2024/11/01 - 2024/11/02
696位(同エリア1952件中)
赤い彗星さん
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高松で1泊した後、四国村に行こうと屋島に向かいました。
屋島山上に向かう予定はありませんでしたが、丁度シャトルバスが来る時間帯だったので、そのままバスに乗り屋島山上へ。
屋島山上は、瀬戸内海を見渡す事が出来る風光明媚な場所ですが、観光で屋島が賑わっていた昭和時代の廃屋などが残ったままの不思議な場所でした。
屋島山上から土砂降り模様の天候の中、麓の四国村に移動。
こんな天候で屋外施設観光するのも無謀ではありますが、数人の観光客しか見かけなかったガランとした四国村で古い建築物巡りをします。
- 旅行の満足度
- 4.0
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ホテル近くの瓦町駅から、琴電志度線で屋島に向かいます。
琴電のキャラクターことちゃん、ことみちゃんは、夫婦設定のようです。 -
一番端のホームから、屋島に向けて出発します。
瓦町駅 駅
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約17分で琴電屋島駅に到着。
小さな可愛らしい駅舎でした。琴電屋島駅 駅
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屋島駅から歩いて四国村に向かうつもりだったけど、ちょうど屋島山上に向かうシャトルバスが来る時刻だったので、予定を変更して山上に向かってみました。
シャトルバスは、片道200円。駅から山上まで約20分の行程です。 -
屋島山上観光駐車場に面したバス停で下車し、屋島寺の方に歩いて行く途中、源平合戦図屏風の説明書きが展示されていました。
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バス停から、歩いて2,3分で屋島寺の東大門に到着します。
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門を入ると五重の石塔と庭園かと思ったけど、庭園でもなさそう。
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千手観音が安置されている千躰堂。
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屋島寺を開創した鑑真和上が祀られている三躰堂。
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弘法大師を祀っている大師堂。
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境内には、狛狸と呼んでいいのか、大きなタヌキ像が鎮座しています。
中央には蓑山大明神として屋島太三郎狸が祀られています。
霧の深い屋島で道に迷った弘法大師を、蓑笠を着た老人に化けて山上まで案内したという伝説が残る屋島太三郎狸は、佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に日本三名狸に挙げられています。 -
苦行と云うより、喜んでいるような表情にも見える邪鬼に支えられた香炉。
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重要文化財の屋島寺の本堂。鎌倉末期の建物です。
奈良の唐招提寺を創建したことで有名な鑑真和上は、何度も渡航に失敗し、失明までしながら日本に到着し、奈良に向かう途中で屋島の北嶺に登りました。
その際に普賢堂を建て普賢菩薩像を祀ったのが、屋島寺の始まりと云われています。屋島寺 寺・神社・教会
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小さな四天王像が安置されている四天門。
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北を護る四天王のリーダー多聞天(毘沙門天)。
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西を護る広目天。
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東を護る持国天。
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南を護る増長天
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四天門の先には、がっしりとした造りの大きな仁王門が建っています。
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山岳仏教の信仰の地でもある屋島寺の本坊。
四天門を出て右手に通じる通路に面しています。 -
源平合戦図屏風の大きな壁画が建てられているのですが、歩道から結構距離が離れている上に近くで見ようと思うと草むらを進む必要がある。
なぜこの場所に建てたんだろう。正確な古戦場跡だったりするんだろうか。 -
山上の小さな元商店街のような古い家屋などが並んでいる一角の壁に描かれていた火焔瓶の代わりに花束を投げるバンクシーの有名な壁画。
現存するものと同じ図柄なので、恐らくレプリカなのかな。 -
懐かしい。パックマンの落書き?が描かれていました。
まだ色も落ちていないですし、最近描かれたものと思われます。
どの店舗も開いておらず、むしろすべて空き家に見えるけど、ここは現役で使用されているのかも。 -
獅子の霊巌展望台近くのれいがん茶屋。
手前の通り沿いはすでに使用されていない家屋がが並んでいましたが、展望台近くのお土産物屋や食事処は、きれいに整備されて営業していました。れいがん茶屋 グルメ・レストラン
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獅子の霊巌展望台からの風景。
天気が悪いので遠くまで見通せませんが、瀬戸内海を見渡す事が出来ます。
恐らく3回目ぐらいなのだけど、景色の良かった場所という朧げな記憶しかない。屋島 自然・景勝地
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源平合戦で勝利した源義経を含む、源氏方の武士たちが池で刀を洗ったところ、血で池が赤く染まったという言い伝えの残る瑠璃宝の池(血の池)。
弘法大師が屋島寺を開創する際に文言と宝珠を納めて周りを池にしましたが、竜神が宝珠を奪いに来るという言い伝えが残ったことから、瑠璃宝の池と呼ばれているそうです。 -
瑠璃宝の池(血の池)の横の道を真っ直ぐに奥に進むと、植物に覆われた「ホテル甚五郎」の看板が。
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ホテル甚五郎の看板の横には、一目で廃墟と分かる建物が残されていました。屋島山上は一時期廃墟だらけだったそうですが、現在はほとんど取り壊され、唯一残る巨大建造物のようです。2002年に廃業したホテルなんですね。
この先、軍艦島のように建物が朽ちていくんだろうか。 -
客室が覗ける状態になっていました。
雨で部屋が暗いけど、物がそのまま残されていますね。
片付けに無頓着な人の部屋とかをリアルに再現したような感じ。 -
半地下は、食堂や厨房だったみたいですね。
物もなくガランとしているという感じではなく、こちらもモノがたくさん残されたままになっています。 -
ホテルの受付がすでに終了していることがアピールされていました。
ホテルの横にも廃屋などが並んでいたけど、雨の中カメラをポケットに入れっぱなしで写真撮っていなかった。 -
1Fの入口付近には、ゲームセンターやフロントなどがあったようです。
物凄く中に入ってみたいという願望はありましたが、大人なので我慢。
中学生くらいなら、多分侵入しちゃってたかも。 -
建物のほぼ全ての窓が割れている。
海に面した高台に建つホテルなので、風雨などが直撃する場所ではあるだろうけど、恐らく廃墟になってから、悪いお兄さんたちがスクールウォーズ的な悪さをしたんではなかろうか。
本当はこの先の屋嶋城城門跡を見に行くつもりだったけど、強い雨が続いている上に先の道の霧も深く、猪注意の看板も気になってしまい、ここでUターンして屋島山上の散策を終了しました。 -
屋島山上から帰りのバスで麓まで戻り、四国村で下車。
入口に建っている四国村カフェの異人館。
建物前のポストも今では見かけることの少ないレトロタイプです。四国中から集められた古い建物を見学できる施設 by 赤い彗星さん四国村 テーマパーク
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四国村に入場後すぐに目にすることができるかずら橋。
徳島県の祖谷に残るかずら橋の3分の2サイズのものです。
江戸時代には、祖谷地方に7本ないし13本ものかずら橋が掛けられていたそうです。珍しいものというより、生活道路だったんですね。 -
雨が降っているというレベルでなく完全な土砂降りの中、早速渡り始めたものの床板の隙間が想像以上に広い上にスニーカーが滑る。揺れる吊り橋を傘を差しつつ渡り切れる気がしなくなり、横断を断念し途中で引き返し。
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小豆島農村歌舞伎舞台。
ステージの舞台が、古民家になっているような形状です。
実際は円形劇場みたいな座席はなく、舞台代わりの民家の前にゴザでも敷いて、長閑に鑑賞していたんだろうなと思います。回り舞台も組み込まれた本格的な舞台だったようです。四国村 農村歌舞伎舞台 名所・史跡
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インフォメーションセンターとなっている丸亀藩御用蔵。
四国村に関する展示や説明を事前に確認してから巡ると、より理解が深まるかと思われます。四国村 旧黒瀬家丸亀藩御用蔵 名所・史跡
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四国村の立体模型。約30件の建造物を見学する事が出来ます。
愛知の明治村の1~2エリア分ぐらいの広さですかね。 -
東讃岐の農家を移築した旧山下家住宅。
四国村 旧山下家住宅 名所・史跡
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家屋の半分は農業用の土間になっていて、残り半分で大家族が寝食を共にしていたそうです。プライベートなんて概念が無い時代。現代の人では耐えられない生活だったかもしれないですね。
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四国村に住んでいるウサギという設定の「なでうさぎ」。
ぱっと見「たれうさぎ」だと思ったけど、それだとパクリになってしまうか。。 -
四国村のほぼ中央に位置する石畳広場からの、河野家住宅と稲田家土蔵。
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旧河野家住宅の土間。
土間には、和紙の原料となる楮を蒸す釜と釜の上には釜に被せる大きな桶が、釣り鐘のようにぶら下がっています。四国村 旧河野家住宅 名所・史跡
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手前に茶の間、奥に座敷の横二間取りの構成は、南伊予地方の民家でよく見られたそうです。
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アジア風のアルベロベッロみたいな建物は、冨木田家砂糖しめ小屋。
讃岐の特産品であった砂糖を作るために、サトウキビを搾る作業を行う時期だけ建てて使用していた仮設小屋です。四国村 砂糖しめ小屋 釜屋 名所・史跡
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円錐形の建物は、茅葺屋根に組み立てしやすい骨組みで構成されています。土壁と布の違いはありますが、モンゴルのゲルとよく似た構造ですね。
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瀬戸内海の大久野島で1893年に建てられ、1992年まで約100年間現役だった小さな灯台。大久野島は、戦時中毒ガスを製造しており、地図上からは消されていた島だそうです。
四国村 旧大久野島灯台 名所・史跡
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灯台の中に入る事は出来ますが、登る事は出来ません。
小さな灯台だけあって、階段が急と云うより梯子に近い感じです。 -
長崎にでも建っていそうな和洋折衷の旧鍋島燈台退息所。
坂出市沖の小島、鍋島に設置されている灯台の灯台守が暮らしていた住居です。四国村 旧鍋島燈台退息所 名所・史跡
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明治6年から、昭和30年頃まで住居として使用され、その後は通信施設として使用されていました。幕末から明治期の海外商会員の住宅のような、えらい豪華な灯台守の住居だなと思いましたが、外国人灯台守が暮らすための住居として建造されたもののようです。
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徳島県の最高峰・剣山の斜面に建っていた山村農家・下木家住宅。
四国村 旧下木家住宅 名所・史跡
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こちらの民家も先ほどの旧河野家住宅同様、横二間取りの建物です。
平屋建てなので部屋自体は広いですが、恐らくこのスペースに3世帯で住んでいたりしたのでしょうから、手狭なくらいだったでしょうね。 -
江戸時代の讃岐を代表する科学者・久米通賢の旧宅。
高松藩に登用されて大規模塩田を開発し、砂糖と並んで塩も特産品にした功績を持ちます。測量術に優れており、大砲やピストル・軍船などの研究発明も行ったそうです。四国村 久米通賢先生旧宅 名所・史跡
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久米通賢先生旧宅は、四国村の中で休憩所も兼ねていて、座敷に上がって見学や休憩が出来ます。しかし土砂降りの中歩き続けて靴の中までびしょ濡れだったので、貴重な建造物を汚すわけにはいかず、室内は玄関から覗かせてもらうだけにしました。
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中石家住宅の軒先に並んでいた猿の置物。
猿三体なので「見ざる聞かざる言わざる」だろうという先入観で見たところ、普通に体育座りしている座像でした。 -
四国村ミウゼアムを開設した加藤達雄氏と同い年の彫刻家・流政之氏が造営した染が滝。花崗岩の土台石を用い、荒々しく見えるように造った人工の滝です。
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香川県の旧引田町で使用されていた旧醤油蔵。
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醤油蔵で使用されていた巨大な仕込み桶。
櫂入れの作業場が再現されています。 -
四国村ミウゼアム近くの屋島神社参道に建っていた消防屯所。
消防組織の縮小で維持が難しくなったことから、四国村に移築されたそうです。 -
香川県の消防団で使用されていた警鐘台。
元々は終戦間際に建造された護衛空母「しまね丸」の無線マストで、志度湾長浜沖に隠されていた船が英軍に撃沈された後、終戦後に解体引き上げされた際にマストをもらい受けたものだそうです。 -
徳島県伊座利地区で漁師をしていた旧吉野家住宅。
古い様式の住宅が残された理由が、他所の網元でブリの大漁が続いているのを見て、借金をして大網を張った途端、その年から不漁が続き、家を改築する資金を捻出できなかったというのが悲しい。。四国村 旧吉野家住宅 (漁師の家) 名所・史跡
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家の横には、漁のための道具が格納されています。
タコ壺に見えるけど、網を張るための重しや浮き代わりの壺かも。 -
家屋の床の一部が、竹のすのこ張りになっています。
漁で濡れた着物や道具のしずくを落とすための工夫だそうです。 -
四国村から、琴電屋島駅に戻るつもりが、なぜかJR屋島駅に到着。
琴電ではなく、JRに乗っていることに気づいたのが電車の中。。
雨と疲れでかなりやられている状態で高松方面に戻ります。屋島駅 駅
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