビーチは、特にアニバレ湾のビーチとして知られており、シュノーケリングやリラックスに最適です。
雲の多い空模様ですが、全体的に明るい日中の光景です。
AI も好評のようです。 -
滑走路!
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※この画像は、南太平洋に浮かぶ小さな島国、ナウル共和国の海岸線を示していると考えられます。
ナウルは世界で3番目に小さい国であり、面積はわずか21平方キロメートルです。
かつてはリン鉱石の採掘で栄えましたが、採掘の大部分は終了し、島の大部分は採掘跡地となっています。
海岸線はサンゴ礁に囲まれており、満潮時には水没する場所もあります。
画像には、海岸沿いの道路と、沖合に停泊している船が見られます。
⭕ 正解!、、、この写真でわかるとは、、、。 -
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聖母マリア像、、、
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TABIO PRIMARY SCHOOL!
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空港近くまでやってきました。
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ナウル共和国の政府庁舎。
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※この画像に写っているのは、ナウルの戦没者慰霊碑(Nauru Cenotaph)です。
ナウルの首都ヤレンに位置する、第一次世界大戦と第二次世界大戦の犠牲者を追悼する記念碑です。
白いオベリスク型で、中央には剣のレリーフが施されています。
基部には、戦没者の名前と追悼の言葉が刻まれた銘板があります。
毎年、リメンブランスデー(戦没者追悼記念日)には、ここで追悼式典が行われます。 -
たぶんこの方はナウル初代大統領ハマー・デロバートさん。4代、6代、8代大統領も務めた。
「デロバートは島の首長の家系に生れ、1951年に酋長会議に代わってナウル地方政府評議会が設立されるとその議員に選ばれ、1955年には議長となった。デロバートの元でナウルは独立運動を展開し、1967年にはナウルのリン鉱石事業を2000万オーストラリア・ドルでナウル地方政府評議会に譲渡させ、ナウルの経済基盤を確立した。1968年1月31日にナウルが独立するとデロバートはナウル共和国初代大統領となり、また地方評議会議長兼主席酋長も兼任した。」
なんと奇遇!1968年は自分が生まれた年。ナウル共和国と自分との共通点みっけ! -
※これは、ナウルの独立50周年を記念して作成された記念銘板です。
目的: ナウルの独立50周年(1868年1月31日~2018年1月31日)を記念しています。
銘板の内容: ナウルの独立に関するメッセージや、詩篇40章からの引用が刻まれています。
除幕者: バロン・ディヴァヴェシ・ワガ大統領(当時)によって除幕されました。
除幕日: 2018年1月31日水曜日。 -
ナウルの政府庁舎前。
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ナウルの商店。中国系が多い、、、
「ナウルは2002年から2005年にかけて中華人民共和国と国交を結んでいたが、その後台湾と国交を結び、中華人民共和国とは国交を断絶していた。また2024年1月15日には国家と国民にとっての最善の利益を考えて中華民国(台湾)と断交し、中華人民共和国の国家承認を行うと発表した。台湾との断交は二回目である。」ウィキより
2つの中国、小国にとってはどちらが国益に叶うかが死活問題、まあいずれ台湾とまた国交回復することでしょう。 -
ナウルの消防署。
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、、、日本からの支援ですね。
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海外で日の丸見るとうれしくなっちゃいます!
ちなみにナウル共和国の主要援助国は
1位オーストラリア(22)
2位日本(11.1)
3位ニュージーランド(1.9)
(単位:百万米ドル、2023年、DAC)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nauru/data.html#section6
日本からは1100万ドル(16億円)の支援がなされている。 -
救急車も、、、もちろん!
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Nauru Secondary School!
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Nauru Learning Village!
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※画像に写っている建物は、ナウル共和国のヤレン地区にある「ナオエロ博物館(Naoero Museum)」です。
この博物館は2019年1月30日に正式に開館し、ナウルの歴史や文化を学ぶのに最適な場所として知られています。
展示内容: 先住民の伝統的な工芸品や、第二次世界大戦中の遺物など、ナウルの貴重な歴史的・文化的資料が展示されています。
情報提供: 博物館のスタッフから、ナウルの歴史について詳しい説明を聞くことができます。
でも、残念!閉館してました。コロナでやられたのかな? -
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※画像に写っている建物は、ナウル共和国にある「ナウル市民センター複合施設(Nauru Civic Centre Complex)」です。
この建物は、ナウルの首都であるヤレン地区に位置しています。
画像には「th Annual Meeting of the Regional Working Group on the...」という横断幕が見られ、何らかの地域会議が開催されていることが示唆されています。
ナウルは太平洋に浮かぶ島国であり、この施設は様々なイベントや会議に使用されると考えられます。 -
ナウルの郵便局!
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※画像に写っているのは、南太平洋の島国ナウルにある**ナウル会衆派教会(Nauru Congregational Church)**です。
ナウル人のほとんどはキリスト教徒であり、そのうち約30%がプロテスタント系に属しています。会衆派教会はプロテスタントの一派です。 -
※この画像は、ナウル共和国にあるリン酸塩採掘施設の廃墟を示しています。
かつてナウルは豊富なリン酸塩資源によって、独立時には一人当たりのGDPが世界で最も高い国の一つでした。
しかし、リン酸塩採掘は島の環境に大きな影響を与え、広範囲にわたる植生や表土が失われ、浸食されやすい不毛な景観を残しました。
リン酸塩資源の枯渇に伴い、ナウル経済は大幅に衰退しました。
画像に写っている構造物は、リン酸塩を船に積み込むために使われたコンベヤーの一部と考えられます。 -
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※画像に写っている建物は、ナウルのアイウォ地区にある「Od-N Aiwo Hotel」です。このホテルは、ナウルで最大のホテルの一つとして知られています。
今は改修してるような感じでした。 -
ナウルのレストランっていうか食堂、、、だいたいこんな感じ、、、けっこうどこにでもある。だから飯には困らない。
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なにやら人だかりが、、、行ってみたらラグビー、、、。ナウルの人たちの娯楽の1つはラグビー観戦みたいです。
「ナウルで最も人気があるのはオーストラリアンフットボールです。国内には12チームによるシニアリーグがあり、人気の観戦スポーツです。ナウルは、アラフラゲームズ、オーストラリアンフットボールインターナショナルカップ、バラッシ国際ユーストーナメントなど、オーストラリアンフットボールの国際大会に出場しています。代表チーム「チーフス」は、2002年のインターナショナルカップで8位、アラフラゲームズで金メダルを獲得しました。」ウィキより -
自分もちょっとだけ観戦、、、
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昨日、休憩した所でコーヒータイム!
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このお店です。
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たしか、ここは泊まった宿じゃなかったっけ?
歳とると忘れちゃいます、、、
→思い出しました。こっちはGoodWorks Accommodation、、、本店? 昨日はこちらではなく、海側の別棟に泊まった、、、というわけでナウル1周ゴール!
預けた荷物を返してもらって、空港まで送ってもらいました。 -
夕食は空港隣にある中華へ、、、でも高すぎる!
てくてく歩いてローカル食堂へ、、、 -
食堂発見!おばちゃんが切り盛りしてる小さな食堂、、、
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野菜ヌードル、、、野菜が無性に食べたく。貧乏旅行者の自分にはこれで十分、満足満足!
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で、空港戻り、ナウル航空でフィジーへ、、、。でも遅延、、。けっこうな時間、遅延!(配布された弁当頂いたけど、さっき夕飯くったばかりで、、、)
真夜中にナンディに着く予定だったので相応なホテル予約したのに、、、。パーになりそう。
結局、深夜2時頃出発し、朝にナンディ着きました。 -
最後にまたまた日の丸発見!この空港も日本の支援で改修されたのかな?
とにかく、なかなか行けないナウル共和国、無事訪問し、日本軍の痕跡見れて満足です。
さらばナウル!仏様のお姉さん、ありがとう!
※自分のクチコミより
「8月8日、早朝、無事、ナウルに到着しました。ナウル航空にチェックインするとき、何気にメール見たら、予約したサイトからの連絡があり、見たら、今乗ろうとしてる便からあなたがキャンセルされたとか!なに!なんでやねん!支払いはしないで大丈夫です、なんて書いてあった。???いったい何があった?ダメ元でチェックインの手続きしてみたら、大丈夫じゃないですか!今もってあのメールは何なのかふしぎ?
チェックイン時、ナウルのVISAもってるか確認されたけど、無いと正直に答えてもボーディングパスは発券された。
で、ナウル入国審査、、、実は1番心配だったのです。VISA取ってなく、他の人の旅行記見たら、アライバルで翌日銀行振り込みし、VISAゲットした、、、というのを見まして、なんとかなるんじゃないかと。、、、で、係官にアライバルVISA取れるか聞いてみたら、、、
何日滞在するのか聞かれ、明日の夜にフィジーへ出発すると答えたら、入国印をボンとパスポートに、、、。トランジット扱いにしてくれたようです。VISA代払ってません。
ということで、ブリスベンからフィジー経由ナウル行きの便で朝入国し、次の日の夜、フィジー行きで、出国がいいようです。VISAとらなくても、入国できました。正味2日間ナウルに滞在できます。
で、自分、朝から日本軍の戦跡巡り。もちろんマイセルフの戦跡巡りです。マップスミーにちゃんと載っているんです、道なき道を、あたかも日本軍のように、、、。ジャングルを駆け回りとっても疲れました。
今日の宿はグッドワークスアコモンデーション。154オーストラリアドル、高いですが仕方ない。ナウルは暑いんで、野宿はできません。
以上、ナウル情報でした。」
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この旅行記へのコメント (2)
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- youさん 2025/09/25 19:16:13
- 凄い探検でしたね
- kasekunさん
日本から遠く離れた小さな島を日本軍が島民を犠牲にして占領し、要塞化していたことを物語る戦争遺跡の写真の数々に見入ってしまいました。
これらの貴重な写真を命懸けの凄い探検で撮られたkasekunさんに感謝いたします。有難うございました。
you
- kasekunさん からの返信 2025/09/25 20:32:47
- Re: 凄い探検でしたね
- いいね!ありがとうございます。
いい歳こいて何やってんだか、、、後から振り返ると馬鹿ですね。でも、海外に出ると、不思議と子供心が沸き立ってしまうんです。たぶんこれは自分が島育ちだからかもしれません。
you さんのコモロ、マヨット流行見て、そんな所あったのか!と驚いています!やっぱり短期の旅行って一面しか見れないんですね。まあ、もしかしたらまた訪れるかもしれないと思って他の人の旅行記見るのも楽しいものですよね。
今後とも宜しくお願いします。
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