2025/07/26 - 2025/07/29
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kasekunさん
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ソロモン諸島ガダルカナルへは以前訪問し、戦跡を廻り慰霊してきた。今回のメインの1つはラパウル。
パブアニユーギニア、危険だ!危険だ!と言われているが、パブアニユーギニア自体それ相応に発展してきている。体感としては昼間なら普通に街を歩ける感じがした。タクシーも問題なく利用できた。もっと気軽に日本人が行けるようになるのもそう遠くはないように思う、、、。
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7月26日朝、ポートモレスビーに到着。国内線に乗り換え、ゴロカに向かう。
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到着し、3万円を両替。(前回の旅行で余ったバヌアツのお金があったので持ってきたけど、両替はできなかった。)
写真はキナで初めて購入したアメリカンコーヒー、20キナ、、、空港は高い。 -
ここで待つ。周りは全てメラネシアの方。
バヌアツ訪れた時、予約してた宿が見つからず、たまたまそこにいた人に声をかけたら、一緒に探し回ってくれた。メラネシアの方、見かけは強面だが、大変親切なのだ。バヌアツ訪れて改めて反省した。人は見かけによらない。 -
ボートモレスビーにはまた戻って来る、、、。
ゴロカ行きの便も当初の出発時刻よりも遅くなった。ニューギニア航空、変更が多い。 -
この飛行機でゴロカに向かう。
※
ポートモレスビー→ゴロカ 1万5000円ほど
ラエ→ラバウル 2万円ほど -
そこそこ乗客はいますね。
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パプアニューギニアの地球の歩き方フロンティア編を買ったのは確か30年ほど前。
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ハイランドとかラスカル、PMV なんて、パラパラめくって初めて知った。さらにパプアニューギニアは道路が繋がってなく、バスだけでは回れないことも知った。
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当初はラバウルだけで計画立ててみたけど、その後の日程を考えると、ラバウルだけではもったいないと思うようになり、マッドマン見たさに、ゴロカを旅程に加えた。が、ゴロカからラバウルには直行便はなく、再度ポートモレスビー経由。航空代も高い。んー、と迷い、、、そうだ!レエにPMVで行こう。ハイランドハイウェイを通って!
幸い、レエからラバウルは直行便があった。航空代もそんなに高くない。で、即チケット取ったわけだが、、、 -
スケジュール変更、、、。ゴロカ行きは当初より遅い時刻に。レエーラバウル便は当初よりも早まってしまった。、、ゴロカに着いてすぐマッドマン見学、そしてその日にPMVでレエへ、、、との計画は敢えなく潰えてしまった。
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でも、古い地球の歩き方で眺めていたハイランドハイウェイは是非見たい。
ゴロカに着いたらすぐPMV 探しだな。マッブスミーで調べたら、レエまでは6時間はかかるらしいので昼には出発した方がいいと判断。 -
見えてきました。ゴロカ!30年前に買った歩き方はどこかにいってしまったが、いつかは!と思っていたパプアニューギニア本土に到着です。
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叶うもんですね。
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ゴロカの空港です。この空港は町中にあるので便利です。すぐさまぶらぶら散策!
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ゴロカの町。もっと暑いものと思ってましたが、山間部は涼しいです。
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てくてく、、、
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てくてく、、、パプアニューギニアの国旗発見!
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なんでしょう?人がこんなに集まって?
、、、と、レエ行き※PMV 探し回ってたら、、、「レエに行きたいのか?」と、、、なんでわかった?不思議ですが、正にその通り!どうやらレエへ行く乗客を探し回っているようなのです。きっと外国人(俺)を見つけ、話しかけてきたのでしょう。ラッキーでした。運賃を聞いたら、60キナ?(忘れてしまった。忘れないようにクチコミに投稿したはずなのに削除された模様)
確か日本円で2,000円ほど。
※Public Motor Vehicle -
で、PMV の助手席に乗り込み、街中周遊、、、乗客を探しに、何度も周遊、、、。
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この車、フロントガラスには金網が、、、。治安相当悪いのかな?
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そう、ここをぐるぐる、、、。行っては乗客探し、また違う場所へ、、、。最初はなんでぐるぐる周回してるのかわからんかったけど、レエ行きのPMV はたくさん走ってるようです。乗客探し回ってるのです。
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自分の隣に地元の方が座りました。あとですんごくお世話になるケンさんです。
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ぐるぐるぐるぐる、、、
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ゴロカです。
昔はパプアニューギニアといえば、マッドマンの裸のイメージが強かったのですが、、、あれは伝統ショー、、普段はこれですよね。 -
お向かいに停まっていたPMV 、、
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歩いてる外国人は、、、1人も見かけませんでした、、、
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さて、12:00頃だったでしょうか?もう乗客はいないと判断したのか、PMV は町外れのこのお店へ。そう、昼飯調達です。
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これが自分が買った昼飯!ソーセージと鶏足を、、、。
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で、昼1時頃、レエに向けて出発!
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お、結構いい道なんだと思ってたけど、、、
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、、、途中から穴ぼこが、、、。ガーナのようです。
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この方が隣に座ったケンさん。自称29歳、、、とっても陽気な方です。あとから、ご家族の方に本当の年齢を聞いたら53歳なんだとか、、、。
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パプアニューギニアの国民嗜好品ビートルナッツを実演中、、、写真に写してくれ!と、、、。
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話を聞くと、レエのビスケット工場で働いていて、ゴロカと行ったり来たりしてるんだとか。ということで、この車の正体がわかりました。
レエの工場で製造したビスケットをゴロカに運んで、そして帰りはレエに向かう乗客を拾うPMVに、、、。次の日、同じ運転手さんがケンさんを拾い、工場で下ろしていたので間違いありません。 -
ミニバスはこんな山間部を駆け抜けていく、、、
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途中の村で、ケンさんがピーナッツをおごってくれました。1束1キナ。35円程。写真にはないですが、自分でバナナ1房購入、、、1キナ也!安い!そしてうまい!やっぱり日本のバナナは偽物ですね!
※パプアニューギニアではピーナッツは生で食べるみたい。ガーナでは茹でたピーナッツだったので、ちょっと新鮮な感覚。確かに生でもいけますね。ケンさんが言うには、パプアニューギニア産はフレッシュなんだとか!ピーナッツもバナナも、タバコも! -
小便タイム!
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緑豊かなパプアニューギニア!地球最後の秘境です。
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一緒になった乗客達。
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もう1枚!やっぱり外国人は珍しいみたい!
ここで残念ながらスマホのバッテリー切れみたい、、、。
ケンさんの英語はブロークン英語。でも、一生懸命いろんな話をしてくれるので退屈せず。ケンさんも自分の話を他の乗客達に現地語で通訳してくれ、なんだか気分がいいみたい。、、、でも、様子を見てるとひっきりなしにお酒に紙たばこ(新聞紙で丸めた現地のたばこ、ケンさんから頂いて吸ってみましたがきつい!)、そしてビートルナッツ!たばこ、ビートルナッツはいいとして、お酒の飲み過ぎ、、、。(あとからケンさんの家族に聞いたら、どうやらケンさんアル中らしい)
、、、と、ミニバスは走りに走って、夜6時半頃、レエに到着! -
日付は7月27日。朝を迎えました。実は昨日、ケンさんに誘われ、ケンさんの娘さんの家に泊まったのでした。
ケンさんの一族はレエ近郊の村にありました。小雨が降る中、ケンさんに手を引かれ着いて行くと、まずは奥さんにご挨拶!ケンさんには奥さんが2人いるらしく、(1人はゴロカに、1人はこのレエ近郊の村に) 、そして兄弟たちもこの村に。ケンさんの娘さんにもご挨拶して、弟さん宅にお邪魔。サイモン一族。大家族でした。突然の外国人の来客に、近所の方もなにやら集合!
弟さんや若い方は英語が達者で、自分が日本軍の戦跡見に1人で旅行してること、明日の朝、ラバウルに向かうこと、理解してくれました。
また、レエに侵攻した日本軍を現地の方はどう思っているのかもさりげなく聞いてみました。現地出身の兵士が大勢日本軍に殺されたようです、、、
で、今夜の宿はここに泊まるか、近くのゲストハウスに泊まるか、聞いてきたので、迷わず、ここに泊まりたい旨を伝えたわけです。現地の方のお宅に泊まれるなんて、香港、ベトナム、ロシア、サモア、ブータン・エチオピア(お金はらっての民泊)以来ないんで、、、。
で、ケンさんの娘さん家に泊まらせてもらった訳なんです。 -
ケンさんの娘さんと、旦那さんと子供達。泊めてくれてありがとうございました!
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ケンさんと義理の息子ジョエル・ジョンさん。
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娘さんからはお土産にと、手編みのLAE と刺繍された首かけバッグまで頂いてしまいました。ありがたいありがたい!
※このバッグ、その後もずっと身に付け旅してたんですが、何度も見知らぬ人に、「レエ、レエに行って来たのか?」と声をかけられました。ラバウルでもポートモレスビーでも、、、さらにはオーストラリアでも、ナウルでも、フィジーでも、キリバスでも、ボンベイでも、、、、。何事もなく、無事旅できたのはこのバッグのお陰だと思っています。
※調べたら、ビルムという物らしい! -
朝、ケンさんとジョンさんと3人でレエの空港に向かってます。が、まずはケンさんのビスケット工場まで、、、。ドライバーはやっぱり昨日の方でした。
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ここがケンさんの職場、、、
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ケンさんとはここでお別れ、、、。昨晩は娘さんのお宅で、きっとケンさんが寝る蚊帳のスペースに泊まらせてもらいました。ケンさんはどうやらその後も飲みに行ったようで、ベロベロになって家に戻ってきました。
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昨晩の様子から、大家族のサイモン一族で、ケンさんはどうやらみんなに愛されてる存在のようでした。「ケンは酒に支配されてるんだ」とご家族の方はおっしゃっていたけど、いつも陽気で、人懐っこい性格が、みんなを笑顔にさせるのでしょう。
たった1日の出会いでしたが、ケンさん、涙目で「彼は君のボディーガードだ!」と、ジョンさんに任せて、お別れしました。 -
このルートにしてよかった!パプアニューギニアの印象、どんな旅行をしたか?によって変わると思いますが、パプアニューギニア、、、それは日本人が失った家族愛がのこされている所でした。
子供の頃、毎年お盆になると、親父の兄弟、おじさん、おばさん達が家族を引き連れ、墓参りに島に来ていました。初めて会ういとこ達と、最初こそぎこちない距離感ですが、帰る頃には、、、。自分も秋田に住むお袋の姉の伯母さん家に夏休み中ずっと転がり込んでいました。たぶん今思うと、お袋や伯母さんは気遣いで大変だったのだろうけど、それが日本の普通の風景だったのだろうと今は思うわけです、、、。 -
朝飯を食べよう!本当はレエにある日本人墓地(昨晩、ケンさんの弟さんから、レエには日本人墓地があるとのことを聞いてまして、、、。)に寄ってみたいのですが、時間がないんで、、、。
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今日のパプアニューギニアの朝飯!
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レエの町中、、、
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ジョンさん、「ケンさんにお酒を買ってあげて!」と。お世話になったお礼に、もちろんブレゼント!
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PMV で行く?タクシーで行く?ジョンさんに聞かれたけど、遅れたら困っちゃうのでタクシーで。たしか100キナ。PMV なら安いようですが、いつ着くのかがわからないので迷わずタクシー選択!
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町から42キロも離れた空港へ向かいます。
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次回またレエに来ることがあったら、ゆっくりまわってみたいものです。
○「ラエ、サラモサの戦い」ウィキより
「小都市ラエと、その南方50キロに位置するサラモアは、日本軍の基地ラバウルと連合軍の基地ポートモレスビーとの中間に位置し、飛行場と港湾の適地で共に連合軍の飛行場があった。日本軍はポートモレスビー攻略を視野に入れて前進航空基地の設営を計画し、1942年3月8日にサラモアに陸軍南海支隊、ラエに海軍陸戦隊が上陸した。どちらも連合軍はすでに撤退していたため、抵抗を受けることなく占領が行われた。」
「「1943年1月5日、第51師団のラエへの最初の輸送作戦「第十八号作戦」が発令され、歩兵第102連隊を基幹とする岡部支隊(支隊長:第51歩兵団長岡部通少将)が輸送船5隻、護衛の陽炎型駆逐艦5隻(浦風、谷風、浜風、磯風、舞風)に分乗してラバウルを出発した。翌朝から連合軍機による空襲が始まった。7日に船団はラエ泊地へ到達したが、執拗な空襲は続けられ、まず日龍丸が沈没して乗船していた第3大隊は装備と兵員の一部を喪失。117名が伊25に救助され、ラバウルへ向かった。妙高丸も揚陸中作業に航行不能となり船体を海岸へ乗り上げて擱坐させるに至った。こうして輸送船2隻を失ったものの、岡部支隊は大半が上陸し作戦は一応の成功を収めた。」
、、、1942年3月から日本軍は海軍主導の下、ラエを占領。だが、オーストラリア等の連合国軍の反撃にあう、、 -
「ラエ陥落」
1943年半ばまでにラエ・サラモア周辺の制空権は完全に連合軍のものとなっていた。ダンピール海峡を渡ってくる輸送船は途絶え、日本軍の補給は潜水艦だけに依存していた。輸送方法はドラム缶に詰めた物資を潜水艦の横腹に抱え、夜闇にまぎれて海岸で切り離すもので、1万名の兵力を養うにはとても足りなかった。日本軍は7月に第4航空軍をニューギニア北岸のホーランジア(現在のジャヤプラ)へ進出させ、制空権の奪回を図ったが、8月17日から18日の連合軍による大規模な空襲によって第4航空軍は作戦機100機を一挙に失い壊滅状態となる。
サラモアが最前線となっている間、50キロ後方のラエには歩兵第21連隊第3大隊、歩兵第115連隊第2、第3大隊、および種々の後方部隊が置かれ、第41師団の歩兵団長庄下亮一少将が全体を指揮していた。しかし実働兵力は200名に過ぎず、傷病兵は1,000名いたが戦闘に耐えうるものではなかった。他に海軍の第7根拠地隊1,000名もいたが、機動的な陸戦が可能な要員は100名に過ぎなかった。 -
9月、連合軍はラエの攻略へ向けて一挙に攻勢に出た。9月4日朝、北アフリカ戦線から戻ったオーストラリア軍第9師団がラエ東方40キロのホポイに上陸した。さらに翌5日には南西太平洋方面連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー大将自らB-17に搭乗して督戦する中、ラエ北西20キロのナザブ平原にアメリカ軍第503空挺連隊とオーストラリア軍第7師団の一部が空挺降下した。サラモアの第51師団は退路を絶たれる危機に陥り、中野師団長も玉砕を覚悟した。だが安達軍司令官はこれを承知せず撤退を指示し、9月8日、中野師団長はサラモアからの脱出命令を発した。
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ラエの日本軍は必死の防衛戦を展開していた。ラエ東方では、ブス川の急流を防壁として歩兵第115連隊第3大隊と海軍根拠地隊が布陣した。オーストラリア軍第24旅団の2/28大隊は9月9日朝にゴムボートでブス川下流の渡河を試みたが、急流と日本軍の銃弾に阻まれ一度は引き返し、午後に13名の溺死者を出しながらようやく対岸に渡った。しかし連日の豪雨で増水した川が障害となって補給が続かなくなり、さらに日本軍の激しい抵抗に遭って前進できなくなってしまう。第2工兵特別旅団がブス川への架橋を終え、オーストラリア軍が再度進撃を開始できたのは9月14日であった。ラエ西方では、日本軍は歩兵第115連隊の1個大隊程度が守備するのみであった。しかし、やはり連日の豪雨で飛行場が使用できない状態が続き、空挺降下した連合軍はなかなか前進へ移ることができなかった。
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9月11日を過ぎると、サラモアから脱出してきた第51師団が徐々にラエへ到着した。ラエも保持困難であることに変わりはなく、日本軍は直ちにラエからも撤退した。連合軍は9月11日にサラモアを、9月16日にラエを奪還した。」
、、、そして、1943年、9月16日、日本軍はラエを連合国軍に奪還された、、、。 -
ラエの空港に到着!
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で、発見!
ラエの空港、、名前がついていました。
なんと、、Nadzab Tomodachi International Airport
知らなかった!
https://postcourier.com.pg/nadzab-airport-renamed/ -
ラエ ナザブ トモダチ 国際空港、、日本とパプアニューギニアの架け橋になってくれればいいですね、
※側にいた空港職員に「トモダチ」の意味を知ってるのかと尋ねてみました。、、、知らないらしい。
It means friendship between Japan and PNG!
そう教えてあげました。
※そうそう、東日本大震災の義援金ランキングでパプアニューギニアはなんと16位だそうです。シンガポール、オーストラリアよりも多くの義援金を日本に送ってくれたんです。けして裕福な国ではないはずなのに、、、。 -
「2023年に日本の投資と再開発を経て象徴的に改名されました。」ウィキより
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ちゃんと整備されてますね。
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近代的です。
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で、この飛行機でラバウルへ。
長くなりましたのでここまで。
いい出会いがあったハイランドハイウェイでした。
※そうそう、これで世界の大きな島、上位4位まで制覇!島育ちの自分には大事な要素なのです。
○1位グリーンランド
○2位ニューギニア島
○3位ボルネオ島
○4位マダガスカル島
▲5位バフィン島(カナダ)
○6位スマトラ島
バフィン島もいつか、、、
ちなみに
○7位 本州 日本
▲8位 ビクトリア島 カナダ
○9位 グレートブリテン島 イギリス
▲10位 エルズミーア島 カナダ
▲11位 スラウェシ島 インドネシア
○12位 南島 ニュージーランド
○13位 ジャワ島 インドネシア
○14位 北島 ニュージーランド
▲15位 ニューファンドランド島 カナダ
○16位 キューバ島 キューバ
○17位 ルソン島 フィリピン
○18位 アイスランド島
▲19位 ミンダナオ島 フィリピン
○20位 アイルランド島 アイルランド、イギリス
⭐21位 北海道 日本
○22位 樺太 ロシア
○23位 イスパニョーラ島 ドミニカ共和国、ハイチ
▲24位 バンクス島 カナダ
○25位 セイロン島 スリランカ
北海道は世界第21位なんですね。
※クチコミにも投稿しましたが、再度、、、
eVISAはここで、、、地方在住者にはこれしかない。
https://evisa.ica.gov.pg/evisa/account/Apply
わりと簡単に取れました。(預金残高証明はコンビニでの残高レシートをスキャンし、pdfでアップロード。そんなに厳密なわけでもなく、とにかくなにかデータをアップすればいいみたい。)
料金は50ドル。クレカで払ったら、即VISAが発行されました。
入国時にはホテル予約も見ることもなく、出国のチケットをみせるだけ。
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