2024/08/02 - 2024/08/08
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chemireさん
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松山城。現存12天守のひとつ。
別名、金亀(きんき)城。伊予松山城と呼ばれることもあります。
1602年(慶長7)勝山の山頂に加藤嘉明が築城を開始。
1627年(寛永4)松山城の完成を前に嘉明は会津へ転封され、代わって入城した蒲生忠知は二の丸増築を行いますが嗣子なく断絶。
1635年(寛永12)親藩の(久松)松平定行が入城。以後、15代234年にわたって松平氏の治世が続きました。
松平定行は松山城の改築を手がけ、1642年(寛永19)に3重の連立式天守を築造しましたが、1784年(天明4)に落雷で焼失。1820年(文政3)から再建が始まっても財政難などにより工事は難航し、12代勝善の1852年(嘉永5)に竣工しています。現在の天守はこの時のもの。
- 旅行の満足度
- 5.0
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8月5日(月)
筋鉄門から内庭に入り進んで行くと、内門が目立ち思わず通りたくなったけど、右に視線を移すと石造りの穴蔵に天守入口の表示がありました。
ここから、天守内へ。 -
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パンフレット赤丸1の天守(穴蔵)から反時計回りに櫓や小天守を進み、天守最上階へ向かいます。
天守穴蔵~(復興建造物)30内門~28・29玄関・玄関多聞櫓~12北隅櫓~27十間廊下~7南隅櫓~11多聞櫓~1小天守~10筋鉄門~天守 -
天守は三重三階地下一階の層塔型で、江戸時代最後の完全な城郭建築。連結した建物は、昭和時代に放火や戦災で焼失したため、現在に見られるのは全て1968年(昭和43年)の復興建造物です。
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13:08
地下の穴蔵には鍵付きの靴箱が設置されていて、そこでスリッパに履き替え(スリッパの使用は個人の判断で)階段を上って1階へ。 -
内門内と玄関多聞櫓内の廊下を通り、玄関先を通過して北隅櫓に入ります。
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玄関多門櫓から見た玄関内側と内庭。
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角頭巾形鳥尾飾兜(すみずきんなりとりおかざりかぶと)
漆塗佛胴六間草摺素懸威鎧(うるしぬりぶつどうろっけんくさすりすがけおどしよろい) -
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北隅櫓2階へ。
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白壁が施され窓も大きい。
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北隅櫓2階から。
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急階段のため、スリッパが脱げそうで歩きづらい。やっぱり履かなきゃよかったかな。
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1階に戻って、甲冑や刀剣を見学します。
なんとなく見上げた梁に文字を発見。これが気に入ってしまって、他にも書かれていないか探してみました。 -
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肉眼ではしっかり見えたけど、照明が反射してきれいに撮れません。
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北隅櫓から南隅櫓をつなぐ十間廊下。
展示物と反対側の壁に、狭間や窓が並んでいます。 -
狭間
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火縄銃体験コーナー
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持ってみたら、重い。とても振り回せそうにありません。
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南隅櫓から多聞櫓内の廊下を進み階段を上ると、小天守に入ります。
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現存天守の中で唯一、葵の御紋が付され瓦にも葵の御紋が使用されています。
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長持には右に三つ葉葵、左に久松家(菅原家)の星梅鉢家紋が描かれています。
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天守再建当時(1848~1854年)のものと推測される、大工が描いたと思われる侍の似顔絵。つまり落書き。松山城二の重南の下見板張りの裏に描かれていたそうです。
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小さく写っているのは天守鯱雛形。
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狭間や石落とし。
小天守から筋鉄門の上を渡って天守に向かいます。
※ これまでの場所の表記が間違っているかもしれません。元来の方向音痴で、階段を上ったり下りたりしているうちに、自分がどこを見学しているのか曖昧になりました。 -
狭間と石落とし。
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敵の頭が入らず、弓矢を握った拳が入るようにするため、格子の間隔は1間の窓で7本、半間では3本が標準になるんだとか。
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13:54
東側にある階段から、廻縁が設けられた天守最上階へ。
廻縁は床面から一段高く、外へ出られないわけではありませんが装飾の意味が強いよう。 -
天守に、襖をはめられる敷居があるのは珍しい。
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多分、見えているのは艮門・艮門東続櫓。昨年、外部の改修を終えたばかりで新しい建物かと思うほどきれい。
説明板は遠景だけ書かれているので、方向音痴な人間のためにも縄張り内の建物も記載してほしいです。 -
艮門付近は、豪雨による土砂災害の影響で立入禁止となっていました。
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南側
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廻縁は一周できないようになっていて、四方向に設けられた戸からその都度出入りして景色を眺めます。
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馬具櫓と太鼓櫓。
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初期の天守は安土城のように内部が御殿同様の書院造りだったそうで、消失した天守を再建した際に初期の意匠が再現されています。
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天守は一重、二重、三重とも天井板があり、畳の敷ける構造が見られたり、床の間まであるというまれな造り。当時の城主、松平勝善が、ここを何の用途にしようとしたのか定かではないそう。
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貼り付け壁
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欄間
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小天守
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西側。
こちら側だけ欄間がなかったと思います。 -
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北側
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最後にもう一度、鯱を眺めて。
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14:16
現存天守らしい急階段を降りて1階へ。 -
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行きには気付かなかったけど、櫓と廊下の間は引き戸がありました。
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梁が壁を貫いているのも気になる。
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ふと、姫路城の百間廊下の大戸を思い出しました。内部に女性が居住していたため、夜になると頑丈な扉が閉ざされていたっけ。
ここも、何かの理由があって戸を設けたのかな?
https://4travel.jp/travelogue/11824085 -
古い日本家屋であるお城に、開戸ってあるのかな? 次からは意識して見よう。
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14:40
見学に90分。出口に向かいます。
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