2025/08/14 - 2025/08/15
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kasekunさん
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フィジーから第5の目的地キリバスへ、、、。ここは日本軍と米軍との熾烈な戦い(Battle of Tarawa) が行われた地。
本当は2~3泊ぐらいしてゆっくりと周りたいところなのだが、航空便の関係で1泊2日の弾丸キリバス、、、。
住所も調べず、価格だけで宿をとったため、後で困ったことになってしまったが、旅の神様には見放されず、しっかり日本軍の戦跡を見ることができました。
旅程
○8月14日
ナンディ7:30→タラワ10:35 FJ231
○8月15日
タラワ8:05→マジュロ9:20 ON811
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日付は8月14日。フィジー編からの続き。
さて、今回の旅のメイン5つ目、、、キリバス共和国へ向かいます。 -
キリバス、、、日本軍と米軍との戦場の地。本当なら2泊くらいしてゆっくり見たいところなのだが、航空便の関係で1泊2日の弾丸キリバスとなってしまった。
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「キリバス、、、正式名称キリバス共和国[は、太平洋中部に位置するオセアニアのミクロネシア小地域に位置する島嶼国です。2020年の国勢調査によると、人口は11万9000人を超え、その半数以上がタラワ島に居住しています。キリバスは32の環礁と、バナバ島という孤立した隆起サンゴ島で構成されています。国土面積は811 km² ( 313平方マイル)で、3,441,810 km²(1,328,890平方マイル)の海域に広がっています。
イギリス連邦加盟国である。
・人口は12万人程。ツバルの約10倍、、、。
・有人の島は21島。
・キリバスは33の環礁からなり、それらは赤道付近に350万平方キロメートルにもわたって散らばっている。そのために世界第3位に相当する排他的経済水域を有している(ただし、陸地が少なく領海や接続水域も少ないため、これらを含めると15位にも入らない)。世界で最も早く日付が変わる国の一つでもある。
・国名
正式名称は、Republic of Kiribati。通称、Kiribati。キリバス語での発音は「キリバシ」または「キリバス」のように聞こえる。
日本語の表記はキリバス共和国。通称キリバス。
国名は1788年に欧米人として初めて島を訪れたイギリスの水夫、トマス・ギルバートにちなんで名付けた。キリバス語はg音やl音を欠くため、英語読みの「Gilbert」が転じてキリバスとなった。」 -
キリバスの歴史
「先住民は、約2000年前西方からカヌーに乗ってやってきたミクロネシア系の人々であった。最初に来航したヨーロッパ人はスペイン人航海者で、1537年にクリスマス島(現キリティマティ島)を望見した。1777年にはイギリス人のジェイムズ・クックが来島し、19世紀初めからヨーロッパ人による経済活動が始まった。」 -
「・1892年から、ギルバート諸島は隣のエリス諸島と共にギルバート・エリス諸島としてイギリスの保護領となった。1916年には植民地となった。第二次世界大戦中の1941年に、イギリスの植民地政府を放逐した大日本帝国に占領され、後に一部の島は要塞化された。1943年より、アメリカ軍との間に、ギルバート・マーシャル諸島の戦いといった激しい戦闘が行なわれた。
1957年から1962年に、ライン諸島のマルデン島およびクリスマス島がイギリスとアメリカ両国の核実験場とされた。1971年に自治領となった。
1975年11月、ギルバート・エリス諸島は、ポリネシア系のエリス諸島とギルバート諸島に分離。1977年1月からはギルバート諸島は自治領に移行した。ギルバート諸島のバナバ島は独立してフィジーと連合することを模索したが、リン鉱石の利権料を失うことを恐れたギルバート諸島自治領に反対された。
1978年にエリス諸島はツバルとしてイギリスから独立した。」 -
・独立
「1979年にキリバスが独立した。独立の際、アメリカはほとんど無人のフェニックス諸島および3つの島を除くライン諸島すべての所有権を放棄し、それぞれキリバスの領土となった。
独立当初は領域内を日付変更線が通過し、キリバスの時間体系は島によって日付が異なるという行政上において不便な設定になっていた。このため、1995年1月1日に日付変更線の位置を領域の東端にずらして不便を解消した。また、これによって「世界一早く新しい一日を迎える」国家になった。」以上、ウィキより
タラワ環礁が見えてきました。あまり調べてなく、北タラワと南タラワに分かれていたとは、、、。 -
・海面上昇問題
「海抜の低い環礁が多いために、キリバスは近年の地球温暖化による海面上昇で、国土の半数以上は水没の危機にある。アノテ・トン大統領は、2007年8月に日本の読売新聞のインタビューで、もはやキリバスの水没は免れないと明言、全国民の他国への移住計画を発表した。大統領は、熟練労働者としての移住のため、キリバスでの職業訓練支援を日本、アメリカ合衆国、オーストラリアなどに呼びかけている。
2014年2月11日、フィジー共和国のエペリ・ナイラティカウ大統領が、キリバスの国土が水没した場合にキリバスの全国民をフィジーに移住させる用意があることを公式に表明した。」
南タラワが見えてきました。ツバルと同じ細長いです。 -
※この画像は、キリバスのタラワ島にあるボンリキ国際空港です。
キリバス共和国の主要な玄関口として、政府によって運営されています。
キリバス航空とコーラル・サン航空がこの空港をハブとしています。
1943年にアメリカ海軍によって建設され、当時は「ムリニクス飛行場」という名称でした。
⭕正解!
ボンリキ国際空港に到着! -
※この空港は、クック諸島のラロトンガ国際空港である可能性が高いです。
複数の情報源が、この画像がラロトンガ国際空港で撮影されたものであることを示しています。この空港は、クック諸島の首都アバルアに位置しています。検索結果には、建物の外観や周囲の景色が画像と一致する他の旅行記や写真も含まれています。
❌違います!
クック諸島、、、訪れるのはまだまだ先のことだろう。 -
ナンディから乗ってきたフィジー航空、、。
※2025年3月31日には、航空連合「ワンワールド」に正式に加盟しました。
日本からは、成田国際空港からナンディ国際空港への直行便を運航しています。 -
※この画像は、キリバスのタラワ島にあるボンリキ国際空港です。
空港名は、航空母艦リスカム・ベイの沈没で命を落とした海軍少将に敬意を表して、かつては「ムリニクス飛行場」と呼ばれていました。 -
※検索結果には、「タラワ環礁」、「ナウル」、「石垣島」など、画像と類似した風景の場所が複数示されています。しかし、この画像が具体的にどの場所で撮影されたかを断定できる情報はありません。
無事、問題なくキリバス入国!で、予約した宿Santa faustina homestay へてくてく向かうわけなんですが、、、住所を見るとなんだか歩いて行けそう、、、と思っちゃったのです。マッブスミーで見るとbikenibeu Tarawaとありまして、てっきり南タラワ側にあると思っていました。どこに宿があるか一切確認しなかった自分の失敗です。
www.santafaustinahomestay.com -
※この画像は、南太平洋に位置する島国キリバスの風景です。
キリバスは、33の環礁からなる島国で、首都はタラワです。
太平洋戦争の激戦地として知られており、現在も日本軍の遺構が残っています。
美しいサンゴ礁の海が広がり、透明度が高いことで知られています。
地球温暖化による海面上昇の影響を最も強く受けている国の一つであり、国土が水没する危機に直面しています。
てくてく、宿目指して、、、(この時はbikenibeuという所行こうとしてました。そこで現地の方に聞けばなんとかなると、、、) -
※画像はマングローブ林を示しています。マングローブとは、熱帯や亜熱帯の河口付近の汽水域(淡水と海水が混じり合う場所)に生育する植物の総称です。
内海はとにかくきれいです、、、。 -
※画像はキリバス共和国の看板で、首都タラワにあると推測されます。看板には「MAURI」と「WELCOME TO KIRIBATI Tuna Capital of The World」と書かれています。
キリバスは、カツオやマグロなどの水産資源が豊富な広大な排他的経済水域を有しています。
水産資源は、リン鉱石の枯渇後、キリバスにとって最も重要な資源として期待されています。
※「マウリ」について
意味:挨拶として「こんにちは」を意味します。
用途:時間帯を問わず、朝・昼・夕などいつでも使える便利な挨拶です。
文化:キリバスの人々に「マウリ」と声をかけると、彼らも笑顔で返してくれると言われています。
公用語:キリバス語は英語とともにキリバス共和国の公用語として定められています。 -
※この画像は、キリバス共和国の首都であるタラワの風景です。
タラワは中部太平洋に位置する環礁で、太平洋戦争中の激戦地として知られています。
画像に見られる海中の柵のようなものは、魚を養殖するためのものです。
タラワは、バイリキ島、ボンリキ島、ベシオ島など、24の島々から構成されています。
キリバスの行政区画は、南タラワ、ベシオ、北タラワの3つに分かれています。 -
いやー、きれいです、、、。今まで訪れた中では一番水が、空が美しいです!
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※画像は、熱中症の危険度を示す看板です。
看板中央の半円形のメーターは、気温や湿度などから熱中症の危険度を色分けして示しています。
メーターの針が青から赤に近づくにつれて、危険度が増していきます。
左側には熱中症に関する情報や予防策が書かれています。
日差しが強い屋外に設置されており、通行人への注意喚起を目的としています。
キリバスでも発見! -
※これはクック諸島のラロトンガ島にあるメインストリートで、アバルアの近くに位置していると考えられます。この道は木々が立ち並び、舗装された歩道がある熱帯の景観が特徴です。
❌だけど、クック諸島もきれいなんでしょうね。 -
※ユーザーの画像は、ターコイズブルーの美しい水面が特徴的な川や水路の景色を捉えています。視覚検索の結果から、画像に写っている場所は複数の候補が考えられます。
考えられる場所は以下の通りです。
キリバス、タラワ島:こちらも同様に美しいターコイズブルーの水面を持つ場所です。
ターコイズブルー!
緑がかった青色のこと。ターコイズ(トルコ石)は一般的に明るい青緑色であるが、青みが強いトルコ石はターコイズブルーと呼ばれる。JIS慣用色名では「明るい緑みの青」と定義している。また、緑みが強いトルコ石はターコイズグリーン(turquoise green)と呼ばれる、、、新しい言葉知りました。 -
※画像に写っている道路標識は、キリバス共和国の道路標識です。
標識に書かれている「40」は、制限速度が時速40キロメートルであることを示しています。
キリバスは、太平洋の中央に位置する33の環礁からなる島国です。
陸地の面積はすべて合わせても日本の対馬と同じくらいですが、広大な海域に島々が散在しています。
首都はタラワです。 -
何か植物が売られていました。
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※画像は、キリバスのビケニベウにある道路標識と、その道路を走る車を捉えたものです。
標識には、制限速度が時速40キロメートルであることと、「飲酒運転禁止」を意味するメッセージが書かれています。
左側の標識には英語で「Don't Drink and Drive」と書かれています。
右側の標識にはキリバス語で「Tai Buti Nokana Na Manging」と書かれています。 -
※画像は、潮が引いた後の海岸の様子を捉えたものです。
水面が遠くまで広がり、岩場や砂地が露出しています。
空には白い雲が浮かび、穏やかな天候であることがわかります。
遠方には建物や木々が並んでおり、集落や街が海岸沿いにあることがうかがえます。
海岸には、海藻や水たまりが見られます。 -
※この画像は、キリバスにある国連ミクロネシア事務局の建物を示しています。
国連ミクロネシアは、ミクロネシア連邦、キリバス、ナウル、パラオ、マーシャル諸島共和国を管轄する国連の地域事務所です。 -
※この画像には、黒い豚(おそらくバークシャー種)と、その奥に白い豚が写っています。 2匹の豚が、木陰で休んでいるようです。
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※この画像は、南太平洋に位置するキリバス共和国のタラワ環礁のラグーンの景色と推測されます。
キリバスは33の環礁からなる島国で、多くの島がサンゴ礁でできています。
首都のあるタラワ環礁の最高標高はわずか3メートル程度と非常に低く、海抜2メートルほどの島もあります。
地球温暖化による海面上昇の影響を真っ先に受けている国の一つとして知られています。
美しいラグーンや白い砂浜が広がる楽園として知られる一方で、海面上昇により国土の浸水や海岸線の侵食といった危機に直面しています。 -
南国パラダイス、、、そんなふうに思えます、、、。
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ココヤシの木、、、。
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※画像に写っている看板は、Tshakhuma Primary School(ツァクフマ小学校)のものです。
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※この画像は、南太平洋のキリバス共和国、タラワ環礁にあるベティオ島で撮影されたものです。
白い建物の屋根は、第二次世界大戦中に日本軍が使用した建物の屋根を再利用したものと考えられています。
この建物は、現在、ベティオ島のマーケットとして使用されています。
キリバスの伝統的な高床式の家屋「マヌエバ」を模して建てられています。 -
?
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※画像はキリバスのタラワにあるビケニベウ教会です。
ビケニベウ教会は、タラワのビケニベウ地区に位置しています。
この教会は、キリスト教の教会です。
画像には、教会の前に停まっている銀色のホンダ・フィットが写っています。
bikenibeuに到着、、、たぶんこの辺に今夜の宿があると思ってたんです。 -
※検索結果によると、同様の風景はナウルやキリバスといった太平洋の島国でも見られます。この画像は、南太平洋の島国の街並みを捉えたものとみられます。
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※画像に写っている建物は、キリバス共和国のタラワ環礁にある**キリバス国立博物館文化センター「テ・ウマニボン(Te Umanibong)」**です。
この博物館は1973年に設立され、キリバスの歴史や文化を学ぶことができる公的機関です。伝統的な武器や織物、ダンス衣装、第二次世界大戦の遺物などが展示されています。また、敷地内には伝統的な集会所であるマネアバ(Maneaba)の例や、薬用植物に焦点を当てた植物園もあります。
博物館は、南タラワのビケニベウに位置しており、平日(月曜日から金曜日)の午前9時から午後5時15分まで開館しています。
近くにこのKiribati National Museum and Cultural Centreがあったので寄ってみました。 -
※この画像に写っているのは、キリバスの伝統的な集会所である**マニアバ(Maneaba)**です。
マニアバは、キリバス語で「議会の家」を意味する「Maneaba ni Maungatabu」という名称で、キリバス議会の建物としても使用されています。
キリバスでは、各有人島に地方議会があり、日常生活の問題を処理しています。
マニアバは、ヤシの葉でできた大きな屋根と、それを支える柱が特徴的な構造をしています。
キリバス議会は、4年に一度の選挙で選出された46人の議員(うち直接選出が44人)で構成されています。 -
切手コーナー、、、
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※この画像は、キリバス共和国のタラワにあるキリバス国立博物館の展示室を写したものです。
展示物には、伝統的なカヌー、カヌーの模型、伝統衣装、武器、そしてキリバスの国旗などが含まれています。
マネキンは、伝統的な衣装を身につけています。
部屋の壁と天井は木材でできており、伝統的な建築様式がうかがえます。
展示室には、伝統的な織物や工芸品も展示されています。 -
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※画像は、キリバス共和国の国旗が掲げられた受付カウンターの様子を捉えています。
キリバスの国旗は、上半分が赤色で、黄色い太陽と軍艦鳥が描かれています。下半分は青と白の波模様です。
この国旗は、赤色が空を、波模様が太平洋を表しています。
太陽は赤道直下に位置するキリバスを象徴し、軍艦鳥は力と自由、文化的な踊りを表しています。 -
※この画像は、伝統的な家屋の模型を展示している様子を写しています。 藁葺き屋根の高床式住居など、複数の種類の模型が並べられています。これは、博物館や文化センターでの展示物と考えられます。検索結果には、日本や東南アジアの様々な伝統家屋の模型の例が含まれています。
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※マナカニビナ博物館 (Manacanivina Museum) に展示されているキリバスの伝統的な衣装です。
この衣装は、ギルバート諸島とツバルで使用される伝統的なキリバスの衣装に似ています。使用されている素材は、ココナッツやパンダナスの葉などの天然繊維で、伝統的な踊りの際に身に着けられることが多いです。特に、大きな男性用マネキンは、ヤシの繊維から作られた男性用のダンス衣装である「テ・ビヌバ」を着ています。 -
キリバス共和国歴代大統領?
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この博物館、学芸員さんのような方もいらっしゃるんですが、物静かな方、、、。館内は静寂に包まれていました。キリバスの方って、もの静かですね!
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さて、ここらでお腹がすいたので、、、。路上で売ってたお弁当をおばさんから1つ購入!地元の方はどんな物食べてるのか知りたいので、、、。アイスコーヒーはナウルと同じですね。
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ほー、bentoですね。地元の女学生さんも食べてましたが、、、おばさんも学生さんも、さほど外国人に興味はなさそう、、、。けっこうキリバスには外人さんが訪れてるのかな?
日本人には普通においしく感じられました。飯には困らない、、、。
で、今夜の宿がどこにあるか、聞きまくった結果、わかったことは、、、宿は南タラワのbikenibeuではなく、北タラワのbikenibeuらしい。北タラワには船を使わないと行けないらしい。、、、
ということで、明日朝にはキリバス離れる自分、宿には申しわけないけどキャンセルしか選択肢はなく、、、、。
マップスミーにある近くのホテル探しにてくてく、、、。 -
海はとにかく美しい!
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※画像は、海岸沿いの住宅と、干潮時に水上に建てられた高床式の家を捉えたものです。
手前には、太陽光パネルが設置された白い建物があります。
海岸は干潮のため、砂浜が広く露出しており、漂流物やゴミが見受けられます。
沖合には、高床式の家が建っており、水面が引いている様子がわかります。
空には、白い雲が浮かんでおり、晴れた日の光景です。 -
※画像に写っているのは、キリバスのタラワ環礁にある高床式の伝統的な家屋「マニアバ」です。
キリバスは、太平洋に浮かぶ33の環礁からなる島国です。
気候変動による海面上昇の影響を最も受けている国の一つとされており、2080年には最大60.2cmの上昇が予測されています。
海面上昇により、海岸線の浸食が進んでおり、一部の住民は高床式の家屋を建てて対策を講じています。
キリバスの温室効果ガス排出量は世界のわずか0.0002%に過ぎません。 -
画像は、キリバス共和国のタラワにある日本大使館の建物です。
この建物は、2019年1月1日に開館しました。
キリバスは日本の重要なパートナーであり、太平洋島嶼国における日本の外交拠点の一つです。
日本大使館は、二国間関係の強化、開発協力、文化交流などの役割を担っています。
キリバスは、地球温暖化による海面上昇の影響を特に受けている国の一つです。 -
キリバスの学校!
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※画像は、キリバス共和国のタラワにあるキング・ジョージ5世・アンド・イースターン・アイランズ・スクール(King George V and Eastern Islands School)です。
タラワの南部に位置する公立の学校です。
通称は「KGV」。
キリバスで最も古い中等教育学校の一つです。
校舎は、コンクリートブロック造りの2階建ての建物です。 -
※この画像は、キリバスの南タラワにあるテムワイクセントラルステークにある末日聖徒イエス・キリスト教会の建物を写したものです。
末日聖徒イエス・キリスト教会は、アメリカでジョセフ・スミス・ジュニアによって設立されたキリスト教系の新宗教です。
教会の信者はモルモン教徒とも呼ばれますが、教会はこの名称の使用を推奨していません。
本部はユタ州ソルトレイクシティにあり、世界中に教会と神殿を建設しています。
神殿は、信者が神とイエス・キリストを崇拝するための最も神聖な場所とされています。 -
※この画像は、南太平洋のキリバス共和国にあるタラワ技術専門学校(Tarawa Technical Institute)の建物です。
タラワ技術専門学校は、キリバスの首都南タラワに位置しています。
職業訓練を提供する教育機関で、主に技術分野の教育に焦点を当てています。
画像に写っているのは、校舎の一部で、鉄筋コンクリート造りの建物が特徴です。 -
で、ホテル探し、、、結局、1件目のOtintaai Hotelはなんだか廃業したみたいな感じでダメ。2件目のLagoon Breeze Lodge で宿泊できました。
https://jp.trip.com/m/hotels/detail/?hotelId=9486707&subStamp=1005&checkIn=2025-10-12&checkOut=2025-10-13&adult=2&children=0&ages=&types=&crn=1&travelpurpose=0&UniqueKey=H4sIAAAAAAAA_-Pi4GKSYBJi4mCU4ks1NEgyTjJNNDA0Nk22UBDSOH5yzXE2I0sORi3B-BBPrwDDMgNjCzOj4hKT7HwDxkmMTF4BpxilDM1NjY0tTSwMDS0sDfSSjIyS3DzN0rPLfZOsmKUY3TwYg9jMTSyAKqL4tJhDg10M42f4iPZ0yTgksWYl6noFZKwRLmBsYGTqYuQQYPRgjGCsYHzFCFL4g_Fz02EWAIAdg2eiAAAA&roomKey=&roomToken=&masterhotelid_tracelogid=e10b3b5a0135c8&cityId=75086&listScene=0&fromPageId=10320668590&allSelectedFilters=17$1~80$80%7C2%7C1!2&priceCurr=USD&isFirstEnterDetailPage=T&display=incavg&fromList=1
ここは空港から9キロ程離れている、、、。予約してないんですが泊まれますか?出てきたおばあちゃんに頼んでみたら、、、ok!どうやらあと1部屋だけ空いていたらしいけど、そのおばあちゃんが昼寝してたようで、片付けるから待ってて!とのこと。1泊朝食付きで100オーストラリアドル。夕食も頼めば作ってくれるとのこと、、、。さらに、1人、日本人女性も宿泊してるとのこと。JICA関係の人らしい。
これはラッキー!もしかしたら話が聞けるかもと、夕食も頼んでおきました。 -
宿からの海!
宿の方に、日本軍の戦跡見たいんです、と相談してみたら、30オーストラリアドルで車で廻ってくれるとのこと。 -
で、3時頃車借りきって出発!キリバス滞在は明日の早朝まで、、、。もう時間もないけど、なんとか目的達成できそうでラッキーでした。
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ドライバーは若いお兄さん。宿の専属みたい、、、
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※Bairiki Super Mallは、キリバスの首都タラワにあるバイリキ島にあるショッピングモールです。この場所は、地元の人々が食料品や日用品を購入する主要な場所の一つとして知られています。キリバスでは、タラワのバイリキ島にあるこのスーパーマーケットで、生鮮食品、冷凍食品、乳製品、果物などを仕入れることができます。
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ニッポン・コーズウェイ、、、お兄さんが言うには、この道は日本の支援で造られたのだとか、、、。あまり調べてなく、はじめて知りました、、、。
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パラオでも隣国の造った橋が崩落し、日本が再建した橋がありますが、日本の建築技術はホント誇らしくなります。
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Betio島に向かっています。
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「この島は第二次世界大戦中、タラワの戦いの舞台となった。日本軍の侵攻と、それに続く1943年のアメリカ軍による攻撃の痕跡が、今も残っている。戦闘後、飛行場はホーキンス・フィールドと改名された。飛行場はもはや存在しないが、その影響は、飛行場沿いにヤシの木が生い茂る様子に見て取れる。多くの掩蔽壕や軍事装備の残骸が残っている。」
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「タラワの戦いは、1943年11月20日から23日にかけて、ギルバート諸島のタラワ環礁でアメリカと日本の間で戦われたもので、アメリカによるギルバート諸島侵攻作戦であるガルバニック作戦の一部であった。この戦闘で約6,400人の日本人、韓国人、アメリカ人が死亡し、そのほとんどはタラワ環礁の南西端にある小さなベシオ島とその周辺で亡くなった。 当時、ベシオ島の面積はわずか118ヘクタール(290エーカー)だった。
タラワの戦いは、極めて重要な中部太平洋地域におけるアメリカ軍による最初の攻勢であった。また、太平洋戦争において、アメリカ軍が上陸作戦において日本軍の激しい抵抗に直面したのもこれが初めてであった。以前の上陸作戦では、当初の抵抗はほとんど、あるいは全くなかったが、タラワでは4,500人の日本軍守備隊が十分な補給と準備を整えており、ほぼ最後の一人まで戦い、アメリカ海兵隊に大きな損害を与えた。」 -
そんなタラワの戦いの地に向かってるのだが、そもそもどんな経緯で日本軍はキリバスを占領したのか?
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「日本軍による北部ギルバート諸島の占領は、三つの時期に分けられる。
・1941年12月10日から1942年8月16日まで、大日本帝国海軍の武装兵71名が、ブタリタリ(当時はマキンと呼ばれていた)の水上機基地に駐屯していた。この時期は1942年8月17日から18日のアメリカ海兵隊による奇襲まで続いた。
・1942年8月20日から1943年3月まで、南への拡張が徐々に進み、タラワやアベママ、さらにギルバート諸島外のナウルも含め、飛行場を伴う要塞化された地点となった。
・最終段階は1943年3月からタラワの戦いおよびマキンの戦いが1943年11月23日に終結するまで。」 -
「真珠湾攻撃の日、日本軍部隊はGi作戦(ギルバート諸島侵攻作戦)における志摩清英の旗艦であった敷設艦「沖島」に乗船しており、ヤルート環礁から特別陸戦隊を載せて出撃した。12月9日から10日にかけて、沖島はマキンおよびタラワへの日本軍上陸を支援し、12月24日にはアベイアンの占領を支援した。ヤルートからの第51警備隊は1941年12月10日(現地時刻0時45分)にマキンを、11日にマキン島を占領し、その後アベイアン島やマラケイ島も攻略した。日本軍は直ちにマキンのニュージーランド人の沿岸監視員を拘束した。2日以内に長田丸によってマキン潟に水上機基地が建設された。」
→なるほど、ヤルート環礁(現マーシャル諸島共和国)を調べたら、1922年から日本の委任統治領となっていたようです。現マーシャル諸島共和国は日本の支配下、現キリバス共和国・ツバルはイギリス支配下、、、地理的によくわからなかったのですが、今回の旅ではっきりしました。だから隣接する英支配下のキリバスに日本軍は進攻したんですね。
ただし、「1941年12月に開戦すると、イギリスとの間に開戦した日本軍は、すぐにブタリタリ(マキン環礁)およびタラワに侵攻し、12月10日には占領した。日本軍侵攻時、原住民らは部族意識を持ち、イギリスの植民地政府に邪魔されずに自治を行っていた。彼らは日本の支配下に入ることにも不満であり、日本はそれを変えられなかった。」現地の人々からは支持を得られなかったようです。 -
マキン占領の数時間前の1941年12月10日、同じ第29駆逐隊第1小隊(駆逐艦「朝凪」「夕凪」)による日本軍上陸部隊もタラワを訪れ、欧州系住民を拘束し、艦隊司令官嶋喜代英少将の許可なしで環礁を出られないと告げた。日本軍は全ての交通手段を破壊し、バーンズ・フィルプ商会の交易所を破壊したのち、マキンへ向かった。
大日本帝国海軍のマキン駐留部隊は「マーシャル諸島守備隊」の一部であり、正式名称は第62警備隊であった。マキン島奇襲時(1942年8月17日-18日)、アメリカ軍上陸に対抗した部隊は、水上機基地の武装兵71名と、彼らを率いた特別陸戦隊の兵曹長兼光久三郎で、軽火器で武装していた。さらに水上機母艦基地の要員4名、気象班員3名、そして通訳や民政担当の民間人2名が付属していた。
1942年8月31日、日本軍はアベママを占領した。9月には中部および南部のいくつかの孤島も一時的に訪問または占領され(最南はタマナ島)、特にベル島に本部を置く沿岸監視網を壊滅させることを目的としていた。1942年9月15日、日本軍はタラワを占領し、防備工事を開始した。主にベティオ島でホーキンス飛行場という飛行場を建設した。
これに対応して、アメリカ軍は1942年10月2日にエリス諸島を占領し、フナフティ環礁、ヌクフェタウ環礁、ナヌメア環礁に飛行場を建設、日本軍のギルバート諸島およびマーシャル諸島占領地に対する作戦拠点とした。
戦いの経緯は全然知らないので、簡潔にまとめると、、、
→🌑真珠湾攻撃(12月8日)、マレー作戦(12月8日)に続いて、日本軍は英領のキリバス(ギルバート諸島)占領を行った。
→🌑1941年12月10日から1943年11月23日にタラワの戦いで最後の日本軍総攻撃が行われた約2年間、キリバスは日本軍に占領されていた。
※この画像は、太平洋の島国キリバス共和国の首都タラワ環礁にあるベシオ島で撮影された、第二次世界大戦の戦跡です。
タラワは、太平洋戦争中の激戦地として知られています。
画像に写っているのは、旧日本軍の砲台跡と考えられています。 -
※この画像に写っているのは、キリバスのタラワ環礁にあるベティオ島に残る第二次世界大戦時の日本軍の掩体壕(シェルター)と考えられます。
タラワ環礁は、1943年11月に日本軍とアメリカ軍の間で激戦が繰り広げられた場所として知られています。この掩体壕は、この戦いで使用された砲弾庫や待避壕として使われたものとされており、今もその姿をとどめています。
→北海道根室市の落石海岸・三里浜の中ほどにもトーチカがあるらしい。 -
※これは日本の戦争遺跡にある防空壕、地下壕、またはトーチカの可能性が考えられます。画像に写っている構造は、第二次世界大戦中の日本軍によって作られた地下施設の特徴であるコンクリートの壁や天井に見られる鉄筋が見て取れます。
入ってみたら、今はゴミ捨て場、、、。 -
トーチカって、北海道にも残ってるんですね。
大樹町トーチカ
https://visit-taiki.hokkaido.jp/sp_detail.php?id=39
https://www.town.taiki.hokkaido.jp/soshiki/shakaikyoikuka/1/5/1/591.html -
外にいるのはドライバーのお兄さん。
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もう1枚!
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※この画像は、南太平洋のキリバス共和国タラワ環礁にあるベティオ島に残されている、第二次世界大戦時の旧日本軍の砲台です。
この砲台は、1943年11月にアメリカ海兵隊と旧日本軍の間で繰り広げられた「タラワの戦い」の激戦地ベティオ島にあります。
旧日本軍は、環礁の西端に位置するベティオ島を要塞化し、この砲台を設置していました。
この戦闘はわずか3日間で、アメリカ軍は半年間に及んだガダルカナル島の戦いとほぼ同等の死傷者を出し、日本軍も守備隊のほとんどが戦死しました。
現在もベティオ島には、この砲台のほかにも塹壕やトーチカなどの戦争遺産が数多く残されています。 -
※この砲台は、8インチ(20センチ)の要塞砲で、元々はイギリスで製造されたものを日本軍が使用していました。
海塩水や自然の侵食によって、これらの遺物は徐々に朽ちていっています。 -
※この画像は、海岸に設置された旧日本軍の要塞砲の残骸です。
これは、主に沿岸防御のために設計された大砲で、堅固な陣地を破壊したり、敵艦艇を攻撃したりすることを目的としていました。
多くの場合、これらの砲はコンクリート製の固定砲床に設置され、水平射撃から対空射撃まで可能な設計がされていました。 -
お兄さんが撮影、、、!
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※この画像は、キリバス共和国のタラワ環礁にあるベシオ島で撮影されたものとみられる、第二次世界大戦の遺構である旧日本軍の大砲です。
タラワ環礁は、1943年に日米両軍による激戦が繰り広げられた場所として知られています。この大砲は、当時の戦闘の痕跡を今に伝える歴史的な記念物として、海岸に残されています。
忘れないために残されている、、、なるほど、、、 -
※この対空砲は、サイパン島やテニアン島などの太平洋の島々で、日本軍が使用していた九六式二十五粍高角機銃である可能性が高いです。
この銃は、第二次世界大戦中に日本海軍の標準的な対空兵器でした。
銃身や砲架が錆びており、長期間屋外に放置されていたことがうかがえます。
男性はサングラスをかけ、笑顔でカメラにポーズをとっています。
お兄さんもパチリ! -
※画像は、キリバス共和国に残されている第二次世界大戦時の戦争遺産である大砲です。
キリバスは、穏やかで平和な島国ですが、第二次世界大戦中は激戦地となり、多くの戦争遺産が残っています。
キリバスは33の環礁からなる島国で、海抜が低いため、地球温暖化による海面上昇で国土が水没する危機に直面しています。
首都タラワ環礁の最高標高はわずか3メートルで、2050年までに島の5~8割が浸水する可能性があると予測されています。
→キリバスもツバルと同じ、、あと25年後には、、、この戦争遺産も、、、。 -
※この画像は、第二次世界大戦中に日本軍がキリバス共和国のタラワ環礁に設置した、日本海軍の50口径三年式20cm砲の残骸です。
この砲は、ワシントン海軍軍縮条約後に竣工した古鷹型重巡洋艦に初めて搭載され、日本重巡洋艦の標準主砲となりました。
キリバスは第二次世界大戦の激戦地であり、現在でも日本軍兵士の遺骨などが発見されています。
キリバス政府は、日本の厚生労働省と協力して遺骨の身元特定と返還業務を行っています。 -
※画像は、海岸に打ち上げられた船の残骸のように見えます。
これは第二次世界大戦中に使用された日本の揚陸艦「大発動艇」の残骸である可能性が高いです。
この種の残骸は、マーシャル諸島やサイパン島など、太平洋の島々でよく見られます。
大発動艇は、日本軍が兵員や物資を海岸に輸送するために使用した上陸用舟艇でした。
船体の錆や破損状態から、長期間にわたって自然にさらされてきたことがわかります。 -
※画像に見られる構造物は、キリバスのベシオ島(Betio Island)の海岸で、潮が引いたときに現れる錆びたアメリカ軍の揚陸艇や、砂の中に沈んだシャーマン戦車の残骸と類似しています。同様の戦争遺物は、サイパン島、ソロモン諸島、パラオなど、太平洋の他の島々でも見られます。
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※この画像に写っているのは、南太平洋の島国キリバス共和国、タラワ環礁のベティオ島に残る第二次世界大戦の遺構です。
タラワの戦いは、1943年11月にベティオ島で繰り広げられた、アメリカ海兵隊と日本海軍陸戦隊の激戦です。日本軍が要塞化したベティオ島を占領するため、米軍は上陸を試み、わずか76時間の戦闘で両軍合わせて6,000人近くが命を落としました。
この画像に写る砲台は、この戦いで使用された旧日本軍の沿岸砲台と考えられます。ベティオ島には現在も、沿岸砲台のほか、防空壕、戦車など、多くの戦争遺構が残されており、「生きた戦場博物館」と呼ばれています。戦没者の遺骨捜索も継続して行われています。 -
南タラワ・ベティオ島平和記念公園
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※この画像に写っているモニュメントは、南太平洋のキリバス共和国、タラワ環礁にあるタラワ慰霊碑である可能性が高いです。
タラワは第二次世界大戦中に激戦地となった場所であり、このモニュメントは戦没者を追悼するために建てられたものと考えられます。コンクリート製の台座に階段があり、その上に十字架が立つこの特徴的な構造は、タラワの慰霊巡拝に関するブログ記事や写真で確認できます。また、海辺に位置している点も画像と一致しています。 -
柵で囲われ入ることはできませんでした。
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合掌、、、。
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※この画像は、南太平洋のキリバス共和国にあるタラワ環礁に位置する日本軍のトーチカ(防御陣地)です。
タラワ環礁は、第二次世界大戦中の1943年11月に、アメリカ海兵隊と日本軍の間で激しい戦闘が行われた場所として知られています。
このトーチカは、当時の激戦の痕跡を今に伝える歴史的な遺物です。
トーチカの壁には、弾痕のような跡が見られます。 -
※これは、第二次世界大戦中に使用された日本の砲台の残骸で、キリバス共和国のタラワ環礁にあるベティオ島南側のブラックビーチに位置しています。この砲台は、1943年11月にアメリカ軍によって破壊されたものです。
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※?第二次世界大戦中の日本軍のクレーンの残骸です。
これは、第二次世界大戦中に日本軍が使用したクレーンの一部で、錆びて朽ち果てた姿で残っています。 -
※この画像に写っているのは、キリバス共和国タラワ環礁のベティオ島にある、第二次世界大戦中の日本の海岸砲台の遺構です。
この場所は、1943年11月に行われた「タラワの戦い」の激戦地として知られています。日本軍はベティオ島を要塞化し、アメリカ軍の上陸部隊を迎え撃ちましたが、激しい戦闘の末、日本軍の守備隊は玉砕しました。この戦いは、アメリカ軍にとっても大きな損害を伴ったため、太平洋戦争における激戦地の一つとして知られています。
画像にあるコンクリート製のトーチカや海岸砲は、当時の激しい戦闘を物語る重要な戦争遺跡となっています。 -
※画像に写っている場所は、キリバス共和国のタラワ環礁ベティオ島にある第二次世界大戦の戦跡です。
これは、太平洋戦争中の1943年11月に行われた「タラワの戦い」で使われた旧日本軍の沿岸防衛砲台とトーチカの跡と考えられています。ベティオ島は、日本軍が「百万の兵士が100年かけても攻略できない」と豪語するほど強固に要塞化されていた場所です。この激戦地には、今も砲台やトーチカ、破壊された戦車などの戦争の痕跡が数多く残されており、平和を伝える史跡として現地の生活の中に溶け込んでいます。 -
たしかに、今は子供たちの遊び場になってるようです。
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※この画像に写っているのは、キリバス共和国のタラワ環礁にある「ベイ・オブ・レック」(Bay of Wrecks)と呼ばれる場所で、第二次世界大戦の戦跡です。
タラワ環礁は、キリバスの政治・経済の中心地です。
ベイ・オブ・レックには、第二次世界大戦で破壊された日本軍の戦車や船の残骸が残されています。
キリバスは、地球温暖化による海面上昇の影響を受けやすい国とされています。 -
※これは第二次世界大戦中のタラワの戦いの戦跡で、旧日本軍の戦車やコンクリート製のトーチカの残骸です。戦車は上部砲塔が破壊され、ひどく錆びており、当時の激戦の様子を物語っています。ベティオ島には、この他にも多くの戦跡が残されています。
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たぶん、この海岸で日本軍と米軍が死闘を繰り広げていた、、、多くの方が、、、。
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※この画像は、キリバス共和国の首都タラワにある、第二次世界大戦の戦跡です。
タラワは、太平洋戦争中の1943年11月に、日本軍とアメリカ軍の間で激しい戦闘が行われた場所として知られています。
画像に写っているのは、日本軍が使用していた砲台の跡と考えられます。
この戦いでは、約4,800人の日本軍が約35,000人のアメリカ軍を迎え撃ち、日本軍はほぼ全滅しました。
現在、タラワは観光地となっており、戦争の歴史を伝える要塞や砲台の跡を見学することができます。
→1:7、、、の戦い、、、。 -
お兄さんが話すところでは、日本軍は最初は米軍を撃退したんだとか、、、。その後、、、。現地の方はそんな認識のようです。、、、
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お兄さん、子供が好きみたい!
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キリバスではバレーボールが人気なのかな?
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ここはたしか、厳重に柵で覆われ、入ることができなかった、、、。日本軍の本部?のような建物があったと記憶してる、、、
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悔しいので横からも1枚。
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※画像には、海岸の浸食や嵐、ハリケーンなどの自然災害によって被害を受けた可能性のある住宅や海岸線の様子が写っています。海岸線は土台が崩れ、瓦礫が散乱しており、家屋は倒壊寸前の状態です。このような被害は、沿岸侵食や暴風雨による高波によって引き起こされることがよくあります。
マッブスミーにあったバンカー跡、行ってみたら???何にもない、、、。お兄さんも?? -
※画像は、コンクリート製の古い建物(トーチカ)のように見えます。
もしかしたら、これ?、、、もう人々の生活に使われている、、、? -
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、、、という所で、ベシオの戦跡は見終わり、、宿に戻りました、、、。
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※この画像は、キリバス共和国にある「ニッポン・コーズウェイ」の改修事業を記念する銘板です。
ニッポン・コーズウェイは、キリバスの首都タラワにある、国際港があるベシオ島と行政機関が集中するバイリキ島を結ぶ全長約3.3kmの幹線道路です。
この道路は、1985年に日本の無償資金協力によって建設されました。
建設から約30年が経過し、老朽化や気候変動による高潮・潮流の浸食被害が進んだため、2017年から再び日本の援助で改修工事が行われ、2019年に完了しました。
この銘板は、日本とキリバス共和国の友好と協力の証として設置されたものです。 -
※この画像は、キリバスの首都タラワにある埋め立て道路「コーズウェイ」を写したものです。
コーズウェイは、タラワ環礁のベシオ島とバイリキ島を結ぶ、約3.5kmの道路です。
キリバスは、太平洋に浮かぶ33の環礁からなる島国で、世界で最も早く朝を迎える国として知られています。
キリバスの海は透明度が高く、波が穏やかなため、海水浴に適しています。
太平洋戦争の激戦地であり、ベシオの戦跡など、戦争の歴史を伝える場所も残されています。
→日本が造った道、、、現地の役に立っています。何よりです! -
戦跡は見てきたが、タラワの戦いとはいったい、どんな戦いだったのか?ウィキを読んでみたものの、、、、が、知りたい、、、。短く書かれていたのが以下の文、、、。
「タラワの戦い」は太平洋戦争の戦いの一つで、1943年11月にギルバート諸島のタラワで勃発した日本軍とアメリカ軍の間の戦いである。11月20日にタラワに18,600人のアメリカ第2海兵師団が上陸し、第3特別根拠地隊の柴崎恵次司令官率いる4,600人(うち戦闘部隊は2,600人)の日本軍守備隊と交戦、戦闘は4日間続き、アメリカ軍は大きな損害を被りながらも、タラワの攻略に成功した。そのあまりの苦戦ぶりにアメリカ国内で大きな衝撃が走り、アメリカ史上の名高い激戦となる、レキシントン・コンコードの戦い、フランボロー岬の戦い、アラモの戦い、リトルビッグホーンの戦い、ベローウッドの戦いと並ぶとも評され、この後の水陸両用作戦の大幅な改良を余儀なくされた。」 -
7倍もの兵力に日本軍はどう戦って米軍を苦戦させたのだろうか?
AIに聞いてみると、、、
※タラワの戦いで米軍が苦戦したのは、日本軍の綿密な防御準備、特に礁湖を越えて上陸する際の障害、鉄条網、そして激しい機銃や砲撃による迎撃に苦しんだためです。また、上陸部隊が米軍の予想よりも多くの日本兵に包囲され、激しい抵抗に直面したことも要因です。
米軍が苦戦した具体的な理由
🌑日本軍の強固な防衛準備
タラワ環礁のいくつかの島では、日本軍が長期間にわたり、防御陣地、砲台、鉄条網を構築していました。
特に、海岸に沿って配置された鉄条網は、米軍の上陸を大幅に妨げました。
🌑アメリカ軍の偵察不足
上陸前の偵察が不十分で、日本軍が準備した防御の規模や激しさを正確に把握できていませんでした。
アメリカ軍は、日本軍の防御陣地と日本軍の規模が予想をはるかに超えていたため、上陸作戦の初期段階で大きな損害を被りました。
🌑激しい抵抗
日本軍は、タラワ環礁の島々を強固に守るため、上陸部隊に対して激しい機銃掃射と砲撃で抵抗しました。
これにより、アメリカ軍は上陸用舟艇が海岸に近づく前から激しい砲撃を受け、上陸艇を失った部隊も多くありました。
、、、とのこと、、、 -
それでも、タラワの戦いで日本軍は負けたのはなぜ?
-
※タラワの戦いで日本軍が負けた主な理由は、アメリカ軍の圧倒的な物量(兵員、艦艇、航空機など)と、日本軍の防御陣地の不備、そしてアメリカ軍の優れた上陸技術によるものです。具体的には、米軍は35,000人以上の大兵力を投入し、日本軍の全滅(約4,700人)と引き換えに、わずか1,000人ほどの損害で勝利しました。
🌑アメリカ軍の強み
圧倒的な物量:アメリカは、日本が航空母艦を失う大敗北を喫したミッドウェー海戦の時点から、空母の数や艦艇の数を圧倒的に増やしていました。
高い工業力:終戦時には、日本の空母が6隻だったのに対し、アメリカは128隻でした。駆逐艦などの数も圧倒的な差がありました。
🌑日本軍の弱み
不十分な防御準備:日本軍は、タラワの防衛のために要塞を建設しましたが、米軍の攻撃を想定した十分な防御準備ができていませんでした。
兵員と物資の不足:兵員の数が不足しており、武器や弾薬も不足していました。
🌑戦いの経過
上陸作戦の成功:アメリカ軍は、上陸用舟艇や戦車を巧みに使い、日本軍の抵抗を退けながら、タラワ環礁への上陸作戦を成功させました。
日本軍の全滅:激戦の末、日本軍は司令官の柴崎恵次少将を含め、約4,700人の兵員を失い、全滅しました。
アメリカ軍の損害:アメリカ軍も死傷者約1,000人を出し、損害を被りましたが、日本軍に比べると損害は少なく、勝利を収めました。
、、、とのこと、、、
圧倒的人員、物量の差、、、。それは初めからわかっていたこと、、、。
もう1つ、、、柴崎恵次司令官戦死、、、11月21日。
「、、、しかし、これが柴崎からの最後の打電となった。日本軍の死傷者は急増しており、温情深く、常に部下将兵の身を案じていた柴崎は、死傷者の身を護るために、強固なセメント造りの戦闘指揮所を野戦病院に譲り渡して、自らは参謀や司令部要員を連れて外海側の防空壕に移ることとし。。そこで、燃料が尽きて戦闘指揮所近くで行動不能となり、砲台替わりとなっていた大貫の九五式軽戦車に柴崎らの移動支援が命じられた。大貫は動かない戦車のなかから九四式三十七粍戦車砲を撃ちまくって、無事に柴崎らは防空壕への移動ができた。
ここで、アメリカ軍にとっては僥倖、日本軍にとっては不幸なことが起こる。午後14:00ごろに、アメリカ軍の駆逐艦が放った1弾がまぐれ当たりで柴崎がいた防空壕に着弾し、柴崎以下司令部幕僚が全て戦死してしまった。このときに唯一生き残った司令部伝令の音里一等水兵によれば、防空壕には4つもの大きな弾痕が残されていただけで、柴崎以下司令部要員は吹き飛ばされて遺体すら残っていなかったという。このとき、大貫の九五式軽戦車も艦砲射撃で撃破されている。大貫は戦車から降車していて無事であったが、他の戦車兵2人は戦車ごと吹き飛ばされてしまった。柴崎の戦死によって、日本軍はこの後、統制のとれた作戦行動ができなくなり、結果的に多くのアメリカ海兵隊員の命を救うことになった、、、」、、、司令官が初日に戦死、、、。このことを知った部下達は、「司令官は我々を助けるために戦死した。司令官のためにも最後まで戦う」と決意した。
、、、そうだったのか、、、。美化するわけではないけど、なんで米軍を苦戦させたのかやっとわかりました。 -
たしかここが泊まった宿!
写真はないけど、夕飯は宿泊客3人と宿のおばあちゃん手作りの美味しいご飯いただきました。(JICAの方とも、それからパプアニューギニアの方)、、JICAの方は隊員ではなく専門家で、まさに大和撫子を彷彿させるような物腰柔らか、英語は流暢、さらには美人さんでした。パプアニューギニアからの方は仕事できているらしく、自分もパプアニューギニアから来たばかりと話すと、話は盛り上がり、、、おばあちゃんも何やら楽しそうで「これ食べなさい!」とサービス、、、。
この宿に泊まれてラッキー!(この宿は美人専門家さんの常宿らしい。キリバスで一番居心地がいい宿とのこと!JICAの方が言うんだから間違いない)
記念写真撮っておけばよかった、、、後悔! -
日付は8月15日、終戦記念日。ここはキリバスなので、世界で一番早く8月15日を迎えたことになります。
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この日、朝発マーシャル諸島マジュロ行きの飛行機に乗るため、早起きしたのでした。車は宿の送迎です。
朝食も宿のご主人(あのおばあちゃんの甥っ子)が朝6時に用意してくれました。 -
※画像は、夕暮れ時のキリバス共和国にあるタラワ国際空港のターミナルビルを写したものです。
タラワ国際空港は、キリバスの首都タラワにある主要な国際空港です。
空港の建物はシンプルな構造で、夕焼けの空を背景に多くの人々が写っています。
この空港は、フィジーのスバやナンディ、ナウル、マーシャル諸島のマジュロへの定期便が運航されています。
夕焼けではなく、朝焼けです、、、 -
※画像は、フェンス越しに駐機している飛行機を捉えたものです。
この飛行機は、かつて「ジャンボジェット」の愛称で親しまれたボーイング747型機です。
ボーイング747型機は、世界初のワイドボディ機であり、大量輸送時代を切り開いた画期的な機体として知られています。
4つのエンジンを持ち、多くの乗客を長距離輸送するのに適していました。
燃費効率の悪さなどから需要が低迷し、2023年1月に最後の機体が引き渡されて生産が終了しました。
現在も旅客型を運航しているのは、ルフトハンザドイツ航空、大韓航空、中国国際航空などに限られています。 -
なんだか幻想的、、、
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まだ少し時間があるので、空港周辺をぶらぶら、、、
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※ユーザーが提供した画像は、キリバスの首都タラワにあるボンリキ国際空港の入り口を写したものです。
空港名: ボンリキ国際空港 (Bonriki International Airport)
所在地: キリバスの首都タラワに位置する、キリバスで唯一の国際空港です。
特徴: 一般的な空港とは異なり、預け荷物のX線検査装置がないため、カウンター後方の検査スペースで荷物を開けて検査する必要がある場合があります。
アクセス: 空港から中心地のバイリキまでは、車で約1時間の距離です。
就航航空会社: キリバス航空の本拠地であり、フィジー航空やナウル航空などの航空会社が乗り入れています。 -
※この画像は、オーストラリア・ニュージーランド銀行(ANZ)のATMを示しています。ANZは、オーストラリアとニュージーランドを中心に展開する大手銀行で、オーストラリアの4大銀行の一つです。
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※画像にはマングローブの林が広がる水辺が写っています。マングローブ林は、熱帯や亜熱帯地域の海岸や河口付近の汽水域に生育する植物群の総称です。
きれい、、、 -
こちらも、、、
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※この看板は、キリバスの伝統的な季節のカレンダーを示しているものです。
キリバスの季節は、太陽、月、風、潮汐、動植物の変化など、自然の兆候に基づいて区別されます。このカレンダーは、特にアボリジニやトレス海峡諸島の人々が、特定の時期の食料源、繁殖期、植物の収穫時期などを予測するために使用するものです。
看板には以下の情報が含まれています。
中央の円形カレンダー: 太陽の周期や潮汐の変化、伝統的な季節風が示されています。
左側の太陽のセクション: 乾季や暑い時期に関する情報が記載されています。
右側の雨雲のセクション: 雨季や寒い時期に関する情報が記載されています。
その他のセクション: ヤムイモの準備時期や植樹時期、カメの卵の採取時期、魚の種類、さまざまな植物や動物のイラストなどが含まれています。
看板のタイトルにある「TEIN KANDAN BOONG AO BWAAL AIA」(太陽と海の知識)と「TEIN KANGAN TE HONG」(空の知識)というフレーズは、キリバスの人々が自然を深く理解し、その知識を世代を超えて伝えてきたことを示しています。 -
空港内、、、
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※ユーザーが提供した画像は、飛行機が駐機場に駐機している空港の様子を捉えたものです。検索結果によると、この画像は特にキリバスのボンリキ国際空港またはタラワ環礁の空港と関連がある可能性があります。また、ハワイのコナ空港など、他の空港の類似した光景を示す画像もいくつか見つかっています。
正解! -
※この画像に写っている看板は、キリバス共和国の国営航空会社である**キリバス航空(Air Kiribati)**の広告です。看板にはキリバス国内の主要な島々が描かれており、マキン、ブタリタリ、タラワ、アベママ、クリスマス島などが確認できます。
「TIA BOO TEKERAOI TE MANANGA」というフレーズは、キリバス語で「See you again」や「旅の無事を祈ります」といった意味合いを持つ挨拶です。広告の右下には、携帯電話会社のVodafoneのロゴも見られます。
キリバス航空は、首都タラワにあるボンリキ国際空港を拠点に、キリバスの各地を結ぶ国内線を運航しています。 -
※この画像に写っているのは、ナウル航空の航空機です。
ナウル航空は、ナウル共和国の国営航空会社です。
1970年から2006年までは「エア・ナウル」、2006年から2014年7月31日までは「アワー航空」という名称でした。
日本からナウルへの直行便はなく、ナウル航空はブリスベン(オーストラリア)からの乗り継ぎが一般的です。
ナウルへの入国には、観光目的でも事前にビザの取得が必要です。
⭐何度もいいますが、短期(1泊2日)なら、VISA無しで入国できました。
そうでした。マジュロ行きはこのナウル航空! -
あわただしかった弾丸キリバス、、、
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大きな大きな大きなツバルっていう感じでした。
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ここへ来なかったら、きっとタラワの戦いも知ることはなかったことでしょう。
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次、訪れる機会があれば、マキン環礁(ブタリタリ)を訪れてみたいです、、、。
さらば、キリバス!
そうそう、、、タラワの戦いの映像は、、、
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://www.youtube.com/watch%3Fv%3DbPPugPfTywA&ved=2ahUKEwiEsoKi6KCQAxU51DQHHZYGHTgQwqsBegQIFBAF&usg=AOvVaw10pqQtRk5vnjVmydJtVcFZ
マキンの戦いの映像は、、、
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://www.youtube.com/watch%3Fv%3DPOLzlWgSLqo&ved=2ahUKEwjQ8tzEqqGQAxXZ5TQHHbZyLPsQwqsBegQIFhAF&usg=AOvVaw1wL0WAg-oaevt89P4DHa-t
泣けてきます、、、
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