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《2024.June》79th,THE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その弐~79回目の慰霊の日編~<br /><br />南淡海に比べると西に位置するここ沖縄、朝日が昇るのは遅いはずではあるものの〝夏至〟チカの日であればやはり朝も早い。梅雨明けした沖縄では陽が出ると急に気温が高くなることが、梅雨入りしたばかりの南淡海との一番の違いかも知れない。兎に角暑くなったことで目が覚めるのはあまり体には良くないことかも知れない。とは言っても今日6月23日は私が沖縄を訪れる〝目的〟の日でもあるため行動を起こさねばならない。昨晩同宿の子連れさんとは朝食の時間をずらせておいたためにもう行動を始めている。ヤポネシアご自慢の朝食を頂いた後に〝またどこかで〟と挨拶をして別れることとなった。<br /><br />以前は追悼式の時間に合わせて会場入りすることが当たり前であった。しかしコロナ禍で4年ぶりとなった昨年の追悼式に於いて、式典と慰霊の日を平和祈念公園で〝その時〟を過ごそうとする沖縄県民や観光客との間に〝大きな隙間〟が設けられていることを知った。つまり式典会場はあくまで〝テントの中〟でのこととなり、外部からはその式典の進行を〝自分の目〟で確かめることが不可能となっている事実を知った。戦後79年を迎える2024(令和6)年ともなれば戦没者遺族の高齢化が進み、もう来年は来られないかも知れないという覚悟で訪れている方々も少なくはない。それがイベント的要素を持ちつつ式典を開催するために、VIPの来賓の警備を重視して〝不測の事態〟が起こることを考慮した結果このような式典形態になっていることは、会場にいれば誰もが感じることである。そのため式典開始に合わせて会場入りする気も失せつつあることも事実であり、せっかく来たのだから〝平和祈念公園には行く〟程度の想いに変わりつつあるのが私自身の気持ちでもあった。そのような理由から宿で暫く話しながら、冬に訪れるかも…という予定を伝えたりしながら、のんびりと時間を過ごし、出発は10:43と例年になく遅いものとなった。<br />いつも通りオーナーファミリーに見送られながら車を出発させる。勿論この時間から式典参加者用の臨時駐車場に向かえば間に合うのだが、いつも利用しているファミリーマート糸満米須店に立ち寄って、飲み物を飲みながら一服をする。ここは平和行進の休憩所となっていることもあり、子供らや付き添いの親達も、トイレや店内で一息つきながら涼んでいる。暫く梅雨明けしていない〝慰霊の日〟に来沖していたため、久しぶりの〝真夏の沖縄〟は結構応えていた私だっただけに、このひと時が重要であることは理解できる。確かに私自身も一服を済ませた後に車に戻ってもすぐには出発できず、エアコンを最大限に効かせて汗が引くのを待ってからしか出発する気が起こらないことを昨日から既に体験していたからである。そうこうしているうちに行進メンバーは出発して行ったようだ。それに次いで私も車を走らせることにした。<br /><br />昨年はこの日に〝旅行貯金〟を組み込んだために、数局の郵便局に立ち寄ってから会場入りしたのだが、今年は日曜日であるためにそれが出来ない。そのため後の行程を加味して〝沖縄県農業研究センター駐車場〟を利用する。車を停めてバス乗り場へと向かうが、11:15だと一番混んでいる時間帯であったと記憶している。しかし今日は待ち時間もなくバスに乗車することができ、11:25に出発、11:40には平和祈念公園に到着することができた。<br /><br />会場の様子は写真を見て頂ければわかることだが、完全に式典参加者と平和祈念公園来訪者が入口から分けられていた。来訪者列を進めば式典テント後方に辿り着くために、式典が行われるテント内部の様子はわからないまま平和の礎方向へと誘導されるようになっていた。まあ主催者側の意図であれば反抗する気も起らなくなる。中央からのVIPなしでは式典の意味を為さないとでも考えられているのであろうから。そんなシラケた気分の中まず最初に平和の礎へと向かう。毎年恒例の祖父の名前が刻まれた場所へと向かい手を合わせる。今年も来ることが出来ましたと報告をする。そして礎中央の通路を海側に歩き、平和の灯火へと辿り着く。御影石でできた円錐の上方付近で燃えてい〝た〟平和の灯火であるが、新聞にも載っていたように本年6月12日~13日の大雨の影響で点火設備が浸水により故障してしまい、慰霊の日である今日6月23日に点燈〝できない〟と21日に沖縄県が発表していた。元来平和の灯火は常日頃から点いているものではなく、要人の来訪やイベント時にのみ点灯されているものであり、普段は広場下の空間で燃え続けているものである。この〝平和の灯火〟は、沖縄戦に於いて最初に米軍が上陸した座間味村阿嘉島で火打ち石を使って採取した〝火〟、原爆投下地である広島の〝平和の灯(ともしび)〟、長崎の〝誓いの火〟を合わせたもので、3つの火を合わせたこの火は〝平和の火〟と呼ばれ、平成3(1991)年から灯し続けられ、平成7(1995)年に〝平和の礎〟が完成し、その年の6月23日慰霊の日に平和の広場に移されたものである。広島・長崎の〝灯火〟は、核や紛争が無くなるまで灯し続けるとしているのに対し、沖縄では〝点いていること〟が稀なものとなっていることは知られている。そのイベント対応用のモノがこうなると…と思われた方は多い様で、このように自然災害を含め不測の事態をバックアップするべく管理されていることが当たり前の〝灯火〟が〝取り敢えず〟的なリカバーしかできなかったことが、慰霊の日そのものを〝お祭り〟と考えているのではという辛口意見も出ていたのが事実である。最も沖縄県側も〝あってはならない事〟を仕出かしたことは真摯に受け止めてはいるようで、従来の設備の改良を考えてはいるようだがその後の解決論が出ていないらしい。とはいえこのような〝失態〟を冒してでも中央からVIPを呼んで式典を催行した県側のお粗末な対応には笑ってしまう。まぁこのような姿を今後みられるとも思わないので、〝記録〟と〝記念〟としてカメラに収めておく。そして平和の礎東側通路を通って式典会場方向へと歩いて行くと、日本全国から集められた警察官がVIPの警備のために暑い中立っている。迂回するのも大変なので先に〝栃木の塔〟に参り、VIP対応の様子を眺めることにした。ここでひとつおまけの出来事が発生する。毎度おなじみの老害ジジイの出没だが沖縄県警の公安職員が対応している様子を見ている限り、どうやら常連であるらしく気軽に話しているようだ。ただイベント化された追悼式に対する〝気持ち〟を言うことは仕方がないとは思うのだが、悪いが自転車の乗り入れが禁止されている平和祈念公園に於いて、自転車に跨っていることがおかしいことに気付いてはいない。自分が正しいという考えで通すから〝老害〟と言われるのであって、守ることを守らない輩に発言権はないのである。残念なひとりにしか見えなかったおじぃの戯言であった。脱線したがこのVIP対応は沖縄戦全戦没者追悼式の〝主賓〟は誰なのかを問いかける問題に既になっている問題だと思えてならない。ただ見方によっては相違もあるかと思うので、動画で纏めてみた。こう思うといった意見があれば述べて頂きたいと思う。<br /><br />そうこうしているうちにVIPの退出が終了し、通路が解放される。最後にテント下で行われている〝一般焼香〟の列に並び、お焼香をさせて頂く。式典終了後少し時間が経っていることもあり、待ち時間はいつもよりも短めで済んだ。こうして私の〝戦後79年沖縄戦全戦没者追悼式〟参列は終了となる。いつもならば式典終了後に平和祈念公園を巡るのだが、今回は式典最中に済ませてしまったので車へと戻ることにする。駐車場までのシャトルバスは間違いのないように〝色分けされた注意書き〟の色のバス停に並ぶのだが、どうやら水色の沖縄県農業研究センター行きのバスの戻りが良くないようだ。シャトルバスの運行時間はほぼどの場所へ向かうシャトルバスも同じなのだが、私が利用した農業研究センターは閉鎖される〝時間〟があるために〝遅れ〟が生じることを係員士達が良くは思っていないようである。結局他路線のシャトルバスを転用して研究センター行きとし、そのバスに乗っかって無事駐車場へと戻って来られた。最近バスのドライバーも女性であることが珍しくなくなっている。沖縄では貸し切りバスの乗務員ではたまに見かけたことはあるが、路線もあるバス会社では初めて出会った。そのバス車両もちょっと珍しいものでUNIVERSEのロゴがついたものであった。韓国のヒュンダイ自動車製造のもので、安価なこともあり特に九州・沖縄でよく見ることがある車両である。確かに日本製車両と比べると内装が安っぽい等とケチを付けたくなる部分はあるが、まあ日本法人が絡んでいるので間違いはないとは思いたい。というよりも基本中古車両の多い沖縄のバスは観光仕様でも〝ロッドタイプ〟の変速ギアを用いている車両が多い。その点UNIVERSEのバスは新車導入の筈ではあるが、ギアはロッドタイプのものであった。おまけにドライバーのお姉さんは以前トラックに乗っていたとみえ、あの〝透明なシフトノブ〟が付いていた。聞いてみようかとも思ったがその辺りはやめておく。<br /><br />という感じで車に戻り、先ずはエアコンmaxで車内を冷やす。適当に冷えたことを確認して式典後の行程をスタートさせる。向かった先はサンエー西原シティ店である。ここは沖縄に来ると必ず立ち寄るお店のひとつであり、メインのお土産等はこちらで購入する。我が街滋賀を拠点にするスーパー平和堂と同じくニチリウグループの店舗であり、あらかたの商品は見たことのあるものであり、親密感があるということから私はいつも利用している。イオンモールもあるのだが、自宅用の土産等は普段使いの安いものでよいために、お土産仕様と普段使い仕様とどちらも揃うのがサンエーである。今回もお土産はすべて購入し、手荷物が増えて自宅へ送る必要が出来ても対応できるようにしておいた。気兼ねする理由その①を解消し、昨日日暮れ後に訪れて何もできなかった首里城へと改めて向かうことにした。<br /><br />首里城に到着し今回は県営駐車場を利用する。明るいうちに昨日巡ったところを改めて回って行く。守礼之門・国王頌徳碑・首里城歓会門・園比屋武御嶽石門・第32軍司令部壕掩蔽壕・第32軍司令部通信壕・重修天女橋碑記・円鑑池・ノバリケン・天女橋&弁財天堂・沖縄師範学校跡・高所跡・首里市庁跡・貝摺奉行所跡・沖縄師範学校附属小学校跡碑・円覚寺跡・首里城久慶門・歴史を語るアカギの大木・首里城歓会門等を巡って守礼の門に戻って来た。その後レストセンター首里杜館を通って駐車場へと向かい、車に乗り込む。駐車場の利用時間は19:30となっており、出庫時刻の記録は19:15。やはりこのあたりの時間で切り上げないとな~と改めて思う。そして再び西原町に向かい内間御嶽に到着する。夜に〝御嶽巡り〟もどうかと思われるかも知れないが、この内間御嶽は町指定の天然記念物サワフジの見られる場所としても知られている。サワフジ=サガリバナであることは周知の事実ではあるが、内間御嶽内にあるサワフジの木は照明がないために写真で切り取ることが凄く難しい。最初に立ち寄った際にも数枚撮影はしてみたが、ストロボをフル発光させて木の形態がわかる程度のものしか撮ることが出来なかった。その後以前にも立ち寄った御嶽近くのサガリバナもカメラで切り取ってはみるものの、時間の関係か〝華やかさ〟があるものが少なかったので、一旦この場所を離れて食事を済ませてから再び戻って来ることにした。向かった先は〝めん家サンエー西原シティ店〟である。ここは以前にも訪れたことがあるのだが、あまり食欲がないときでも食べられるものがあることからの再訪となった。フーチャンプル定食+ドリンクで程良くお腹が膨れて車へと戻り、今来た道を戻って行くことにする。そして内間御嶽へと戻って来るが、やはり昨年よりも早い時間の訪問であることが影響しているのかわからないが、サガリバナの咲き具合はイマイチである。まあ今年も来たよと記録的な写真を撮影して車へと戻り、本日の宿である奥武島のゲストハウスりゅうかくに向かうことにする。<br /><br />この辺りは毎回同じようなルートを辿って走っているために、わからなくもないのだが取り敢えずナビは付けたままにして走って行く。沖縄県道77号線を南下して行くと見つけたファミリーマート南城大里中学校前店でmyタバコを見つけ、購入&一服する。再び走り出し国道331号線と交差して尚南下する。そして奥武橋を渡るとすぐに到着するのだが、荷物の整理をするために奥武島南海岸広場に車を停めて車内をゴソゴソ。ぽっかりと海の上に浮かんだ満月が美しくてカメラに収めてからラストラン。いつもとは違う方向からゲストハウスりゅうかくに到着した。<br /><br />まあいつも通り決して早くはない時間ではあったがオジィ・オバァとも元気で迎えてくれる。今年に限っては1月にも訪れているので2回目となる。最近ではめっきり人気宿となり今までのように直近の予約では満室であることも少なくはない。その辺りはリピーターとは言え部屋数が2部屋しかなければ自ずと競争率は高くなってくる。泊まり始めた頃は私同様HPを探して見つけてきた方々がたまに泊まっているような感じではあったが、やはり旅行サイトの力は大きいのだろう…半年後の予約が入っていることもある宿に変貌した。勿論オキィ・オバァの人柄の良さが人を引き付けていることには違いないのだが、予想以上の繁盛ぶりに少しジェラシーすら感じる私であった。<br /><br />半年とは言えお二人に話すことは山ほどあるが、それはそれなりに話しておいて残りはまた次の機会に取って置き、今晩の宿は201号室シングルルームにお世話になる。二日間はいつもとそう変わらぬルートと立ち寄り地&宿泊地ではあったが、明日以降は離島旅に切り替える。とは言えじっくりコースを組んでいてもなるようにならないこともある。それが旅!と思っているうちに寝てしまったようだ。そんなこんなで時間は過ぎて行き、旅3日目を迎えることとなるzzz。<br />  <br />《続く》

《2024.June》79th,THE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その弐~79回目の慰霊の日編~

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2024/06/23 - 2024/06/23

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2024/06/23

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《2024.June》79th,THE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その弐~79回目の慰霊の日編~

南淡海に比べると西に位置するここ沖縄、朝日が昇るのは遅いはずではあるものの〝夏至〟チカの日であればやはり朝も早い。梅雨明けした沖縄では陽が出ると急に気温が高くなることが、梅雨入りしたばかりの南淡海との一番の違いかも知れない。兎に角暑くなったことで目が覚めるのはあまり体には良くないことかも知れない。とは言っても今日6月23日は私が沖縄を訪れる〝目的〟の日でもあるため行動を起こさねばならない。昨晩同宿の子連れさんとは朝食の時間をずらせておいたためにもう行動を始めている。ヤポネシアご自慢の朝食を頂いた後に〝またどこかで〟と挨拶をして別れることとなった。

以前は追悼式の時間に合わせて会場入りすることが当たり前であった。しかしコロナ禍で4年ぶりとなった昨年の追悼式に於いて、式典と慰霊の日を平和祈念公園で〝その時〟を過ごそうとする沖縄県民や観光客との間に〝大きな隙間〟が設けられていることを知った。つまり式典会場はあくまで〝テントの中〟でのこととなり、外部からはその式典の進行を〝自分の目〟で確かめることが不可能となっている事実を知った。戦後79年を迎える2024(令和6)年ともなれば戦没者遺族の高齢化が進み、もう来年は来られないかも知れないという覚悟で訪れている方々も少なくはない。それがイベント的要素を持ちつつ式典を開催するために、VIPの来賓の警備を重視して〝不測の事態〟が起こることを考慮した結果このような式典形態になっていることは、会場にいれば誰もが感じることである。そのため式典開始に合わせて会場入りする気も失せつつあることも事実であり、せっかく来たのだから〝平和祈念公園には行く〟程度の想いに変わりつつあるのが私自身の気持ちでもあった。そのような理由から宿で暫く話しながら、冬に訪れるかも…という予定を伝えたりしながら、のんびりと時間を過ごし、出発は10:43と例年になく遅いものとなった。
いつも通りオーナーファミリーに見送られながら車を出発させる。勿論この時間から式典参加者用の臨時駐車場に向かえば間に合うのだが、いつも利用しているファミリーマート糸満米須店に立ち寄って、飲み物を飲みながら一服をする。ここは平和行進の休憩所となっていることもあり、子供らや付き添いの親達も、トイレや店内で一息つきながら涼んでいる。暫く梅雨明けしていない〝慰霊の日〟に来沖していたため、久しぶりの〝真夏の沖縄〟は結構応えていた私だっただけに、このひと時が重要であることは理解できる。確かに私自身も一服を済ませた後に車に戻ってもすぐには出発できず、エアコンを最大限に効かせて汗が引くのを待ってからしか出発する気が起こらないことを昨日から既に体験していたからである。そうこうしているうちに行進メンバーは出発して行ったようだ。それに次いで私も車を走らせることにした。

昨年はこの日に〝旅行貯金〟を組み込んだために、数局の郵便局に立ち寄ってから会場入りしたのだが、今年は日曜日であるためにそれが出来ない。そのため後の行程を加味して〝沖縄県農業研究センター駐車場〟を利用する。車を停めてバス乗り場へと向かうが、11:15だと一番混んでいる時間帯であったと記憶している。しかし今日は待ち時間もなくバスに乗車することができ、11:25に出発、11:40には平和祈念公園に到着することができた。

会場の様子は写真を見て頂ければわかることだが、完全に式典参加者と平和祈念公園来訪者が入口から分けられていた。来訪者列を進めば式典テント後方に辿り着くために、式典が行われるテント内部の様子はわからないまま平和の礎方向へと誘導されるようになっていた。まあ主催者側の意図であれば反抗する気も起らなくなる。中央からのVIPなしでは式典の意味を為さないとでも考えられているのであろうから。そんなシラケた気分の中まず最初に平和の礎へと向かう。毎年恒例の祖父の名前が刻まれた場所へと向かい手を合わせる。今年も来ることが出来ましたと報告をする。そして礎中央の通路を海側に歩き、平和の灯火へと辿り着く。御影石でできた円錐の上方付近で燃えてい〝た〟平和の灯火であるが、新聞にも載っていたように本年6月12日~13日の大雨の影響で点火設備が浸水により故障してしまい、慰霊の日である今日6月23日に点燈〝できない〟と21日に沖縄県が発表していた。元来平和の灯火は常日頃から点いているものではなく、要人の来訪やイベント時にのみ点灯されているものであり、普段は広場下の空間で燃え続けているものである。この〝平和の灯火〟は、沖縄戦に於いて最初に米軍が上陸した座間味村阿嘉島で火打ち石を使って採取した〝火〟、原爆投下地である広島の〝平和の灯(ともしび)〟、長崎の〝誓いの火〟を合わせたもので、3つの火を合わせたこの火は〝平和の火〟と呼ばれ、平成3(1991)年から灯し続けられ、平成7(1995)年に〝平和の礎〟が完成し、その年の6月23日慰霊の日に平和の広場に移されたものである。広島・長崎の〝灯火〟は、核や紛争が無くなるまで灯し続けるとしているのに対し、沖縄では〝点いていること〟が稀なものとなっていることは知られている。そのイベント対応用のモノがこうなると…と思われた方は多い様で、このように自然災害を含め不測の事態をバックアップするべく管理されていることが当たり前の〝灯火〟が〝取り敢えず〟的なリカバーしかできなかったことが、慰霊の日そのものを〝お祭り〟と考えているのではという辛口意見も出ていたのが事実である。最も沖縄県側も〝あってはならない事〟を仕出かしたことは真摯に受け止めてはいるようで、従来の設備の改良を考えてはいるようだがその後の解決論が出ていないらしい。とはいえこのような〝失態〟を冒してでも中央からVIPを呼んで式典を催行した県側のお粗末な対応には笑ってしまう。まぁこのような姿を今後みられるとも思わないので、〝記録〟と〝記念〟としてカメラに収めておく。そして平和の礎東側通路を通って式典会場方向へと歩いて行くと、日本全国から集められた警察官がVIPの警備のために暑い中立っている。迂回するのも大変なので先に〝栃木の塔〟に参り、VIP対応の様子を眺めることにした。ここでひとつおまけの出来事が発生する。毎度おなじみの老害ジジイの出没だが沖縄県警の公安職員が対応している様子を見ている限り、どうやら常連であるらしく気軽に話しているようだ。ただイベント化された追悼式に対する〝気持ち〟を言うことは仕方がないとは思うのだが、悪いが自転車の乗り入れが禁止されている平和祈念公園に於いて、自転車に跨っていることがおかしいことに気付いてはいない。自分が正しいという考えで通すから〝老害〟と言われるのであって、守ることを守らない輩に発言権はないのである。残念なひとりにしか見えなかったおじぃの戯言であった。脱線したがこのVIP対応は沖縄戦全戦没者追悼式の〝主賓〟は誰なのかを問いかける問題に既になっている問題だと思えてならない。ただ見方によっては相違もあるかと思うので、動画で纏めてみた。こう思うといった意見があれば述べて頂きたいと思う。

そうこうしているうちにVIPの退出が終了し、通路が解放される。最後にテント下で行われている〝一般焼香〟の列に並び、お焼香をさせて頂く。式典終了後少し時間が経っていることもあり、待ち時間はいつもよりも短めで済んだ。こうして私の〝戦後79年沖縄戦全戦没者追悼式〟参列は終了となる。いつもならば式典終了後に平和祈念公園を巡るのだが、今回は式典最中に済ませてしまったので車へと戻ることにする。駐車場までのシャトルバスは間違いのないように〝色分けされた注意書き〟の色のバス停に並ぶのだが、どうやら水色の沖縄県農業研究センター行きのバスの戻りが良くないようだ。シャトルバスの運行時間はほぼどの場所へ向かうシャトルバスも同じなのだが、私が利用した農業研究センターは閉鎖される〝時間〟があるために〝遅れ〟が生じることを係員士達が良くは思っていないようである。結局他路線のシャトルバスを転用して研究センター行きとし、そのバスに乗っかって無事駐車場へと戻って来られた。最近バスのドライバーも女性であることが珍しくなくなっている。沖縄では貸し切りバスの乗務員ではたまに見かけたことはあるが、路線もあるバス会社では初めて出会った。そのバス車両もちょっと珍しいものでUNIVERSEのロゴがついたものであった。韓国のヒュンダイ自動車製造のもので、安価なこともあり特に九州・沖縄でよく見ることがある車両である。確かに日本製車両と比べると内装が安っぽい等とケチを付けたくなる部分はあるが、まあ日本法人が絡んでいるので間違いはないとは思いたい。というよりも基本中古車両の多い沖縄のバスは観光仕様でも〝ロッドタイプ〟の変速ギアを用いている車両が多い。その点UNIVERSEのバスは新車導入の筈ではあるが、ギアはロッドタイプのものであった。おまけにドライバーのお姉さんは以前トラックに乗っていたとみえ、あの〝透明なシフトノブ〟が付いていた。聞いてみようかとも思ったがその辺りはやめておく。

という感じで車に戻り、先ずはエアコンmaxで車内を冷やす。適当に冷えたことを確認して式典後の行程をスタートさせる。向かった先はサンエー西原シティ店である。ここは沖縄に来ると必ず立ち寄るお店のひとつであり、メインのお土産等はこちらで購入する。我が街滋賀を拠点にするスーパー平和堂と同じくニチリウグループの店舗であり、あらかたの商品は見たことのあるものであり、親密感があるということから私はいつも利用している。イオンモールもあるのだが、自宅用の土産等は普段使いの安いものでよいために、お土産仕様と普段使い仕様とどちらも揃うのがサンエーである。今回もお土産はすべて購入し、手荷物が増えて自宅へ送る必要が出来ても対応できるようにしておいた。気兼ねする理由その①を解消し、昨日日暮れ後に訪れて何もできなかった首里城へと改めて向かうことにした。

首里城に到着し今回は県営駐車場を利用する。明るいうちに昨日巡ったところを改めて回って行く。守礼之門・国王頌徳碑・首里城歓会門・園比屋武御嶽石門・第32軍司令部壕掩蔽壕・第32軍司令部通信壕・重修天女橋碑記・円鑑池・ノバリケン・天女橋&弁財天堂・沖縄師範学校跡・高所跡・首里市庁跡・貝摺奉行所跡・沖縄師範学校附属小学校跡碑・円覚寺跡・首里城久慶門・歴史を語るアカギの大木・首里城歓会門等を巡って守礼の門に戻って来た。その後レストセンター首里杜館を通って駐車場へと向かい、車に乗り込む。駐車場の利用時間は19:30となっており、出庫時刻の記録は19:15。やはりこのあたりの時間で切り上げないとな~と改めて思う。そして再び西原町に向かい内間御嶽に到着する。夜に〝御嶽巡り〟もどうかと思われるかも知れないが、この内間御嶽は町指定の天然記念物サワフジの見られる場所としても知られている。サワフジ=サガリバナであることは周知の事実ではあるが、内間御嶽内にあるサワフジの木は照明がないために写真で切り取ることが凄く難しい。最初に立ち寄った際にも数枚撮影はしてみたが、ストロボをフル発光させて木の形態がわかる程度のものしか撮ることが出来なかった。その後以前にも立ち寄った御嶽近くのサガリバナもカメラで切り取ってはみるものの、時間の関係か〝華やかさ〟があるものが少なかったので、一旦この場所を離れて食事を済ませてから再び戻って来ることにした。向かった先は〝めん家サンエー西原シティ店〟である。ここは以前にも訪れたことがあるのだが、あまり食欲がないときでも食べられるものがあることからの再訪となった。フーチャンプル定食+ドリンクで程良くお腹が膨れて車へと戻り、今来た道を戻って行くことにする。そして内間御嶽へと戻って来るが、やはり昨年よりも早い時間の訪問であることが影響しているのかわからないが、サガリバナの咲き具合はイマイチである。まあ今年も来たよと記録的な写真を撮影して車へと戻り、本日の宿である奥武島のゲストハウスりゅうかくに向かうことにする。

この辺りは毎回同じようなルートを辿って走っているために、わからなくもないのだが取り敢えずナビは付けたままにして走って行く。沖縄県道77号線を南下して行くと見つけたファミリーマート南城大里中学校前店でmyタバコを見つけ、購入&一服する。再び走り出し国道331号線と交差して尚南下する。そして奥武橋を渡るとすぐに到着するのだが、荷物の整理をするために奥武島南海岸広場に車を停めて車内をゴソゴソ。ぽっかりと海の上に浮かんだ満月が美しくてカメラに収めてからラストラン。いつもとは違う方向からゲストハウスりゅうかくに到着した。

まあいつも通り決して早くはない時間ではあったがオジィ・オバァとも元気で迎えてくれる。今年に限っては1月にも訪れているので2回目となる。最近ではめっきり人気宿となり今までのように直近の予約では満室であることも少なくはない。その辺りはリピーターとは言え部屋数が2部屋しかなければ自ずと競争率は高くなってくる。泊まり始めた頃は私同様HPを探して見つけてきた方々がたまに泊まっているような感じではあったが、やはり旅行サイトの力は大きいのだろう…半年後の予約が入っていることもある宿に変貌した。勿論オキィ・オバァの人柄の良さが人を引き付けていることには違いないのだが、予想以上の繁盛ぶりに少しジェラシーすら感じる私であった。

半年とは言えお二人に話すことは山ほどあるが、それはそれなりに話しておいて残りはまた次の機会に取って置き、今晩の宿は201号室シングルルームにお世話になる。二日間はいつもとそう変わらぬルートと立ち寄り地&宿泊地ではあったが、明日以降は離島旅に切り替える。とは言えじっくりコースを組んでいてもなるようにならないこともある。それが旅!と思っているうちに寝てしまったようだ。そんなこんなで時間は過ぎて行き、旅3日目を迎えることとなるzzz。
  
《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JALグループ ANAグループ JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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