2012/05/27 - 2012/05/27
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jijidarumaさん
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【ドイツのFerienstraße観光街道: Spargelstraßeシュパーゲル街道について】
ドイツにはFerienstraße(フェーリエンシュトラッセ:直訳では休暇街道であるが)と称する観光街道がある。
ドイツ観光局(市町村といった自治体)の政策にのっとるテーマである、いわゆる史跡、遺跡、風光明媚な景色から、町々を結ぶルートを制定している。
最も古いのは1927年に制定されたAlpenstraßeアルペン街道であり、日本人にとって馴染みのある、代表的な街道はRomantische Straßeロマンチック街道、Burgenstraße古城街道、Goethestraßeゲーテ街道、Märchenstraßeメルヘン街道、Fachwerkstraße木組みの家街道、Weinstraßeワイン街道といったものが挙げられる。
それらの観光街道は総数150以上のルートがあると云う。
写真はドイツの観光本Atlas(1977&78年版):Ferienstraße休暇街道=観光街道Map
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イチオシ
我が家の手持ちのドイツの観光本Atlas(1977&78年版)があります。
これによると、50程度の街道がリストアップされている。(以下参照)
写真:バーデン地方シュパーゲル街道の*Schwetzingenシュヴェツィンゲンの町にてシュパーゲル小母さんの像と(2012年5月27日シュヴェツィンゲン宮殿を訪れた)
*Schwetzingenシュヴェツィンゲンはバーデン・ヴュルテンベルク州の北西部、ハイデルベルクの南西約13km、マンハイムの南東約15kmにある。その二つの町を結ぶ古城街道上にある。
この地域は元々ヴォルムス司教領であったが、12世紀にライン宮中伯・プファルツ選帝侯の支配下となった。1439年に初めて人口が記録され、その数はなんと230人であった。
今は人口22千人のそれなりの町になっている。
かつて、一度訪れた事があるシュヴェツィンゲンはハイデルクベルクから13kmしかない。街中に入り、宮殿から少し離れた“Alter Messplatzかつての測量場”という駐車場に車を置いた。意外と駐車場が混んでいるから、催しでもあるのかもしれない。道順に沿って歩くと、宮殿広場に至る。
当地はシュパーゲルの産地であり、宮殿広場にはシュパーゲルを商うSpargelfrauシュパーゲル小母さんの銅像まであった。
傍の青空市でも季節がら、新鮮なシュパーゲルが山盛りで売られていた。シュパーゲルの季節は後述のシュヴェツィンゲン音楽祭と丁度重なるので、観光客も多いのだろう。
宮殿守衛所の建物に入場券や、土産品の店があり、結構人混みがある。 -
<Schloss Schwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿>
“プファルツ地方の小ヴェルサイユ”と称される宮殿(かつてのWasserburg水城)である。
1350年、ライン宮中伯ルドルフ2世が居城とした。三十年戦争およびプファルツ継承戦争で、この城は破壊された(1689年)が、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムと、その後継者によって再建された。1720年にカール3世フィリップはハイデルベルクから一時的にシュヴェツィンゲンに宮廷を移し、1742年からは夏の宮殿として、増築がなされた。
1750年にプファルツ選帝侯Kurfuersten Karl Theodorカール・テオドールにより、城の広大な庭園72 haを含む“新しい都市”の設計がなされ、建設が行われた。
1752年には城内劇場(500席のRokokotheaterロココ劇場)がオープンした。
1777年にプファルツ選帝侯からバイエルン選帝侯になると、カール・テオドールは1778年に宮廷をミュンヘンに移し、シュヴェツィンゲン宮殿は長く捨て置かれた。
写真:バーデン地方シュパーゲル街道の*Schwetzingenシュヴェツィンゲンの町にて(2012年5月27日シュヴェツィンゲン宮殿を訪れた)シュヴェッツィンゲン城 城・宮殿
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1937年にロココ劇場の修復が行われ、1952年に漸く、ここを舞台に “Schwetzinger Festspieleシュヴェツィンゲン音楽祭(南西ドイツ放送の主催;毎年5月中旬~6月)”が創設された。今年で60周年を迎え、国際的に知られた音楽祭の一つになっている。
ロココ劇場は宮殿に向かって左手にあり、人だかりが見える。2012年は4月27日~6月16日の間に開催されて、この日のプログラムは“モーツアルトの一日”とあった。
手前の宮殿からずっと先に広大なフランス風・イギリス風庭園が広がって、それはなかなかのものだ。園内にはムーア様式のモスク、人工廃墟、大理石の浴場、壮麗なアポロ神殿など、ヴェルサイユやシェーンブルク宮殿に見たようなものが造られている。
写真:ドイツの観光本Atlas(1977&78年版):Ferienstraße休暇街道=観光街道Map(当然ながら、東西ドイツの再統一(1990年10月)前で、西ドイツのみ) -
ドイツの観光本Atlas(1977&78年版)にはSpargelstraßeシュパーゲル街道はまだ掲載されていないので、街道として設定されていないようだ。
写真:ドイツの観光本Atlas(1977&78年版):Ferienstraße休暇街道=観光街道Map(当然ながら、東西ドイツの再統一(1990年10月)前で、西ドイツのみ) -
【Spargelシュパーゲル料理】
さて、我が家はドイツの白アスパラはもう数年食べていません。
それでも、札幌の兄から、旅先の友人夫妻からと、今春も瑞々しい緑のアスパラガスが贈られてきました。ありがたいことです。
母の日に、近所の次女が焼き菓子を持参したので、昼時の訪問でしたから、早速シュパーゲルを娘に御馳走しました。
“Spargelシュパーゲル(白アスパラガス)料理”をドイツの旅の最初に食べることが多い。太い見事な白いシュパーゲル(アスパラ)数本にオランダ風ソースを十分にかけるのが、私の好みである。取立ての新しいジャガイモを添えた料理はドイツならではの美味さだ。
これに男性向きにお肉や、ハムなどを添える場合もある。
この料理にはドライなシェリー酒が合う。いつもそれをアペリティーフに飲む。そして、メインのワインも辛口の白が定番になっている。
参考写真:白と緑のシュパーゲル -
春の旬、白シュパーゲル(アスパラ)はこの欧州ではローマ時代から栽培された記録があるそうだ。ドイツのシュパーゲルの季節は4~6月下旬が食べ頃です。
(例年4月の上旬頃に始まり、6月の洗礼者ヨハネの祝日に終ります。
因みに純白のシュパーゲルと同時期に店頭に並ぶ、外観はフキに似て赤い野菜"Rhabarberラバーバー";日本では“ルバーブ”と呼ぶ。このドイツではジャム、ケーキ、シャーベットなどのデザートに多用される。;の収穫もこの日まで)
参考写真:ドイツのシュパーゲル生産地域(2009年頃) -
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・エリカ街道(塩の道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡る、盛りだくさんの旅をした。
<使用レンタカー>
Renaut Espace R157-ディーゼル2200cc Automatic
7人乗りのルノーのバンで、長さ4.86m、高さ1.74m、幅1.89mと、今までルノー車にも、こんな大きい車にも乗ったことが無く、どうなる事か?!!
4月24日はリューベックと1295年にハンザ同盟を結んだWismarヴィスマール、
294km Rostockロストック、Stralsundシュトラールズントの北方三都市のうち、ヴィスマール、ロストックを訪ね、帰途7つの湖の町と称される古都Schwerinシュヴェリーンを経由して、リューベックに戻るというコースを計画する。
写真は2005.04.24.北ドイツ周遊:一日でリューベック=>ヴィスマール=>ロストック=>シュヴェリーン=>リューベックを回遊した。市庁舎 (ヴィスマール) 建造物
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イチオシ
この時期は、町々のマルクト広場の朝市や農家(道路際でも)の直売所で、朝一番の新鮮なSpargelシュパーゲルを買う事が出来る。
ドイツでは"Volksgemueseフォルクスゲミューゼ(ドイツ人に最も好まれる野菜)" と呼ばれているほど、季節になると好んで食べる。
レストランには“Die Spargelzeit ist da !!!(さー、春の旬、シュパーゲルがあるよ!!!)”といった看板が立つ。
日本では白アスパラの缶詰めが多く、まだまだ、なじみのないものだ。また、緑のアスパラが主流で、明治の北海道開拓と共に生産が始まったと云われている。
写真:2005.04.24.北ドイツ周遊:*Rostockロストックのシュパーゲル料理・・・レストランには“Die Spargelzeit ist da !!!(さー、春の旬、シュパーゲルがあるよ!!!)”といった看板を見て、即入店した。
・・・・・
2005年4月24日11:30世界遺産ハンザ都市Wismarヴィスマールを発ち、B105で*ロストックに向かう。
道路沿いには“アスパラ、卵 売ります!!”の看板が目に付く。
12:30、Hansestadt Rostockハンザ都市ロストックに到着し、旧市街の入口となるSteintor城門のところで、左折し、旧城壁の跡を横にみて、市電の走るLange通りに駐車する。
この世界遺産【2002年登録】のハンザ都市は800年にわたり、“北方の門”として、繁栄してきた。冷戦下においては、旧東独最大の港湾都市で、造船業が主力であったが、東西統一後は経済の不況にあえいでいるそうだ。
日曜日の所為か、人口の割に歩いている人々も、車も少ないが、やはり不況の影響もあるのだろうか?!
この町の過去の繁栄を象徴しているのは、ハンザ同盟圏で“北の光と讃えられた---バルト海沿岸で最古の大学(1419年創立)“のロストック大学---ヴィルヘルム・ピーク大学---があることだ。
大学前には英雄ブルヒャー将軍の銅像がある。プロイセン軍人で、ナポレオンを破るワーテルローの戦いに功績があったという。その横のクレペリナー通りは町一番の通り、その通りを真直ぐ行くと、ノイアー・マルクト広場に至る。
旧市街は東西1.5km、南北1kmの楕円形をしていて、その真中にノイアー・マルクトがあり、7つの小さな尖塔を持つピンク色の市庁舎を中心に、北ドイツ特有のレンガ造りの建物が立ち並び、その先に、聖マリエン教会が見える。1472年製の天文時計、1290年製の青銅洗礼盤が内部にあるそうだが、閉まっていて、残念ながら断念した。
<昼食:Ratskeller-Arkadenラーツケラー・アーケード>
0.3Lのビール、オレンジジュース込みで、Euro30と嬉しい安さだ。
(13:00~14:00)
此処では、店の前の案内板に“Die Spargelzeit ist da !!!(さー、春の旬、白アスパラがあるよ!!!)”とあるのが、目に付いた。この言葉に弱い私共は、これは食べねば、とラーツケラーに入ることにしたわけです。
“Goldhenne(黄金のメンドリ)”---豊穣や多産を祈って、ドイツでは卵や鶏をシンボルとして飾る---という名を付けた席に座って、“小さくきざんだ鮭と白アスパラのクリームスープ、オランダ風ソースをかけ、パセリ・ジャガイモを添えた、200gのフレッシュなアスパラ(大きいのを選択すると400gと倍の量です)を食べる。いやー、なんとも美味しい春の恵みだ。
・・・・・ハンザ都市ロストックのラーツケラーで旬のシュパーゲル(白アスパラ)料理を楽しんだ。 by jijidarumaさんノイアー マルクト広場 広場・公園
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14:15ロストックをスタートし、B105を戻る、途中からB106に入り、100kmの距離を南に向かう。Schwerinシュヴェリーン(Stadt der sieben Seen:7つの湖の町と称される古都)は絵葉書で見ると、湖水地帯に浮かぶ町のようだ。この町には、1時間半ほど掛かって、15:45に到着する。
街中は農業祭?を催していて、人出も多く、駐車場が見つからず、街中をぐるぐる廻る事となる。城からは遠い場所だがPfaffen Teichプファッフェンという池の側に、幸い停める事が出来た。近在からの人々も来ているのでしょう。ルノー、VW、マツダ、ホンダなどの自動車の展示もみられ、中心街の通りはビアーガーデンや食べ物の屋台で一杯である。
マルクト広場の市庁舎を経由し、Schlossstrasse城通りを城に向かう。右に戦勝記念碑、左に州立劇場、州立博物館の壮麗な建物を見て、古都一番の見物である、シュヴェリーン城(宮殿)に至る。
現在のようなシュヴェリーン城(宮殿)になったのは1843~57年のことで、フランス・ロワール地方の有名なシャンポール城をモデルにして、建てられた由。橋のこちらから見る正面は何本もの塔が林立して、その様子は、実に良く似ている。
正面外壁の一部を修復中の為、覆いがかかり、残念であったが、城の内部は城主であったメクレンブルグ大公フリードリヒ・フランツ2世の玉座や大公妃の部屋やギャラリーなどを拝観できるという。そのギャラリーではちょうど、メクレンブルグ大公保有の“マイセン磁器”が 展示中で、見事な古マイセンを見ることが出来た。
写真:2005.04.24.北ドイツ周遊:1日でリューベック=>ヴィスマール=>ロストック=>シュヴェリーン=>リューベックを回遊した。シュヴェリーン城 城・宮殿
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【中世の時代にあって、塩は“白い黄金”と呼ばれ、大変貴重なものとして、交易の主要な品となった。ドイツ北部のハンザ自由都市に繋がる“Salzstrasse・塩の道”という交易ルートが町々を結び、塩の生産地であったLüneburgリューネブルクなどは大変隆盛を誇ったと云う。
18世紀のドイツでは白いSpargelシュパーゲル(白アスパラガス)を“白い金”と呼び、王侯貴族の食べ物であったそうだ。その歴史は古く紀元前2000年に遡ると云う。因みにアスパラガスはラテン語から来ているそうで、エジプト、ギリシャ、ローマと言った時代からの野菜である。中世には薬用効果の高い、特に足の“痛風”には良い野菜として尊重され、痛風持ちの仏・太陽王ルイ14世も好んで食した事から、“王の野菜”とも称された。
(尚、現代では、アスパラギン酸は栄養ドリンクにも含まれ。疲労回復、滋養強壮に効果があるとされる。また、穂先に含まれるルチンは血行を良くし、高血圧、動脈硬化予防にも良いと言われている。)
1700年代になって、ハイデルベルグとマンハイムを本拠としたプファルツ選帝候の夏の離宮Schloss Schwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿に於いて、シュパーゲルを栽培し、王侯貴族に提供したとされている。一般市民の間で食されるようになるのは19世紀も中頃になってからだと云う。】
(2009.06.07.纏め完)
写真:2012年5月27日フランクフルト近郊にあるドイツ皇妃ヴィクトリアゆかりの5星古城ホテル クロンベルク城で本格的なシュパーゲル料理(夕食)を堪能した -
ドイツの観光街道の中で、比較的新しく開設されたものに「シュパーゲル街道」がある。いわゆるドイツで知られた白アスパラガスの生産地域である。
私が訪れたのは2012年春、ロマンチック街道、シュヴェービッシュ・アルプ街道、古城街道を旅した時だ。
写真:2012年5月27日フランクフルト近郊にあるドイツ皇妃ヴィクトリアゆかりの*5星古城ホテル クロンベルク城で本格的なシュパーゲル料理(夕食)を堪能した:家内は8本のシュパーゲルにジャガイモ3個、オランダ風ソースかけ。私はそれに仔牛のメダリオン2個を追加した(先の写真)
・・・・・
*Schlosshotel Kronberg 古城ホテル クロンベルク城
D- 61476 Kronberg 、Hainstrasse 25
120号室(2階) Euro205(20,896円)
Tel:+49 (0) 6173-701 01
http://www.schlosshotel-kronberg.de/
フランクフルトの北西にTaunusタウナスと呼ばれる丘陵地帯が続く。この辺りはフランクフルトの高級住宅街になっているので、クロンベルクの町は小さいながらも、瀟洒な店が多いと云う。その町外れに古城ホテル クロンベルク城がある。
美しいタウナスの森に位置する5星古城ホテルは全部で58室と規模も大きい。
DZ室料は早期予約割引価格だったが、Euro155+朝食代2人分Euro 50=Euro205でした。
チェックイン15時=>チェクアウト時間が12時で大変ありがたいものだった。
120号室(2階)はレセプションにも近い、古城ホテルの右手部分にあたる。ゴブラン織りの壁掛けが架かった階段でも、エレベーターでも上がれる。
森に囲まれ、直営のゴルフコース18ホール(パー68)のゴルフ場を持つ5星の古城ホテルはさすがに格調高く、広い部屋と立派なベッド、家具・調度、広い浴室には値段以上のものがある。
グルメレストランはSchlossrestaurantシュロスレストランと称し、フレンチ料理を主としている。時代がかった素晴しい室内は皇妃ヴィクトリアと皇帝フリードリヒ3世の肖像画だろう絵画が壁にかけられ、天井も高々とし、立派な暖炉を中心にした40席のレストランである。
シュロスレストランと隣り合わせの間には、Roter Salon 赤のサロン(客間)と称するレストランがある。かつて皇妃ヴィクトリアが蒐集した芸術品などを収納・展示していた場所であったようです。それ以前は社交のサロンとしても使われたのでしょう。105㎡と広めの部屋で、素晴しいべルギー製のゴブラン織りの壁掛けや、見事な大きな暖炉がある。
宿泊客の通常の夕食にはシュロスレストランが使われますが、赤のサロンは祝宴用(正式な晩餐会などに)に使用され、これ以外にも緑のサロン、青のサロンといったものもある。
暖かな季節のなると、ゴルフコースに面して、日除けで覆われた広いテラスレストランがオープンする。この日の夕食はこちらで食べた。 -
城の歴史;
元々はFriedrich III.ドイツ皇帝フリードリヒ3世(1831~1888年)の皇妃Victoria Adelaide Mary Louiseヴィクトリア・アデレイド・メアリ・ルイーズ(1840~1901年)が、その余生を過ごした所である。
ヴィクトリアは1840年に英国女王ヴィクトリアの長女に生まれ、18歳でプロイセン皇太子フリードリヒ3世に嫁いだ。義父であったドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が91歳まで長生きした事もあり、夫フリードリヒ3世は皇位にたった99日間就いただけであったと云う。1888年、ドイツ皇帝フリードリヒ3世は1世の死後3ヶ月で急逝した。ヴィクトリアが48歳の時でしたが、その為3ヶ月間しか皇后の座に就くことができなかったことになる。
急遽、息子のヴィルヘルム2世(ドイツ最後の皇帝;1859~1941年)が後を継いだ。
皇帝フリードリヒ3世の死後、皇妃ヴィクトリアの為に建てられたチューダ―様式の城館は1889~94年に建設され、広々とした英国風庭園、バラ園が周囲を囲み、城内の家具、調度品、絵画などの芸術品も彼女の愛したものばかりが飾られた。
1901年、61歳の皇妃ヴィクトリアはこの城で死去した。
城館は“Das kaiserliche Schloss皇帝の城”に相応しく、1954年にオープンした古城ホテルのロビー、廊下、レストラン、客室に、現在も彼女の愛したものが見事に残されている。
最大のロイヤルスイート114号はドイツ最後の皇帝となったヴィルヘルム2世が滞在したことで知られる。
写真:2012年5月28日フランクフルト近郊にあるドイツ皇妃ヴィクトリアゆかりの*5星古城ホテル クロンベルク城で・・・テラスレストラン、ゴルフ場シュロスホテル クロンベルク ホテル
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<Badische Spargelstraßeバーデン地方シュパーゲル街道>
1994年開設の バーデン地方シュパーゲル街道が、最初に創設されたシュパーゲル街道(街道Map参照)のようで、どちらかというと、この地域の町々を訪れたことが多い。
全長136kmの行程には、あのプファルツ選帝侯の夏の宮殿、城内劇場(ロココ劇場)で開催される「シュヴェツィンゲン音楽祭」で国際的に知られているSchwetzingenシュヴェツィンゲンを中心にしている。
この町がシュパーゲルの町と呼ばれる所以は、ここの宮殿でシュパーゲルの栽培が行われるようになり、ここからシュパーゲルを食す習慣が広まったからだ。
参考写真:Badische Spargelstraßeバーデン地方シュパーゲル街道Map -
さらに、Hockenheimホッケンハイム、Reilingenライリンゲン、St. Leon-Rotザンクト・レオン・ロート、Bruchsalブルッフザール、 Karlsruheカールスルーエ、 Bietigheimビーティヒハイム、 Rastattラシュタットなどの町が続き、Scherzheimシェルツハイム( einem Ortsteil von LichtenauリヒテナウといったBaden-Württembergバーデン・ヴュルテンベルク州の町々を繋いでいる
参考写真:Badische Spargelstraße bei Hockenheimホッケンハイムのシュパーゲルの畑 -
<Niedersächsische Spargelstraßeニーダーザクセン シュパーゲル街道>は、どのようなルートかなと思って、手持ちのドイツの観光本Atlas(1977&78年版)で見てみました。残念にも古すぎて載っていませんでした。
検索してみたら、1999年開設。ニーダーザクセン州内を繋ぐ、全長750kmと長い距離の街道であるとありました。
生産地域としてはHannoverハノーファー、 Braunschweigブラウンシュバイク、Lüneburger Heideリューネブルガーハイデ、 Mittelweserミッテルヴェーザー、 Oldenburger Münsterlandオルデンブルガーミュンスターラントがある。
また、支路としてBurgdorfブルクドルフ über Nienburg/Weserニーンブルク/ヴェーザー (2005年創立のシュパーゲル博物館がある)、 Bruchhausen-Vilsenブルーフハウゼン・フィルゼン und Bassumバッスム bis nach Sulingenズーリンゲンの行程もある。
その他、調べてみると、こんな街道もありました。
<Spargelstraße Schleswig-Holsteinシュレースヴィヒ・ホルシュタイン(州)シュパーゲル街道>・・・2003年開設の街道。全長650km 。
<Spargelstraße Nordrhein-Westfalenノルトライン・ヴェストファーレン(州)シュパーゲル街道>・・・2005年開設。全長1,290km。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2024年6月6日Wiki/HP参考、訳・編集追記)
参考写真:Niedersächsische Spargelstraßeニーダーザクセン(州)シュパーゲル街道の看板・・・ニーダーザクセン シュパーゲル街道についてbeachさんが旅行記を書かれていたので、私も観光街道であるシュパーゲル街道について書いてみた。
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