2025/02/07 - 2025/02/07
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norio2boさん
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パリには130の美術館があるという
名前も知らない美術館も多い
でも、行ってみたらしみじみ良かったなと思わされた美術館もある
MUSÉE CERNUSCH
普通にはチェルヌスキと発音されている
4Tでの登録名称はセルニュスキ
4Tの口コミはたったの2件評価は3.09
余り注目されていない
でも、一言で感想を言えば是非とも行って頂きたい美術館です
場所は8区のモンソー公園の入り口の左前(東側)ですジャックマールアンドレ美術館のあと行くのなら北へ500mです
先ずはこの美術館の創設者であるセルニュスキ氏の波瀾万丈の人生を書いておきます
アンリセルニュスキ(1821ミラノ生~1896フランス没)享年75
イタリアが統一される前のローマ共和国時代に国会議員を務めた理想に燃える共和主義者であり革命家という熱血漢です
フランスへ亡命したあとは経済学者としての知識を生かして金融をメインに多方面の新しい事業を展開し莫大な財を築いていきます
1871年50歳時の「パリコミューンの悲劇」(労働者階級が政権樹立したもののあっと言う間に崩壊そして処刑)に絶望しセルニュスキは世界放浪旅行に出てしまいます
この旅行で約5,000点のアジア美術品を持ち帰ってくるのですが
1973年の春にパリに戻ってくるとこの自宅を建て美術品を展示し公開していきます
19世紀末のパリはパリ万博のあとジャポニズムの時代ですセルニュスキ邸は上流階級やアーティストのアジアの文化について語り合う社交場として大いに賑わったのです
生前この自宅とコレクション全てをセルニュスキはパリ市に贈与してしまいます
美術館の開館は没後3年目の1898年のことでした
火曜日から日曜日まで10時から18時までの開館、入場無料です
写真を紙芝居にしました
https://youtu.be/ia7VlxI6YsQ?si=b8cDh2z77_wgDxEU
- 旅行の満足度
- 5.0
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海外旅行のホテルでの朝食のルーティン
まず、スライスパン2枚をトーストします
スライスハム、スライスサーディン、スライスチーズ各種を一枚づつトーストの上に交互に重ね6層~8層にする
上からトーストを重ねる
それぞれを別々に食べるより数段美味しいのでいつもこうしている
コーヒーは苦手なので紅茶です
暖かいミルクをつけて貰っていますメルキュール パリ ノートルダム サン ジェルマン デ プレ ホテル
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宿泊はメルキュールパリノートルダムサンジェルマンデプレ
入り口の前にあるレンタル自転車のステーションが目印です
安くて環境にやさしい
この奥に進むとクリューニー美術館
その先を右に行くと地下鉄クリューニー駅
駅までの途中に電気自動車用の充電スタンドがあり3基並んでいた
環境対応EV化への本気度を感じさせられますメルキュール パリ ノートルダム サン ジェルマン デ プレ ホテル
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セルニュスキ美術館のリフレット
英文と仏文の併記です
住所は
7 Avenue Velasquez, 75008 Paris
数字の下2桁が区を表しますので8区です
時計まわりに割り振られているパリの区割は分かりずらいです
凱旋門の前のシャンゼリゼやジャックマール美術館、マドレーヌ寺院などがあるエリアですセルニュスキ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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最寄り駅はM3のVillier
250m徒歩約3分です -
美術館に到着
ミュージアムアプリ
Musée Cernuschi
があり
オーディオガイドとして使う事が出来る
対応言語は仏語、英語、韓国語のみ
3次元画像もあり楽しめますセルニュスキ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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セルニュスキ美術館の全景
この右奥はモンソー公園が広がる
セルニュスキは帰国後モンソー公園ベラスケス通りにこのイタリア様式の邸宅を建て持ち帰った美術品を並べ公開します
その頃のパリの人気はジャポニズム
セルヌスキの自宅コレクションには多くの人たちが押し寄せましたモンソー公園 広場・公園
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ミュージアムショップ
のどかな空気が流れていました -
入ると右手のミュージアムショップ
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アジアンアイテムが並ぶ
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アジア関係の書籍も
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アンリセルニュスキの履歴書と旅行記と肖像画の壁面
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アンリセルニュスキの旅のルートマップ
横浜港から日本に入り西へ各地をまわり
上海港から中国に入り各地まわり
ジャカルタ港からインドネシアを転戦
インドをぐるりまわりボンベイから帰国
という大周遊旅行 -
旅行の訪問先は30(訪問順)
帯同したのは17歳年下の美術評論家テオドールデュレ(1838~1927)
1871秋から1873春までの旅行だった
日本での移動は歌川広重の浮世絵の東海道53次をトレースしたという
その頃の日本は明治新政府が中央集権化の廃藩置県を無理矢理やっている頃です
帯同したデュレが出版した旅行記によるとアメリカのサンフランシスコから蒸気船グレックリパブリック号で24日かけて江戸湾(東京湾)に入港したとある
アジア圏に入る前にはリバプールからニューヨークまで10日サンフランシスコ湾まで鉄道で7日かけている -
玄関まわりは個人宅とは思えない豪奢な作りです
-
大理石の階段には赤い絨毯が引かれ右に直角に曲がって2階へ至る
右にはガラスケースの中に中国の陶器製の五重塔
中国清王朝時代のもの -
セルニュスキコレクションの経緯が書かれている
下に時代の説明がある -
2階に並ぶアジアコレクション
右側に日本の江戸時代の虎の置き物
木に漆塗りと金箔
セルニュスキ邸を訪れるジャポニズムの来客たちにこの虎の迫力は大評判だった
アジア旅行中に収集品が増えるにつれ
パリに戻ったら家を建てアジアの作品を展示し皆に見せようとセルニュスキは考えを決めていったようです -
虎の顔の部分のアップ
Tigre (Tora) Japon
ガラスの目玉が迫力を出している
威圧感のある咆哮が聞こえるようだとジャポニズム信奉者は作品を評価している
アジアで収集した作品は900個の木箱に納められパリに送られています -
中国の戦国時代についてのパネル
東周時代(紀元前771~256)
秦(紀元前9世紀~221) -
右手前のガラスショーケースに
三脚花瓶 中国
Vase tripode China -
右側にも中国からの花瓶が並ぶ
-
翡翠の円盤
Disque de jade. Chine
長江流域の石家河文化(紀元前2500~2000)時代のもの
当初は天文学的機器とされたが翡翠製の装飾的な副葬品と考えられている -
中国漢時代の副葬品のコーナー
女性や男性の世話役たち
歩兵隊や奇兵隊
鳥、馬、犬や家畜など
型取りの成形で量産されている -
中国漢時代の墓には木材や石材と焼成したレンガなどが使われている
社会的階層に応じて個室のものや地下宮殿のようなたくさんの部屋で構成されるものがあった
壁面の装飾で死後の世界についての考え方や死者の社会的地位を知ることが出来る -
大きな墓所の壁面
細密な彫刻がされているのが見える -
仰ぎ見る形で見事な大仏が中央の台座に設置されている
美術館の解説文の拙訳です
「蓮の座に座っている仏教の中心にあるアミダ像、右手を上げ、手のひらを前にし、親指と人差し指に触れています。そのような立場は教義を象徴しています
東京の目黒区にある蟠龍寺の火災で焼け残った大仏像はパリに運ばれるために解体されバルベディエンヌ工房で修復されました」 -
見事な大仏を2階から後ろ姿を撮影しました
蟠龍寺は今でも目黒区下目黒にある浄土宗の寺で創建は1648年で最初は称明院と呼ばれていた
本尊の阿弥陀如来は目黒大仏と呼ばれ地元の信仰を集めていた
1868年に明治新政府は神仏分離令を出してそれから廃仏毀釈運動が始まっている
金属製仏具は供出され武器製造に用いられたり、仏像は本堂から持ち出されて荒縄をかけられ泥の中を引きずり回されたりした
各地で行われた廃仏毀釈運動は民衆の活動だった
セルニュスキ一同が到着した東京も廃仏毀釈運動の真っ最中だった -
こちらは戦後日本の民藝活動の紹介コーナー
The Mingei Movement
Hamada Shoji’s work
浜田庄司(1894~1978)の作品が並べられている
浜田は柳宗悦とともに民藝活動のリーダーのひとり
益子焼で知られている -
目黒大仏の後ろの壁面には仏像が並んでいる
写真の奥から2番目の金色の立像は
菩薩像
金銅製
中国明朝時代(1368~1644年)のもの
菩薩の細い腰や装飾品は元の時代に到来したネーパールチベット仏教の影響を残している -
同じく右側にも仏像
-
中国南宋時代(12世紀)青磁の器
個人から寄贈され展示されている -
2階の奥の展示
-
中央に鎮座する日本からの阿弥陀如来像
セルニュスキ美術館の展示空間の中央に置かれ圧倒的な存在感を誇っている
セルニュスキ旅の一行がこの大仏に遭遇した目黒の蟠龍寺は焼き払われこの目黒大仏は茅葺き屋根の廃屋と化した寺に埋もれていたという
住職は廃仏毀釈で追われ逃げ出していたのでセルニュスキは地元の名士に代金を支払ったという
落語の演目「目黒のさんま」にあるようにその頃の目黒は馬に乗ってお殿様が鷹狩りをするような農村だった(お殿様は鷹狩りのあとお百姓家で食べたさんまが忘れられず家来にいろいろ調理させるが満足出来ずに、、、さんまは目黒にかぎる!と叫ぶのがオチ)
セルニュスキ一同が驚嘆し運良く手に入れることが出来た目黒大仏は3分割されて輸送されパリで金属加工専門工房で復元されている
大人数の信者たちはお金いらないからご本尊を返して欲しいと何度も押し寄せたと旅行記にある
横浜港から大仏を積んだ船は出たと告げると諦めて来なくなったと書いている
セルニュスキ一同は大仏の仏教の意義を理解していて注意して対応している -
美術館を出てモンソー公園を見ているところ
現在地は青いドット -
モンソー公園
立派な鉄柵
門は7時に開けられ22時に閉められるモンソー公園 広場・公園
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スキーのストックみたいなポールを両手に持って散歩するひとがいた
印象派の画家クロードモネはこのモンソー公園を主題に5枚描いている
1876年の作品だからモネもセルニュスキ邸でアジア文化に触れていたのだろう
神話的な絵を描くギュスターフモローもセルニュスキ邸の常連客で大いに作品に反映させているモンソー公園 広場・公園
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モンソー公園側から見えるセルニュスキ美術館
パリに行くならおすすめします
特にリピーターの方に
そして日本文化や東洋の文化に詳しいかたなら僕以上に楽しめると思います
旅行記や口コのタグはセルニュスキです
セルニュスキの後はカルナヴァレ博物館に向かいました
https://4travel.jp/travelogue/11958835セルニュスキ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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