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《2024.January》あみんちゅなにげに沖縄街歩きの旅そのⅢ~名護城跡・八重岳・今帰仁城跡の桜編~<br /><br />旅2日目の朝は適当な時間に起きた感じ。いつもならばガッツリと組んだ予定に縛られるのだが、今回に限っては夜に今帰仁へと向かう以外は縛りはない。という訳で二度寝を決め込んでから起きることにした。<br /><br />そんなアバウトな一日なので朝食も付けてはいない。珍しく素泊まりであった。出発をチェックアウト時間の11:00にして、館内施設の写真を撮りながら時間を潰す。なぜ阪神タイガースの旗が飾られているのかと思いきや、沖縄キャンプの際の滞在施設のひとつとなっていたようだ。<br /><br />荷物を車に積み込み外観を撮影して出発する。標高のせいか背景に“なにもない”ことに気付くが私が利用する宿泊先にしては珍しい。暫く走って行き着いた先はローソン石川バイパス店、昨晩も訪れたコンビニだ。ここでモーニングコーヒーと一服タイムを取り、北へと向かって走ることにする。今回のレンタカーの走りに関しては、型落ちの車とナビ・装備と書かれていたためにスマホナビを多用している。無料のベースに加えて少し有料の機能を付けると普段の走り方から演算された所要時間が表示されるために狂いが少なく使い勝手が良い。そのために事前に数ヶ所の目的地を入力しておくのだが、10分の違いしかない有料道路を利用することはなく、一般道を走って行く。混雑状況も加味されるので安心していたら渋滞にハマってしまった。確か恩納バイパスだったと思うが道路の拡張工事のため片側交互通行となっている。これが意外と長い距離を止めているために当然所要時間が長くなってくる。今回は昼間は予定はあってないようなところがあるために、流れに沿って止まったり走ったりを繰り返す。そして過去にも訪れたことのある“幸喜ビーチ”に立ち寄ってトイレ休憩を取って一息ついて再び走って行く。目的地の名護中央公園は、名護市内から向かうルートになるはずだが、ナビ曰く名護東バイパスを走れという。前回の6月に走った時の失敗を教訓にして許田ICで沖縄自動車道と合流してからはひたすら右側車線を走り続け、無事に名護東バイパスへと入ることができ、快走しているとまさかの道路上で“目的地に到着しました”とアナウンスが流れびっくりする。後からルートを見直すと目的地に設定した“名護中央公園展望台”はバイパスからそう離れた距離ではなかったためにそのようなアナウンスが流れたようだ。勿論バイパス上のトンネルに車を停めるわけにもいかずそのまま走り続け世冨慶ICで一般道へと下りて名護市街をグルグルと走り、やっと名護中央公園展望台駐車場に到着する。<br /><br />そもそもこの場所を目的地にしたのは、昨日令和6(2024)年1月27・28日の両日に“名護桜まつり”が行われるための訪問である。本来ならば観光客や地元の方々の車で混雑し、さほど駐車スペースがないために、名護漁港に臨時駐車場を設け、そこからシャトルバスで会場入りするルートが推奨されているようだ。ただ時間的な余裕はあったために先に会場に向かったところ運良く駐車場が空いていた訳である。<br /><br />勿論“桜まつり”というだけあり、人出は多い。しかし1月17日に開花宣言が出された後に天気が崩れ、気温も低い日が続いたために開花がずいぶんと遅れているようだ。これは名護中央公園だけに限らず沖縄中が同じ条件であったがために、これが“桜まつり?”という現象を作り出してしまったに過ぎない。私はコロナの期間を除いて毎年6月に沖縄を訪れている。しかし“花見”の時期にかち合ったことは、例外的に訪れた12月や2月でもなかったことである。そんな背景があったために今回は1月下旬に来沖した訳だが、これも“読み違い”が絡んでしまった結果である。昨日八重瀬公園の桜まつり、東南植物楽園のイルミネーション、アメリカンビレッジのイルミネーションと訪れているが、予定ではこどもの国や糸満ピースフルイルミネーション等他のイベントも来訪するはずであった。この辺りは一昨年令和4(2022)年の開催状況を参考にしており、予定で終ってしまった施設はどうやら“延長”して1月末迄イベント開催をしていたようだということを知った。事実内地の施設でも昨年は期間延長されていたイルミネーションイベントも多くあり、てっきり今年も同じだと思いこんでしまったのであった。一年前は思い起こせば大手を振って旅行ができる時期でもなかった筈だ。事実1月末の群馬栃木、3月の伊豆共々“旅行支援”の恩恵を被ることができた。しかし今年の1月に至って言うならば特定の“エリア”で旅行支援が行われている場所はあれど、全国的には行われていないところが多い。ひと言で言うならば支援なんてせずとも人は来ると考えられているわけである。その落とし穴にまんまとハマってしまったのがこの私。別に支援が欲しくて旅をする訳では無いが人の動きを活発化するためにイベントの開催時期が延長されていることまでは読んではいなかった。まあ支援のことは抜きにして、敢えてこの時期を選んだ“理由”がなくなったことを知ってから旅立った今回の沖縄だったので、少しでも当初の目的を達成したかったのだが、桜まつりにも見放された感が漂う。しかし陽当りの良い場所はやはり花の咲き具合も違うようで、日本で最も早い桜まつりの“概略”程度は見ることができたように思う。思うところは多々あれど展望台付近の寒緋桜を“少し”満喫し車に戻り出発する。<br /><br />次の目的地である八重岳に向かうには名護の市街地を突き抜ける形で走って行く。幾度か名護の街は訪れてはいるが、随分と混雑している。ありとあらゆる駐車場はいっぱいになっており、コンビニに立ち寄るにも車が停められない。車窓から何をやっているのかとゆっくり走りながら眺めているとどうやら“お祭り”をしている様子。桜まつりと言うならば、桜が咲いている“場所”が会場だと思いこんでいたのが誤りだった訳ではあるが、車窓から見た漢字では“地元参加型”のお祭りのようだった。良い悪いは抜きにして家族や知り合いが参加していれば多くの地元の方々が“祭り見物”に訪れることから、車を停められそうな場所は全て埋まっていることも合点がいく。ネタ作りにちょっとでも除いてみようかとも思ったが、路駐するのも気が引けたために諦めることにした。<br /><br />他にも駐車スペースを探している車両も多かったようで、市街地はかなりの混雑であった。とは言え裏道を知っているような場所でもないために、素直にナビの示す道路を八重岳に向かって進んで行った。<br /><br />郊外に出ると普通に快走出来るようになった。八重岳は本部半島の真ん中にある山であるが、色々と見るべきところが多い場所である。この6月に訪れたよへなあじさい園は有名処のひとつであろう。その近くを通り過ぎ進んで行くと“見覚え”のある場所に出会し、スビードを落した。三中学徒之碑と八重岳野戦病院壕跡である。双方ともやはり昨年訪れた場所ではあるのだが、今回は“意外な場所”にあった様に思えたのである。先に時間の制限がある程度ある“桜まつり”を堪能してから、八重岳野戦病院壕跡、次いで三中学徒之碑へと立ち寄ったのだが、いつもは山頂方向から下りてくるルートを取るが、今回は桜の森公園側から山頂方向へと向かう“逆ルート”を辿ったためだったことを知る。このふたつの史跡は近く迄来て立ち寄らない訳にはいかない。先に車で行くことができる八重岳休憩所迄行ってから桜を求めて下ってくる。途中八重岳野戦病院壕跡と三中学徒之碑にも立ち寄り、八重岳桜の森公園へとやって来た。八重岳さくら祭りは本来ここ“八重岳桜の森公園”がメイン会場となっており、それに付随して八重岳に繋がる道沿いに植わっている桜の花を見ることが本筋のようであった。確かこちらも数年前に一度訪れてはいるが、6月下旬ではイベントも何も行ってはおらず休憩のために車を停めて休んでいた方位であった。しかしさすがはさくら祭りの開催中、夕方なので車が停められない程ではないにしろがら空きというものでもなかった。取り敢えず展示を見たりして施設巡りはしたが、園内の桜を見るには移動する必要があるため軽く流すだけに留めておいた。そして頃合いを見計らって車へと戻り出発することにした。<br /><br />目指した先は今帰仁城跡駐車場。世界遺産今帰仁城跡で行われている“今帰仁城さくら祭り”は、色とりどりのライトアップに城壁他建造物や樹木が浮き上がるという“うたい文句”は多くの観光客や地元の方々を魅了するのだろう。土日祝祭日は施設の駐車場だけではなく、付近に設けられた“臨時駐車場”を利用し、城跡へはシャトルバスで移動を願いますと注意書きがwebページにも記載されていた。とは言え寒緋桜の開花も遅れている今日、まあそこまでの集客はないだろうと読んでいたのが甘かった。ライトアップ開始時刻の18?00過ぎに訪れると既に施設駐車場は満杯になっており、臨時駐車場を案内される。城跡近場から1番・・・とされているようだが、私が駐車できたのは第三駐車場の兼次小学校であった。これだけの人間が1ヶ所に集まっている訳だが、道の広さ等交通事情もあり大型バスを投入できないようだ。役場は勿論今帰仁村にある学校やホテル、教習所の送迎に利用されているマイクロバスが総動員され、駐車場と会場をピストン輸送を行っていた。私が利用した兼次小学校は今帰仁城跡からは2km程離れている。ここだけの送迎であればまだしも、他の臨時駐車場の送迎もあるために効率は決して良くはない。バス待ちの列に列に並ぶこと1時間、やっと送迎バスに乗ることができた。南国沖縄の地であっても寒いときは寒い。12~13℃はあるので、内地の寒さの比較にはならないが、私が沖縄入りした昨日から寒い日が続いている。観光客の立場で偉そうには言えないが、この待ち時間程“辛い”と感じたのは記憶を辿っても暫く経験していないものだった様に思える。またグループの身勝手さも効率の悪さを煽っている。マイクロバスの定員は25若しくは29人であり、それぞれドライバーを加味すると24か28人となる。定員迄乗せればまだはけるのだろうが、グループが分かれてしまうということから、まだ乗れるにも拘らず出発せざるを得ないというナンセンスなことが起こっていた。ある程度人列が進んだ前の方では一人・二人といった少人数を募りバスに乗り込ませていたが、その辺りまで進むのがまた大変だった。毎年6月に行っている追悼式会場へのシャトルバスも同じことが言えるのだが、この辺りは改善の余地はあるだろう。結局私の場合も18?02に駐車場に到着し、会場到着は19?30であったことを考えても時間のロスは半端ないと思えて仕方がないのであった。<br /><br />腹立たしいこともあったが怒っても仕方がないとバスの中で割り切って今帰仁城跡に到着する。9年ぶりに訪れた今帰仁城跡、確か前回も早くない時間であったために今帰仁城跡の“シルエット”を見に行った様なものである。今回もライトアップ見学が目的なので、やはり日暮れ後の訪問となる。入口は多分“ライトアップ”専用の場所になっているのだろう。入場券は事前に購入していたために画面提示だけで済む。使用後のチケットをスクショ仕様としたが、なにかを触ってしまったようで画面が消えてしまった。再度アプリを立ち上げるも“使用済みチケット一覧”でしか表示できないようで仕方がない。実券を残せないのが欠点ではあるが、少し割引があるために諦める。<br /><br />“今帰仁城跡桜まつり”の会場である今帰仁城は、内地の鎌倉時代末期から室町時代初期の14世紀に怕尼芝(はにじ)によって建国された北山王国の拠点となった城である。初代北山国王である怕尼芝は英祖王統の初代英祖の次男である湧川王子の曾孫に当たる人物で、父は湧川按司一世の次男の湧川按司二世である。第二尚氏王朝時代に記された歌集“おもろさうし”によると父の湧川按司二世の兄で今帰仁城を統治していた今帰仁按司一世の長男である仲昔今帰仁按司丘春の長男で、怕尼芝にとっては従兄弟の子にあたる今帰仁仲宗根若按司を破り、自ら北山王を自称し“北山王国(怕尼芝王統)”を建国し、以後今帰仁城を本拠としたことに歴史が始まっている。以降一世紀にわたり北山王国の拠点として栄えるが、三山時代を迎え怕尼芝が滅ぼした旧城主の湧川王子とその子孫の末裔である護佐丸が第二代中山王尚巴志が北山王国を攻め滅ぼすために派遣され、先祖の恨みを晴らすべく戦い、北山王国を滅亡させている。1416年の出来事である。中山王の配下となった今帰仁城には以降北山監守が置かれることとなり、これは17世紀の島津軍による“琉球侵攻”後の1665年に廃止されている迄続いていた。それ以降は具志川御殿十世今帰仁朝義と係累が明治期の琉球処分迄監守跡を管理していた。<br /><br />北山監守には中山王族から選ばれ、初代北山監守には尚巴志の次男であり三代国王となった尚忠王が選ばれた。以降北山王の末裔である護佐丸、第二尚氏王朝時代には今帰仁朝典、今帰仁朝幸が務めていた。<br /><br />城作りの名手と言われ、座喜味城や中城城を築いた護佐丸だが、その勢力拡大には尚巴志王も危機感を持っていたと言われている。そのために移封を命令し、同一の領地で勢力を伸ばせないようにしていたと言われている。中山王朝の立役者のひとりである護佐丸だが、王朝の世代交代が進むにあたり第六代国王となった尚泰久王の治世には護佐丸を排除する勢力も出て来ている。中でも護佐丸を危険視していた“阿麻和利”は護佐丸が反乱を起こすために人馬を集めていると讒言を王に伝える。この言葉に尚泰久王は即動きを見せ、阿麻和利を総大将として王府軍を護佐丸の中城城に向かわせる。戦上手でもある護佐丸だが、攻めてきた軍が王府軍だということを知ると反撃をせずに妻や子供と共に自害して果てる。仇敵の護佐丸を除いた阿麻和利は本心の首里を急襲するが、尚泰久王の娘であり、阿麻和利の妻であった百度踏揚(ももとふみあがり)が勝連城を脱出して王府に変を伝え、阿麻和利は王府軍によって滅ぼされたと伝えられている。尚泰久王から見ると義父と娘婿の関係にあたる護佐丸と阿麻和利、ふたつの乱を鎮圧したことが実績として語られているようだが、本当に両者に反乱の意図があったかどうかは“疑わしい”と考える研究者も存在する。現実に第五代尚金福王の死後に王位を巡って王世子志魯と王弟布里が争いを起こしている。結局二人共が敗れたことにより布里の弟で志魯の叔父である尚泰久王が即位したが、これも重臣達の後押しがあったためだとされている。故に棚ぼた的に国王になれたようなものではあるが、父である尚巴志王の様な威厳やカリスマ性があった訳でもなかったために、忠臣という存在を軽んじていたのではという説がある。事実尚泰久王亡き後七代尚徳王が即位するも8年程で逝去した。死後尚徳王の即位をバックアップした後の第二尚氏王朝初代国王となる金丸(尚円王)らがクーデターを起こし、世子や正室・側室等一族の殆どが殺害や追放され、第一尚氏王朝は滅亡する。この辺りのことから第一尚氏王朝は滅ぶべきして滅んだと考えられている。忠臣を蔑ろにする等した結果、敵を作ってしまい滅んでしまった第一尚氏王朝。仕方がないといえばそれまでだが、長年の功労を“疑い”だけで攻め滅ぼしたのは人を見る目がなかったのであろう。<br /><br />そんな歴史的背景がある今帰仁城跡だが、その芸術的とも言える“建造物”は世界遺産の構成物として現在に至っている。また“寒緋桜”の名所でもあるがために、イベントとして“桜”の時期にライトアップを絡めて“今帰仁グスク桜まつり”が行われている。だいたいは1月第3週の土曜日から第4週の日曜日に催行されることになっているようだ。名護や八重岳に近い今帰仁城跡であるために、今年に限って言えば桜がちらほら咲きである開花状況は殆ど変わらない。しかし大勢の観光客や地元の方々が訪れる“一大イベント”であることに変わりはないために、開花状況とは関係なく大変多くの人々が訪れる場所と化す。<br /><br />ライトアップの開始時刻である18:00の到着は既に遅く、第三臨時駐車場に車を停めてシャトルバスで会場入りするしか方法がなかった。バスを待ち会場入りするまでは1時間半を要し、夏場ならばともかく冬場ではいくら南国沖縄とは言えかなり冷え込む中で待つバスは結構キツかった。だが実際に会場入りしてみると普段写真で見る景色とは全く異なる景色が広がっていることに先ず気を惹かれる。あくまで通路は一方通行なので意図的に逆走しない限りは皆同じ景色を見て歩くのだが、やはりいつもとは異なる景色に見惚れている感じを受けた。所要時間は1~2時間とは記載されてはいるが、どうしても多くの人々が訪れているため、写真を撮りたくなる場所は同じであるために、その付近で混雑してしまうことが渋滞の元凶になっているようだ。スマホカメラとフィルムカメラを三脚に取り付けたまま歩いていても、やはり撮影するには少々時間を要してしまうので、私自身も渋滞の原因になっていたかも知れない。まあ色々と思うことはあれど流されるところは流されよう的な想いで1時間半程掛けて一周してきた私であった。<br /><br />丁度回り終わった時間が閉園の時間とほぼ同じであった。内地のイルミネーションイベントの際には、“今何時”ということを考えなくとも証明が落とされることで終園時刻がわかるのであるが沖縄の人柄なのか?一部の照明は終園時間を過ぎていても点いていたような気がする。初日の八重瀬公園もそうだったように思う。すべての来場客が帰るまでというのは観光客の我儘だが、見ていて気持ちの良いものであった。<br /><br />そしてシャトルバスの乗り場へと向かう。私が駐車した〝第三駐車場(兼次小学校)〟は最も大きく、かつ解放されるのが最も遅い駐車場のようで、多くのバス待ちの人々が並んでいた。とは言え〝桜まつり〟を満喫した後だということもあるのか、行きのような殺気立った感はなく、行儀良く列に並んでバスを待っている感じであった。<br /><br />3代目位でシャトルバスに乗車することができ、走り出すこと数分で駐車場へと到着する。見逃したものがなかったとは言い切れないものの、私にしてはなかなか効率の良い予定を回り切れたという思いがある。暫く車のエンジンをかけて暖気運転をする。沖縄で必要かどうかはわからないが、結構外も冷え込んできたために、室内を温める意味もある。程良く車内が温まったので車を走らせ、6月にも走った国道505・449号編を走り本部へと向かう。目的地は渡久地港である。沖縄のwebニュースで渡久地港のイルミネーションが紹介されていたので立ち寄ってみようと思った訳だ。しかし実際に渡久地港に着いてもそれらしき明かりは見えて来ない。0:00迄点灯している上に2月上旬まで開催されていると書かれていたのである筈なのだが…どこにもない。スマホナビを駆使し渡久地港を一周するように走っては見たが、やはり見つからなかった。こういう時に〝夜〟開催のイルミネーションは不便である。役場や観光協会に問い合わせるのが一番手っ取り早いがそれができない。かと言って明日確認して夜に訪れるには時間がない。そうこうしているうちに時間が過ぎて行く。あまり時間のことは気にしない私ではあるのだが、この界隈で宿泊するにはどんなに遅くてもチェックインが22:00迄のところが多い。残念だがこれ以上時間を費やすこともできずに出発することにした。<br /><br />渡久地港を後にしてそのまま名護方向に進むと進行方向右側に本日の宿である〝ホテル&レストランオン・ザ・ビーチ・ルー〟が見えてくるが、そのまま一旦通り過ぎる。というのも食事を済ませていないためではあるが、このまま名護市街迄向かうとそれなりに時間を要してしまう。ナビ上では到着は23:00頃との表示であったがために、外食を諦めコンビニ弁当を購入することにした。立ち寄った先はセブンイレブン名護屋部店、ここは数件隣りに屋部郵便局があるためにやはり6月に訪れている。コースの組み方が結構ワンパターンであるために一回訪れた場所を再訪することが多い。時間も時間だったのでそれほど品数が多い訳でもなかったが、まぁ夕食にできる程度のものを購入し、車へと戻る。そして今来た道を本部方面へと走り、やっと本日の宿である〝ホテル&レストランオン・ザ・ビーチ・ルー〟に到着する。<br /><br />こちらを選んだのはいつもの〝値段〟と〝チェックアウト時間の遅さ〟であった。シーズンではないのでもう一組宿泊客がいたようだが空いてはいる。チェックインを済ませ鍵を受け取り部屋へと向かうが、部屋のありかがわからない。そのためもう一回フロントへと戻り〝部屋が…〟というとオーナーさんが連れて行ってくれた。建物を見て最初にも気になったことではあるのだが、海に面した部屋が〝廃墟化〟しているように見えたのだ。どうしてかと思っていたら、台風でガラスまでが割れてしまい、シーズンに向けて修理をしているとのことであった。昨年宿泊した今帰仁のホテルオーシャンズ今帰仁もそうであったが、ホント度が過ぎる〝オーシャンビュー〟であるため、海が荒れようものなら宿泊するのも怖い…ということそのものである。コロナ化が沈静した(?)ことで客数は増えてはいくだろうが、部屋がなければどうしようもない。あてがわれた和室は方向的には海に直角に位置する和室であったために無傷であったらしい。シンプルであまり飾り立ててはいない部屋ではあったが、必要なものはすべて揃っているお部屋であった。そんなお部屋で先ずは汗を流す。そして夕食を軽く摂って明日の行程を見直す。ここは昨年6月に予定していたコースではあるのだが、ホテルの朝食時間の関係で行くことができなかったルートである。そのため訪問地その他も前回のものをそのまま流用しているために細かくは見てはいない。明日天気に恵まれれば良いな~と思いながら時間との勝負で走ってきた2日目のつかればどっと出てきたためにzzz。そして旅3日目を迎えるのであった。<br /><br />  《続く》

《2024.January》あみんちゅなにげに沖縄街歩きの旅そのⅢ~名護城跡・八重岳・今帰仁城跡の桜編~

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2024/01/28 - 2024/01/28

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《2024.January》あみんちゅなにげに沖縄街歩きの旅そのⅢ~名護城跡・八重岳・今帰仁城跡の桜編~

旅2日目の朝は適当な時間に起きた感じ。いつもならばガッツリと組んだ予定に縛られるのだが、今回に限っては夜に今帰仁へと向かう以外は縛りはない。という訳で二度寝を決め込んでから起きることにした。

そんなアバウトな一日なので朝食も付けてはいない。珍しく素泊まりであった。出発をチェックアウト時間の11:00にして、館内施設の写真を撮りながら時間を潰す。なぜ阪神タイガースの旗が飾られているのかと思いきや、沖縄キャンプの際の滞在施設のひとつとなっていたようだ。

荷物を車に積み込み外観を撮影して出発する。標高のせいか背景に“なにもない”ことに気付くが私が利用する宿泊先にしては珍しい。暫く走って行き着いた先はローソン石川バイパス店、昨晩も訪れたコンビニだ。ここでモーニングコーヒーと一服タイムを取り、北へと向かって走ることにする。今回のレンタカーの走りに関しては、型落ちの車とナビ・装備と書かれていたためにスマホナビを多用している。無料のベースに加えて少し有料の機能を付けると普段の走り方から演算された所要時間が表示されるために狂いが少なく使い勝手が良い。そのために事前に数ヶ所の目的地を入力しておくのだが、10分の違いしかない有料道路を利用することはなく、一般道を走って行く。混雑状況も加味されるので安心していたら渋滞にハマってしまった。確か恩納バイパスだったと思うが道路の拡張工事のため片側交互通行となっている。これが意外と長い距離を止めているために当然所要時間が長くなってくる。今回は昼間は予定はあってないようなところがあるために、流れに沿って止まったり走ったりを繰り返す。そして過去にも訪れたことのある“幸喜ビーチ”に立ち寄ってトイレ休憩を取って一息ついて再び走って行く。目的地の名護中央公園は、名護市内から向かうルートになるはずだが、ナビ曰く名護東バイパスを走れという。前回の6月に走った時の失敗を教訓にして許田ICで沖縄自動車道と合流してからはひたすら右側車線を走り続け、無事に名護東バイパスへと入ることができ、快走しているとまさかの道路上で“目的地に到着しました”とアナウンスが流れびっくりする。後からルートを見直すと目的地に設定した“名護中央公園展望台”はバイパスからそう離れた距離ではなかったためにそのようなアナウンスが流れたようだ。勿論バイパス上のトンネルに車を停めるわけにもいかずそのまま走り続け世冨慶ICで一般道へと下りて名護市街をグルグルと走り、やっと名護中央公園展望台駐車場に到着する。

そもそもこの場所を目的地にしたのは、昨日令和6(2024)年1月27・28日の両日に“名護桜まつり”が行われるための訪問である。本来ならば観光客や地元の方々の車で混雑し、さほど駐車スペースがないために、名護漁港に臨時駐車場を設け、そこからシャトルバスで会場入りするルートが推奨されているようだ。ただ時間的な余裕はあったために先に会場に向かったところ運良く駐車場が空いていた訳である。

勿論“桜まつり”というだけあり、人出は多い。しかし1月17日に開花宣言が出された後に天気が崩れ、気温も低い日が続いたために開花がずいぶんと遅れているようだ。これは名護中央公園だけに限らず沖縄中が同じ条件であったがために、これが“桜まつり?”という現象を作り出してしまったに過ぎない。私はコロナの期間を除いて毎年6月に沖縄を訪れている。しかし“花見”の時期にかち合ったことは、例外的に訪れた12月や2月でもなかったことである。そんな背景があったために今回は1月下旬に来沖した訳だが、これも“読み違い”が絡んでしまった結果である。昨日八重瀬公園の桜まつり、東南植物楽園のイルミネーション、アメリカンビレッジのイルミネーションと訪れているが、予定ではこどもの国や糸満ピースフルイルミネーション等他のイベントも来訪するはずであった。この辺りは一昨年令和4(2022)年の開催状況を参考にしており、予定で終ってしまった施設はどうやら“延長”して1月末迄イベント開催をしていたようだということを知った。事実内地の施設でも昨年は期間延長されていたイルミネーションイベントも多くあり、てっきり今年も同じだと思いこんでしまったのであった。一年前は思い起こせば大手を振って旅行ができる時期でもなかった筈だ。事実1月末の群馬栃木、3月の伊豆共々“旅行支援”の恩恵を被ることができた。しかし今年の1月に至って言うならば特定の“エリア”で旅行支援が行われている場所はあれど、全国的には行われていないところが多い。ひと言で言うならば支援なんてせずとも人は来ると考えられているわけである。その落とし穴にまんまとハマってしまったのがこの私。別に支援が欲しくて旅をする訳では無いが人の動きを活発化するためにイベントの開催時期が延長されていることまでは読んではいなかった。まあ支援のことは抜きにして、敢えてこの時期を選んだ“理由”がなくなったことを知ってから旅立った今回の沖縄だったので、少しでも当初の目的を達成したかったのだが、桜まつりにも見放された感が漂う。しかし陽当りの良い場所はやはり花の咲き具合も違うようで、日本で最も早い桜まつりの“概略”程度は見ることができたように思う。思うところは多々あれど展望台付近の寒緋桜を“少し”満喫し車に戻り出発する。

次の目的地である八重岳に向かうには名護の市街地を突き抜ける形で走って行く。幾度か名護の街は訪れてはいるが、随分と混雑している。ありとあらゆる駐車場はいっぱいになっており、コンビニに立ち寄るにも車が停められない。車窓から何をやっているのかとゆっくり走りながら眺めているとどうやら“お祭り”をしている様子。桜まつりと言うならば、桜が咲いている“場所”が会場だと思いこんでいたのが誤りだった訳ではあるが、車窓から見た漢字では“地元参加型”のお祭りのようだった。良い悪いは抜きにして家族や知り合いが参加していれば多くの地元の方々が“祭り見物”に訪れることから、車を停められそうな場所は全て埋まっていることも合点がいく。ネタ作りにちょっとでも除いてみようかとも思ったが、路駐するのも気が引けたために諦めることにした。

他にも駐車スペースを探している車両も多かったようで、市街地はかなりの混雑であった。とは言え裏道を知っているような場所でもないために、素直にナビの示す道路を八重岳に向かって進んで行った。

郊外に出ると普通に快走出来るようになった。八重岳は本部半島の真ん中にある山であるが、色々と見るべきところが多い場所である。この6月に訪れたよへなあじさい園は有名処のひとつであろう。その近くを通り過ぎ進んで行くと“見覚え”のある場所に出会し、スビードを落した。三中学徒之碑と八重岳野戦病院壕跡である。双方ともやはり昨年訪れた場所ではあるのだが、今回は“意外な場所”にあった様に思えたのである。先に時間の制限がある程度ある“桜まつり”を堪能してから、八重岳野戦病院壕跡、次いで三中学徒之碑へと立ち寄ったのだが、いつもは山頂方向から下りてくるルートを取るが、今回は桜の森公園側から山頂方向へと向かう“逆ルート”を辿ったためだったことを知る。このふたつの史跡は近く迄来て立ち寄らない訳にはいかない。先に車で行くことができる八重岳休憩所迄行ってから桜を求めて下ってくる。途中八重岳野戦病院壕跡と三中学徒之碑にも立ち寄り、八重岳桜の森公園へとやって来た。八重岳さくら祭りは本来ここ“八重岳桜の森公園”がメイン会場となっており、それに付随して八重岳に繋がる道沿いに植わっている桜の花を見ることが本筋のようであった。確かこちらも数年前に一度訪れてはいるが、6月下旬ではイベントも何も行ってはおらず休憩のために車を停めて休んでいた方位であった。しかしさすがはさくら祭りの開催中、夕方なので車が停められない程ではないにしろがら空きというものでもなかった。取り敢えず展示を見たりして施設巡りはしたが、園内の桜を見るには移動する必要があるため軽く流すだけに留めておいた。そして頃合いを見計らって車へと戻り出発することにした。

目指した先は今帰仁城跡駐車場。世界遺産今帰仁城跡で行われている“今帰仁城さくら祭り”は、色とりどりのライトアップに城壁他建造物や樹木が浮き上がるという“うたい文句”は多くの観光客や地元の方々を魅了するのだろう。土日祝祭日は施設の駐車場だけではなく、付近に設けられた“臨時駐車場”を利用し、城跡へはシャトルバスで移動を願いますと注意書きがwebページにも記載されていた。とは言え寒緋桜の開花も遅れている今日、まあそこまでの集客はないだろうと読んでいたのが甘かった。ライトアップ開始時刻の18?00過ぎに訪れると既に施設駐車場は満杯になっており、臨時駐車場を案内される。城跡近場から1番・・・とされているようだが、私が駐車できたのは第三駐車場の兼次小学校であった。これだけの人間が1ヶ所に集まっている訳だが、道の広さ等交通事情もあり大型バスを投入できないようだ。役場は勿論今帰仁村にある学校やホテル、教習所の送迎に利用されているマイクロバスが総動員され、駐車場と会場をピストン輸送を行っていた。私が利用した兼次小学校は今帰仁城跡からは2km程離れている。ここだけの送迎であればまだしも、他の臨時駐車場の送迎もあるために効率は決して良くはない。バス待ちの列に列に並ぶこと1時間、やっと送迎バスに乗ることができた。南国沖縄の地であっても寒いときは寒い。12~13℃はあるので、内地の寒さの比較にはならないが、私が沖縄入りした昨日から寒い日が続いている。観光客の立場で偉そうには言えないが、この待ち時間程“辛い”と感じたのは記憶を辿っても暫く経験していないものだった様に思える。またグループの身勝手さも効率の悪さを煽っている。マイクロバスの定員は25若しくは29人であり、それぞれドライバーを加味すると24か28人となる。定員迄乗せればまだはけるのだろうが、グループが分かれてしまうということから、まだ乗れるにも拘らず出発せざるを得ないというナンセンスなことが起こっていた。ある程度人列が進んだ前の方では一人・二人といった少人数を募りバスに乗り込ませていたが、その辺りまで進むのがまた大変だった。毎年6月に行っている追悼式会場へのシャトルバスも同じことが言えるのだが、この辺りは改善の余地はあるだろう。結局私の場合も18?02に駐車場に到着し、会場到着は19?30であったことを考えても時間のロスは半端ないと思えて仕方がないのであった。

腹立たしいこともあったが怒っても仕方がないとバスの中で割り切って今帰仁城跡に到着する。9年ぶりに訪れた今帰仁城跡、確か前回も早くない時間であったために今帰仁城跡の“シルエット”を見に行った様なものである。今回もライトアップ見学が目的なので、やはり日暮れ後の訪問となる。入口は多分“ライトアップ”専用の場所になっているのだろう。入場券は事前に購入していたために画面提示だけで済む。使用後のチケットをスクショ仕様としたが、なにかを触ってしまったようで画面が消えてしまった。再度アプリを立ち上げるも“使用済みチケット一覧”でしか表示できないようで仕方がない。実券を残せないのが欠点ではあるが、少し割引があるために諦める。

“今帰仁城跡桜まつり”の会場である今帰仁城は、内地の鎌倉時代末期から室町時代初期の14世紀に怕尼芝(はにじ)によって建国された北山王国の拠点となった城である。初代北山国王である怕尼芝は英祖王統の初代英祖の次男である湧川王子の曾孫に当たる人物で、父は湧川按司一世の次男の湧川按司二世である。第二尚氏王朝時代に記された歌集“おもろさうし”によると父の湧川按司二世の兄で今帰仁城を統治していた今帰仁按司一世の長男である仲昔今帰仁按司丘春の長男で、怕尼芝にとっては従兄弟の子にあたる今帰仁仲宗根若按司を破り、自ら北山王を自称し“北山王国(怕尼芝王統)”を建国し、以後今帰仁城を本拠としたことに歴史が始まっている。以降一世紀にわたり北山王国の拠点として栄えるが、三山時代を迎え怕尼芝が滅ぼした旧城主の湧川王子とその子孫の末裔である護佐丸が第二代中山王尚巴志が北山王国を攻め滅ぼすために派遣され、先祖の恨みを晴らすべく戦い、北山王国を滅亡させている。1416年の出来事である。中山王の配下となった今帰仁城には以降北山監守が置かれることとなり、これは17世紀の島津軍による“琉球侵攻”後の1665年に廃止されている迄続いていた。それ以降は具志川御殿十世今帰仁朝義と係累が明治期の琉球処分迄監守跡を管理していた。

北山監守には中山王族から選ばれ、初代北山監守には尚巴志の次男であり三代国王となった尚忠王が選ばれた。以降北山王の末裔である護佐丸、第二尚氏王朝時代には今帰仁朝典、今帰仁朝幸が務めていた。

城作りの名手と言われ、座喜味城や中城城を築いた護佐丸だが、その勢力拡大には尚巴志王も危機感を持っていたと言われている。そのために移封を命令し、同一の領地で勢力を伸ばせないようにしていたと言われている。中山王朝の立役者のひとりである護佐丸だが、王朝の世代交代が進むにあたり第六代国王となった尚泰久王の治世には護佐丸を排除する勢力も出て来ている。中でも護佐丸を危険視していた“阿麻和利”は護佐丸が反乱を起こすために人馬を集めていると讒言を王に伝える。この言葉に尚泰久王は即動きを見せ、阿麻和利を総大将として王府軍を護佐丸の中城城に向かわせる。戦上手でもある護佐丸だが、攻めてきた軍が王府軍だということを知ると反撃をせずに妻や子供と共に自害して果てる。仇敵の護佐丸を除いた阿麻和利は本心の首里を急襲するが、尚泰久王の娘であり、阿麻和利の妻であった百度踏揚(ももとふみあがり)が勝連城を脱出して王府に変を伝え、阿麻和利は王府軍によって滅ぼされたと伝えられている。尚泰久王から見ると義父と娘婿の関係にあたる護佐丸と阿麻和利、ふたつの乱を鎮圧したことが実績として語られているようだが、本当に両者に反乱の意図があったかどうかは“疑わしい”と考える研究者も存在する。現実に第五代尚金福王の死後に王位を巡って王世子志魯と王弟布里が争いを起こしている。結局二人共が敗れたことにより布里の弟で志魯の叔父である尚泰久王が即位したが、これも重臣達の後押しがあったためだとされている。故に棚ぼた的に国王になれたようなものではあるが、父である尚巴志王の様な威厳やカリスマ性があった訳でもなかったために、忠臣という存在を軽んじていたのではという説がある。事実尚泰久王亡き後七代尚徳王が即位するも8年程で逝去した。死後尚徳王の即位をバックアップした後の第二尚氏王朝初代国王となる金丸(尚円王)らがクーデターを起こし、世子や正室・側室等一族の殆どが殺害や追放され、第一尚氏王朝は滅亡する。この辺りのことから第一尚氏王朝は滅ぶべきして滅んだと考えられている。忠臣を蔑ろにする等した結果、敵を作ってしまい滅んでしまった第一尚氏王朝。仕方がないといえばそれまでだが、長年の功労を“疑い”だけで攻め滅ぼしたのは人を見る目がなかったのであろう。

そんな歴史的背景がある今帰仁城跡だが、その芸術的とも言える“建造物”は世界遺産の構成物として現在に至っている。また“寒緋桜”の名所でもあるがために、イベントとして“桜”の時期にライトアップを絡めて“今帰仁グスク桜まつり”が行われている。だいたいは1月第3週の土曜日から第4週の日曜日に催行されることになっているようだ。名護や八重岳に近い今帰仁城跡であるために、今年に限って言えば桜がちらほら咲きである開花状況は殆ど変わらない。しかし大勢の観光客や地元の方々が訪れる“一大イベント”であることに変わりはないために、開花状況とは関係なく大変多くの人々が訪れる場所と化す。

ライトアップの開始時刻である18:00の到着は既に遅く、第三臨時駐車場に車を停めてシャトルバスで会場入りするしか方法がなかった。バスを待ち会場入りするまでは1時間半を要し、夏場ならばともかく冬場ではいくら南国沖縄とは言えかなり冷え込む中で待つバスは結構キツかった。だが実際に会場入りしてみると普段写真で見る景色とは全く異なる景色が広がっていることに先ず気を惹かれる。あくまで通路は一方通行なので意図的に逆走しない限りは皆同じ景色を見て歩くのだが、やはりいつもとは異なる景色に見惚れている感じを受けた。所要時間は1~2時間とは記載されてはいるが、どうしても多くの人々が訪れているため、写真を撮りたくなる場所は同じであるために、その付近で混雑してしまうことが渋滞の元凶になっているようだ。スマホカメラとフィルムカメラを三脚に取り付けたまま歩いていても、やはり撮影するには少々時間を要してしまうので、私自身も渋滞の原因になっていたかも知れない。まあ色々と思うことはあれど流されるところは流されよう的な想いで1時間半程掛けて一周してきた私であった。

丁度回り終わった時間が閉園の時間とほぼ同じであった。内地のイルミネーションイベントの際には、“今何時”ということを考えなくとも証明が落とされることで終園時刻がわかるのであるが沖縄の人柄なのか?一部の照明は終園時間を過ぎていても点いていたような気がする。初日の八重瀬公園もそうだったように思う。すべての来場客が帰るまでというのは観光客の我儘だが、見ていて気持ちの良いものであった。

そしてシャトルバスの乗り場へと向かう。私が駐車した〝第三駐車場(兼次小学校)〟は最も大きく、かつ解放されるのが最も遅い駐車場のようで、多くのバス待ちの人々が並んでいた。とは言え〝桜まつり〟を満喫した後だということもあるのか、行きのような殺気立った感はなく、行儀良く列に並んでバスを待っている感じであった。

3代目位でシャトルバスに乗車することができ、走り出すこと数分で駐車場へと到着する。見逃したものがなかったとは言い切れないものの、私にしてはなかなか効率の良い予定を回り切れたという思いがある。暫く車のエンジンをかけて暖気運転をする。沖縄で必要かどうかはわからないが、結構外も冷え込んできたために、室内を温める意味もある。程良く車内が温まったので車を走らせ、6月にも走った国道505・449号編を走り本部へと向かう。目的地は渡久地港である。沖縄のwebニュースで渡久地港のイルミネーションが紹介されていたので立ち寄ってみようと思った訳だ。しかし実際に渡久地港に着いてもそれらしき明かりは見えて来ない。0:00迄点灯している上に2月上旬まで開催されていると書かれていたのである筈なのだが…どこにもない。スマホナビを駆使し渡久地港を一周するように走っては見たが、やはり見つからなかった。こういう時に〝夜〟開催のイルミネーションは不便である。役場や観光協会に問い合わせるのが一番手っ取り早いがそれができない。かと言って明日確認して夜に訪れるには時間がない。そうこうしているうちに時間が過ぎて行く。あまり時間のことは気にしない私ではあるのだが、この界隈で宿泊するにはどんなに遅くてもチェックインが22:00迄のところが多い。残念だがこれ以上時間を費やすこともできずに出発することにした。

渡久地港を後にしてそのまま名護方向に進むと進行方向右側に本日の宿である〝ホテル&レストランオン・ザ・ビーチ・ルー〟が見えてくるが、そのまま一旦通り過ぎる。というのも食事を済ませていないためではあるが、このまま名護市街迄向かうとそれなりに時間を要してしまう。ナビ上では到着は23:00頃との表示であったがために、外食を諦めコンビニ弁当を購入することにした。立ち寄った先はセブンイレブン名護屋部店、ここは数件隣りに屋部郵便局があるためにやはり6月に訪れている。コースの組み方が結構ワンパターンであるために一回訪れた場所を再訪することが多い。時間も時間だったのでそれほど品数が多い訳でもなかったが、まぁ夕食にできる程度のものを購入し、車へと戻る。そして今来た道を本部方面へと走り、やっと本日の宿である〝ホテル&レストランオン・ザ・ビーチ・ルー〟に到着する。

こちらを選んだのはいつもの〝値段〟と〝チェックアウト時間の遅さ〟であった。シーズンではないのでもう一組宿泊客がいたようだが空いてはいる。チェックインを済ませ鍵を受け取り部屋へと向かうが、部屋のありかがわからない。そのためもう一回フロントへと戻り〝部屋が…〟というとオーナーさんが連れて行ってくれた。建物を見て最初にも気になったことではあるのだが、海に面した部屋が〝廃墟化〟しているように見えたのだ。どうしてかと思っていたら、台風でガラスまでが割れてしまい、シーズンに向けて修理をしているとのことであった。昨年宿泊した今帰仁のホテルオーシャンズ今帰仁もそうであったが、ホント度が過ぎる〝オーシャンビュー〟であるため、海が荒れようものなら宿泊するのも怖い…ということそのものである。コロナ化が沈静した(?)ことで客数は増えてはいくだろうが、部屋がなければどうしようもない。あてがわれた和室は方向的には海に直角に位置する和室であったために無傷であったらしい。シンプルであまり飾り立ててはいない部屋ではあったが、必要なものはすべて揃っているお部屋であった。そんなお部屋で先ずは汗を流す。そして夕食を軽く摂って明日の行程を見直す。ここは昨年6月に予定していたコースではあるのだが、ホテルの朝食時間の関係で行くことができなかったルートである。そのため訪問地その他も前回のものをそのまま流用しているために細かくは見てはいない。明日天気に恵まれれば良いな~と思いながら時間との勝負で走ってきた2日目のつかればどっと出てきたためにzzz。そして旅3日目を迎えるのであった。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー スカイマーク JRローカル 私鉄 徒歩 ソラシド エア
旅行の手配内容
個別手配

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