身延旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2022年9月7日(水)朝の9時前、久遠寺の本堂の左手を奥に進んで、ロープウェイで奥の院へ向かう。本堂のすぐ横の崖には西谷せいしん駐車場と境内を結ぶ斜行エレベーターの乗降口がある。2009年に五重塔の附帯事業の一つとして完成したもの(下の写真1)。<br /><br />その横に身延の六老杉の説明板がある(下の写真2)。雨で霞んで全く分からないのだが、本堂の西側の崖の先が日蓮聖人が草庵を置いた西谷で、六老杉はその谷の奥左手の鷹取山の東斜面で、ひときわ目立つ高い杉。いや、さっぱり分からん。<br /><br />聖人が草庵を開かれた時、草庵は西谷の谷底にあったため畑を作る土地がなかった。そのため法弟の六老僧をはじめとする高弟等が急な坂道をよじ登って山頂の平坦部を開墾し、わずかに野菜を栽培した。そのときに杉を植栽したので世に「六老杉」と呼ばれるようになったそうだ。昭和の初めには4本残ってたそうだが、現在は1本だけになっているらしい。1988年の調査では幹囲9.45m、樹高45mとある。<br /><br />本堂の奥からナンテンの木が多く植えられていることから、南天の道と命名された遊歩道を7分ほど歩くと身延山ロープウェイの久遠寺駅が見えて来る。<br /><br />身延山ロープウェイは身延山の山麓と山頂を結ぶ三線交走式のロープウェイ。現在富士急行の持分法適用会社となっている身延登山鉄道により建設され、1963年に開業。現在のゴンドラは2021年から運用されている3代目の「知恩号」と「報恩号」。<br /><br />山麓の久遠寺駅と山頂の奥之院駅の2駅間の斜長1,665m、標高差763mを約7分で運行している。標高差763mは関東一。往復1500円。9時15分頃、奥之院駅に到着。<br /><br />標高1153mの身延山山頂は、聖人が身延山で過ごした9年間に幾度となく登り、故郷の房州小湊のご両親を偲び、追慕した霊場。六老僧(日蓮聖人が臨終の際に指名した6人の弟子)の一人の日朗上人によって江戸前期の1665年(寛文5年)に祖師堂が建てられ、現在は奥之院思親閣となっている。<br /><br />また3つの展望台があり、東に富士山・天子山塊、南に駿河湾・伊豆半島、西に七面山・安倍山系、北に早川渓谷・南アルプス・八ヶ岳連峰・甲府盆地、そして、その向こうに秩父連山と雄大な大パノラマを満喫する事が出来るそうだが、この日の天気では・・・<br /><br />奥之院駅からまずは奥之院思親閣へ。ロープウェイ駅の北東の山門を抜けて境内に。山門先には左手に日蓮聖人像があり、その先にはお守りやお札の販売所と信徒休憩所がある育恩殿、その奥に祖師堂を建てられた日朗上人像を安置している開基堂、さらに突き当りに信行会等に使用され、山務員の宿舎にもなっている大孝殿(1965年築)もある。<br /><br />1971年に造営された聖人像の横の石段を上がると、途中の左右に聖人が自ら植樹されたと伝わる御手植杉がある。石段の左右の杉はそれぞれ両親を追善したもので、さらに左側奥に立正安国祈念の杉、仁王門を抜けた先、右手の常護堂の裏に御師範道善房報恩の杉の合計4本がある。<br /><br />石段の上に仁王門。浦平次郎入道の建立で、本堂前にあったものが江戸前期の天和年間(1681年~84年)31世日脱上人代に移設された。伝運慶作の那覇延金剛(右側の阿形)と密迹金剛(左側の吽形)とが勇壮な姿を見せている。門の左手にある手水舎は2014年の大雪で倒壊したが、翌年7ヶ月掛けて修復された。<br /><br />仁王門を抜けると右手に常護堂と鐘楼。常護堂は登詣者を守護する常護菩薩を安置しており、その裏には御手植杉の御師範道善房報恩の杉がある。その左の鐘楼は江戸中期の1677年に建立されたもの。鐘銘は29世日莚上人の撰。<br /><br />反対側の左手には元政上人埋髪塚。江戸初期に、深草元政上人が慈父の遺骨を首にかけ、老母のお供をして登山し、父の骨と自己の髪とを埋めて、そこに桜木を植えたと云う塚。その左の石碑は日蓮系の宗教団体「国柱会」の創始者、田中智学の石碑で、親孝行の心を詠んだもの。<br /><br />仁王門の奥、正面には思親閣祖師堂。「親を思うお堂」と云う意味のネーミング。堂内には1680年に造られた祖師像、六老僧像、妙日・妙蓮像が奉安されている。身延町指定文化財。祖師堂の左側には1970年に奉納された釈迦像。<br /><br />釈迦像の横から奥に進むと3分ほどで北側展望台。七面山・早川渓谷・南アルプス・八ヶ岳連峰、そして奥秩父の山々を背にした甲府盆地へと続く大パノラマを望めるところだが、雨で何も見えない。<br /><br />遊歩道をロープウェイ乗り場に向かって進むと七面山展望台だが、ここも全く見えない。さらに最初に行った仁王門前の石段下近くの東側展望台にも寄るが、もちろんここも。天気さえよければ富士山が見えるそうだ。<br /><br />9時45分の下りのロープウェイに乗って本院へ戻る。境内から三門へは菩提梯を通らずに男坂で降りる。菩提梯上の五重塔脇から降り始め、途中で菩提梯を横切って、南部實長公銅像の先まで続く。本当に普通の山道。菩提梯を登った時には20分掛かったが、男坂下りは10分も掛からなかった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26086418007668210&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />10時15分過ぎ、バスターミナルに戻って来る。バスの時間まで少しあるので、ターミナル前のインド風手作りカレーの園林(おんりん)と云う店でコーヒーを戴く(下の写真3)。隣の旅館山田屋がやってる店で、なぜかコーヒーは京都のイノダコーヒの豆とのことで、短い間だが、話が弾んだ。後で考えたが、昨夜のうちにここまで来て泊まった方がよかったなあ~、1泊2食で13550円から泊まれるようだし。まあ、もう二度とは来ないだろうが・・・<br /><br />10時半のバスに乗って身延駅に戻る(下の写真4)。10分余りで駅前に到着。電車の時間まで少しあるので、駅前の土産屋(下の写真5)で土産のシャインマスカット羊羹など購入。<br /><br /><br />身延山久遠寺参拝終了で、続く

山梨 身延山久遠寺 奥の院(Kuon-ji temple Inner Sanctuary,Minobu,Yamanashi,Japan)

2いいね!

2022/09/07 - 2022/09/07

249位(同エリア298件中)

ちふゆ

ちふゆさん

2022年9月7日(水)朝の9時前、久遠寺の本堂の左手を奥に進んで、ロープウェイで奥の院へ向かう。本堂のすぐ横の崖には西谷せいしん駐車場と境内を結ぶ斜行エレベーターの乗降口がある。2009年に五重塔の附帯事業の一つとして完成したもの(下の写真1)。

その横に身延の六老杉の説明板がある(下の写真2)。雨で霞んで全く分からないのだが、本堂の西側の崖の先が日蓮聖人が草庵を置いた西谷で、六老杉はその谷の奥左手の鷹取山の東斜面で、ひときわ目立つ高い杉。いや、さっぱり分からん。

聖人が草庵を開かれた時、草庵は西谷の谷底にあったため畑を作る土地がなかった。そのため法弟の六老僧をはじめとする高弟等が急な坂道をよじ登って山頂の平坦部を開墾し、わずかに野菜を栽培した。そのときに杉を植栽したので世に「六老杉」と呼ばれるようになったそうだ。昭和の初めには4本残ってたそうだが、現在は1本だけになっているらしい。1988年の調査では幹囲9.45m、樹高45mとある。

本堂の奥からナンテンの木が多く植えられていることから、南天の道と命名された遊歩道を7分ほど歩くと身延山ロープウェイの久遠寺駅が見えて来る。

身延山ロープウェイは身延山の山麓と山頂を結ぶ三線交走式のロープウェイ。現在富士急行の持分法適用会社となっている身延登山鉄道により建設され、1963年に開業。現在のゴンドラは2021年から運用されている3代目の「知恩号」と「報恩号」。

山麓の久遠寺駅と山頂の奥之院駅の2駅間の斜長1,665m、標高差763mを約7分で運行している。標高差763mは関東一。往復1500円。9時15分頃、奥之院駅に到着。

標高1153mの身延山山頂は、聖人が身延山で過ごした9年間に幾度となく登り、故郷の房州小湊のご両親を偲び、追慕した霊場。六老僧(日蓮聖人が臨終の際に指名した6人の弟子)の一人の日朗上人によって江戸前期の1665年(寛文5年)に祖師堂が建てられ、現在は奥之院思親閣となっている。

また3つの展望台があり、東に富士山・天子山塊、南に駿河湾・伊豆半島、西に七面山・安倍山系、北に早川渓谷・南アルプス・八ヶ岳連峰・甲府盆地、そして、その向こうに秩父連山と雄大な大パノラマを満喫する事が出来るそうだが、この日の天気では・・・

奥之院駅からまずは奥之院思親閣へ。ロープウェイ駅の北東の山門を抜けて境内に。山門先には左手に日蓮聖人像があり、その先にはお守りやお札の販売所と信徒休憩所がある育恩殿、その奥に祖師堂を建てられた日朗上人像を安置している開基堂、さらに突き当りに信行会等に使用され、山務員の宿舎にもなっている大孝殿(1965年築)もある。

1971年に造営された聖人像の横の石段を上がると、途中の左右に聖人が自ら植樹されたと伝わる御手植杉がある。石段の左右の杉はそれぞれ両親を追善したもので、さらに左側奥に立正安国祈念の杉、仁王門を抜けた先、右手の常護堂の裏に御師範道善房報恩の杉の合計4本がある。

石段の上に仁王門。浦平次郎入道の建立で、本堂前にあったものが江戸前期の天和年間(1681年~84年)31世日脱上人代に移設された。伝運慶作の那覇延金剛(右側の阿形)と密迹金剛(左側の吽形)とが勇壮な姿を見せている。門の左手にある手水舎は2014年の大雪で倒壊したが、翌年7ヶ月掛けて修復された。

仁王門を抜けると右手に常護堂と鐘楼。常護堂は登詣者を守護する常護菩薩を安置しており、その裏には御手植杉の御師範道善房報恩の杉がある。その左の鐘楼は江戸中期の1677年に建立されたもの。鐘銘は29世日莚上人の撰。

反対側の左手には元政上人埋髪塚。江戸初期に、深草元政上人が慈父の遺骨を首にかけ、老母のお供をして登山し、父の骨と自己の髪とを埋めて、そこに桜木を植えたと云う塚。その左の石碑は日蓮系の宗教団体「国柱会」の創始者、田中智学の石碑で、親孝行の心を詠んだもの。

仁王門の奥、正面には思親閣祖師堂。「親を思うお堂」と云う意味のネーミング。堂内には1680年に造られた祖師像、六老僧像、妙日・妙蓮像が奉安されている。身延町指定文化財。祖師堂の左側には1970年に奉納された釈迦像。

釈迦像の横から奥に進むと3分ほどで北側展望台。七面山・早川渓谷・南アルプス・八ヶ岳連峰、そして奥秩父の山々を背にした甲府盆地へと続く大パノラマを望めるところだが、雨で何も見えない。

遊歩道をロープウェイ乗り場に向かって進むと七面山展望台だが、ここも全く見えない。さらに最初に行った仁王門前の石段下近くの東側展望台にも寄るが、もちろんここも。天気さえよければ富士山が見えるそうだ。

9時45分の下りのロープウェイに乗って本院へ戻る。境内から三門へは菩提梯を通らずに男坂で降りる。菩提梯上の五重塔脇から降り始め、途中で菩提梯を横切って、南部實長公銅像の先まで続く。本当に普通の山道。菩提梯を登った時には20分掛かったが、男坂下りは10分も掛からなかった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26086418007668210&type=1&l=223fe1adec

10時15分過ぎ、バスターミナルに戻って来る。バスの時間まで少しあるので、ターミナル前のインド風手作りカレーの園林(おんりん)と云う店でコーヒーを戴く(下の写真3)。隣の旅館山田屋がやってる店で、なぜかコーヒーは京都のイノダコーヒの豆とのことで、短い間だが、話が弾んだ。後で考えたが、昨夜のうちにここまで来て泊まった方がよかったなあ~、1泊2食で13550円から泊まれるようだし。まあ、もう二度とは来ないだろうが・・・

10時半のバスに乗って身延駅に戻る(下の写真4)。10分余りで駅前に到着。電車の時間まで少しあるので、駅前の土産屋(下の写真5)で土産のシャインマスカット羊羹など購入。


身延山久遠寺参拝終了で、続く

  • 写真1 斜行エレベーター乗降口

    写真1 斜行エレベーター乗降口

  • 写真2 身延の六老杉

    写真2 身延の六老杉

  • 写真3 園林外観

    写真3 園林外観

  • 写真4 身延山バスターミナルの身延駅行バス

    写真4 身延山バスターミナルの身延駅行バス

  • 写真5 身延駅前 山梨水晶本店

    写真5 身延駅前 山梨水晶本店

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP