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2022年9月7日(水)、身延駅(下の写真1)11時9分発の特急ふじがわ3号(下の写真2)で、甲府に向かう(自由席660円)(下の写真3)。この日は18きっぷは使わない。<br /><br />ふじがわは東海道線の静岡駅と中央本線の甲府駅間を身延線経由で結んでいる特急列車の愛称。1995年から運行されており、現在(2024年夏)は1日7往復の定期列車がある。愛称は身延線沿線を流れる富士川から採られている。<br /><br />1995年以前は同じ区間を急行富士川が走っていた。急行富士川時代は三島発着のものがあったり、普通列車として浜松や島田まで延長運転されていた時もあった。元々は1964年に運行開始した準急富士川がルーツ。準急は1966年に急行に切り替えられたが、一部は準急白糸として富士・甲府間を1968年まで走っていた。<br /><br />3両編成で運転されており、普通車のみ。1号車が全席座席指定席で、2号車・3号車は自由席だが、車端部の大型テーブル付のセミコンパートメント席は指定席となっている。 自由席に乗車。全然空いている。<br /><br />身延線は身延から北に富士山と南アルプスに挟まれた富士川流域の山岳地帯を走り、鰍沢口で甲府盆地に抜ける。昼の12時過ぎに甲府駅到着(下の写真3)。山梨県の県庁所在地である甲府市の中心駅で、市街地の中心に位置している。<br /><br />甲府市は山梨県の県庁所在地で、山梨県の国中地方に位置する中核市、保健所政令市、中枢中核都市。人口は約19万人で、県内で最多だが、都道府県庁所在地としては2番目に人口が少ない。ただし、面積も狭いため人口密度は高い。<br /><br />その面積は約212平方kmで、県内では6番目に大きい。市域は山梨県の中央を南北に三日月形に縦断しており、市街中心部は甲府盆地の中央北寄りに位置する。周囲を山々に囲まれたその地形を、一時期市内に住んだ太宰治は著書の中で、「シルクハツトを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない」と表現している。<br /><br />縄文遺跡も発見されているが、平安時代から鎌倉時代に掛けて甲斐源氏が登場するまでは歴史的にはマイナー。やはり甲斐の名を知らしめたのは武田信玄の父の信虎で、躑躅ケ崎館を築き、家臣団を集住させて新たに城下町が形成された。<br /><br />この時、甲斐国の府中という意味から甲府と命名したが、府中は律令制に基づく国衙の所在地と云う意味でなく、国の中心都市という程度の意味だった。<br /><br />以後、戦国時代には大名領国を形成した武田氏の本拠地となり、武田氏滅亡後は徳川氏や豊臣系大名浅野氏の甲斐国経営の中心となり、国中地域や甲斐国の政治的中心地と位置付けられた。江戸時代には江戸の西方の守りの要として重要視され、また甲州街道の宿場町としても栄えた。近年では、宝石研磨産業が盛んである。<br /><br />1889年(明治22年)の市制施行により甲府市が発足。その後、周辺町村の編入を続けて2006年に中道町および上九一色村北部を編入して現在の市域となった。<br /><br />甲府市関連の著名人の一部を挙げると、ジャイアンツのV9時代のエース堀内恒夫(48年生れ)は南中学から甲府商業を卒業してドラ1でジャイアンツに入団した。サッカーのヒデこと中田英寿(77年生れ)は北中学から韮崎高校に進む。大相撲現役力士の竜電(90年生れ)は池田小学校から甲斐市の竜王中に進学、さらに前橋育英高校、国士舘大学に進んだ。<br /><br />「美少女戦士セーラームーン」シリーズで知られる漫画家の武内直子(67年生れ)は北中学、甲府第一高校から共立薬科大学に進む。シンガーソングライターの宮沢和史(66年生れ)は北中学の一つ先輩で、甲府南高校から明治大学に進む。俳優の筒井真理子(60年生れ)は甲府第一高校の7つ先輩。<br /><br />俳優の柏原収史(78年生れ)は富竹中学校、甲府西高校卒業で、俳優を引退した兄の柏原崇(77年早生れ)も同じ。たのきんトリオで一世を風靡した田原俊彦(61年生れ)は東中学校から甲府工業高校を卒業。お笑いコンビ・オリエンタルラジオの藤森慎吾(83年生れ)は長野県諏訪市生れだが、父親の仕事の都合で香港に移り、高校は駿台甲府高校に進んだ。<br /><br />作家の辻村深月(80年生れ)は笛吹市出身だが山梨学院大学附属高校を卒業。サッカー日本代表の前田大然(97年生れ)も大阪出身だが、サッカー留学で山梨学院大学附属高校を卒業。<br /><br />ノーベル賞受賞の大村智(35年生れ)は韮崎市出身だが山梨大学に進んだ。ロボット工学で知られる石黒浩(63年生れ)も滋賀県高島市出身だが山梨大学卒業。サンリオを創業した辻信太郎(27年生れ)は甲府中学(現甲府第一高校)を卒業し、旧制桐生工業専門学校(現群馬大学工学部)に進んだ後山梨県庁勤務を経てサンリオを設立した。<br /><br />サッカーのFC町田ゼルビアでブレイクしている平河悠(01年生れ)は佐賀東高校卒業後山梨学院大学に進む。レスリングの東京(2020)五輪日本代表の乙黒圭祐(96年生れ)・拓斗(98年生れ)兄弟は共に笛吹市出身で山梨学院大学卒業。<br /><br />甲府駅はJR東日本の中央本線の主要駅で駅施設はJR東の所有だが、身延線はJR東海に属しているので共同使用駅となっている。1903年に官設鉄道(現在の中央本線)が東京方面から延伸され終着駅として開業、半年後に韮崎駅まで延伸され、中間駅となる。1909年(明治42年)に中央東線の名称が定められ、1911年(明治44年)に中央本線となる。<br /><br />1928年(昭和3年)に現在の身延線となる富士身延鉄道線が延伸される。富士身延鉄道線は1941年(昭和16年)に国有化され、身延線となる。1987年の国鉄分割民営化に伴い、中央本線はJR東日本、身延線はJR東海に継承され、JR東日本とJR東海の境界駅となる。<br /><br />駅は内堀に囲郭された甲府城の内城部分に位置している。現在の駅舎は城域北側の清水曲輪に相当し、曲輪には櫓や書院、城門などの施設が存在していた。明治期に甲府城は廃城となり、二の堀は埋め立てられ武家地は払い下げられて官公庁用地として開発され、甲府駅の開業に至った。<br /><br />地上駅で、南口に接して単式ホーム1面1線、その北側に島式ホーム1面2線が置かれている。さらに単式ホームの東京方が切り欠かれ、切欠き部を挟む形で身延線用の2線があり、合計2面5線。身延線ホーム位置が東端にずれているのは、元々は富士身延鉄道線で、後付けで国鉄駅に乗り入れた名残。<br /><br />現在の橋上駅舎は1984年に造られたもの。南口の駅ビル、セレオ甲府の2階に接しており、北口へは橋上駅舎から跨線橋が伸びている。1番線ホームのかふふ(甲府のこと)驛煉瓦ひろばには開業時から昭和期にかけて実際に使用された旧煉瓦倉庫や旧甲府駅の釣鐘が置かれている(下の写真3)。<br /><br />北口に出て、お昼にする。2002年に昇仙峡に行った時にバスと乗り継いだが、甲府駅を出たことがあるのはその時だけ。昇仙峡とのバスは南口に発着しているので、北口に出るのは初めて。<br /><br />幸に雨は止んだ。ペデストリアンデッキから真っ直ぐ北へ向かう武田通りに進んだところにある甲州ほうとう小作の甲府北口駅前店へ。山梨県の郷土料理として知られるほうとうが食べられる店。これまで何度か山梨に来たことあるのだが、なぜか一度も食べたことがなかったので、今回は食べようと決めていた。<br /><br />ほうとうは小麦粉を練り、ざっくりと切った太くて短い麺を、カボチャなど野菜と共に味噌仕立ての汁で煮込み、熱いうちに提供する食べ物。禅僧の手により中国から日本にもたらされた「饂飩(はくたく・はうたう)」が語源と言われ、武田信玄が野戦食として用いたことから甲州地方に広く根付いたと云われている。<br /><br />甲州ほうとう小作は1972年創業のほうとうを主力メニューとするチェーン店で、山梨県や長野県に9店舗を展開している。ちょうど昼時なので、混み合っていたが、1人なので待たずに席に着くことが出来る。<br /><br />ほうとうには季節の旬の野菜とかいろんな肉類とかがなんでも使えるようで、この店のメニューにも豚肉から鴨肉、猪肉、カキ、焼豚とか並ぶが、ほうとうと云えばやはり「かぼちゃほうとう」と云うことで、1250円で戴く。かぼちゃだけでなくキノコや野菜がいっぱいで、むちゃくちゃ量が多かった。まあ、正直そんなにうまいものではないと云うのが私の感想・・・<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26144128738563803&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />1時前に食べ終わって、いよいよ甲府観光に向かうが、続く

山梨 甲府へ(Kofu,Yamanashi,Japan)

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2022/09/07 - 2022/09/07

1227位(同エリア1253件中)

ちふゆ

ちふゆさん

2022年9月7日(水)、身延駅(下の写真1)11時9分発の特急ふじがわ3号(下の写真2)で、甲府に向かう(自由席660円)(下の写真3)。この日は18きっぷは使わない。

ふじがわは東海道線の静岡駅と中央本線の甲府駅間を身延線経由で結んでいる特急列車の愛称。1995年から運行されており、現在(2024年夏)は1日7往復の定期列車がある。愛称は身延線沿線を流れる富士川から採られている。

1995年以前は同じ区間を急行富士川が走っていた。急行富士川時代は三島発着のものがあったり、普通列車として浜松や島田まで延長運転されていた時もあった。元々は1964年に運行開始した準急富士川がルーツ。準急は1966年に急行に切り替えられたが、一部は準急白糸として富士・甲府間を1968年まで走っていた。

3両編成で運転されており、普通車のみ。1号車が全席座席指定席で、2号車・3号車は自由席だが、車端部の大型テーブル付のセミコンパートメント席は指定席となっている。 自由席に乗車。全然空いている。

身延線は身延から北に富士山と南アルプスに挟まれた富士川流域の山岳地帯を走り、鰍沢口で甲府盆地に抜ける。昼の12時過ぎに甲府駅到着(下の写真3)。山梨県の県庁所在地である甲府市の中心駅で、市街地の中心に位置している。

甲府市は山梨県の県庁所在地で、山梨県の国中地方に位置する中核市、保健所政令市、中枢中核都市。人口は約19万人で、県内で最多だが、都道府県庁所在地としては2番目に人口が少ない。ただし、面積も狭いため人口密度は高い。

その面積は約212平方kmで、県内では6番目に大きい。市域は山梨県の中央を南北に三日月形に縦断しており、市街中心部は甲府盆地の中央北寄りに位置する。周囲を山々に囲まれたその地形を、一時期市内に住んだ太宰治は著書の中で、「シルクハツトを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない」と表現している。

縄文遺跡も発見されているが、平安時代から鎌倉時代に掛けて甲斐源氏が登場するまでは歴史的にはマイナー。やはり甲斐の名を知らしめたのは武田信玄の父の信虎で、躑躅ケ崎館を築き、家臣団を集住させて新たに城下町が形成された。

この時、甲斐国の府中という意味から甲府と命名したが、府中は律令制に基づく国衙の所在地と云う意味でなく、国の中心都市という程度の意味だった。

以後、戦国時代には大名領国を形成した武田氏の本拠地となり、武田氏滅亡後は徳川氏や豊臣系大名浅野氏の甲斐国経営の中心となり、国中地域や甲斐国の政治的中心地と位置付けられた。江戸時代には江戸の西方の守りの要として重要視され、また甲州街道の宿場町としても栄えた。近年では、宝石研磨産業が盛んである。

1889年(明治22年)の市制施行により甲府市が発足。その後、周辺町村の編入を続けて2006年に中道町および上九一色村北部を編入して現在の市域となった。

甲府市関連の著名人の一部を挙げると、ジャイアンツのV9時代のエース堀内恒夫(48年生れ)は南中学から甲府商業を卒業してドラ1でジャイアンツに入団した。サッカーのヒデこと中田英寿(77年生れ)は北中学から韮崎高校に進む。大相撲現役力士の竜電(90年生れ)は池田小学校から甲斐市の竜王中に進学、さらに前橋育英高校、国士舘大学に進んだ。

「美少女戦士セーラームーン」シリーズで知られる漫画家の武内直子(67年生れ)は北中学、甲府第一高校から共立薬科大学に進む。シンガーソングライターの宮沢和史(66年生れ)は北中学の一つ先輩で、甲府南高校から明治大学に進む。俳優の筒井真理子(60年生れ)は甲府第一高校の7つ先輩。

俳優の柏原収史(78年生れ)は富竹中学校、甲府西高校卒業で、俳優を引退した兄の柏原崇(77年早生れ)も同じ。たのきんトリオで一世を風靡した田原俊彦(61年生れ)は東中学校から甲府工業高校を卒業。お笑いコンビ・オリエンタルラジオの藤森慎吾(83年生れ)は長野県諏訪市生れだが、父親の仕事の都合で香港に移り、高校は駿台甲府高校に進んだ。

作家の辻村深月(80年生れ)は笛吹市出身だが山梨学院大学附属高校を卒業。サッカー日本代表の前田大然(97年生れ)も大阪出身だが、サッカー留学で山梨学院大学附属高校を卒業。

ノーベル賞受賞の大村智(35年生れ)は韮崎市出身だが山梨大学に進んだ。ロボット工学で知られる石黒浩(63年生れ)も滋賀県高島市出身だが山梨大学卒業。サンリオを創業した辻信太郎(27年生れ)は甲府中学(現甲府第一高校)を卒業し、旧制桐生工業専門学校(現群馬大学工学部)に進んだ後山梨県庁勤務を経てサンリオを設立した。

サッカーのFC町田ゼルビアでブレイクしている平河悠(01年生れ)は佐賀東高校卒業後山梨学院大学に進む。レスリングの東京(2020)五輪日本代表の乙黒圭祐(96年生れ)・拓斗(98年生れ)兄弟は共に笛吹市出身で山梨学院大学卒業。

甲府駅はJR東日本の中央本線の主要駅で駅施設はJR東の所有だが、身延線はJR東海に属しているので共同使用駅となっている。1903年に官設鉄道(現在の中央本線)が東京方面から延伸され終着駅として開業、半年後に韮崎駅まで延伸され、中間駅となる。1909年(明治42年)に中央東線の名称が定められ、1911年(明治44年)に中央本線となる。

1928年(昭和3年)に現在の身延線となる富士身延鉄道線が延伸される。富士身延鉄道線は1941年(昭和16年)に国有化され、身延線となる。1987年の国鉄分割民営化に伴い、中央本線はJR東日本、身延線はJR東海に継承され、JR東日本とJR東海の境界駅となる。

駅は内堀に囲郭された甲府城の内城部分に位置している。現在の駅舎は城域北側の清水曲輪に相当し、曲輪には櫓や書院、城門などの施設が存在していた。明治期に甲府城は廃城となり、二の堀は埋め立てられ武家地は払い下げられて官公庁用地として開発され、甲府駅の開業に至った。

地上駅で、南口に接して単式ホーム1面1線、その北側に島式ホーム1面2線が置かれている。さらに単式ホームの東京方が切り欠かれ、切欠き部を挟む形で身延線用の2線があり、合計2面5線。身延線ホーム位置が東端にずれているのは、元々は富士身延鉄道線で、後付けで国鉄駅に乗り入れた名残。

現在の橋上駅舎は1984年に造られたもの。南口の駅ビル、セレオ甲府の2階に接しており、北口へは橋上駅舎から跨線橋が伸びている。1番線ホームのかふふ(甲府のこと)驛煉瓦ひろばには開業時から昭和期にかけて実際に使用された旧煉瓦倉庫や旧甲府駅の釣鐘が置かれている(下の写真3)。

北口に出て、お昼にする。2002年に昇仙峡に行った時にバスと乗り継いだが、甲府駅を出たことがあるのはその時だけ。昇仙峡とのバスは南口に発着しているので、北口に出るのは初めて。

幸に雨は止んだ。ペデストリアンデッキから真っ直ぐ北へ向かう武田通りに進んだところにある甲州ほうとう小作の甲府北口駅前店へ。山梨県の郷土料理として知られるほうとうが食べられる店。これまで何度か山梨に来たことあるのだが、なぜか一度も食べたことがなかったので、今回は食べようと決めていた。

ほうとうは小麦粉を練り、ざっくりと切った太くて短い麺を、カボチャなど野菜と共に味噌仕立ての汁で煮込み、熱いうちに提供する食べ物。禅僧の手により中国から日本にもたらされた「饂飩(はくたく・はうたう)」が語源と言われ、武田信玄が野戦食として用いたことから甲州地方に広く根付いたと云われている。

甲州ほうとう小作は1972年創業のほうとうを主力メニューとするチェーン店で、山梨県や長野県に9店舗を展開している。ちょうど昼時なので、混み合っていたが、1人なので待たずに席に着くことが出来る。

ほうとうには季節の旬の野菜とかいろんな肉類とかがなんでも使えるようで、この店のメニューにも豚肉から鴨肉、猪肉、カキ、焼豚とか並ぶが、ほうとうと云えばやはり「かぼちゃほうとう」と云うことで、1250円で戴く。かぼちゃだけでなくキノコや野菜がいっぱいで、むちゃくちゃ量が多かった。まあ、正直そんなにうまいものではないと云うのが私の感想・・・
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.26144128738563803&type=1&l=223fe1adec


1時前に食べ終わって、いよいよ甲府観光に向かうが、続く

  • 写真1 身延駅

    写真1 身延駅

  • 写真2 身延駅に入線する特急ふじがわ3号

    写真2 身延駅に入線する特急ふじがわ3号

  • 写真3 自由席特急券

    写真3 自由席特急券

  • 写真4 甲府駅に到着した特急ふじがわ13号

    写真4 甲府駅に到着した特急ふじがわ13号

  • 写真5 甲府駅かふふ驛煉瓦ひろば

    写真5 甲府駅かふふ驛煉瓦ひろば

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