2025/08/06 - 2025/08/07
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kasekunさん
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当初、ノーフォーク島へ行く予定は全くなかった。ナウルに行く為には、ブリスベンから行くのが妥当だとわかった。が、カウラには是非行きたい。シドニーからブリスベンへは日程上航空機しかない。、、、
で、思い出したのです。そういえば、ノーフォーク島というオーストラリア領の島があったことを。ブリスベンから飛んでることは4トラ旅行記見て知っていた。シドニーから飛んでないかな?と試しに調べたら、、、
ばっちし旅程にぴったんこ!
朝シドニー発ノーフォーク島着、次の日昼にノーフォーク島発ブリスベン着、そしてその日の夜にブリスベン発ナウル行き。翌朝ナウル着。いいじゃないか!航空代は往復8万円。行く機会もないし、この際、行ってみようじゃないか!
、、、ということで、ノーフォーク島行ってみたわけです。一応4トラでも他のアプリでも国に準ずる扱いを受けてる豪領ノーフォーク島、、、けっこういい所でした。
旅程
●8/6水 シドニー発9:55 ノーフォーク島着13:15
QF179
●8/7木 ノーフォーク島発15:40 ブリスベン着17:15
QF184
(ブリスベン発22:15 ナウル着翌日4:50)
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日付は8月6日。シドニーからノーフォーク島行き、、、。ビンボケ写真ですみません、、、
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いよいよ到着です。
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ノーフォーク島の旗、、、レバノン杉みたいな地域の旗が、オーストラリア国旗と並んで掲揚されてます!
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さあ、入国へ、、、
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空港内、、、
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観光ポスター!
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ノーフォーク島、英語だけでなく、ノーフォーク語もあるみたい、、、
「ノーフォーク島の共通語は公用語でもある英語であるが、島民の間ではノーフォーク語と言うクレオールの英話を話す。ノーフォーク語は、18世紀におけるイギリスの西部地方の英語の方言とポリネシア語(タヒチ語)、及びゲール語が混成された言語である。
1856年、バウンティ号の反乱者の子孫が住むピトケアン島の人口が増加する恐れが出てきたため、イギリス政府はピトケアン島の住民をノーフォーク島に移住させた。その後、何人かはピトケアン島に戻ったが、そのままノーフォーク島に定住する者も大勢いた。そのためかノーフォーク島の住民の多くはそのピトケアン島のバウンティ号の反乱者の子孫の末裔が多いことになる。
ノーフォーク島民の間で話すノーフォーク語は、ピトケアン島のピトケアン語の影響が強く残っている。」
ウィキより、、、 -
簡単なパスポートチェックを受け、問題なく入国!
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さて、、、、。実はホテル予約なしで来てまして(入国カードには泊まる予定のホテルを記載)
マップスミーにあったWatermill Beach House Estate、、、ここに泊まる予定でした。 -
とりあえず、Burnt Pineに行きます。
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お、あれは国旗?にもあるノーフォーク松(バインツリー)か?
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MAZDA!、、、以前乗ってた車がこれだったので思わずパチリ!(今は実用クルマの商用車軽ワゴン!)
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Burnt Pine、、、
※この画像は、北海道留萌市にある「ヘアーサロンいしざか」の店先を写したものです。
ブッブー!全然違う!
けど、ヘアーサロンいしざか、今度行ってみよう、、、本当に似てるのかな? -
ノーフォーク語、、、
※MANDI: Monday (月曜日)
TYUUSDI: Tuesday (火曜日)
WENSDI: Wednesday (水曜日)
THERSDI: Thursday (木曜日)
FRAIDE: Friday (金曜日) -
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?蜘蛛、、、
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※この画像は、北海道留萌市にある「千望台(せんぼうだい)」に設置された案内板と、その周辺の景色を捉えたものです。
違います。ずいぶん留萌が出てきます、、、不思議? -
※この画像は、オーストラリア領ノーフォーク島にある「Norfolk Mall(ノーフォーク・モール)」という商業施設です。
ノーフォーク・モールは、ノーフォーク島の主要なショッピングエリアの一つと考えられます。
画像には「THE TRADING POST NE.」という店名も確認できます。
ノーフォーク島は、オーストラリア東部沖の太平洋に位置する小さな島です。
島には、イギリスの植民地時代の歴史的な建造物が多く残されており、観光地としても知られています。
ノーフォーク島は、その美しい自然と独特の文化で知られています。
やっと正解! -
※ノーフォーク島は、オーストラリア、ニューカレドニア、ニュージーランドの間に位置しています。
オーストラリアから飛行機で約3時間の場所にあり、人口は約2,200人です。
主都はキングストンで、深い歴史を持つ人気の観光地として知られています。 -
たしかSouth Pacific Resort Hotel入り口にあったオブジェ。
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黄色い花が辺り一面に、、、
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南にある主都キングストンにてくてく向かいます。
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立派なノーフォーク松です。
※ノーフォークマツは、南太平洋のノーフォーク島原産のナンヨウスギ科の常緑針葉樹です。
「マツ」という名前がついていますが、マツ科ではなくナンヨウスギ科に属します。
垂直に伸びる幹と水平に伸びる枝が特徴的で、美しい円錐形の樹形を形成します。
街路樹や公園樹として世界各地で植栽されており、寒冷地では観葉植物として室内で栽培されることもあります。 -
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※画像は、北海道留萌市にあるような、木々が生い茂る丘陵地帯を通る舗装された道路を示しています。道はやや上り坂になっており、遠くには電柱や建物が見えます。空は曇りですが、一部に青空がのぞいています。
ずいぶん留萌が出てきます、、、が、
ここはノーフォーク島です。 -
てくてくてくてく、、、晴れててよかった!
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面積は34.6㎢。自分の故郷の島の6倍ほど、、。
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※この画像は、オーストラリア領のノーフォーク島の風景であると考えられます。特に、特徴的なノーフォークマツが多く見られることから、ノーフォーク島である可能性が高いです。
ノーフォーク島に関する追加情報は以下の通りです。
地理:オーストラリアとニューカレドニア、ニュージーランドの間に位置する南太平洋の島です。
特徴的な植物:島の旗にも描かれているノーフォークマツが島内の至る所で見られます。
歴史:19世紀中頃まで流刑地として利用されており、囚人遺跡は現在世界遺産に登録されています。
観光:美しいビーチや新鮮なシーフード、歴史的な囚人遺跡などがあり、静かな休暇を過ごすのに適しています。
交通:公共交通機関はほとんどなく、移動には車のレンタルなどが推奨されます。 -
立派なノーフォーク松、、、
※1774年に南太平洋を航海していたキャプテン・クックが初めて本種を目にしたと言われています。 -
ノーフォーク島にも竹が生えてました。
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※用途: 材は建築や造船などに利用されます。
その他: クリスマスツリーとして利用されることもあります。 -
湿地帯にやって来ました。アヒルたちがなかよしこよし!
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※ノバリケンかも?
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たしか、最初に人間が定住した所だとか、、、違ったか?
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「この渓谷地域はKAVHA(キングストン・アーサーズ・ヴェール歴史地区)としても知られ、オーストラリアの11の囚人世界遺産の一つです。」
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「この渓谷は最初の入植者たちの時代まで遡り、周辺には興味深い案内板が設置されています。アーサーズ・ベールは、イギリス第一次入植地(1788年から1814年までの植民地開拓地)で農地として利用するために開墾されました。イギリス第二次入植地(1825年から1855年までの流刑地)が開設されると、この土地も耕作地となりました。イギリス人入植地時代の住居跡や遺跡が残っており、これらの歴史的建造物は見学や写真撮影にも興味深いものです。1856年にピトケアン諸島人が到着し、彼らもこの渓谷で農地を耕作しました。現在でも、牧場主たちが牛や子牛を放牧するために利用しています。
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「次回キングストンにお越しの際は、ウォーターミル ダムに立ち寄り、アーサーズ ベールを通る渓谷を歩いてみてください。このエリアは、晴れた日にはいつでも平和で美しく、丘と、1970 年 9 月 13 日に 100 歳になったジェミマおばさんのために植えられた素晴らしいノーフォーク島の松の並木に囲まれています。ノーフォーク島初の 100 歳の誕生日を祝うため、アーサーズ ベールのカントリー ロード沿いに、彼女を偲んで 100 本のノーフォーク島の松が植えられました。牛、ニワトリ、アヒルがいつもウォーターミル ダムにいて、皆さんを出迎えてくれるでしょう。」
https://www.norfolkonlinenews.com/article/dauntown-at-the-watermill-valley-and-arthurs-vale -
訳、、、
「ランディング・プレイスの北に位置するアーサーズ・ヴェールは、1788年に植民地開拓者によって開墾された最初の土地です。
アーサーズ・ヴェールは、ニューサウスウェールズ州の初代総督、アーサー・フィリップ大尉にちなんで名付けられました。今日では、ウォーターミル・バレーとしてよく知られています。」 -
どおりでこんなに整然とたくさんノーフォーク松が生えてるわけです。ジェミマおばさんの100歳記念だったんですね。
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牛さん、こんにちは!
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んー何枚も撮っちゃいます。
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AIによればこの牛、乳牛とのこと、、、
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さて、世界遺産が見えてきました。
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世界遺産「オーストラリアの囚人遺跡群」の1つ。
「キングストンとアーサーズ・ヴェールの歴史地区」
○ヨーロッパ人上陸以前の歴史
南太平洋に浮かぶノーフォーク島にポリネシア系の住民が居住を開始したのは、14世紀から15世紀のことといわれる。ポリネシア系住民の遺跡は、アーサーズ・ヴェールと現在呼ばれている地区に展開されており、バナナの栽培や難破したカヌーが残っている。とはいえ、当時のアーサーズ・ヴェールの遺構は、歴史的に断絶しており、ポリネシア系住民がノーフォーク島から姿を消したのは謎とされている、、、。 -
○第一次入植(1788年-1814年)
ノーフォーク島にヨーロッパの住民が上陸したのは、1774年10月10日のことである。ジェームズ・クックは、レゾリューション号に乗り、第2回航海(1772年-1775年)を実施した際に、ノーフォーク島はヨーロッパ人に発見された。上陸したクックは、直ちに、ノーフォーク島をイギリスの主権下にあることを宣言した。
ノーフォーク島への移住が本格的に開始されたのは、1788年になる。アーサー・フィリップによるニューサウスウェールズ植民地上陸後、直ちに、ノーフォーク島への探検が実施された。フィリップ・ギドレー・キング(Phillip Gidley King)を中心とする一行がノーフォーク島へ上陸に成功したのは、1788年3月2日のことである。キング一行の構成員は、4人の軍人と4人の公務員、9人の男性囚人、6人の女性囚人で構成されていた。彼らの最初の定住地は、船舶の停泊に用意で新鮮な水を手に入れることができる現在のキングストンであった。その後の島の開拓は、アーサーズ・ヴェール方面へと延びていった。
1790年、シリウス号が難破したことにより、ノーフォーク島は、一時的に孤立した状態となった。島に残された住民は飢餓生活を余儀なくされ、この生活は翌年、キングがシドニーからノーフォーク島に帰還するまで、継続した。1791年より、キングの手によって、キングストンの街の設計とそれに基づく本格的な建設が開始された。1793年までには、キングストンは、小さな村の形を形成し、4つのメイン・ストリートと島の各所を結ぶ道路が建設された。インフラ面の整備は続き、1795年中には、アーサーズ・ヴェールには水車が建設されると同時に、ポイント・ハンター地区には、脱穀用の風車が建設された。
キングストンの開発は、キングがノーフォーク島を去り、彼の後を継いだJoseph Foceauxの指揮下でも続けられた。上陸した地点の施設を改修する形で、簡素だった施設が石造りのバラック、倉庫、牢獄が建設された。しかし、1800年中には、ノーフォーク島内で、囚人による陰謀事件が発生した。その結果として、ノーフォーク島総督の権威を上昇させるために、簡素であった総督官邸を新築することとなった。
ノーフォーク島の開発の主役は、自由になった囚人たちと軍隊のメンバーである。彼らには、大小さまざまな形ではあるが、キングストン周辺(南はシドニー湾から北はカスケードまでの間)の土地が与えられた。
Foceauxがノーフォーク島を1803年に去った。しかしながら、1792年に1156人を記録していた人口が1801年には960人に減少していた。一方、同じ頃、タスマニア島の開発が進展していった。さらに、ノーフォーク島内での自給が困難だった事情とあいまって、ノーフォーク島第一次移住は、1814年2月28日に終わりを告げ、建築物は火によって、破却されることとなった。 -
○第二次移住(1822年-1854年)
1822年、ラックラン・マッコーリー総督のレポートがイギリス本国で、ノーフォーク島が再度、注目を浴びることとなった。その結果、1824年、ノーフォーク島植民地の再開が実施された。バサースト伯爵は、ブリスベーン総督に対して、ノーフォーク島を流刑植民地で最も厳罰な場所とする方針であった。1825年に再上陸した人間の構成は、軍隊のメンバーを除くと6人の女性と6人の子供、57人の囚人から構成されており、囚人の多くは、技師であった。第二次移住を組織したロバート・タートンは、キングストンにかつての植民地の廃墟を見出したが、2ヶ月の間、吹きさらしのもとで生活した。1825年12月までに、倉庫とFoveauxが建設した総督官邸は再建され、さらに、かつての道路も再建された。
1826年には、ノーフォーク島に居住するすべての女性は自由人であるという政策が取られるようになった。1833年までには、ノーフォーク島に居住する囚人は600人を数えた。この囚人たちが、ノーフォーク島に現在も残る重要な建築物である囚人のバラック(Prisoners’ Barrack)、旧軍のバラック(the Old Military Barrack)、ランバー・ヤード(Lumber Yard)などを建設していった。ノーフォーク島におけるインフラの建設や農業に従事した囚人たちの仕事は夜明けから始まった。模範囚は、農地を耕作する権利を与えられた。
1839年に、トーマス・ブンベリー(Thomas Bunbury)がノーフォーク島の総督に就任すると、ノーフォーク島の農業の近代化が推進された。前任のジョセフ・アンダーソン(Joseph Anderson)は、島内の農業で鋤を使うことを禁止していたが、彼は、再び、島内に鋤を導入した。また、サイロを建設し、ウォーターミル・ダムのシステム改修も実施した。1839年の島内の人口は、囚人1,200人及び180人の軍関係者であった。この人口は、1840年の段階では、1,872人の囚人 を数えるようになった。この数字は、ノーフォーク島流刑植民地における囚人人口の数字では、最大の数字である。1840年に、ノーフォーク島総督に就任したアレクサンダー・マコノチー(Alexander Maconochie)はキングストンにおける住居不足や学校が存在しないことを記録している。こういった背景から、1840年から1841年にかけて、プロテスタント及びカトリックの礼拝堂の建設が実施された。さらに、1842年から1844年にかけて、クオリティ・ロウ(Quality Row)とよばれる道路沿いには、新しく住居が建設された。とはいえ、マコノチーの建設計画は、批判の対象とされた。ジョセフ・チャイルズ(Joseph Childs)が1844年に、ノーフォーク島の総督として就任すると、穏健的だったマコノチーの政策を改め、ヴァン・ディーメンズランド植民地で実施していた懲罰と規律を主とする統治政策を実施した。チャイルズは、1846年7月1日に発生した、いわゆる「Cooking Pot Uprising」と呼ばれる反乱で、総督を辞職した。
1846年8月、チャイルズに代わり、ジョン・プライス(John Price)がノーフォーク島の総督に就任した。プライスは、先の反乱に参加した囚人たちを処断した。死刑処分を受けた囚人たちは、今日、「Murderer’s Mound」と呼ばれる墓地に埋葬された。プライスは、1847年も、ノーフォーク島の統治に従事し、新しい牢獄も建設されたが、チャールズ・アウグストゥス・フィッツロイ ニューサウスウェールズ総督の命令によって、ノーフォーク島流刑植民地の廃止が決定された。その後、1854年までの8年間で、ノーフォーク島にいた囚人は、徐々に、島外に移された。プライスは、1853年にノーフォーク島を去り、1854年には、119人の囚人が残すのみとなった。こうして、第二次入植が終了した。 -
○第三次入植 (1852年以降)と保全計画
一方、イギリス本国は、1852年に、ピトケアン諸島に住む住民の移住先として、ノーフォーク島を候補地としてあげた。背景には、ピトケアン諸島の人口増大がある。ピトケアン諸島の住民がノーフォーク島に移住したのは、それから、4年後の1856年6月8日である。移住したピトケアン諸島の住民は、キングストンに残っていた住居に居住を開始した。最初期の第三次入植時代は、残っていた住居を再利用していたため、新たに、住居を建設する必要性が無かった。旧ピトケアン諸島の住民が、ノーフォーク島で行った最初の大規模な建設は、1870年の教会の建設である。一方で、1870年代から1880年代にかけて、かつての多くの建築物が急速で荒廃していった。
19世紀の最後の20年は、キングストンで大きな変化が起きなかった時代である。とはいえ、一部の建物においては、リノベーションが実施された。例えば、捕鯨用に改築された建物もある。1901年1月1日、オーストラリアがイギリスのコモンウェルスの1つとなると、ノーフォーク島の統治は、ニューサウスウェールズ州に移管された。1908年には、キングストン市街地で大火が発生した。
キングストンに残る囚人が建造した建築物の再建は、1920年代に開始された。もっとも、歴史地区の重要性が再認識され、多くの建築物が再度、整備されるのは、1950年代を待たなければならなかった。1962年に、保存のための条例が制定され、1960年代から1970年代にかけて、再整備が進んだ。1980年には、「キングストンとアーサーズ・ヴェール歴史地区保存マネジメント計画」(Kingston and Arthur’s Vale Historic Area Conservation Management Plan)が策定された。 -
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どことなくイギリスのシェトランドに似ているような、、、
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お天気はいいのに、けっこう海は荒れてますね。
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※画像に写っているのは、北海道留萌市にある**旧花田家番屋(きゅうはなだけばんや)**です。
違います!しかも、花田番屋は小平町鬼鹿にあるんだけど、、、 -
キングストン・ピア。
「エリアHに指定されている上陸地点(Landing Place Ridge (known as Kingston Pier))は、キングストン埠頭として知られている。現存の埠頭は、1839年に建設が開始され、1847年に完成したものである。第二次世界大戦中に、埠頭は、過重のために、破損が著しかったが、戦後、現代化された。
キングストン埠頭の岸壁は、埠頭の東側に建設された。」ウィキより -
※この画像は、オーストラリア領のノーフォーク島にある旧食料品店(Commissariat Store)を示しています。
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※この画像は、オーストラリア領ノーフォーク島にあるキングストン桟橋の風景です。
キングストン桟橋は1839年に流刑囚によって建設され、オーストラリアで最も古い桟橋の一つです。
ビクトリア朝時代の優れた工学技術の例として、グレードII*に指定されています。
かつては遊園地や乗り物、蒸気船フェリーで賑わう人気の観光名所でした。
第二次世界大戦中はイギリス海軍に接収され、秘密の兵器試験基地として使用されました。
桟橋の周囲は、ノーフォーク島の過去と現在が調和する美しい夕日の名所としても知られています。 -
※この画像は、北海道留萌市の海岸から望む日本海の風景です。
沖合にはいくつかの島影が見え、左奥には平坦な島、右奥にはやや高低差のある島が見えます。
AIには本当に留萌ばっかし出てきます、、、。右がフィリップ島、左がネピアン島でどちらも今は無人島のようです。 -
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※画像に写っている建物は、ノーフォーク島のキングストンにある**ピアストア・ノーフォーク島博物館(Pier Store Norfolk Island Museum)**です。
歴史的背景: ピアストアは元々「ザ・ビーチストア」として知られ、1825年に政府または軍の倉庫として建設されました。
用途の変遷: 津波による被害後、製粉所として使用され、その後は税関や棺の保管室としても利用されました。
博物館としての利用: 1988年にノーフォーク島博物館として利用されるようになり、島の豊かな歴史と文化を紹介しています。
展示内容: 島の最初の入植者に関する遺物から現代の文化を伝える展示まで、幅広い時代の遺物や写真、インタラクティブな展示を通じて島の物語が紹介されています。
場所: キングストン桟橋の端に位置しており、かつては物資の積み下ろしに最適な場所でした。 -
訳、、、
終身借家人フィリップ・シドリー・キングが英国旗を掲揚し、島はジョージ国王陛下の所有となり、入植地全体が建設されました。、、、 -
クリスマスツリーファームの郵便受け?
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※この画像は、ノーフォーク島博物館の一部であるピアストア博物館を示しています。
ノーフォーク島博物館は、ポリネシアの航海者からイギリスの入植、流刑地としての歴史、そしてバウンティ号の反乱者の子孫まで、ノーフォーク島の多層的な物語を紹介しています。
ピアストア博物館は、キングストンとアーサーズベール歴史地区(KAVHA)内の歴史的建造物群の一つに位置しており、世界遺産にも登録されています。
この博物館は、バウンティ号の反乱者とピトケアン島の歴史に焦点を当てた展示を行っています。
入ろうとしたら、団体ツアーじゃないとダメみたい、、、 -
囚人施設の跡地?
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※この画像は、オーストラリアのノーフォーク島にある「ホワイトハウス オーシャンビュー スパヴィラ」と呼ばれる宿泊施設の廃墟、または歴史的な建造物の一部である可能性があります。
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※画像に写っているのは、北海道留萌市にある「留萌市歴史文化伝承館」の屋外に設置された解説板と、その周辺の風景です。解説板には、地域の歴史や文化に関する情報が記載されていると考えられます。背景には、緑の芝生と、遠くに建物や木々が見えます。これは、留萌市の歴史や文化を学ぶことができる場所であり、周辺の自然も楽しめる場所であることが示唆されます。
嘘つけー!それにしても、留萌と相当にているようですね。(今住んでる町は留萌、、、) -
※AI による概要
この画像は、スコットランドのファイフにあるセント・アンドリューズ大聖堂の遺跡を写したものです。
もしかして、イギリスと似てたんで流刑地にされたのかも? -
※画像に見られる石造りの建物は、流刑植民地時代の刑務所や囚人のバラックなどの跡地と考えられます。
キングストンはノーフォーク島の首都であり、バウンティ号の反乱者の子孫が多く住んでいます。 -
ここに囚人が住んでたのかな?
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※この画像は、スコットランドのオークニー諸島メインランド島にあるスカパ・フローを見下ろすグラハム島にあるネスのブロッホの遺跡です。
❌❌❌
オークニー諸島、、、やっぱりイギリスの風景に似てたんでしょうね。 -
※この画像は、北海道留萌市にある旧留萌炭鉱のホッパー跡であると考えられます。
❌❌❌
またしても、、、よっぽど留萌に似てるのか? -
近くの海へ降りてみます。
※画像は、ノーフォーク島のスローターベイのビーチの様子と考えられます。
◎◎◎ -
※ノーフォーク島の南岸に位置し、美しい海岸線と歴史的な建造物が共存しています。
いい感じです!ノーフォーク松がいい味出してます。 -
※この画像は、オーストラリア領ノーフォーク島にあるエミリー湾のビーチの様子です。
エミリー湾はノーフォーク島の南岸に位置する主要なビーチで、ラグーンのような穏やかな海が特徴です。
ビーチ沿いには松の木が立ち並び、美しい景観を作り出しています。
水泳やシュノーケリング、カヤックなどのマリンアクティビティが楽しめます。
キングストンのメイン通りや桟橋から徒歩圏内で、アクセスしやすい場所にあります。 -
※画像に写っている植物は、ペニーロイヤルミント(Mentha pulegium)と考えられます。
、、、とAI はいうけど、
落ちてるノーフォーク松の松ぼっくりから根を張り、踏まれても踏まれても繁殖!何の植物なのか知りたくて写真に撮りました。ノーフォーク島ではこの植物が多いです。 -
花も撮っておきました。
※この画像に写っている植物は、**デロスペルマ(耐寒性マツバギク)**です。
特徴: 細長い花弁を放射状に咲かせるキクに似た花で、多肉質の葉を持ちます。
別名: 「耐寒性マツバギク」とも呼ばれ、寒さに非常に強いことで知られています。
栽培: 日当たりと水はけの良い場所を好み、乾燥気味に育てるのが適しています。
用途: 地面を這うように広がるため、グランドカバーやロックガーデン、コンテナ栽培などに利用されます。 -
なんだかきれいな風景、、、
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※この画像は、オーストラリア領ノーフォーク島のエミリー湾(Emily Bay)を示しています。
エミリー湾は、ノーフォーク島の主都キングストンに位置する美しいビーチで、穏やかな波と透明度の高い海が特徴です。
画像には、湾の景色と、情報を示す看板の一部が写っています。
遠くには、ノーフォーク島の象徴的な風景である、特徴的な形のノーフォークマツが見えます。
この湾は、水泳やシュノーケリングなどのマリンアクティビティに適しています。 -
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湾内は穏やかですが、
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外海は荒れてます、、、
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ゴルフ場?
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マップスミーによれば、ここはキャンプ場とも出てきます。
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Quardhouse。
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※この建物は、ノーフォーク島にあるニューミリタリーバラック(New Military Barracks)です。
1837年に完成し、1850年以前の要塞化された軍事施設として貴重な例です。
囚人の反乱から兵士を保護する必要性に応えて建設されました。
現在はノーフォーク島行政官事務所や評議会事務所として使用されています。
ユネスコ世界遺産であるキングストンの一部であり、一般公開はされていません。 -
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※この画像は、オーストラリアのノーフォーク島にあるキングストンにあるコミッサリアットストア(Commissariat Store)です。
コミッサリアット・ストアは、かつての流刑植民地時代に物資の貯蔵庫として使用されていました。
現在は博物館として公開されており、ノーフォーク島の歴史を学ぶことができます。
画像では、石造りの門をくぐった先に、白い建物が見えており、歴史的な雰囲気が伝わります。 -
※この画像に写っているのは、ノーフォーク島のノーフォーク島戦没者慰霊碑です。
ノーフォーク島のキングストンに位置しています。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の犠牲者を追悼するために建てられました。
1929年のANZACデーに除幕され、基礎石は第一次世界大戦でノーフォーク島出身として初めて戦死したアレン・フレッチャー・バフェット兵の母親によって置かれました。
地元の石材を使用して建設され、白く塗装されています。 -
ノーフォーク島の主都、キングストン。
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※この画像は、北海道留萌市にある旧花田家番屋の貯水槽跡であると考えられます。
旧花田家番屋は、国指定重要文化財にもなっている歴史的な建造物です。
この貯水槽は、番屋の生活用水を確保するために使用されていたと考えられます。
階段を下りた先には、水が溜まる空間があり、上部には水を引くためのトンネル状の構造が見られます。
❌❌❌
またまた花田番屋、、、 -
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マップスミーではこの辺りに泊まる予定のホテルがあるんだけど、見当たりません。
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観光スポットに登ってみます、、、
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こんな素敵な風景が広がっていました。
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※この画像は、ノーフォーク島にある「クイーン・エリザベス・ルックアウト(Queen Elizabeth Lookout)」の記念銘板です。
この銘板には、以下の情報が記されています。
除幕の経緯: 1974年2月にエリザベス女王がノーフォーク島を公式訪問した際に除幕された。
記念の年: この年は、ジェームズ・クック船長が1774年10月10日にノーフォーク島を発見してから200周年(バイセンテナリー)にあたる。
場所: キングストンを見下ろす位置にあり、歴史的な家々やゴルフコース、フィリップ島やネピーン島などの素晴らしい景色を眺めることができる。
故エリザベス女王もここを訪れたようです。 -
んー、いい風景です。
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※この画像は、オーストラリア領ノーフォーク島にあるキングストン(Kingston)の風景です。
海岸線に沿って家々が建ち並び、その背後には緑豊かな丘陵地帯が広がっています。
海と空の境界線が広がり、穏やかな雰囲気が感じられます。
ノーフォーク島は、美しい自然と歴史的な場所として知られています。
奥の方にレストランがあり、今夜のディナーへ行ったはいいけど、、残念!
ゴルフコンベがあったようで、みんな盛り上がって飲んでたけど、レストランの方はお休み。仕方なく、そのバーでジンジャービア、ポテトチップス、クッキー買って今夜の晩飯。、、、キングストンはさかえていない。
さあて、今夜はどうしようか? -
日付は8月7日。朝です。
泊まろうと考えてた宿は?見つけられず、昨夜は近くの公衆トイレに1泊。といっても、ここはマップスミーによればキャンプ場、避難用なのかトイレの一画にベンチのあるスペースが、、、。十分寝れるスペース。トイレもあるし、洗面台もあるし、海が目の前。寒くもなく快適?に寝れました。 -
ここがその公衆トイレ!
もちろん、来た時よりもきれいに!ちゃんと掃除してから出ていきました。thanks ! -
目の前はエミリー湾。いい朝です!
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さて、行動開始です。とりあえず、まだ東側にある観光スポット行ってみようと、てくてくてくてく、、、
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あれは何?
※画像は「OUR FIVE DEMANDS」(私たちの5つの要求)と題されたポスターで、以下のような内容が示されています。
手形の上に5つの要求が書かれており、それぞれが指に対応しています。
具体的な要求内容は、RESPECT(尊敬)、FREEDOM(自由)、JUSTICE(正義)、EQUITY(公平)、REPAIR(修復/償い)です。
これは、何らかの団体やグループが、特定の相手(「THE AUTHORITIES」と記載されている)に対して、これらの5つの要求を表明しているものと考えられます。
そういえば、Burnt Pineの町中に、この手形が無数にあった場所があったなあ、、、、 -
「2016年に廃止された立法評議会に代わってノーフォーク島地域評議会(Norfolk Island Regional Council)が設置されたが、立法評議会に比べると権限が縮小されている。また評議会議員選挙の遅れを理由に地域評議会は2021年12月8日に廃止された。これにより島民は自らの代表を選出することができなくなった。
しかし、ノーフォーク島民の約70%近くが現状維持の島独自の自治権を持つ事を望んでおり、島民の発言権を無視した行為だと、オーストラリア政府に反発している。島民はオーストラリア政府に対して、自治権を残す事を要求し、大規模な抗議デモが行われ2015年にノーフォーク島の自治権を守る「ノーフォーク・アイランド・ピープル・フォア・デモクラシー(NIPD) 」と言う団体が国際連合に対しノーフォーク島を国際連合非自治地域リストに登録するように求めている。」
ウィキより -
「2015年5月12日にオーストラリアの下院によりノーフォーク島の立法評議会の廃止が採決され、2016年7月にノーフォーク島の自治法は廃止された。立法評議会に代わってノーフォーク島地域評議会が設置された。
2021年12月8日にオーストラリア政府は、ノーフォーク島地域評議会を解散し今後3年間は中央政府から派遣された行政官による完全な直接統治へ切り替えることを決定した。これに対し評議会代表であったロビン・アダムス知事はオーストラリア政府を非難した、、、」ウィキより
オーストラリア政府への抗議が、あの手形なのかもしれない。 -
セメタリー・ベイ(Cemetery Bay)?
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※この画像は、オーストラリア、ロード・ハウ島に位置するボールズ・ピラミッドである可能性が高いです。
❌❌❌
フィリップ島とネピアン島です! -
パパイヤの木!
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こちらはまだ熟してない、、、
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こんな道をてくてく、、、でも、出会った車のご婦人に止められ、、、ごめんなさい、ブライヘートだから行ったらダメだとのこと。
それはすみません。(立て看板も標識もなかったので)
戻ります! -
てくてくてくてく、、、
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※これは**ノーフォーク島のクイーン・ビクトリア・ガーデンにあるガゼボ(ロタンダ)**です。
画像に写っている八角形のテーブルとガラスドームの下の胸像は、クイーン・ビクトリア・ガーデン内にあるクラシックな木製ロタンダに設置されており、ノーフォーク島の歴史におけるビクトリア女王の重要な役割に関する情報が展示されています。
クイーン・ビクトリア・ガーデンは、有名な「フレッチャーの反乱サイクロラマ」の隣に位置し、訪問者はサイクロラマを訪れた際に庭園を散策することもできます。
この庭園は、ノーフォーク島のピトケアン島からの入植の許可を与えたビクトリア女王を称えるために、サイクロラマの創設者である園芸家マリー・ベイリーによって作られました。
庭園には、世界中から集められた熱帯・亜熱帯植物や地元の固有種が豊富に植えられています。 -
こちらがその庭園。
カウラの日本庭園とは違いますね。だいたいあちらの庭園はこんな感じ、、、。 -
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※画像に写っている看板には、以下の情報が書かれています。
これは「クウィーン・エリザベス・アウェニュ」という名前の道である。
エリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリー(在位60周年)を祝して、2012年6月4日に命名された。
エリザベス女王は、1953年6月2日の戴冠式で初めてこの名前を使用した。 -
今日の朝飯、、、
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さて、またここに戻って来ました。空港で頂いたガイド本眺めて見たら、、、
よし、ここに行こう! -
町中通って、、、
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Norfolk Mall通って、、、
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ここ通って、、、
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北に向かいます。
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?
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目的地は
Welcome to Norfolk Island National Park! -
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またまたトレッキングです!
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この道でもノーフォーク松の松ぼっくりからあの植物が、、、
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いい感じのトレッキングができそうです。
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ほら!
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※画像は、国立公園の入り口付近に設置された靴の洗浄ステーションを示しています。これは、特定の場所の生態系を保護するために、訪問者の靴に付着した土壌や種子などを除去するためのものです。
固有の生物を守るために、、、 -
自分だけかな?と思ってたら、けっこう観光客、登ってました。
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ようやく山頂に到着!
ノーフォーク島で1番高い山、標高318m! -
登ったのはMt Bates!
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ノーフォーク松には
「雄大」「堅固」「堅実」「あなたのために生きる」「君のために生きる」といった花言葉があるそうです! -
※この画像は、戦争中の人々の生活について書かれた説明板です。
第二次世界大戦中の食料不足や配給制度について書かれています。
人々は食料を得るために、庭で野菜を育てたり、配給された食料を工夫して使ったりしていました。
戦時中の厳しい生活状況と、それに耐え抜いた人々の知恵が描かれています。 -
もう1つ行ってみます!
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※画像は「Welcome to Mt Pitt」と書かれた看板です。これはノーフォーク島にあるピット山の入り口に設置されている案内板であると考えられます。ピット山はノーフォーク島で2番目に高い山で、ハイキングコースや展望台があります。
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Mt Pitt
標高316m! -
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町に戻ります!
ヒカゲヘゴ -
てくてくてくてく、、、
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※この画像に写っている建物は、北海道留萌市にあるルモンドールです。
❌❌❌❌❌❌❌
いったい何?、、、留萌につきまとわれてる、、、 -
で、この日のランチ、、、
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聞いたことのないメニューを頼んだら、これでした。失敗!
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さて、空港へ、、、。
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この飛行機でブリスベンへ戻ります。
そうそう、ノーフォーク島の方々、歩いてると、車が止まってくれます!乗せてくれます!自分、どうしても歩いて回りたかったので、断っていました。 -
楽しい島旅でした。、、、もう来ることはないかな?何てったってオーストラリア本土から往復8万ですから、、、。
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ブリスベンに無事到着!もし、飛ばなかったらこの後の旅行は全てパーになるんです。
ちゃんと定刻通り飛んでくれてよかった! -
さて、ナウル行き、、、既に乗客は並んでました。
そうそう、並んで、何気にメール見たら、、、あなたのナウル行きはキャンセルされた!とのメールが購入したサイトから、、、何?何で?でも大丈夫、キャンセル料は払わなくてもいいです、なんてメールが。
どうするんじゃ?これからどうすればいいんじゃ?
焦りました。パニくりました。そしたら後ろから日本語が、、、。
日本人ですか!わたしもナウルに行くんです。ナウルに行く日本人、珍しいので声掛けました、、、と。
聞けば、フィジー在住、ナウルには仕事で行くんだとか。本当は朝の便で行く予定だったけど、欠航になってこの夜の便になったんだとか、、、。
朝の便が欠航、、、これが自分がキャンセルされた原因か?、、、もうダメ元でカウンターに行くしかない!、、、(さらに自分、実はナウルVISAを持ってない。)
、、、で、ドキドキしながらパスポート出して、VISA持ってないことも正直に言ってみたら、、、
なんのことはない。ボーディングパスゲット!
なんだったんだ、あのメールは?
後ろにいた方も無事ゲットできたようで、何より! -
さあ、ナウルへレッツゴー!
自分のクチコミより
「たくさん歩き回りました。いやーこんなに歩いたのは久しぶり。まだまだ歩けますね。宿は実は予約してなく、マップスミーにある安宿に泊まろうと行ってみたら、??やってなく、いつものバターン。海岸にあるキャンプ場に公共トイレがあり、入ってみたら、あれ?寝れる別のスペースがあるじゃないですか!トイレはきれいだし、雨風しのげるし、、、ありがたく1泊させてもらいました。マヨットで泊まったバンガローみたい!波の音を聴きながら、そういえばガーナでもこんな所に泊まったなあなんて思い出しながら、、、。冬なので夜6時には真っ暗。でも月明かりで朝の6時までぐっすりねむれました。洗面台もあるし、、スリランカで泊まった1000円のホテルよりもよかったかも?
翌日もてくてくてくてく山登り。2つの山、登頂果たしました。標高300m。利島、神津島ぐらい。
これからブリスベンに向かいます。次はナウル。いけるかな?」
、、、という感じで、オーストラリアの島旅完了!
またオーストラリア来ることがあれば、今度はLord Howe Island に行ってみたいですね。(オーストラリア本土、ノーフォーク島とのほぼ真ん中にある島)
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