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足助神社は香嵐渓で知られる足助町の巴川左岸沿いに鎮座します<br />この区間は以前国道153号線と国道420号線の重複区間で、足助バイパス完成後は香嵐渓の入口とも云える足助大橋を渡ると国道420号線となります

足助神社

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2024/03/07 - 2024/03/07

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wabisabi2さん

足助神社は香嵐渓で知られる足助町の巴川左岸沿いに鎮座します
この区間は以前国道153号線と国道420号線の重複区間で、足助バイパス完成後は香嵐渓の入口とも云える足助大橋を渡ると国道420号線となります

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
1.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 以前は混雑する区間でしたが、バイパスの完成によりスムーズに町内を通り抜けられるようになった<br />写真は巴橋から西方向の眺めで、国道右に続く玉垣と社叢は足助神社、足助八幡宮の鎮座地になります<br />一つの社地に足助神社、足助八幡宮が横並びに鎮座し、国道沿いにそれぞれの社頭を構えていますが、境内に入れば二社を隔てるものはありません<br /><br />右手は豊田市役所足助支所の有料車駐車場

    以前は混雑する区間でしたが、バイパスの完成によりスムーズに町内を通り抜けられるようになった
    写真は巴橋から西方向の眺めで、国道右に続く玉垣と社叢は足助神社、足助八幡宮の鎮座地になります
    一つの社地に足助神社、足助八幡宮が横並びに鎮座し、国道沿いにそれぞれの社頭を構えていますが、境内に入れば二社を隔てるものはありません

    右手は豊田市役所足助支所の有料車駐車場

  • 駐車場前の足助周辺観光マップ<br />周辺には紅葉以外にも香積寺や足助宿の趣が残る町並みはじめ、飯盛城や足助城など複数の城跡が残る歴史の町

    駐車場前の足助周辺観光マップ
    周辺には紅葉以外にも香積寺や足助宿の趣が残る町並みはじめ、飯盛城や足助城など複数の城跡が残る歴史の町

  • 紅葉やカタクリの群生が見られる飯盛山には、鎌倉末期の武将足助次郎重範の本城もあった<br />(写真は2024/3/7のもので見頃となったのは3/24でした)

    紅葉やカタクリの群生が見られる飯盛山には、鎌倉末期の武将足助次郎重範の本城もあった
    (写真は2024/3/7のもので見頃となったのは3/24でした)

  • 国道から足助神社社頭の眺め<br />右に足助神社社標があり正面の神明鳥居の先が足助神社社殿

    国道から足助神社社頭の眺め
    右に足助神社社標があり正面の神明鳥居の先が足助神社社殿

  • 境内に入ってすぐ右側に雁塚と呼ばれる一つの石と石塚の由来が解説されています<br />「牛吉さんが、置き忘れた弓で矢を放ったところ、的を外れて田圃にいた雁の雄を殺してしまった<br />その翌日から田圃には雌の雁が訪れ、雄がいない悲しさから鳴き続けたという<br />夜には殺された雁が枕元に現れるようになり、雁の呪いから逃れるため僧となり、庵を結んで雁の菩提を弔う日々を送った<br />雁を射殺してから23年を経た9月23日、辞世の句「先だちし雁や浄土の道しるべ」残し急死したという<br />奇しくもその日は牛吉さんが雁を射殺した日だったという」<br />雁は一度つがいになると一生添い遂げ、一方が死んでも新たに相手を迎える事はないという

    境内に入ってすぐ右側に雁塚と呼ばれる一つの石と石塚の由来が解説されています
    「牛吉さんが、置き忘れた弓で矢を放ったところ、的を外れて田圃にいた雁の雄を殺してしまった
    その翌日から田圃には雌の雁が訪れ、雄がいない悲しさから鳴き続けたという
    夜には殺された雁が枕元に現れるようになり、雁の呪いから逃れるため僧となり、庵を結んで雁の菩提を弔う日々を送った
    雁を射殺してから23年を経た9月23日、辞世の句「先だちし雁や浄土の道しるべ」残し急死したという
    奇しくもその日は牛吉さんが雁を射殺した日だったという」
    雁は一度つがいになると一生添い遂げ、一方が死んでも新たに相手を迎える事はないという

  • 足助神社境内全景<br />石造神明鳥居と一対の狛犬、常夜灯があり、右側に手水舎があります

    足助神社境内全景
    石造神明鳥居と一対の狛犬、常夜灯があり、右側に手水舎があります

  • 足助神社の創建は新しく明治35年(1902)で祭神は足助次郎重範を祀る神社<br /><br />カタクリの群落や紅葉で知られる飯盛山には、足助七城のひとつ飯盛山城があった<br />鎌倉時代、足助重秀が築城した城で尾張・三河・信濃を結ぶ交通の要衝に建てられた足助氏の本城で、七代足助重範の死後は足助氏の勢力は衰退し全国に散っていったという<br />後に尾張・三河を目指した甲斐の信玄もこの道筋も選択肢に入っていただろう<br />事実、この道を進んだ根羽村の少し先には信玄坂や信玄塚などが残る<br /><br />足助神社建立の発端は明治24年(1891)に明治天皇から正四位を贈られたことにあるようです<br />明治26年(1893)に熱田神宮が神明造に建て替えられた際に摂社の一つを譲り受けた<br />明治35年(1902)に東加茂郡の郡社として神社が創建された<br />昭和8年(1933)に従三位を追贈され、顕彰運動も活発化し、縣社、別格官幣社に昇格させる計画もあったという<br />昭和18年(1943)には新たな社殿の造営も行なわれたが、敗戦に伴い造営は中断し運動も立ち消え、元の場所に遷座したという

    足助神社の創建は新しく明治35年(1902)で祭神は足助次郎重範を祀る神社

    カタクリの群落や紅葉で知られる飯盛山には、足助七城のひとつ飯盛山城があった
    鎌倉時代、足助重秀が築城した城で尾張・三河・信濃を結ぶ交通の要衝に建てられた足助氏の本城で、七代足助重範の死後は足助氏の勢力は衰退し全国に散っていったという
    後に尾張・三河を目指した甲斐の信玄もこの道筋も選択肢に入っていただろう
    事実、この道を進んだ根羽村の少し先には信玄坂や信玄塚などが残る

    足助神社建立の発端は明治24年(1891)に明治天皇から正四位を贈られたことにあるようです
    明治26年(1893)に熱田神宮が神明造に建て替えられた際に摂社の一つを譲り受けた
    明治35年(1902)に東加茂郡の郡社として神社が創建された
    昭和8年(1933)に従三位を追贈され、顕彰運動も活発化し、縣社、別格官幣社に昇格させる計画もあったという
    昭和18年(1943)には新たな社殿の造営も行なわれたが、敗戦に伴い造営は中断し運動も立ち消え、元の場所に遷座したという

  • 鳥居の手前左で足助八幡宮と繋がっています

    鳥居の手前左で足助八幡宮と繋がっています

  • 拝殿を守護する狛犬

    拝殿を守護する狛犬

  • 猫足の台座には昭和9年(1934)の寄進年が刻まれていました

    猫足の台座には昭和9年(1934)の寄進年が刻まれていました

  • 境内は年輪を重ねた大杉や大楠が聳え、背後には巴川が流れています

    境内は年輪を重ねた大杉や大楠が聳え、背後には巴川が流れています

  • 手水舎と懸命に働く龍の姿

    手水舎と懸命に働く龍の姿

  • 足助神社<br />「元弘の変(元弘元年-1331)に後醍醐天皇に味方して、笠置山(京都)篭城軍3千人の総大将となった足助次郎重範公を祀っている<br />重範は飯盛山城を本城とした足助氏の惣領で、弓の名手として名高く、笠置で強弓を以って奮戦する様子が「太平記」に名文で書かれている<br />落城の際、捕われて、翌年京都六条河原で斬首されたが、明治天皇より贈位もあり、足助神社として祀られるようになった 豊田市教育委員会」

    足助神社
    「元弘の変(元弘元年-1331)に後醍醐天皇に味方して、笠置山(京都)篭城軍3千人の総大将となった足助次郎重範公を祀っている
    重範は飯盛山城を本城とした足助氏の惣領で、弓の名手として名高く、笠置で強弓を以って奮戦する様子が「太平記」に名文で書かれている
    落城の際、捕われて、翌年京都六条河原で斬首されたが、明治天皇より贈位もあり、足助神社として祀られるようになった 豊田市教育委員会」

  • 社殿全景<br />切妻妻入り拝殿に翼殿が付いたもので翼殿から透塀が本殿を囲むもの

    社殿全景
    切妻妻入り拝殿に翼殿が付いたもので翼殿から透塀が本殿を囲むもの

  • 棟の鬼の紋は遠目に桐や葵の様に見えるが三河蔦と思われます<br />意匠を控え、白壁と木の色合いだけの落ち着きのあるシックな佇まい

    棟の鬼の紋は遠目に桐や葵の様に見えるが三河蔦と思われます
    意匠を控え、白壁と木の色合いだけの落ち着きのあるシックな佇まい

  • 足助神社拝殿額

    足助神社拝殿額

  • 拝殿から本殿域の眺め<br />拝殿の先は屋根の付きの土間が本殿に続く、土間と云うより幣殿と呼んでもいいだろう<br />本殿は神明造とされるが、棟持ち柱が見られないので後に建て替えられていそうです

    拝殿から本殿域の眺め
    拝殿の先は屋根の付きの土間が本殿に続く、土間と云うより幣殿と呼んでもいいだろう
    本殿は神明造とされるが、棟持ち柱が見られないので後に建て替えられていそうです

  • 拝殿左側から忠臣足助氏の碑と本殿の眺め

    拝殿左側から忠臣足助氏の碑と本殿の眺め

  • 本殿は一間社流造のようで、外削ぎの置き千木と3本の鰹木が載せられています<br />大棟には三河蔦の紋が入れられています

    本殿は一間社流造のようで、外削ぎの置き千木と3本の鰹木が載せられています
    大棟には三河蔦の紋が入れられています

  • 足助重範が鎮まる本殿全景<br />拝殿同様装飾を控えた落ち着いた外観の本殿

    足助重範が鎮まる本殿全景
    拝殿同様装飾を控えた落ち着いた外観の本殿

  • 拝殿から社頭の眺め<br />鳥居は大正4年(1915)寄進のもの<br /><br />足助神社<br />創建 / 明治35年(1902)<br />祭神 / 足助重範<br />境内社 / <br />例祭 / 4月第2日曜<br />氏子地域 / <br />所在地 / 豊田市足助町宮ノ後12<br />参拝日 / 2024/03/07<br />名古屋市役所から車アクセス / 猿投グリーロード力石ICから国道153号線左折約50分

    拝殿から社頭の眺め
    鳥居は大正4年(1915)寄進のもの

    足助神社
    創建 / 明治35年(1902)
    祭神 / 足助重範
    境内社 / 
    例祭 / 4月第2日曜
    氏子地域 / 
    所在地 / 豊田市足助町宮ノ後12
    参拝日 / 2024/03/07
    名古屋市役所から車アクセス / 猿投グリーロード力石ICから国道153号線左折約50分

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