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岐阜県と愛知県の県境に鎮座する金刀比羅神社を後にして、次の目的地 八劔神社へは、県道352号線(上渡合土岐線)を南下し豊田市西市野々町集落に向かいます<br />県道右側の里を見下ろす小山の前に社頭を構えます

豊田市西市野々町 八劔神社 

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2024/04/18 - 2024/04/18

735位(同エリア748件中)

wabisabi2さん

岐阜県と愛知県の県境に鎮座する金刀比羅神社を後にして、次の目的地 八劔神社へは、県道352号線(上渡合土岐線)を南下し豊田市西市野々町集落に向かいます
県道右側の里を見下ろす小山の前に社頭を構えます

旅行の満足度
2.5
観光
2.5
交通
1.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 岐阜県と愛知県の県境に鎮座する金刀比羅神社を後にして、次の目的地 八劔神社へは、県道352号線(上渡合土岐線)を南下し豊田市西市野々町集落に向かいます<br />県道右側の里を見下ろす小山の前に社頭を構えます<br />写真は金刀比羅神社方向の県道352号線<br />参拝者駐車場は道沿いには見当たらず道路脇の路肩に駐車させてもらいました<br />社頭はここから左方向の歩道を進んで行きます

    岐阜県と愛知県の県境に鎮座する金刀比羅神社を後にして、次の目的地 八劔神社へは、県道352号線(上渡合土岐線)を南下し豊田市西市野々町集落に向かいます
    県道右側の里を見下ろす小山の前に社頭を構えます
    写真は金刀比羅神社方向の県道352号線
    参拝者駐車場は道沿いには見当たらず道路脇の路肩に駐車させてもらいました
    社頭はここから左方向の歩道を進んで行きます

  • 県道南側から八劔神社の社地全景を眺める

    県道南側から八劔神社の社地全景を眺める

  • 社頭正面の眺め<br />小高い山の斜面を開いて境内が作られ、周囲を杉の杜が囲んでいます

    社頭正面の眺め
    小高い山の斜面を開いて境内が作られ、周囲を杉の杜が囲んでいます

  • 歩道から写真のように石段が築かれ、その上の鳥居に続きます

    歩道から写真のように石段が築かれ、その上の鳥居に続きます

  • 石段の中程に踊り場があり、そこに八劔神社の社標が立てられ、左手に由緒が掲げられています

    石段の中程に踊り場があり、そこに八劔神社の社標が立てられ、左手に由緒が掲げられています

  • 「十二等級 八劔神社 旧指定村社<br />鎮座地 豊田市西市野々町森下250番地<br />祭神 日本武尊、大碓命<br />由緒<br /> 社伝に承久3年(1220)山中氏の祖が勧請鎮祭したとされている<br /> 後の永徳2年(1382)、文明5年(11473)、寛永15年(1638)に社殿の造営が行われた<br /> 元禄13年(1700)社殿を改め猿投神社より大碓皇子を分祀、堂殿に迎え祀った<br /> 遠近の人々子安神として尊崇し、明治5年()10月指定村社となる<br /> 美濃・尾張・三河特殊仰として、俗に彦屋の神と称し、多くの安産の祈願者が訪れる」<br />見慣れた由緒書きは豊田市に戻って来た証だろう<br /><br />参考までに、西加茂郡誌では創建時期に少し違いが見られました<br />「村社 八劔神社<br />創建 大同元年(806)<br />祭礼 10月21日<br />所在地 西市野々町<br />例祭恒例余興 献馬、巫子舞」とありました<br />由緒にある承久3年(1220)に対し、大正15年(1926)西加茂郡教育委員会から出版された西加茂郡誌では大同元年(806)と記されています<br />因みに猿投神社の創建が第14代仲哀天皇元年(192)とされるので、どちらをとったとしてもこの地域にあって堂々たる古社である事が分かります

    「十二等級 八劔神社 旧指定村社
    鎮座地 豊田市西市野々町森下250番地
    祭神 日本武尊、大碓命
    由緒
     社伝に承久3年(1220)山中氏の祖が勧請鎮祭したとされている
     後の永徳2年(1382)、文明5年(11473)、寛永15年(1638)に社殿の造営が行われた
     元禄13年(1700)社殿を改め猿投神社より大碓皇子を分祀、堂殿に迎え祀った
     遠近の人々子安神として尊崇し、明治5年()10月指定村社となる
     美濃・尾張・三河特殊仰として、俗に彦屋の神と称し、多くの安産の祈願者が訪れる」
    見慣れた由緒書きは豊田市に戻って来た証だろう

    参考までに、西加茂郡誌では創建時期に少し違いが見られました
    「村社 八劔神社
    創建 大同元年(806)
    祭礼 10月21日
    所在地 西市野々町
    例祭恒例余興 献馬、巫子舞」とありました
    由緒にある承久3年(1220)に対し、大正15年(1926)西加茂郡教育委員会から出版された西加茂郡誌では大同元年(806)と記されています
    因みに猿投神社の創建が第14代仲哀天皇元年(192)とされるので、どちらをとったとしてもこの地域にあって堂々たる古社である事が分かります

  • 右手の社標(大正5年寄進)の前に手水鉢があり、そこから奥に向かって参道があります

    右手の社標(大正5年寄進)の前に手水鉢があり、そこから奥に向かって参道があります

  • 先には左手の慰霊碑があり、更に奥に小堂が建てられていました

    先には左手の慰霊碑があり、更に奥に小堂が建てられていました

  • 境内右隅に建つ小堂

    境内右隅に建つ小堂

  • 軒下に「四国八十八ケ所霊場」の木札があり、堂内を眺めて見ると弘法大師の姿も見える事から、<br />この建物は弘法堂のようです

    軒下に「四国八十八ケ所霊場」の木札があり、堂内を眺めて見ると弘法大師の姿も見える事から、
    この建物は弘法堂のようです

  • 再び鳥居前に戻り、境内を眺める

    再び鳥居前に戻り、境内を眺める

  • 石の明神鳥居は大正6年健之のもので、額は八劔神社とある

    石の明神鳥居は大正6年健之のもので、額は八劔神社とある

  • 境内左手の眺め<br />手前に入母屋瓦葺の四方吹き抜けの建物と後方に社務所らしき建物があります

    境内左手の眺め
    手前に入母屋瓦葺の四方吹き抜けの建物と後方に社務所らしき建物があります

  • 右手の眺め<br />二段に積まれた石垣の上に社殿が建てられています

    右手の眺め
    二段に積まれた石垣の上に社殿が建てられています

  • 社殿正面の眺め<br />一段目に常夜灯、狛犬があり、上段に社殿、左に宝物庫と思われる建物と境内社が纏められています<br />拝殿右の大きく枝を張った巨木が印象に残ります

    社殿正面の眺め
    一段目に常夜灯、狛犬があり、上段に社殿、左に宝物庫と思われる建物と境内社が纏められています
    拝殿右の大きく枝を張った巨木が印象に残ります

  • 石段下から拝殿の眺め<br />拝殿は入母屋瓦葺の平入で一間の向拝が付くもので、後方で本殿を収める覆屋と繋がっています

    石段下から拝殿の眺め
    拝殿は入母屋瓦葺の平入で一間の向拝が付くもので、後方で本殿を収める覆屋と繋がっています

  • 一段目の狛犬と二対の常夜灯<br />狛犬の台座には昭和3年11月と刻まれている

    一段目の狛犬と二対の常夜灯
    狛犬の台座には昭和3年11月と刻まれている

  • 拝殿中央は前後吹き抜けで、両脇が翼殿になっており、祭文殿としての色合いが強く、全体的に拘った彫飾りのないシンプルな外観です

    拝殿中央は前後吹き抜けで、両脇が翼殿になっており、祭文殿としての色合いが強く、全体的に拘った彫飾りのないシンプルな外観です

  • 拝殿から格子戸の先の本殿の眺め<br />ここから本殿の姿は良く見えず、参拝してから後ろに回り込んで見ます

    拝殿から格子戸の先の本殿の眺め
    ここから本殿の姿は良く見えず、参拝してから後ろに回り込んで見ます

  • 拝殿右の壁に無数の底の無い柄杓や、穴があけられた柄杓が奉納されています<br />これは、出産を控え、底抜け柄杓を奉納し安産を祈願する風習で、こうした風習は古くから伝わっています<br />こうして祈願する事でかつては産婆さんがいらないほど安産に恵まれたと言われています

    拝殿右の壁に無数の底の無い柄杓や、穴があけられた柄杓が奉納されています
    これは、出産を控え、底抜け柄杓を奉納し安産を祈願する風習で、こうした風習は古くから伝わっています
    こうして祈願する事でかつては産婆さんがいらないほど安産に恵まれたと言われています

  • 拝殿右の巨木<br />「西市野々のアカガシ<br />市指定文化財 昭和49年(1974)2月10日<br />樹高 21.6㍍<br />胸高囲 4㍍<br />根回り 15.1㍍<br />枝張り 8㍍<br />枝は地上3㍍から張り出し、最大8㍍に及び、幹の内部は中空ですが、樹勢は良好で葉数が多いのが特徴です<br />平成24年3月豊田市教育委員会」<br /><br />2012年当時に記されたもので、実際に見上げると、ここに書かれている以上に見事な樹で、名の通り大きくなるにつれて樹皮は赤みを帯びてきます<br />秋になるとドングリ状の実をつけ、イノシシや熊等の野生動物の食料にもなる

    拝殿右の巨木
    「西市野々のアカガシ
    市指定文化財 昭和49年(1974)2月10日
    樹高 21.6㍍
    胸高囲 4㍍
    根回り 15.1㍍
    枝張り 8㍍
    枝は地上3㍍から張り出し、最大8㍍に及び、幹の内部は中空ですが、樹勢は良好で葉数が多いのが特徴です
    平成24年3月豊田市教育委員会」

    2012年当時に記されたもので、実際に見上げると、ここに書かれている以上に見事な樹で、名の通り大きくなるにつれて樹皮は赤みを帯びてきます
    秋になるとドングリ状の実をつけ、イノシシや熊等の野生動物の食料にもなる

  • つまり、彼らの餌場ということか…

    つまり、彼らの餌場ということか…

  • 拝殿右側から覆屋下の本殿

    拝殿右側から覆屋下の本殿

  • 檜皮葺の一間社流造で虹梁や海老虹梁等には拝殿では見られなかった彫が施されています

    檜皮葺の一間社流造で虹梁や海老虹梁等には拝殿では見られなかった彫が施されています

  • 拝殿から境内を見下ろす<br />左は神楽殿なのか農村舞台なのか定かではありません<br /><br />ここで本来は拝殿左の境内社を参拝するつもりでいましたが、アカガシと本殿を眺めて満足したのか、境内社に向かうのをすっかり忘れていました<br />板宮造りの社と石の社が纏められていますが、また近くを訪れるので写真に収め掲載しておきます

    拝殿から境内を見下ろす
    左は神楽殿なのか農村舞台なのか定かではありません

    ここで本来は拝殿左の境内社を参拝するつもりでいましたが、アカガシと本殿を眺めて満足したのか、境内社に向かうのをすっかり忘れていました
    板宮造りの社と石の社が纏められていますが、また近くを訪れるので写真に収め掲載しておきます

  • 現在豊田市には82棟程の農村舞台があると云う事で、豊田市の農村舞台DBに森下の八劔神社はリストアップされていないようですが、長い虹梁で一間として作られたこの建物は、神楽殿と云うよりも、周辺で見られる農村舞台の趣が漂います

    現在豊田市には82棟程の農村舞台があると云う事で、豊田市の農村舞台DBに森下の八劔神社はリストアップされていないようですが、長い虹梁で一間として作られたこの建物は、神楽殿と云うよりも、周辺で見られる農村舞台の趣が漂います

  • 立派な材木が使われた梁間3間、桁行6間の舞台<br />いつ頃建てられたものか棟札を探すも見当たらず、定かではありません

    立派な材木が使われた梁間3間、桁行6間の舞台
    いつ頃建てられたものか棟札を探すも見当たらず、定かではありません

  • 八剱神社<br />創建 / 不明<br />祭神 / 日本武尊、大碓命<br />境内社 / <br />例祭 / 10月第2土曜日<br />氏子域 / 西市野々町<br />所在地 / 豊田市西市野々町森下250<br />金刀比羅神社から車アクセス / 神社から県道352号線(上渡合土岐線)を南下、西市野々町?平成地内の社頭まで1.4㌔、約3分程

    八剱神社
    創建 / 不明
    祭神 / 日本武尊、大碓命
    境内社 / 
    例祭 / 10月第2土曜日
    氏子域 / 西市野々町
    所在地 / 豊田市西市野々町森下250
    金刀比羅神社から車アクセス / 神社から県道352号線(上渡合土岐線)を南下、西市野々町?平成地内の社頭まで1.4㌔、約3分程

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