雪舟の墓
名所・史跡
3.31
雪舟の墓 クチコミ・アクセス・周辺情報
益田 観光 満足度ランキング 8位
クチコミ・評判
1~6件(全6件中)
-
晩年を過ごした東光寺の跡地に建つ大喜庵の裏手
- 3.5
- 旅行時期:2025/02(約10ヶ月前)
- 0
-
大喜庵裏手の山にある
- 3.5
- 旅行時期:2023/10(約2年前)
- 0
-
お墓はきれいに掃除されていました。
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
-
-
現在のお墓は地元の人々が建て直したものでした。
- 5.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
益田の大喜庵に雪舟の墓がありました。雪舟のお墓とされるところは何ヶ所かありますが、ここは1番有力とされるところです。大喜庵... 続きを読むの歴代の住職のお墓が並ぶ一画にありました。2段の墓石の上に扉の付いた小さな祠が乗っていました。雪舟はここにあった、当時の益田氏の菩提寺・東光寺で1506年(永正3年)に亡くなったとされています。当時としてはたいへん長寿で86歳だったとのことです。医光寺で火葬され、遺骨は東光寺に埋葬され宝篋印塔が建てられたとのことです。東光寺は焼失してしまい、益田氏も須佐に移ってしまって衰退し、その地に大喜庵という庵が結ばれたのは、雪舟200回忌を契機として、1702年(元禄15年)のことです。そして、1754年(宝暦4年)には、宝篋印塔の痛みが激しくなったので、地元の人々の手で現在のお墓に直されたそうです。小さな祠の中には宝篋印塔の1番上の相輪が収められているそうです。
お墓の真後ろに隠れる様に「雪舟禅師追褒塔」がありました。雪舟顕彰会が500回忌を記念して2005年(平成17年)に建立したもので、元のお墓の場所を保存することを目的にしたものだそうです。
墓所への入口に「画聖雪舟禅師終焉地碑」と刻まれた石碑がありました。これも没後500年記念事業として、2005年(平成17年)に建立されたものだそうです。良く見ると、中国寧波天童禅寺方丈誠信書と刻まれていました。雪舟が中国の明に渡った時に、禅の修行をした天童寺の163世住職の誠信さんの揮毫なのですね。益田市と中国寧波市とは雪舟の縁で姉妹都市だそうです。
閉じる投稿日:2022/12/26
-
雪舟の墓
- 3.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
-
静かな人寂しいところでした。
- 3.5
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 0
1件目~6件目を表示(全6件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
このスポットに関するQ&A(0件)
雪舟の墓について質問してみよう!
益田に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
たびたびさん
-
NH SFCさん
-
リラクマさん
-
旅好者さん
-
worldspanさん
-
ゲンさん