2025/02/22 - 2025/02/23
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萩を終えて、今日から後半の二日間は、益田と浜田。萩を絡めたツアーだと萩・津和野が定番なんですが、萩から益田はJRで約1時間半。萩から津和野はバスの便も少ないし、時間もさらにかかるので、公共交通機関を使う旅なら、萩に益田・浜田をセットにするのはありですね。それに、漁業の街と海洋館アクアスの浜田の認識はありましたが、益田・浜田は、「中世日本の傑作 益田」とか、浜田城の城下町や北前船の寄港地としての歴史を持つ浜田とか。もっと基本的な歴史や文化の宝庫といった顔を持つ街なんですね。いやいやこんなところで、とんだ認識不足。いつでも行けるとたかをくくっていた自分の不明を思い知りました。
もう少し説明を加えると。。
「中世日本の傑作 益田」というのは、益田の領主だった益田氏の時代の遺産。ちなみに、この益田氏というのは、永久2年(1114年)、石見国の国司として下向した藤原国兼がそのまま土着したというのが始まり。そういう意味で、当初は、国府のあった浜田が拠点でしたが、建久9年(1192年)、益田の本拠を移動。益田は、高津川や益田川の河口域にあった港町で、朝鮮半島や中国との交易の歴史に、中国山地の豊富な木材や都茂鉱山の鉱物に恵まれているというバックもあったようですね。いずれにしても、益田氏は以降、鎌倉期から南北朝時代を乗り切り、その後は大内氏に従い、続いて毛利氏に従属。毛利氏が関ケ原の戦いで減封されるとこれに従い長門国に移りますが、その間、約400年に渡って益田に安定的な時代をもたらしたという一族です。長門国に移ってからの益田氏ですが、毛利氏の永代家老という地位。幕末の長州藩のリーダー、周布政之助も一族だし、第一次長州征討の際に藩主に代わり切腹を賜った益田親施も家老としての勤めでした。なお、江戸期の益田は、津和野藩、浜田藩、石見銀山を重要視する徳川幕府の直轄領が複雑に入り組むことに。しかし、そのことで、逆に、三宅御土居跡や七尾城跡、雪舟庭園を有する寺とか益田氏の遺産がよく残ったともされていて、益田にとっては幸いだったかもしれません。
そして、浜田の方もなかなか。漁業の街というくらいしかイメージはありませんでしたが、それでも、はまだお魚市場の充実度はさすが。日本海のさかなのおいしさが手軽に味わえます。そして、意外に浜田藩浜田城の城下町としての雰囲気が残っていますね。また、北前船の寄港地だった深い入り江の外ノ浦。素晴らしい天然の良港だったことがよく分かりました。一方で、幕末の動乱。第二次長州征討では、浜田藩は石州口の戦いで福山藩らとともに最前線に。益田での激しい戦いから始まって、しかし、結果はあの大村益次郎率いる長州軍にコテンパンにやられてしまい、親藩松平家の誇りも虚しく、最後は浜田城に自ら火をかけて撤退というみじめな結末を迎えます。ただ、それは小倉口の戦いや芸州口の戦いでも同じようなもの。幕府の権威そのものが完全に地に落ちたと言って過言ではありませんからね。浜田城資料館でも必要以上のネガティブな評価はなくて悪くない印象でした。
その他、海洋館アクアスと石見神楽も期待以上。海洋館アクアスの方は本編に譲るとして、石見神楽の本場としての浜田はやっぱりさすが。浜田市街の端っこ、三宮神社で夜の神楽を拝見しましたが、演目は「塵輪」と「大蛇」。小さな会場はほとんど満席。大勢の観客が見守る中、テンポが速くて激しい動きは、まさに目を見張る迫力。派手に火を噴く演出もこれでもかこれでもかというくらいかなり本格的です。石見神楽の伝統を引き継ぐ広島の神楽も派手なパーフォーマンスが特徴とされますが、本家のこちらも負けてはいない。熱心なファンもいて、大いに盛り上がっていました。
そして、帰りは広島駅まで直行の高速バス、いさりび号。時間に無駄がなくて、とても快適。広島、浜田間のアクセスの良さがよく分かりました。
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朝イチで東萩駅から益田駅に到着。益田駅から益田の市街は少し離れていてバスもあるのですが、ここは歩きで。
ほどなく現れた益田川は、益田市の市街を流れる二級河川。昭和58年に豪雨で氾濫したことはあるようですが、眺める限りは穏やかな流れ。雑草が生い茂る河川敷とそれを囲んだ堤防は、田園地帯らしい長閑なもの。あんまり観光の対象ではないかもしれませんが、これも益田の原風景なんだと思います。 -
泉光寺は、ここまで来ると市街までの半分くらいのところ。平野の真ん中に建つ大きな寺で、広い駐車場と頭でっかちな山門が印象的です。
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始まりは、天正3年(1575年)。七尾城主第19代益田藤兼が自邸内に阿弥陀堂を建立し、先祖の廟所としたというのですが、関ケ原の戦いの後、益田氏は長州に転封されることとなり、その自邸跡地に、この地に残った益田氏の重臣が浄土真宗の寺を建てたというもの。今でも隆盛を誇っている感じです。
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さらに市街の方に向かって。
三宅御土居跡は、益田氏の居館跡。最終的には毛利氏に臣従しますが、それ以前は大内氏の傘下として石見国人の筆頭だった益田氏。東西に残る高さ5mの土塁が象徴的です。三宅御土居跡 名所・史跡
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公園のような場所に案内板があって、益田を400年に渡って統治した益田氏について、詳しく説明されていました。
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さて、ほぼ市街の中心部に到着です。
萬福寺は、益田を400年に渡って統治した益田氏の菩提寺。萬福寺雪舟庭園 寺・神社・教会
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イチオシ
本堂は鎌倉時代の築で国の重要文化財、庭は国の名勝です。
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玄関を入って、
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イチオシ
本堂裏手にあるのが国の名勝庭園。
文明11年(1479年)、15代益田兼堯が雪舟を招き造らせた雪舟庭園です。中央の築山を中心として左右にはなだらかな傾斜。石組はパラパラとした配置。そこまで密集していないのが逆に特徴的かな。 -
手前に濠のように築山を隔てる池。対して池の周囲はしっかりとした石組があって、石組が少ない築山との釣り合いがちょうど取れているような気がしますが、全体としてはちょっと抑揚がなくて整い過ぎのような印象ですけどね。
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500年以上経っているにしては石もきれいすぎるし、どうしたんでしょう。
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不思議に思ってお寺の方に聞きましたが、これといった答えはなし。
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まあ、山口市の常栄寺雪舟庭もきれいですからね。あんまりあれこれ詮索しても意味はないかもしれません。
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奥の方に資料館のような一室があって、そちらの方も拝見。
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ここで初めて、時宗の寺であることに気が付きました。
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益田兼方・兼見の墓もすぐ近く。高台の上に二つ並んでいますが、大きい方が11代益田兼見、小さい方がその父、兼方です。
益田氏は藤原北家の流れ。石見国に石見国司として下向した後、土着して豪族となりました。益田兼見は中でもその基盤を築いた功労者。南北朝の動乱機に各地に転戦。所領を守り切ります。三宅御土居を築き、菩提寺萬福寺を現在の場所に移して萬福寺の名前も付けた人物です。 -
イチオシ
さらに進んで。
染羽天石勝神社は、神亀2年(725年)の創建と伝わる式内社。染羽天石勝神社 寺・神社・教会
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益田氏が地域の氏神と位置付けた神社で、現在の三間社流造の本殿は天正11年(1583年)に益田氏20代元祥が再建したもの。ただ、ちょっと馬鹿でかい拝殿の方が目立っているかもしれません。
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さらに進んで、ほどなく医光寺です。
医光寺雪舟庭園 寺・神社・教会
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益田には雪舟庭園が二つあって、それがさきほどの萬福寺とこの医光寺ねんですね。
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本堂もしっかりしていますよ~
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本堂の手前には、16代益田宗兼の墓碑。医光寺は、もともとは貞治元年(1363年)に創建された天台宗崇観寺の塔頭。それが荒廃していたのを17代益田宗兼が再建したということですが、墓碑は16代のもの。まあ、細かいことはいいでしょう。
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さて、雪舟庭園を拝見します。
萬福寺はシンプルな築山庭園で滑らかな石を使った穏やかな印象でしたが、 -
こちらの鶴池に亀島を配置した池泉鑑賞半回遊式の庭園は、伝統的でどちらかというと厳しい雰囲気がある庭ですね。
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背景に枝垂れ桜やツツジの刈込がありますが、
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この石組を基本とする厳しい雰囲気にはほとんど影響なし。
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イチオシ
この雰囲気に雪舟らしさがあるのかどうかはわかりませんが、奥の奥にまた奥があるといった雪舟の風景画はよく知られるところ。いずれにしても、厳しい中にも石の大小のリズム感があるし、かなり面白い庭だと思います。
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最後に本堂の方へも。
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大きな涅槃図が掛けてありました。
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益田川を南に渡って、七尾城に近いもう一つの市街地です。
暁音寺は、天文12(1543年)に創建。慶長6年(1601年)に、益田氏の家老、増野氏の屋敷があったこの地に移ってきたという浄土宗の寺。七尾城から三宅御土居を結ぶ道が交差する地点で、門前はクランクの鍵曲がりの道。防御機能を高める街並みの整備の一環でその役割を求められた寺なのかもしれませんね。 -
山門、楼門、本堂など今でも構えは豪壮。並の寺ではない雰囲気です。
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イチオシ
益田市立歴史民俗資料館も同じエリア。
建物は、大正10年(1921年)に建てられた旧美濃郡役所。その後、益田警察署や美鹿地方事務所、益田総合事務所としても使われたと言いう堂々とした構えです。正面の車寄せに左右には入母屋造りの翼屋が付くという個性的な意匠も目を引きますね。 -
では、中へ。
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展示は、この地を400年に渡って統治した益田氏の関係に
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益田市街の中心部だけではなく、
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益田地区、
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吉田地区、
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匹見地区それぞれの紹介。益田の大よそが概観できる内容です。
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このエリアの南側が七尾城跡です。
七尾公園は、その七尾城跡のある七尾山の麓。限られた範囲の公園ですが、水源地のようなところから濠のような池のような潤いのある場所が続いていて、その周囲には桜の並木も。七尾城跡の方はかなり登って行くことになるので、この公園で憩うというのが普段だと限界かなと思います。 -
しかし、せっかくなので、七尾城跡に登ってみます。
まずは、住吉神社を目指します。 -
住吉神社まででもけっこう長い石段が続きますよ~
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住吉神社の入り口は一風変わった赤い門です。
建久3年(1192年)、益田の地に居を変えて。益田の姓を名乗り、七尾城を築城した第4代兼高が城山鎮護の神として祀った神社です。 -
そこからさらに
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上へ上へ。
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何とか到着しました。
ここは、益田の町を見下ろす高い山の上。典型的な中世の山城ですね。 -
建久3年(1192年)、益田の地に居を移した第4代兼高が、その翌年に築いた城。住吉神社を経由して本丸跡まで。けっこうな山登りになりました。
この城を拠点にして、益田氏は鎌倉期、南北朝期を乗り切ることになったということですね。 -
七尾城跡を下って。
改めて訪ねた益田藤兼の墓は、七尾山の麓。ちょっと不安でしたが、道案内があってたどり着けました。
墓はなかなか立派な五輪塔です。
ちなみに、益田藤兼は益田氏19代当主。大内義隆を討った陶晴賢と姻戚関係があったため、晴賢に協力しますが、その後は毛利元就と和睦。益田氏は毛利に臣従する道を進むことになります。これも益田氏の転機と言えば転機ですね。 -
このエリアでもう少し。
益田兼堯像は、妙義寺の前に建つ銅像。室町期の武将だけに鎧姿はちょっと古式な感じがありますね。
ちなみに、益田兼堯は、益田氏第15代当主。室町幕府や大内氏に従って多くの戦いに参戦。応仁の乱で混乱する情勢も見極めつつ、所領安堵を維持しました。 -
妙義寺は、室町時代の益田氏13代兼家が建立したと伝わる曹洞宗の寺。
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その後、天正9年(1581年)に19代藤兼、20代元祥親子によって再建されています。山門は華麗さも感じる堂々としたもの。
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本堂にも上がらせてもらいましたが、煌びやかな装飾でちょっと見応えもありました。
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益田駅に戻りつつ、このエリアの最後は島根県立石見美術館です。
石見の名産、赤色石州瓦が約28万枚使用されているという大屋根に象徴される立派な建物。益田にあって、この立派さはちょっと破格かもしれませんね。 -
一方で、内部の床も圧巻。
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イチオシ
花梨を使用したという美しい木調の床は光沢があってピカピカ。
つまり、この建物が何と言ってもウリなんだと思いますね。 -
展示室だと草間彌生の黄色いカボチャが迫力でした。
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昼飯は、田吾作へ。益田駅の南側で少し離れているのですが、大人気のようなので足を延ばしました。
入り口を入ると階段を下りたところが食事場所。その辺りから面白いお店です。 -
いただいたのは、昼の定食にお刺身をちょこっと付けたもの。定食はいかにも田舎料理といった内容でしたが、煮しめとか普通においしいですね。
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刺身もやっぱり実力の片りんを感じるもの。これは鯛の炊き込みご飯ではなく、白飯で食べたかったです。そこがちょっと残念だったかもしれません。
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益田の街歩きの後半は、益田駅の北側から西側です。
雪舟の郷記念館は、益田駅の北側。山の方へけっこう上がっていった先にありました。外観はかなり立派で和洋折衷の個性的なデザイン。雪舟への地元の並々ならぬ思いが感じられましたが、施設自体は休館中。再開を待ちたいと思います。 -
この近くに雪舟がらみのスポットがいくつかありまして。つまり、益田は、雪舟の終焉の地なんですね。
大喜庵は、元禄15年(1702年)、雪舟の200回忌にあたって、雪舟が晩年を過した東光寺の跡地に建てられたというお寺。本堂がどでんと建つさっぱりした構えですが、かつての東光寺は、益田氏の一族、多根兼政が菩提寺として建立した大伽藍の寺だったようです。 -
雪舟の墓は、雪舟の墓は、大喜庵の裏手。少し山の方に上がったところです。益田には午前中に拝見した医光寺、萬福寺に雪舟庭園も残っていて、小さくない足跡。益田氏の庇護を受けて、安らかな最期だったのではないかと思います。
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墓の奥から少し上ったところには、多根兼政公顕彰碑。階段の脇に建つ予想外に立派な石の顕彰碑でした。多根兼政は、自らの菩提寺としてかつてこの地にあった東光寺を建立した人物。その寺で雪舟は晩年を過ごしたという関係です。
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そのまま階段を上りきったところにあるのは、小丸山古墳。墳丘の長さ52m、後円部の高さ7.3m。6世紀初頭に築かれた前方後円墳です。古墳の周囲には周溝と外堤を備えていて、石見では唯一だとか。継体天皇との関係を示す出土品もあるようで、なかなかの古墳。益田が早くから開けた地であったことを窺わせるものだと思います。
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いったん、益田駅に戻ってきて。
栗栗珈琲は、益田駅のすぐ北側。益田にはなかなかないようなあか抜けたお店ということでしたが、まさにその通り。しっかりスペースのあるスタイリッシュな店内には笑顔の若いスタッフが複数いて、ちょっとありえないくらいいいお店です。 -
いただいたのは、カプチーノ。カウンターでゆっくり息をつきました。
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益田の最後は益田駅の西側。
ちょっと距離があるんですが、がんばって高津柿本神社を訪ねます。
こちらは、三十六歌仙の一人で、歌聖と呼ばれる飛鳥時代の歌人、柿本人麻呂を祀る神社。市街の奥にあって、そこから一直線に山の上に続く石段が遠くからでも見えています。 -
大きな楼門から
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本殿へ。
本殿は、津和野藩主亀井家の建立です。 -
柿本人麿の像は、本殿前すぐのところ。
ちなみに、柿本人麻呂は、晩年に国司として石見国に赴任。地元では「鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも 知らにと妹が待ちつつあらん」の辞世の歌を詠んで、益田川河口沖の鴨島に没したと伝わっているんですね。ちょっと謎めいた伝説です。
手には筆と冊子を持って、遠くを見ながら歌を考えているところでしょうか。この地に国司として赴任してからも、ひたすら歌にいそしんだ姿が想像できるようです。 -
島根県立万葉公園は、高津柿本神社の裏手からつながっていて、そこから遊歩道を利用して公園に入りました。柿本人麻呂の歌を書いた駒札がいくつか建っていて、それを眺めていると万葉の昔に思いを馳せられるという趣向かな。高台には和風休憩所という建物もありました。
かなりがんばって、これで益田は終了です。
益田からは、浜田駅に移動して。夜に予約していた神楽を拝見します。 -
すっかり暗くなってしまった道をとぼとぼ向かい、会場の三宮神社に到着。
しばらく待って、いよいよ始まりです。 -
最初の演目は、「塵輪(じんりん)」
凛々しい若武者、高麻呂(たかまろ)が登場して、異国から攻めてくる大軍に備える舞。 -
遅れて登場は、帯中津日子(たらしなかつひこ)(後の仲哀天皇)。
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高麻呂とともに戦に備え、
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準備万端。
この辺りの舞はけっこう時間が長いし、十分に見せ場となっていますね。 -
と突然!
火を噴いて白鬼現る。塵輪です。 -
毒を吐くような恐ろしい悪鬼。これは容易ではありませんよ~
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イチオシ
しかし、それに敢然と立ち向かう高麻呂。激しい戦いが始まりました。
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そこにまた怪しい影が!
今度は赤鬼です。 -
しかし、帯中津日子も加わって、丁々発止。
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四人が組んずほぐれつの乱戦です。
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しかし、暴れる鬼どもも少し勢いが弱まってきたかな。
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最後は、帯中津日子の弓がとどめ。
異国の軍勢を撃退し、めでたし、めでたし。 -
続いては、「大蛇」
いきなりの登場は、須佐之男命(すさのおのみこと)。 -
酒樽を担いだ翁、足名椎(あしなづち)は、
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生贄とされる奇稲田姫(くしいなだひめ)を伴って、
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手名椎(てなづち)とも最後の別れ。
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イチオシ
夫婦の嘆きも尋常ではありません。
あああ~ -
煙の中から、大蛇が現れました。
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もう一匹、もう一匹と
うじゃうじゃ湧くように現れます。 -
どの大蛇も悪の権化。
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これ以上ない邪悪な姿。
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差し出された酒をくらい、
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奇稲田姫を食べてしまう恐ろしい大蛇たちです。
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さて、酒の方を食らい始めましたよ~
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イチオシ
大蛇が十分に酒を食らったのを確かめて、須佐之男命が登場。
お前らの好きにはさせないぞ! -
剣を振り上げ、一匹一匹と退治にかかる。
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しかし、大蛇もさるもの。
激しく抵抗して、須佐之男命を苦しめます。 -
あ、奇稲田姫が危ない。
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すかさず須佐之男命が割って入って、大蛇を成敗しました。
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大蛇は一匹残らず退治されて、再び平和が戻ってきました。
めでたし、めでたし。 -
いやいやすごい熱演でした。さすが石見神楽の本場というだけのことはあるでしょう。広島の神楽もすごいんですが、どっちもどっち。素晴らしい神楽です。
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今夜の宿は、東光ホテル。地図で見たら浜田駅に割と近いなと思ったのですが、実はけっこうな丘の上。それも丘に上がってぐるんと回り込んだ一番奥の方。夜になっていたのもあって、けっこう心細くなりながら訪ねました。それにロビーとかの装飾もちょっと変わった趣味で、私としてはあんまり落ち着かないかな。ただ、部屋はちょっとしたソファがあったり、値段の割には余裕あり。これは少しプラス評価できるかなと思います。
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翌朝、浜田の街歩きはここからです。
浜田駅前のロータリーの中央にあるどんちっち神楽時計。そびえるように大きく建っていて、赤色の石州瓦に入母屋つくりの屋根が石見らしくて憎いですね。四方には、神楽の人形の姿。からくり時計だと思いますが、動いてない時でも人形が姿を現しているのもいいと思います。 -
浜田駅前から、バスで島根県立しまね海洋館 アクアスに向かいます。
島根県立しまね海洋館 アクアス 動物園・水族館
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まだ開館前だったので、向かいの海岸まで行ってみます。
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ここは、島根県立石見海浜公園。浜田市街の郊外。海沿いののかなりの範囲が公園となっています。
海岸には白い雪が積もって、冬の日本海は黒ずんで荒々しい。荒涼たる景色でしたが、その光景を安全に楽しめる公園。なかなかいいと思います。 -
では、改めて アクアスへ。
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基本は水族館。
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イワシの群れも意外に見応えがあるし
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マツカサウオ、
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テングダイ、
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キンメダイや
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イカに
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クラゲも
それぞれが活き活きとしていて、なかなか楽しいですね。 -
巨大水槽には
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魚を下から見上げれるトンネルも付いていました。
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ただ、アクアスの目玉は、やっぱり、なんといってもシロイルカのショーですね。ボンベを背負って、巨大水槽の中央に陣取ったダイバーと
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二匹のシロイルカが息の合った演技で観客を魅了します。
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それにしても、イルカは賢い動物ですが、
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ここまで息がぴったりって、ちょっと期待以上でした。
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イチオシ
得意のバブルリングに
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二匹のイルカ同士の連携も抜群。
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どうやって訓練するのかは分かりませんが、
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シロイルカって、なんか特別なんでしょうね。
水族館のイルカショーでは、カマイルカとかバンドウイルカ。彼らも人間とのコミュニケーションはかなり取れていると思いますが、このシロイルカはまた違うレベルのような気がします。 -
とにかく、こんなに人間と一体感があるイルカって。。いろんなイルカがいますけど、シロイルカはその中でもダントツに頭がいいのかも。浜田に来たらこれは必見。実際に見ると本当に感動ものです。
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アクアスからまた浜田駅に戻ってきて。
浜田市観光協会特産品販売所は、浜田駅の構内。観光案内所と一体になったきれいな施設です。レンタサイクルをやっているので、それを利用します。スタッフが複数いて、親切でした。浜田市観光協会特産品販売所 お土産屋・直売所・特産品
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自転車で最初に向かったのは、はまだお魚市場。浜田は漁業の街ですからね。ただ、市街からは離れた場所なので、車で来ていない人にとってはちょっとハードルは高いかもしれませんね。
外観は海沿いの建物が道の駅みたいな感じで、駐車場もめちゃ広いです。はまだお魚市場(山陰浜田港公設市場) お土産屋・直売所・特産品
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一階は行ってすぐから、魚屋さんが軒を並べます。
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日本海の新鮮な海の幸がたくさん並んで、さすがは浜田。
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豪快です。
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ただ、お目当ては二階のフードコート。三つのお店が入っていて、ちょっと迷いますねえ。
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海鮮専門 ぐっさん
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みんなのまる姫食堂
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海音(みね)
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めし処 ぐっさんは、海鮮専門店とあったので、そこの刺身定食をいただきます。地物の魚をバランスよく揃えた感じ。いわゆる漁師料理って、こういうものをいうのかなという内容。刺身だけじゃなくて、ひじきやみそ汁もすべてがうまいです。
(ただ、直近で調べると閉店したよう。人気のお店だったのに残念です) -
海音は、 バトウめしというのがあって、これもいただきます。バトウは魚の種類。バトウを漬けにしたものをどんぶりにして、最後はひつまぶしみたいに出汁でお茶漬けにするというもの。バトウはちょっと水分が多いのかな。ぷっくりした食感に淡白な味。漬けの味付けもやや単純でどうかなと思いましたが、爽やかな出汁をかけると程よい味わい。なるほどけっこううまい。よくできていました。
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はまだお魚市場から南側。山の方に向かっていきます。
道の駅 ゆうひパーク浜田は、国道9号線沿いの山の上。車以外で浜田市街からのアクセスはかなりハードルが高いと思いでしょうね。 -
施設は大きくて立派ではあるのですが、面白みという意味では、せいぜい山の上から海を見渡す眺めくらい。はまだお魚市場と比べると正直楽しさには限界があります。
海の方に見えているのは、瀬戸ケ島。こうして見ると島は浜田市街の目と鼻の先。それに島ではあるのですが、立派な浜田マリン大橋で結ばれて、浜田港線の道路でも直結していて、ほとんど陸続きと同じ状態ですね。その様子がよく分かりました。 -
さらに山の方にどんどん上っていきまして。
浜田市世界こども美術館は、なんとか自転車で行きましたが、車じゃないととても行けないようなすごい場所です。
ただ、建物は信じられないくらい立派。斬新なデザインだし、素晴らしいですね。 -
この日は地元の子どもたちの作品を展示する企画展。館内は広いのですが、それを十分に活用した展示でした。ところで、ここには目玉になるような所蔵作品はあるんでしょうか。そっちはちょっと気になります。
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山のエリアを終えて、ここからいよいよ浜田城跡の方に向かいます。
粟島公園は、その途中。浜田漁港を見下ろすような一段高い場所があって、そこに江戸時代の烈女お初の碑。それが見どころですね。
お初は、享保9年(1724)、浜田藩江戸屋敷で起きた女の敵討ち事件、鏡山事件の主人公。見事、主人の仇を取ったというのですが、実の名前は察。それが歌舞伎の演目となり、その中ではお初の名前となったようです。 -
浜田城跡に到着。
麓に浜田城資料館があるのですが、入母屋造りの建物を三つ合わせたような豪壮な建物。この建物だけでも見応えはありますね。 -
展示は、元和5年(1619年)に松阪藩から移った古田重治が54千石の浜田藩を立藩して以降の歴史をあれこれ。
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古田家の後は、松平家、本多家といった譜代、親藩の時代。長州藩や浅野藩といった外様藩を山陰路から押さえるための配置だったようです。そうした時代の藩主からは、複数の老中首座が出ていて、なかなかの歴史ですね。
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浜田の町作りや北前船の寄港地、外ノ浦の整備に、
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冒頭にも触れましたが、幕末の第二次幕長戦争における石州口の戦いも興味深いです。
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ほか、長浜人形のコレクションも圧巻でした。
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では、せっかくなので、浜田城跡にも上りますよ~
濱田護國神社は、その途中。浜田城山公園の中腹です。
護国神社としては少し小ぶりな感じもありますが、石見地方出身の戦没者23千柱を祀る神社。第二次幕長では、浜田城は前線基地でしたが、最後は火をかけて撤退。そうした場所に建つのもなにか感慨深いものがあると思います。 -
濱田護國神社を過ぎて、
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そこからでもけっこうな石段ですね。
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それを上りきると
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これが本丸跡。
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本丸からは、市街のほか
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日本海から深く入り込んだ外ノ浦の方までよく見えて、浜田城がそれなりに雄大な城であったことがよく分かりました。建物はありませんが、石垣などはよく残っている方だと思います。
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浜田城跡から最後は、外ノ浦です。
日本海から深く入る外ノ浦の入り口といった場所に立つ会津屋八右衛門頌徳碑。海に突き出た突堤のような岩の先。
この会津屋八右衛門というのは浜田藩の郷用を勤める廻船業者だったようですが、窮乏する浜田藩のためにと今の韓国、鬱陵島から海産物や朝鮮人参などを持ち帰ったということ。しかし、これが鎖国の時代に摘発されるところとなり死罪に。大塩平八郎事件と並んで天保三大事件の1つとされているようです。 -
さらに進んで。
金刀比羅神社は、海の神様。浜田にあって北前船の寄港地だった外ノ浦の海辺に建っていて、地域の守り神として尊崇されていたことは想像に難くありません。創建は、正徳元年(1711年)。お寺の和尚さんが建てた一庵が始まりということです。 -
これが外ノ浦海岸。外ノ浦の最深部です。
浜田にあって、ここが北前船の寄港地として賑わった場所。日本海から深く入り込んだ入江は、外洋の影響を直接は受けずに静かな景色。ただ、海の色は濃くて、どん深の海になっているのではないかと思われます。
では、浜田もこれで終了。浜田駅に帰ります。 -
広島へは、高速バス、いさりび号です。浜田駅から広島バスセンターまではほぼ2時間。浜田駅を出発するとほどなく高速に入るので、その点でも早いなという印象が強くなると思います。いずれにしても、あっという間。ラクチンで重宝されるのは納得ですね。
以上で、四日間の旅は終了。お疲れさまでした。
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