調布・狛江旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2022年9月7日(水)夕方の6時半前、京王線飛田給駅の500m北にある味の素スタジアムへ。東京都が所有する多目的スタジアムで、正式には東京スタジアム。2003年から食品企業大手の味の素がネーミングライツを取得して味の素スタジアム(略称味スタ)の呼称を用いている。Jリーグ、FC東京と東京ヴェルディのホームスタジアム。<br /><br />収容人員は49970人。上層と下層の2層からなり、スタンド外周には、下層スタンド最上段に直結した開放型のコンコースが設置され、スタジアムを1周できる。上層スタンドへはコンコースから計20ヶ所の階段が設けられている。上層スタンドのほぼ全体と下層スタンドの上段は、屋根で覆われている。南北両サイドスタンドに三菱電機製のオーロラビジョンが設置されている(下の写真1)。<br /><br />2001年3月開場。元々は2013年に開催される第68回国民体育大会の主会場となることを想定して陸上競技場として設計されたが、補助グラウンドの整備が遅れ、日本陸連の公認を得られず、しばらくはサッカー・ラグビーなど球技専用の競技場として利用された。その後、2012年に全天候型トラックの整備が行われ、公認を得て、現在は陸上トラックも利用されている。<br /><br />2002日韓ワールドカップではサウジアラビア代表の練習場として使用された。また、オフィシャルコンサートの開催地ともなった。その後、こうした野外コンサートや種々のイベントの会場として使用されている。2011年の東日本大震災では被災者を約3か月間受け入れた。<br /><br />1973年に在日米軍から返還された東京調布飛行場の跡地の一角にあり、北東に伊豆諸島を結ぶ航路が発着する調布飛行場が隣接している。知らなかったわ。その他、北東に警視庁警察学校・警察大学校、さらにその北に東京外国語大学もある。<br /><br />スタジアムの南側を東西に走る国道20号(甲州街道)を越えるペデストリアンデッキと一体化したメインゲートに進み、入場する(下の写真2)。前述したが、2002年に友人とJリーグの開幕戦、FC東京対鹿島アントラーズの試合を観戦に来たことあるので、2回目の入場。なおこの時の試合はFC東京が前半に3点を挙げ、後半にも1点を追加した後にアントラーズが2点返したが、4-2でFC東京の勝利だった。<br /><br />さて、この日の試合だが、サッカー天皇杯の準々決勝。天皇杯については、この前年に新国立に決勝を見に行った記事で書いた。<br />https://4travel.jp/travelogue/11797425<br /><br />対戦するのは天皇杯2回目の優勝を狙う京都サンガと東京ヴェルディ。サンガの話は置いといて、東京ヴェルディは1969年創部の読売サッカークラブを前身とするJリーグオリジナル10の1つで、Jリーグ初代王者。現在の正式名称は東京ヴェルディ1969。ヴェルディ(Verdy)はポルトガル語の「Verde」の造語で、読売クラブ時代からのチームカラーの緑から来ている。<br /><br />Jリーグ初期のトップチームで、神奈川県川崎市の等々力陸上競技場をホームスタジアムとしたヴェルディ川崎として1993年、1994年と2年連続して優勝し、Jリーグカップ(当時はナビスコカップ)も1992年から3年連続優勝したが、1995年のリーグ戦はセカンドステージは制したもののチャンピオンシップでマリノスに敗れ、以後天皇杯は1996年と2004年に制覇したが、リーグ戦では強さを取り戻すことはなかった。<br /><br />なお、読売クラブ時代は1972年にJSL2部に、1978年にJSL1部に昇格し、JSL1部優勝5回、天皇杯優勝5回、JSLカップ優勝3回を数える強豪チームだった。J開幕後もクラブ時代からの中心選手であったラモス瑠偉や三浦知良、武田修宏、北澤豪、都並敏史らが初期のヴェルディの快進撃を支えた。<br /><br />2001年に東京都に移転、東京ヴェルディとなるが、2005年にスーパーカップを制しながら18チーム中17位となりJ2に降格。2007年に2位となりJ1に復帰するが、1年で再び降格。この年(2022年)のシーズンも最終的にJ2で9位だった。<br /><br />しかしその後だが、2023年のJ2リーグで3位となり、清水エスパルスとの昇格プレーオフを劇的なゴールで引き分けに持ち込み、2024シーズンに16年振りにJ1復帰。現在(2024年7月)は20チーム中10位と中位に付けている。<br /><br />7時3分キックオフの試合は、前半と後半にサンガのパウリーニョ(Paulinho)が2得点を挙げ、ヴェルディの反撃を1点に抑えて11年振りにベスト4に進出した。その11年前は決勝に進出し、旧国立競技場の元旦決戦を見に行ったが、負けちゃったなあ・・・<br /><br />この試合、2得点のパウリーニョに代わって入った山田楓喜君が、今やヴェルディのエースだよな。まあ、レンタルなんで、個人的には今年もサンガ残留して来シーズン、エースとして活躍して欲しい。なんで、オリンピック代表じゃなくサポートメンバーなの?<br /><br />あと、この試合でヴェルディのMFとしてフル出場した加藤弘堅君は市船出身でサンガに入団して2008年から4シーズン、サンガで活躍(?)してたので懐かしかった。今(2024シーズン)はAC長野パルセイロにいるようだ。頑張れ!<br /><br />ハーフタイムに甲府で買ってきた山賊焼きを戴く。甲府名物と云うより松本市や塩尻市を中心とする中信地方で親しまれている、鶏の一枚肉をタレに漬け込み、片栗粉をまぶして揚げた郷土料理。 山賊は物を“とりあげる”ことから、“鶏を揚げる”料理を山賊焼きと呼ぶようになったそうだ(諸説あり)。<br /><br />そう云えば、前半の後半からまた雨が強くなってきて、私の席は下層の前の方だったので、観客数2454人と空いてたし、屋根の下に避難した。この観客数なので上層はクローズだった。昔来た時の席は上層だったと思う・・・<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8213713435365275&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />試合終了後は飛田給駅に戻り、京王線に乗車。新宿行に乗り調布で特急に乗り換え、明大前で井の頭線に乗り換え。井の頭線は前述したが、京王電鉄の狭軌路線。帝都電鉄として1933年(昭和8年)に渋谷・井の頭公園間を開業、翌年吉祥寺まで延伸されて全線開通した。<br /><br />1940年(昭和15年)に小田原急行鉄道に合併され、同社の帝都線となる。小田原急行鉄道は翌年には合併により小田急電鉄となり、さらに1942年にはさらなる合併で東京急行電鉄(大東急)の井の頭線となる。京王(当時は京王帝都電鉄)の井の頭線となったのは戦後の1948年だった。<br /><br />10分も掛からず渋谷に到着し、今度は東横線に乗り換え。渋谷と横浜を結ぶ東急の路線で、起終点駅含む21駅、24.2kmをJR在来線と同じ1067mmの狭軌、全線複線(一部複々線)電化で結ぶ。<br /><br />1926年(大正15年)に東京横浜電鉄として丸子多摩川(現多摩川)・神奈川(反町・横浜間の駅で廃止された)間を開業。この時点では現在の東急目黒線(当時目黒蒲田電鉄目蒲線)と乗り入れして目黒からの直通運転を行った。翌年渋谷までが開通しこの乗り入れは廃止された。ただし、現在も日吉までの乗り入れが行われている。渋谷・桜木町(廃止)間の全線開通は1932年(昭和7年)。<br /><br />1964年に中目黒駅で地下鉄日比谷線との相互乗り入れ開始。2001年に私が東京に単身で赴任した頃はこの状態だった。私の赴任中の2004年に横浜駅での横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転が開始され、横浜・高島町・桜木町間(2.1km)の営業が終了した。私は桜木町時代も含めて、全線利用したことはある。蒲田に住んでいたので、渋谷に出るのに東急多摩川線経由で利用していた。<br /><br />その後、2013年に東京メトロ副都心線との相互直通運転が開始され、東横線の渋谷駅も高架ホームから地下ホームに移転した。この時点で地下鉄日比谷線との相互直通運転は廃止された。<br /><br />さらに2023年に日吉から新横浜の間の東急新横浜線が開通し、直通運転が行われるようになったが、この時点ではそれはまだ未来の話だった。<br /><br />で、この日の乗り換えだが、私が2013年の東京メトロ副都心線との相互直通運転開始以降で、東横線渋谷駅を利用するのが初めてでちょっと戸惑ったわ。<br /><br />ついでに東急(東急電鉄)にも触れる。日本の大手私鉄の一つで東急グループの中核事業である鉄道事業を負っている。1918年(大正7年)に渋沢栄一が設立した田園都市(株)を始祖とする。<br /><br />1923年(大正12年)に目黒蒲田電鉄の目黒線(目黒・丸子(現在の沼部))を開通させるが、この時点で田園都市(株)のトップだった小林一三(阪急グループ創始者)が呼び寄せたのが鉄道官僚だった五島慶太で、東急電鉄の事実上の創業者となった。<br /><br />目黒線開通から約半年後に蒲田まで延長して目蒲線全線開通。1926年(大正15年)に叙述のように東京横浜電鉄が一部開通し、1932年(昭和7年)に全線開通。その間に1929年(昭和4年)に目黒蒲田電鉄大井町線が全線開通している。<br /><br />1934年(昭和9年)には1922年(大正11年)開業の池上電気鉄道の池上線を合併。1938年(昭和13年)には1907年(明治40年)開業の玉川電気鉄道(玉川線)を合併。1939年(昭和14年)に目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄を吸収合併し、東京横浜電鉄に商号変更する。さらに1942年(昭和17年)には京浜電気鉄道と小田急電鉄を合併し、東京急行電鉄(いわゆる大東急)となる。翌年には京王電気軌道も合併した。<br /><br />戦後になって1948年に大東急が解体され、現在の東急にあたる東京急行電鉄が発足。その後は田園都市線、新玉川線が1978年に直通運転を開始し、翌年には現在の東京メトロ半蔵門線との直通運転を開始した。田園都市線の全線開通は1984年。2019年に東急グループの中核をなす事業持株会社として東急(株)を発足させ、鉄道会社を東急電鉄に商号変更した。<br /><br />現在は東横線、田園都市線、大井町線、目黒線、池上線、東急新横浜線、東急多摩川線、こどもの国線の鉄道線8路線105.7kmと軌道線の世田谷線5.0kmの計110.7kmの路線を保有している。また、東京メトロ副都心線、東京メトロ南北線、東京メトロ半蔵門線、都営三田線、横浜高速鉄道みなとみらい線、相鉄新横浜線との直通運転も行っている。<br /><br />10時前に渋谷を出た東横線電車はそのまま横浜駅で横浜高速鉄道みなとみらい線に乗り入れ、10時半過ぎに馬車道駅で下車する(下の写真3)。2004年のみなとみらい線の開通と同時に開業した駅。2020年に横浜市役所が駅最寄りの北仲通南地区に移転したことから、副名称「横浜市役所」が追加された。島式ホーム1面2線を有する地下駅。<br /><br />みなとみらい線は2004年に開通した横浜高速鉄道の路線で、横浜駅と元町・中華街駅までを結んでいる。起終点駅含む6駅、4.1kmを、1067mmの狭軌、全線複線電化で結ぶ。全線が地下区間の路線だが、国土交通省の分類では地下鉄ではない。<br /><br />全ての列車が全線通しで運転され、元町・中華街行の始発列車が横浜発である以外は、全列車が東急東横線と相互直通運転を実施している。また、2013年の東急東横線の東京メトロ副都心線との相互直通運転開始以後は、元町・中華街からも副都心線やさらに東武東上線、西武線との直通運転が行われている。<br /><br />横浜高速鉄道は東急のこどもの国線を保有しているが、1997年にこどもの国線を通勤線化するにあたり鉄道施設を譲受したもので、実質的には1989年、みなとみらい線のために設立された横浜市や神奈川県などが出資する第三セクターの鉄道会社。最大株主は東急。<br /><br />コンビニで朝食の買い出しして11時前、馬車道駅の数本南の相生通りにあるビジネスホテルにチェックイン。長い1日が終わった。<br /><br /><br />2日目終了。3日目に続く

東京 調布 味スタ 天皇杯準々決勝(Soccer Emperor's Cup,Chofu,Tokyo,Japan)

5いいね!

2022/09/07 - 2022/09/07

692位(同エリア968件中)

ちふゆ

ちふゆさん

2022年9月7日(水)夕方の6時半前、京王線飛田給駅の500m北にある味の素スタジアムへ。東京都が所有する多目的スタジアムで、正式には東京スタジアム。2003年から食品企業大手の味の素がネーミングライツを取得して味の素スタジアム(略称味スタ)の呼称を用いている。Jリーグ、FC東京と東京ヴェルディのホームスタジアム。

収容人員は49970人。上層と下層の2層からなり、スタンド外周には、下層スタンド最上段に直結した開放型のコンコースが設置され、スタジアムを1周できる。上層スタンドへはコンコースから計20ヶ所の階段が設けられている。上層スタンドのほぼ全体と下層スタンドの上段は、屋根で覆われている。南北両サイドスタンドに三菱電機製のオーロラビジョンが設置されている(下の写真1)。

2001年3月開場。元々は2013年に開催される第68回国民体育大会の主会場となることを想定して陸上競技場として設計されたが、補助グラウンドの整備が遅れ、日本陸連の公認を得られず、しばらくはサッカー・ラグビーなど球技専用の競技場として利用された。その後、2012年に全天候型トラックの整備が行われ、公認を得て、現在は陸上トラックも利用されている。

2002日韓ワールドカップではサウジアラビア代表の練習場として使用された。また、オフィシャルコンサートの開催地ともなった。その後、こうした野外コンサートや種々のイベントの会場として使用されている。2011年の東日本大震災では被災者を約3か月間受け入れた。

1973年に在日米軍から返還された東京調布飛行場の跡地の一角にあり、北東に伊豆諸島を結ぶ航路が発着する調布飛行場が隣接している。知らなかったわ。その他、北東に警視庁警察学校・警察大学校、さらにその北に東京外国語大学もある。

スタジアムの南側を東西に走る国道20号(甲州街道)を越えるペデストリアンデッキと一体化したメインゲートに進み、入場する(下の写真2)。前述したが、2002年に友人とJリーグの開幕戦、FC東京対鹿島アントラーズの試合を観戦に来たことあるので、2回目の入場。なおこの時の試合はFC東京が前半に3点を挙げ、後半にも1点を追加した後にアントラーズが2点返したが、4-2でFC東京の勝利だった。

さて、この日の試合だが、サッカー天皇杯の準々決勝。天皇杯については、この前年に新国立に決勝を見に行った記事で書いた。
https://4travel.jp/travelogue/11797425

対戦するのは天皇杯2回目の優勝を狙う京都サンガと東京ヴェルディ。サンガの話は置いといて、東京ヴェルディは1969年創部の読売サッカークラブを前身とするJリーグオリジナル10の1つで、Jリーグ初代王者。現在の正式名称は東京ヴェルディ1969。ヴェルディ(Verdy)はポルトガル語の「Verde」の造語で、読売クラブ時代からのチームカラーの緑から来ている。

Jリーグ初期のトップチームで、神奈川県川崎市の等々力陸上競技場をホームスタジアムとしたヴェルディ川崎として1993年、1994年と2年連続して優勝し、Jリーグカップ(当時はナビスコカップ)も1992年から3年連続優勝したが、1995年のリーグ戦はセカンドステージは制したもののチャンピオンシップでマリノスに敗れ、以後天皇杯は1996年と2004年に制覇したが、リーグ戦では強さを取り戻すことはなかった。

なお、読売クラブ時代は1972年にJSL2部に、1978年にJSL1部に昇格し、JSL1部優勝5回、天皇杯優勝5回、JSLカップ優勝3回を数える強豪チームだった。J開幕後もクラブ時代からの中心選手であったラモス瑠偉や三浦知良、武田修宏、北澤豪、都並敏史らが初期のヴェルディの快進撃を支えた。

2001年に東京都に移転、東京ヴェルディとなるが、2005年にスーパーカップを制しながら18チーム中17位となりJ2に降格。2007年に2位となりJ1に復帰するが、1年で再び降格。この年(2022年)のシーズンも最終的にJ2で9位だった。

しかしその後だが、2023年のJ2リーグで3位となり、清水エスパルスとの昇格プレーオフを劇的なゴールで引き分けに持ち込み、2024シーズンに16年振りにJ1復帰。現在(2024年7月)は20チーム中10位と中位に付けている。

7時3分キックオフの試合は、前半と後半にサンガのパウリーニョ(Paulinho)が2得点を挙げ、ヴェルディの反撃を1点に抑えて11年振りにベスト4に進出した。その11年前は決勝に進出し、旧国立競技場の元旦決戦を見に行ったが、負けちゃったなあ・・・

この試合、2得点のパウリーニョに代わって入った山田楓喜君が、今やヴェルディのエースだよな。まあ、レンタルなんで、個人的には今年もサンガ残留して来シーズン、エースとして活躍して欲しい。なんで、オリンピック代表じゃなくサポートメンバーなの?

あと、この試合でヴェルディのMFとしてフル出場した加藤弘堅君は市船出身でサンガに入団して2008年から4シーズン、サンガで活躍(?)してたので懐かしかった。今(2024シーズン)はAC長野パルセイロにいるようだ。頑張れ!

ハーフタイムに甲府で買ってきた山賊焼きを戴く。甲府名物と云うより松本市や塩尻市を中心とする中信地方で親しまれている、鶏の一枚肉をタレに漬け込み、片栗粉をまぶして揚げた郷土料理。 山賊は物を“とりあげる”ことから、“鶏を揚げる”料理を山賊焼きと呼ぶようになったそうだ(諸説あり)。

そう云えば、前半の後半からまた雨が強くなってきて、私の席は下層の前の方だったので、観客数2454人と空いてたし、屋根の下に避難した。この観客数なので上層はクローズだった。昔来た時の席は上層だったと思う・・・
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8213713435365275&type=1&l=223fe1adec

試合終了後は飛田給駅に戻り、京王線に乗車。新宿行に乗り調布で特急に乗り換え、明大前で井の頭線に乗り換え。井の頭線は前述したが、京王電鉄の狭軌路線。帝都電鉄として1933年(昭和8年)に渋谷・井の頭公園間を開業、翌年吉祥寺まで延伸されて全線開通した。

1940年(昭和15年)に小田原急行鉄道に合併され、同社の帝都線となる。小田原急行鉄道は翌年には合併により小田急電鉄となり、さらに1942年にはさらなる合併で東京急行電鉄(大東急)の井の頭線となる。京王(当時は京王帝都電鉄)の井の頭線となったのは戦後の1948年だった。

10分も掛からず渋谷に到着し、今度は東横線に乗り換え。渋谷と横浜を結ぶ東急の路線で、起終点駅含む21駅、24.2kmをJR在来線と同じ1067mmの狭軌、全線複線(一部複々線)電化で結ぶ。

1926年(大正15年)に東京横浜電鉄として丸子多摩川(現多摩川)・神奈川(反町・横浜間の駅で廃止された)間を開業。この時点では現在の東急目黒線(当時目黒蒲田電鉄目蒲線)と乗り入れして目黒からの直通運転を行った。翌年渋谷までが開通しこの乗り入れは廃止された。ただし、現在も日吉までの乗り入れが行われている。渋谷・桜木町(廃止)間の全線開通は1932年(昭和7年)。

1964年に中目黒駅で地下鉄日比谷線との相互乗り入れ開始。2001年に私が東京に単身で赴任した頃はこの状態だった。私の赴任中の2004年に横浜駅での横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転が開始され、横浜・高島町・桜木町間(2.1km)の営業が終了した。私は桜木町時代も含めて、全線利用したことはある。蒲田に住んでいたので、渋谷に出るのに東急多摩川線経由で利用していた。

その後、2013年に東京メトロ副都心線との相互直通運転が開始され、東横線の渋谷駅も高架ホームから地下ホームに移転した。この時点で地下鉄日比谷線との相互直通運転は廃止された。

さらに2023年に日吉から新横浜の間の東急新横浜線が開通し、直通運転が行われるようになったが、この時点ではそれはまだ未来の話だった。

で、この日の乗り換えだが、私が2013年の東京メトロ副都心線との相互直通運転開始以降で、東横線渋谷駅を利用するのが初めてでちょっと戸惑ったわ。

ついでに東急(東急電鉄)にも触れる。日本の大手私鉄の一つで東急グループの中核事業である鉄道事業を負っている。1918年(大正7年)に渋沢栄一が設立した田園都市(株)を始祖とする。

1923年(大正12年)に目黒蒲田電鉄の目黒線(目黒・丸子(現在の沼部))を開通させるが、この時点で田園都市(株)のトップだった小林一三(阪急グループ創始者)が呼び寄せたのが鉄道官僚だった五島慶太で、東急電鉄の事実上の創業者となった。

目黒線開通から約半年後に蒲田まで延長して目蒲線全線開通。1926年(大正15年)に叙述のように東京横浜電鉄が一部開通し、1932年(昭和7年)に全線開通。その間に1929年(昭和4年)に目黒蒲田電鉄大井町線が全線開通している。

1934年(昭和9年)には1922年(大正11年)開業の池上電気鉄道の池上線を合併。1938年(昭和13年)には1907年(明治40年)開業の玉川電気鉄道(玉川線)を合併。1939年(昭和14年)に目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄を吸収合併し、東京横浜電鉄に商号変更する。さらに1942年(昭和17年)には京浜電気鉄道と小田急電鉄を合併し、東京急行電鉄(いわゆる大東急)となる。翌年には京王電気軌道も合併した。

戦後になって1948年に大東急が解体され、現在の東急にあたる東京急行電鉄が発足。その後は田園都市線、新玉川線が1978年に直通運転を開始し、翌年には現在の東京メトロ半蔵門線との直通運転を開始した。田園都市線の全線開通は1984年。2019年に東急グループの中核をなす事業持株会社として東急(株)を発足させ、鉄道会社を東急電鉄に商号変更した。

現在は東横線、田園都市線、大井町線、目黒線、池上線、東急新横浜線、東急多摩川線、こどもの国線の鉄道線8路線105.7kmと軌道線の世田谷線5.0kmの計110.7kmの路線を保有している。また、東京メトロ副都心線、東京メトロ南北線、東京メトロ半蔵門線、都営三田線、横浜高速鉄道みなとみらい線、相鉄新横浜線との直通運転も行っている。

10時前に渋谷を出た東横線電車はそのまま横浜駅で横浜高速鉄道みなとみらい線に乗り入れ、10時半過ぎに馬車道駅で下車する(下の写真3)。2004年のみなとみらい線の開通と同時に開業した駅。2020年に横浜市役所が駅最寄りの北仲通南地区に移転したことから、副名称「横浜市役所」が追加された。島式ホーム1面2線を有する地下駅。

みなとみらい線は2004年に開通した横浜高速鉄道の路線で、横浜駅と元町・中華街駅までを結んでいる。起終点駅含む6駅、4.1kmを、1067mmの狭軌、全線複線電化で結ぶ。全線が地下区間の路線だが、国土交通省の分類では地下鉄ではない。

全ての列車が全線通しで運転され、元町・中華街行の始発列車が横浜発である以外は、全列車が東急東横線と相互直通運転を実施している。また、2013年の東急東横線の東京メトロ副都心線との相互直通運転開始以後は、元町・中華街からも副都心線やさらに東武東上線、西武線との直通運転が行われている。

横浜高速鉄道は東急のこどもの国線を保有しているが、1997年にこどもの国線を通勤線化するにあたり鉄道施設を譲受したもので、実質的には1989年、みなとみらい線のために設立された横浜市や神奈川県などが出資する第三セクターの鉄道会社。最大株主は東急。

コンビニで朝食の買い出しして11時前、馬車道駅の数本南の相生通りにあるビジネスホテルにチェックイン。長い1日が終わった。


2日目終了。3日目に続く

  • 写真1 味の素スタジアム北側オーロラビジョン

    写真1 味の素スタジアム北側オーロラビジョン

  • 写真2 味の素スタジアム正面

    写真2 味の素スタジアム正面

  • 写真3 みなとみらい線 馬車道駅

    写真3 みなとみらい線 馬車道駅

5いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP