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2021年9月8日(木)朝の6時45分頃、馬車道のホテルを出て桜木町駅へ向かう。ホテルのある相生町通りを西に進むと大岡川に突き当たるので、少し北にある弁天橋を渡る。横浜港と桜木町を結ぶ国道133号(本町通り)の道路橋。<br /><br />元々は1871年(明治4年)に横浜港と東海道を結ぶ横浜道に代わる近道として架橋された木造の桁橋だった。当時この橋の東詰付近にあった洲干弁天社より弁天橋と命名された。現在の橋は1976年に竣工した4代目の橋。<br /><br />鋼床板鋼鈑桁3連の桁橋で、橋長54.4m、幅は車道18m、歩道各4.5mの計27m。船舶の航行上、桁下に余裕を持たせるため、厚みを抑えた構造が採られている。四隅には、船の帆をモチーフにした親柱が立てられた。<br /><br />馬車道側の橋の袂にある桜はシドモア桜(下の写真1)。1912年(明治45年)に日本から米国首都のワシントン(Washington D.C.)へ桜の苗木3000本が贈られ、その桜はポトマック(Potomac)河畔一帯に植えられ、日米友好のシンボルとして親しまれている。この植樹に大きく貢献したのが米国の著作家・写真家・地理学者のシドモア女史(Eliza Ruhamah Scidmore)。<br /><br />彼女は1928年(昭和3年)にスイス(Switzerland)のジュネーヴ(Geneve)で72歳で亡くなったが、横浜外国人墓地に墓所がある。その傍らに1991年に里帰りして墓前に植えられたが、この里帰り桜の植樹30周年を記念して、その桜からの接ぎ木で2021年にここに植樹された。<br /><br />弁天橋が渡っているのは大岡川。金沢区にある横浜横須賀道路本線と金沢支線との釜利谷ジャンクションに近い氷取沢市民の森に源を発し、笹下川として北へ流れ、桜木町と馬車道地区との間から東京湾に注ぐ川。<br /><br />前述したように江戸末期の横浜港開港に伴って埋立が行われるまでは現在の蒔田公園辺りまでは入海で、蒔田湾と呼ばれていた。蒔田湾は現在横浜英和学院がある辺りにあった蒔田城から来たもので、「まいた」の読みは平安時代に書かれた更級日記に出て来るあすだ河(明田川)が漢字から「めいた」、そして「まいた」に変化し、それに蒔田の字が当てられたと云う説がある。<br /><br />ただし、現在はかつての入海は川の名前から大岡湾と称される。大岡の名は現在の上大岡(京急本線・横浜地下鉄ブルーライン)辺りの古名の大賀郷の「おおが」が転訛したものと云う説が有力。大賀は大神が転じたとも云われるが、詳細は不明。<br /><br />現在は京急本線と横浜地下鉄ブルーラインの弘明寺駅の間辺りの大岡川プロムナードが桜の名所として有名だが、明治初期まではもっと上流に岡村梅林や笹下城址の梅林、杉田梅林など、多く広大な梅林が広がっていた。特に杉田梅林は有名で、江戸からの観光客で賑わった。<br /><br />弁天橋の1本西の橋は歩行者専用の住吉橋。1989年竣工の橋で、2020年に完成した桜木町駅と横浜市新市庁舎を結ぶ屋根付き歩道橋のさくらみらい橋と一体化されている。弁天橋と住吉橋の間には港湾関係の作業船の係留桟橋があり船溜まりになっていて、港町横浜の面影を強く残している。<br /><br />その北、JR根岸線の鉄橋の手前には大江橋。1870年(明治3年)に横浜中心部と東海道を繋ぐ橋として架橋されたもの。橋の名は当時の県令の大江卓から採られている。現在の橋は1973年に竣工した4代目の2径間多主桁プレートガーダー橋。<br /><br />弁天橋から下流側は、すぐ右手に建つのが2020年に完成した8代目の横浜市役所庁舎。反対側の左岸には、川と並行して首都高速神奈川1号横羽線が地下を走り、弁天橋下流部分は掘り切りになっている。この部分は1978年開通。<br /><br />下流の1997年に完成した栄本町線(みなとみらい大通り)の北仲橋の先には1997年に竣工したクイーンズスクエア(Queen&#39;s Square)横浜の3棟の超高層ビルが並ぶ。その右には同じ年にパンパシフィックホテル(Pan Pacific Hotel)横浜として開業した横浜ベイホテル(Bay Hotel)東急。<br /><br />さらに右手には1991年開業のヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル(Inter Continental Yokohama Grand)によこはまコスモワールド(Cosmo World)の観覧車、コスモクロック(Cosmo Clock)21も見える。<br /><br />さくらみらい橋を歩いて桜木町駅へ。駅前からは横浜みなとみらい21地区のシンボルとも云える横浜ランドマークタワー(Landmark Tower)が見える。1993年開業。2001年に家族で観光に行ったし、下層のオフィスフロアにある会社に仕事で行ったこともあるわ。<br /><br />2014年にあべのハルカス(Harukas)が開業するまでは日本のビルで一番高かった。この時点ではまだ麻布台ヒルズ森JPタワーは建設中だったので(2023年開業)、2位だったが今は3位。高さ296.33mあるので、この日の天気では上の方は見えなかった。<br /><br />6時50分過ぎ、桜木町駅に到着。JR根岸線の駅だが、西口の地下に横浜市営地下鉄ブルーラインの駅が、東口駅前にロープウェイのYOKOHAMA AIR CABINの駅もある。JRの駅の中心はホームほぼ中央の下の南改札で、横浜駅寄りに北改札、大船寄りのホームの端に新南口がある。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26234118376231505&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />JRの桜木町駅は1872年(明治5年)に日本で最初に鉄道が開通した時に、終着駅の初代横浜駅として開業。1887年(明治20年)に官設鉄道が国府津駅まで延伸開業し、スイッチバック式の途中駅となった。<br /><br />1915年(大正4年)の2代目横浜駅開業により桜木町駅に改称し、国府津方面への路線は廃止され、東海道線の電車線の終点駅となった。戦後の1964年に根岸線が磯子駅まで開通し、同時に根岸線の途中駅となる。<br /><br />桜木町の名は、鉄道が引かれた際の埋立事業に並行して造られた川が桜木川と名付けられたことによる。なお、なぜその名が付けられたかは不明。桜木川は後に桜川に呼称が変わったが、今はない。現在の新横浜通りで、この道の通称の桜川新道にその名が残っている。<br /><br />ブルーラインの駅は1976年開業、YOKOHAMA AIR CABINは2021年開業。この他、1914年(大正3年)から1970年までは横浜市営電車の桜木町駅前停留所が、東急東横線の終着の桜木町駅が1932年(昭和7年)から2004年まではあった。市電は知らないが、東横線の桜木町駅は利用したことあるわ。<br /><br />JRの駅は島式ホーム2面3線を有する高架駅で、折り返し用の中線を2本のホームで共用している。高架下の駅舎は1989年に造られた3代目。2014年に駅ビルとしてCIAL(シァル)桜木町が併設された。CIALはJR東グループの関連会社が展開する商業施設の店舗ブランドで、全体コンセプトの「ALways Casual Intelligence(ささやかな毎日を楽しめるような身近と憧れが共存した場所)」の頭文字の組み合わせ造語。<br /><br />2004年リリースのゆずの「桜木町」は、その年に廃止された東急東横線の桜木町駅を唄った歌。また、1998年リリースの「雨と泪」のPVにはホームが登場している。また、山崎まさよしの1997年リリースの「One more time, One more chance」の舞台になっている。さらにいきものがかりの「花は桜 君は美し」(2008年)のPVは駅舎の前で撮影された。<br /><br />南改札(下の写真2)から入場し、6時52分発の南浦和行の京浜東北線に乗車する(下の写真3)。列車案内は京浜東北線になっているが、桜木町駅があるのは根岸線。横浜から桜木町を経て、根岸・杉田地区の根岸湾臨海部から丘陵地帯に開発された新興住宅地の洋光台や港南台を横切って、再び東海道本線の大船駅に至る路線。<br /><br />横浜・東京・大宮間の京浜東北線と一体で運行されており、合わせて京浜東北・根岸線と呼ばれたり、根岸線も含めて単に京浜東北線と呼ばれる。また、京浜東北線の東神奈川から横浜線に乗り入れる横浜線直通電車が一部列車を除いて桜木町折り返しで運行されている。<br /><br />横浜と桜木町の間は前述のように1872年(明治5年)に日本で最初の鉄道路線として開業。ただし、この時点では桜木町駅は横浜駅(初代)で、現在の横浜駅は1928年(昭和3年)に現在の横浜地下鉄高島町駅付近に移った2代目の横浜駅の駅舎が関東大震災で倒壊した後を継いで3代目の横浜駅として造られるまでは駅ではなかった。<br /><br />戦後になって1964年に桜木町・磯子間が開業して横浜以南が根岸線となるまでは横浜・桜木間は東海道本線の一部だった。6年後の1970年に洋光台まで延伸され、1973年に全線が開通した。現在は起終点駅含む12駅、22.1kmを、狭軌の1067mmで全線複線電化で結んでいる。<br /><br />1駅先の横浜で東海道本線に乗り換えて西に向かう。横浜から西の東海道線の開通は国府津までが1887年(明治20年)で、静岡までが1889年(明治22年)。ただし、1934年(昭和9年)の丹那トンネル開業までは現在の御殿場線経由だった。<br /><br />熱海で乗り継いで静岡に9時半過ぎに到着。予定では昼前に豊橋に到着し、豊橋市内観光して昼を食べてから帰宅する予定だったのだが、ここでトラブル発生。この日発生した雷が東海道線の変電所に落ちたため、しばらく運転を見合わせるとのこと。<br /><br />正確には忘れたが静岡駅の発車がかなり遅れ、7駅先の島田でまたストップ。結局島田を出たのは予定より1時間10分以上遅れた11時20分頃だった。夕方までには帰宅したいと思っていたので、この時点で豊橋観光は断念。次の乗り換えとなった浜松駅でのりかえじかんを利用して昼食とする。確か前にも利用したことある構内の自笑亭と云ううどん屋で、480円のカレーうどんを食す(下の写真4)。<br /><br />浜松を12時46分に出て、以後豊橋、大垣、米原で乗り換えて16時42分に京都駅の到着。近鉄で京田辺に戻って5時半前に帰宅した(下の写真5)。<br /><br /><br />以上で、富士宮、身延、甲府、天皇杯準々決勝観戦の18きっぷの旅は終了

神奈川 横浜 桜木町(Sakuragi-cho,Naka(Central) Wald,Yokohama,Kanagawa,Japan)

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2022/09/08 - 2022/09/08

7772位(同エリア10374件中)

ちふゆ

ちふゆさん

2021年9月8日(木)朝の6時45分頃、馬車道のホテルを出て桜木町駅へ向かう。ホテルのある相生町通りを西に進むと大岡川に突き当たるので、少し北にある弁天橋を渡る。横浜港と桜木町を結ぶ国道133号(本町通り)の道路橋。

元々は1871年(明治4年)に横浜港と東海道を結ぶ横浜道に代わる近道として架橋された木造の桁橋だった。当時この橋の東詰付近にあった洲干弁天社より弁天橋と命名された。現在の橋は1976年に竣工した4代目の橋。

鋼床板鋼鈑桁3連の桁橋で、橋長54.4m、幅は車道18m、歩道各4.5mの計27m。船舶の航行上、桁下に余裕を持たせるため、厚みを抑えた構造が採られている。四隅には、船の帆をモチーフにした親柱が立てられた。

馬車道側の橋の袂にある桜はシドモア桜(下の写真1)。1912年(明治45年)に日本から米国首都のワシントン(Washington D.C.)へ桜の苗木3000本が贈られ、その桜はポトマック(Potomac)河畔一帯に植えられ、日米友好のシンボルとして親しまれている。この植樹に大きく貢献したのが米国の著作家・写真家・地理学者のシドモア女史(Eliza Ruhamah Scidmore)。

彼女は1928年(昭和3年)にスイス(Switzerland)のジュネーヴ(Geneve)で72歳で亡くなったが、横浜外国人墓地に墓所がある。その傍らに1991年に里帰りして墓前に植えられたが、この里帰り桜の植樹30周年を記念して、その桜からの接ぎ木で2021年にここに植樹された。

弁天橋が渡っているのは大岡川。金沢区にある横浜横須賀道路本線と金沢支線との釜利谷ジャンクションに近い氷取沢市民の森に源を発し、笹下川として北へ流れ、桜木町と馬車道地区との間から東京湾に注ぐ川。

前述したように江戸末期の横浜港開港に伴って埋立が行われるまでは現在の蒔田公園辺りまでは入海で、蒔田湾と呼ばれていた。蒔田湾は現在横浜英和学院がある辺りにあった蒔田城から来たもので、「まいた」の読みは平安時代に書かれた更級日記に出て来るあすだ河(明田川)が漢字から「めいた」、そして「まいた」に変化し、それに蒔田の字が当てられたと云う説がある。

ただし、現在はかつての入海は川の名前から大岡湾と称される。大岡の名は現在の上大岡(京急本線・横浜地下鉄ブルーライン)辺りの古名の大賀郷の「おおが」が転訛したものと云う説が有力。大賀は大神が転じたとも云われるが、詳細は不明。

現在は京急本線と横浜地下鉄ブルーラインの弘明寺駅の間辺りの大岡川プロムナードが桜の名所として有名だが、明治初期まではもっと上流に岡村梅林や笹下城址の梅林、杉田梅林など、多く広大な梅林が広がっていた。特に杉田梅林は有名で、江戸からの観光客で賑わった。

弁天橋の1本西の橋は歩行者専用の住吉橋。1989年竣工の橋で、2020年に完成した桜木町駅と横浜市新市庁舎を結ぶ屋根付き歩道橋のさくらみらい橋と一体化されている。弁天橋と住吉橋の間には港湾関係の作業船の係留桟橋があり船溜まりになっていて、港町横浜の面影を強く残している。

その北、JR根岸線の鉄橋の手前には大江橋。1870年(明治3年)に横浜中心部と東海道を繋ぐ橋として架橋されたもの。橋の名は当時の県令の大江卓から採られている。現在の橋は1973年に竣工した4代目の2径間多主桁プレートガーダー橋。

弁天橋から下流側は、すぐ右手に建つのが2020年に完成した8代目の横浜市役所庁舎。反対側の左岸には、川と並行して首都高速神奈川1号横羽線が地下を走り、弁天橋下流部分は掘り切りになっている。この部分は1978年開通。

下流の1997年に完成した栄本町線(みなとみらい大通り)の北仲橋の先には1997年に竣工したクイーンズスクエア(Queen's Square)横浜の3棟の超高層ビルが並ぶ。その右には同じ年にパンパシフィックホテル(Pan Pacific Hotel)横浜として開業した横浜ベイホテル(Bay Hotel)東急。

さらに右手には1991年開業のヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル(Inter Continental Yokohama Grand)によこはまコスモワールド(Cosmo World)の観覧車、コスモクロック(Cosmo Clock)21も見える。

さくらみらい橋を歩いて桜木町駅へ。駅前からは横浜みなとみらい21地区のシンボルとも云える横浜ランドマークタワー(Landmark Tower)が見える。1993年開業。2001年に家族で観光に行ったし、下層のオフィスフロアにある会社に仕事で行ったこともあるわ。

2014年にあべのハルカス(Harukas)が開業するまでは日本のビルで一番高かった。この時点ではまだ麻布台ヒルズ森JPタワーは建設中だったので(2023年開業)、2位だったが今は3位。高さ296.33mあるので、この日の天気では上の方は見えなかった。

6時50分過ぎ、桜木町駅に到着。JR根岸線の駅だが、西口の地下に横浜市営地下鉄ブルーラインの駅が、東口駅前にロープウェイのYOKOHAMA AIR CABINの駅もある。JRの駅の中心はホームほぼ中央の下の南改札で、横浜駅寄りに北改札、大船寄りのホームの端に新南口がある。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26234118376231505&type=1&l=223fe1adec

JRの桜木町駅は1872年(明治5年)に日本で最初に鉄道が開通した時に、終着駅の初代横浜駅として開業。1887年(明治20年)に官設鉄道が国府津駅まで延伸開業し、スイッチバック式の途中駅となった。

1915年(大正4年)の2代目横浜駅開業により桜木町駅に改称し、国府津方面への路線は廃止され、東海道線の電車線の終点駅となった。戦後の1964年に根岸線が磯子駅まで開通し、同時に根岸線の途中駅となる。

桜木町の名は、鉄道が引かれた際の埋立事業に並行して造られた川が桜木川と名付けられたことによる。なお、なぜその名が付けられたかは不明。桜木川は後に桜川に呼称が変わったが、今はない。現在の新横浜通りで、この道の通称の桜川新道にその名が残っている。

ブルーラインの駅は1976年開業、YOKOHAMA AIR CABINは2021年開業。この他、1914年(大正3年)から1970年までは横浜市営電車の桜木町駅前停留所が、東急東横線の終着の桜木町駅が1932年(昭和7年)から2004年まではあった。市電は知らないが、東横線の桜木町駅は利用したことあるわ。

JRの駅は島式ホーム2面3線を有する高架駅で、折り返し用の中線を2本のホームで共用している。高架下の駅舎は1989年に造られた3代目。2014年に駅ビルとしてCIAL(シァル)桜木町が併設された。CIALはJR東グループの関連会社が展開する商業施設の店舗ブランドで、全体コンセプトの「ALways Casual Intelligence(ささやかな毎日を楽しめるような身近と憧れが共存した場所)」の頭文字の組み合わせ造語。

2004年リリースのゆずの「桜木町」は、その年に廃止された東急東横線の桜木町駅を唄った歌。また、1998年リリースの「雨と泪」のPVにはホームが登場している。また、山崎まさよしの1997年リリースの「One more time, One more chance」の舞台になっている。さらにいきものがかりの「花は桜 君は美し」(2008年)のPVは駅舎の前で撮影された。

南改札(下の写真2)から入場し、6時52分発の南浦和行の京浜東北線に乗車する(下の写真3)。列車案内は京浜東北線になっているが、桜木町駅があるのは根岸線。横浜から桜木町を経て、根岸・杉田地区の根岸湾臨海部から丘陵地帯に開発された新興住宅地の洋光台や港南台を横切って、再び東海道本線の大船駅に至る路線。

横浜・東京・大宮間の京浜東北線と一体で運行されており、合わせて京浜東北・根岸線と呼ばれたり、根岸線も含めて単に京浜東北線と呼ばれる。また、京浜東北線の東神奈川から横浜線に乗り入れる横浜線直通電車が一部列車を除いて桜木町折り返しで運行されている。

横浜と桜木町の間は前述のように1872年(明治5年)に日本で最初の鉄道路線として開業。ただし、この時点では桜木町駅は横浜駅(初代)で、現在の横浜駅は1928年(昭和3年)に現在の横浜地下鉄高島町駅付近に移った2代目の横浜駅の駅舎が関東大震災で倒壊した後を継いで3代目の横浜駅として造られるまでは駅ではなかった。

戦後になって1964年に桜木町・磯子間が開業して横浜以南が根岸線となるまでは横浜・桜木間は東海道本線の一部だった。6年後の1970年に洋光台まで延伸され、1973年に全線が開通した。現在は起終点駅含む12駅、22.1kmを、狭軌の1067mmで全線複線電化で結んでいる。

1駅先の横浜で東海道本線に乗り換えて西に向かう。横浜から西の東海道線の開通は国府津までが1887年(明治20年)で、静岡までが1889年(明治22年)。ただし、1934年(昭和9年)の丹那トンネル開業までは現在の御殿場線経由だった。

熱海で乗り継いで静岡に9時半過ぎに到着。予定では昼前に豊橋に到着し、豊橋市内観光して昼を食べてから帰宅する予定だったのだが、ここでトラブル発生。この日発生した雷が東海道線の変電所に落ちたため、しばらく運転を見合わせるとのこと。

正確には忘れたが静岡駅の発車がかなり遅れ、7駅先の島田でまたストップ。結局島田を出たのは予定より1時間10分以上遅れた11時20分頃だった。夕方までには帰宅したいと思っていたので、この時点で豊橋観光は断念。次の乗り換えとなった浜松駅でのりかえじかんを利用して昼食とする。確か前にも利用したことある構内の自笑亭と云ううどん屋で、480円のカレーうどんを食す(下の写真4)。

浜松を12時46分に出て、以後豊橋、大垣、米原で乗り換えて16時42分に京都駅の到着。近鉄で京田辺に戻って5時半前に帰宅した(下の写真5)。


以上で、富士宮、身延、甲府、天皇杯準々決勝観戦の18きっぷの旅は終了

  • 写真1 シドモア桜

    写真1 シドモア桜

  • 写真2 桜木町駅改札

    写真2 桜木町駅改札

  • 写真3 桜木町駅ホーム

    写真3 桜木町駅ホーム

  • 写真4 浜松駅構内自笑亭のカレーうどん

    写真4 浜松駅構内自笑亭のカレーうどん

  • 写真5 今回の土産

    写真5 今回の土産

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